今の俺に何ができる?
一人ぼんやりと天井を眺める、その問いはくっきりと鮮明に残っていた。今すぐ何かをやらなければいけないという使命感。
寝ていても何も始まらないのは確かで、俺はゆっくりと体を起こした。
一人周りを見渡して酷くつまらない部屋だと思った。いつも過ごしている部屋なのに、今はそう強く印象付けられる。学ランから普段着に着替え部屋を出る。目指すべき目的地はすぐ近く、隣の部屋。つまるところ妹の部屋だった。
閉ざされたドアの前で立ち止まり、数瞬の逡巡。向き合う覚悟はあるか、そんな馬鹿馬鹿しい問いが浮かび、すぐさま蹴飛ばした。
ゆっくりと優しく、それでも確実に伝わるように、扉をノックする。ほんの少しの待機。
けれども返事はなく、一人寂しくため息をついた。
「まだ帰ってない、か」
いつもならば帰ってきてもおかしくない時間だけれども、まあ俺みたいに何か急に予定が差し込まれることもあるだろう。
最後にもう一回扉を叩くも、やっぱり返事はない。
なら帰ってくるまで待つしかない、自分の部屋に帰ろうとしてふと気づく。
廊下の向こうからチラチラこちらを伺う人影があることに。ひとつ冷静に深呼吸し、問いかける。
「……そこで何してんの」
それを聞いた誰かさんはドタドタと足音を残して逃げていった。部屋に戻ることをやめ、すぐさま後を追う。
逃げようにも響く足音が、彼女の行く先をちゃんと教えてくれていた。
足音に導かれてたどり着いた先は明かりの消えたリビングで、足音はここでプツリと途切れていた。けれども妹の姿はどこにも見えない。
隠れんぼ、ね。
天啓に近い閃きがあった。それに従っておもむろにいつも食事をとってる机の下を覗き込む。
「ほら、みーつけた」
「……む」
膨れっ面しつつも差し出した手を引っ張り、妹を机の下から引きずり出す。
「……なんですぐばれたの」
「リビングで隠れる場所っていったら、ここぐらいしかないだろうよ」
「理由はわかるけど、本当はそうじゃないでしょ?」
「まあ、ね」
妹は時々机の下に籠る癖があったことを、俺はちゃんと覚えていた。オセロに負けて不機嫌な時に、悲しいことがあった時に、母さんに叱られた時に、なにやら考え方にふける時に。少なくとも俺にはそんな癖はないから、妹にとって一番落ち着ける場所がそこだということなのだろう。
俺の返事を聞いて満足そうに頷き、それでも何故か妹は手を離さない。
「もしかしてさ、和泉お姉ちゃんと喧嘩した?」
「……和泉が家に入れたのってそういうことか」
「うん、休んだこと心配して、どうしても合わせて欲しいって言うから渋々」
心配そうにこちらの顔を伺っているのを見ながら、俺は何を言うか迷っていた。正しく起きたことを伝えようと言葉を振り絞る。嘘はダメだ、俺がやったことから目をそらしちゃいけない。
「喧嘩では、ないな。ただ俺が和泉に対して酷いことしただけだ」
「……ごめんなさい、お兄ちゃん。私のすること裏目裏目ばっかりで」
妹の視線の先には俺の右手があった。
「それ、手当てとか何もされてないよね」
「別にしなくてもそのうち治るって」
「ダメだよお兄ちゃん、道具とってくるから席に座ってて」
妹に促されるままにいつもの席に座らされる。大した怪我じゃないのに、それでも見下ろした指先には血が滲んでいた。昨日の怪我なのにまだ塞がってないのは、多分無意識に引っ掻いたりしてしまったからだろう。
そうこう考えているうちに妹が救急箱を抱えて戻ってきた。
「お待たせお兄ちゃん、それじゃちょっと手出して」
「頼むから冷静にやってくれよ」
「わかってるわかってるって、昔も同じようなことたくさんしたでしょ」
不安を他所にテキパキと処置をするのを、俺はただ無言で眺める。何か懐かしい記憶が心を掠めていった気がした。
「壊れた写真立て、まだ新しく買い直してないよな?」
「……うん、まだ買いに行く時間作れてないし」
「それなら俺が新しいの買いに行ってくるからさ、買わないで待っててくれないか?」
妹の手の動きが止まる。返事もまた、帰ってこない。
こちらの様子を恐る恐る伺いながら、妹は口を開いた。
「……いいの?」
「まあ、俺にはこういうことぐらいしか出来ないからさ」
「ならできるだけ、うんと可愛いのが良いな」
「写真立てなんてシンプルなものが一番良いと思うんだが、あくまで写真が主役だろ? 主役より目立ってどうするんだよ」
俺がそう持論を語る間に手当てが終わり、妹はすっかり聞き入る態勢に入っていた。
「もーお兄ちゃんは分かってないなぁ、全然分かってないよ。例えばね、写真の威力が100だとしてさ」
「写真に威力とかあるのか?」
「そこはなんとなくで流してよ。それでさ、写真立てもありきたりなものなら1だとするじゃん? そうすると100×1の威力しか出ないわけ、でも可愛い写真立てなら50なの、100×50で5000。写真と写真立ての相乗効果で素晴らしさが50倍になったってことだよお兄ちゃん、これで分かってくれた?」
「……わからん」
なんとなくカレーにハンバーグとエビフライをぶち込む、好きなものに好きなものを重ねたら最強理論を思い出していた。
この理論には穴があり、互いの欠点に考慮してないと言う問題があると常々思っていた。
ついでに言えば美味しく食べれる量には限界があるということも。
俺の返事を聞いて、妹はやれやれと首を振った。
「お兄ちゃんはダメダメだね、それ買いに行く時は私も連れてってよ。多分いつものショッピングモールでしょ?」
「ああ、別に良いよ」
その返事を聞いて妹がパッと笑顔を咲かせていた。
大体そこに行けばなんでも揃うし、映画も観れる便利な場所。和泉が先週必要なものを買いに行ったのもそこだったはずだし、俺が鈴木と映画を観に行ったのもここだった。
そう思う中、何か一つ大きな違和感があった。何か大事なことから目を逸らした感じがした。
「じゃあさ、じゃあさ! もう今日行っちゃおうよ、映画も観てさ!」
「……うん」
気の抜けた返事、頭の中では重大な見落としを探すことに全力を注いでいた。天啓は降りてこない。だからただひたすらに、愚直に、聞いた言葉を、見た景色を振り返る。
「今から準備してくるから、ここで待っててね」
「……いや、ちょっと待て」
時間を確認する、まだ日が落ちてない時間。
合ってるかは行けばすぐにわかる。
別に今日確かめる必要はないじゃないかという声と、今日行くべきだという声があった。迷ったら行動しろ、もしかして昨日までならば違う答えを出したかもしれないけど、今日出した答えは確かにそれだった。
「ごめん、今日は無理だ。ちょっと用事があることを思い出した」
「……そう」
答えに辿り着く為の一つの鍵をようやく手に入れた。いや、そもそもとっくに俺が持っていたはずなのに、使わなかっただけだった。それから目を逸らして知らないふりをしていた。
そしてこの役に適任なのは和泉ではなく、俺だという確信があった。だから俺が動くしかない、鍵の持ち主は他の誰でもなく俺なのだから。
俺に着地することが出来るだろうか?
そんな思考から現実に目を向けると、妹が露骨に凹んでいた。いじいじ机に指で何やら文字を書いてるが、それが何なのか俺にはわからない。
「ごめん、別に嫌なわけじゃないんだ。代わりに週末は開けとくからそうしてくれるか?」
「……約束だよ?」
「ああ、約束する」
出された小指に俺の小指を引っ掛ける。指切りげんまん嘘ついたら針千本と軽く揺さぶって、すぐに切れた。
「これからちょっと出かけてくる、晩御飯までには帰るから」
「ちゃんと帰ってきてよね、お兄ちゃん」
「分かってるよ」
その言葉を最後にリビングから出て行く。
一つ確認の連絡を入れようとして、辞めた。
その質問にはいと言われるの、いいえと言われるのも、どっちも怖かったから。
どうにでもなれ、そういう気分だった。
靴をつっかけ、玄関の扉を開ける。
和泉の言葉通り久しぶりに晴れた空、綺麗な茜色に染まっていた。何となく前途を占ってくれている、そんな気がした。
歩みは次第に早くなり、気づけば走っていた。
未だ残る迷いを振り切れるように、全力で。
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そうしてたどり着いた先で、俺に対して他人のように素っ気なく挨拶をする彼女があった。
思わず笑う、それは気まずさか、それともまたそれ以外の何かか。
人は弱い、どうしようもなく。だからもしかしたら、どうしようもない間違いをしたのかもしれないけれど、カチンコはもう鳴らされている、止める事は俺には出来ない。
「よう、鈴木。元気そうだな」
多分二人ともひどい顔をしてるのだろう、それでもそれを無視して俺は缶コーヒーを差し出した。
前に差し出されたものとまるっきり同じ物を。
「あったのも何だし、ちょっと話をしないか」
少なくとも女の子に頼まれたことを果たせなければ、男じゃないだろう。そんな意地だけが俺をこの場に残していた。
週末に予定、ありましたよね
あと4から5話、ちょっとまがあくかもしれないです