投稿がストップして二年半ですか……長らくお待たせしまして、すみませんでした。
こんなにお待たせしてなんですが、続きを書く意志はあります。
もしよろしければ今後もお付き合いいただければと思います。
※かなり久しぶりなので、勝手を忘れているところがあります。誤字があった場合には教えていただけると助かります。
小さくても構わない、足元を照らす灯火が欲しい。今はそれだけが望みだった。
「整列!」
固い声色の号令が飛ぶなり、横列を成す中隊員が姿勢を正し、ブーツに叩かれた格納庫の床が硬質な音を鳴らす。張りのある声はそのまま残響となって、鉄材がむき出しになった壁面を伝っていった。
様子を見た整備員達は音を立てぬように気を使ったようだ。停止後のストライカーユニットを扱いながらも、遠慮がちに作業の手を緩め始める。私の耳には金属の器具から発せられる、ごく小さな音ばかりが届いている。
そんな中にいて、私が感じたのは少々の居心地の悪さであった。整備員の気づかい、ベーア隊長の声音から普段よりも張りつめた空気が伝わってきているのがわかる。
小さな緊張感が私の精神を棘のように刺激し始めた。ここではちっとも落ち着くことができない。気が付けば視線だけが宙を泳ぎ始めていた。
気取られない範囲の中で捉えたのはケージに収容されたばかりのストライカーユニットであった。姿勢を崩さぬよう、横目で機体を確認すると私の知識はほぼ意識しないうちに実物との照合を終えていたようだ。
そのストライカーの名はJu87シュツーカと言う。地上攻撃を主任務とする爆撃隊の主戦力、その中でもカールスラント空軍が得意とする急降下爆撃のために開発された機体だ。華奢にも見えるBf-109とは違い、脚との接合部から端まで直線的かつ重厚なフォルムをしており、先端部に備え付けられたランディングギアが旧来からの信頼性と若干の古さを感じさせる。私の眺めている機体からは、下地の覗く急ごしらえの冬季迷彩が戦場の匂いを漂わせていた。
じっとJu87を眺めていたところで、ユニットケージの裏手から人影が現れた。ストライカーの停止作業を終えた爆撃中隊の一人だ。ストライカーから視線を移したところで、その人物に目を奪われる。
後ろ手にまとめた金髪は色素が薄く、碧色の瞳は眼光鋭い。何よりも顔面を横断する大きな傷跡が目立つ。
彼女はそんな容姿をしていたが、私はゆったりと周囲を見渡す佇まいから、常人とは違う圧力のようなものを感じとれていた。間違いない、彼女はエースであった。何故だか一目見ただけで、ああこれはと納得させられる雰囲気がある。
程なくして、爆撃中隊の面々が姿を見せる。飛行帽をかぶった少女らが次々に駆け足の音を響かせながら現れた。総勢十二名。やはり初めに現れた少女が隊長であったか、彼女を先頭に整然と一条の列を成し、我々に向って正対した。
「敬礼!」
我々はベーア隊長の声に合わせて挙手の礼をとる、すると対面する爆撃中隊もまた見事な敬礼を返してくる。
「ハインリーケ・ベーア中尉以下、第七十七戦闘航空団第四飛行中隊、スオムスまでの護衛を担当します」
ベーア隊長の口調は、練習していない台本を読み上げているようである。あまり慣れていないように、必要最低限の言葉だけしか口にすることはなかった。相手方の隊長は小柄なベーア隊長を見降ろす形で、愛想笑いだろうか、小さく微笑んだ。
「ハンナ・ルーデル大尉以下、第二急降下爆撃航空団第十飛行中隊だ」
続く名乗りを聞いて、ベーア隊長の口調も頭の中から吹き飛んでしまった。畑の違う制空隊の私ですら知っていた、カールスラント空軍を代表するビッグネームである。
ハンナ・U・ルーデル!
世界に名を轟かす、爆撃ウィッチのトップエースであった。
そんなカールスラントの英雄とも言うべきルーデル大尉は笑みを深めると、おもむろにベーア隊長へ右手を差し出した。隊長は硬い表情のままその手を握り返す。
「空では何度かすれ違ってはいたが、直接会ったことはなかったな。はじめまして、ベーア中尉」
「はじめまして。光栄です……大尉殿」
ルーデル大尉が会話を始めると、自然とそちらに視線が移る。大尉の微笑みには年齢など関係なしに全幅の信頼を預けてしまいそうになる頼もしさを感じる。威厳というものがそうさせるのか、顔面を横切る痛々しい傷跡すらも、叙勲した名誉の勲章の一つを誇りをもって引っ提げているかのように見えるのだ。
「貴官の噂は何度か耳にしているのでね、直接会って話をしてみたいと思っていた。東部やオストマルクで披露していたという腕前は健在か?」
「は、本官個人の練度ならば陰りなしと断言できます、さすがに実戦の頻度は減っておりますが」
「そうか、リバウの戦況はカールスラントよりは余裕があるだろうしな、なに、平和であることはいいことだ」
ルーデル大尉は得心し頷く。
他国にまで広く名を知らしめるエースの口からどんな言葉が飛び出してくるのか。身を固く、耳をそばだてていれば、聞こえてくるのは至極友好的な会話であった。
優れたウィッチは同胞にすら一目置かれ、トップエースともなれば最早英雄だ。そんな高みにいる人物を前にしたが故の緊張も、ほんの少し綻びを見せた。小さな安堵をおぼえていると隊長が一歩前へ踏み出す。此度、我々の役目は大尉の出迎えと司令室への案内となっている。ベーア隊長は与えられた責務を果たすため、早々に行動を開始した。
だが、早速、皆を先導していこうとベーア隊長が歩きだした矢先、その背中へ引きとめるようにルーデル大尉が言葉を投げかけた。
「まあ待て、急ぐこともない。一つ、仕事の前に少し聞いておきたいことがあるんだ」
ベーア隊長はぴたりと足を止める。呼び止められた理由がわからず、振り返った顔には怪訝という文字が隠されもせずに浮かんでいた。
ルーデル大尉はその場から動こうとせず、微笑みをたたえた表情のまま言う。
「いいところだなリバウは、寒いが活気がある。鉄臭い東部とは大違いだ」
脈絡のない言葉に意図をつかめず、内心で首をかしげる。まさか指令室への案内を留めてまで世間話もすまい。
それは隊長も同じことのようであった。どう応じるべきか、答えを探している様子がなんとなくわかる。
もっとも、ルーデル大尉も特に気の利いた答えを求めていたわけではないようであった。返答を待たずに自分の聞きたいことをすぐに問うた。
「よく聞く話だが、環境が変われば人も変わるそうだ。中尉はどう思う」
「は、確かに聞き覚えのあるフレーズではありますが」
いぶかしげに返す。
「質問の意図がわかりかねます。東部からリバウに移ろうと、私は私です。そう変わるものでもありません。練度ならば先ほど申しあげたとおりでありますが」
よくわからない、といった隊長の返答には怪訝(かいが)と不機嫌が現れている。一瞬、ベーア隊長の気難しい性分を憂いたが、どうやら言葉に負の感情が混じったのには理由があることをすぐに知ることとなった。ベーア隊長から視線を移し大尉を注視すれば、ルーデル大尉の目が隊長を見ながらゆっくりと上下に動いているのがわかった。
「私は私、そうだろうな。初対面でこう言うのは憚られるがね、東部での貴官の素行不良も変わらないまま、と言う訳なのだろう? なあ、ベーア中尉」
微笑みには先程同様の頼もしさを感じとったが、親しみがまったく込められていない。よい雰囲気ではないのは明白だった。ベーア隊長の一挙手一等足から目を離さず、値踏みしているのだ。少なくとも私からはそのように見えた。
隊長が眉間に力を込めて見返すと、大尉は口角の片側を小さく釣り上げることで応酬した。
「噂を耳にしていると言ったな? 部隊を受け持つようになるといろいろと聞こえてくるのだよ。反発に独断行為は数知れず、撃墜数よりも悪い評判の多い士官も珍しいな、私は貴官が護衛だと聞いて不安を隠すことができん」
微笑みの代わりに浮かぶのは冷笑であった。皮肉のこもった口元とは裏腹に、温度の下がりきった表情の無い目がベーア隊長を見降ろしている。
「制空隊がいなければ爆撃屋は戦場を飛ぶことすら許されない、が、我々の足を引っ張るような者ならば、いないほうがはるかにマシだ」
第四飛行中隊に音にならぬざわめきが拡がるのがわかった。出会い頭から言葉による一撃を食らったのだ。同胞であるはずの味方の間で起こる、ただならぬ状況に誰も動くことができずに推移を見守ることしかできない。
ベーア隊長だけが片眉を跳ね上げる様子が見える。不満もあらわにルーデル大尉の言葉への反論を行った。
「ずいぶんと突然だ。お言葉ですが大尉殿、私は命令に反したつもりなどありません。私は私の上官の命に従い、作戦目標の達成のため上層部の認識の違いを、現場レベルにおいて是正したまでであります!」
「それが貴官の理屈かね? ずいぶんと自分を高く見ているのだな。貴官に護衛を担えるだけの冷静さがあるか? そのような考えを並べ立てているのだ、貴官のいう現場レベルの判断とやらで我々を放り出していかぬという保証がどこにある」
真一文字に走った傷口が歪むのが見えた。
「撃墜数やら反発心やら、そんなもので本分を忘れるような問題児のお守は、もうたくさんなのだよ。飛ぶ前からハッキリさせておかねば、必要もない苦労を増やすことになる、冗談ではない」
反論は倍以上になってベーア隊長へ返る。隊長の表情が悪い方へ歪んだ。
気負うことすらなく、貴様は、いや貴様らは不要であると、大尉はまるで当然のことのようにそう伝えている。
「率直に言えば私は貴官と、貴官の部隊を信用していないのだ。腹を立てたのなら護衛任務を辞退してくれても構わんぞ、どうだ?」
英雄の声は絶え間なく、精神の壁を吹き飛ばすために爆薬を投下する。今、彼女の目前に立って心を保てる者はどれほどいるだろうか。天性の才を、戦場という鍛冶場で鍛え、劣勢という研ぎ石で磨き上げた結果がルーデルなのだ。経験に裏打ちされたその言を正面から受け止めれば、大の大人ですら身をすくめ考えを放棄して首を縦に振りかねない。
時として、最前線を戦い抜いた英雄の言葉は元帥のそれよりも重い。
ともすれば、この瞬間、犬歯をむき出しにして抗うベーア隊長は一握りの異端なのだろうか。
「私も率直に言わせていただきましょう。これで、腹を立てない訳がありますか大尉殿。ここまで言われたのはゴロプの冷血女に会った時以来だ」
「では降りるかね? 私としては扶桑の航空隊に護衛してもらってもいいと思っているんだ。陸軍のウィッチは中々のものだった、海軍も腕がいいと評判だからな」
「何を、それこそまさかであります」
あろうことかベーア隊長は鼻で笑って応酬する。どういうつもりか、周囲が非難の視線を向けるも本人はまるで気にしていない。
大尉が浮かべる嘲りの表情に対する隊長の笑みは、やはり犬歯を剥き出す挑戦的なものだった。
「私だって馬鹿じゃあない、不満をぶつけるならがなり立てて上官に吐き出すよりも、もっといい方法があると学んでいます。目に見える形で成果を残せばいい。私と仲間なら十分に可能です、貴女にだって目にもの見せて御覧に入れる」
ベーア隊長のこめかみがひくついていることに気がつく。それほどまでの感情の高ぶりが込められた言葉。なれど、行動には表出させず小さな身体に押しこむことで処理している。まるで戦闘機が可燃性の燃料をその身に溜めこみ、敵機と相見えるその時を待っているのと、似ているように思えた。
緊張は深みを増し、対峙する両者は部隊の狭間で、互いに性質の異なる笑みを向けあっている。ルーデル大尉は自分を見上げるベーア隊長の顔を観察するように眺めていた。
やがて何を感じたのだろう、楽しそうに目を細めると、ゆっくりと唇を動かした。
自然、警戒とともに大尉の動向を注視する。次はどのような言葉を隊長へとぶつけるのか、型破りな上官達が自分達にどんな事態をもたらすのかを気にせずにはいられない。たった一瞬だが、爆薬が炸裂する瞬間を思わせる張りつめた空気は、この場の全員に大きな負荷を押し付けた。
しかし、大尉の口からこぼれた音を聞いて我々は拍子抜けというものを体験することとなる。大尉が漏らしたのは剣呑さに投下する燃料ではなく、長い長い溜め息であった。風船の空気が抜けていくような感じだ、緊張が溶け出ていた空気がゆるゆると氷解していく。
急な変化に我々は呆気にとられた。大尉の表情からは嘲りが失せ、元の大器を感じさせる笑みに戻っている。
「なんだ、思っていたよりも燃え上がらなかったな」
「上から文句言われるのは慣れてるもんで、オストマルクの時にゃあ所属が違うってのにゴロプがうるさいのなんの」
「慣れ、ね。まあいいさ、まるで自制がきかないという訳ではないらしい」
ベーア隊長もまた気だるげな、表情筋が弛緩した顔となってしまった。
もうすでにいがみ合う空気ではない。爆心地であった二人が真っ先にリングから降りてしまえば、周りで見守っていた者達は一体どうすればよいのだろうか。
「あれだけこきおろしておいて、もう納得できたんで?」
「今は沸点を知ることができればそれでいい、時間は多くないのだ。そこそこの腕、あとは任務を遂行するだけの冷静さが備わっているのであれば多くは望まん」
「それじゃあ、一応はお眼鏡にかなったと」
「一応、な。バルト海を越える間の短い付き合いだ、それくらいなら貴官のよろしくない噂には耳を塞いでおいてやるとしよう」
「そりゃどうも、ありがたいこって」
一応を強調され、隊長が苦笑して肩をすくめる。
気の抜けたやり取りの一部始終を見て、大尉が一芝居うったのだと理解する。胃に穴のあくような思いをしたが、値踏みしていると感じたのは思い違いではなかった。
煽り、精神に火を放つことでさらけ出した本性を見る。実力主義者かつ、書類だけではなく自分自身の目で判断しなければ気がすまぬ人物なのだろう。
それでもだ、初対面を相手に喧嘩をふっかけるとは誰も予想できるものか。もし、隊長が激発して、本当に護衛を降りてしまったら。大尉が言ったように扶桑海軍航空隊の助力が受けられるかどうかもわからないのだ、そうなれば爆撃隊だけでバルト海を渡ることになりかねない。しかし、とも思う。たとえ護衛がいなくとも大尉は飛ぶのではないか。英雄には常識をねじ曲げるだけの何かがある。
私は、自然と二人から大尉の方だけに意識を集中していた。
偶然か、もしかすると無意識のうちに視線に熱を込めていたために、注視していたことを感づかれたのかもしれない。ほんの一瞬だけ隊長から視線を離した大尉と目が合ったのだ。
私は身を固めた。本来なら相手に認識された程度、大して気にすることでもないはずだが、私の感覚はやけに鋭敏に反応した。悪戯を隠した子供が親のあらゆる言動に対して神経質になっているようであった。
その悪い意味で敏くなった私の感覚が、さらに大尉の目から表情が消えたことを感じとる。
「失礼、もう少し待ってもらえるか」
ああ、やはりか。
隊長との会話を中断して大尉が私を目指して歩いてくる。私など歯牙にもかけずに放っておくのでは、そんな淡い期待も抱きはしたが無意味な事であった。眉を寄せたよろしくない表情。大尉は私に何かよくないものを感じとってしまったのだ。
軍用ブーツが鳴らす足音は目の前で止まる。
「貴官、名は?」
「ハインリーケ・エールラー少尉であります、大尉殿」
ルーデル大尉に見降ろされながら名を答える。嫌な空気だ、名乗るだけだというのに妙に神経を使う。英雄に出会えた高揚感は隠れて久しいが、上乗せするように居心地の悪さが私を包み込んでいる。私のどこに落ち度があったのだろう、考えたくないことに考えを巡らせることに少なくない負担を覚えた。
「ベーア中尉、今回の護衛任務には、エールラー少尉も参加するのか?」
大尉は名乗った相手に返すでもなく、隊長へと会話を振った。頭に疑問符を浮かべていた隊長もまた、歓談する気配ではないことを感じとると、すぐに表情を硬くする。
「そいつは地上待機です、体調に不安があるので飛ばせません」
「体調不良? 悪い判断ではないな、何を理由に建前を使うのかはわからんが」
鋭い眼光が私を射抜く。込められているのは敵意や嫌悪と言った感情ではないようであった、口元に手を当てた状態で大尉は考えを巡らせている。
何だ。
疑問ばかりが膨らむことに内心で焦り始めた頃にようやく大尉が口を開いた。
「目が沈み切っている、東部でよく見た目、敗北を認めた者の目だ。何が貴官にそうさせている」
私は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
この言葉はナイフだ、精神が傷口を暴きだされて抉られるのがわかる。意味をくみ取っただけでも、ルーデル大尉は私が抱える物を捉えてしまったことが理解できた。背中にじっとりと汗が滲んできている。返答すべきだが、生半可な答えは効力を持ち得ない。何を口に出せばこの場を切り抜けられるのか、空回りする思考が判断を鈍らせる。視線を受けながら私は奥歯を噛みしめた。
「答えは求めん、貴官自身でよく考えるといい」
ルーデル大尉は私の返答を待たずして、唐突に幕を引く。浮足立った私をじっと見つめただけで、後はそれだけだ。短く、行くぞと号令するなり、先程のように嘲笑を浮かべるでもなく、固い表情を崩すことなく踵を返した。
出口へと足を向ける大尉を隊長が駆け足で追いかけ、遅れてシュツーカ隊の面々が続く。
最後に動き出したのは第四飛行中隊だ。機をうかがいながら歩きだす彼女らにつられるように私もまた、重たい足を前に進めるのだった。実際の距離よりも遠くに見える大尉の背中に気の抜けた瞳を向け、小さく呟く。
「知っているさ、そんなことくらい」
だがどうすればいいのかは分からないのだ。
否定できないその言葉が、いつまでも耳に残り続けた。
案内を終えると、中隊はそろって格納庫へと戻ってきた。広い空間の片隅で、薪ストーブを中心にそれぞれ椅子を持ち寄って暖を取る。
「慣れないことはするもんじゃなねえな、肩がこるわ悔しいわ、最悪だよ、ったく」
頭を抱えながらベーア隊長が唸り声をあげる。そのまま椅子の上で勢いよくのけ反り天井を仰いだ。隊長が座っているのは折り畳みのフォールディングチェアで、勿論のこと、激しい動きができるような造りをしていない。骨が頼りない軋みを鳴らすと、フレデリカがストーブに手をあぶったまま横目の視線を送る。
「向こうが芝居でなければ、本当に護衛を外されていたかもしれない」
「そうよ、あんただって売り言葉に買い言葉じゃない、悔しいですむなら儲けもんでしょうが」
副隊長は溜め息をつきながら同意を示し、気の抜けた様子のテオとライネルトを指差した。二人とも肩を落とし、ぐったりと椅子に体重を預けている。
「見てるこっちは胃が壊れるギリギリのラインだったんだからね。新人だってかわいそうじゃない」
「わかってる。わかってるけど、あそこで頭を下げるのも何か違うだろ。私にゃ嘘なんてつけねえよ」
口をとがらせる隊長に、副隊長も思うところがあったのか、不服そうな表情を浮かべながらもさらにいい返すことはしない。
彼女らも空軍の主戦力である機械化航空歩兵、軍の一員なのだ。それなりの気概を持ち合わせているに決まっている。適性を計るための芝居であったとは言え、実力を疑われ貶められたのである。首を縦に振ってはプライドに小さくない傷がつき、激発してしまえば本当に任務を降ろされていたところだ。
狙っていたのかは論じないが、ルーデル大尉の意図に沿いつつ、誇りとでも言うべき任務への意志を示して見せることができたのは隊長のファインプレーだろう。代償があったとすれば隊員の疲労感か、しかし、これで部隊間の不和を取り除くことができたのなら安いものだ。第四飛行中隊も第十飛行中隊も、安心してバルト海へ飛び立てる。
今日の内にも隊長同士、部隊同士でフライトプランの調整でも行うことになるはずだ。
飛ばぬ私は参加することもないのかもしれないが。待機にせよ、お呼びだけはかかるにせよ、苦い時間になることは間違いない。相も変わらず鬱々とした心象は変わる気配を見せることはなかった。
この辺りで、私は無意識のうちに肺一杯に空気を溜めこんでいたことを認識し、それが溜め息へ変わらぬよう一瞬の間、呼吸を停止させることにした。
濁った心の内を表に晒さぬようにという、せめてもの自制だ。
不安定な精神状況はあまり改善の兆しを見せてはいない。湧きあがる不安と自虐を押し殺すことが、私にできる唯一の施策だった。
『私はウィッチの紛い物だ』
私自身が己に向けた言葉をがフラッシュバックする、そして、
「おい! ぼさっとすんな!」
耳元で突然に怒鳴られる。頭の回転が停止し、よくない考えも形を成す前に散り散りになっていく。座ったままの姿勢で硬直して、虚空を見上げながら、ようやっと意識が再起動を果たした。
「失礼しました、ベーア隊長」
「気の抜けた声で謝られたってな、なーんも言えねえよ。私の話、全っ然聞いてなかったな?」
再度、謝罪の言葉を述べると、隊長は眉尻をさげて腕を組んだ。
煮え切らない表情で私の目を覗きこんでくる。
「前に怒鳴ったころからそうだ、見てりゃすぐわかるけどな。調子が悪いのが丸わかりなんだよ、初陣の頃と全然ちがうじゃねえか。それだってのに変な気を使って隠したがるんだ」
副隊長が腰を浮かせたのが、視界の端に映る。いつ何が起きても即応するための備えだ。私は副隊長だけでなく皆が微かに緊張を含んだ空気を漂わせていることを感じた。
そういえば何日か前にも、揉み合いになっている最中に同じようなことを聞かれたなと思い至る。また取っ組み合いの争いになるのでは、そう心配させてしまっているのか。
だが本人からすれば、それは杞憂と言う他ない。事実を示されれば反論などしようもない、今の自分が正常でないのは自分自身が一番理解しているのだ。違和感に理由をつけ、無理矢理に納得しようとしていたときとは条件が異なっている。無論、状況は悪化しているのだろうが。
「自覚あるだろ、でなけりゃ爆撃隊のエース様に言われるような顔になる訳ないもんな」
「おっしゃる通りです……反論の余地もありません」
「さっき聞き逃したのは、その話な。まあ、わかってるならいい、また初めから説明する手間が省ける」
「はっ、お手数をおかけいたします」
私の言葉に軽く頷いて隊長は続ける。
相手から何を言われるのか、会話の内容から大枠くらいなら読みとれるものだ。今は情報源となる言葉が少なく、ベーア隊長が言わんとすることは不明確なのだが、何となく私にとって朗報とはならないだろうと予想がついた。大方お叱りの言葉でもいただくことになるのだろう。自業自得、期待を裏切る私に原因があるのだと、私は姿勢を正しつつ隊長の声に集中した。
「お前、今日からしばらく休め、軍務禁止」
集中はしていた、していたのだが。口を半開きにした情けない表情が、疑問の声を上げる直前にほんのギリギリのタイミングで自制心が働いた結果として現れることとなった。
自らの言葉に納得するような仕草で、隊長は何度か首を縦に振る。
「待機なんて中途半端な事するから駄目なんだよ、この際お仕事から離れてよーく考えてこい」
「しかし休暇など、よろしいのですか? このような時期に人員が欠けることは問題があるのでは」
「今のお前を放っておく方が問題だっての。あるとすりゃお前が肩代わりしてた書類の押し付け先くらいだよ。いいからしばらくぼーっとして自分がどうしたいのか考えてこいってんだ、心配するのは調子を取り戻してからにしろ」
だが、休暇など、参加は難しいとはいえ作戦の直前に許されるものなのか。
なけなしの義務感が抵抗を訴える。私の顔は固く、不安げな色を映し始めているだろう。
ベーア隊長が、もう話は終わりだとばかりにぞんざいに手を振る。考えとも言えない感情を、言語化するよりも早く彼女は私の言わんとしていることを感じとっていたのかもしれない。
「悪いけど嫌だって言っても、もう遅いんだ。面倒だから書類申請はもう出しちまったし。だから素直に休んでこい!」
以上、と半ば強引に会話を打ち切られ、逃げ道がないことを悟る。意図してやっていたのかは定かでないが、選択肢を削る包囲網はすでに構築されていたか。
私にはベーア隊長が誰を特定する訳でもなく、全員に向って声をかける様子を黙って見ているしかできなかった。
「よし、他はこれから訓練な」
「ちょっと待って隊長、何が『よし』なのかわかりませんよ! 異議ありっ、そんなの予定にありません!」
「おう、さっき決まったからな、でも日没ギリギリまでみっちり行くぞ」
「爆撃中隊とフライトプランの打ち合わせは?」
「日没後に変更、ルーデル大尉と交渉済みだ」
「またアンタは勝手に決めるんだから……」
不意打ちじみたベーア隊長の宣言が隊員達へ降りかかった。それから各々より不満の声が上がっては消えていく。
突発的な訓練も隊員への周知以外は準備万端であるようだ。逃げ道が無くなっていたのは、私だけではなかったらしい。
「芝居でもあんな態度取られたら、目にモノ見せてやりたくなるだろうが。飛行空域の申請も通ってるから飛ばない訳にはいかねえぞ、残念だったな! 逃げられると思ったら大間違いだぜ野郎共!」
「隊長、私達は野郎じゃない」
「やかましい! んなことはどうでもいいんだ、さあ立て! 暖機して離陸の準備するぞ!」
フレデリカに揚げ足を取られつつも、隊長が意気揚々と立ち上がったのならば、隊員はそれに従わざる負えない。列機は隊長に続くものなのだ。不満げな表情をしながら、皆がストーブの前から移動を始める。
私はと言えば、合わせて立ちあがったはよいものの、突然の暇を出されたために目的とするものがない。出来ることと言えば、手持無沙汰さにさいなまれながら皆を見送ってやることぐらいだろうか。
どんな声をかけようか迷っていると、ベーア隊長が何かを思い出したように振り返り、私を指差した。
「おい、ちゃんと休んどけよ? 仕事に手ぇ出したら承知しねえからな」
もう反論する気は残っていない。
そのままストライカーユニットの暖機を始めた中隊の面々を眺めながら、私は自分のユニットに手を伸ばした。
そして、指先が触れた途端に引っ込める。撃墜されたときの記憶が嫌でも思い起こされるようで、酷い悪寒が走るのだ。命を預ける相棒ですら恐怖の対象になっているようであった。
結局、隊長へ返す言葉も見つからず、震える手をごまかすように、私は気の抜けた了承と、敬礼だけを返すことにしたのである。
相変わらず外は嫌になるほどに寒い。
意識的に緩慢なペースで歩きながら、真っ白な息を吐き出した。バルト海の空気は淀みがなく静謐だ、吸い込んだ冷気が頭の芯をツンと刺激して眠気を取り払ってくれる。そのままご近所をぐるりと一周でもすれば、退屈な事務仕事を片付けるためのコンディションも自然と整ってくるだろう。今日実践すれば間違いなく上官の怒りを買うであろうことを、わざわざやろうとは思わないが。
それにだ、私の頭には眠気が消え去っていれども、何かぼんやりとした感覚が纏わりついていて一向に晴れる気配がなかった。冷えた呼気よりもなお白い雪をかぶったリバウの街並みが、きらめく様な美しさを湛えていると言うのに、まったく情景として頭に入ってこないのだ。普段なら、詩人ではないにせよ人並み程度には綺麗な物を気にかけるだけの感性も持っていたというのに。
まったく、どこにいても結局、気が休まらない。一人でいれば孤独感とウィッチへの嫉妬心にさいなまれ、嫌になって外に出てみればこの通りの自己嫌悪におちいる。思っている以上に自分は疲弊しているのだろう。恐怖への対処、ウィッチとしての在り方への絶望、もうお腹いっぱいだ、処理しきれずに胃もたれを起こして久しい。
以前リバウの街を三人で歩いた時は、もっと楽しめていた。こんな風に、どうしようもなくなって前に歩いた道をあてもなくなぞることしかできないと、なおさら過去のことと比較しようとする。
不愉快な散歩もあったものだ、と思いながらも、私は緩慢な足取りで雑踏の中に紛れ込んでいった。小柄な少女の体格である、悪戦苦闘しながら歩いていれば濁った思考の何割かはそちらに充てられるだろうよ。本末転倒を自覚しつつも、身体を人と人の間に滑り込ませ、自分の案を実行に移すことにする。
ただ、誤算だったのは私の姿を認めるや、喧しい人ごみの中にまで追いかけてくるような人物がいたことだ。
私からすれば完全な不意打ちであった。突然に背後から肩をつかまれ、跳ねるように身を震わせる。半分何も考えていないような状態から、覚醒状態へと一気にシフトしたためか、必要以上のオーバーリアクションとなってしまう。周囲の人々とぶつかりながら、後ずさりと共に振り返った。
「す、すまん、ここまで驚かれるとは思っていなかったんだ」
眉尻を下げ、困惑したような顔がそこにはある。艶やかな黒髪を後ろ手にまとめた彼女のものだ。
「……坂本」
気の抜けた口から相手の名を漏らした。目の前にいるのはリバウでできた友人その人である。しかし、間違うはずもない彼女の姿を認めてからも、体の緊張は解けぬままだ。
胸が小さく痛む。
思い出されるのは数週間前の模擬空戦の日、彼女の強い、強い意志を伴った真に鋭き眼光に正面から向き合った。いかなる苦境であっても決して折れはしないと語る眼差しが、ウィッチとはこれであると雄弁に語っているかのようであった。
そんな光景が想起され、私はふと疑問に思うのだ。
それこそがウィッチであるなら、今の私は?
「なあ、怒ってるのか? 申し訳ない、許してくれ! この通りだ!」
坂本の声を聞いたところで緊張が解けた。はっと我に返れば坂本が両の掌を合わせるジェスチャーをしながら、頭を下げていることに気が付く。様子からは謝罪の意思が見て取れ、上の空になっている間にあらぬ誤解を与えてしまったのだと、ようやく理解するに至った。
首を小さく横に振る。
「怒ってなどいない、頭を上げてくれ」
「そう言ってくれるか、ありがとう! エールラーは優しいな」
「こんなことで、別に優しいわけでは」
言いかけてやめた。ぱっと明るくなった坂本の表情を見ると、余計なことを言う気もなくなってしまう。
ころりころりと移り変わる彼女のまとう空気は、年相応と感じられる。達観した言動をしながらも、邪気のない笑顔を向けてくれる。
やはり私はそんな坂本を好ましく思った。
「しかし、いきなりどうしたんだ、何か用があったんじゃあないのか」
「や、友達の後姿を見たものだから、つい追いかけてしまった。声をかけようと思ったんだが、人混みのなかでは聞こえないし、それならいっそ引き留めてしまおうと……いや、これではまるで通り魔だな、やはり何かお詫びをさせてくれ!」
「いや、お詫びといわれてもな」
好ましいが、なかなか真面目に過ぎる性格をしている。せっかく話題をそらしたというのに、すぐに元の流れに戻されてしまった。
先ほどから振り回されっぱなしだ。悪い気はしないのだが、小さく息を吐いた。素直に断ろう。そもそも私は何も気にしていないのだから。
自分の意図を伝えようと口を開く。
あとは言葉を発するだけなのだが、さて、私はそうする前にほんの少しの躊躇いをおぼえた。
坂本の目を見たときに走った悪寒は、先ほどからの気の抜けるやり取りの中で、小さくなってきている。今ならば、坂本とも幾分かの会話を続けられる、そんな気がした。
いや、続けられる気がしたというのは、自分に嘘をついているようであった。
できうる限り友人と話をしていたい、こちらが正しい。何のことはない、一人でいるのが寂しいのだ。
こんな時でも自分を分析していることに、今度こそため息をつきそうになったが、私はひとまず置いて、言葉を再構成した。
「それなら、一つ頼まれてくれないか」
なぜか坂本は嬉しそうに首肯する。苦笑しながら私は言った。
「散歩に付き合ってくれ、一人で歩くのは暇なんだ」
特に目的地があるわけではなかった。ただ海の方へと大雑把な向きだけ決めて歩くだけ。たまに適当な路地を曲がり、遠回りと寄り道をしながら時間を消費する。
時折家屋の屋根から突き出す煙突から、暖炉の煙が吐き出されているのを視界に留める。海沿いの街だけあって、凪いでいても常に風が流れていて相当に寒い。時間は正午を過ぎたころ、ガス灯に明かりがともるにはまだまだ早い時間であった。営舎まで帰るには、もう少し時間をおいておきたいものである。
坂本には、海にたどり着くまでの時間だけでも付き合ってもらおう。
彼女は散歩を始めると扶桑本国からの航海記を話し始めたのだ。これがなかなかに面白おかしく、聞いていて飽きない。
私自身は相づちを打っているだけだか、退屈には感じることもない。
目が合いそうになるたび、反射のように体に走る悪寒に、自己嫌悪に陥りそうにもなるが、まだ離れたいとは思わなかった。
出会って日は浅くとも、友人との時間を少しでも長く持っていたい、そう感じたのである。
しばらく歩くと、ようやく海が見える位置にまでやってきた。
ふと、航海記もひと段落した坂本がつぶやく。
「何だか懐かしい、舞鶴にいたころを思い出す」
ちらと横顔を見ると、彼女はまっすぐな瞳を海のほうへ向けて微笑んでいた。
マイツル、扶桑の都市の名だったか。名は知っていても、其の地理の知識までは詳しくない。職務上知りえた軍港という知識のみでは、彼女の表情に何が込められているのか、知りようもなかった。
「故郷なのか?」
「いいや、生まれはまた別さ、ただ、いろいろと思い出がある」
私の問いはどうも当てを外していたようであったが、坂本は何ら気にすることなく会話を次に進めていく。
「舞鶴には航空隊が置かれていてな、ウィッチの養成も行なわれている。私はそこでウィッチなったんだ」
坂本がウィッチになった場所。
頭の中で意識が切り替わり、その言葉にだけ集中する。単純な興味、とも違う。憧れすら抱いているウィッチの始まりという話題は私にとってやはり特別な意味を持ちうる。
「それは、ずいぶん思い入れがあるんだろうな」
「ああ、忘れられん思い出がいくつもな」
しみじみと返す坂本の目はずいぶんと遠くを見ているようだ。
「その思い出、聞いてみたいな」
白い息とともに呟いてみた。
坂本は頬をかく。とても気恥ずかしそうに、明後日の方向を見つめてかすかに唸り声をあげた。
坂本の気持ちはわからなくもない。そう思う一方、こいつならばウィッチとしての始まりを揚々と語る気がする、そんな先入観を抱いていた私は少しばかり意外に感じた。
「ダメか?」
「駄目とは言わんが、うん……そうだなあ」
何とも歯切れが悪い返答をしながら、腕を組んで悩むことしばし。いつもならばここいらで私も退散していたのだろうが、今はどうしても聞きたいと感じてしまう。
私は坂本の横顔を眺めながら結論を待った。
「わかった、聞かせてやる……恥ずかしいから気が乗らないんだがなあ」
振っておいて何も語らないのはな、と納得しきらない顔になりつつも、ついには折れた。
それなりに無理をさせてしまっているのが分かる。昼食を渡し持ちにして許してもらえればいいが。
「その代わり絶対、人には言うなよ。特に西沢、アイツには絶対に駄目だ、いいか! 絶対だぞ!」
「わかった、約束する」
「本当に頼むぞ? アイツに聞かれたら間違いなく笑われてしまう」
「秘密は守る、絶対だ」
このやり取りを何度か繰り返し、ようやく坂本が納得したところで本題に入る。
「それで、何から聞きたい?」
「坂本がウィッチになった時の話を」
考えるより先に即答していた。
眉尻を下げ、気の抜けるような表情の坂本を見ながらも、私は真剣に、彼女が語り始めるのを待つ。
今も空気は嫌になるほど冷たい。だが、吹き付ける風は弱くなっている、そう感じた。
次の話から転換点
※かなり久しぶりなので、勝手を忘れているところがあります。誤字があった場合には教えていただけると助かります。