Eismeer   作:かくさん

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いろいろありまして、遅くなりました。すみませんです。
引っ越しやら、何やら、本当にもういろいろ……。




1940年 バルト海 氷の海10

「おおよそ二年前だ、扶桑海事変が勃発して一週間もたたない頃で、私はまだ小学生だった」

 

潮風が頬を撫でる。いまだに氷よりも冷たく肌から温度を奪っていくが、どこか柔らかな感触に思える。

この時期には珍しく、冬空の割れ目から陽光が漏れ、遠くに見える海面はキラキラと光って見えた。

坂本はそれを、目を細めながら見つめている。気候も街並みもまるで異なっているのであろうリバウの風景を見て、どこか舞鶴に通ずるものを感じ取ったのだろうか。私は彼女を見てそんな想像をしていた。

前振りに続けて、坂本は問うてくる。

 

「扶桑海事変の発端は聞いているよな」

 

士官教育を受けているなら誰もが耳にしているだろう問いに、私は首肯する。坂本もまた感心したように頷き返した。

 

「扶桑海を航行中の艦隊が怪異と接触した。新聞もラジオも大騒ぎだったし、海軍基地も慌ただしかったのを覚えている」

 

戦時と平時の境目、開戦間際の空気。坂本の語りから、私も数か月、あるいは以前の世界を思い出す。

オストマルク開戦の一報がカールスラント中を駆け巡った時だ。皆、戦争が近くに迫っていることを感じながらも、日常を継続していた不思議な時間だ。事実、間もなくカールスラントは300万人を動員し、戦争状態に入った。

思考の軸を元に戻す。

語りの隙間に挟んだ回想を止め、坂本の声に再度耳を傾けた。

 

「だが、ピリピリはしていたが、舞鶴は平和だったんだ。私も、普段通り学校に通って、道場で鍛錬を続けていた」

 

私は一心に坂本の言葉を聞いていたが、ふと違和感をおぼえた。共通語として話しているブリタニア語を私が誤訳したのか。平和の言い方に少し含みを感じたのである。

坂本は、そんな時だった、と前置きを挟んだ。

 

「舞鶴へ向け敵機襲来の報せが届いた。数は六、大陸方面から飛行型が扶桑海を超えてやってきたようだった。まあ、私は空襲警報を聞いただけだったから、その時は詳細までは知らなかったんだがな、おそらく大陸側の監視網をすり抜けてきたんだろうと予想はついた」

 

扶桑は島国だ。海域を超えての航空攻撃への対処など、前例に乏しいものだったに違いない。鳴り響く警報に、避難する市民、現場の混乱はいかほどのものか想像に難くない。

 

「ある程度公開されている情報にはなるが、それに対して出撃したのは私の先生にあたる人の部隊だった」

 

坂本の話から読み取れる情報だけを聞くならば、かなり厳しい状況である。混乱の最中からの出撃に加え、部隊は上から下まで実戦経験に乏しい。そのような状況で戦ってきたことに、素直に関心した。

 

「そんな状況で初陣を飾ったのか」

 

おだてではなく、考えたことをそのまま口にする。しかし、なぜだか坂本の顔を見れば、あまり愉快ではなさそうであった。

不機嫌というわけではない、漬けすぎたザワークラウトを食べてしまった顔とでも言えばいいだろうか。

明後日の方向を見ながら坂本はつぶやく。

 

「……私はその編成に入っていないんだ」

 

私はつぶやきを聞くと、少し考え、首を傾げた。

 

「それどころか、その時は……飛行訓練を受けたことすらない」

 

ここまでも非常に興味深い話であったが、坂本がウィッチになった時の話ではないのか。

考える時間がさらに増え、もう一度首を傾げる。

どういうことか、この話の中に隠された意図があったのだろうか。

坂本はちらりと私の方を見ると、すぐに目線をずらして眉間にしわを寄せた。私の考えていたことを感じ取ったのか、顔がかなり赤く見える。

 

「とにかく! 先生率いる部隊は報告にあったネウロイ三機を迎え撃つために出撃、戦闘を開始するところだった」

 

坂本の話は少々強引ではあれ、流れを修正して進む。

ここで聞き留めたことが一つある。練度や装備に関しても留意する必要があるだろうが、それよりも気になったのは、襲来するネウロイの数であった。

 

「なあ、坂本」

「ああ、聞きたいことはわかってるさ」

 

私の疑問を察してくれた坂本が、それにこたえてくれる。

 

「先生が交戦中の三機のほかに、さらにもう三機、別方向から舞鶴に迫っていた。奴らにそんな思考があるのかはわからないが、迎撃部隊にとっては陽動と同じ効果を発揮することになる」

 

なるほど、それなら納得がいく。

単に別行動を取っていた敵部隊が稚拙な連携ゆえに、偶然にもそのような効果を生んだのかもしれない。しかし、これまでの戦闘の中で、偶発的とは言い難い何らかの意図を感じる動きをしているのも事実であった。

ネウロイの思考を理解することは、現状でも不可能に近い。

舞鶴の戦闘では、誰がこのネウロイの不可解な行動に対応したのだろうか。実際に現場にいる部隊が把握できていないのなら、レーダーも管制も把握できていないことは想像がつく。

新たな疑問にはすぐに答えが提示された。

おもむろに坂本が眼帯を外したのである。

見開いた右目から視線を動かせなくなる。瞳は紫の光を帯びていた。それは陽光を反射しているのではなく、自ら淡い光を放っているように私には感じられた。まるで磨き上げた宝石のような瞳であった。

 

「……魔眼」

 

このような現象を発現しうるものは、記憶の中では一つしかなく、私は固有魔法の名を呟いていた。

眼帯を持ち上げながら、坂本は頷く。

 

「この眼のおかげで、私は別動隊がいることに気づくことができた」

 

ゆらめくように薄紫の輝きを放つ瞳は、私の想像の遥か彼方を見据えているのだろう。

中空に向けていた視線を閉ざし、坂本は眼帯を戻した。

 

「とにかく知らせないといけない、そう考えた私は最寄りの基地に駆け込んで」

 

担当官に知らせて部隊に連絡をはかったのか、避難中のほとんど民間人と言える少女ができるのはそこまでだろう。私は自分の常識に照らし合わせてそう判断した。

次の瞬間には、私の予想など簡単に裏切られてしまったわけだが。

 

「機関銃とストライカーユニットを奪って出撃した」

 

口が勝手に半開きになった。ユニットと武装を強奪、あまりにも突拍子がなさすぎるのではないか。

 

「や、我ながら無茶をした、捕まらなかったのは運がよかった」

 

坂本はしみじみと、自らの言葉にうなずきながら言う。しかし、無茶という表現で収まるのか。運の良し悪しという話でもないような気もするが。

 

「どうしてそんな無茶を?」

「あの頃の扶桑は通信技術も今ほど役に立つものでもないからな、そんな認識があったから思わず飛んでしまった」

 

飛んでしまった、と軽く語る坂本。私はどうにも喉に食べ物が引っかかるような、納得のいかない部分を感じる。

しかし、そう思いつつも坂本ならどんな無茶であれ、やりそうな気もする。

私はなるほど、と頷いた。

 

「それで、飛び立った後はどうしたんだ?」

 

次は話の山場である。坂本に語りの続きを催促する。つかえが除かれれば、あとは彼女がどのように活躍したのか気になって仕方がない。

 

「飛ぶことはできた。座学を思い出しながらで、つたないもんだったが……戦域がそう遠くなかったのもあって真っすぐ、先生の所へたどり着いた」

 

私は少し興奮をおぼえた。飛行経験が少ないと、直進も難しいというのに、さすがであった。

次はどうなった。この後にいったいどんな活躍をしたのだろうか。ウィッチとして敬意すら感じている坂本の初出撃、晴れ舞台に期待が高まっていく。

 

「そして」

 

坂本はいったん間を置いた。私はその続きを待つ。

続いて坂本は、苦々しげな表情で頭をかいた。

 

「落ちた」

 

また唐突に予想が裏切られ、期待も一緒に砕けたのがわかった。再度、首をかしげてそもそもの話の始まりを想起する。

話に夢中で半ば忘れていたが、坂本は恥ずかしい思い出だといっていた。照れ隠しで言っているものだと思っていたが、間違いだったらしい。

勝手に期待を押し付けていたようで、少々の罪悪感がわいてくる。何とも言い難い感覚だ。

私が一人で案じているのをよそに、坂本はさらに話を進めていく。

 

「魔眼の使い過ぎと、整備不良のユニットを飛ばしてきたのとで、魔力切れを起こして墜落しかけた。先生が助けてくれなかったら海に真っ逆さまだ」

 

坂本の顔は先ほどから苦々しげな表情のまま、頬の色だけが段々と赤みを増してきている。

 

「そのあとは気がついたら病院のベッドの上、ネウロイは全部先生が落とした後だった」

 

そこまで言ってそっぽを向く。体は小刻みに震えているようにも見えた。

 

「あれだけ意気込んで出撃したのに情けなさすぎる……西沢に知られたら絶対に笑い者だ」

 

何と、声をかけていいものなのだろうか。私は焦りながらも頭を回転させる必要に迫られた。自分からせがんだ手前、フォローを入れないのは申し訳が立たない。

坂本にもこんな失敗談があったとは思わなかったが、そういった話は案外どこにでもあるものなのだ。

パイロット時代にも、初陣で上官を敵機に見間違えたウィッチが、恐慌状態に陥って燃料切れまで逃げ回ったという噂を聞いたことがある。

 

「坂本」

「いや、いい、何も言わないでくれ。あの時は必死だったんだ」

 

赤い顔で、私のさし出したフォローを拒絶する。坂本は坂本なりに失敗を消化しているのだろう。

ならばつつく必要もあるまい。私は否定せずに頷いた。

 

「やらねばならぬと思ったんだな」

「……ああ、私が飛んで助けになるならと思ってな」

 

私は、坂本の返答に輝くものを感じた。やはり、ウィッチとはこうであるのだ。心で一人納得する。

 

「しかし、訓練の誘いを蹴っておきながら追いかけたのは、正直無茶が過ぎたかもしれん」

 

ところが、坂本が意外な発言をこぼし、私の思考は一瞬の間、固まってしまった。

 

「ウィッチの候補生ではなかったのか?」

 

候補生であったのなら、訓練の誘いを蹴るなどという言葉が出てくるだろうか。ウィッチとしての初陣を語ったあとに、漏れた発言に大きな認識の矛盾が生じていると、思わずにはいられなかった。

 

「違う」

 

坂本の否定。さらに続いた言葉は、私にとってそれ以上ないほどの劇薬であった。

 

「あの時は、ウィッチになど、なりたくないと思っていたからな」

 

さらり、と流すように言われたその言葉は、こんどこそ私の思考を完全に停止させた。

何を言ったのか、理解ができなかった。

ウィッチになどなりたくない……もう一度反芻して、ようやく思考の流れに乗り始める。

模擬空戦で感じた不屈の精神、死の恐怖を乗り越える志。ウィッチとして必要なものを身をもって示した彼女の口から、何故そのような言葉が出てくるのだ。

停滞から混乱へ思考が移ろっていく。

 

「いつまでたっても魔眼が制御できずに、ウィッチになることも嫌になって、あきらめかけていた」

 

坂本は私の心中に気づくはずもなく、当時の自分を気恥ずかしそうに振り返っていた。

私は疑問に思った。そんな自分の弱さを押し切って、ウィッチとして意志を燃やして戦っていたのではないのか。

思わず坂本に問うた。

 

「それでも、ウィッチとして戦うことを選んだのだろう?」

 

そうだ、と頷いてほしい。口から飛び出してきたのは、私の願望がこもった問いであった。

坂本は少し、ほんの一呼吸、二呼吸の間だけ考える。

そして、否定。首を横に振った。

 

「ウィッチとして、というよりは、自分にできることを探して、できることがたまたまそうだっただけだ」

 

白い息を吐きながら、さらに続ける。

胸の中に、さっと冷たい感触が広がった。

 

「それも、先生の言葉に背中を押してもらえたからできたことだしな、ウィッチとして、というのは少し違う」

 

私もまた、息を吐きだした。白い帯は不規則に震えて歪む。

ズレている。私の認識していた坂本の姿と、過去の姿に何か致命的な齟齬があることを知覚した。

目が地面をおよぎ始める。顔をうつむき加減に、妙な汗が前髪を湿らせた。

 

「……おい? どうしたんだ、具合が悪そうだぞ」

 

坂本が身を案じ、顔を覗き込んできた。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

ほとんど反射的に答える。口元を曲げて作った笑顔は相手からどう見えているのか分からなかったが、私は何でもない風を取り繕う。

内心では困惑していた。

過去の坂本は、ウィッチとして戦いに臨んだわけではない。そう聞いたとき、確かに私の認識は否定されてしまった。

気がつけば私は、海に向けて進めていた歩みを止めていた。

歩調を合わせていた二人の並びが崩れ、坂本が前に出る。心配している、そんな心中がわかる眉の端を下げた表情で振り向いた。

 

「私は」

 

何か考えがあったわけでもなく、声を発した。

ズレている『もの』を今、はっきりさせなければ、きっと後悔することになる。どこかにあるそんな意識が私の唇を動かしたのだろうか。

だが、続く言葉がなかなか見つけられない、詰まる。

ぐっと腹に力を込めた。駄目だ、ここで終わらせるわけにはいかないのだ、おそらくは。

汗が潮風に拭われて、顔がひどく冷たい。しかし、ひりついた感触が私を少しばかり平静へと引き戻してくれた。

 

「私は、ウィッチとは、何かとても、とても高潔な何かを持っている、そんな、存在だと思っている」

 

その何かは、自分のいう言葉なれど、漠然としていてはっきりと脳裏にあるわけではない。

例えば、授かり物である魔法力。

例えば、戦争の最中であれ仲間を思う精神。

例えば、あらゆる障害を物ともしない意志。

いくつもの『高潔』と言える概念を集めてかたどられていた。

自分でも整理しきれない、それが坂本に伝わっているとは、到底思えない。が、坂本は困惑を顔に滲ませつつも、私をじっと見つめながら言葉を聞いてくれている。

 

「だから、ウィッチは、決してあきらめない。死の恐怖にすら屈せず、戦い続けることができる。ウィッチとしての使命感を燃やして飛び続けることができるのでは、いいや、そうあるべき、なのでは、ないのか?」

 

なんとか、喉の奥からせりあがってきた感情を、声にすることができた。伝わっているのかはわからず、どうしてこんなことを坂本へ言ったのかすらも、判然としない。

思わぬ衝撃を受けて生まれた感情を、衝動的に坂本に投げつけてしまったのだ。自分よりも困惑する坂本の心境の方が想像がつくという有様だ。

私は唇を噛む。

坂本へ、そうあるべき、とぶつけた言葉を自分自身が全く実践できなかったな、と内心つぶやいた。

 

「それは、どうなんだろうな」

 

探るような小さなつぶやきを聞く。

いつの間にか、また地面へ向けていた視線が前へ修正された。

坂本は腕を組みながら、何度か小さく頷いている。話すべき言葉を選んでいるように見えた。

 

「そんなに難しいことじゃ、ないんじゃないか、私がそうだったから」

 

やんわりと、私の考え、理想と言ってもよかっただろう、それは否定される。

さらに反論する気はない。今は一字たりとも漏らさずに聞くことが必要な時なのだと感じていた。

坂本は続ける。

 

「私は先生が、自分ならもっと多くの人を守れると信じていてくれたから、無我夢中で飛べたんだ。それがなければ、きっと私はここにはいない」

 

染み込んでくるような声を聞き続ける。

坂本も言葉を選びきったのか、熱を込めながら言い切った。

 

「ウィッチが飛ぶ理由なんて人それぞれで、きっかけなんて誰にだって、いくらでもあるんじゃないか」

 

彼女の眼が私の眼を見る。私はまなざしにも熱を覚えた。

そのためなのだろうか、ずっと心に居座っていた冷たさが、ほんの少し氷解しているように感じる。しかし、まだ足りない。いっこうに明けない吹雪のような感覚、漠然とした焦燥、不安が消え去るまでには至らない。

 

「だが、一時の感情で戦いに身を投じて、怖くはないのか? わからない、ウィッチとして戦い続けることを、支えているものは」

 

浮かんできた疑問が再度、声になって出てくる。まとまらないままの言葉は弱弱しく途切れてしまった。

 

「やっぱり難しい考えをしているなあ」

 

ある程度は伝わったのか、頭をかきながらも坂本は返答してくれた。自分がその年の頃はそんなこと考えたこともなかった、と苦笑する。

 

「たしかに、ウィッチになれたことは誇りに思っている、だけど、使命感や義務感だけで戦ってこれたとは思っていない。私の周りはたぶん、みんなそうだ」

 

坂本は先ほどのように頷きながら話している。が、探り確かめるように、ではなく、自信をもって頷いている点が違っていた。

まなざしの熱量はさらに高まっている。私はそれを受けとめ、言葉を漏らさぬことに心を傾けた。

 

「ウィッチには夢見る何かと、守りたい何かがある。夢見る何かは陸軍の先輩の受け売りだし、守りたい何かがあると言っていたのは誰だったか……、だけど、飛んでいるうちにみんな見つけるんだ、お前もきっと見つけるさ」

 

坂本は私に笑いかける。

一瞬、冬空のもとで、温かい風が吹いたように錯覚した。

最後まで聞き終わるその時から、坂本からウィッチになりたくなかった、と聞いた際とは別種の衝撃が私の中を駆け、反響している。

 

「それが、ウィッチが戦う、原動力……?」

 

混乱している中で、やっとつぶやき、口元に手をあてがって悩み始める。

真実なのか、誤りなのか。

望んだ答えが目の前にあるのか、判断はつかない。

そのうち、返答もせず待たせてしまったことに焦れたのか、坂本が片手を挙げる。

 

「はじめの頃からはだいぶ話が逸れてしまったが、これでいいか? これ以上はちょっと、恥ずかしい」

 

はっとした。

混乱もそこそこに、思考が振り出し、昔話を始める前へと戻っていく。逸れた、という問題ではなかった、私が余計なものをはさんでしまったのがもとで、まったく関係のない流れへ捻じ曲げてしまった。

私はどもりながら同意する。

仕方なく、思考はいったん放棄することにした。

 

「昔の話をするつもりが、先生の真似ごとをすることになるとは」

 

坂本はどこか疲れた表情で小さなため息をついた。

しまったな、と思う。余計な迷惑と苦労をかけてしまっている。

私はすぐに謝罪した。

坂本は手を振る。

 

「いいよ、私のほうがお姉さんなんだからさ。まあ、やっぱり先生みたいにはいかないか」

 

いつもよりも柔らかい口調で、私を許し謝罪を流す。少なからず変化を生じた坂本の雰囲気に、私は彼女のいう先生に思い当たる。

坂本の理想のウィッチ、憧れは、おそらくその先生、なのだろう。指導者然とした今までの口調はきっと、先生を真似ていたのだろう。

 

「その先生の話を聞いてみたい」

 

私の興味は、先生に向いた。

 

「お安い御用」

 

坂本はふと笑った後、柔らかな口調のまま頷いた。自分の失敗談を語るよりも、明るく嬉しそうな表情をしている。

すぐにでも彼女は語りだせるだろう様子であったが、その前に、何がトリガーになったかはわからないが、私の中で一つ疑問が生み出されてきた。

 

「なあ、坂本」

「ん、なにか?」

 

単純な興味か、それとも先のような知らなければという焦燥からきたものか、とにかく私は間をおかずに聞いた。

 

「坂本の夢見る何かと、守りたい何かは、なんだ?」

 

坂本は少しだけ目を丸くしながらも、はにかみながら答えてくれた。

 

「夢見る何かは扶桑一のウィッチになること、守りたい何かはこの目が見てくれる範囲にいるみんな、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

気がつけばすでに夕刻であった。

坂本との散策は始めからの予定の通り、海を終点にしてその場で解散となった。別れるときには坂本の様子も柔らかさよりも、さっぱりとした雰囲気に戻っていたと思う。快活な笑い声が耳の奥に心地よく残っていた。

坂本の語りを思い返しながら、私は帰路をなぞり基地の門をくぐった。

今は、大きくひらけた滑走路のそばにいる。並行して敷設された通路をまっすぐに歩いていく。

相変わらず目線は下がりがちではあったが、行先ははっきりと認識していた。

 

「……夢見る何かと、守りたい何か」

 

坂本の言を繰り返しつぶやきながら向かっていたのは、格納庫であった。

背の高い扉が、暖房の熱を逃さぬ程度、人の通れる分だけ開かれている。見上げながら、原動力となるものがあれば、私も戦うことができるだろうか、そんなことを考えていた。

足を進める。

扉をくぐったその時に、体にまとわりつくような重みを自覚した。鈍る全身、立ち止りたくなっている己の有様が不甲斐なく、心の底で冷気が滲んでくるのを感じる。

いや、と首を振る。

持ち上げるような感覚で、ためらいがちな足を前へと送り出した。

今だけはほんの少し、私の中には熱があった。

向かう先には第四飛行中隊の隊員数分のストライカーユニットが並んでいる。どうやら、ベーア隊長達が訓練から帰ってしばらく経っているらしい。ケージ周りからは慌ただしさを感じず、整備の作業音も小さい。もしかすると暖をとりに行ったのか、隊員たちの姿もないようであった。

私はぎこちなくも一直線に、ケージの正面までやってきた。

整備員が一人、こちらに気付く。作業の手を止め、挙手の礼をとった。彼以外には誰もいないようである、作業音がピタリと止んだ。

私は答礼し、続けざまにこう問うた。

 

「私の機体は使える状態か」

 

律儀な整備員の彼は、張りのある声で返事をするとユニットの状態を述べはじめる。突然の声がけに詰問されているとでも思ったのか、それともまだ兵役に就いたばかりなのかもしれない。

彼の説明には緊張が混じり、あまり要領を得なかった。簡潔な答えを求めていたが、専門的な用語が並び、文面が前後している。

私は頷きながら、必要な情報だけをくみ取るよう苦心した。

すなわち、使われていなかった私のストライカーユニットが、滞りなく整備されていること、

飛行可能であること。

 

「確認するが、私の機体は飛べるんだな?」

 

一通り聞き終えた後、一応の念を押した。

彼から肯定を得て、私は一言だけ告げる。

 

「使うぞ」

 

説明も何もあったものではなかったが、面喰う彼に一歩踏み出した。どうも答えに窮しているようで、返事がない。

 

「頼む、エンジンをかけるだけでいい、何も言わずに使わせてくれ」

 

拒否されたならば、私に押し通す権限はない。頭を下げ、返答を促した。これは命令ではなく、あくまで私の『お願い』に過ぎない。

彼には首を横に振る権利がある。困惑して目線を所在無げにさまよわせているのが見て取れた。

少し悩み、彼はそれくらいならば、と小さく返答した。

 

「済みましたら、お声がけを」

「感謝する」

 

短く言ったが、本心からの礼だった。

会釈をして彼の横を通り過ぎれば、ユニットケージはもう目の前にある。

裏手から階段をのぼりつつ、コートのボタンに指をかけると、手が震えていることに気がついた。気持ちははやる。苛立ちながら、剥ぐようにコートを脱ぎ捨て、ケージの手すりにかけた。

私の機体はもう足元にある。身をかがめ、覗き込んだ。

 

「夢見る何かと、守りたい何か」

 

坂本の言葉をもう一度、口ずさみ、子の頭を撫でるようにユニットのふちに触れた。

思わず、ひゅっと息を飲み込んだ。手をひっこめる。

金属製のユニットはひんやりと冷たい。しかし、それとは明らかに別種の悪寒が、私の体をはねさせた。

ちくしょう、と口汚く罵りたくなる。

私はスタートラインにも立てていない。これでは、駄目なのだ。

怒りすら込めて首を何度も横へ振り、再度身をかがめた。手を伸ばして、ユニットに触れる。

悪寒。歯を食いしばる。

耐える、耐えなければならない。

呼吸が小刻みになっていく。無意識に目をぎゅっとつぶった。

そして、私は勢いをつけて立ち上がった。閉じた眼を見開き、眼下のユニットを注視する。一息、思い切り吸って、呼吸を止めた。間は置かない、すぐに一歩前へ踏み出す。

私は、ユニットへ飛び込んだ。

浮遊感の後、両脚に抵抗を感じる。沈み込むように、ゆっくりと脚部が収まっていく。

止めていた息をせき込むように吐き出した。体は小さく震える。温もりのない汗が額に流れ落ちてくる。

さらに荒くなった呼吸を力ずくで抑え込み、かすれる声で一言。

 

「エンジン、始動」

 

使い魔の耳と尾が体から勢いよく飛びてくる。さらに、魔力が湧き出て満ちてくるのを感じた。

そこから、たぐるように魔力を集める。続けて、少しずつ両脚からユニットへと送り込んでいく。

私の体が淡く、青色に発光を始めた。たゆたう輝きはやがて、ユニットにも移りこみ、全身を覆っていく。

小さな振動を感じた。それは体の震えとは違う、ユニットを通して伝わってくる。

エンジンに火が灯ろうとしている。振動はしだいに大きくなって、私はさらに魔力を送り込んだ。

その瞬間であった。

猛烈な吐き気が、私の喉奥からせりあがってきたのである。

息がつかえ、口元を抑える。もはや集中を保つことは叶わなかった。魔力が瞬く間に霧散。エンジンは呼吸を止め、振動が力なく収束する。

私はたまらず、溺れるように手すりを手繰った。ユニットから両脚を引き抜くと、たたらを踏んでよろめいた。

整備員は目が届かぬ場所にいるらしく、助け起こす者はいない。私は膝と手をついたまま、吐き気をこらえることに注力した。

生理反応から目に涙が浮かび、視界が滲んでくる。すぐにまぶたの内を満たすと、そのままあふれ出てきそうになった。

何故か、ひどく嫌だと思った。もしかすると、泣いているような姿を自分自身が見たくなかったのかもしれない。

顔をあげると、風紀にそぐわないのを承知で、軍服の袖を使い乱暴にぬぐった。

水分が取り払われていく。視界が晴れ、ひらけた。

私はそこで気がついたのだ。

視界の端、格納庫の扉の位置、火焔のような赤色が、立っていたことに。

注視するまでもなく誰がいるのかわかる、その誰かが早足でこちらへ向かってきていることもだ。

吐き気を飲み下すと、手すりを支えに立ち上がる。軽いめまいによろめきながらも、急がねばとケージを降りた。

正面に立つ。そして敬礼。

 

「ベーア隊長」

「何してる!」

 

隊長は私の呼びかけにかぶせるように、叫びとも思える声をあげた。目をむき、犬歯がむき出しになった荒々しい表情で私を睨みつける。

何となくだが、私にはこの後どうなるかがわかっていた。

次の瞬間に、頬を張られた。

破裂音のような残響がこだまする。鋭い衝撃が熱のある痛みを残した。

叩かれて見当違いの方向をむいた顔面を、ベーア隊長は胸倉をつかみ引き寄せる。燃えるような眼光が私の目を突いた。

 

「もう一度聞く、何をしてる」

 

言うまでもなく、隊長は烈火のような怒りをこらえていた。しかし、私はすぐに、言葉を選ぶことなく答える。

 

「ユニットの始動試験です」

 

間もなく、私はもう一度頬を張られた。

衝撃に、張られた部位がしびれをもつ。

 

「休んでよく考えろと、言った」

「はい、聞いております」

 

これも即答する。

しばらく、格納庫には何の音も響かなかった。私は襟をつかまれたまま、ベーア隊長は握りしめる手の力を緩めない。我々は視線を交叉させ、像のように固まっている。

かすかに変化を生じているのは、互いの呼吸で小さく上下する胸元のみであった。

ややあって、ベーア隊長が口を開いた。

 

「だったら、何でだよ」

 

心なしか、その声の響きは弱く思えた。

それでも私にとって、決して軽いものではない。重く、耳から胸中へ声が落ちていく、よくわからないイメージを脳裏に浮かべ、私は何を伝えるべきか、悩み、ようやく言葉を選びだした。

 

「耐えられないからです」

 

吐き出せたのは一言だけだ。これだけで、伝えられるものだとは到底思えない。

ベーア隊長は返事をしないでいてくれた、きっと続く言葉を待っていてくれている。私はそう解釈する。

 

「撃墜されてから、どうして自分は戦うことができないのか、飛ぶことができないのか、ずっと考えてきました。けれど、いつまでたっても答えは出ない」

 

そして私は思考を停止してしまっていたのだ。

言葉はまだ続く。胸には痛みに負けない熱がくすぶっていた。

 

「今日、ようやく、糸口が見つかったのかもしれないのです」

 

坂本との会話で得た衝撃が、よいものか、悪いものか、まだわからない。これが解答であると、言えるほどの精度でもない。

だが、今の私を変えるに足るものであることはわかる。

もし自分の思うウィッチの姿が間違っていたならば、正されなければならない。それはきっと、ウィッチと自分を認められない私が変わるために必要なことなのだ。

 

「しかし、答えはおそらく、地上で空を見上げても見つけることはできない。空で失ったものは空で探し出すしかないのです。あなた方と同じ場所に戻るには、私はきっと飛ばねばならないのです」

 

守りたい何かと、夢見る何かを持つことで戦うことができるようになるのなら、私は空を飛ばなければならない。

彼女らと同じ場所で、同じ目線でいなければ、私はそれらをきっと見落としてしまう。

 

「飛ばせてください、待つだけではもう、耐えられないのです」

 

もう私の言葉はこれで終いだ。ほとんど懇願に近かっただろう、それでも自分にできる精一杯の力を込めてベーア隊長の目を見つめながら言い切った。

ベーア隊長の表情は固い。眉は厳しく寄せられている。

やがて隊長は、絞り出すように声を発した。

 

 

 

 

 

 

かすかに声が聞こえる、耳鳴りの中でも確かに聞こえた。おぼろげに、名を呼ばれているな、と感じる。

吐き気をこらえるために強く閉じていた目を開くと、大きな扉が小さく開いており、そこから第四飛行中隊の面々が覗き込んでいるのが見えた。

ああ、皆で私を探していたのか。

そんな他人事のような感想と同時に、困ったなと少し思った。

慌てつつ手すりをつかんでユニットから脚を引き抜くと、身体から力が抜け、ケージの上にふらふらとへたり込んでしまった。

扉の向こうの面々の顔が驚きで歪んだ。

これは少しまずいかもしれない。眼下で腕を組みつつ私を監督していたベーア隊長が乱暴に頭をかいているのが見える。

 

「お前はお前で言い訳を考えとけよ」

 

ベーア隊長が言い終わるなり、フライターク中尉以下の面々が、一斉に駆け寄ってきた。

 

「いったい何してんのよ!?」

 

若干声を荒げているフライターク中尉の正面に立ち、困り顔のベーア隊長が対応する。

私の周りにはさっそく、残りの三人が集まってきた。

 

「姉さん! 顔色悪いよ、大丈夫?」

 

うろたえた声はテオのものだ。私のそばにかがみ、顔を覗き込んでくるから否応なしに目が合う。

心配されているな。

語られずとも、潤んだ瞳を見ればそれがすぐに分かった。

フレデリカとライネルトが私に寄りそい、背中をさすってくれる。

私を心配してくれている。

一緒に戦うこともできなかった、私をだ。

フレデリカとライネルトも、表情に違いはあれど私の身を案じてくれている。嵐のように質問を飛ばすフライターク中尉も、もちろんベーア隊長もだ。そして坂本も。

ありがたい、と思う。

自然に笑みがこぼれてくる。

 

「必ず飛んでみせる」

 

ごく小さくつぶやきながら、私は皆の手を借りて立ち上がった。

 




若かりし頃の坂本さん、加減が難しいです。
あとはせっかく誤字報告いただいているんですが、修正が反映されてなかったり……、使い方を間違っているのだろうか?すみませんです。

次回は原作キャラ出します。大勢。
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