Eismeer   作:かくさん

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1939年 バルト海 氷の海05

 

『うん、あちらが許可してくださるなら突っぱねる理由もないさ。社会見学というやつだな、よーく見てくるといい。失礼のないように気をつけるんだぞ?』

 

第77戦闘航空団指令室に電話をつなぎ、わざわざハンドリック少佐直々にいただいた言葉はそんなものだった。

教師のじみた言葉を聞いて電話口で胸をなで下ろした。

電話は扶桑海軍が港湾部への入口に設置した検問所から借りており、今は上官へ許可をとっているのであろう坂本少尉の背中を見つめている。

不意に坂本少尉が空いた手を頭の高さまで上げ、手で丸く輪を作った。扶桑語で話していたため、内容は聞きとれなかったがどうやら色の良い返事はいただけたようだ。テオとライネルトの顔が明るくなる、私もひょっとしたらそうかもしれない。三人して顔を見合わせて笑った。

話し終え、受話器を置いた坂本少尉が向き直る。

 

「うちの航空隊司令が基地司令に掛け合ってくれた。港湾部は機密や安全に関わる場所以外は1時まで立ち入り自由。艦船は搬入作業中のため立ち入り不可、客人を招くのに、引っ越しも終わらん乱雑な部屋を見せるのは忍びない、だそうだ。外観だけで申し訳ないが思う存分見ていってくれ」

 

時刻は十二時そこそこ。入退出の記録用紙にサインをして検問所をくぐる。すれ違った扶桑海軍所属の衛兵から、足裏から根が張ったような直立不動の見事な挙手の礼を受け、私も一度立ち止まって答礼を返した。

先を行く坂本少尉の背中を追い、いよいよ我々はリバウ基地に踏み込んだ。

ざっと周囲を眺めただけでは広い敷地の中全てを見渡すことは不可能だったが、それでも目に入ってくる物は多い。倉庫もあれば指揮所と思われる建物もいくつか、そこかしこに人の姿があり大きな木箱を運びながら右往左往している。さらに、先程見とれた赤城の他にも多数の艦船が見えた。やはり正規空母の姿は頭一つ抜けた威容を誇っているが、駆逐艦や巡洋艦と思しき小柄な艦影の中に、赤城にも劣らぬ容姿を見せつける艦がいた。巨大な連装砲と近くで見れば見上げる程の高い艦橋、戦艦である。

大きな物に目を奪われる人の本能だろうか、歩きながらそちらを見ていると、私の視線に気づいた坂本少尉が歩く速度を落とす。

 

「戦艦『紀伊』だな。空母に随行できる高速戦艦ということで艦隊に組み込まれている、新しいし悪くない艦だ……故あって私はあまり好きじゃないがな」

 

眉間に皺をよせ、口元は薄く笑っている。何か困っているような表情だ、本人としてもどう説明したものかわからないのかもしれない。私は返事だけして、この話題を続けようとは思わなかった。

坂本少尉の咳払いを聞いていよいよ思考を放棄する。

段々と赤城が近づいてくる、その姿を見上げるくらいの距離で我々は立ち止まった。

 

 

「そういえば、三人とも年を聞いていなかったな。私は八月で15になったところだが、そちらは?」

「私とライネルトが12、テオドーラは11、来月で全員が同い年になりますね」

「私が初めて銃を持ったのもその辺りか、懐かしいと言えば懐かしいが。エールラー少尉は私と同じか一つ下くらいだと思っていたぞ、その年でずいぶん落ち着いている」

「はは、年が近い妹のような幼馴染がいますので。その子がとてもそそっかしくて、放っておけないのですよ、そのせいかもしれませんね」

「……不思議だなぁ。私にも妹とは違うが、放っておけない奴が一人いてな。とんでもないじゃじゃ馬なんだが、そいつがいても私はいっこうに落ち着きという言葉とは程遠い人種ときたもんだ」

 

豪快な独特の笑い声を聞きながら私は目の前に堂々たる姿を置く赤城に、再度目を向けることにした。

物資の搬入口、タラップ周りには大小様々な木箱が積み重ねられている。他所で人手が足りないのか、周囲には人がいない。一方、飛行甲板には確認はできなくとも大勢の気配が感じられる。高さの差で姿は見えにくいが時折大きな声が聞こえてくるのがそれだ。ちらちらと水兵の頭が覗いていても、甲板上で何をしているのかはわからない。

が、何気なく観察していると、頭だけではなく小柄な人影が飛び出してきた。一般的な扶桑海軍水兵服にベルト(※スカート)を巻いたスタイルの少女の姿だ。大股で足を開き、腕を組んで基地内部を見回している。風に踊る茶のショートヘアと純白のマフラーが印象的だ。

しかし、これから真冬に差しかかろうという季節に、防寒具がマフラー一つというのは寒くないのだろうか。

と、そんなことを考えていると、その少女の瞳が我々を捉える。ポカンと腕組の姿勢のまま固まったのも一瞬、すぐにハッとした顔で我々へと人差し指を向けた。

 

「あーっ! 侵入者かー!?」

 

何、と私も固まる。

 

「え、嘘!? わ、私達のこと!?」

 

間髪いれずに驚きの声を発したのはテオだ。

しばし基地内の音がやみ、少しして毛色の違うざわめきが流れ始めた。

走って建物から出てくる者、物陰から荷物を持ったままこちらをうかがう者。明らかに平時とは違う雰囲気が広がる。

 

「……何をしているんだアイツは」

 

頭痛を堪えるように頭に手をやった坂本少尉が小声で毒づくのが聞こえた。

当然だが誘った本人にしても不測の事態なのだろう。それを尻目に、数多の視線の先で視線の先で少女が動く。

一歩後ろへ下がり体勢を低くとったかと思うと、彼女の頭に先端が茶色に染まった猫の耳が生えてきた。ウィッチだ、私がそう認識するよりも速く、彼女は駈け出した。そのまま飛行甲板から跳躍、魔力を使ったのであろう、その体が淡く光を帯びる。陸地までの距離を一気に埋め、空中で一、二回鮮やかな前転を見せると、使い魔であろう猫のような柔らかな動きで着地。

我々の前に降り立った。

 

「見なれない服装! 知らない顔! 侵入者だ!」

 

ビシリと真っ直ぐに私、テオ、ライネルトの順番に指をさす。

その辺ではお目にかかれないような眩しい笑顔で言う。そう自信満々で言われては、否定するにも言葉に詰まってしまうではないか。

とは思ったが、その必要はすぐになくなった。

 

「……と、あれ? 坂本だ」

「坂本だ、じゃないだろう。今頃気付いたのか?」

「うん、侵入者に気をとられててさ」

「違う、侵入者なんかじゃない、私の客人だ。失礼なことを言うな」

 

さした指が坂本少尉を向いた途端、活発そうな声もしぼむように小さくなる。

右に左にとゆるやかかつ激しく動き回っていた猫の尾が力を失ったかのように垂れ下ってしまった。

 

「今のは誤報だ! 散れ! 全員持ち場に戻らんか!」

 

甲板端にならんでこちらの様子をうかがっていた水兵たちも坂本少尉の大声を聞いて駆け足で去っていく。

背を向けた水兵の横顔から、またか、という苦笑を読みとれたのは気のせいではないだろう。

心なしか肩を落とした坂本少尉が振り返る。

 

「すまない、さっき言ったじゃじゃ馬がこいつなんだが考えるよりも先に体が動くタイプでな、本当に申し訳ない」

「えー、だって」

「だっても何もあるかっ、お前も謝れ今すぐに!」

「はーい……このたびは、えーと……まことに、あれ……?」

 

頭を下げて、何やらつぶやくこと数瞬。

 

「あーっと…………ごめん!」

 

体を斜め45度に曲げたまま頭上でパンと手を打ち、何とも歯切れのいい簡潔な謝罪の言葉が飛び出してくる。

どう対応したものか、私は坂本少尉に目を向けた。坂本少尉はバツが悪そうに眼をそらす。

 

「こんな調子だがこいつなりに反省はしているはずなんだ……」

「ええまあ、大事にはなりませんでしたし、我々も気にしておりませんので」

「はあ、そう言ってもらえるとありがたいな」

「お気になさらず、悪気がないだけマシですよ。うちには身内にとんでもない問題児がいますから、なあライネルト」

「ハハハ、ええまったく、ホント困ったもんですよねエールラー少尉」

 

首だけで振りむいてテオとライネルトにアイコンタクト。二人は察してくれたか首を縦に振る。

 

「感謝しろよ西沢、不問にしてくれるそうだ」

「え、許してくれるの? アンタいい奴ね!」

 

坂本少尉が言うなり、その少女は勢いよく姿勢を正し、私の手を両の手で握ってくる。

目を細めた満面の笑みだ。この子の周りだけ日光が強いような錯覚を受けそうになる。

 

「あたし西沢義子ってんだ! 階級は、何だっけ、えっと……そうだ、一飛曹! アンタは?」

「あ、ああ……エールラー、ハインリーケ・エールラー。階級は少尉、あー……よろしく」

「うん! よろしくエールラー!」

「おいおい待て待て、他国とは言え上官だぞ」

「へ? 坂本の友達だろ? だったらあたしの友達でもあるじゃん! 竹井と同じだよ、問題ない! ワハハハ!」

 

これは何とも、面食らってしまったが応対したことのないタイプだ。

言動に全く邪気がない。他国の人間だからとあなどっている様子も見受けられず、単純に階級の差を気にしていないのだろう。悪意も何も感じないのだから、規律うんぬんは忘れることにして、嫌な気持ちは湧いてこなかった。

西沢が私から離れて後ろの二人にも名を聞いていく。

私と坂本少尉は顔を見合わせて苦笑した。

 

「友達とは、なかなか悪くない気分ですね。坂本少尉は?」

「同じだよ、嫌な訳がない。たとえついさっき会ったばかりでもな」

 

微笑んで坂本少尉は私に手を差し出した。

迷わず握り返す。

 

「こういうのも何かの縁だ。気が早いかも知れんが今度は友人として、よろしく。私のことは階級をつけずに坂本と呼んでくれると嬉しいな」

「友情に遅い早いはありませんよ。私のことはエールラーと」

「ん……ああ、すまん。ちょっと一つだけ」

 

言葉を遮られて私は呆けた。

 

「敬語は無しだ。同じ階級だし、部下の西沢がアレだからな。調子が狂ってかなわん」

 

呆けたまましばし、頭をかく坂本を見て何となく笑えてしまって。

口元を押さえて私は頷いた。

 

「それなら仕方ないな。よろしく、坂本」

 

一方背後では、自己紹介がすんだのかライネルトが話を振り、西沢がけらけらと笑いながらテオの背中を叩いている。そちらはそちらで新たな友好関係の繋がりができたのか、まるで留学先での交流会のような、軍事基地の真ん中にいるということすら忘れてしまいそうな光景であった。

正規空母のすぐそばでこんなやり取りを見ているのも不思議なものだ。

そう思ったところ、不意に人の気配を感じる。金属の鉄板を叩く音、耳に聞こえたのはそんな音だが、何のことはない赤城に掛けられたタラップを歩く音だ。搬入待ちの荷物ばかりが置いてあるだけで、我々の他に人がいなかった場所である。私の目は自然と音の源へ向いた。

そこにいたのは二人。一人は坂本と同じ純白の士官服を着た少女、もう一人はそれと対照的な濃紺の詰襟を着た少女。後者は水兵服とも違うから士官候補生かと頭の中で勝手にあたりをつけた。

見ていると、士官服の少女と目が合う。後ろを短く、左右の髪を肩まで伸ばしたヘアスタイルが目を引く。良家の出なのか素人目に見ても歩き方に優雅さを感じ、物腰が柔らかそうな印象を受けた。外国人である私を目にとめるとほんの少し驚いた表情を見せたが、すぐに柔和な笑みに変わり、ゆっくりとしたどこか気品のある動作で会釈をしてきた。私もそれにならって礼を返す。

士官候補生らしき少女の方は何やら大きな包みと水筒を持っており、顔を斜め下に向け、私とも視線を交わすことはなかった。西沢のように活発そうな印象を与えるはずの黒のショートヘアも重力に引かれてへたれているようにも見える。自信をどこかに置き忘れてきたような、そう思える少女だった。

 

「やっと見つけた! 美緒、あなたどこに行っていたの?」

 

士官服の少女が坂本の前まで来てふくれっ面を見せる。

 

「おお、醇子か、ランニングは終わったんだな?」

「もうとっくにね、今は報告できなくて困ってたところ」

「はっはっは! すまんすまん」

「まったくもう……」

 

笑う坂本だったが、士官服の少女が間を置くと、すぐに真顔で居住まいを正す。

少女が咳払いをして、きびきびとした動作で足を揃え、両腕を体のわきに固定した。士官候補生もそれに倣う。

 

「報告! 竹井醇子、下原定子の両名は、午前の訓練項目を全て完了いたしました!」

「よし、これより一時間の休憩時間とする。休憩終了後、両名は〇一三〇(マルヒトサンマル)時に赤城甲板上に集合せよ、以上!」

 

二人のやり取りを横で聞いていて、私は少々感心していた。

親しげに話していても、報告や命令などは規律に則った言動が必要なものだ。儀礼というものは意識を高く保つためには大きく役に立つ。

そして職務を離れれば親しい友人として接すればよい。この二人がそうかはわからないが、それらが軍に属する人としての理想だろう。

少女は凛とした表情を崩すして我々に目を向けた。

 

「それで、こちら方々は?」

「うむ、友人だ、リバウ駐留のカールスラント空軍に所属している。三人とも西沢の無茶を受け入れてくれる気のいい奴らだぞ」

 

坂本の視線を感じ、自己紹介を勧められているのだと解釈する。

私は右手を差し出した。

 

「では、まずは私から。カールスラント空軍所属、ハインリーケ・エールラー少尉です。精鋭と名高い扶桑皇国海軍航空隊の方とお話ができて嬉しく思います」

「竹井醇子少尉です。こちらこそ、お会いできて光栄です、カールスラント空軍の活躍は本国でもよく耳にしておりますので」

 

柔らかい綿を扱うような、優しい手つきで握り返してくる。冷えてきた手に心地のいい温もりを感じた。

第一印象通り、気品のある人物のようだ。会釈のときの微笑みも取り繕っている訳でもなく、自然と身についた習慣によるものだろう。

ファーストコンタクトは上々。隣に立つ坂本の嬉しそうな顔が何かと印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂本との会話の中で、彼女と私が互いの階級と敬語を省略していることを知ると、竹井もそれにならうことにしたようだ。

テオとライネルトの紹介もすませ、木箱が並ぶ赤城のタラップ横にカールスラントと扶桑のウィッチが集うこととなった。西沢は元からだったが、敬語が素なんですなどと捻くれたことを言っているライネルトをのぞき、その場にいる大体の人物が敬語を取っ払って会話している。友人であるなら「貴様と私」で話が通じるというのが彼女らのスタンスなのだろう。外国人の前に立っても臆さず自分自身を出せるというのは、やはり世界中の七つの海をフィールドにする海軍の教育の賜物だろうか。

とりとめのない世間話が一段落したところで、竹井が士官候補生の抱えていた包みを開く。全員の視線が集まり、中から現れたのは複数の白い塊だった。白い塊、というのは流石に失礼か、リバウ配属時に扶桑海軍について調べはしたが、このような文化的な事物にはめっぽう弱い。カールスラントと扶桑の交流は盛んな方だが、私は実際に目にするのは初めてだからなおさらだ。炊いた米を手のひら大に押し固める扶桑の伝統料理、たしか「ライスボール」とか言った気がする、本場では「オニギリ」だったか。

竹井が言うには、

 

「烹炊長が疲れてるからたくさん食べろって持たせてくれたんだけど、二人じゃどうしても食べきれない量でね。よかったら誰かに一緒に食べてもらいたくて」

 

ということらしい。

オニギリの量は標準的な体格の士官候補生の少女が両手で抱えているほどだ、それはたしかに二人では厳しすぎる。寄港によって食料物資も豊富になるだろうから、悪くなる前に在庫処分でもしているに違いない。これから少しの間、遣欧艦隊の食事は豪勢になるのか、羨ましいことだ。

竹井が水筒のふたを開くと香ばしい香りと湯気が立ち上る。紅茶よりも濃い色で、ほうじ茶というのだとか。あっさりとした風味と香りが特徴で、食事時には紅茶よりも合いそうだ。私はカールスラント人らしく茶の類よりもコーヒーの方が好みだが、抵抗なく楽しめそうだった。

異国の食文化に小さな感動をおぼえていたところ、士官候補生が足音を殺す気配を感じさせない動きでオニギリをつかむところが見えた。そのまま何も言わず、タラップの方へ足を向ける。歩調が忙しない、あれは焦っている動きだ、特別失態を犯した様子はなかったが、何かあるのだろうか。私が視線を向けていたせいか、坂本もそれに気づいたようだ。

士官候補生の背中に声をかける。

 

「おい下原、お前もここで食わんのか?」

 

彼女の名は下原というのか。

特に怒った素振りもない、ただ聞いているだけという口調。だが、下原は素人目にみてもわかるほど体をすくませると、おびえた顔で振り返る。

 

「いえ、私は自室でいただきますので」

「そうか、午後の訓練に遅れないよう注意しろよ」

「……はい」

 

訓練という言葉を耳にした途端、目に見えて表情が暗くなる。

先のように顔をうつ向かせると、早々に踵を返し赤城の船体の中に消えていった。彼女の背中には暗い影がまとわりついているようだった。

会話が途切れて残された六人で顔を見合わせると、坂本がしんみりとした表情で言う。

 

「ずいぶん嫌われてしまったな」

 

溜め息をつきながら微笑む、困りきったときに出る微笑みだ。何か問題が起こって何の対処法も見いだせなかった、諦めが混じった表情。

坂本は赤城の搬入口を見つめ続けている。

そんな横顔に竹井が口を開いた。

 

「昨日の夜に相談されたわ、もう自分はついていけないかもしれないって。体力もそう、模擬戦闘でも毎回叱責を受けて心が折れかけてる。あの子なりに悩んでいるんでしょう」

「だろうなぁ」

 

短い返答だ、腕を組んで坂本は坂本なりの思案を巡らせているのだろう。訓練生の精神面についてか。それはどこの国、部隊でも起こり得るし、かつ根が深い問題だ。しかし、今は私を含めて外部の人間が口をはさむ場面じゃあない。私は場を乱すことのないよう、固く口を閉ざし、耳を彼女らへと傾けた。

次いで、西沢が会話に加わる。

 

「坂本は訓練の鬼だもんなぁ、きつ過ぎるんじゃないの? 一度緩めてみるとかさ、あの下、下……えー」

「下原ね」

「そう下原もさ、ついていけてないかもしれないんでしょ?」

 

早くもオニギリに齧りついていた西沢の問いには、竹井が答える。

視線は坂本へ向いており、引き結ばれていた唇が間を置きながら言葉を紡ぎだした。

 

「それも一つの手だけど、今の情勢から言ってすぐ実戦に投入されてもおかしくない。おそらく訓練を緩めた揺り戻しを実戦で経験することになる。私にとっても美緒の訓練は辛いけど、辛いということは身につくものも多いのよ。何もかも必要なこと、実戦は訓練よりもずっと辛いもの」

「そういうもんなのかな」

「そういうものなの。義子みたいに自分の感覚だけで空を飛べるウィッチはそんなに多くないから」

 

語気は強くない、だが、まるで空戦前とでも言えそうな真剣な表情が、言葉に重みを加えていた。

西沢が小さく頷いて考え込み、代わりに坂本が腕組をとく。

考えはまとまったのだろうが、眉間にしわを寄せた難しい表情だ。

 

「私も竹井も扶桑海事変で戦ったが、力もない、経験もない、ウィッチとして何もかもがまったく足りぬ新米だった。そんな我々が生き残れたのは一重に先生の指導と、陸軍を含めた先輩方の挺身があってのことだ」

 

言葉を切る。きっと頭の中にある考えを、一つ一つ選んでいるのだ。

この難解極まりない問題に答えを出すには、あまりにも時間が短すぎる。それでも彼女は前を向き、自分の言葉を堂々と述べていく。

 

「だからこそ、私は未熟な身と言えど一端(いっぱし)の経験を積んだウィッチとして、先生や先輩方の役割を受け継がねばならん。ましてや戦場となるのは扶桑海事変を超える激戦区、下原(あいつ)が生きて戻ってきてくれるのなら、恨まれるというのも本望だ」

 

言いきって目を閉じる。

会話はそこで途絶えた、坂本の出した結論に誰が口を挟めるのか。軍人として成長した彼女の決意は私から見ても、少女らしくないものだった。

15歳になったばかりの少女が、分不相応にも中隊長を務めたかつての私と同じような悩みを有し、自分なりの答えも見つけ出せているのか。きっと人の上に、いや違うか、人の前に立って後ろに続く誰かを導いていける人間とは、このような者のことを言うのだろう。

皆、何か思うところがあるのか誰も口を開こうとしない。

坂本は居心地が悪そうに穏やかな表情を歪めて、頬をかいた。

 

「あー……すまん! 身の上話をする場所ではなかったな。今は昼飯の時間だ! 何だ西沢以外食事に手をつけていないのか? ほら食え食え、どんどん食え、いくらでもあるぞ」

 

強引に空気をかき乱して、オニギリを配って歩く。

ようやく私の手の中に巡ってきたオニギリ、道化を演じる坂本の横顔を見ながら三角の先端を齧った。口の中に白米の甘みと薄い塩味が広がる。

 

「そう言えば、エールラー達の部隊はどうしてリバウに?」

 

坂本が渡してきたオニギリを両手に持ちながら竹井がたずねてくる。一気に二つも渡されたため扱いに困っているようだ。

口の中のものをほうじ茶で呑みくだして返答。

 

「ああ、スオムス行き空中輸送路の護衛のためだな。我々の戦闘航空団はヴァイクセル川の防衛に出ているから、輸送路の出入口となる地理的にもリバウとそう遠くない。新人三人と経験者三人で半個中隊を編成して、本格的な侵攻が始まる前に急ぎ配属、というところだ」

「スオムス……なるほど、カールスラントも次の一戦は北欧と見てる訳ね」

「各国合同の義勇部隊の派遣先もそこだったな。詳しい話は部署が変わるからわからんが、扶桑(うち)からも陸海から一人ずつ出しているはずだ」

「それに加えブリタニアと、あの日和見主義のリベリオンからも一人ずつ、だな」

 

オニギリをもう一口かじる。竹井は片方のオニギリを坂本に返した。

食べ物を片手に三者三様に考えを巡らせる。私はパイロット時代の記憶を思い起こした、さて、ネウロイのスオムス侵攻はいつだったか。

 

「一番楽観的な考えとして、ネウロイはカールスラントとオラーシャを相手にした二正面作戦で戦線が伸びきっている、故にスオムスへの侵攻はありえないという意見があるわ」

「それならカールスラントにも希望が持てるが、ノブゴロドで発生したネウロイの巣を無視することができるか?」

 

ノブゴロドはペテルブルグから200㎞ほど南に位置する都市だ。

黒海沿岸の巣から進出したネウロイはモスクワを瞬く間に陥落させ、さらに北上。ほどなくしてノブゴロドに新たな巣が確認され、何もない場所から突然に新たな敵戦力が出現したのだ。正に悪夢としか言いようがない。そこからの侵攻速度は凄まじく、ペテルブルクは失陥、オラーシャはウラル山脈以西を失い欧州との陸路をほぼ完全に寸断されてしまう。

 

「今はカールスラント東部戦線とツァリーツィンへの圧力が増しているとは言う。それでも初戦の速度を考えるとな」

「ノブゴロドに余剰戦力がいるか、最近ではペテルブルグにも巣が確認されたという話もある。目の前に人の国があって、あえて襲わないということもあるまい」

 

同意するのは坂本だ、オニギリを飲みこんで続ける。

 

「では侵攻開始はいつになる? スオムスは湖が多いと聞く、水が苦手なネウロイのことだ迂回するルートを通ってもおかしくはないんじゃないか?」

 

最後に目をそらして、まあうちの海軍はその予想で失敗しかけたが、と一言。

扶桑海事変のことだろう、気にはなったが一個人が他国の内輪の事情に踏み込んでも得になることは何もない。

すると竹井が口元に手を当てて答える。

 

「この時期の北欧は浦塩(ウラジオストク)も霞むほどの極寒だわ、湖はどこも車が渡れるほど厚い氷で覆われてる。ネウロイが苦手とするのが水ではなく液体だった場合、地形を物ともせずに攻め込んでくるかもしれない」

「なるほど……いや、ペテルブルクを陥落させた戦力なら爆撃機を繰り出してくるか、どちらにしてもかわらんな」

「そうだな、初撃が航空機による先制攻撃だとすると」

 

いろいろと話を聞いて何とか思い出せそうだ、ネウロイによるスオムス侵攻。冬戦争の勃発は、たしか、

 

「どんなに遅くても今年中、可能性が高いのは12月上旬。私が予想するなら11月の30日か」

 

そうだ、11月末日だ。東部戦線の戦況の横に小さく『スオムス開戦』の文字を見たのを覚えている。

坂本と竹井も一しきり考え込むと、納得したように頷いた。

 

「たしかに、何となく来るのはそのあたりよね」

「30日と言うと、もうすぐそこか。エールラーも忙しくなるな」

 

再編成されたばかりの第四飛行中隊、現在は試運転期間だ。当然のことながら、スオムスへの侵攻が始まれば護衛任務増えるだろう。

今のように他国の友人と食べ物を囲んで話す機会など無くなる。

少し惜しいな、と思う、仕方のないことではあるが。

 

「いずれ我ら、扶桑海軍航空隊もカールスラントやオラーシャに進出することになる。これから会う余裕すらどこにもないかもしれん」

 

思ったことが表情に出ていた訳ではないだろうが、坂本が私の顔を凛とした表情で見つめてきた。

何か、とは思いつつも彼女の言葉に頷きという形で答える。

 

「が、せっかく巡り会った友だ。事が一段落ついたらまたこうやって語り合うのを楽しみに待つ、というのもいいものだと思わないか?」

 

竹井もほうじ茶をすすって頷いた。

 

「同感、みんなで無事に帰って、また仲良くお話ししましょう」

 

二人分の笑みを真正面から受ける。頷かない訳にもいくまい、こんな善意を向けられて否を返す心など持ち合わせていない。

残りのオニギリを飲みこんで、私も笑った。何か気のきいた言葉をと瞬間的に思考する。

と、その時であった。

基地内に設置されたスピーカーが音を発する。良く通る鐘の音だ。

無言のまま鐘の音を聞き、その余韻が軍港内に広がっていく様子に耳を傾ける。

 

「ああ、もう一時か。早いものだな」

 

坂本がつぶやいた。言葉にどこか寂しげな響きを感じ、私も思い至る。

我々がここにいれる時間も、もうすぐ終わる頃だ。

たしかに早い、楽しい時間が過ぎ去るのはあまりにも早すぎる。まるで今消えた鐘の音のように一瞬で頂点をむかえ、余韻を残して消えていく。

自分でも子供っぽいと思う感傷である。意識していないと坂本と竹井の前で溜め息でも漏らしてしまいそうだった。

 

「……まったく」

 

と、決して愉快とは言えない感情に心を浸していると、聴覚に反応。

私と坂本、竹井とは別の三人組の方、そちらから、何やら間抜けな「パチン」という音が聞こえたのだ。ほんの少し聞き覚えのある音だ、もちろん、それこそ愉快な思い出ではない。

神妙な表情を維持できなくなって振り返ると、顔を青くしたテオが私を見てさらに顔を青くするのが見えた。

原因は残りの二人だ。向かい合っている西沢とライネルト、西沢の指には間抜けな音の源が『喰らいついて』いる。チューイングガムのパッケージに偽装されたそれは、私の中でライネルトの印象を決定づけた悪戯の道具である。ライネルトはニヤニヤと笑みを浮かべ、西沢は表情を失って茫然としているようにも見えた。

自分の表情筋が引きつった。他人様の庭でやらかしてくれるとは!

少しくらいは慎ましさを覚えたらどうだ、といきり立ちそうになったところ、西沢が突然ケラケラと笑いだす。

 

「ハハハ! ビックリした! 何だこれ面白いな!」

「でしょう? これの良さをわかってくれるなんて西沢さんもお目が高い」

「いくつかもらえる? ちょっと誰かに試してみたいんだけどさ」

「ええ、どうぞどうぞ、銘柄の数だけ選り取りみどり」

「いや、試すっ? ……ダメ! やめよう! もうみんなに見られちゃってるから! 無理だって無理無理!」

 

悪ノリを始める西沢とライネルトにすがりつくようにテオが止めに入る。何ともかしましい光景であった。こう、思っていた展開と、何か違う。

それを見た坂本が釈然としない私のそばで、豪快に笑い始める。

ライネルトがこちらに気づく、目を合わせた途端に無邪気な笑みを浮かべた。悪魔の笑みだ、少なくとも私にとっては。

台無しだ、チクショウめ。どうしてこうも私の考えていることをぶち壊しにかかるのか。少しくらい感傷に浸ったところで罰は当たらんだろうに。白昼堂々と西沢によろしくない取引を持ちかけているライネルトの襟首をむんずと掴む。

 

「いい加減にしろ、悪戯の被害者を海外にまで広めるな!」

「何とエールラー少尉、人聞きの悪いことを仰らないでください! これはビジネス! ギブアンドテイクで成り立つ大人の世界!」

「高々12歳が大人を語るな! 西沢も財布をしまえ!」

 

恥ずかしい。何がと問われれば、他国の人間の前で問題起こす部下と、そのペースにまんまと乗せられている自分がだ。いっそこいつのように生きれたらとも思うが、そこまで色々な物を棄てられるほど私は達観している訳でもない。

一しきり笑い終えた坂本と竹井が言う。

 

「そっちもそっちで勝手に仲良くなっているとは、何よりだな!」

「そうね、これはなおさら無事に再会しないといけなくなったかしら」

 

からかわれているように感じて思わず赤面する。何故だ、昔の私は学がなかったとはいえ少なくとも人生経験だけは豊富と言えるはずなのに、ウィッチには常識というものが通用しないのだろうか。

小さく震えて頭を回転させる。それで、感極まった状態で出てきた答えがこれだった。

 

「……そろそろ、帰るぞ」

 

感情の高ぶりを気取られぬように小声でつぶやく。オニギリの米粒一つ分まで削り取られたプライドが、これ以上は譲れないと声を挙げている。この場にいたままではボロが出そうだ。

テオを手招きで呼び寄せ、ライネルトには襟を引っ張って正面を向かせる。

自然とカールスラントと扶桑のウィッチが三人対三人で向かい合う形となった。

 

「申請の時にもっと粘ればよかったなぁ、そうすれば入場許可もまだ長い時間確保できたかもしれん。結局、案内もせずに話だけで終わってしまった」

「まさか、いさせてもらえただけでも、ありがたいというのに」

 

頭をかいて申し訳なさそうに眉尻をさげる坂本に、首を横に振って返す。

代わりに右手を差し出した。竹井とは対照的に力強く、私の手を握り返してくる。

 

「いずれ、また」

「ああ、また会おう」

 

短い挨拶をすませ手を離すと、握られた感触がまた余韻のように残り続けた。

私の後に二人も続き、竹井、西沢とも挨拶をすませると、いよいよ残された時間もゼロになる。あまり長居すると衛兵に案内されながら連れ出されることにもなりかねない。

足早に検問所へ足を向けると、背中に向けられる声。

 

「三人ともまたな! 待ってるぞー!」

 

すぐそばで叫ばれているような、元気な大声は西沢か。

振り返って手を振る。

やはり名残惜しい。

言われずとも、また会おうと約束した。私は足を進めながら、ゆっくりと手に残る『余韻』を確かめた。

 

 

 

 

 

 

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