日本との国交が開設されてから2ヶ月がたった。ムー東部のマイカルで最大の新聞マイカル工業新聞は、日々爆発的に増え続ける情報にてんてこ舞いになっていた。
「これが昨日特別便で届いた、日本のホンダース製の原付です」
「おぉ...」
「これが日本の...」
マイカルでは、現在巨大な事業がいくつも動いている。それは港湾設備に始まり道路整備、製油所建設、果ては区画整理まで、大小100を越える事業が進みつつあるのだ。その開発は地元だけではなく、八菱地所や五井不動産といった巨大企業から、果ては中小の不動産企業まで、多くの日本企業も開発を行っている。
このマイカル工業新聞は、日々増えていく新聞の需要に対応するため、遠方への配達時間の短縮を模索していた。そこで目をつけられたのが、車やバイク、ビジネスジェットまで開発・製造を行っているホンダースの原付だった。
「これはどの程度の性能なんだ?」
「はい、このベンリーは、最大30キログラムまで荷物を積むことができ、一リットルの燃料で53キロメートルも走行することができるそうです。まあ、あくまで舗装された道ですが···」
「おぉ...!」
「我が国の自動車よりも燃費がよいとは!」
「30キロも運べるならずいぶん楽になりますな!」
さて、ここである問題が発生した。ムーでは、自動車の免許制度がない。そもそも自動車の絶対数が少なすぎる上に、自動車は財閥の幹部クラスや軍の高級幹部の長距離移動程度にしか用いられていないためだ。自動車運転に関する学習はムーではできないのである。
もちろんそんなことはやらなくても良いのだが、やはり日本と経済交流が活発になっていく上で、やらない訳にもいかないと考えた。そこでマイカル工業新聞は、
「免許所はひとまず我々マイカル工業新聞が設立して、教官は日本から派遣してもらえませんか?」
とホンダース側に依頼をしたところ、ホンダースはこれを快諾し、グループ企業のレインボースクールから教官を派遣することとなった。
その後3ヶ月で6人の初めての卒業生を送り出したマイカル自動車学校は、後に一般からの入学を解禁して、ムー初の自動車学校となり、全国から自動車の運転免許を取得しようとする市民で溢れたという。ただし、本格的な普通自動車の免許を取得できるようになったのは、三年後のことであった。
さて、6人のうち、原付に乗るのは3人ごとでローテーションすることにし、早速原付での配達を開始した。
「最近マイカル工業新聞って、とても配達早いですね」
「そうですね。朝起きて家の周りの掃除でも、と思ったらもう入ってるんですもの」
「私の家はお昼くらいにやっと届くのだけれど、正直お昼くらいに届いても困るのよね」
「やっぱり早さはマイカル工業新聞が一番ね」
「そうね。うちもマイカル工業新聞にしようかしら」
早朝の配達は、次第に投資家や企業の幹部、主婦の心をつかんでいき、他の新聞からマイカル工業新聞に移行するところが出てきたのだ。
その後「ベンリー」は、マイカル工業新聞の予想通り、遠方への配達時間の短縮を成し遂げ、また原付を利用して新鮮な情報を最も早く伝えてくれる新聞社という評価が固まり、ついにはマイカル工業新聞を東部でもトップの新聞社に押し上げた。書籍、配達事業、ついにはテレビ事業へと進出したマイカル工業新聞の社長は、
「我々は、あの3台のベンリーによって、大きな成長を遂げることができました。我々は当時の役員がたのように新技術を積極的に取り入れ、お客様に迅速かつ正確に情報を伝えていきたいと考えています」
という発言をしている。
この3台の「ベンリー」は、今ではマイカル工業新聞社記念博物館に展示されているという。
今日もマイカルでは、「ベンリー」の後継が新聞を住民へと配達しているのだ。
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