日本では現在、カメラと言えばデジタルカメラが一般的である。取り扱いも簡単でデータの調整も可能だ。
しかし、ムーでは違う。ムーでは地球でいう1900年代のカメラが主に使用されており、一般の人々にとってはまだまだ敷居の高いものであった。
そこに目をつけたのが、日本のカメラ業界である。新世界技術流出防止法により、少なくともデジタルカメラの輸出は不可能であったため、輸出はフィルムカメラのみとなった。
さて、特に興味を示したのはNICONで、同社が現在販売しているF6シリーズを再生産してムーへの輸出を開始した。
一方で動きが遅れたのがCannonで、設備などの問題ですでに生産を終了しているEOS-1Vをすぐに再生産する訳にはいかなかった。
NICONムー マイカル本社
「F6の販売数は今年だけで2万台の大台にのりましたよ」
「ああ、まさか異国の地でこれだけ売れるとはな」
NICONは、富士フィルムと共同でムーへと進出した。フィルムの生産を行っているのが日本ではもう富士フィルムだけだったからである。
そして、大成功していた。
ムーの市民にとってはまだ少し値段が高いが、ムーで現在使われているガラス乾板を使用したカメラよりは安く、そして専門の業者が現像まで行ってくれるということもあり、爆発的に利用者を増やしていった。
そして、風景を印刷できるということで、やはりカメラに目をつけたのは、報道機関であった。
マイカル工業新聞 新技術部門
この時期、マイカル工業新聞では日本から取り寄せた原付による配達を始めてからしばらくたっており、業績も安定していた。
「このカメラ。報道が大きく変わるでしょう。なにしろ従来のものとは違い軽く、扱いやすく、壊れにくい。どんな現場にも持っていけます」
「そうだな。確かに、大きな変化を生むだろうな」
カメラも、すぐさま購入し試験運用していた。良好な結果となると予想されているため、すでにどう新聞に盛り込んでいくかを考えていた。
「やはり配置の参考は日本の新聞が良いでしょう。あちらは年間4000万部という量の新聞を発行しているのです。やはり洗練されていますよ」
「そうだな、それがいいだろう。魔写よりも性能がいいんだ。これがあれば画像・映像関連は神聖ミリシアル帝国の技術の縛りから抜け出せそうだな」
神聖ミリシアル帝国が輸出している魔写は性能がいいが、ムーでは製造できない。そして輸出に関しても制限がかけられている。
一方日本のフィルムカメラは、すべて科学技術で実現可能であり、ムー側からライセンス生産の話を持ちかけているという情報もある。まあ日本側の新世界技術流出防止法で話は進んでいないというが。
「さて、それじゃさっそく部長に報告してくるとするか。ムーの印刷機じゃきれいに印刷できないからなぁ。そこをどうするかだなぁ」
「もうここまで日本の機械を導入しているんだから、全部日本から輸入した方が効率良さそうですけどね」
「ま、そういうわけにもいかないさ。できるだけ自主開発を進めないとな。幸い日本から書籍は輸入できる」
そう言って部長に報告をするため研究主任は部屋を出ていく。
少し時間がたつと、ムーの民間企業が日本の書籍を頼りにニトロセルロースを使用したフィルムを開発、日本の系列でない現像を行う業者や、企業が自分で部門を立ち上げるところも出てきた。ただ、日本はほとんど関与していなかったため、品質はまだまだ低いものであった。
十数年後、ムーでも国産のフィルムカメラがつくられるようになり、日本とならぶカメラ大国となるのは、また別の話。
フィルムカメラは、異国の地で再び日の目を見たのであった。