透明な物をなくさない方法   作:ヤンデレ大好き星人

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第六話 別れよう

 俺は作田吉利(さくた よしとし)。俺には今、付き合っている女性がいる。名前は西崎春子(にしざき はるこ)。学校一の人気者で、彼女と付き合っているというだけで、俺の名前は学校中に知れ渡った。何も起こらない平穏な学園生活を望んでいたが、現状は大きく異なっている。

 『愛とは、ともに同じ方向を見つめることである』だなんて、フランスの有名な作家が言っていたらしい。俺の進む道は、春子が進む華やかなものとは違う。このまま付き合っていても、いつかは道を違えるだろう。お互い辛い思いをするかもしれないが、傷は浅い方が良い。早い内に別れるべきだ。

 恋人と別れたい。そう考えている人が、今この瞬間にどれだけいるのだろうか。世の中には同じことを考えている人が大勢いる。世界中で情報が共有出来るインターネットが普及したのも、そんな人々に需要があったからだ。そして恋人との別れ方を検索してみると、40万件近くも引っかかるのだ。先人の知恵は、後世を豊かにするために残される。ならば俺の生活を豊かにするために、恋愛のノウハウを使おう。そして春子と別れようじゃないか。

 

◆ ◇ ◆

 

 弁当は作らなくて良いと言ったものの、作ってきたものを断ることは勿体無くて出来ない。手間や食材を無駄にするのは、流石に可哀想だ。そうして結局今日も、春子と肩を並べて昼食を取っている。

 相変わらず校庭裏のベンチで食事をとっているが、ここは人通りが少ない。人目がないのを良いことに、春子は俺の肩にもたれて甘えている。

 春子の髪がふわりと肩を掠める。一本一本が細いせいか柔らかい。春子の体は、どうしてなにもかもが柔らかくて温かいのだろうか。まるで春の陽気のようだ。

「よしと君の家に行ってみたいなー」

 春子は前々から、俺のアパートに来たがっている。今までは、これを断ってきた。人を呼べる広さではないし、テレビくらいしか置いてない。だが俺には、とある目論見がある。今回は二つ返事で了承しよう。

「えっ! いいの!? じゃあ今日行く」

 今日か。まぁ良いか。特に準備することもないし、最近掃除をしたばかりでタイミングも悪くない。そうして春子は今日、俺の家に来ることとなった。

 

 

 

 アパートに帰宅し、春子が来るのを待つ。住所を教えたので、勝手に辿り着けるだろう。1DKの小さなアパートの2階。少し古臭いこと以外は、結構気に入っている。

 今回なぜこのような狭い部屋に春子を呼び出したかというと、一つ試したいことがあるからだ。昔、親父がとある深夜ドラマを見ていた。それは恋愛心理学を使って、主人公の恋を成就させるという内容だった。これがなかなか面白くて、録画されていたそのドラマを親父の隣で見ていた。

 その中で、主人公がとある失敗をする。部屋に連れ込んだ女性を、ディープキスだけして家に返してしまうのだ。彼にはその女性と一線を越える勇気がなかった。するとどういう訳か、女性の気持ちは主人公から離れていく。

 理由を簡単に説明すると、女性は体を許した相手には寛容になるらしい。科学的な理由は、バソプレッシンというホルモンがどうのこうのってことらしいがそこは割愛しよう。性行為をせずにディープキスだけして家に返してしまうと、考える余裕を与えてしまう。帰り道に『本当にあの人で良かったのか』、そんなことを考えてしまうのだ。これを応用して、春子にキスだけして、その後さっさと帰らせてしまおうという作戦を考えた。今日、それを実行しようと思う。

 

 

 

 適当に時間を潰していると、インターホンが鳴った。ドアを開けると春子が立っていた。玄関の入り口で軽く手を振る少女。たったそれだけの日常的な風景。しかしそれが春子だと、ドラマのワンシーンのように映える。いつも思うが、魅力のある人間というのは、どうしてこうも綺麗に服を着こなすのだろうか。プルオーバーシャツとスカートというシンプルな着こなしだが、淡い色が春子の雰囲気と合っている。だからこそ一つ、目につく物があった。バッグが大きすぎる。何が入ってるんだこれ。

「来たよー。へぇ、ここがよしと君の部屋なんだ」

 部屋に上がると、彼女はきょろきょろと中を見回していた。あまりじろじろ見るな。変なものが落ちてないか不安になる。よく考えたら、この部屋に人を呼んだのは初めてかもしれない。春子は部屋を一通り見るとベッドに座った。座る場所がそこしかないから仕方ないが、女子が俺のベッドに座ってるのを見るのはむずかゆい。

「なにしよっか」

 そういえば考えていなかった。春子は目を輝かせながら、手を上げて提案した。

「私、王様ゲームやりたい!」

 別に構わないが、それ2人で出来るのか。

「大丈夫だよ。じゃあ、私から王様やるね」

 ターン制なのか。まぁ、特にやることもないから良いだろう。春子はベッドを手で叩き、隣に座るようにジェスチャーする。ベッドで隣り合って座るのはかなり緊張した。彼女とはもう1年以上一緒にいるが、こういう部分はなかなか慣れない。

「じゃあ、王様とよしと君が抱き合う」

 そう言って抱きついてきた。なるほど、そういう感じか。この遊びは危険だ。体重をかけて押し倒そうとしてくる春子。残念だったな、全力で抗ってやるよ。

 それよりも次の命令を出させてもらう。冷蔵庫から、2人分の麦茶を持って来てもらおうか。

「えー、そんな命令? いいけどさ」

 春子はその場を離れ、つまらなそうに麦茶を2人分持って来た。そしてもう一度抱きついた。これ効果が続くのか。呪縛が強すぎるだろ。

「じゃあ次私ね。王様に……キスをしなさい」

 命令の内容がエスカレートしている。はい終わり。王様命令でこの遊び終わり。これを続けていたら、最後はとんでもないことになってしまう。

 そうだ、映画を見よう。それも恋愛映画やホラーなんてものじゃない。俺のB級映画コレクションだ。この部屋には実家から持って来た巨大なテレビがある。狭い部屋には不釣り合いなそのテレビは、いつも俺を壁際であるベッドの上まで置いやるのだ。

「いいよ。見ようか」

 春子の了承も得たので、B級映画鑑賞を開始した。部屋の電気を消し、DVDを再生する。春子と俺は、隣り合ってベッドに座る。

 暗い部屋で2人、しばらく映画を見ていた。ほう、これはなかなか面白くない。今にも寝てしまいそうだ。肩にもたれかかった春子を横目で見ると、やはり映画を見ていない。これは成功かもしれない。吊り橋効果というものを知っているだろうか。吊り橋の上では、恐怖心からくる緊張を異性を意識しているのだと勘違いする。今はその逆で、つまらない映画を見ているせいで、俺のことをつまらない男と思っているに違いない。

 ん? 春子は確かに映画を見ていない。だがなぜ俺の顔をずっと見ているのだろうか。あと上目遣いで見上げてくるのは反則だ。その角度は大抵の男に効く。その後も春子は、映画ではなく俺の顔を見ていた。なにが楽しいのだろうか。

「私は楽しいよ」

 左様ですか。俺の顔は、そんなに面白いのか。本人が楽しいと言うのなら放っておこう。俺はこの退屈な映画を堪能するだけだ。

 

 

 

 映画が終わり、外を見ると空と街の境界線だけが茜色になっていた。良い子は帰る時間だ。

「今日は帰りたくないな」

 春子は最初から泊まるつもりでいたのか、帰ることに乗り気じゃない。荷物が多いのもそのせいだろう。明日が休みなのを失念していた。だが帰る流れにしないと、作戦が実行出来ない。明日は用事があると言って、帰ってもらうことにした。

「もー、しょうがないなぁ。次来た時は、泊まるからね」

 思いの外、簡単に折れた。俺たちが恋人という関係にある以上、彼女に焦りはないのだろう。ベッドから立ち上がり、帰宅しようと玄関に向かう。春子が靴を履いたところで、俺は彼女の肩を掴んだ。今こそ、あの作戦を実行するタイミングだ。そして思い切って唇を押し付けた。

「んっ!?」

 強引なキスに対し、春子の体は初めこそ強張っていたが、徐々に緊張がほぐれていった。ディープキスなんて芸当は今の俺には出来ないが、長めのキスをするよう心掛けた。

 唇を重ねてしばらく経った。しまった。春子が抵抗しないものだから、つい彼女の唇を堪能してしまった。急いで唇を離す。春子は俺の腰に手を回したまま、陶然とした面持ちをしている。

 よし、もう帰れ。

「やっぱり、帰るのやめるね。今日は泊まっていくから」

 駄目だ。今日は帰れ。なんとしても帰ってもらわないと、作戦が失敗に終わる。俺は力づくで春子を押し出そうとする。

「いやッ! 今すごい良い雰囲気だったじゃん。よしと君からキスしてくれるのなんて、初めてだもん。帰りたくない!」

 お互いに押し合いをしているこの状況のどこが、良い雰囲気なんだ。まるで相撲じゃないか。春子は見た目よりも力があるようだが、フィジカルでは俺の方が上だ。

 なんとか春子を玄関の外に追いやり、ドアを閉じた。まだ不満を言っていたが、知ったことではない。これで作戦は成功だ。春子は帰り道半ばに、俺に対して疑問を抱くはずだ。本当にこの男と付き合っていて良いのだろうかと。雰囲気だけ作り一線を越えなかったことで、冷静さを取り戻す。そして世の中にはもっと良い男がいるのではという結論に達するわけだ。後は、春子の方から俺に別れを言うのを待つだけだ。

 人を家に招くなんて慣れないことをしたせいで、気疲れしてしまった。少し早いが、今日はもう寝よう。

 

 

 

 床に着くのが早いと、真夜中に目が覚める。4時か……。喉が渇いたので冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注ぎ飲み干した。ふと目の端で玄関を捉えた。真夜中の玄関は、暗闇へと続く異様な雰囲気を醸し出す。まさかな。あり得ないとは思いながらも、鍵を解除してドアを開いた。ドアは開ききる前に、何かにぶつかった。嘘だろ……。

「あ……よしと君だー」

 こいつ……帰ってないのか。春子はゆらりと立ち上がると、夜風で少し乱れた髪を手で直しながら微笑んだ。

「よしと君を、まだ感じていたかったから……少しでも近くに居たかったの」

 なんなんだこいつは。狂気じみている。しかしそんな春子を見て、なぜか心が強く打ち付けられるのを感じた。彼女の手を握ると、体温が冷え切っているのが分かった。どうして春子は俺のためにここまで出来るんだ……。

 春子を風呂に入れさせて、ベッドに寝かせると、早々に眠ってしまった。夜風に長く当たっていたため消耗していたのだろう。

 案の定、春子はこれが原因で風邪を引いた。彼女を家まで送り届け、看病をしてやった。原因の大部分は俺にあるのだから仕方だない。春子は「なんか、よしと君がいつもより優しい」と言って笑っていたが、こっちの苦労も考えて欲しいものだ。風邪を引いたことで、少し甘えん坊になる春子はいつもより無防備だ。

 ……おかしい。こいつはこんなに可愛かっただろうか。

 

 

 

 一つ目の作戦は失敗した。しかし、まだ諦めてはいない。前回は、昔見たテレビドラマという曖昧な記憶を使用したのが悪かった。もう同じミスは繰り返さない。最新の情報を駆使しようと思う。

 春子を傷つけず自然に別れるには、春子に愛想を尽かされるのが最善だった。だがそれは難しいようだ。ならば俺から、別れを切り出してみるのはどうだろうか。前に春子が恋人らしいことが出来ていないと言っていた。それは少なからず不満があるということだ。俺の方から別れ話をすれば、案外簡単に了承してもらえるかもしれない。

 インターネットで恋人との別れ方を調べる。おお、かなりあるじゃないか。世の中のカップルは、どんだけ別れたいんだ。そこで集めた情報を整理するとこうだ。

 

・会って話すと、こじれる可能性がある

・直接的な文ではっきりと別れたいと伝える

・別れたい理由をしっかり用意する

 

 会って話すのが駄目なら、メッセージアプリを使おう。別れたい理由は、受験で良いだろう。あとは春子が会いに来れない状況が必要だ。家が知られてしまっている以上、難しい問題だ。

 ふと窓を見ると、ガラスの表面を流れる水滴が目に映った。今日は豪雨で、とても外を歩ける状態ではない。この時間だと、暗くて視界も悪い。春子の家から俺の家までは、結構な距離がある。簡単には来れない。今こそ、この作戦を実行する絶好の機会だった。善は急げ。スマホを手に取り、春子にメッセージを送った。当然、別れたいという内容でだ。

 ……返信が来ない。風呂に入るなどして時間を潰し、もう一度画面を確認したが返事は来ていなかった。

 それからしばらくしてインターホンが鳴った。こんな時間に、雨の中一体誰だ。怪しいと思い、ドアの覗き穴に目を当てる。外に居たのは春子だった。しかも傘を持っていない。水の入ったバケツをかぶったかのように、全身が濡れているのである。なにやってるんだこいつは! この前風邪をひいたばかりじゃないか。急いでドアを開けて部屋に入れる。全身ずぶ濡れだというのに、それを気にしている様子はなかった。

「よしと君……あれ、どういう意味?」

 あれというのは、先ほど送ったメッセージのことだろう。しかしそんな話はどうだっていい、このままでは春子がまた風邪を引いてしまう。

「なんであんなメッセージ送ったの? 私悪いことした? 言ってくれないと、わかんないから……」

 春子の髪から水滴が流れている。しかし目尻から流れているのは、髪から垂れたものではなかった。俺はあらかじめ用意していた答えを返す。受験が近いし、お互いに勉強で忙しくなる。そのためこれからは疎遠になる。お互いに勉強に集中するために別れるべきだ。

「勉強? 成績に支障なんて出てないじゃん……。そんな理由じゃないよね? 言ってよ。お願いだから……。私直すから……」

 分かっていた。この作戦は、春子がここに来た時点で失敗している。いや、彼女に別れる気が一切ない時点で、何を言っても無駄なのだろう。仕方ない、このまま合わせ鏡のような会話を続けても、春子の体が冷え切っていくだけだ。不本意だが、冗談だったことにしておこう。

「冗談……なにそれ。その冗談、全然面白くないっ! もう二度と言わないでよ。私たちが離れ離れになるようなこと……二度と言わないでよぉ……」

 体を震わせながら、涙を流していた。それは悲しさから来る涙だったのかもしれないし、冗談だと分かって安心したからなのかもしれない。どちらにせよ、もう別れ話は禁止された。今後どのようにして、春子と別れるかという展望が見えなくなってしまった。しかし今後の方針よりも、早く彼女の濡れた服を着替えさせることが先決だ。

 この豪雨の中、帰るのは無理だろう。春子がシャワーを浴びている間、布団を用意した。布団と言っても、冬用の毛布を床に敷いただけだ。春子にはベッドを使ってもらい、俺はこっちを使う。準備が終えた頃に、ちょうど春子が風呂から上がった。タオルで髪の水分を取り、ドライヤーで乾かしている。女性の髪の手入れというのは、大変なものなのだなと思った。

 おい待て、パジャマを用意したはずだが、なぜ俺のワイシャツを着ているんだ。

「だってパジャマ大きかったんだもん。ズボン落ちちゃうし、ズボン履かないと、トップスの長さ足りなくて下見えちゃうし」

 そうかそれは悪いことをした。しかし春子が着ているのは、洗面所にあったワイシャツだろう。つまり洗っていないのだ。

「別に気にしないよ? ちょっと汗の匂いするけど、私よしと君の匂い好きだし」

 ワイシャツの袖に鼻を当て、匂いを嗅いでいる。やめろ、自分の匂いを嗅がれるのは、少し気持ちが悪い。それよりも水分が残っているせいで、ワイシャツが肌に密着して透けている。色々見えているのだ。タンスから冬用のワイシャツを出して春子に渡した。これなら生地が厚いので、少しはマシになるだろう。

 色々あったせいで時間を見ていなかったが、もう深夜0時を回っていた。春子はベッドに寝転がっている。

「この枕、よしと君の匂いがする」

 こら、枕に顔を埋めるな。さっきから俺の匂いがどうこう言っているが、変なフェティシズムを持っているんじゃないだろうか。

「よしと君もこっちで寝ればいいのに」

 その言葉を独り言と捉え、さっさと消灯する。毛布の上に横たわるが、普段ベッドを使っているせいか、なかなか寝付けない。寝付けないと余計な思考が働くものだ。頭に浮かぶのは、少し透けたワイシャツを身にまとう春子の姿。目に焼き付いてしまったものは、一度眠らないと落ちない。かといってそれが頭に浮かぶと、悶々として眠れない。

 どうにか眠ろうと目を瞑っていると、体の上に何かがのしかかるのを感じた。なにごとかと目を見開くと、間近に春子の顔があった。

「あ、起きてた」

 なにやってんだこいつ。いや、春子がなにをしようとしているのかは分かっている。これは非常にまずい。

「よしと君、エッチ……しよっか」

 カーテンの隙間から差し込んだ街灯の光が、春子の瞳に反射して怪しく輝く。サイズが合わないワイシャツの胸元には大きな隙間がある。暗いためその奥は見えないが、俺の視線はそこに吸い込まれた。なんなんだ、どうして突然こんなことを……。

「よしと君が、不安にさせるようなことするのが悪いんじゃん。あと恋人なんだから、エッチくらいするよ」

 この狭い部屋には逃げ場などない。かといって春子はその気になっているので、説得など意味がない。とにかく眠いと言って切り抜けよう。

「寝ててもいいよ。勝手にやるから」

 なんという力技だ。こいつを放っておくのは愚策だ。仕方ない。少し強引だが束縛させてもらう。

 覆いかぶさっていた春子を両手で抱え、体を横に向けた。体を抑えてしまえば、なにも出来ないだろう。しかし結果的に、抱きしめる体勢になってしまった。春子は少し抵抗していたが、それもいずれ止んだ。腕の中に収まった彼女は、潤んだ瞳で俺の顔を見つめている。呼吸は少し荒い。

 しばらく抱き合った状態でいると、春子が寝息を立て始めた。雨に打たれたため、疲労していたようだ。幸せそうな寝顔である。助かった。しかし自分だけ起きていると、一人で居るよりも静寂を感じる。そうして冷静になってみると、いまの状況は思春期の男子にとっては生殺しのようなものだと気付いた。密着した春子の体と無防備な寝顔は、俺の性欲を掻き立てる。耐えろ。耐えるんだ……。悶えるような感覚を抱え、その夜はほとんど眠れなかった。

 次の日は学校があったため、春子を朝早く家に帰した。

 

 その日から、春子の俺に対する立ち居振る舞いが少し変わったように感じる。前は子犬のように、全身で感情を表現していた。しかし最近は、そっと寄り添って、ただ幸せそうに微笑みかけてくるだけだった。

 

 

 

 いつも通り、春子と一緒に昼食を食べていた。最近の彼女は疲れた表情をしているという噂がある。クラスの連中は、どうしてか春子の噂を、逐一俺に報告してくる。春子を見ると、確かに目の下にクマがあった。だが特別体調が悪いようには見えない。夜更かしでもしていたのだろうか。

「別にしてないよ。でも最近ちょっと寝付きが悪くって……」

 春子は大きなあくびをして、寄りかかってきた。

「んー……落ち着くなー」

 本当に体が脱力しているのか、今にも倒れそうだ。そんな彼女の体を抱きとめる。

「なんでだろ……最近眠れなかったのにな……。よしと君に、ギュってしてもらったら……眠くなっちゃった……」

 嘘だろ。こいつまさか、俺がこうしていないと眠れないのか……? あの夜、彼女を抱きしめたまま一晩過ごした。春子はあの時と同じ、安心しきったような無防備な表情でうとうととしている。

「よしと君、あのね……浮気だけはね……駄目だから……。そんなことしたら……私……ちゃうから…………」

 そんなうわごとを言いながら眠ってしまった。別れるどころか、明らかに状況が悪化している。それに自分自身、彼女に少しづつ惹かれているのが分かる。

 それでも俺は春子とは歩めない。不釣り合いなカップルなんて、フィクションでなければ上手くいくはずがない。いずれ違える道ならば、早々に終わらせるべきだ。他人を巻き込むのはどうかと思い遠慮していたが、もう杏を頼る他ない。

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