朝の気温はだいぶ爽やかになり、彼女は薄手のパーカーを羽織っていた。屋内施設見学を想定し、バイザーや帽子は被っていない。
みんなが幾分眠そうな挨拶をする。
「今日はお世話になります」
「宜しくお願いします」
「お邪魔します」
早朝6時、中型セダンの自家用車に、四人の高校生が窮屈そうに詰め込まれた。見学会場まで約1時間半。途中高速道路を使用するので全員シートベルト着用をするのでなおさらキツい。
彼女の事情を聞いた父親は、最初僕たちが電車と当日見学用のシャトルバスを利用し訪問する予定だったのを、施設の所長さん(「デビジョン長」って言うそうだ)にお願いして見学開始前に入場できるようにしてくれた。大きな荷物を持って移動するのは他の来場者の中では迷惑になるかもしれないし、事情を知らない人からすると変な目で見られ兼ねない。最初の見学グループとして会場を回れれば、少しは目立たずに移動できると考えられたからでもある。
「貴重なゾイドだし、壊れたら大変だ」
趣味に関することとなるとつくづく仕事が早い。昨夜帰宅した父親は段ボールを加工し、中にスポンジと発泡スチロールの緩衝材を入れて、箱の上のふたがちょうど秘密基地からスーパーロボットが出撃できるような観音開きの輸送ケースを、わずか1時間ほどで完成させた。あの日、エリさんが修理を終えたアイアンコングを持ち帰った時に使った段ボール箱よりかなりコンパクトで、取っ手までついて運びやすくなっている。
父は目測でサイズを覚えていたらしい。朝、彼女から手渡されたアイアンコングは、ビームランチャーとマニューバスラスターこそ外したものの、両肩の幅と両足と腰の段差を含め見事に収納にフィットした。緩衝材のスポンジは、母親が通販で定期購入している化粧品の箱に封入されていたもので、「こんなことがあろうかと」普段父親が保管していたもの。短時間でこのレベルの輸送コンテナを作成できるあたり、さすが職人、と感心する。大人の実力を改めて思い知らされた。
アイアンコングの箱は、万が一の急ブレーキなどでゆれないように前後で固定され、トランクに入れられた。
「これで大丈夫ですよね」
「はい、本当にありがとうございます」
トランクに入れる時も、父親は彼女の確認の上で収納した。持ち込む理由は知っているので父も詳しく話しかけることはない。その辺はまさしく大人の対応だ。
「途中喉が渇いたり、トイレに行きたくなったりしたら遠慮無く言ってね」
小さく「ありがとうございます」「わかりました」などの声が後部座席から聞こえる。当たり前だが、僕が座るのは助手席だ。エリさんは後部座席の左側、押川は右側、そして一番小柄な泊さんが必然的にまん中に座る。
ところで、本来なら僕と女子二人での見学に、もう一人追加されていることにお気付きだろうか。
時間は巻き戻り、数学勉強会真っ盛りのころである。暇を見つけてはメールを送りつけて来る押川から、またも脈略なく「夏の思い出を作りたい」のメールが到着した。返信するのも面倒くさくてしばらく放っておいたところ、直接自宅の固定電話にかけてきやがった。
「なんで返信しないいんだよ!」
わかったわかったと生返事をし、やむなく携帯でかけ直す。
“俺、鈴木先輩に興味があって……”
確認しておくと、鈴木さんとは文芸同好会の会長として鎌倉旅行を企画実行した先輩だ。
「そうか、がんばれよ」
と、素っ気なく対応するも、何度もメールを送り自宅電話にまで連絡してくる程なので簡単に引き下がるはずもない。「どうだと思う、可能性はあるのかな。カレシいるのかな……」。
そんな接点も少ないキャラについて聞かれたところで答えられるはずもないだろう。でも無言を貫けばもっと面倒なことになりそうなので、一応テキトーに返答をする。
「鈴木先輩なんて、泊さん以上に文学オタクだろ。俺たちが(文学)話について行けるわけないだろ」
「そう思う。そう思うけど、可能性はゼロじゃないと思うんだ」
戦後教育の間違い(父親談)。「可能性はゼロではない」と「不可能性は百%に近い」は同列であって、押川は「努力すれば夢は叶う」の幻想を抱くという大いなる過ちに陥っていた。
その病状が進行した奴をなんと呼ぶか知ってるか、【ストーカー】って言うんだぜ、という言葉をグっと飲み込んで
「やめておけ」
と告げた。
そのあとまた延々と似たような話を聞き流し、適当にうんうんと答えていると、
「そういえば、泊さんとお前、勉強会してたんだってな。なぜ俺を誘わなかった、二人きりになりたかったのか、オマエらデキてるんか」
「どこで聞いた、それに二人きりじゃねーよ!」
言ってから(しまった)と気付くが、手遅れ。どうやら無警戒な泊さん本人から聞いたようだ。「じゃあ、誰だよ」の流れから数学の勉強会の説明になって、夏の予定になって、プールに行き損ねたことになって、そして粒子加速器の見学会になった。あとはお決まりのパターン。もはや鈴木さん(先輩)は関係ない。
まあ、腐れ縁とは言え一応友人だし、ここで女子二人だけを連れて行ったら、夏休み明けになんて言われるか面倒くさいので、男子高校生一名が見学者リストに追加されたわけでした。
過ぎゆく夏の終わりを惜しむように、朝早くからツクツクホーシが鳴いている。玄関先で見送る母親が手を振っている。母の生温かいまなざしは、(なんであんたが彼女の隣に座らないの)と語っていた。
一般道を抜け、車はインターチェンジへ。
休日の早朝なのと、下り方面の高速道なので、次第に交通量は減っていく。
最初は借りてきた猫みたいに黙っていたが、やっぱり口火を切ったのは無警戒な文学少女の泊さんだった。
「これから向かう紫峰のふもとは、古代ヤマトタケルが起源とされる連歌発祥の地で、二条良基の連歌集が有名なんです」
「レンガ発祥? その頃からあったんだ」
押川、多分違うぞ。
「他にも陽成天皇の和歌に
「合い挽きか……うんうん」
それも多分違うぞ。
「そういえば、明くん」
今度は彼女が尋ねてきた。
「前にクォークは9種類あるって教えてくれたけど、調べたら6種類しか無かったの。アップ、ダウン、トップ、ボトム、チャーム、ストレンジ。他の三つって、もしかすると新しい素粒子?」
えっ、そこまで調べてたの。僕だって聞きかじった知識しかなかったので詳しくはない。
「あきら、そんなこと教えたのか。間違ってるぞ、彼女さんの言うようにクォークは6種類だ」
助け船、というかフォローに入ったのは外ならぬ父親だった。
「彼女さん、仰るようにクォークは6種類。詳しくは予備知識を増やしてもらわないと説明しづらいが、それを究明するのがこれから行く加速器なんです。
おおかた彼女さんへの格好付けに、付け焼き刃の知識を披露したんでしょう。許してやってくださいね」
「……彼女さん」
そこを拾うな押川。
「父さん、カノジョさん、は止めてくれよ。柏崎さんだよ」
「ああ、そうか。柏崎さんだったな」
「……いえ、明くんにはいつもお世話になってますから、お気になさらずに」
泊さんは専門外の素粒子物理学に振られて静かになっている。僕は少し気まずくて振り向くことが出来ない。
車内が妙な沈黙に包まれたとき、彼女が膝に乗せたバッグからCDケースを取り出した。
「よければこれをかけてもらえますか。みんなに聴いて欲しいから」
運転席と助手席の間から、パーカーからスラリと伸びる彼女の真っ白い二の腕。CDを受け取る時、少しだけ白い指に触れた。
ジャケットには【レベッカ】のアーティスト名。アルバムタイトルは『ブロントサウルス』。鎌倉旅行で話に聞いた、あの曲のアルバムだった。密かにゾイドのBGM集を予想していた僕だが、さすがに違った。押川も泊さんもまだ聴いていなかったし、父親は「懐かしいねえ」と言いつつコンソールのCDプレーヤーに挿入する。
J※SR※Cだかア※ラックだか知らないが、歌詞を記入するといろいろ面倒なので書かない(書けない)。
運転に支障が無い音量で、若干甲高い90年代のボーカルが車内に響いた。
それが、彼女の母親のお気に入りの曲と知っているのは僕たち二人だけなので、それぞれの反応は薄いが、それで良かった。
彼女の母親が見たかった紫峰のふもとにある粒子加速器を、お気に入りだった曲を聴かせながら向かおうと思っているのだろうか。泊さんは泊さんで「……これが『楢ノ木大学士の野宿』の恐竜の歌ね」と反応するし、押川は押川で「ベッキー……」と反応している。いや、それも違う。
ノスタルジーとは異なる、それでいて夏の思い出を刻む歌をBGMに、窓の外を雄大な紫峰が流れていった。
7時半に会場到着。テロ対策、だそうで、テトラポットを小さくしたようなコンクリートブロックが並べられたゲートを、障害物を避けて車はジグザグに進む。
守衛さんに許可書を提示し、一緒にボードに挟まれた名前を書く紙を渡された。記入を終え駐車場に案内される。まだ開場前で、父親を含め見学者扱いなので、普段利用している駐車場とは違ったそうだ。
広大な敷地には緑地が広がっていて、ところどころに変電所のような施設と、ガラス張りのいかにも「研究施設です!」という風体の建物が建っている。きれいに刈り込まれた芝生に残暑の陽射しが降り注ぎ、まだ夏は終わっていないと主張している。
手続きをしてくると言って、建物の一つに父親は入っていった。その間僕たちは、これから始まる施設見学イベントのために設置された簡易テントの折りたたみ椅子に座って待つことにした。
段ボールのケースは、一見ペットを運ぶケージの様だ。揺れてもカタカタと音がしない設計に、彼女も安心して大切な荷物を手にしていた。
施設を眺望し、
「あれがビームライン」
と、彼女が語尾を上げながら呟く。
「たぶんそうじゃないかな、円型粒子加速器の。でもライン自体は地下にあるはずだけど」
「絵梨はいつの間に調べたの?」
泊さんはいつも僕が聞きたいことを聞いてくれるところが大好きです(※著者も大好きです)。
「だって、荷電粒子砲の原理だもの。折角ご招待してくれたんだし、それに面白いよ、物質の成り立ちがどうなっているのかを調べるのって」
「家電リサイクル法ならわかるぞ」
少し黙ろうか、押川。
ふと彼女を見ると、ケースの蓋を開け、中のゾイドを確認していた。
「……お母さんのノートに書いてあったんだ」
ゾイドのVHSと一緒に入っていたメモ書きのことだろう。それにしても、彼女のお母さんスゲー!
「素粒子物理学まで」
「高校の物理Ⅱの教科書の終わりの方に載っていたんだ。よっぽど興味があったんだね」
なんだろう、その話を聞いて、僕は次第にモヤモヤとした何かが湧き上がって来ていた。
洒落にならない感情、これがジェンダー差別という奴か。
彼女の母親は、その両親からも技術系の進路選択を諦めさせられたという。
ゾイドが好きということで、友達もできなかった。
【女らしく】という呪縛の悔しさが、僕にも伝わってくる。
誰にも邪魔されず、のびのびと数学の勉強ができる僕とは大違いだ。
そんな煮え切らない感情とは無関係に、手続きを終えた父親が多少速足で戻ってきた。
「施設内見学ツアーは今から30分後からになる。それまでエントランスで解説を聞いてみてくれ。解説員にとってもリハーサルになる。君たちは半分お客さんで半分関係者みたいなものだからね」
「はい、ありがとうございます」
率先して返答したのが彼女だった。社交辞令などではない、本当に嬉しそうな様子で。
本当に良かった。彼女をこの見学会に招待してあげて。入学直後、赤いスマホに視線を落とし、少し寂し気な姿をしていた姿はどこにもない。
何にでも興味を持つ泊さんと彼女が嬉々として(暗黒大陸の上陸地点ではない)エントランスに向かい、その女子の姿を押川が嬉々として追う(この表現アブナイ)。
吹き抜けの明るい空間に入った瞬間、僕たちは息を呑んだ。
直径5mはあろうかという正八角形の構造物。八角形の表面には無数のコードやケーブル、その他理解できない無数の紋様が刻まれている。
幾何学的なデザインはそれが飾りではなく、全て意味を成す存在であり、ぎりぎりまで機能を集約した芸術品でもあった。
「これがこれから見学する大強度粒子加速器、【パーシヴァル】の1/4縮尺モデルだ」
「よんぶんのいち!」
四人の声が揃う。
実物はこの四倍。僕たちのテンションは否応なしに盛り上がっていった。