IS〔ツイン・ソウルズ〕   作:犬吉

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第20話  ”本当に”伝えるということ

シャルロットはピットへと向かっていた。

春斗との通信履歴(ログ)が、リヴァイヴに残されていない事に気付いたのだ。

それは裏白式からの通信である事を悟られない為、春斗が細工を仕掛けた結果だったのだが、シャルロットにとって、それは大きな喪失感をもたらした。

 

一度触れてしまったそれが、掌から零れる様な―― 恐怖に近い感覚。

 

急がなければ。その熱が消えてしまう前に。

その焦りが、シャルロットを走らせた。

 

モニタールームの扉が開くや、シャルロットは飛び込むように駆け込んだ。

「織斑先生ッ! 春斗は……春斗は何処に!?」

そのまま千冬に駆け寄り、縋るようにその胸ぐらを掴んだ。

普段のシャルロットでは考えられないような、命知らずな暴挙に、その場にいた全員がギョッとした。

「っ………落ち着け。生憎だが、あいつはここに居ない」

千冬は一瞬だけ驚いたような素振りを見せるが、すぐにその手を外す。

「そんな筈ありません! それなら、春斗があんなタイミングで通信を入れられる訳がないです!!」

箒の危機に駆けつけたかのような通信。その後のISのエネルギー移譲に於けるデータ処理。

それらを考えれば、アリーナの何処かに春斗が来ていると考える事は自然だった。

 

何より春斗は一夏の兄で千冬の弟。関係者として招かれていてもおかしくはない。

「春斗は居ない」

だが、千冬はそれをもう一度否定した。それでもシャルロットは食い下がる。

「……だったら通信履歴(ログ)を! ピットにも通信しているのだから、それを……!!」

「そ、それが……残ってないんですよ……」

「えっ……?」

シートに座る真耶が、気まずそうな表情で振り返っていた。

「残ってないって……どうしてですかっ!?」

「その……通信自体に強固なプロテクトと、何重もの偽装がされていて……ていうか、IS学園のプロテクトより強固ってどういう事ですかぁ!?」

「山田君。あれは、プログラム構築に関してならば束にも比肩する。考えるだけ無駄だ」

「た、束って……篠ノ之博士の事ですかっ!? そ、そんな凄い弟さんがいるなんて……流石は織斑先生ですね」

何が流石なのか意味不明だが、真耶はウンウンと頷いている。

 

そんな真耶はほっといて、千冬はシャルロットにキッパリと言い切る。

「そういう事だ。通信履歴(ログ)はないし、此処にあいつも来ていない、諦めろ」

「でも、だったら……そう、織斑先生から春斗に……!」

「それも出来ん。あいつが態々、プロテクトや偽装を施す意味を考えてみろ」

「っ……! でも、それでも……ッ!!」

「―― 悪いがこれ以上、子供(ガキ)の我侭に付き合う気はない。山田君、すまないがここを頼む」

「あ、はい。分かりました」

千冬は真耶にそう告げると、邪魔物を退かすようにシャルロットを押しやり、モニタールームを出た。

これ以上話す事は無いと押し切られ、シャルロットはその背を追うことが出来ずに、立ちすくんでしまった。

「………」

ドアが閉じ、異様とも言える沈黙がモニタールームを支配する。

誰もが口を開き、声を発する事を躊躇った。

しかしその視線と意識は、俯き、溢れ出てしまいそうになる何かを必死に押さえるように拳を握る、シャルロットに向けられていた。

どれ程そうしていただろうか。やがて、シャルロットは火が消えたようにフラフラと、モニタールームを退出した。

 

何処をどう歩いてきたのか、シャルロットは着替えもしないまま、気が付けばアリーナの客席に来ていた。

グラウンドでは、先の調査と後始末とで、教師と警備担当員が忙しなく動いているが、彼女のいる客席には人は疎らだった。

 

「どうして……どうして、こうなっちゃったのかな……?」

首から下がるネックレストップ―― R‐リヴァイヴ・カスタムⅡの待機形態を、ギュッと握り締める。

 

なまじ触れてしまった優しさが、今はとても辛い。

あの声を聞きたい。もう一度、あの声でシャルロットと呼んで欲しい。

 

日が傾き始め、風が徐々に冷たくなってくる。

この場にいても仕方ないと、シャルロットはロッカールームへと向かった。

 

着替えを済ませ、陰鬱な気持ちのまま、寮への道を歩いて行く。

足が、重い。

僅かな距離の筈の道程が、千里の彼方にも感じられる。

この感覚をシャルロットは知っていた。デュノアの本家に引き取られた頃の、あの感覚だ。

非公式のテストパイロットをしていた時、屋敷という名の冷たい牢獄に帰る為に何時もこの”道”を歩いていた。

 

時間にすれば、一年程度前の事。なのに、それは果てしなく遠い記憶のように思えた。

それだけ春斗のくれた時間が温かく、そして幸せであった事の証だった。

自分を孫のように可愛がってくれたデュアン・ヒューイック博士。その助手で、自分にとって姉のような存在のフィリー・ミヤムラ。

公認の第三世代ISテストパイロット、そして代表候補生となってから知り合った多くの人達。

同じ年頃の同性はいないし、訓練も厳しかった。だけど、それ以上にとても幸せだった。

母を失って孤独となった筈なのに、しかし今の自分の周りには、それを埋めて余り有るだけの想いがあった。

だが、それは春斗がいたからこそ得られたものなのだ。春斗がいなければ、今もデュノアの家に縛られたままだったろう。

流れてきた厚い雲が、夕日を覆い隠す。まるで、今のシャルロットの心を現すかのような、そんな光景だった。

 

 

―― ピンポンパンポーン。

 

 

『一年一組、シャルロット・デュノア。至急、生徒指導室まで来るように。繰り返す――』

 

「……織斑先生?」

低く、抑揚のない声は、聞き違いでなければ千冬の声だ。

今さら何を。そう思いつつ、寮へと向いていた足を校舎へと変えた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

生徒指導室に、学園内放送を終えた千冬が戻ってきた。

「姉さん、やっぱり……ダメなの?」

「あぁ。これは、保護者である私の義務だ」

春斗が、自身の事をシャルロットに語ると決意したのを、千冬は何とか覆そうとした。

だが、頑として春斗はそれを聞かず、仕方なく千冬は折れた。

その交換条件として、千冬は「説明を自分がする」と言ったのだった。

そうでないなら、”何があろうと”許可できないと宣告までした。

『何があろうと』という部分には勿論、武力行使さえも含まれているのは当然である。

口では何とかなっても、腕力を振るわれては敵わないと、春斗はその条件を呑んだ。

『なぁ春斗、本気なのか……?』

『本気だよ。冗談でこんな事、出来るわけ無いだろう?』

心配する一夏に、春斗は肩を竦めてそう返す。

そんな事は一夏も分かっている。

だが、春斗は最近も不安定になったばかりだ。もしも何かしらの強いショックを受けてしまったら、それを引き金にして、春斗の意識が崩壊してしまうかも知れない。

肉体がないという事は、自らを形作るのはその意識のみである。それは果てし無く脆く、とても弱いものなのだ。

 

だからこそ心配で、一夏と千冬、鈴はこの件に反対だった。

『なぁ、今からでも間に合うぞ? 通信とかで誤魔化せるんじゃないんか?』

『―― 一夏。君は、強くなったよね』

『……? いきなり何だよ?』

『今日の試合さ。一夏は自分の強さだけで、ラウラに勝った。自分の想いを、意思を貫き通したんだ……本当に凄いよ』

『だから、何を言ってんだよ!?』

『僕はね一夏……絶対に、一夏には負けたくないんだ』

『っ……!?』

思わぬ言葉を言われ、一夏は息を呑んだ。

春斗が―― 天才、神童と言われ、多くの才能に恵まれた人間が、それと比較すれば普通でしかない自分に負けたくない、そう言ったのだ。

『一夏は”彼女”に言ったよね? 強さは、自分がどう在りたいかを常に思うことだって……僕もそう思う』

『………』

『僕はずっと怯えていた……拒絶されることを、自分を否定されることを……』

『そんなの当たり前だろ? 誰だってそうだ。それが、自分が消えちまうかも知れないってなったら……尚更じゃないかよ!?』

『でも、それじゃあ何も変わらない。一夏がいなきゃ何も出来ない……そんな自分のまま、消えたくなんてないよ』

『春斗……』

『タイムリミットまで……後、三年しかないからね』

『そうか……もう、半分も使っちまったのか……』

MSS(マインドサルベージシステム)による意識移動には、様々な条件が必要だ。

その内の一つが、対象の年齢制限。

移動対象と受付対象の年齢差と共に、未熟な年齢である事が条件であった。

逆に言えば”年齢が上がるまで”しか、その状態でいる事は出来ない。

それ以上は、一夏の意識にも悪影響を残してしまう。

タイムリミットの目安は――― 一夏が、IS学園を卒業する時まで。

それを迎えた時、春斗の意識は肉体に戻されたままにされる。つまり、もう二度と目覚める事はない、という事だ。

『”他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ”』

『何だ、それ?』

『イギリスの冒険家、ラポックの言葉だよ。今の僕は、去年の自分ときっと何も変わっていない……一夏と違ってね』

春斗はそう、自らを嘲笑した。

『今の状態は”安定”と言えば聞こえは良いけど……”停滞”とも言える。記憶書込(メモリーコピー)も、追体験(アップロード)も、一夏に大きな負担を強いる。なのに、自分だけ安全な所にいるのは……卑怯者の行いだよ』

『………』

『傷つく事を恐れるな。それを恐れるならば、何も変えられないし、何も変わらない』

『今度は誰の言葉だ?』

『by 織斑春斗』

『お前かよ!?』

絶妙のタイミングで一夏のツッコミが入った。思わず噴き出してしまいそうになる。

『それにさ、僕も”彼女”に偉そうな事を言った手前、がんばらないとね。信じてもらえなくても、それは最初から覚悟しているし……大丈夫、耐えられるから』

『……分かった』

そして、指導室のドアが開いた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

シャルロットが指導室に足を踏み入れると、そこには千冬だけでなく一夏の姿もあった。

指導室の真ん中辺りには長テーブルが置かれ、向かい合うようにして四脚の椅子があった。

その一つに千冬は座っており、一夏は腰を下ろさずに壁に寄り掛かっていた。

「来たか。適当に掛けろ」

「……はい」

一夏も居るという事は、ラウラの一件の聴取なのだろうか。だが、それは明日行う事になった筈だと思いだした。

ならば一体、こんな所に呼び出してどうするつもりなのか。シャルロットには分からなかった。

言われるまま、シャルロットは席に着く。

千冬は厳しい表情で腕を組んだまま動かず、シャルロットは俯き気味に、両手を膝の上に乗せていた。

「………」

「………」

沈黙。向かい合ったまま、何方も言葉を発しない。

カチ、カチ、と秒針だけが、時間が流れていることを教えるように音を響かせていた。

一夏はその様子をただ、じっと見守っていた。

やがて千冬は腕を解き、両肘をテーブルに付いて指を絡ませるように組んだ。

「……デュノア」

「……はい」

少しだけ、顔が上がる。

だが、何時ものような明るいシャルロットの姿はそこには無く、まるで火の消えた灯台のように暗かった。

「ここに呼んだのは……お前に用があったからだ」

「……何ですか?」

「お前は春斗に会いたいのか?」

「っ!? それって……どういう……?」

「会いたくないのか?」

「………会いたいです。会って、話したいです……!!」

シャルロットは叫んでいた。今までの暗かった顔に、一瞬で明かりが灯る。

「……今から三年前の一月だ」

「……?」

突然何を。と、シャルロットが首を傾げた。

「今も良く憶えている。その日は雲一つ無い、澄み切った蒼空だった……」

「……何の話ですか?」

意味が分からないと、シャルロットは訝しんだ表情を見せる。

だが、それを無視して千冬は続けた。

「当時、まだ現役だった私は、第二回モンド・グロッソの為に訓練をしていた。その私の下に、一つの知らせが届けられた……」

千冬は深く息を吐き、天を仰ぐ。

「それは、春斗が倒れ意識不明になったという………悪夢の様な知らせだった」

「っ……!?」

その名を聞き、シャルロットが息を呑む。

「原因は不明。一切の治療が効果をなさない中……春斗は、緩やかに死へと向かっていった」

「………」

何を言っているのか、何を言わんとしているのか、シャルロットには理解できない。

「そんな中で唯一の、そして最後の手段として用いられたのが……MSSだ」

「MSS……?」

「正式名称【マインドサルベージシステム】。対象の意識をサルベージし、移すことの出来る装置だ。それによって、春斗の意識は回収され、別の器に移された」

そうして千冬は、一人の少年を指差した。シャルロットの視線が、ゆっくりとその先へと向けられる。

「い、ちか……?」

「春斗は……今もそこにいる。一夏の中に」

「っ――!?」

そして、”春斗”はシャルロットに向かって、小さく頷いてみせた。

しばらく呆然としていたシャルロットが、ポツリと呟いた。

「………うして?」

「シャルロット、僕は……」

春斗が続きを紡ぐよりも早く、それは響いていた。

 

「どうして………そんなウソを吐くんですか!?」

 

「ッ……!?」

ズクン。という衝撃が春斗を襲う。重く、心底まで響く鈍痛に体が崩れ落ちそうになるのを、必死に堪える。

「会わせられないって言って、それで呼び出しておいて、それが……その理由が、こんな下らない作り話をするためですか!?」

シャルロットは激昂し、テーブルを強く両手で叩く。

「っ……!」

「違う……千冬姉さんはウソを吐いてない……僕は……」

「人の意識を移すとか……そんな事、出来る訳がない!! 大体、それならどうしてあの時、春斗の声が聞こえたんですか!? 僕は確かに聞いた、春斗の声を!!」

「………」

「あれは……ISの……」

春斗は何とか説明しようとするが、余りにも弱々しい言葉しか出ず、全くシャルロットに届かない。

そして千冬の表情が、冷徹な怒りに染まっていく。

それに気付かず、シャルロットは更に感情のまま叫び続ける。

「会わせられないって言うなら、さっきみたいに言えば良い! 僕は代表候補生で、春斗は政府の保護対象なんだから……それで良いですよ! 納得しますよ!! なのに、こんなウソまで吐くなんて……幾ら何でも酷過ぎる……!」

いつしか、シャルロットの瞳からは涙が零れていた。

期待を裏切られたという想いと、混乱する頭とが混ざり合い、複雑にねじ曲がっていく。

「シャルロット……」

「一夏………ひどいよ、こんなの……」

「っ……違う、僕は……春斗……」

どうにか分かってもらおうと、春斗は必死に呼びかける。だが、それは全く届かない。

「まだ、ウソを言うの……!?」

「っ……!?」

グサリと、突き刺さる。

事実、春斗は彼女に嘘を吐いていた。その言葉が突き刺さらない筈がない。

「―― もういい、黙れ」

「ッ――!!」

いつものプレッシャーよりも遥かに恐ろしく、そして冷たい一声に、シャルロットがビクリと肩を震わせた。

千冬の瞳には、殺意にさえ似た激しい怒りが満ちて光っていた。

「デュノア、今した話は全て忘れろ」

「………」

冷淡に、冷酷に、シャルロットに告げる。

「そして、二度と春斗の名を口にするな。私がそれを絶対に許さない」

今までの怒りも、全て打ち払って消し去る―― 本当の激昂。

「っ………!」

シャルロットは椅子を押し倒して、指導室から飛び出した。

「シャルロットッ!?」

春斗がその名を呼んだ一瞬、閉じられるドアの隙間で視線がぶつかった。

「っ……!」

その顔を、春斗は見た事があった。

 

「…… 一夏、春斗は?」

「多分……《海岸》だと思う。大丈夫だって言ってたけど……」

シャルロットのいなくなった指導室は、何処までも空気が悪かった。

「……やはり、デュノアも他人でしかなかったか」

「俺は……シャルロットならって思ってたんだけどね……何つーか、ままならねえな……本当」

倒された椅子を直しながら、一夏が苦笑する。

春斗の意識が沈んでしまっては、千冬にはどうするも出来ない。

同じ体を使う一夏には、背を押してやることも、肩を抱いてやる事も出来ない。

「本当に……ままならんな」

千冬は、憔悴したように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「はぁ……」

鈴は寮の自室のベッドに転がって、天井を見上げていた。

時間が流れるのが、異常に遅い気がする。

今後の授業の予習をしようとするも集中できず、教材はデスクに投げっぱなしにされている。

 

原因は分かっている。春斗の事だ。

今頃、春斗はシャルロットに、全てを打ち明けた頃だろうか。

 

あの日、新年初めての弓道の大会があった。

春斗は験担ぎにと、篠ノ之神社に向かってから来るというので、先に一夏と二人で会場に来ていた。

だが、もうすぐ大会開始という時間になっても、春斗は現れなかった。

やがて大会は開始され、その時になってようやく、一夏と鈴は春斗が倒れ、病院に搬送されたことを知った。

そこにあったのは、生命維持装置によって何とか生き長らえる春斗の姿。

朝に会った時はとても普通だった。何時ものように三人で、神社の前で別れるまでずっと一緒で。

どうしてあの時、別れてしまったのだろうか。

別れずに一緒にいたなら、もしかしたら春斗を助けられたかも知れない。

そう思うと、今でも胸が苦しい。

「……あぁ、もう!」

陰鬱になりそうな心に活を入れるように、ベッドから跳ね起きる。

こういう時は気分転換だ。

シャワーを浴びてスッキリとしよう。そうしたらロビーにいって、自販機で冷たい物でも買って飲もう。

そう決めると、鈴は早速行動に移した。

 

ロビーのソファーに座り、オレンジ味の炭酸飲料をゴクゴクと飲む。

柑橘系の味と香りに混じって、痛烈な刺激が食道を抜けていく感覚は炭酸飲料の醍醐味だ。

「ぷはぁ……っく」

そして、ゲップが出てしまうことも醍醐味。一夏(いせい)の前ではとても出来ないが。

ふと、窓の外を見やる。

日はとっぷりと沈み、しかし分厚い雲がそれを見せることはない。

時間的に見ても、一夏らはもう帰寮しているだろう。

心配している訳ではないが、鈴は春斗の様子を見に行こうかと立ち上がった。

「――ちょいさ」

「へぐっ!?」

お団子頭(シニヨン)に纏めた髪をいきなり引っ張られ、「グキッ!」という嫌な音がした。

 

一体誰がこんな事をと、首を押さえながら振り返る。と、そこには千年忍者の末裔がいた。

「織羽ぁ……あんた、何すんのよ!?」

「いやいや、珍しいお団子があるなと思って手にしてみたら、あんたの髪の毛だっただけよ?」

「そんなのが、通じると思ってる……?」

「ううん、全然」

このやろう、喧嘩売ってのか? だったら買うぞ? こちとら機嫌が絶好調に悪いんだぞ?

などという内心を一欠片も漏らさず、鈴はオレンジジュースの空き缶をゴミ箱に向かって放り投げた。

「……あれ?」

何時もならばムキになって掛かって来るのに、そうならない今日の鈴に、織羽は首を傾げた。

「もしかして………あの日?」

「違うわよッ!!」

顔を赤くして、鈴は即刻否定した。

あの日がどの日かは、個人の想像の翼に任せる事にする。

「じゃあ、あれ? 織斑君が元気無かったのと、関係ありとか?」

「っ!? それ、どういう事……!?」

「いや、さっき帰ってきたから声を掛けたんだけど……何時もと違って、随分と元気無かったから。まぁ、試合がまた滅茶苦茶になっちゃったし、そうなるのも無理ないかもね〜」

「っ……!」

織羽の言葉に、鈴は嫌な予感がした。

「織羽、シャルロットってもう戻ってる!?」

「えっと……とっくに帰ってきてる筈だけど?」

「ありがとっ!」

言うが早いか、鈴はそのまま廊下を走って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

駈け込むようにして、寮の自室に戻ったシャルロットは、制服を脱ぎ捨てて部屋着のジャージに着替えると、そのままベッドへと飛び込んでいた。

言葉に出来ない苛立と、モヤモヤする心と、千冬の本気の怒りとそれに感じた恐怖が、シャルロットの全てをグシャグシャにした。

ドロドロに混ざり合った感情が吐き出し口を求めて、グルグルと体の内側を目まぐるしく蠢く。

「っ……」

ギュッと枕を抱き締め、顔を押し付けて嗚咽する。

分からない。何もかもが分からない。

自分は間違い無く、春斗の声を聞いたのだ。

その時、一夏は目の前にいて、一夏も春斗と話をしていた。

つまり、千冬の言ったことは嘘なのだ。

そんなすぐバレる嘘を吐いてまで、諦めさせたいのか。

 

「ッ………!!」

 

そう、あれは嘘だ。絶対にそうなのだ。

「もしや」「まさか」などという考えが過る度、強く否定する――なのに。

 

「どうして……!」

 

ドアが閉じる瞬間に見えた――とても、悲しそうな、寂しそうな一夏の瞳。

「どうして、頭から離れないの……っ!?」

 

「―― シャルロット・デュノアッ!!」

「っ!?」

ドアが派手な音を立てて開かれる。

何事かと思い、シャルロットが顔を上げると、そこには鈴が厳しい表情で立っていた。

「……凰さん?」

「あんた……あいつに何したの?」

「……?」

「全部、聞いたんでしょ……春斗の事を……!」

シャルロットは鈴の言葉に、「あぁ、そういう事か」と思った。

彼女も、千冬からあの話を聞かされているのだ。そして、自分にもその話をした事も知っていて、だから態々部屋までやって来たのだ。

本当にもう、何もかもが面倒くさい。全てがどうでも良くなってきた。

そんな、普段は抱きもしない投げやりな気持ちが、彼女の口を自然と動かしていた。

 

「もしかして……凰さんは、あんな嘘を信じてるの?」

 

自分でも驚くような、余りにも酷い言葉。こんな自分がいるなんて知らなかった。つい、苦笑してしまう。

だからといって覆水は盆に返らず、吐いた言葉は無くなったりしない。

 

「ッ―――!?」

 

その瞬間、シャルロットの左頬は強い衝撃に襲われていた。

 

 

鈴は、内心の苛立と不安を必死に抑えていた。

肉体を失ってから、春斗は友人にも会うことは出来ず、何事もなければ通っていた筈の、送る事の出来た筈の学生生活の全てを失った。

言葉を交わせるのは、その経緯を知る者だけ。不安と孤独の中で、只管に生きなければならなかった。

何度も不安定になり、崩れそうになって、それでも何とかここまで無事にやってこれた。

その春斗が初めて変わろうと、誰かに自分を見せようとした。

「――もしかして、凰さんはあんな嘘を信じてるの?」

だから、シャルロット・デュノアがそう口にした瞬間、怒りが一瞬で限界を超え、視界が真っ白に染まった。

 

「フーッ!フーッ!」

気が付けば、興奮に鼻息荒く、ギリギリと握り固められた右拳が突き出されていた。

そしてベッドに居た筈のシャルロットは、その向こう側へと落ちていた。

ジンジンと、拳が痛い。

そこまで行って鈴はようやく、自分はシャルロットを殴ったのだと理解した。

シャルロットは殴られた頬を押さえながら、呆然と鈴を見上げていた。

「ッ……!」

その顔に、鈴の怒りが再び発火した。

「あんたはぁッ!!」

シャルロットの胸ぐらを掴み、力尽くで引き上げる。

「あんたは、あいつがどれだけの想いで打ち明けたか分かってるの!? 春斗は、あんたを信じようとしてたのに!!」

「っ……信じられないよ!!」

掴んでいた手を弾かれる。キッと睨み返されてその上、逆に胸ぐらを掴まれる。

「一夏の中に春斗がいる!? 意識のサルベージ!? そんなバカみたいな話を誰が信じられるもんかっ!!」

あぁ、そうだ。人の意識はそんな簡単に、ホイホイと動かせたりはしない。

普通なら、あり得ない話だろう。

いきなり信じろと言われて、信じる方がどうかしている。だからきっと、この怒りは理不尽なのだ。

だがそれでも―― それでも、言ってやらなければ気が済まない。

鈴は更に強い力を込めて、シャルロットの胸ぐらをもう一度掴んだ。

「春斗は今まで、誰にも打ち明けた事なんて無かったわよ! なんでか分かる!? 誰にも信じてもらえないからよ!!」

声が上ずる。怒りが沸点を超えて、ボロボロと、瞳から熱い雫となって零れ落ちていく。

「あたしはその時、その場にいたのよ! だから知ってるの!! あいつが自分の事を打ち明けたのは……シャルロット、あんたにだけよ!!」

「っ……!?」

「あんたに分かる? 自分が、自分じゃない体で目覚めた時の恐怖が……? あんたに理解できる? 機械に繋がれて、眠り続ける自分の姿を見た、その絶望が……? 気が狂いそうになって、暴れ叫んだあいつの苦しみが……あんたに分かるっ!? 分からないでしょっ!!」

分からせてやる。こいつがどれだけ無慈悲で、残酷な事をしたのか。骨身にまで分からせてやらなければ気が済まない。

「あいつは言ってた! シャルロットは『体を失ってから出来た、唯一の友人』だって、『彼女に救われてきた』って! だから、『約束をちゃんと守りたいんだ』って!!」

鈴の痛々しいまでの叫びに、シャルロットは愕然とした。何時の間にか、鈴を掴んでいた手から力が抜けていた。

鈴もまた、その手をシャルロットから離していた。支えのない体は、ガクリと崩れ落ちる。

そうして俯き、打ちのめされたシャルロットに、鈴は言い放った。

「もう二度と……あいつに関わらないでッ!」

踵を返して、鈴は部屋を出て行った。

部屋に残されたシャルロットは、無意識に頬に触れていた。

全身は熱が無くなったように冷たくなっているのに、そこだけが異様に熱かった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「はぁ……」

着替えを終えた一夏は、疲れきった体をベッドに投げ出し、これで何度目か分からない溜め息を吐いた。

あれから何度呼び掛けても、春斗は返事を返さない。

存在を感じることが出来るので、消えてしまったのではない事は分かる。

それに、一夏からの呼び掛けは聞こえていない訳もない。

つまり、あえて返事をしないのか、それとも出来ないのか。

どちらにせよ、それ程に痛烈なダメージを受けているという事だ。

 

 

『春斗……大丈夫だって。色々と急過ぎて、シャルロットもパニックになっただけだって』

『………』

『聞こえてるんだろ? 「あぁ」でも「おう」でもいいから、何か答えろって……』

さすがに返事が無いと、些か不安にもなる。今は、一声だけでもリアクションが欲しい。

 

―― ドンドンッ!

 

「ん……?」

ドアが叩かれるけたたましい音が響く。

誰だろうかと、一夏はベッドから体を起こした。

「誰……っ!?」

鍵を外してドアを開けると、小さな影が飛び込んできた。その不意打ちに、一夏は尻餅を付いてしまう。

「り、鈴……っ?」

「一夏、春斗は!?」

「え? いや、奥にいるけど……」

「そう、分かった!」

鈴はそう言うやドスン、と一夏の胸に頭を預けて、両手をその背中に回した。

「いぃっ……!?」

突然の事に一夏は驚き、間抜けな声を出してしまう。

「―― 春斗、聞こえてるでしょ!? 聞こえてるなら返事しなさい! 聞こえなくても返事しなさいッ!!」

「っ……」

どこかの教師のような無茶苦茶な理論を叫ぶ鈴。だが、その声はただ何処までも必死で。

「あんたはここに居るのよっ! 世界中の誰もがあんたを否定しても、あたしが何度でも言うから!! あんたはここに居る!! 存在してるのよッ!!」

背中に回した手がギュッとシャツを掴む。

「いい、そのまま消えたりするんじゃないわよ!? 消えたりしたら……引き摺り出してでもぶっ飛ばすからねっ!!」

「鈴……お前……」

「だから、そんな所でウジウジしてないで……さっさと出てこい、この大馬鹿野郎っ!!」

 

「………ははっ」

 

”一夏”の腕が伸びて、そっと鈴の体を抱きしめた。

「っ……!?」

驚いて顔を上げると、そこには一夏とは違う微笑みを浮かべる男がいた。

「本当に”鈴ちゃん”は……無茶苦茶言うね……?」

「………うっさいわよ、このバカ! 無駄に心配掛けさせるんじゃないわよ」

「……ゴメン。それと……ありがと。聞こえたよ、鈴ちゃんの声……あの時みたいに」

「ッ……!!」

春斗はそのまま、鈴の頭をそっと撫でる。

「あの時は、僕が鈴ちゃんにこんな風に抱かれていたっけ……」

「あの頃はまだ、背の大きさだって違わなかったし………ていうか、あんたらがデカくなり過ぎなのよ!」

「いや、大きくなったのは一夏だから……それと、一夏の身長は男子高校生の平均値より少し高いぐらいで」

「ほほう……? つまり、あたしが”色々小さい”と……?」

「いや。そこまでは誰も言ってないっててて〜〜〜っ!?」

ギリギリと頬を抓られ、春斗が悲鳴を上げる。それでも容赦なく、鈴は更に頬を抓った。

「あたしだって、好きでこんなやってる訳じゃないのよ! ロリだのフラットだの……そんなの纏めて、ドイツの眼帯娘にくれてやるわよ!!」

「いや、そうしたら鈴ちゃんのアイデンティティーが崩かいててててっ!?」

「ナニカイッタ……?」

「言ってまへん、言ってまへんから……はなひて……!!」

「だ〜め。まだまだ、反省しなさい……!!」

涙目で解放を訴える春斗だったが、ここぞとばかりに鈴は攻勢を緩めはしなかった。

 

そうしてどれほどかの時が経ち、春斗はヒリヒリと痛む頬をさすりながら、しっかりと立ち上がった。

「やれやれ……酷い目にあったよ」

『ていうか、俺の体なんだぞ? 鈴、そこんとこ忘れてただろ!?』

「うっさいわよ。……それで、”アイツ”の事はどうするのよ?」

 

―― アイツ。

 

敵意を込めてシャルロットをそう呼ぶ鈴に、春斗は少しだけ寂しそうに苦笑した。

「そうだね……もう一度、話してみるよ」

「なっ……!?」

春斗の言葉に、耳を疑った。

あれだけ深くダメージを受けたのに、更にシャルロットに言おうという事が、鈴には信じられなかった。

「あんた、バカじゃないの!? また嘘つき呼ばわりされるのが関の山よ!?」

「う〜ん……そうかも。でもね、それでも構わないよ」

「何でそこまで……!?」

「ちょっと考えてみたんだ……どうして鈴ちゃんの声は、”こんなにも聞こえた”のかって……」

眼を閉じて思い返し、そして気付いた。

「僕は……”本当に”分かって欲しかったのかな?」

「どういう意味よ?」

「僕はさ、分かってもらえなくても仕方ない。伝わらなくても、仕方ないって思ってたんだ……でも、鈴ちゃんは”絶対”に伝えようとしてた……だから、鈴ちゃんの言葉は届いて、僕の言葉は届かなかったんじゃないかって……」

もし本当に伝えたいなら、千冬に殴られようとも絶対に、引いてはいけなかったのだ。

そこで引いてしまったから、シャルロットをいたずらに傷つけた。

だから一夏や千冬や鈴に、無用の心配までさせてしまった。

「ゴメン、一夏。もうしばらくの間、体を借りるよ?」

『―― あぁ。精々派手にやって、玉砕してこい!』

一夏がいやらしく言うので春斗もつい、いやらしい事を言いたくなってしまう。

「じゃあ、玉砕したら……鈴ちゃんに慰めてもらおうかな?」

「んなっ……!? ば、バカッ! これ以上はサービス料取るわよ!?」

「じゃあ、それ払うから、甘えさせてもらおっかな?」

「は、はぁ〜〜〜〜〜っ!? あんた、本気でバカになったの!?」

鈴は真っ赤になって、春斗を罵る。が、春斗は鈴の頬にそっと触れてみせた。

「ほーちゃんがいなかったらきっと……僕は、鈴ちゃんに惚れちゃってたと思うよ?」

「はっ……ばっ………馬鹿な……馬鹿な……馬鹿なこと言うなぁっ!!」

ゆでダコのようになって、鈴が直ったばかりの甲龍を部分展開する。

「うわっ!? ちょっとそれは危ないって!?」

「煩い、ウルサイ、うるさーいっ!!」

「わぁ、文字で見ないと分からないその違いっ!?」

 

「……あんたら、何やってんのよ?」

「お、織羽……!?」

二人がドタバタしている様子を、呆れ気味に見つめる織羽の姿があった。

「なんだ。結構、元気そうじゃない……織斑君」

「えっと……まぁ、少しは」

「そう。それは何より……そうだ、凰?」

「何……?」

「つい今しがた、デュノアちゃんが廊下を走ってたわよ? 随分と思い詰めた顔してたけど……何かあったの?」

「「っ……!?」」

その言葉に、二人はハッとして顔を見合わせた。

「それで、シャルロットは部屋に戻ったの!?」

「いや、ロビーの方まで行ったと思うけど……?」

「分かりました。鈴ちゃん、行こう!!」」

「―― うん!」

ドアの前にいる織羽を押し退けるように、二人は部屋を飛び出す。

「……敬語? それに、鈴”ちゃん”……?」

一夏らしくない言葉遣いに、織羽は首を傾げた。

 

夜を迎えた空は、文字通りの暗雲を立ち込めていた。

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