IS〔ツイン・ソウルズ〕   作:犬吉

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Side シャルロット・デュノア【誠意と勇気】

 

同居人の居ない、鈴が去った部屋の中。

シャルロットは打たれた頬に手をやったまま、魂が抜けたような状態であった。

どれぐらい、そうしていただろうか。

焦点を失っていた瞳が、徐々に光を取り戻していき、引いた波が返ってくるように、止まっていた感情が心を揺さぶり始める。

シャルロットは、フラフラとしながら立ち上がった。そのまま足を踏み出し――。

 

ドンッ。

 

壁にぶつかる。それでもその壁を支えにして、崩れそうになる足を堪えて廊下へと出た。

 

その足は、一夏の部屋へと自然に向いていた。

どうして? 何故? 今更? 様々なものが過ぎったが、そのどれにもシャルロットは気付かない。

ただ真っ白な頭のままで、廊下を転げそうになりながら走っていた。

何度も壁にぶつかって、腕や足に痣ができ、そうして辿り着いた一夏の部屋。

ドアが、微かに開いていた。

何故、ドアが開いているのか。そんな疑問さえも抱かず、ドアノブに手を掛け、シャルロットはそれを開こうとした。

「……?」

聞こえる男女の声。

そっと、ドアの隙間越しにその中を覗いた。

 

「ッ……!?」

 

そこに見えたのは、抱き合う鈴と―― 一夏の姿。

 

(違う…… 一夏じゃない……)

 

胸に顔を埋める鈴の頭をそっと撫でる、その憂いの篭った優しい笑顔を見て、一ヶ月程度の付き合いのシャルロットでも分かった。

一夏は、あんな笑い方を絶対にしない。

 

ならば、あそこにいるのは誰だ。

一夏の姿で、一夏の部屋にいる、一夏ではない(・・・・・・)誰かは誰だ(・・・・・)

 

『春斗は……今もそこにいる。一夏の中に』

 

千冬の言葉が、まるで『全ての答え』であるかのようにリフレインする。

「あ……?」

グラリと体が崩れる。

もたれ掛かるように壁に背を預け、シャルロットは何とか立っていた。

ダメだ。それを認めたらダメだ。

認めてしまったら―― きっと、自分は壊れてしまう。

 

甦るのは、指導室での自分の言葉。

 

『どうしてそんな嘘を吐くんですか!?』

 

嫌だ。聞きたくない。思い出したくない。

そう思うと心は裏腹に、それ(・・)は容赦なくシャルロットを断罪する。

 

『春斗は、あんたを信じようとしてたのに!!』

『あいつが自分の事を打ち明けたのは……シャルロット、あんたにだけよ!!』

 

耳を塞いでも、眼を閉じても、突きつけられる―― 我が身の罪。

それは裏切。

最低にして最悪の、最も恥ずべき行いの名。

「う……ぁあああ………ッ!!」

シャルロットは弾かれたように、廊下を駆け出していた。

「あれ、デュノアちゃ……っとぉ!?」

途中、突き飛ばすような勢いで、織羽の脇を抜けて走る。

「………ッ!!」

ロビーに出て、そのままシャルロットは外へと飛び出していた。

 

シャルロットはひたすらに走った。

それこそ、背後から追ってくる何かから、必死に逃げるかのように。

何処をどう走り続けたのか。シャルロットは、何時の間にか暗い場所にいた。

周りからは風に揺れる葉音が響き渡る。

灯りの一つもないそこは、学園の敷地内にある林の中だった。

「っ……はぁ……ハァ……はぁ……」

息が上がり、足もフラフラになって、そのまま脇に生えている木にその身を預ける。

部屋履きにしていたスリッパなど、鈴に殴られた時に脱げてしまい素足のまま。

その状態で全力で走ったせいで、足の裏は勿論の事、細かな石や枝葉が足首や脹脛にも擦り傷、切り傷を作り、ズキズキという痛みを与えていた。

これはきっと夢だ。それも最悪の悪夢というヤツだ。

夢なら醒めて欲しい。

 

ポツリ。

顔に落ちる小さな雫。それはすぐに数万倍の数となり、シャルロットを打った。

 

「ふふっ……ははは………あははははははは!!」

 

惨めだ。

濡れていく体。傷だらけで泥だらけの足。笑うしか無い。それぐらいしか出来ない。

会いたいと願って、心のままに叫んで。その相手を嘘吐き呼ばわりして傷つけて。

それは何処までも滑稽だった。

 

寮には帰れない。学園にもいたくない。

このまま、いっそ雨に溶けて消えてしまえたら、どれだけ楽か。

 

「……嫌だよぉ……っ!」

 

やっと会えた。直ぐに引き返して謝りたい。

どれだけ怒っていても、許してくれなくても、何度も何度も。

蔑まれてもいい。軽蔑されてもいいから、春斗に謝りたい。

 

「……会えないよぉ……っ!!」

 

想いと心が、バラバラになっていく。

会えない。このまま消えてしまいたいという気持ちと、春斗と離れる、会えなくなるのは嫌だという心が、シャルロットを苦しめる。

「うぐっ……ふえ……えええぇ……!!」

会いたい。会って謝りたいという気持ちと、どんな顔で彼に会う気かと責める心が、シャルロットを苦しめる。

嗚咽と共にボロボロと涙がこぼれ、雨粒と混じってシャルロットを濡らしていった。

 

「―― おや?」

 

そんなシャルロットを、まぶしい光が照らした。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

春斗と鈴はロビーへと急いだ。

「何だ……?」

二人が辿り着くと、何故か寮生たちがざわついていた。

「あ、おりむーだ」

と、ダボダボの袖を振ってやって来るのは、一夏のクラスメートの布仏本音(のほとけほんね)。

「のほ……んんっ! えっと、何かあったの……?」

春斗はつい彼女の名前を言いそうになり、とっさに口を噤む。(一夏は未だに、クラスメートの名前をよく覚えていない)

 

「えっとね〜、う〜んとね〜」

「………」

「……何よ?」

「………なんだっけ?」

ガクッ、と二人が崩れる。

「あんた、ふざけてるの!?」

「どうどう。彼女は、これがデフォルトなんだよ」

「……なんつーか、あたしとは生きている時間が違うわね」

鈴がげんなりとなったのを一先ず脇に置き、春斗は他の人間を探した。

丁度一人、良い人間を見つけた。

「谷本さん、何があったの?」

見つけたのは谷本癒子。本音と良く行動を共にする、一夏のクラスメートの少女である。

「え、あたしもよく分からないんだけど……シャルロットが外に出て行っちゃったみたいなのよ……やばいよね、織斑先生に見つかったら……」

それを想像してか、癒子は身を震わせた。

「そっか……ありがとう!」

春斗は礼を言うと、シャルロットを追い掛けるべく、そのまま外へと―――

 

「待て、織斑」

 

―― 行こうとする春斗を呼び止める、凛とした声。

「織斑、先生……」

足を止めて振り返れば、そこには厳しい表情の千冬がいた。その発する気配に生徒達は自然と数歩、後ろに下がっていく。

「何処へ行く気だ?」

「シャルロットが外へ出たそうです。探しに行きます」

「ダメだ。許可しない」

「それでも行きます」

「行くならば、寮則違反で罰を受ける事になるぞ?」

「それでも行きます」

「……何の為だ?」

千冬の視線が、一層に厳しくなる。春斗も、それを正面から見つめ返した。

そして―― 笑った。

「―― ”自分の我侭”の為です」

「っ……!?」

その言葉を聞き、千冬の瞳が一瞬だけ見開かれる。そして心底呆れたとばかりに、深く嘆息した。

「はぁ……勝手にしろ」

「反省文の原稿用紙二人分、用意しておいて下さいッ!」

春斗は踵を返して、寮を飛び出した。

「ちょっと待ちなさいよ!?」

「鈴ちゃんはここで待ってて!! もしかしたら帰ってくるかも知れない! 戻って来たらISに連絡を!!」

後を追って出てきた鈴にそう告げて、春斗は夜の闇へとその身を躍らせた。

『それで、シャルロットが何処に行ったのか……見当は付いてるのか!?』

「全然っ! だから、とりあえずは駅の方に行く!!」

『俺、そっちには居ない気がするんだけど!?』

「僕はこっちを選ぶよ!!」

春斗はそのまま、モノレール駅に向かって足を向けた。

 

「はぁ……全くもう……」

すっかり消えた春斗の背に向けてか、やれやれといった風に独り言ちる。

「……また(・・)、あれを引き戻したのか?」

「うぉっ!? お、織斑先生……いや、まぁ……あははは……」

気が付けば隣に千冬が立っていた。驚きながらも、鈴は何かを誤魔化すように笑った。

何も誤魔化す事など無いのだが、それでも千冬の前ではそんな衝動に駆られてしまう。

「……フン」

そんな鈴を一瞥し、千冬が鼻を鳴らす。

「……少しは良い女になった、か」

「え……?」

ポツリと呟いたかと思うと、クルリと鈴に背を向けて、寮へと戻って行った。

「……今、何て言ったの?」

なまじ聞こえなかったせいで、余計な不安ばかりが鈴の脳内を過るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「……これでよし、と」

椅子に座っているシャルロットの足には包帯。鈴に殴られた頬には湿布とガーゼが貼られていた。

ツナギを着た壮年の年頃の男性は、救急箱の蓋を閉じてそれを片した。

彼は轡木十蔵(くつわぎじゅうぞう)。このIS学園で用務員を勤めている人物だ。

日課である夜間の見回りをしている際、シャルロットをたまたま見つけ、用務員室まで連れてきたのだった。

シャルロットの着ていたジャージは雨でずぶ濡れになってしまっていたので、今は彼の出した予備のつなぎを着ていた。

 

「はい。熱いから気を付けて?」

「ありがとうございます……」

十蔵が差し出したマグカップには、黒い液体が注がれ、立ち昇る湯気がその熱を教えていた。

鼻腔をくすぐるのは微かな苦味と、大きな甘い香り。

シャルロットはコップに口をつけ、それ―― ココアを一口、啜る。

口腔と食道を、思わず身を竦ませててしまうような熱いものが、流れて落ちて行く。

雨に冷えた体が、少しだけ熱を取り戻した。

「その足では歩いて帰るのも難しいだろうし、寮の方に連絡を入れて、迎えに来てもらいましょう」

そう言って、十蔵が備え付けられた電話に手を伸ばす。

「ま、待って下さいッ!」

シャルロットは慌てて止めた。そんな彼女の様子に、十蔵は首を傾げた。

「どうしてですか? 深くないとはいえ、立って歩くのも辛い筈なのに……まさか、この雨の中を自力で帰れる、などとは言わないでしょうね?」

「そ、それは……その……」

シャルロットは答えられず、うつむいてしまった。

でも、寮へは帰れない。帰れる筈もない。そこには鈴が、千冬が、なにより春斗がいるのだから。

「ふむ……恐らくは通り雨だろうし、少しばかりここで待つのも良いでしょうね……」

十蔵は向かいの椅子に座り、静かにシャルロットを見つめた。

「良ければ教えてくれませんか? どうして、こんな時間に傘も差さず、しかも素足であんな所にいたのか……」

「………」

「只ならない様子ですし、きっと言い辛い事なのは分かります。ですが、内に籠めてばかりだと……心に良くありませんよ?」

十蔵は優しくシャルロットに微笑みかける。

それはさながら牧師のようであり、または神父のようであるのかも知れない。

「私は只の用務員ですからね、きっと力になれる事など殆ど無いでしょう。ですが、それでも……貴女の話を聞くぐらいの事は出来ますよ?」

「っ……!」

その低く響く優しい声は、シャルロットを強く揺さぶった。

それは、もう限界を迎えていたシャルロットの心を決壊させるには充分過ぎた。

 

「僕は……」

 

苦しかった。辛かった。

誰かに話して楽になりたかった。

そんな事が許される筈がないのに。それでも、心は悲鳴を上げ続けていた。

だから、一度でも傾いた心―― 一度開かれた口は、留めていた内の罪を晒していた。

 

春斗との出会いから始まり、母との死別に続き、家からの解放。

その恩と、支え続けてくれた心への感謝。

そして、その恩の全てを仇として返し、深く傷つけてしまった事。

勿論、春斗の正体に関わる部分は除き、最初は淡々と語っていた。

だが何時からか、その言葉には嗚咽が混じり始め、ついには泣き崩れていた。

その告白を、十蔵はただ静かに聞いてやった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「あー、もう! 何で雨なんて降るかなぁ!?」

駅まで辿り着いた春斗だったが、そこには人っ子一人おらず、とんだ見当違いであった。

しかも運の悪い事に、いよいよ雨が降り出したのだ。

春斗は慌てて駅の入り口まで走り、雨宿りをする羽目になってしまった。

シャルロットの携帯に掛けてみるが、コールは鳴るものの出ない。恐らく部屋に置いてしまったままなのだろう。

ならばと、ISの個人回線(プライベートチャンネル)を用いた相互位置確認をすようとするが、シャルロットの方がそれを切っているらしく上手く行かない。

「結構、降りが強いな……」

どうすべきか、降りを強める雨を見ながら春斗は考えていた。

『おい、シャルロットを探さないのか!?』

「探したいけど、一夏の体を濡らして、風邪を引かせる訳にもいかないでしょう?」

『シャルロットだって、この雨の中外にいるんだぞ!? 俺の事は気にしなくて良い! 雨に濡れた程度じゃ、風邪なんて引かないって!!』

春斗が自分の体を気にしていると知るや、一夏はあっさりと言い切って見せる。

それを聞いて、春斗はつい肩を竦めた。

「……はぁ。そういう事を何の躊躇なく言える君が……本当に羨ましいよ」

『何だ、そりゃ?』

「―― 何でもないよ。それじゃ、雨の中をバカみたいに走るとしますか! 一夏みたいに!!」

『それは、俺がバカって事かよッ!?』

「さぁねっ!?」

言うや、春斗は地を蹴って雨の中に飛び出すと、水たまりを弾かせ、全身を打つ雨に構わず走り出した。

本来の春斗の体では弱く、こんな悪天候を走るなど絶対に出来ない事だ。

だが今は、それが出来る。

「怒られついでに、裏白式のハイパーセンサーを一極起動!」

頭部に黒のセンサーユニットが展開され、世界が一変する。

暗い上にこの雨の中では、視界もままならない。だが、ハイパーセンサーならばそれを補って余り有る。

当然、指定区画以外でのIS起動は校則及び、国際条約違反である。

が、バレなければよいだけの事だ。実際、既にやってしまっているので今更とも言える。

普段の春斗ならばやらないであろう事も、今は何の迷いもない。

全ては、”自分の我侭”の為に。

 

春斗は、今度は校舎を挟んだ反対側―― 林の広がる方へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

用務員室で、シャルロットは十蔵に心の中を吐露していた。

醜い自分を全て吐き出して、シャルロットは心底、自分という人間を嫌いになっていた。

会いたいという気持ちと、会えないという気持ち。

謝りたいという心と、謝る勇気のない心。

どれもこれもが自分自分。春斗の事など、一つとして考えていないではないか。

余りにも愚かな自分を知り、シャルロットは全てが終わってしまったのだと実感した。

覆水は盆に返らず。こぼれたミルクはコップには返らない。

ならば、もう何も出来はしない。

 

「……なるほど。それで、貴女はどうしたいのですか?」

「え……?」

どうしたいか。

十蔵にそう尋ねられて、シャルロットは顔を上げた。

「貴女がどれだけその友人の方を大事に、大切に思っているかはよく分かりました。そして、その人を深く傷付けてしまった事も……」

「………」

ならばもう、どうしようも無いではないか。

「だからこそ、貴女がこれからどうしたいのか……それを聞きたいのです」

だが十蔵は、優しくも厳しい視線でシャルロットを見据える。

それはまるで、厳格なる父親の姿の体現であるかのようだった。

「このまま、その人を傷つけたままで良いのですか?」

「っ……」

首を横に振る。そんな訳ない、このままで良い筈がない。

「なら、その人に会って……謝りたいのではないですか?」

「っ………出来ないです」

「どうして……?」

「……絶対に怒ってる……僕の事を嫌いになってる……きっと、許してなんてもらえない……だから会えない……!」

あぁ、だからだ。

もしも目の前に彼が立って、自分を嫌いだと、目の前から消えろと言われたら。

それを考えただけで、体が震えて足が竦む。

 

自分は彼に――― 春斗に否定される事が怖いのだ。

 

彼をあれだけ否定して、傷付けて、なのに自分が否定される事は怖がっているのだ。

本当に、なんて自分勝手なのだろうか。

「人の心が、どうして罪悪感を覚えるのか……その理由を考えたことはありますか?」

「……?」

突然何を? と思うシャルロットに、十蔵は優しく微笑みかける。

「私はきっと、心が自分自身に問い掛けているのだと思うのです。『このままで本当に良いのか?』『本当に後悔しないのか?』という風に……」

「………」

「でも、こうだとも思えるのです……『心が、自分の誠意と勇気を試しているのではないか?』とね」

「心が……試している?」

シャルロットが聞き返すと、十蔵は静かに頷いてみせた。

「先ほど、『その人は怒っている。自分を嫌いになっている』と言いましたね?」

「……はい」

「それは彼(・)が直接、貴女に言ったのですか? 貴女の事を嫌いだと、絶対に貴女を許さないと?」

「っ!? 違います! そんな事言うわけ……!」

シャルロットは首を振ってそれを否定する。

春斗はそんな事を言わない。自分の為だけにISの設計図まで渡してしまう程のお人好しで、そんな春斗が――。

 

「あ……っ」

 

そうしてまた気付く。

自分は、春斗の事を信じていなかった事に。

分かっていた筈なのに。春斗はそんな人間ではないと知っていた筈なのに。

十蔵は愕然としているシャルロットを諭すように、導くように言葉を結ぶ。

「そうでないのなら、全ては貴女の心の中から生まれたものばかり。それと向き合うも、背を向けるも……貴女次第でしょう」

「向き合うのも、背を向けるのも……自分次第……?」

反響(こだま)のように、十蔵の言葉を繰り返す。

 

(自分の誠意と、勇気……)

 

シャルロットは、自分がどうしたいのかを考える。

気持ちと心は相変わらずバラバラで。でも、その中から”やりたい事”だけを抜き出していく。

そうすると、とてもシンプルだった。

春斗と会って、謝りたい。

たったそれだけ。それだけが残されていた。

 

「……雨が止んだようですね。いや、月が綺麗だ」

十蔵は、窓から外を見やった。

雨雲は何時の間にか消え、その切れ間からは見事な二十三夜月が顔を覗かせていた。

「………」

だが、それだけを為す勇気。

果たして、シャルロット・デュノアにはそれがあるのか。

マグカップをギュッと握ると、半分ほどに減ったココアがチャプン、とはねた。

 

―― ドンドン。

 

用務員室のドアを叩く音が響いた。

「おや、こんな時間に誰かな……?」

十蔵は椅子から身を立ち上がらせて、玄関口へと向かった。

 

シャルロットはそれを見送るでもなく、ただ手の中のココアを見つめ続けていた。

 

「態々、お迎えが来てくれたようですよ?」

「え……っ?」

その声に、シャルロットは顔を上げた。

「良かった! ここに居たのか、シャルロット……!」

「あ……え……?」

そして十蔵の後ろにいる、ずぶ濡れの少年の姿に目を見開いた。

「君も、その格好だと風邪を引いてしまうね。着替えとタオルを出すから、早く着替えなさい」

「いえ、そこまでは……」

「生徒に風邪を引かせてしまったら、私としても立つ瀬がないからね。少し待っていなさい」

「はぁ……」

生徒が風邪を引くと、どうして用務員の立つ瀬がなくなるのか、”彼”は訝しんだ顔をした。

十蔵が奥に消えるのを見て、シャルロットは恐る恐る、”彼”の顔を見上げた。

「……あ、あの……?」

「足、大丈夫? 素足とはいえ、何処を走ったらこんなに……それにその顔……大丈夫?」

「えっ? えっと……学園裏の林の中……かな? 顔は痛むけど……平気だから……」

「林? ……やっぱり、思いっきり逆に走っていたのか……やっぱり、こういう勘は一夏には敵わないな」

「っ……!?」

”彼”の言った言葉に、シャルロットはビクリと体を震わせた。

今、目の前にいる”彼”は一夏ではない(・・・・・・)

 

「は、春斗……?」

シャルロットは恐々と、唇を震わせながらその名を紡ぐ。

 

「ん……何?」

 

春斗は何事もないかのように、普通にシャルロットに答えた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「すみません。二着も着替えを借りてしまって……ちゃんと洗って、返しに来ますので」

春斗は十蔵に少しだけ頭を下げた。本当ならしっかりとお辞儀をしたいところだが、背中にはシャルロットをおぶっている為、それも出来ない。

ちなみに、脱いだ服は紙袋の中で、春斗の腕に引っ掛けられている。

そんな春斗の様子に、十蔵は優しい微笑みと共に首を振った。

「いやいや、気にしなくて良いですよ。それよりも、足元に気を付けてお帰りなさい」

「はい。ありがとうございました」

「……ありがとうございました」

背負われているシャルロットも、ペコリと頭を下げた。

「誠意と勇気、忘れないようにね?」

「……はい」

十蔵の言葉に、シャルロットは少し恥ずかしそうな笑いを見せた。

「……?」

その意味が分からず、春斗は首を傾げた。

 

雨が上がり、ひんやりとした空気の中を、二人はゆっくりと進んでいく。

「………」

「………」

どちらも言葉を出さず、ただ寮への道を進んでいく。

沈黙が気不味い訳ではない。ただ、この時間が神聖不可侵なもののように思えたのだ。

このまま、背中から伝わる温もりに甘えていられたら。

そんな思いが、シャルロットの心の中に生まれようとしていた。

 

(でも、それはダメ。『心が、僕を試している』んだから……)

 

それではダメだと、シャルロットは意を決してその空気を破った。

「どうして、僕を探しにきたの……? あの雨の中、ずぶ濡れになってまで、どうして……?」

「どうしてって、いきなり寮を飛び出したって聞いたから……」

「違うの! そうじゃない!! そうじゃなくて……僕は、春斗にあんな酷い事を言ったのに……どうして?」

向き合う為に、聞かなければならない。彼の答えが怖くて、自然と手が震えてしまう。

春斗はどう言ったら良いのか、少しだけ困った素振りを見せた。

「そりゃ……確かに、あの時はきつかったよ。覚悟はしていたけど……うん、苦しかったよ。それこそ、消えてしまいそうな程に……」

「っ……!」

その告白に、シャルロットの胸が痛んだ。

当然だ。自分はそれだけの事をしたのだ。だから、被害者のように苦しむな。

「―― でも、今は結構平気だよ?」

「え……?」

そう続ける春斗に、シャルロットは、意味が分からないといった感じの不思議な表情をした。

「君を追いかけたのは……もう一度、話すために。でも、もうその必要はなかったね……」

「どうして……?」

「だって、僕の事を”春斗”って、呼んでくれたから。それだけで、充分だから……」

そう言って、少しだけ背に振り返るその顔は、優しく微笑んでいた。

 

「ッ……!」

 

彼は、なんて卑怯なのだろう。

こちらがどれだけ思い悩んだか知りもしないで、そんな優しい言葉を掛けて、そんな優しい笑顔を向けるなんて。

「―― えっ!?」

その首に彼女の細く白い手が絡みつく。そのままギュッと、春斗に抱きついていた。

「シャ、シャルロット……!?」

「ずるいよ、春斗……! そんな風に言われたら……僕は……っ!!」

そのまま、シャルロットはポロポロと涙を零した。

「え、えっと………ごめん」

背中越しに聞こえるシャルロットの嗚咽に、春斗はただただ困惑する。

「違うよ……謝るのは僕なのに……どうして春斗が謝っちゃうの……?」

「いや、まぁ……何となく、僕が悪いから……かな?」

涙声でシャルロットが尋ねると、春斗は苦笑いしか出なかった。

「………何それ」

「何だろうね……本当に。あはは……っ」

対応を間違えたかと、春斗は自分を誤魔化すように笑った。

 

「……ごめんなさい」

耳元に唇を寄せ、シャルロットがささやく。

「僕も、ゴメン……君に嘘を吐いていたのは、間違いないから……」

横顔に触れる彼女の柔らかな髪の感触に、春斗は目を細めた。

 

二人はゆっくりと進んでいく。

「ねぇ、春斗……?」

「何……?」

「もう一度だけ、教えてくれる? 春斗の身に何があったのか……」

「元々はそのつもりだったし、構わないけど……。でも、千冬姉さんと殆ど同じだよ?」

「それでも良いの。貴方の言葉で、貴方の声で聞きたいんだ……お願い」

シャルロットの抱きしめる腕に力が込められ、春斗は何処から話すべきかと夜空を見上げた。

「あれが起きたのは……三年前の一月。弓道の大会のあったあの日も。いつもと同じ普通の朝だった。一夏と一緒に家を出て、途中で鈴ちゃんと合流して……その後、僕は一人で篠ノ之神社へ行ったんだ」

「篠ノ之神社……?」

「ほーちゃん―― 篠ノ之さんの事だけど……彼女の実家。その時にはもう居なかったんだけどね。そこでお参りして、それから会場へ向かったんだ。道路を渡るために歩道橋を上がって……向こうへと行く途中だった……いきなり、凄い音―― 耳鳴りがしたような気がしたんだ」

「耳鳴り……?」

「その直後、僕は倒れてて……指先一つ、瞬きもできなくて……コンクリートの、硬くて冷たい感触さえも感じなかった。凄く怖くて……同時に思ったんだ。『あぁ、僕は死んじゃうんだな』って……そうして、僕は意識を失ったんだ」

「………」

自分が死ぬという感覚は、一体どれ程なのだろうか。シャルロットには想像さえつかない。

だがきっと、それはとても恐ろしくて、抗えない程に強大で、だから今、春斗は少しだけ震えていた。

「それで目が覚めたら……ある施設の一室にいて、目の前には千冬姉さんと鈴ちゃんと、担当医になった高柳先生と、束博士がいて……でも、そこに一夏の姿はなくて……だから、聞いたんだ。『一夏は何処?』って……そうしたら、鈴ちゃんも姉さんも……何て言ったらいいかな……どう答えれば良いか分からない、って顔をしてたなぁ」

苦笑して語る春斗の姿はとても痛々しくて、自分から聞いておきながら、シャルロットはこれ以上聞くことを躊躇ってしまう。

だが、それでも彼女は聞かなければならない。それが自分の役目だと思った。

「誰も答えてくれない間に、僕はガラスに映った自分の……そこに映った一夏の顔を見てしまったんだ。そして、ベッドでいろんな機械に繋がれたままの自分の姿を……」

自分から聞こうとしたからではない。全てを聞いて、そして受け止めると決めたからだ。

「思い返すと、あの時は本当にひどかったなぁ……。気絶してただけの一夏に気付けなくて、僕は死んで、そして一夏の体を乗っ取っちゃったって、バカみたいに泣き叫んで。なだめようとした姉さんを突き飛ばして、抱きしめてくれた鈴ちゃんの事も引っ掻いたり叩いたりしてさ……本当、酷いよね」

「………」

そんな事無い。誰も怒ってない。だから気にする事はない。

シャルロットの口からそんな言葉が溢れそうになる。だが、そんな事をいう資格はシャルロットにはない。

そしてそんな言葉に、慰めの価値すらもない事はよく分かっていた。

「驚くよね、こんな話……色々、信じられないよね?」

「――ううん、信じられるよ。今なら、春斗の言葉だから……信じられる」

 

だから、その代わりに春斗をしっかりと抱きしめて、そして伝えた。

貴方の言葉を受け止めたと伝えるために。

「……それから数カ月は不安定でね。鈴ちゃんと、”もう一人の子”には、随分と助けられたっけな……」

「っ……!?」

唐突に、春斗は声を明るく弾ませる。

「”その子”はね、僕がこうなってから……初めてで、唯一の”友達”なんだ。顔も、声も知らない……でも、だからこそ自分でいられた」

違う。支えられていたのは自分だ。なのに、どうしてそんな事を言うのか。

「だから、その子が困っていたら……自分に出来るだけの事をしてやりたいって思ったんだ。まぁ、それが廻り回ってこんな事になってしまった訳で……アハハ……」

本当に何でこんな事になったのか。と、春斗は乾いた笑い浮かべた。

 

「……後悔しなかったの? ”その子”の為に、自分が設計したISを上げてしまって……」

「前にも言ったけど、あのISの設計図に、その子の未来以上の価値なんて無いよ。それに、どんな形でも自分の設計した物が形になるのは嬉しいし……完成したら、きっとその子が”それ”を扱うんだろうから……うん、後悔なんてどこにもないね」

「……ごめんなさい」

また、シャルロットは謝ってしまう。

「こういう時は、『ごめんなさい』じゃないと思うよ?」

「……そうだね」

『ごめんなさい』は相応しくない。だから、シャルロットは微笑み、そして言葉を改めた。

 

 

「―― ありがとう、春斗」

 

 

「どういたしまし……っ!?」

不意に、春斗の頬に触れる柔らかい感触。その視界の端に、揺れ動くブロンドの髪。

いきなりの事に驚く春斗に、シャルロットはそのまま告げた。

「それと……あなたが、大好きです」

「えっ……え、いや!? ……えぇ!?」

更に突然過ぎる告白に、春斗は目を白黒させる。

どういう事だ。何故そうなった。そんな言葉がグルグルと回り、やがて一つの結論に辿り着いた。

「こ、これは一夏の体だからね……もしかしたら、僕でも格好良く見えたりするのかな……?」

一夏の悪友―― 五反田弾曰く、イケメンモテ顔の一夏だ。そのビジュアルがきっとそう思わせているのだ。

自分が誰かを想うことはあっても、想われるなど想像も出来ないし、あり得ない事だ。(全く同じ思考をした幼馴染がIS学園に居ることなど、春斗は知る由もない)

何せ体が無いのだから、そう思うのも当然である。

実際、中学時代に一夏のフリをしていたら、女子生徒のフラグが立ってしまったこともあった程だ。

その原因は春斗自身にあるなど、考える理由は何処にもない。なにせ、この体の持ち主は織斑一夏なのだから。それだけで全ての説明がついてしまう。

「違うよ。僕が好きなのは……春斗の心。少しだけ意地悪で、とても優しい貴方の心。お母さんが亡くなった時も、デュノアに引き取られた時も……ずっと僕を支えてくれた、僕に居場所をくれた。そんな大切な貴方だから……僕は好きになったんだ」

「あ……えっと……」

背中越しにも、熱い体温とドキドキと強く打つ鼓動が春斗にも分かる。

「………」

シャルロットにも同じように、春斗の体温と心音がとても伝わってきた。

「ありがとう……でも、ごめん。僕には……好きな人がいるから」

「っ……篠ノ之さんの事、だよね? でも、振られたんでしょう?」

「でも、それでも……好きな気持ちはそのままだから……」

ずっと積み重ねてきた想いは、只の一言で終わるほど軽くはない。未だに箒への想いは残っている。

「……そうだね。そんな簡単に割り切れたら、誰も苦しんだりしないよね」

その気持ちをシャルロットもよく分かる。今、春斗に告白して振られたのだから。

「そうだね………だから」

「だから―― 僕も諦めないよ?」

分かるからこそ、シャルロットは春斗に宣戦布告する。

「……え?」

今はまだ(・・・・)篠ノ之さんに負けているけど……最後には僕が勝つから。春斗の中の篠ノ之さんを追い出して、僕だけで埋めてみせるから………覚悟してね?」

「………」

凄まじい宣言をされたと、春斗は絶句してしまった。男子よりも女子の方が精神的に強いと聞いていたが、何と逞しいメンタリティーだろうか。

この一部でも良いから自分に分けて欲しいと、春斗は真剣に思ってしまった。

 

「ねぇ、春斗。今度から、僕の事は『シャル』って呼んでくれる?」

「え……?」

そんな思考をシャルロットの言葉が引き戻した。

「前に教えてくれたよね? 日本だと、名前の前半を愛称に良く使うって。だから、春斗にはそう呼んで欲しいんだ……ほら、一夏と入れ替わってても直ぐに分かるし」

その愛称でシャルロットを呼ぶのは、姉的存在のフィリーだけだ。だからこそ、この”特別な名前”を春斗にも呼んで欲しい。

そんな意図を隠して、シャルロットは春斗に頼んだ。

「分かったよ………シャル」

「っ……うんっ!」

心の中でガッツポーズを決め、シャルロットは満面の笑みを返した。

 

そうしている内に、強い明かりを放つ建物が見えてきた。

 

 

 

「……あんた達、何でそんなに仲良くなってる訳?」

寮に帰り着くや、入口前で待っていた鈴にジト目で睨まれた。

なにせ、シャルロットはとても幸せそうに春斗にしがみついているのだから、それも仕方ない事だ。

 

「説明するとすっごく長くなるので、割愛します」

「二人だけの秘密だから……内緒なんだ」

「ちょっと、シャル!?」

「へー、ふたりだけのひみつねー。しかも、よびかたまでかわってるなんて……ずいぶんとなかよしになれて、よかったわねー?」

薄ら寒い鈴の視線が、容赦なく春斗に突き刺さる。

「いや、鈴ちゃん怖いんだけど……?」

「そ〜お〜? あたしはいたってふつうだわよー?」

もの凄く平坦な声のまま、鈴は踵を返して寮へと戻っていく。

 

「――凰さん?」

「……何よ?」

それを呼び止めたシャルロットに、鈴がギロリと強い視線を向ける。

 

「ありがとう。それと……ごめんなさい」

「あたしは勝手にむかついて、あんたを殴っただけだし……言っとくけど、謝らないからね」

「いや、殴っちゃダメでしょ」

「うっさいわよ」

「うん。それは全然……むしろ当然だと思うし」

「……じゃあ、何よ?」

殴ったことでないのなら、何で呼び止めるのかと、鈴は訝しんだ。

「一つだけ聞いておこうと思って。凰さんは……春斗と一夏、どっちが好きなの?」

 

 

「「ブッ――!!」」

 

二人が同時に噴いた。

「ちょっ!? あんたぁ!? 何言っちゃってくれちゃってる訳!?」

「そうだよ! 鈴ちゃんはそりゃもう、一夏にデレデレ――」

「うっさいわよ!? ていうか、今の一夏に聞かれた!?」

「いいや。帰ってくる頃からずっと《海岸》に下がっているままだから……」

「そ、そう……」

安堵か落胆か、鈴はどっち付かずな溜め息を吐いた。

「そっか。なら僕の敵は一人だけだね……よしっ!」

シャルロットは答えに満足したのか、満面の笑みを浮かべた。

「っ……」

何故か、その顔に苛立を覚える。

 

「えっと、じゃあ……シャルを部屋に送ってくるよ。鈴ちゃん、ありがとう」

「……別に良いわよ。じゃあ、おやすみ」

プイ。と、不機嫌そうにして、鈴は寮の中に消えてしまった。

 

こうして、シャルロット・デュノアは織斑春斗と出逢った。

それはきっと、自分と向きあう誠意と勇気が導いた結果なのだろう。

覆水は盆に返らない。こぼれたミルクはコップには返らない。

ならば、もう一度注げば良い。今度こそ、零さないように。

 

全てはまだスタートライン。

彼女の青春は、ここから輝き始める。

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