早朝のIS学園 学園長室。
そこの応接セットには、二人の男性の姿があった。
一人は190近い二十代の男性で、グレーのスーツを着る細身ながらしっかりとした筋肉質の体躯。もう一人はブラウンのスーツを着る、この学園で用務員を務めている―― 筈の老年の男性。
「福音は無事に停止。搭乗者も無事だったそうです」
「えぇ。私の方にも報告が来ました……ま、ギリギリ及第点といったところでしょうかね? 福音には悪いことをしました……出来る限り、手を回しておきましょう」
「……しかし、随分と大胆というか……篠ノ之博士の計画を知っていたのに止めようとしないなんて……」
若干ながら、非難の色を籠めた轡木十蔵の視線が、正面に座る青年に突き刺さる。
「一度でも実戦を経験をすれば、それはいざという時に必ず生きる……
「ですが、あの場には妹さんも居たのでしょう?」
「織羽(あのこ)は、そうそう殺られるようなヤワな鍛え方はしていませんよ。それでももしも、という事があったなら――」
青年の視線が、氷の如く冷たい光を宿す。
「所詮はその程度だった。たったそれだけの事ですよ?」
「………」
その言葉に、十蔵は思わず息を呑んだ。
身内の死すらその程度のものだと、彼は本気で言っているのだ。
「それに、この程度をどうにか出来ないなら、この先を生き残ることなんて……不可能でしょう?」
「……事態はもう、そこまで?」
「亡霊(ファントム)どもは、いつ舞台に上がってきてもおかしくない……そんな状況ですよ」
pipipi……
「おっと、失礼」
青年の懐から、シンプルな電子音が響く。
スーツの内側からその音源を取り出し、通話ボタンを押した。
「………何? それで被験体17号は………そうか、分かった。引き続き捜索を。あぁ、頼む」
短く要項だけを伝え聴き、青年は通話を切った。その表情は一層の厳しさを宿していた。
「何か、あったのですか?」
「えぇ。どうやら、こちらが思うよりも早く、事態は動いていたようです……」
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「ふわぁあぁああああ………」
翌日、朝10時過ぎ。さんさんと照る太陽の下、一夏の大欠伸が響いた。
あの追いかけっこは一時間以上も続き、最後は千冬に全員打ち落とされる(比喩ではない)結果となった。
こんこんと続く説教+ひたすらに正座させられ、もとより疲労の極地であった肉体はたった一晩の睡眠程度ではどうにもならなかった。
そこに更に、朝食を終えてからISと専用装備の撤収作業。
そんな事が重なった結果――。
「ふわぁああぁぁぁああぁあ~~~っ!」
「おぉ~っ、おりむー、凄いあくびだ~っ」
「……めちゃくちゃ眠い」
勿論、眠いのは一夏だけではない。
「ふぁぁ……っ」
「ふぅぅあ……ぁふ」
「ふぁああああ……っ!
「ふぁ……ぁあ……」
「ふぅ……ぁあふぅ」
「ふぅぅぁ………ぁぁぅ」
箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ、簪もだ。
見ているだけで感染拡大しそうな欠伸の六重奏に、一人だけ加わらない者もいた。
「いや~、今日も見事な日本晴れね~! 今年は空梅雨だったけど、水瓶は大丈夫なのかしらね~?」
「いや、何でそんな元気なんだよ……?」
一夏の疑問も尤もだった。何せこの辰守織羽、同じだけの労働と疲労をしている筈なのに、ピンピンしているのだ。
「おぉ~、たっちんは元気いっぱいだね~」
「モチがツモ……もとい、モチロンよ!」
「あっはっは~、おもしろ~い」
「でしょ~!? このセンスを凰も簪も分かってくれないのよね~」
「あ~、それはダメダメだね~」
「………」
この二人は何時、こんなに親しくなったのだろうかというのが、素直な感想だった。
そんなこんなで、いよいよバスの発車予定時刻が近づく。
殆どの生徒達はバスに乗り込み、織羽と鈴も自クラスのバスに乗り込もうとしていた。
「……あれ?」
「何、早く乗んなさいよ?」
「いや、一組のバスのところに誰かいるんだけど……?」
「はぁ?」
と、織羽の指差す方を見れば、そこにはブルーのサマースーツを着たブロンドの女性が、何故か一組のバスに乗り込むのが見えた。
「………」
鈴はそれだけで、凄く嫌な予感を覚えた。
「………」
織羽はそれだけで、凄く面白そうな匂いを感じた。
「「………」」
二人は目配せもなく、一組のバスへと向かった。
一夏は入口近くの席に座ると早速、惰眠をむさぼる為の準備を進めていた。
しっかりと水分を取って、しっかりと寝る。それだけで、この後がかなり違うのだ。
「―― あなたが、織斑一夏君?」
「え……?」
知らない声が、いきなり一夏の名前を呼んだ。見ればブルーのカジュアルタイプのサマースーツを着た、ブロンドの美女が立っていた。
一夏を見るその視線は、隠す気の無い好奇心の光が見えていた。
一瞬、「こんな先生居たかな?」と、一夏は思った。
『あっ……! この人、
いち早く、春斗がその女性の正体に気付く。
「あっ、福音の……!」
「えぇ。私はナターシャ・フィルス。『
あの時、福音の停止と共に解放され、病院へと移送された女性。
その人が何故、ここにいるのか。
「えっと、一体どうして……?」
「今日の午後、この国を発つから……その前にね。あの子を助けてくれたお礼をしたくて」
「いや、そんな……礼を言われることなんて……」
「―― クスッ」
すっ、とナターシャのブロンドが揺れる。そして柑橘系のコロンが香り、不意に唇に触れる感触。
「『ッ―――!?』」
「これは、私とあの子から……黒と白の騎士(ナイト)達へ……ね?」
耳元にそっと残す言葉。
「じゃあ、また会いましょう? Bye♪」
「『…………』」
呆然とする一夏に手を振って、ナターシャはバスを降りていく。
そして、そこには沈黙が残された。
「一夏……」
「一夏さん……」
「一夏……」
沈黙は、怒れる三闘神によって終焉を迎える。
「ま、待て! 今のは事故的な……そんなだろ!?」
「「「黙れ」」」
「……はい」
「あは……アハハ………ハハハハ………!」
「ちょ、シャルロットがダークサイドに!!」
「ウソ!? 何でダース・デュノア卿モード!?」
「あいむ、ゆあ、ふぁ~ざ~!」
「本音、ちょっと黙りなさい!!」
いきなり黒オーラを撒き散らすシャルロットに、周囲が警報を鳴らした。
「うわぁ。面白い事になってる~! ね、鈴は参加しないの?」
「……エ? ナニガナンノコトカシラ?」
鈴は何か、ドット的ビジュアルになっていた。
「うん。帰ろう……あたし達の
「おいおい、妙な火種を残して行くな。ガキの面倒は大変なんだぞ?」
「ごめんなさい。思っていたよりも、ずっと良い男だったから……つい」
駐車場入口で、ナターシャは千冬を向かい合っていた。
はにかんだ笑みを見せるナターシャに、千冬は呆れ気味に肩をす竦めた。
「やれやれ……それより、昨日の今日で動いて大丈夫なのか?」
「えぇ。私はずっと……あの子に守って貰ってましたから」
「やはり……そうか」
「えぇ。あの子は私を守る為に、望まぬ戦いにその身を投じた。強引な二次移行(セカンド・シフト)。そして、コア・ネットワークの切断……あの子は私の為に、
言葉を続けるナターシャの瞳は、陽気さの欠片もない鋭いものへと変わる。
「私は許さない。あの子の判断能力を奪い、全てのISを敵と思わせた……その元凶に必ず、その報いを受けさせる」
ギュッと握りしめた拳が、ギリギリと軋むような音を立てた。
「余り無茶はするなよ? この後、査問委員会だろう? しばらくは、大人しくしていた方が良いぞ?」
「それは忠告ですか、”ブリュンヒルデ”?」
「……ただのアドバイスさ」
千冬は少しばかり、顔をしかめた。
ブリュンヒルデ。世界一のIS操縦者の称号。
それで呼ばれることが、千冬は好きではなかった。
「そうですか。まぁ、しばらくはそうします……そう、
一度だけ、鋭くなった視線が交差する。そしてナターシャは千冬の脇を抜けていく。
互いの、ヒールがアスファルトを叩く音が遠ざかっていく。
(それはそれとして……彼のIS……ううん、あの子が教えてくれた……
ナターシャはふと、そんな事を思いながら、晴れ渡る空へと視線を送った。
彼女の愛した――― 『あの子』が好きだった世界へと。
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山間にある国立機関。
そこに一台の、黒塗りの車が停車する。
ドアが開き、一人の青年が降りてきた。
藍色のスーツを着た、細身ながら、しかしその佇まいと発する気配がおよそ只者ではないと教えている。
「お待ちしておりました、若」
「捜索状況は?」
横に現れた黒スーツの男が、端末を取り出して情報を読み上げる。
「海外へのルート26を中心に封鎖。向こう側の動きにも目を光らせております。ですが……」
「流石に、抑えきれない……か」
「はっ。申し訳ありません」
「それで、人的被害は?」
「重軽傷34名。ですが、死傷者はありません」
「そうか。現場へのルートは?」
「こちらです」
「その案内、よろしければご一緒させて頂けませんか?」
黒服が、若と呼ばれた青年を案内しようとした所に、突然の声。
すぐさま黒服が数人、青年の周囲を固めてその声の主を探す。が、青年はスッと手を動かし、彼らを退かせる。
「そう思うなら、さっさと顔を出せ………更識の十七代目」
「フフッ、流石ですね……竜魔の若き筆頭」
向こう側に生えた木の幹の後ろから、IS学園の制服を着た女生徒が現れる。
リボンの色は彼女が二年生である事を示し、その口元を隠す扇子には【見敵必滅】の四文字。
「まさか、筆頭自ら来るとは思いませんでしたわ」
二人は並びながら、瓦礫の中を行く。
「仕方あるまい。敵は、アメリカから強奪された第二世代IS 《アラクネ》だ。その行方を探っていた矢先、そいつが日本に出現したというのだからな……」
「さしもの竜魔衆も、ISには太刀打ち出来なかった……ということですね?」
「一応、ここの守護はうちの仕事なのだがな……こうも好き勝手されては返す言葉もない」
「仕方ありませんわ。なにせ敵は……亡国機業(ファントム・タスク)なのですから」
「国もなく、信念もなく、宗教もなく、亡霊の如く世界の闇に潜む者達……か。ふっ、言い得て妙なネーミングセンスだ」
口調こそ哂っているようだが、しかしその内心は真逆。
二人がその足を止めた。眼下に広がるのは、地下まで繋がる巨大な穴。
「―― 亡霊には、亡霊に相応しい場所がある。必ず、一匹残らずそこへ送り返してやろう」
吹き上げる粉塵にさえ目を細めず、彼はそう呪詛を吐き出した。
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昼食を兼ねた、サービスエリアでの休憩時間。
一夏と千冬は、少しばかり見晴らしの良い場所にいた。
誘ったのはどちらでもない―― 第三の人物である。
「それで、わざわざ私を呼びつけた理由は何だ? 色々と仕事もある……手短にしろ、春斗」
「いや、ずっと考えてた事があってさ……学園に戻るとまたちょっと言い出し難くなりそうだから……」
「………一体、何だ?」
「今度……医技研に行くのって……八月だったよね?」
「あぁ、そうだな」
「……僕はさ、それを最後にしようって思うんだ」
「『……ッ!?』」
春斗のいきなりの言葉に、一夏と千冬が驚愕する。
『おい、それってどういう……!』
「それは……どういう意味だ!?」
「次、成功しても失敗しても……僕はもう、一夏の中には戻らないって事だよ」
「何故だ!? お前は……諦めたのか!?」
「……違うよ。ずっとね、考えていたんだ……『次がある』『今度こそは』……そんな考えじゃ、何時まで経っても無駄なだけなんじゃないかって」
「春斗……だが、もしも失敗したら……!?」
「しないよ」
心配する千冬に、春斗はハッキリと言い切る。
その表情は、決して無謀に挑む訳でも、諦めに身を委ねた訳でもない。ただ一切の疑いもなく、最高の未来を信じて、それを手にしようとする者のそれだった。
「約束する。今度の誕生日は、僕の体で一夏と一緒に、誕生日を祝わせてあげるから……!」
「……千冬姉、大丈夫だって。春斗が今まで、酷い嘘吐いた事なんて無かっただろ? 俺だって次は超気合入れてやるからさ!!」
そう言って、一夏がグッと拳を握って見せる。
「………はぁ。止めても無駄、なんだな」
「うん」
「なら勝手にしろ。だから………絶対に、目を覚ませ。それ以外の結末を、私は絶対に認めない……良いな?」
「うん。ありがとう、姉さん!」
兄弟たちは、目の前に近づく最後の挑戦に向かって心を新たにする。
誰もが、この先の未来はきっと明るいものになると信じた。
その道がどれだけ過酷でも、きっと乗り越えられる。そう確信して。
太陽は何処までも熱く、空はどこまでも蒼かった。
七月八日未明。
亡国機業《ファントム・タスク》所属ISによる襲撃事件発生。
場所――【国立 医療技術研究所】。
被害―― 施設半壊
重軽傷者多数
研究データ一部消失
被験体十七号【織斑春斗】強奪。
その報が、学園に帰還した彼らの未来を閉ざした。