IS〔ツイン・ソウルズ〕   作:犬吉

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第57話  弓道王子/愛情は一朝一夕にならず

 

御堂家敷地内に設けられた弓道場。

清廉な気配に満ちたそこは、まるで町の喧騒を遮る見えない壁でもあるかのように静かであった。

板間の向こうは芝が敷き詰められており、その向こうに霞的と呼ばれる物が設置されている。

「これが弓道場……?」

「IS学園にもあるが、何というか……空気が違う気がするな」

「うん。凄く神聖な感じがするね」

初めてここに訪れたヨーロッパ組は、それぞれ物珍しそうに当たりを見回している。

その間に、文枝は道場脇に積まれていた円座 (い草を円状に編んだ編み座。時代劇などでよく、山小屋とかに置かれているアレ)を運ぶ。

「先生、私が」

「あらそう? それじゃあ、お願いするわ」

それを見て、箒がスッと動く。文枝の手から円座を受け取り、板張りの上に並べていく。

「さ、こっちに座って」

言われるまま、全員がその上に腰を下ろす。

「すみませんが、その……正座は苦手でして」

「気にしないで。正式な場でも無し、慣れない正座は苦痛でしょうから楽にして頂戴」

申し訳なく言うセシリアに、文枝は笑って返す。

「ありがとうございます」

言葉に甘えて、セシリアは足を崩す。これで、先の臨海学校の二の舞は避けられたのだった。

「ところで、義兄上は何方に行かれたのだ?」

「弓道着に着替えてるんでしょ。慣れたもんだし、すぐに来るわよ」

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

道場使用者の使う更衣室。完全木造のその部屋で春斗は道着に身を包む。

下は藍色の袴。上は肘丈程の筒袖。帯を締め、足袋を履く。

全身の具合を確かめるように動かし、満足行ったのか春斗は一人頷く。

『その格好……久しぶりに見るな』

「そうだね。尤も……外身は別物だけどね」

不意に映った姿見に、春斗は哂う。今も尚、行方知れずのままの本当の体。

何の目的があって亡国機業は奪っていったのか。その意図も見えないまま、ただ時間だけが過ぎている。

 

先の見えない――否、唯一見えている未来は〈消滅〉。

「っ……」

ギュッと右手を握り固め、春斗は更衣室を出て、道場へと向かった。

 

 

道場の戸を開ければ、端に座る面々がこちらを向いた。春斗は一礼をしてから一歩、中に踏み入る。

「お待たせしました、先生」

「……さ、こちらへ」

文枝は立ち上がり、入り口とは反対側にある引き戸の方へと行く。そこに掛けられた錠を帯から出した鍵で外し、ゆっくりと開いた。

春斗はその後に続き、中に入る。

 

「さて、どれにする?」

そこは弓具倉庫であった。大きさも材質もバラバラの弓や弦。矢も多量に置かれている。

「では、これを」

と言って春斗が手に取ったのは黒塗りの弓。

「やっぱり、竹弓を選んだわね」

現在、弓の材質は三種類あり、グラスファイバー製、カーボンファイバー製、そして最も古く伝統的な竹製がある。

主流はグラス弓であるが、春斗は好んでこの竹弓を使っていた。

弓を選び、勝手知ったると、迷いなく弦を取る。手早く弦輪 (弓に引っ掛けるための輪)を作り、慣れた手つきで弓を引き、上の先に輪を掛けた。そのまま下にも輪を掛ける。

数度、弦を弾き張りを確かめると、満足行ったのか頷く。

「はい、弓掛け」

「ありがとうございます」

文枝の差し出した弓掛け (矢を握る手に着ける防具)を受け取って嵌めて、しっかりと紐を縛る。

 

矢置き場より甲矢(はや)、乙矢(おとや)を数本ずつ取り、矢筒に収める。

「準備万端かしらね。それじゃ、行きましょう」

「はい」

 

道場に戻ると、文枝は円座に再び座り、春斗は矢筒を置いて的に向かい立った。

「春斗、頑張って!」

と、シャルロットが声を掛けた。実際なら注意ものだが、ここは公式試合の場ではないし、何より――。

「………」

春斗の耳には何一つ、届いてさえいなかった。

 

集中。的に向かい立った瞬間、的とそこに続く空間だけが春斗の世界に変わる。

両の手にそれぞれ、弓と二本の矢を持ち、拳を腰に添える。

そのまま左足を半歩開き、一度視線を下に置き、続いて右足を半歩。両爪先が的の中心に一直線になるようにする。

左膝に弓の下端を置いて、体正面にて弦に矢を掛ける。

 

 

それら一連の流れに、箒と鈴はこれから起こる事に薄い笑みを浮かべているが、セシリア達はその逆で、呆けた顔をしていた。

一つ一つがハッキリと見えている筈なのに、しかし目に入らない。まるで元より其処にあるのが当然であるかのようだ。

 

 

春斗は両の拳を真上に上げ、力を込める。三角を描いて降ろされた弓は大きくしなり、弦はキリキリと引き絞られる。

「―――」

世界が、音を失くす。

虫の音も、風の音も、息一つでさえこの完璧な静寂を乱すと、全員が知らぬ間に息を止めていた。

春斗はただ、真っ直ぐに的を見やる。風の流れ、弦の張りその他様々なものを直感で理解する。

 

「ッ――!」

 

鳴弦と弓鳴りを残し、矢が離れた。

勢い良く放たれた矢は、螺旋運動と共に緩やかな放物線を描いて空気を貫く。

そして60m先の的の、その中心を鏃(やじり)が穿った。

その瞬間、『タァンッ!』という音が響く。そして同時に、風が吹き抜けた。

 

「「「っ……!?」」」

 

まるで音が風に変じて駆け抜けたかのような錯覚が、欧州組を襲う。そして青は蒼に、緑は翠に。矢と的を中心にして世界が薄皮一枚剥けたかのようにクリアになる。

同時に、失くなった音が世界に戻り、再び元の様相に還った。

 

「――ふぅ」

残心。そして矢を放ったままの構えから、ゆっくりと弓を下ろした。

 

 

 

 

「………」

「………」

「………はっ?」

呆けていた面子の中で、まずセシリアが復活する。正気に帰れば、そこはやはりさっきのまま。

緑は緑であり、青は青だ。ならば、今の一瞬見えたものは幻か、それとも白昼夢か。

残心を解いた春斗が、二射目を構える。キリリと引き絞られた弦が解放され、矢が飛翔する。

乙矢は一射目――甲矢のすぐ右隣に突き刺さった。そしてまた、風が吹いた。

優しい風は皆の髪を揺らし、頬を撫でて消える。

今度はただ、偶然に吹いた本当の風。夏の緑を多分に含んだその風を、まるで春斗が呼んだかのような錯覚を覚えた。

「弓という不確かなもので、あんな遠くの的に正確無比とは……〈ヴォーダン・オージェ〉を使っても無理だぞ」

「僕もスコープを使って何とかだよ。ダットサイトじゃ無理。それに」

「あぁ。何というか……我を忘れてしまったな」

ラウラとシャルロットが息を吹き返したかのように、興奮気味に賞賛の言葉を述べる。

「当然じゃない。弓の才能もさる事ながら、なにより春斗の〈射法八節〉の美しさは日本一なのよ」

「シャホウハッセツ?」

初めて聞いた言葉に欧州組が首を傾げた。

射法八節とは弓道における基本動作を分割した八つを差す。端的に言えば弓の作法だ。

八節。つまり『足踏(あしぶみ)』『胴造(どうづくり)』『弓構(ゆみがまえ)』『打起(うちおこし)』『引分(ひきわけ)』『会(かい)』『離(はなれ)』『残心(ざんしん)』の事である。

 

春斗の弓の美しさは偏に、八節の『自然さ』にある。

自然とはすなわち、『不自然さがない』という事。不自然さがないという事はつまり、『本当の無駄がない』という事だ。

真に無駄がない故に自然であり、自然であるが故にセシリア達は春斗の動きを認識出来なかったのだ。

 

だが、幾ら自然と言っても力の入れ方などで不自然さは生まれる筈だ。しかし、春斗はそれさえも自然と思わせる。

どれほどの研鑽をもってしても、果たして成せるか成し得ないか。それを若干六歳の少年が初めて弓を持った日にやってみせたのだ。それを天賦の才能と呼ばずに何と呼ぶ。

 

「流石、と言ったところかしら。三年もの間、弓を持っていなかったとは思えないわ」

「いいえ、先生。会に少しズレがありました。続き、行きます」

春斗は矢筒より二本を抜き、三射目を放つ。今度は中心円の上方に当たった。

 

最後の四射目。

「ッ――!」

鳴弦と共に矢が飛ぶ。が、それは的の端ギリギリに突き立った。

 

 

「……ウソ、春斗が外した?」

鈴が信じられないものを見たかのように呟く。実際、外れた訳ではないが、それでも鈴は春斗の正確無比な射撃を知っている。

矢が中心からあんなにもズレるなど、ただの一度さえ見たことがなかった。

それは箒も同じであり、声を出さないまでもその瞳は驚きと困惑に大きく見開かれていた。

 

『春斗……どうしたんだよ?』

その中でも一番驚きを隠せないのは、やはり一夏だ。その声には焦りに近いものがある。

『大丈夫。ちょっと弓掛けが緩かっただけだよ。会の途中だったせいで、おもいっきりズレちゃったね……やれやれ』

春斗は苦笑しつつ弓を下ろした。弓掛けの紐を縛り直してからギュッ、ギュッと数度握ってみて具合を確かめる。

春斗は納得いったのか、一度小さく頷くと、改めて矢を抜いた。

 

その後、矢は軽快な音を響かせて、次々に的の中心近くを射抜く。

結局、四射目を除く全てが中心近くに集中する結果となった。

それ故に目立つ外れの一矢に、春斗は苦笑するしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

矢を回収し、弓具を片付け、道場に戻ると早速シャルロットが飛び込んできた。その後ろにラウラとセシリアも続く。

「凄いよ春斗! 弓道があんなに綺麗で格好良いだなんて知らなかったよ!」

「お見事でした、義兄上。流石としか言い様がありません」

「ま、まぁアレですわ。素晴らしい物を観させて頂きましたわ」

と、何故かセシリアだけが言葉のキレが悪い。というのも、彼女は二人よりも、春斗の弓射つ姿に見蕩れてしまっていたからだ。

その気恥ずかしさが態度として、もろに現れているのだ。

 

 

その後、全員で道場の掃除をし、終わってみれば時刻は夕方五時近い。

「先生。ご夕食はどうしますか?」

切っ掛けは春斗の言った些細な言葉。

「そうねぇ。材料も丁度無いし、適当な所で外食でもと思うのだけれど……あ、そうね」

と、何を思いついたか「ポン」と手を打つ。

「折角だから、久しぶりに二人の手料理を食べてみたいわね」

「あ、それなら私も手伝います」

箒が言う。

「じゃあ、あたしもやるわ」

鈴がそれに続く。

「それでしたら、皆で一品ずつ作るというのは如何です?」

そしてついに、セシリアが爆弾を投げた。しかも仕掛けた本人は無自覚のままin袋小路だ。

「せ、セシリア。そんな進んで自爆しようとしなくても……ね?」

「自爆ってなんですの!? シャルロットさん、なにか失礼じゃありません!?」

せっかく遠まわしにシャルロットが止めようとするも、セシリアは意固地になる。

「シャルロット。やりたいと言っているのだ、やらせれば良い。そして自爆させれば良い」

「ラウラッ! 一夏だけならまだしも、ここには御堂先生もいるんだよ? もしセシリアの料理を食べて何かあったらどうするの?」

「む、それは一大事だな」

「あなた方……どれだけ私を……! いいですわ、勝負ですわ!!」

セシリア、まじボンバーマンである。しかし、走り出した彼女は止まらない。

「私達五人で料理を作り、一夏さんにどれが一番上手か判定してもらいましょう!」

ズビシィッ! とでも効果音が付きそうな程にピンと張った指で差し、挑戦状を叩きつける。

「ちょ、ちょっと待てセシリア!」

これはマズイ(味的な意味で)と、セシリアを静止すべく、春斗を押しのけて一夏が出る。

「ラウラもシャルロットも悪気はないんだ。ただちょっと心配しただけで……な?」

『一夏。それはフォローになってないよ?』

「今の発言について、色々お聞きしたいこともありますが……ですが、既にサイは投げられましたわ! 大丈夫。私の勝利は間違いないことですもの!!」

『まぁ、勝利条件が〈一夏をノックアウトする〉であれば、間違いなく勝者だよね』

「さぁ、そうと決まれば材料を買いに行きましょう。ここより一番近いお店は何処ですか?」

言うが早いか、セシリアは既に玄関に向かって歩き出していた。止めようと伸ばした一夏の手は、ただ虚しく宙を舞うのみ。

「一夏……覚悟、決めなさい」

ポン、と鈴が背中を叩いた。そして一夏は泣いた。

「何で、こんな事になっちまったんだ?」

その姿にラウラもシャルロットも良心の呵責に駆られ、そして誓った。

 

胃薬も、忘れずに買ってこようと。

 

 

 

 

 

 

 

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文枝は「それじゃあ、私は留守番しているわね」と言って屋敷に残り、残る六人はスーパーに来ていた。

時間帯のせいだろうか。外から見ても随分、客が多いようだ。

「えっと、何を買おうか……どうした?」

箒が振り返る。一夏もつられて振り返ると、四人は何故か上を見ていた。

「「「「…………」」」」

そして、少ししてから視線を下ろした。

「「「「………あぁ」」」」

と、何故か揃って同じ事を言った。

「何だ、一体?」

なにか不審なものを感じ取ったのか、箒はジト目で四人を見る。

「いいえ。何でもありませんわ」

「そうそう。なんでもないわよ~」

「さっ。買い物買い物~」

「うむ。これ以上混んでは敵わんからな」

四人は訝しむ箒の背をグイグイと押して、中に入っていった。

「何だ、一体……あ、なるほど」

一人残った一夏は四人の視線の先を見た。そして、納得した。

 

四人が見ていたのは、このスーパー『ホーキーマート南町店』の看板であった。

箒とホーキー。つまり、ダジャレである。

 

 

 

 

 

 

 

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さて、中に入れば何か雰囲気がおかしい。特に弁当売場の当たりから、殺伐とした空気が流れている。

「な、何ですのこの感じは……!?」

「まるで、戦場の気配だな」

セシリアが思わず身を震わせ、ラウラの視線が鋭さを増す。言葉にしないが、シャルロットも無意識に周りを警戒している。

剣呑な空気は、今まさに弾けんとしているようだった。

「えっと、生鮮食品売り場は左だっけ?」

「さて、何を作ろうか……肉か野菜か、はたまた魚か……むぅ」

「肉なら鶏。野菜ならナスとかだな。魚は……何があるかな?」

鈴、箒、一夏の三人は、そんな雰囲気など気にも掛けず、生鮮食料品売り場へと足を向けた。

セシリアらも不審に思いながらその後に続こうとした。その直後。

 

 

 

――ウォオオオオオオオオオッ!!

 

 

 

弁当売場から無数の咆哮が轟いた。ビクッとしてそちらを向けば、其処は正に戦場と化していた。

男女関係なく繰り出され、めり込む拳。そして蹴り。一人が倒れこめば、その隙間を突いて別の人間が飛び出す。それを後ろから羽交い締めにして投げる。

別から伸びた手をまた弾き、掴み、殴り倒す。古代ローマの拳闘士でさえ、ここまでではなかっただろうと思われる程、彼らは皆、目を野生の光にギラつかせていた。

 

――さながら、狼のように。

 

 

「い、一夏さん、箒さん、鈴さん!? アレは一体何ですの!? 何で皆さん殴り合いを!? ていうか、何で誰も気にしていませんの!?」

「あ~、そりゃあ日常茶飯事だからな」

「今更、驚きのしないわよね~」

「いや、〈狼〉の人数が六年前よりも随分増えたな。そこは驚きだ」

「箒。〈狼〉って……何?」

「気にするな」

「いや、すっごく気になるんだけど!?」

シャルロットが叫ぶも、これ以上語ることはないとばかりに、三人は生鮮食料品売り場に向かってしまった。

 

 

「くそっ、何で〈お覇王〉が!? パツ金の嫁さん貰って引退したんじゃなかったのか!?」

「そういえば……嫁さんが今里帰りしてるって!」

「自炊しろよ!! ……って、伝説の〈餓狼〉まで!?」

「くっそぉ! だが、究極鶏南蛮弁当だけは……!!」

「待て! もう間に合わないっ!!」

「ぎゃあぁああっ!」

「ジョーーーーージ!!」

 

 

「「「………」」」

と、無数の男達を蹴散らし、オレンジの道着を着た男と、赤い帽子とジャケットにジーンズ姿の男が、目にも止まらぬ激突をするのを背にして、セシリア達は一夏達の後を追った。

というか、アレには関わってはいけないと、本能が告げている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

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買い物を終えた面々は再び、御堂邸へと戻ってきた。

御堂家の台所は、その屋敷の大きさに合わせて、料亭の厨房並みの大きさがある。

ガスコンロも、台所の両端に二つずつ設置されており、それぞれの調理が邪魔にならないように工夫されている。

というのも、この屋敷に住み込みで練習するのはいつもの事であり、大概屋敷には10~20人程が在住しているのだ。

むしろ、今日のように誰もいない日の方が珍しかったりする。

 

さて、一夏は後で料理するので今、台所には六人(・・)いた。

 

箒はカレイの煮付けを作るべく下ごしらえ。カレイは切り身なので☓字の切れ込みを入れ、煮込む為の煮汁と、臭み取りの生姜をこしらえている。

 

鈴は剥きにくいジャガイモにブツブツ文句を言いつつも、危なげない手つきで皮を剥いていく。

ボールには刻まれた人参と玉ねぎ。そしてさっと水洗いされた白滝。どうやら、肉じゃがを作るようだ。

 

シャルロットはボールに薄口醤油、おろしニンニク、砂糖を加えたつけ汁を入れ、鶏肉を良く揉んでいる。

コンロには熱された油の入った鍋。こちらは唐揚げのようだ。

その隣ではラウラが、サバイバルナイフを使って器用に、大根を桂剥きしている。

「凄いねラウラ。何処で覚えたの……っていうか、よくそんなナイフで出来るね?」

「ナイフの扱いはサバイバルの基本だ。使えなければトラップも作れん。皮剥きに関しては見様見真似だ」

「見様見真似って……それでも凄いよ」

「そうか? 私が見たのでは桂剥きを日本刀で、しかも片手でやっていたぞ?」

「………え?」

「だから、日本刀で、しかも、片手だった」

「……それ、何で見たの?」

「忍たま◯太郎だ」

「それフィクションだよね!? 何でフィクションを参考にしてるの!? むしろそれで出来ることにビックリだよ!?」

などとやりつつ、シャルロットはもう一つ、気になった事を聞いた。

「何を作ってるの?」

「おでんだ」

皮を剥いた大根を串に刺した。他にはんぺん、ちくわ、はんぺん、ゆで玉子。それらを種類を変えつつ串に刺している。

夏におでん? ていうか、串に刺すの? あれ、おでんってそんな料理だったっけ?

等々、様々な疑問が駆け巡ったが、シャルロットは封殺した。どんな状態にしろ、後は汁で煮るだけだ。きっと問題はないだろう。

 

そう、問題は一人だけだ。そして、その一人はというと――。

「痛っ!?」

「違う。包丁はこう。玉ねぎが厚い。もっと薄く切りなさい」

「痛っ!?」

「違う。牛肉にはしっかりと塩と胡椒を擦り込みなさい」

「痛っ!?!?」

「違う。肉の前に切ったニンニクを入れて炒める。それから牛肉を入れるの」

「痛っ!?!?!?」

「肉と一緒に玉ねぎを入れない。肉は一度取り出して、それから玉ねぎを炒めなさい」

セシリアはハッシュドビーフを作っているようだが、その隣には文枝が立っていた。

最初は黙って見ていた文枝だったが、すぐにセシリアにダメ出しし始めた。

セシリアが手順を間違えたり、いい加減にやろうとすると容赦なく竹製の指揮棒で打たれる。

既に彼女の手は真っ赤な上、その情け容赦ない仕打ちに涙目になっている。

箒も鈴も同情した。だが仕方ない。これも彼女のためだ。情けは人の為ならず。敢えて無視するのもまた、情けである。

「……いい加減にして下さいまし!」

ついにセシリアがキレた。何度も何度もぶたれて、手はすっかり真っ赤になってしまっている。彼女からしてみれば、正当な怒りだ。

「どうして何度も何度も、ぶたれなければなりませんの!? 私には私のやり方というものがあるのです!」

「そのやり方が料理とはとても言えないものだからこそ、止めているのです。なぜ、レシピ通りにやらないのです?」

「それは、私なりのアレンジです! レシピ通りなど誰でも同じ物しか出来ない。セシリア・オルコットだけの料理を目指しているのですわ!」

「鍋に牛肉入れて水を入れた上にケチャップ丸々一本入れるのが、あなたの言うオリジナルという事?」

文枝の、非常に冷たい視線が突き刺さる。氷点下の如きその視線の前に、セシリアの怒りも一瞬で鎮火する。

「そ、それは……写真と同じ見栄えを」

「つまり、あなたの言うオリジナルとは見栄えを同じにすることなのかしら? 適当な物を入れて、見て呉ればかり気にして」

「見て呉ればかりではありませんわ! 愛情もしっかり込めています!!」

セシリアがそう反論すると、文枝は心底呆れた風に首を振った。

「あなた……”料理に込める愛情”とは何か……本当に理解しているのかしら?」

鍋の火を止めながら、文枝が問う。

「え……?」

「むしろ聞くわ。あなたの言う『愛情を込める』というのはどういう意味なのかしら? 見た目だけを重視すること? オリジナリティと称して、基本を蔑ろにすること? だとするなら、あなたの愛情というのは、随分と薄っぺらいものなのね。見た目ばかりに気を使って、その中身には無頓着。まるで安い金メッキだわ」

「っ……!?」

「良いこと。愛情とは一朝一夕ではなく、すべからく時間と共に積み重ねていくもの。だから決して手間を、時を惜しまないこと。最初は教本通りでも、何度も作る内に、食べてくれる人の好みが分かる。もっと、その人に合わせた物を作れるようになる。それが〈愛情を込める〉ということよ。あなたはさっき……食べて貰いたい相手の事を、本当に考えていたかしら?」

「そ、それは……っ!」

文枝の言葉はセシリアの頭をガツンと叩いた。考えていた。その筈だ。だけど、そうだとは言えなかった。

さっきまで何度もぶたれていたが、その言葉の方が遥かに痛かった。

 

愛情とは一朝一夕ではない。だからこそ、手間を掛けるのだと。

 

そんな事、今まで誰も教えてはくれなかった。だからこそ、強いショックだった。

フラフラとするセシリアに、すっと差し出された手があった。皺だらけの-―文枝の手だ。

「さぁ、しっかりと立ちなさい。まだ行程は残っているわ」

「で、でも私は……!」

「愛情を込める上で、最も忘れてはならないこと……それは〈絶対に諦めない事〉よ」

「っ……!?」

またも、セシリアの頭部にショックが走った。一夏に自分の料理を食べてもらいたい、そして美味しいと言ってもらいたい。

その思いを、今まさに諦めていたからだ。

ポロポロと、涙が溢れる。今、彼女の中で革命が起こった。

「さぁ、次の工程に行きましょう。玉ねぎも予熱で火が通っているようだし。次は牛肉を戻してマッシュルーム、水、赤ワイン、ローリエの葉を入れて煮こむのよ。煮立たないように火の加減に注意しなさい」

「っ……はいっ!!」

涙を拭い、セシリアは鍋に向き直った。どうやらここに、新しい師弟関係が誕生したようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく後。一人待っていた一夏の前に料理の数々が並んだ。

箒作のカレイの煮付け。鈴作の肉じゃが。シャルロット作の唐揚げ。ラウラ作のマンガおでん。

もう既に四品を食べ終え、ついに鬼門であるセシリア作のハッシュドビーフの番だ。

「………」

過去の記憶が一夏にスプーンを進ませない。チラリと視線を送れば、不安と期待の視線を向けるセシリアと、その後ろで優しく微笑みながら小さく頷く文枝の姿。

「それじゃ……頂きます!」

覚悟を決め、一夏はハッシュドビーフを口に入れた。瞬間、全員が息を呑んだ。

「ど、どうですか?」

セシリアが、声を絞り出すようにして尋ねる。

「………美味い」

「っ……!?」

「うん。牛肉は柔らかいし、玉ねぎも柔らかくて甘いし、ドミグラスソースも酸味とか丁度良い。やるな、セシリア」

と言って、一夏が笑った。その顔を見た瞬間、セシリアの顔から緊張の色が消え、感情が融解して溢れ出した。

「良かったわね」

「っ……先生っ! 私、やりましたっ!!」

感涙のまま、セシリアは振り返って文枝の手を掴む。その姿は先生と生徒というよりも、祖母と孫のようでもあった。

 

そんな心温まりそうな光景に、皆が思った。

 

『先生、まじパネェ』と。

 

 

 

「――何だ、この茶番は?」

障子戸の向こうに見えたのは黒髪、スーツの女性。

「お、織斑先生!?」

「あら、千冬。思ったよりも早かったわね」

「本当はもっと早く来る予定だったのですが……遅くなり、申し訳ありません、御堂先生」

千冬は深々と頭を下げた。その光景に一瞬驚きを見せた面々だが、文枝と千冬の関係を思い出し、すぐに納得した。

 

「――ところで、今日は泊まっていくのかしら?」

「いえ。こいつらも外泊許可を出していませんし、私もご挨拶だけはと仕事を置いてきたもので……すぐに帰りませんと」

「そう。なら、帰りの車を手配するわ。お茶を淹れるから少し待っていて」

「いえ。私が淹れます」

「じゃあ、二人で淹れましょうか。人数も多いし。箒ちゃん達は悪いけど……後片付けをお願いね」

「あ、はい。分かりました」

 

箒達は台所に、千冬と文枝は給湯室にそれぞれ向かってしまい、一夏は春斗と共にまた一人残る。

「何だかこう……落ち着かんな」

『上げ膳据え膳なんて基本、慣れてないしねぇ~』

 

などと言いつつ、聞こえる虫の音に耳を傾けていた。

夏ももう終わりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【END EPISODE  天蓋に終夏の華は咲く】

 

 

 

時は過ぎて、いよいよ夏休み最期の日。国に帰っていた学生達も戻り、明日からは二学期の開始である。

が、それはそれとして、一年生寮前では多くの学生が集まっていた。

彼女達の手から色取り取りの火花が散り、夜の闇を照らしていた。

勢い良く噴き出す火花にキャーキャーと上がる歓声。線香花火の儚さに嘆息する生徒。

今、夏休みの集大成として、一年大花火大会を行なっているのだ。

主催者は辰守織羽。一夏らが御堂文枝と会っていた日に、簪と共に花火を問屋まで出向いて買ってきたのだ。箱単位で。

「まったく……花火程度ではしゃぎおって」

「あはは。でもまぁ、いいじゃないですか。辰守さんは『国に帰っていて花火を見れなかった子達のために』って、わざわざ用意したんですから」

「アレがそんなタマか。ただ単に騒ぎたかっただけだろう」

「――でも、生徒に思いっ切り買収された、織斑先生が言うことじゃないと思うんですけど?」

「買収などされていない。これは残暑見舞いだ」

と言って、グイッとビール缶をあおる。勿論、ノンアルコールだ。そして、脇に置かれた皿に盛られた高級ハムを口に放り込む。

これらはどっちも、織羽が千冬に贈ったものだったりする。

「はぁ……」

溜め息混じりに呆れ、真耶もまた、缶を傾ける。

「よーし! それじゃあ最後の締め、行くわよーっ!!」

「おーっ!」

織羽は小型打ち上げ花火を並べ、そこに自前の導火線を結び付けていく。

数が多いので本音も手伝い、都合27発が一つの線で繋がった。

 

「はーい、危ないから下がって下がって!」

「白線の内側でお待ちくださ~い」

「本音。白線無いから」

「よ~し、それじゃあ……点火!」

バチッと指を弾けば、火が導火線に点いた。

『指で点けた!?』

一年全員が突っ込んだ。そのハーモニー、プライスレス。

 

導火線は緩やかに火を押し運び、そして派手な音と共に一気に加速した。

 

筒から、火の玉が真上に飛ぶ。それは空に昇ると弾け、小さな華を咲かせる。

大輪ではないが、無数に咲く火の華に、全員が溜息を漏らす。

 

打ち上げが終われば、筒から火の粉の噴水が上がる。一斉に吹き上がったそれらはまるで滝だった。

おぉ、歓声が上がり、そしてついに最後の一発。

 

 

 

ヒュルルルル…………パパパパパパァアアアアアン!

 

 

 

測ったように一斉に飛び上がる火の玉。そして一等高く上がった所で、同時に弾けた。

降り注ぐ火の粉と、夜を昼に変える輝きに、全員が見惚れる。

 

「これにて、夏休み終わりぃいいいいっ!!」

 

織羽が叫ぶと、拍手が上がった。それはこれを催した織羽に対してか、それとも過ぎていく夏に対するものか。

「夏も終わり……か」

それを離れた場所から見ていた千冬は、ふと思い出す。それは御堂の屋敷にして文枝と交わした言葉。

 

 

 

 

 

「千冬。春斗くんの身に、何事か起こったのではないかしら?」

「っ……! 申し訳ありませんが、お教えすることは」

「機密という事? 思い当たるのは〈銀の福音(シルバリオゴスペル)〉の暴走事件と、医療技術研襲撃事件」かしら?」

「ど、どうしてそれを……!?」

「引退したとはいえ、情報は入ってくるものよ。とはいえ、詳細までは知らないけれど」

「………」

「千冬。もしかしたら……私達が思うよりずっと、あの子に残された時間は少ないのかも知れないわ」

 

 

 

 

 

「残された時間……か」

「どうかしましたか、織斑先生?」

「いや、何でもない」

グイ、と缶をあおる。一気に中身を流し込み、そして最後の花火を見やった。

「ただ、このまま平穏無事に行けばなと、思っただけだ」

盛大に散る火の華に独りごちるように、そう答えた。

 

 

 

 

 

だが、その願いは叶うことはない。彼女の知らぬ場所で、運命は既に終局を刻み始めている。

 

 

運命の日まで――残り一ヶ月を切っていた。

 

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