決闘を終えたセシリアは保健室で軽い診察を受けた後、大事なしということで寮の自室に戻ってきていた。
サァァァァァァァ………。
シャワーノズルから降り注ぐ温かな雨が、陶磁器の様に白きその身に付いた、汗と汚れを洗い清めていく。
「………」
敗北。それも、完全に相手の術中にはめられての、完全なる敗北。
だというのに、セシリアの胸中を締めるのは悔しさではなかった。
いや、悔しさはあったのかも知れない。だがそれよりも遥かに大きな想いが、その胸を占めていたのだ。
セシリアは英国貴族の出身。
母は女でありながら幾つもの会社を経営する女傑で、オルコット家を守り、発展させてきた。
そして父は、そんな母に婿入りした――とても情けない人だったと、セシリアは記憶している。
夫婦仲は、冷め切ったものであった。
名家に婿入りした父は、母に引け目を感じ、顔色を何時も伺い、母はそんな父の事を疎ましく思っていた。
それはISが開発された事で、より酷いものとなった。
そんな両親を見て育ったセシリアは、何時しかこう思うようになった。
『自分はこんな情けない男を、絶対に婿にしない』と。
そしてセシリアの理想は【強い男】となった。
だが、女性優遇の時代となった今、そんな男性は何処を探してもいない。
少なくともセシリアは出会った事がなかった。
――今日、この日までは。
両親が三年前、列車事故によって亡くなり、セシリアは否応無くオルコット家の当主となった。
彼女は母の残した財を、オルコットの家を守るべく、あらゆる事を必死に学んだ。
その一つとして受けたIS適性試験。彼女はそこでA+という判定を貰う。
英国政府は戸籍保護の為の様々な優遇を、彼女にした。
それはセシリアにとって渡りに船だった。
何故なら、英国政府が後見となった以上、オルコット家の財を狙う者たちは彼女に手出し出来なくなるからだ。
一時とはいえ猶予を得た彼女は、ISを学ぶために日本へとやって来た。
それは彼女にとって不本意であったが、政府の方針でもあり、従わざるを得なかったのだ。
そうしてやって来た日本。興味は少しもなかったかと聞かれれば「ノー」だ。
世界初の男性IS操縦者。その存在に興味を持っていた。
だが、いざ会ってみれば無知、無学、無礼の三拍子。
自分の器も知らない、愚か者。
期待を裏切られた。
彼に決闘を申し込んだのは、そんな身勝手な思いからであった。
でも、それこそ思い違いであった。
彼は強かった。自分の知るどの男性よりも。逆境に屈せず、抗うことを諦めず。
「俺も……俺達も、家族を守る!!」
確固たる信念を抱き、揺るがぬ決意を輝かせる強い瞳。
荒々しく刃を振るう姿は、空の王者――大鷲のようで。
「ありがとう、セシリア・オルコット。貴女と戦えた事を、誇りに思います」
かといって、決闘が終われば自分を助け、己の非を謝罪し、相手を称え認める心を持つ。
卑屈ではなくただ純粋に、自分の信念の下に示す誠意。
その姿は悠然と空を滑り飛ぶ――飛燕のようで。
父とは違う、雄々しい男としての強さ。母と同じく、理知的なる貴族としての強さ。それを彼は持っていた。
「織斑一夏……」
その名を一度呟けば、天を舞い踊って白刃を振るう姿が思い浮かび、ドキッ、と胸が高鳴る。
「織斑一夏……」
その名を二度呟けば、差し出された手と共に優しく微笑むその顔が浮かび、キュッ、と胸が締め付けられる。
知りたい、彼の事を。
どちらが本当の彼なのか。それとも知らない顔が、未だあるのだろうか。
想いは溢れ、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
その夜、セシリアは眠りに着くことが出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日の朝。誰もいない教室のドアが開く。
何時も早いセシリアであったが、今日は何時も以上に早かった。
席に着き、セシリアは自分の机に突っ伏す。
眠れなかった自分の顔は、メイク程度ではどうにも出来ない程に酷いものだった。
そんな顔を誰にも見られたくなく、寮を早出してきたのだ。
「はぁ……」
早出の理由はそれだけではない。
誰よりも早く来なければ、教室に入る勇気が無かったからだ。
少し顔を上げる。視線の先には一夏の席。
一晩が過ぎると、セシリアは不安に襲われていた。
心の中で、誰かが言う。
―― お前の理想とする強い男、織斑一夏。それは、ただの幻だ。
そんな訳がない。彼は確かにそこにいた!
――この世界のどこにも、そんな男は存在しない。それはお前の創り上げた妄想でしか無い。
違う、違う違う!!
否定の言葉を重ねる度、不安はより一層深まっていく。
―――シュゥン。
「―――ッ!!」
ドアが開く音がして、セシリアは弾かれたように顔を上げた。
「あれ、オルコットさん? 今日は随分と早いね……?」
やって来たのは一夏ではなく、別のクラスメートだった。
セシリアはまた、机に突っ伏した。
その後もドアが開く度に顔を上げたが、一夏の姿はなかった。
またドアの開く音。
もう、顔を上げることもしなくなった。
不安は徐々に絶望へと姿を変えつつあった。
初めて抱いたこの想いが、自分の妄執が産み出した幻なのではないかと、在りもしない考えが巡り始める。
逢いたい。彼の声を聞きたい。彼に触れたい。
それだけで、全て消え去ってしまうのに。
ドアが、また開く。
「おいーす、お早う!」
「っ……!?」
セシリアはそれに顔を上げた。
入り口から姿を見せるのはすっと伸びた背。日本人特有の黒髪。
女子ではあり得ないその、低く響く声。
織斑一夏。それが、その人の名前。
今まで胸の中にあった冷たい不安が、一瞬で融解していく。
代わって胸を、温かいものが満たしていくのを感じる。それは冷たい冬を乗り越え、命芽吹く春を迎えた世界のように。
気が付けば、セシリアは駆けていた。
「お、セシリア。昨日は―――― なっ!?」
そのまま、セシリアは彼の胸に飛び込んでいた。
触れて伝わるその鼓動。その温もり。その匂い。
あぁ、彼はここにいる。
どうだ、やはり彼は存在しているじゃないか。
女尊男卑のこの世界。理想の男性と出会うことは、砂漠に落ちたダイヤモンドを探すよりも遥かに難しい。
そしてセシリアは、それを見つけた。
代表候補生になり、やって来た極東の島国。そこで巡り出会ったのは”世界で唯一人”の男性。
―――これは偶然か?
No。
―――ならば必然か?
No。
―――ならば、これを何と呼ぶ?
これは運命だ。運命の出会いであり、そして運命の恋なのだ。
一人、オルコットの家を守る自分の為に、神が与えた祝福なのだ。
ならばこの想い、誰にはばかろうか。
この温もりを、誰に渡すものか。
「な、何をやっているんだ貴様は……!! 一夏から離れろッ!!」
誰かが何かを言っているが、気にもならない。今はこれが、彼女の全てなのだから。
それは、セシリア・オルコットの恋の始まり。
だが、彼女は知らなかった。
その恋の相手は、一人ではなかった事を。
彼女が恋した相手は、一つの体に二つの意識を持つ男。
織斑一夏と、織斑春斗。
その真実を知った時、彼女が自分の恋にどんな決断をするのか。
それは、ここで語られる物語ではない。
「だから、一夏から離れろぉおおおおおおおおおおおおっ!!」