第59話 何時もの日常、その風景
静かに揺れる海面が、暁光を跳ね返して煌く。かすかに冷たい風は、これより来る秋の空気を孕んでいた。
――ごおっ!!
その海面をスラスターと風圧で乱しながら、蒼と藍――二機のISが飛翔する。
一機はブロンドの髪をなびかせ、その美麗なる顔を苦悶に満ちた表情に染めるセシリアと、IS〈ブルー・ティアーズ〉である。
その後方から、狂気と愉悦に歪んだ笑みを浮かべる黒髪の少女――エージェントMと、IS〈サイレント・ゼフィルス〉。
「どうした、ブルー・ティアーズ。BT一号機の性能はその程度か?」
「クッ……!」
今のブルー・ティアーズは出力強化型高機動パッケージ〈ストライク・ガンナーⅡ〉を装備している。それも束の改造を受けて、ビットによる出力増加時の弱点を克服している物をだ。
BTライフルもまた、より高出力の〈ブルー・ピアス〉に変更されている。
つまり、総合的戦闘力は
だというのに、二機の戦いは一方的だった。それはすなわち、操縦者の技量の差に他ならない。
「まだまだ……っ!」
セシリアは海面を蹴るようにして一気に上昇。インメルマンターンで切って返す。
対するサイレント・ゼフィルスは、そのままセシリアの下を抜けて、海面を滑るようにしながら向きを返す。
交差する二機はライフルを構え、互いのスコープに敵(ターゲット)を映し合った。
「「ッ――!」」
同時に引かれるトリガー。閃光が銃口から撃ち放たれる。
バシュウウウウウッ!!
BTエネルギーが相互干渉によって弾け飛び、その余波が爆風となって吹き荒れる。
「っ……!」
何とか持ちこたえながら、セシリアは再度ライフルを構えた。
―― 敵ISより攻撃 ――
「なっ――グハッ!?」
驚く間もなく、セシリアの鳩尾をハンマーでぶん殴られたかのような衝撃が貫いた。サイレント・ゼフィルスのハイブリッドライフルによる、実弾射撃が直撃したのだ。
絶対防御が発動して防ぐも、それでも肉体にダメージが届く。
エネルギー系武装の弱点は連射性能の低さにある。それはBTライフルを使うブルー・ティアーズもそうだ。
だが、その弱点を実弾兵装の併用によって克服したのが、サイレント・ゼフィルスのBTライフル〈スターブレイカー〉だ。
Mが更にトリガーを引く。実弾が飛び、その後ろから閃光が襲いかかる。
「ちぃっ……!」
セシリアは胸の痛みに顔を歪めながらも、スラスターを噴かせて回避機動を取った。
その真下を、弾丸とビームが抜けていく。
「ブルー・ティアーズ!!」
ビットを切り離し、多角射撃で強引に流れを押し戻そうとするセシリア。
だが――Mはニヤリと哂っている。その表情にハッとするセシリアだったが、既に遅かった。
セシリアがビットを切り離すよりも早く、Mのビットは彼女の回避方向に既に回り込んでいたのだ。
セシリアはビットからの射撃で、せめて相討ちを狙うも、シールドビット〈エネルギー・アンブレラ〉によって、あっさりと防がれてしまう。
「墜ちろ」
上空に浮かぶ、セシリアに絶望を刻むモノ。それらが一斉に輝いた。
「っ……!」
陽光を超える輝きが、洋上を照らした。
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「――はい。それじゃ、授業を終わります」
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、真耶がテキストをトントンと教卓で鳴らす。
今日の4限目の授業は一般学科。これは各国の言語に依存する面が大きい為、今の教室には日本人しかいない。
日本人は学園に多いので、1、2組と3、4組のクラスに分かれている。
毎日、多国籍な人間ばかりのクラスを見ているせいで、こうして日本人率100%の光景を見ると、なにか違和感を覚えてしまうものだ。
「ふぅ」
『お疲れ、一夏』
「さて、昼飯食ったらすぐに学園祭準備に必要な物、リストアップしないと……面倒臭ぇなぁ」
『それもクラス代表の務めだよ。文句をいう暇があるなら、さっさとやって終わらせよう』
「そうだな」
面倒事は早くに済ませようと心に決め、一夏は食堂に向かうべく席を立った。
「はーい、一夏くんは居るかしら~?」
ドアが開き、生徒会長登場。それだけで室内にざわめきが起こる。
それはそうだろう。何せ1年とは部活などがなければ、それ程に縁のない上級生。しかも生徒会長ともなれば尚更だ。
そしてその向こうに転がる、死屍累々の兵達。どうやら襲撃組は未だ諦めていないようだ。
「はい、これ。お弁当よ。一緒に食べましょう?」
と言って差し出したのは五段重ねの重箱。それをデン、と机の上に置いた。
重箱の中には伊勢海老やホタテ、数の子、昆布巻き、玉子焼き等が入っている。軽いおせち状態だ
「ヘイ、会長! うちらもご相伴に与りたいっす!」
片手に箒を引きずって、軽快にやって来たのは織羽であった。
「お~、美味しそうだぁ~」
「うわっ、超豪華!」
「いいなぁ~。私達も食べたいなぁ~」
のほほんとした声と共に、布仏本音もやってきた。相も変わらず、一年に一度しか心臓が鼓動してなさそうな少女である。彼女の後ろからも、シーズンオフのサマーデビルこと谷本癒子や相川清香らがやって来た。
「ていうか、これどうやって作ったんですか?」
「ん? 早起きしてよ?」
「いや、そうじゃなくて……」
『一夏。ツッコむのも無駄だよ』
楯無の思考も、大概天才系である。『何故出来るか』と問われれば『頑張れば出来る』と返すタイプなのだ。
「はい、一夏くん。あーん」
「は――んぐっ?」
開いていた一夏の口に、楯無の箸に摘まれたピーマンの肉詰めが押し込まれた。
油っこくなりがちな肉詰めだが、しかし絶妙のバランスである。塗られた生姜醤油もまた、油のしつこさを上手く中和し、美味であった。
「どう、美味しい?」
「っ……美味いです。美味いですけど……」
問題はそこではない。今、軽く凍りついたこの空気こそが問題なのだ。
「あ、会長。ベーコン巻き下さい」
「はい、あーん」
「あぐっ……ん、相変わらず美味しい」
訂正。ノーダメージなのが一人いた。
「あ~、たっちんずるい~。こっちも、あ~ん」
「はい、あ~ん」
「はぐっ。むぐむぐ……う~ん、玉子焼き美味しい~!」
再度訂正。ノーダメージはもう一人いた。
「はい。箒ちゃんもあ~ん」
「え!? ……あ、あ~ん」
会長が肉じゃがを摘み、箒の口に持っていく。自分に振られたことに驚き、戸惑いながらも、箒は口を開けた。
「どう。この肉じゃがは、ちょっとした自信作なんだけど?」
「っ……美味しいです。味がしっかり染みてて……良いです」
「あはっ、ほめられちゃった。あなた達も食べる?」
「え、良いんですか?」
「勿論よ。いっぱいあるから遠慮なくどうぞ」
「生徒会長、ゴチになりますっ!」
結局、この日は7人超えの大所帯の昼食となった。
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放課後。アリーナではいつも通りの自主練習中である。二組はまだ出し物が決まっていないため、今も絶賛会議紛糾中である。
なのでアリーナには鈴と織羽はおらず、一夏と箒が激突していた。他の面子は観客席でそれを見ている。
「一夏も箒も、随分と強くなっているな。今の技量なら、まともに近接戦闘をすれば押し切られるかも知れんな」
ラウラが何処かしら嬉しそうに言う。
「そうだね。初めての時とは比べものにならないよ。特に一夏。踏み込みに迷いがなくなってる。あの太刀筋、分かってても躱せないかも知れない」
シャルロットは頷いて、そして笑った。迷いも躊躇いもない踏み込みは、白式の長所をまさしく活かしている。
「うむ。今なら分かる。守るべき者を持っているからこそ、一夏は強くなる」
「春斗の事?」
「それもある。それ以外もだ」
「それ以外?」
「教官や、私達の事もだ。ひよっこを卒業したばかりの相手に守られるのは……まぁ、悪い気はしないな」
「でも不満?」
「不満だな。私的には守られるよりは、守る側の方が良い」
そう答え、ラウラはギュッと口を結ぶ。大事なものを守りたいと――守りたいと思える程に大事なものがあると、改めて気付く。
それはシャルロットも同じであり、二人は真っ直ぐにアリーナを見つめていた。
「ふんっ!」
箒の振るう斬撃を躱し、雪片弐型の切っ先が跳ね上がる。剣閃を紙一重で躱した箒は、そのままグルンと一回転する要領で、空裂を横薙ぎにした。
「ぐぁっ!?」
紅き光刃が白式を切り裂く。崩れる白式に向かって、箒はすぐさま追撃を仕掛けた。
「はぁああああっ!」
雨月を繰り出して刺突光弾を撃つと同時に、スラスターを全開にして突撃する。
「甘いぜ、箒!」
一夏は零落白夜のクローで光弾を斬り捨てると、そのまま雪片で雨月を受け流しながら箒の右側面に滑り込む。
そしてそのまま後方に向かって瞬時加速(イグニッションブースト)。一気に間合いを離す。
「ふっ!!」
箒は迷いなく、一夏目掛けて雨月を投擲。が、あっさりと弾かれる。しかし生まれた一瞬の間に、箒も
「いやぁああああっ!」
「うぉおおおおおっ!」
互いに袈裟懸けに振るった刃が激突する。重厚な金属音と共に火花が散り、互いに弾かれる。
すぐさま二人は体勢を整え、斬撃を振るう。
一合、二合、三合と、二機によって刃が打ち合わされる。互いに同門であるが故に相手の剣の先を読み、潰しあう。
「フッ!」
「ぐっ!」
一瞬の隙を突いて繰り出された、一夏の回し蹴りが箒を捉える。更に追い打ちを仕掛ける一夏。
「そう何度もっ!」
細雪の刃が、紅椿の脚部展開装甲の光刃によって阻まれる。箒はそこから自立攻撃ユニットを切り離し、同時に更に回し蹴りを打つ。
「喰らうかよ!」
ユニットの攻撃を躱すと同時に、一夏は雪羅のシールドモードで蹴りを受け止める。〈霞衣〉のエネルギー無効化が光刃を消滅させる。
そのまま拳を握り固めて、ストレートを紅椿に打ち込む。吹き飛ぶ紅椿。更に一夏は追い打つ。
―― 雪羅 カノンモード ――
拳を開き、掌から砲身が出現する。荷電粒子砲〈
箒は姿勢を直すのではなく、吹き飛んだ勢いを利用して地面に降りる。土煙を上げて滑り降りると同時に、地面に突き立っていた雨月を引き抜く。
「エネルギー集束! 交差防御刃ッ!!」
十字に構えた刃が紅に染まる。
交差防御刃は、性質の異なる攻性エネルギーを合わせることによって、敵のエネルギー攻撃を弱体化させるフィールドを展開させる、紅椿のシールドだ。
「いっけぇええええっ!」
トリガーが引かれ、閃光が放たれる。荷電粒子砲が紅椿を襲う。防御の型に構えた紅刃と、閃光が激突する。
「ぬぅううう……っ!」
両の刃に凄まじい圧力が掛かる。一撃の威力は間違いなくトップクラスの荷電粒子砲だ。そう易々と弾かせてはくれない。
箒は地に足を踏ん張り、腰を入れ、両の刃を強く振り抜いた。
「でりゃああああああああああああっ!」
気合双閃。引き裂かれた荷電粒子がアリーナに散って、遮断シールドや地面にぶち当たる。
防がれたと見るや、一夏はすぐさま
対する箒も、左の刃を刺突で繰り出した。
「――ぐはっ!?」
切っ先から光弾が放たれ、カウンターで突き刺さる。左の剣――空裂は振り抜くことで光刃を飛ばす武装の筈だ。
それなのに、雨月の様な光弾を撃ち放たれて、一夏はダメージ以上に思考が混乱する。
「はっ!!」
箒が右の刃を振り抜く。今度は空裂のような光刃が飛んだ。
寸でのところで躱す一夏。そして、やっとカラクリに気付いた。
「箒、左右の刀を持ち替えたのか!?」
「その通りだ。所詮は小細工だが、効果はあっただろう?」
「っ……!」
確かに箒の言う通りだった。人間の思考は全く意図しない状況にどうしても弱い。
紅椿の武装は右と左で決まっている。そう思い込んでいた思考故に、ただ刀を取り替えただけの事に動揺して、あっさりと隙を見せてしまった。
そして、心理的動揺はすぐには戻らない。一夏は徐々に箒に押され始めた。
「ぐっ……このっ!」
「隙ありだ、一夏!」
振り払おうと繰り出された一撃を容易く弾き、箒の体当たりが一夏のバランスを崩した。
そのまま連撃を叩き込んで、一夏のSEを一気にレッドゾーンへ突入させる。
「止め――っ!」
「っ――らぁっ!!」
空裂の一撃が当たる瞬間、零落白夜の刃がカウンターで紅椿に直撃する。
そして両機体から、SEエンプティを告げるアラームが鳴り響いた。
「……相討ちか」
「でも最期は、ラッキーパンチみたいな感じかな?」
「いや、そうとも言えんぞ。あの瞬間、防御に回るのではなく、勝利のために踏み込んだ結果とも言える」
「なるほど。でも、ギリギリのSEで零落白夜を使ったら、自爆になりかねないよ?」
「だが、実戦ならば相手を落とさなければ死ぬだけだ」
「まぁ……そうだけどさ」
模擬戦の結果に、互いに言葉を交わすラウラとシャルロット。そこから少し離れた場所にセシリアは居た。
「お二人とも、操縦技術が段違いに上昇していますわ。それに比べて私は……」
セシリアは投影式モニターを出す。そこに映し出されたのはセシリアのBT兵器運用データである。
(BT稼働率……36%。また落ちていますわ)
BTの稼働率は理論上、60%を超えれば偏光射撃(フレキシブル)に到達する。
だが、夏休み開始からこっち、セシリアのBT稼働率は下降の一途を辿っていた。
原因は不明。春斗に相談すれば何か分かるかも知れなかったが、それは躊躇われた。
春斗はラファール・リヴァイヴ用のプログラム作成もあったし、何より一度、ブルー・ティアーズを見てもらっている。
その際に、偏光射撃(フレキシブル)は何時出来てもおかしくないと言われ、更にアドバイスも貰っているのだ。これ以上、頼って迷惑を掛ける訳にはいかなかった。
そして今、セシリアは底無し沼に沈むような状態にあった。
何度も何度もトライする。その度に落ちていくBT稼働率。今はまだ、ビットの使用に問題はないパーセンテージだが、あと少しすれば、ビットさえコントロールできなくなるだろう。
「どうして……私に能力がないということですの、ブルー・ティアーズ?」
イヤー・カフスを指で弾く。チン、という音を立てて揺れるだけで、それは答えてはくれない。
セシリアは立ち上がって、アリーナから一人立ち去っていった。
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数日後。ある日の一年生寮1025号室。
「へー。結構、似合うじゃない」
「む、むぅ……余りにもヒラヒラしていないか、これは?」
イギリスから届けられたメイド服を試着した箒は、フワリとしたスカート感触に眉をひそめる。
黒を基調としたメイド服には、白いフリルエプロンが付いている。
頭には、やはりフリルのヘッドドレス。足はガーダーベルトにスロのストッキング。
靴はローヒールのパンプスで、動きやすさを優先したものになっている。
「そう? ミニスカートでないだけ良心的じゃない?」
「そういうものか?」
箒は首をかしげつつ、ひざ下まであるスカートを持ち上げる。
「そういうものよ。あ~あ、うちのクラスも結局、鈴の提案した中華喫茶なんてのに決まっちゃうしさ~。あたしの提案したくノ一喫茶の方が絶対、客受けが良いのに~」
そういって、織羽は自分の着ている青いチャイナ服のスリットを掴んでヒラヒラさせた。足の付け根近くまであるそれは、箒の目から見ても煽情的であった。
「……どっちにしろ、喫茶店なのだな」
「ねぇねぇ。折角だし、あたしのチャイナ服も着てみる?」
「何故そうなる!?」
「いいじゃない。その代わりにあたしもメイド服、着てあげるからさ」
「着たいだけだろう!?」
「隙あり! 辰守流忍法、衣抜きの術!!」
織羽の腕が素早く動く。すると織羽のチャイナ服と箒のメイド服がそのままスポーンと抜けて宙を舞った。
「といやっ!」
織羽はジャンプ。宙を舞う服を一瞬の間で着てしまう。シュタ、と着地する織羽――否、メイド忍者。
「うん。中々に似合ってる感じかしら?」
クルリと回ってみる。スカートの裾がフワリと周り、緩やかに下りた。
「そうか。それは良かったな……で、私はどうしてくれる!?」
「……どうしたの、箒? そんなセクシーな格好しちゃって」
「誰のせいだ、誰の!?」
今の箒は、フリルとリボンのアクセントの付いた白い下着姿であった。
しかも、黒のガーダーベルトに同じく黒のストッキング。そのスタイルもあって、セクシーである。
「ははは。ほら、これ着なさい」
そう言って服を差し出す。
「まったく…………………て、これはお前が着ていたチャイナ服じゃないか!!」
「そう言いつつしっかり着ている辺り、笑いというものを理解してきたわね、箒!」
「嬉しくない! 全く嬉しくないぞ! ていうか、何だこれは!? 背中が丸見えじゃないか!!」
「負けたのが悔しくて、セクシーさを優先して見ました」
「お前が用意したのか! ……まったく、どうしてこう……」
ブツブツと言いながら、箒はチャイナ服を脱ごうと手を掛けた。
コンコン。
「はーい、開いてるわよ~」
ドアがノックされる。本音が「後で部屋に行く」と言っていたので、彼女だと思った織羽は声を掛けた。
「入るぞ。箒いる――」
「あ」
ドアの向こうには本音ではなく、一夏がいた。
「……あ゛」
振り返ると、箒がチャイナドレスを腰まで落としていた。
「…………悪ぃ」
バタン。と、ドアが閉じられた。箒はプルプルと震えだし、周知と怒りに段々と赤く染まっていく。
「えーと……ごめん」
そして織羽は、流石ににこれはまずったと、苦笑いした。
「………」
廊下の一夏は顔面蒼白であった。箒の半裸を見て、普通なら興奮してしまいそうなものだが、しかしこの後に待つものを想像すれば、誰でもそうなってしまう。
『一夏、覚悟を決めよう。なぁに、明日は明るい日と書くんだから!』
『全然慰めになってねぇよ!? ていうか、あれは俺が悪いのか!?』
『残念だけど、こういった時は〈大体一夏のせい〉ってタグが付くんだよ』
『タグってなんだよ!? あーもう! このまま帰りてぇ!!』
『しかしそれは問題の先送りにすぎない。そしてこの寮にいる限り、一夏に逃げ場はないのだ(キリッ)』
『その言い草が気に障る……!』
ギリリ。と、拳を握り締める一夏。世の理不尽にこれ程までに憤ろう日が来ようとは、思いもしなかったのである。
――ガチャリ。
「っ……!?」
背後でドアノブが周り、そしてドアが開く音が聞こえた。
「―――入れ」
「は、はい……」
入学初日と同じようなやり取りだが、あの時は救いの声であった箒の言葉が、しかし今は死神の死刑宣告のようであった。
恐る恐る振り返ると、箒の後ろ姿が見えた。チャイナドレスを着直している。
怖々と足を踏み入れる。
「ひっ――!?」
通路の先――ベッドの間辺りに足が見えた。間違いなく人の足だ。
ここには二人しかいない。箒と織羽だ。つまりあれは――。
「何をしている……一夏?」
「っ……!?」
心臓がバクバク言う。駄目だ、これ以上進んではいけない。そして、それを見てはいけない。
しかし、その意志とは裏腹に足は進む。そして、それを見てしまった。
頭部に受けた強い衝撃に、白目を向いて仰向けに倒れたメイド服の少女。
「あ……あぁ……!」
一夏は確信した。それが数秒後の自分の未来図であると。
ガチャリ。背後で音がする。一夏が振り返ると、頭部に衝撃が走った。
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ロシアの密林で、兵士が息を殺していた。
彼はロシア軍の精鋭部隊の隊員だ。異常発生を受けて、小隊でこの場所に来たが、そこに待っていたのは血も凍る惨劇であった。
地面に残る血痕。そして漂う火薬の燃えた臭い。そして次々に殺されていく隊員達。
「何が……何が起こっているんだ?」
小隊6名の内、既に生き残りは彼ともう一人だけだ。この場所に入り込んだ敵――そう、敵だ。それを探して二手に分かれて捜索中であった。
「――どうだ、いたか?」
「いや」
「そうか………っ!?」
今、声は背後からしなかったか。彼は無線で、離れたもう一人に伝えた筈だ。なのにどうして背後から声がしたのだ。
「敵――!」
安全装置を外し、背後に振り返ると共に銃口を向ける。が、そこには誰もいない。
ガサッ!
「足音――!」
背後からだ。いつの間に。そう思うよりも早く反応していた。
「いない!?」
そこにはやはり誰もいない。人間どころか動物さえもだ。
ガサッ! ガサッ! ガサッ!
左。後ろ。左と、まるで彼の周りを回っているかのように、足音がする。
「いない……何がどうなって……!?」
混乱する彼を、更に追い詰める事態が起こった。
ドォオオオン!
爆発。その方向は仲間の向かった方だ。
「クソッ……無事でいろ!」
彼は走った。仲間の無事を信じて。しかし、現実は無情であった。
「っ……なんて事だ」
そこにあったのは仲間の死体だった。薄く上がる黒煙は、彼の足元に転がっている物からだった。
それは――エロ本であった。
「まさかこれは………第二次大戦中にザ・ボスによって考案されながら、しかし余りの残酷さ故に禁止条約が設けられたという史上最悪のトラップ……〈エロイモア〉!?」
エロイモアとは、エロ本の前にクレイモア地雷を仕掛け、エロ本に惹かれてきた敵兵士を爆殺するという、回避不可能の恐るべきトラップである。
「HQ! HQッ!」
『――こちらHQ』
「至急、増援を送ってくれ!」
『増援は送れない。現状の戦力で対処せよ』
「もう俺しか残っていない! 相手は人間じゃない、バケモノだ!! 至急増援を――っ!?」
『……どうした、応答しろ?』
無線の向こうから、怪訝そうな声が聞こえる。だが彼には答えられなかった。
何故なら今、彼の頭部に硬い物が当たっていたからだ。
「動くな」
くぐもった低い声が警告する。それが仲間たちを殺った相手だとすぐに分かった。
自分もやられるのか。いや、そう簡単に殺されてやるものか。殺されるにしても、せめて一矢報いる。
ゆっくりと上げた手を下げる。アサルトライフルは落としたが、ホルスターにはまだ、銃が入っている。ゆっくり、ゆっくり。その瞬間を狙う。
相手の銃が頭から外れ、腰がちょっと重くなり、そして何か音がした。ジュッ。という音だ。同時に何かが燃え出したのか、熱が感じられた。
だが、それが何かを考えている暇など無い。彼は振り返ると同時にホルスターから銃を抜いた。
安全装置を外すと同時に、構える。
そして――彼は目を疑った。
そいつは上半身裸だった。右手にはトーチを、顔にはサルのお面をしていた。
何だコイツは。何処かの原住民か。いや馬鹿な。ここはロシアだ、しかも軍施設の側だ。そんな場所に原住民などいるものか。そもそも、こんな原住民がいるか。つまり――。
「敵だ―――がっ!?」
トリガーを引こうとした瞬間、顔面を燃え盛るトーチで殴られた。一発、二発。そしてローリングの体当たり。見事なコンボに、彼は吹っ飛んで倒れた。
「っ……クソッ!」
だがすぐさま起き上がり、向こうに逃げていく敵に向かて銃を構える。閃光が彼の視界を覆い隠した。
背中に掛かった凄まじい圧力。それが彼の、最期に感じたものであった。
死屍累々の場に残ったのは、SARUただ一匹。そしてSARUは、次なる戦場へと向かっていった。
「本音~。また、その映画見てるの~」
「え~。だって面白いよ~?」
本音が部屋で見ているのは、東西冷戦期に活躍したという二十世紀最高の兵士と呼ばれた男の活躍をモデルにした、戦争映画である。
彼の師によって持ち出された核弾頭が、冷戦のバランスを崩し、世界大戦の引き金になろうとする。
それを阻止すべく、彼にその師の暗殺が命令された。というストーリーだ。
「ていうかさぁ……何でサルのお面? 何でトーチ? 何よ、エロイモアって!?」
「え~? だって、忠実に再現してるって~?」
「無いわよ。全然ない。ていうか、この作品ってリメイク三作目でしょ? 一作目はタキシードで潜入。二作目はワニキャップで潜入。三作目はサルのお面って……どんだけ変態なのよ!? いないわよ、こんな兵士!!」
「え~? そんな事ないよぉ~」
と、映画に関して色々とやっている内に、織羽との約束をすっかり忘れた本音であった。
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「え~とですね……学園祭のシフトに関しての話と、これを持ってきたんですよ」
頭に瘤を作って正座させられている一夏は、おずおずとデータディスクを差し出す。
「これは何だ?」
「春斗から。紅椿用の
「あぁ。だが、もう作ったのか?」
夏休みの中頃。箒は春斗に瞬速超過(オーバーアクセル)のプログラムを紅椿用に作って欲しいと頼んでいた。
「大丈夫。エスキィースシステムを片手間に仕上げたって言ってたし」
「いや、待て。前に既存のプログラムとは違うから手間取ったような事を言っていなかったか?」
「いや。あれは『面倒臭い』だろ? 別に難しい訳じゃなかったらしいぞ?」
「そ、そうか……なんだかもう、考えるもの馬鹿らしくなってきたな」
若干めまいを覚えながら、箒はディスクを受け取る。
「ところでさ、こいつを見てくれ。どう思う?」
と言って、頭に瘤を作った織羽が箒の背後に回りこみ、箒の体を羽交い絞めにした。
プルンッ! と、チャイナ服に包まれた箒の巨大なソルディオス砲が揺れる。
「や、やめろ! ただでさえ胸が苦しいのに……!」
「何だと……それは暗に、あたしよりデカイ事を自慢しているのか? しているんだな!?」
織羽は言葉とは裏腹に口元を愉快そうに歪めていた。ワッシと箒のおぱーいを鷲掴みにする。
「ぬあぁあっ!?」
「くっ……相変わらずデカイわね。ほら、織斑くんも揉んでみたくない? すっごい柔らかいわよ~?」
「なっ……!? 止めろ織羽! 一夏も見るっなぁっ!」
「え!? あ、あぁっ! ごめん!!」
つい呆然と見ていた一夏が、ハッとして背を向ける。
「うっふっふ~。ほらほら、ここが弱いのね~」
「ひうっ!? そこは……やめ……んかぁ!!」
ゴキャッ!
いい音がした。一夏が振り返ると、鼻柱を押さえて悶える織羽と、後頭部を押さえて悶える箒がいた。
「えっと……じゃあ、俺は帰るな……?」
ジリジリと後ろに下がる一夏。
「ま、待て……」
「じゃあな!!」
箒が何か言おうと手を上げた瞬間、切り返して部屋を飛び出した。
この後、約束を思い出した本音が部屋にやってくると、武士と忍者が軽くガチでやり合っていたので、そっとドアを閉じたりした。
何やかんやとありつつも、時は平穏に進み、そして運命の日――〈学園祭〉を迎える。