IS〔ツイン・ソウルズ〕
96部分:最終話 星よ、願いを
甲武甲板上。箒達はそこで、一夏達が帰るのを待っていた。
突然起こったISの異常に、指揮官である連音は一旦船への帰還を命じた。心配ないと返した箒達であったが、何事かあった時、フォローできないと一蹴されてしまい、仕方なく甲武にまで戻ってきていたのだった。
春斗の声に導かれて、一夏に声を届けたところまでは確かに繋がっていた。
だけど、そこからまた繋がりが切れてしまい、今の状況はまた不明であった。
「二人とも……大丈夫よね?」
鈴がポツリと呟く。だが、答えられるものなどいない。
月華白雪。春斗消滅の可能性を分かっていながらも使わざるを得ない状況。そして、それでも尚、敵わない相手。あの声だけで一夏をどれだけ鼓舞できたかも分からないし、何より、そんな事でどれほどの助けになっただろうかという疑問もあった。
だけど、それでも彼女達には二人の帰還を信じるしかなかった。
「っ……? あれは……!」
ラウラが何かに気づき、剥ぎ取るようにして眼帯を外した。擬似ハイパーセンサーである
「一夏……それに、あれは義兄上の体か!」
ラウラが弾む声を出すや、皆は弾かれたように一夏が来る方を見た。
その姿は小さいながら、ハイパーセンサー無しでも見えた。
良かった、無事だった。喜ぶ少女達であったが、しかし、一夏の姿が徐々にハッキリするに従って一抹の不安を抱いていく。
一夏の両腕には長い髪の少年が、しっかりと抱きしめられている。春斗の体を取り戻すことに成功したのだ。だったらもっと、嬉しそうにすれば良い。
なのに、手を振るなり視線を送るなりの一つもなく、一夏は顔を伏せたままだった。
やはり疲労が厳しいのだろうか。あれだけの敵と戦ったのだ、それも仕方ないことだと、無理矢理に不安を押さえ込む。
やがて一夏はゆっくりと甲板へと降りてきた。だが、春斗の体を静かに下ろした一夏は、俯いたままだ。
「一夏、終わったのだな。………終わったのだろう?」
箒が沈黙に耐え切れず、言葉にする。だが、一夏は反応を見せない。沈黙を、ただ波の音だけが乱す。
どれだけそうしていただろうか。新たに甲板へと上がってくる足音がした。姿を見せたのは千冬だった。
「一夏」
「……千冬姉」
姉の声に、ようやく反応を見せる。やっと上げた顔はまるで親の大切なものを壊してしまった子供のように、今すぐにでも泣き崩れてしまいそうであった。
「千冬姉……ごめん。俺……」
傍に寄った千冬に、一夏は崩れそうな表情で言う。言おうとする。だが、言葉が続かない。
「………そうか」
それだけで全てを察し、千冬はぎゅっと口を結んだ。そして、優しく一夏の頭を抱いた。
「よく頑張ったな」
「っ……千冬姉……俺……あいつを……取り戻すって、約束したのに……! なのに俺……あいつ、守れなくて……ぁあ……あああああああああああっ!」
ついに堰を切って溢れ出す感情。内側にポッカリと空いた空洞が、嫌でもその現実を突きつける。
「待ってよ、一夏。それ、どういうこと? 守れなかったって……どういう意味?」
シャルロットが蒼白の顔で問う。自分の中でももしやという思いがありながらも、しかしそれを肯定することなど出来ない。
「ねぇ、春斗は? 居るんでしょ? だって、あたし……あいつの声を聞いたのよ!?」
鈴も、不安の表情のままに叫んでいた。
あの時、月華白雪が既に発動していた事も知っている。だが、そんな中で春斗の声を皆が聞いている。なのにどうして、春斗を守れなかったというのか。
月華白雪を発動させれば、春斗が消えるとかもと言ったのは束だ。あの世界一と言っても過言ではない頭脳を持つ天災の言葉だ、疑いようもない。
そして、発動させても春斗は消えなかった。その筈なのだ。そして春斗の体は静かな呼吸に、胸を上下させている。
全ては終わった。取り戻された。その筈だと。
だがしかし、ただ咽び泣く一夏と、それを抱きしめて涙を流す千冬の姿に、そんな縋るような希望は砕かれていく。
だった筈だ。その言葉は仮定でしか無く、現実には何の力も持たないと、思い知らされる。
「一夏! 何とか言いなさいよ! 言いなさいってば!!」
「鈴さん!!」
「ッ――!」
尚も言葉を荒げる鈴の肩が強く掴まれる。ハッとして振り返れば、セシリアが何かに耐えるような表情で、静かに首を横に振った。
「あ……ぁあ……っ!」
鈴は縋りつくようにセシリアの胸に顔を埋めた。セシリアもまたボロボロと涙を零しながら、鈴を強く抱きしめた。
そして現実を理解できず茫然とするシャルロットの肩を、ラウラが叩く。
「…………あ、ラウラ?」
「大丈夫か? 無理に堪える必要はない。吐き出せ」
そう言って、シャルロットの頭を抱きかかえる。フワリと包み込まれる感触が、フリーズしていた感情を揺り動かす。
「う……ぁ……わぁあああああああああああっ!!」
決壊したダムのように、嗚咽が溢れていく。もう、止められない。
簪も楯無に抱きしめられながら、静かに涙を流して悲しみに耐えていた。
「………」
そして箒もまた、まるで夢遊病者のように呆然としたまま、ガクリと膝を付き、現実を理解できないとばかりに目を見開いていた。
僅か数時間前までいたはずの存在が、この世界から喪失した。
誰もが否応なく、実感の全くない現実と向き合わされ、またはそれに耐えられず、一人では立つことさえ出来ない。
そんな中、千冬はそっと一夏から体を離す。涙でグシャグシャになった顔をそっと撫でて、そして横たえられていた春斗の体を優しく起こし上げる。
「お帰り、春斗。迎えにいけなくてすまなかった。でも、もう大丈夫だ。これからは……ずっと、傍にいるから」
無造作に伸びた春斗の髪をそっと掻き揚げ、ただ一滴、涙を流した。
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白い。どこまでも白い世界。
音もなく静かなゆりかごに揺られて、彼はただ消えいく我が身をぼんやりと感じていた。
『どうしてそう、達観しているのか……聞いても良いかな?』
不意に聞こえた声。彼は薄らぼんやりと開いていた瞳を動かす声の主を探す。
「………?」
そこにいたのは、周囲に溶け込む様な白い制服に身を包んだ少年だった。
黒髪で背はしゅっと高く、細身ながらシャンとして伸びた背がそれを感じさせない。
誰だろうか? 見たことかある顔の筈なのに、何故か思い出せない。
そういえば、どうして自分は消えるのだろうか? 何があって、そうなったのか。考えようとしても思考に霞がかかり、考えられない。
そんな様子を見て何かを理解したのか、少年は小さく首を振った。
『なるほど。存在の喪失が進行して、既に記憶領域にまで達しているか。自分が消える意味も、もう分からないほどに』
「………」
少年の言葉を、しかし彼は殆ど理解することが出来なかった。その言葉にとても重要な何かが含まれている気がするが、しかしもう、考えることさえ億劫になる。
(もう、いい……)
考えることを諦め、彼はその瞳を閉じようと―――。
『――約束だ。絶対に消えるな!』
「っ――!」
突然響いた力強い声にハッとする。それはまるで水底に沈もうとしていた意識を引き上げようとするみたいに、とても強い意思に満ちていた。
「今のは……誰の声だ?」
とても、とても大切な……自分にとって半身のような存在だった筈なのに、思い出せない。
だけど、その声に篭められた想いと願いは、確実に彼を引き止めていた。
『思いだせ。君にはまだ、果たさなきゃいけない約束がある筈だ』
そういって、少年は彼の頭に触れた。
「っ……!!」
『この花火を……今度は、三人で見よう』
『全てが終わった暁には丸一日お時間を頂きます。宜しいですわね』
『全部終わったら、その時は……僕とデートね』
『チンジャオロース? まぁ、良いけど……』
『十月にある〈秋のきのこカレーフェア〉です。全てを終わらせた暁には、嫁と共に是非行きましょう』
次々に蘇る言葉。それは消えかけていた意識の底から湧きだして、彼の中に響き渡る。
「そうか……僕は。でも……」
彼は自分を思い出す。宇宙を舞台にした、世界の命運を掛けた戦い。激闘の果てにブラッド・ガーベラは完全に破壊され、砕けた破片は大気圏によって燃え尽きた。
そしてデモニアも一夏によって倒され、世界崩壊の危機は回避された。
全てが終わり、そして後に残るものは――無い。
「ごめん。もう、約束は果たせない……」
彼はうっすらと笑う。全てを覚悟して、その上で自分が行ったことであるが、それでもいざ自分が消えることを意識すると申し訳ない思いが溢れてくる。
皆があれ程に頑張ってくれたのは勿論、世界を守るためだ。だがそれ以上に、自分のために戦ってくれた。なのにその想いを無にしてしまった。
その後悔だけを抱いて――消えて行くしかないのだ。
「それで……その格好はどういう意味が?」
記憶が蘇ったことで、ようやく少年が誰なのか――正確に言えば『その姿が誰のものか』を思い出した。
一夏と同じような顔でありながら、しかし全体の先は細く、スラっとしている。
『そうだね……いうなれば、皮肉かな?』
「皮肉?」
『織斑春斗という存在が消滅する中で………しかし、コア・ネットワーク内には確かにその存在が記憶されているということよ』
シュルリと布が解けるようにして、少年――春斗の姿が変わる。
そして現れたのは黒衣の魔導師。深く帽子をかぶり、金色のロングヘアーをなびかせて、その瞳は真っ直ぐに春斗を映す。
『コア・ネットワークとはISに関わるあらゆる記録……ISという存在そのものの時間が蓄積されている。そして君は私の存在と長きに渡って一つであった』
「………僕の存在も記録されている?」
春斗が尋ねると、影法師は静かに頷く。
『正確に言うならば、それは”記憶”。だが、記憶だけでは定められし消滅を覆すことは出来ない。それこそ、神の御業の如き奇跡がなければ……ね』
そう言って、影法師はその細い指をパチンと弾いた。すると白に覆われていただけの世界に、色とりどりの光の粒が浮かんできた。
これは一体何なのか。疑問を抱きながらも、春斗は無意識に手を伸ばしていた。
『自分は「否」とする!そして奇跡が起こる事を望むと!!!』
『自分は声を上げて彼の生存を望みます。……誰もが幸せのハッピーエンドを望んで、何が悪いか』
『私は否定する。そして奇跡を起こすために、私は信じる』
『否です。否否否否否。否!』
『返答を、断然…[否]です』
『消えてしまう宿命に自分は異を唱えます』
『答えは《否》一択のみ! 約束は絶対なんですから!』
「っ……!?」
『聞こえた? これは君が消えることを否とする意思。勿論、全てが全てそうではない。それが宿命であるならば、受け入れることが当然だという声もあるし、それを問うこと自体を愚問とする者もいる』
「だけれど」と繋いでから、影法師は言った。
『皆一様に、不幸を、嘆きを、悲しみを望んではいない。だからこそ……力への意志を示す』
その掛け声とともに光が天へと上がり輝く。世界は漆黒に変じ、光は瞬く星と成る。
星は煌めいて輝線を繋ぎ、星座となって、そこに新たな神話を紡ぐ。
「僕は……帰れるのか?」
『この結末が宿星に刻まれた事柄ならば、ここに新たなる星を描こう。それがアガスティアの葉に記された運命ならば、我らはその続きを書こう』
神話は伝説となり、そして語り継がれていく。そしてそこに生まれるのは――創造。
『だけれど、これは私達の
影法師は最後の引き金を、春斗に託す。集った意志という名の力を、指し示す為に。
「帰りたい……一夏の、姉さんの、ほーちゃんの、鈴ちゃんの、シャルの………皆の処に帰りたい!!」
天蓋はやがて一つになって、春斗を包みこんだ。
『悪意に立ち向かった勇気。そして二つの世界を救った大恩に我らは今こそ報いよう。今こそ、神成る力の一欠片を!』
光は漆黒を埋め尽くして――弾けた。
『お行きなさい。君が帰るのを……皆が待っているから』
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「あ……」
鎮魂の静寂を破る、小さな声。果たしてそれは誰のものであったのか。
その声に誰もが視線を”その出来事”に向け、そして驚愕に目を見開いた。
「っ……!?」
頬に触れる指先。一夏のものではない。もっと弱々しく、そしてどこまでも慈しみに満ちていた。
驚きの余り声さえ出せない千冬の目の前で、もう二度と開かれないと思っていた瞼が動き、うっすらとその下の黒曜石を外気に晒す。
「ぁ………」
「春……斗?」
一夏と千冬は、ぼんやりとする瞳に驚きに満ちた自分たちの顔を見る。緩やかに数度、瞬きしてから彼は口をゆっくりと動かして、言葉を紡いだ。
「――おはよう、姉さん」
「春斗……なのか?」
「何を言ってるのさ、一夏。その若さで……もうボケた?」
「ボケてねぇよ! お前……バカやろぉ……っ! なに普通に目ぇ覚ましてんだよ!!」
笑いながら、泣きながら、一夏は春斗の体を抱きしめる。
「ちょっと……苦しいんだけど。それと、男に抱きつかれる趣味もないから、ほーちゃんと代わってくれる?」
「お前……マジで……バカやろぉ……俺の中にお前がいなくて、マジで消えちまったって思ったんだぞ!? 何で普通に……そもそも何で自分の体に戻ってんだよ!?」
「さぁ……もしかして、神様からのご褒美かもね」
そう言って、一夏の背を叩いてゆっくりと体を離す。二人に支えられながら、春斗は驚きと、先ほどまでとは違う意味での涙を流す少女達と〈初めて〉向きあった。
「はじめまして、皆。そして……ありがとう」
自分の体で、自分の声で、春斗はようやくの対面を果たす。
「春斗……! 全く、お前という奴は」
「このバカ! 心配掛けさせないでよ……ぐすっ」
「良かった……本当に良かったですわ!」
「春斗ぉ! 僕……ぼく、春斗が……消え……ひぐっ」
「義兄上、ご無事で何よりです」
「良かった……」
それぞれが、胸に満ちる想いを何とか言葉にしようとするも、上手く変えられない。
代わりに、どこまでも眩しい笑顔が奇跡の生還を果たした少年に向けられた。
「はいはい。感動のところ悪いけど、彼を医務室に運ぶわよ」
そんな空気に平然と割り込んだフィリーは、呼んでおいた船員に指示をして、担架を持ってこさせていた。
あれだけ体を酷使しておいて、負担がどれほどあったかなど、想像するまでもないことだ。
「じゃあ、またあとで」
千冬に付き添われ、船内の医務室へと移送される春斗。それを見送る面々はこれでやっと、全てが終わったのだと、そう思った。
「さて、これにて作戦完了! 後の処理は後発に任せて、私達は学園に返りましょう!」
「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」
楯無の言葉に返した全員の声が、晴天の空に高々と響き渡った。