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その後、僕はしばらく辺りを探し回ったり、彼女の名前を呼んだりしたけれど、再び姿を現してくれることはなかった。先に進もうかどうか迷ったものの、結局僕はスパゲティの置かれたセーブポイントまで戻ることにする。もしかすると、彼女がいるかもしれないという淡い期待を抱いたからだった。
でも案の定、彼女の姿はそこにもなかった。
一人、テーブルに寄り掛かった僕は少しの間悩んだ挙句、セーブを済ませる。このポイントでは二度目のセーブだった。もちろん、死ぬつもりは毛頭ない。でも、万が一に備えて使えるものは使っておくに越したことはなかった。それに、もう一度あのDogi夫妻と戦える気がしないのもある。
でも同時にふと、セーブせずにこのまま前にセーブした時点にロードしていれば、キャラも戻ってきたんじゃないかという考えも浮かんだ。前にこのスパゲティの前でセーブしたときは、彼女と一緒だったからだ。それを考えると、一瞬だけ後悔の念が頭をよぎる。
でも詳しいことはよく分からないものの、彼女は自分のことを僕のソウルに依存した存在とも言っていたような気がする。実際、彼女の姿は他のモンスターには見えない幽霊みたいなものだから、特殊な存在であることは間違いないのだろう。だとすれば、たとえロードし直したとしても、彼女が戻ってくれるとは限らない。おそらく彼女が言った、“蘇った後も自分がそれまでの記憶を抱え続けること”と同じように、ロードした後の彼女の記憶も残り続けるのかもしれない。
加えて、どのみち今の僕にはロードをし直す方法すらも分からない。唯一、セーブポイントから復活するだけなら“死ぬこと”でできるのかもしれないけれども、本当に蘇るかどうかを確かめるために命を絶つなんて狂った真似は、自分にはできなかった。
「はぁ…」
思わず溜息が出る。あの時、僕がもう少し気の利いた言葉を掛けていれば、彼女がいなくなってしまうことはなかったんじゃないか。そう思うと、胸が少し苦しくなった。
彼女が言っていたことは、まさにその通りの事だった。確かに、キャラにあんな風に顔を近づけられて言われたら、恐怖を感じない人間なんていないと思う。それでも、こうなった以上いずれは向き合わなければならないことなのだ。けれど、まだ僕にはその覚悟はできていなかった。
それにしても、彼女があんなことを言うのも少し驚きだった。彼女に会うまで僕はキャラのことを、人殺しも厭わない冷酷な殺人鬼としか思っていなかった。下手をすれば、人の心を持たない化け物とさえも。でも、いざ目の前で出会った彼女は恐ろしい一面こそ時折見せはするものの、きちんと人の心がある女の子だった。ちょっと当たりがキツイこともあるけれど、自分のことを心配したり、気遣う優しさも見せてくれた。
何より、自分が犯したであろう過去の出来事を、後悔しているようにも見えた。
それが、何より一番の驚きだった。今まで僕は彼女を、過去の出来事を何とも思わず、隙さえあれば世界を滅ぼそうとする悪魔だと思っていたのに、実際の彼女はそれとはかけ離れていたのだ。
もはや、自分は今まで抱いてきたイメージは捨て去った方が良いかもしれない。この世界は確かにUndertaleの世界なのかもしれないけれど、Playerである僕が放り込まれたその時点で、既に別の物語が始まっているのだ。ならば、今までの勝手な先入観のもとで行動してもどうしようもない。
「まっさらな心で行くしかないか…」
ぼそっとそう呟いた僕は、寄りかかっていたテーブルから離れるとナップザックを肩に掛け、再び進み始める。
聞こえるのは自分の息と、ざらついた雪の地面を踏み締めるザクッという単調な足音のみ。風の吹き止んだsnowdinの森は奇妙なほどの静けさに包まれていて、流石の僕も急に寂しいような、心細いような気持ちに襲われる。
考えてみれば、自分ひとりで行動するのは久しぶりだった。もちろん、他のモンスターから見れば最初から僕は一人で行動しているように見えるけれど、実際はずっとキャラと一緒に行動していたので、心細さなんてものはあまり感じたことはなかったのだ。
確か、前に本当に一人だけで動いていたのはRuinsだったっけか。あの時はほぼストーリー通りにトリエルと別れて、遺跡の中を彼女の家を目指して突き進んだ記憶がある。もっとも、その時もキャラは姿こそ見せてはいなかったものの、声という形で僕に接触してきたので、正確に言えば一人行動ではなかったのかもしれないが。
たまに嫌な事を言ってきたりはするけれど、やっぱり彼女の存在は大きかったんだということを僕はしみじみと感じた。
森の中を進むこと10分余り。まだ足跡や赤黒い血の跡が残るDogi夫妻と戦った場所を超えると、不意に看板やらスイッチやら、いかにも人工物らしき物が見えてくる。
「これがあの〇×パズルか」
近づけば近づくほど、ゲームの中で見たものに忠実だった。というか、しつこいけれども自分がまさにそのゲームの中にいるのだから、当たり前といえば当たり前だが。
地面には2か所に青いバツ印が描かれ…、というよりは浮かび上がっていて、その奥には足で踏むタイプのスイッチが一つ。形としては日本庭園にあるような丸っこい踏み石にそっくりだった。手前に打ち込まれた粗末な看板には、
『すべての×を〇に変えよう。できたらスイッチを押す。』
と書いてある。あいにく、ゲーム通りにそれぞれの印の周りは大きな雪山で囲まれているので、印を変えるためにはいちいち入口まで回り道をしなければならなさそうだった。しかも、そっと右側を振り向いてみれば、スパイクで塞がれた道の先にパピルスの後ろ姿が見える。ちょっと面倒臭いけれど、余計なトラブルを起こさないためにここは素直に従った方が良さそうだ。
僕はまず看板から向かって左側の印に回り込んでみる。すぐ目の前には青い×印。テレビで良く見るプロジェクションマッピングよろしくどこからか投影されているんじゃないかと思うほどに、くっきりと雪の白い地面に浮かび上がっていた。
恐る恐る、僕はそれを右足で踏んでみる。
すると、見事に青い×印が赤い〇印に変化した。
「すごい…面白いんだけど…。」
それを見た僕は、何だか小学生に戻ったような、童心をくすぐられる様な気分を覚えた。こんなに楽しいのは、本当に久しぶりかもしれない。すぐに反対側の印に回り込むと、ジャンプして両足でそれを押してみる。その瞬間、パッと鮮やかに模様は切り替わり、赤い〇印が地面に浮かび上がった。
「そして、これを押すのか」
2つの印が〇に変わったことを確認して、僕は奥にあったプッシュスイッチを右足で力強く踏み込んだ。同時にパシュっという小気味良い音が響くと、先に通じる道を塞いでいたスパイクが地面に引っ込む。
それに気づいたパピルスが、即座に振り返るや大袈裟に驚きの声を上げた。
「なに!?俺様の罠を避けたのか!?」
「ま、まあ…」
あまりにもオーバーに反応されたので、僕もちょっと答えがぎこちなくなってしまった。でも、パピルスは構わずに話を続ける。
「一つ、聞きたいことがあるのだが、俺様のスパゲッティは残したのか???」
(出たー、答えに困る質問その1…)
絶対に口に出さないように用心しながら、心の中で僕はそう呟いた。この質問、食べたと答えれば嘘つきになるし、残したといえばパピルスの気を悪くしてしまうかもしれない。どっちの答えも同じくらいに答えづらいものなのだ。確かどっちで答えても結局のところそこまで気まずくはならなかったような記憶があるけれど、細かい所はおぼろげではっきりとは思い出せない。ここは、直感で答えるしかないだろう。
「えーと、食べてない…というか、残したというか…。」
「ホントか!うわーお…。お前はあの香ばしい誘惑にも耐えたんだな…。俺様の分を残しておいてくれたんだろ???心配するな人間!俺様、マスターシェフのPAPYRUSがお前のためにどんなパスタでも作ってやるぞ!ヘッヘッヘッヘッヘッヘッニェッ!」
パピルスは感動したような様子でそう言うと、凄い勢いで走り去っていった。一人、残された僕はぽかんと口を開けてしばらくの間、呆気に取られる。眩しい、眩しすぎる…。流石、パピルスだ。
気を取り直して先に進んでみると、見えてくるのは再びのパズル。しかも、先ほどのものよりも大きくて複雑になっていた。これは“解きがい”のありそうなパズルだ。
その手前で待ち受けていたパピルスは、僕の姿を見るなり口を開く。
「SANSは最近、ぼんやりすることが増えたんだ。せっかく話しかけても、聞いてなかったりする。まったく、面倒を見てくれるクールな骨がいるというのに、おかしな話だよな。」
(…あれ)
何の気なしに普段の調子で元気よく話し掛けてくるパピルス。でも、何かが頭に引っ掛かった。何だろうか、この妙な違和感は。何かがおかしいような気がする。
懸命に記憶を手繰り寄せ、違和感の正体を見つけ出そうとする僕。一方、パピルスはそのまま隣を歩いて、次のパズルのところまで案内してくれる。その表情は明るく朗らかで、何一つ曇りのないように見える。でも、それを見てもなお、“何か”が僕の頭の中に引っ掛かっていた。
そのままパズルの前に達したとき、ようやく僕はその正体に気づいた。
(そうか、セリフだ…。パピルスのセリフが違うんだ)
考えてみれば、パピルスはこんな事をゲームの中で言ってはいないはずだった。兄の様子がおかしいだなんていうことを。もちろん、サンズがこのイレギュラーな世界の影響を受けていることは初っ端から散々感じていることので、それ自体は何も不思議ではない。
でも、問題はこのセリフをパピルスが言ったということだった。それも、もともとのタイムラインで話していたセリフを差し置いて。ということは、あまり考えたくはないけれども、パピルスも何かしらの影響を受けているのはほぼ間違いない。
「人間!」
パピルスの声にはっと驚く僕。
思考に潜り込むあまり、危うくパズルを素通りするところだったらしい。すぐに呼び止めたパピルスを振り向くと、何やら気まずそうな顔をしていた。
「んん…、ああー…、何といえばいいか…。お前が来るのが遅すぎて、凄く時間が余ってたんでな…。パズルの俺様の顔っぽく改造したのだ!運悪く、雪が地面に凍り付いて固まっちゃったけどな…。というわけで解き方が変わるのだ!」
「はあ…」
「そして、今回も、あのぐうたら兄弟がいないと来た!何が言いたいかっていうとだな…、心配するな人間。このグレートなPAPYRUS様が、難問を解いてやろう!さすれば俺様もお前も先に進める!しかしだな、もし一人で挑戦する気があるなら…答えは教えないでやるからな!!!」
幸いなことに、ここでの展開は変わらなったようだ。少し安堵する僕。会話から察するに、パピルスは『あのぐうたら兄弟』ことサンズがいたら、自分にヒントを出して簡単にパズルを突破させてしまうと思っているのだろう。でも実際は逆で、サンズがいたら余計にパズルが複雑になるのは火を見るより明らかだった。特にあの透明迷路で、僕はそれが痛いほどに分かっていた。
でも、ここにはサンズはいない。
ということは、ここのパズルも基本的にはゲームのものと変わらないはずだ。
僕はぱっと一目で印の配置を確認すると、猛然と歩いて次々と印を変える。形は複雑だけれど、案の定慣れたパズルと全く同じだったこともあって、全く迷わずに全ての印を“〇”に変えることができた。そして、仕上げにスイッチを押し込んでやると、道を塞いでいたスパイクがパシュッと音を立てて地面に沈み込む。もしかすると、パズルを見てから解くまでに1分も掛かっていないかもしれない。それだけ素早く解けてしまったのだ。
「うわ!!!俺様の助けなしで解いちゃったぞ…。信じられん。さてはお前もパズル好きだな?なら、次のパズルもきっと気に入るぞ!お前には簡単すぎるかもな!ニェッ!へッ!へッ!へッ!ヘ!!!」
笑いながらパピルスはそう言うと、ダッシュで消え去っていった。
パズル好きか…。まあ、某スマホゲームとか一時期ガチにやっていたこともあったから、あながち間違いではないかもしれない。流石に、本人には言わなかったけれども。
一人でクスッと笑う僕。
でも、そんな様子を小馬鹿にしてからかってくる“いつもの声”が聞こえてくることはなかった。その場に響くのは冷たい風音と、自分の息の音のみ。
しんみりした気分になった僕は、大きく息を吐くと表情を引き締める。
この後は記憶の通りなら、アルフィス博士のつくったあのカラーパズルが来るはずだった。赤、青、緑、黄色など、複数の色のパネルがあって、それぞれの組み合わせで移動に制約がつく難易度の高いパズルだ。でも、本来のタイムラインなら“どういう訳か”パズルが移動制約のないピンクの一本道になって、超簡単になるのだ。
でも、ここではその通りになるとは限らない。ましてや、次はパピルスだけではなくサンズも一緒だったはずだ。ならば、サンズが何かを仕掛けてくる可能性は否定できない。いや、確実に何かを仕掛けてくるといってもいい。
「くそ、次がヤマ場か…」
緊張で胸が高鳴る。アドバイスをくれるキャラがいない以上、自分だけでここは乗り切らなければいけない。自信は全くなかった。でも、引き返すという選択肢も、僕の頭の中にはない。絶対に先に進んでフリスクを救わなければ。そして、元の世界に帰るのだ。
ゆっくりと確かな足取りで、僕は引っ込んだスパイクの先へ足を踏み入れた。
だが、その先に広がっていたのは完全に予想外の景色だった。
「どうしたんだ人間!そんなに驚いて?」
思わず驚きの声を漏らす僕に、パピルスが少し怪訝そうな様子で聞いてくる。「ううん、何でもない…」と咄嗟にごまかしたけれども、内心は穏やかではなかった。
なぜならあろうことか、この場にもサンズの姿がなかったからだ。
「おい!人間よ!このパズルはきっと気に入るはずだぞ!偉大なるALPHYS博士が作ったのだからな!」
パピルスはそのまま、パズルの説明を始めている。でも、全くといっていいほど耳には入ってこなかった。なぜここでもサンズがいないのか。その意味を考えていたからだった。
自分のことをあれほど疑っていたサンズが、せっかく自分の素性を知ることができるチャンスをみすみす捨てるというのは少し考えにくい。あのサンズの様子なら自分の事をずっと見張っていてもおかしくない気もするのに、妙な話だった。ここにいなければ、サンズはどこで何をしているのだろうか。どこか遠くから、パズルに挑もうとする僕を監視しているのだろうか。それとも…。
キャラがいれば、どう思うか彼女の意見を聞けたのに、その彼女も今はいない。
これにはかなり困ってしまった。そうこうしているうちにパズルの説明は終わり、いよいよ本番を迎えてしまう。説明を聞きなおせれば良かったのだけど、ついいつもの癖で空返事をしてしまった結果、それすらもできなくなってしまっていた。もう、ぶっつけ本番で行くしかない。このパズルなら、最悪間違っても死にはしないだろう。あくまで、サンズが余程パズルに手を加えてなければだが。
「ニェッヘッヘ!行くぞ!」
パピルスが高らかに笑うと、いよいよパズルを起動させる。ここでもサンズがいないというイレギュラーな展開を迎えている以上、余計に緊張が高まった。地面のマス目模様は漫画やアニメで見るような派手なコンピュータグラフィックスのように絶えず色を変え、ランダムなパズル面を生成し続ける。
思わず息を呑む僕。
マス目模様の変化は次第に速度を増し、目まぐるしく移り変わる。終いには目がチカチカしてきたので、たまらず視線を逸らした。だが間もなく、明滅を繰り返すパズルがついに動きを止め、自分がクリアするべきパズルの盤面が出来上がる。
「……。」
それを見たパピルスは、何も言わなかった。
なぜなら、現れた盤面はゲームのものと全く同じ。赤地にピンクの一直線。もはやパズルではなく、ただの一本道だったからだ。その場でくるくると回り始めたパピルスは、そのままゆっくりスピンしながら静かにその場を去っていった。
拍子抜けするほど簡単に、ヤマ場は過ぎ去ったらしい。
「マジか…。緊張して損したな…」
一気に緊張が抜けた僕は、パズルが切り替わらないうちにピンクの盤面を抜けると、その場に座り込む。心配していたサンズの裏工作もなく、本当にスルっと通り抜けられてしまった。本当にこれで良かったのか少し不安な気もするけれど、snowdinの街まではあと少し。そこを超えれば残すはパピルスとの対戦のみになる。
それにしても、最初は突破できるかどうか本当に不安だったのに、意外とどうにかなるものだった。パピルスはゲームと変わらず眩し過ぎる限りだし、サンズも最初のうちはドキッとしたものの、思ったほど自分の事を疑っている訳でもないのかもしれない。このまま行けば、案外簡単にwaterfallまで抜けることができるんじゃないか。何となくだけれど、そんな気もしてくる。
重い気持ちから解放された僕は、いつの間にか楽観的になっていたようだった。休憩もそこそこに僕は立ち上がると、続く道を歩き出す。早くsnowdinの街に着かなければ。もっと早くその先へ進まなければ。そんな気持ちが、僕の足を徐々に速めさせる。
そのせいで、僕は途中の道の異変には気付かなかった。本来雪像をつくっているはずのレッサードッグや、辛辣な批評をする見物人の姿がないことに。
その先の氷上の〇×パズルも難なくクリアした僕は、木々の合間の狭い小道を這いつくばりながら滑って移動し、崖の反対側へと渡った。もっとも、途中で林から落ちてきた雪が頭に直撃したときは冷た過ぎて死ぬかと思ったけれど。ふと気づくと、風とともにまた雪が強く降り始める。ちょっと急いだ方が良さそうだ。
頭の上の雪を払った僕は、その先の分かれ道をまっすぐ進もうとする。確かこの先にはもう間もなくsnowdinの街があるはずなのだ。
でも、何歩か進んだところで僕は足を止めた。
よくよく考えてみると、この分かれ道を下ったところには洞窟があるはずだった。秘密の扉のある洞窟が。その扉の先には、ある“一匹のイヌ”がいるのだ。
もっとも、こんなイレギュラーな世界では扉かあるかどうかも疑わしい。でも、確かめるだけ確かめるのもありかもしれなかった。Snowdinには少し寄り道にはなってしまうものの、大した距離ではないのだ。
そう考えた僕は、分かれ道の前まで戻ると道を下り始める。雪の斜面は少し滑りそうではあったけど、気を付ければ何とかなる範囲だった。辿り着いた崖の中腹には案の定、不気味に口を開けた洞窟へと通じる一本道が続いている。
(ちょっと怖いけど、見るだけだから大丈夫)
そう自分に言い聞かせた僕は、洞窟に向かって道を進む。ここでもやはり、サンズの姿はなかった。ゲームの中ならこの道の途中に立っているはずなのに、だ。いったい、サンズはどこに行っているんだろうか。
薄く雪の積もった岩壁に覗ける穴には、こちらを見つめる目玉がいくつも浮かび上がる。ゲーム画面ならまだしも、実際この目で見ると不気味極まりなかった。正直なところ怖いので、途中まで僕はあまり見ないようにしていたけれど、最後の方で好奇心が勝ってつい横目でそれを見つめてしまう。すると、目玉は見る間にすっと暗闇に溶けていった。意外にシャイなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか洞窟の入り口まで辿り着いてしまっていた。意外と洞窟は深いらしく、手前の方には鍾乳洞が垂れ下がっていたり、岩がゴロゴロと転がっているのが見えるけれども、奥はほとんどが闇に閉ざされている。これは、中に入るのには少し勇気が要りそうだ。
僕はナップザックを背負い直すと、覚悟を決めて洞窟の中に足を踏み入れる。
(そういえば、ここに来る途中にギフトロットにも会わなかったな。なんでだろう)
洞窟を進みながら、ふとそんなことに僕は気づいた。ギフトロットというのは、角に色々イタズラされた可哀そうなトナカイのモンスターのことだ。洞窟の前の道で必ず出会うはずなのに、今日は彼にも会わなかった。もしかすると、帰りに会うパターンなのだろうか。わからない。
奥に進むにつれ、洞窟の中は次第に暗くなってくる。でも、同時に少しずつ目も慣れてきたのか、暗闇の中でもあまり躓くこともなかった。どうも、周りの岩がかすかに蒼白く発光しているようだ。目を凝らして見ると、同時に何か小さな光が空中を飛んでいるのも見える。周囲を照らす蒼白い光と相まって、凄く神秘的な光景に見えた。
やがて、洞窟の奥へと辿り着く僕。一気に辺りが広くなり、部屋のようなぽっかりとあいた空間が姿を現す。地面には何本か蒼白く輝くキノコが生えていて、その場を明るく照らしていた。そのままさらに奥へと進んでいく僕。間もなく、一番奥の壁に突き当たる。
「やっぱりか…」
案の定だった。壁には扉なんてものはなかったのだ。あるのは雫が伝うやや風化した岩壁のみで、まるで最初からこの場所に扉はなかったというような有様だった。こうなってしまうと、もはや出来ることは何もない。
「仕方ない。戻ろう」
扉があれば自分がこの世界にいる手掛かりが掴めるかもしれないと思ったけれども、流石にそこまで甘くはなかったらしい。この世界は自分が思っている以上に、ゲームから離れてしまっているようだ。まさか、扉自体が存在しないなんて。薄々予想できていたとはいえ、正直驚きだった。
溜息をついた僕は、来た道を戻ろうと後ろを振り返る。
しかし、その先に佇んでいたのは、1体のモンスターだった。
「よお、人間。また会ったな」
「サンズ…?何で、こんなところに」
そこにいたのは紛れもない、スケルトンのサンズだった。でも、おかしい。本来の展開では、こんなところにサンズはいないはず。いったい、なぜ…。突然の出来事に、心臓が徐々に脈打ってくる。
「突然だが、聞いておきたいことがあってな。“言葉を話す花”って知ってるか?」
「こ、言葉を話す花…?何のこと?」
咄嗟に、僕はそう答えた。何でここでそんなことを訊くんだろうか。サンズは相変わらずのニヤついた独特の笑みのまま、口を開く。
「知らないのか。なら、教えてやる。エコーフラワーだ。沼地に生えていて、その花は掛けられた言葉をこだまみたいに繰り返すんだ…。」
「へえ…。そんな花があるんだ」
まるでいま初めて知ったかのように答える僕。もちろん、本当は知っているものの、waterfellに行ったこともない自分がそう答えるのは不自然過ぎるので、仕方なくそう答えたのだった。額から滲み出た冷汗が、ゆっくりと頬を伝って地面に滴り落ちる。
「ああ。で、その花がどうしたかって?まあ、ついさっき俺が興味深い体験をしたんだけどな。聞きたいか?」
「う、うん…」
「そいつは俺の前に現れるなり、こう言ったんだ。
『ボーダーの服を着た人間の子供には気をつけろ』
ってな。妙な話だろ?誰かがエコーフラワーでいたずらしたんだろうな」
一瞬の沈黙。思わず顔の表情が強張るのを、自分でも感じた。サンズはそんな様子を見て、冗談だと言わんばかりに軽く笑いかける。
「へっへっ…。心配するな人間。誰もお前のことだとは言っちゃいねえさ。ボーダーの服を着た人間の子供なんて、他にもいるかもしれないしな」
そう言うとサンズは再び、あの何を考えているのか分からない、いつものニヤついた顔で笑い始めた。極度の緊張の中、僕も懸命にそれに合わせて苦笑いをする。まるで生きた心地がしなかった。
この場は早く切り抜けないとまずい。
本能がそう告げていた。僕はそのまま立ち去ろうと、「じゃ…」と軽く挨拶すると彼の横を通り過ぎる。一刻も早く逃げたいその一心で。
心配とは裏腹に、サンズは何も言わずにただ突っ立っているだけだった。逃げるなら今しかない。つい荒くなりがちな呼吸を懸命に抑え込んで、僕は冷静を装いながら足早に洞窟の出口へ向かおうとする。だがその時だった。
「ああ、そうだ人間」
何かを思い出したかのように声を上げるサンズ。そのまま静かに足を止めた僕に、彼は何気ない口調でつづける。
「もう一つ、その花が言っていたことがあってな…
お前、
咄嗟に振り返った僕の目に映ったサンズの瞳は、悍ましい闇に塗り潰されていた。