銀騎士団長が休暇申請をした。
その報は瞬く間に城中を駆け巡り、城内を騒然とさせた。
有給というシステムもある中何故彼女の休暇程度で? と思われるかもしれないが、これには訳がある。
ソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァは休暇を取ったことがないのである。
24時間365日。
いや、流石に交代で勤務しているので24時間仕事しているわけではないが、空いた時間は全て鍛錬に費やす阿呆であるからして、一般的な人間からする休み、というものがない。
クリスは珍しいと称したが、珍しいどころの騒ぎではない。銀騎士団長初の休暇である。
もう一度言おう。
ソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァは休暇を取ったことがないのである。
その衝撃たるや、100年前にあったという新たなダンジョンの発見のそれに匹敵するだろう。
宮中女官を始め、普段はチェスで遊んでいるだけの各大臣すら真面目な顔で何か大変な事態が起こっているのでは? と会議を開き、王国が誇る騎士団は訓練量を普段の二割増しで行った。
残念ながら、かの阿呆がそんな深いことを考えていたわけではない。
一月に一度ほどのペースで送られてくる実家からのいい加減帰って来いという手紙を普段なら知ったこっちゃねえとばかりに無視するのだが、ちょうど父親に言いたいことがあったから帰るかー、と気まぐれに応じたというだけの話である。
振り回される周りとしてはいい迷惑だが、まあ普段仕事していないので同情するべくもないだろう。
では、件の阿呆は何をしているのか。
「……ごめんなさいおかあさまもうしませんゆるして」
真っ赤なカーペットの引かれたエントランスホールで正座させられていた。その脇に積まれたフルプレートアーマーが崩れてがしゃりと音を立てる。
数えるくらいしか全部脱いだことのない鎧を剥がされた後のぴっちりとしたスーツ姿で使用人達の目の前に晒されながら、落ち着かない様子で身をよじる。
……ちょっとカニの殻を彷彿とさせる鎧に、夕食はカニがいいなぁなんて考える。いや、この世界にカニはいるのだろうか?
暢気なことを考えていたソーヤに対し、母親――ナターリヤが冷たい目を向ける。
「いいえ許しません。今日という今日は貴女を立派な淑女へと矯正してあげますから覚悟なさい!」
「もうやだー帰るー!」
「ここが貴女の帰る家です! ほら、しゃんとしなさい! 大体なんですかその髪は! ちゃんと手入れしなさいと言っていたでしょう! それから肌! 何故か保湿だけはしっかりしているのが気になりますがお風呂上りに化粧水を塗るくらいはしているのでしょうね?」
「……してます」
その目はあらぬ方向へと向けられている。
顔をちらりと見たナターリヤが鼻で笑う。
「嘘ですね」
「ナゼェ!?」
「あなたがそんなことをするわけないでしょう。大体こんなものをつけて家まで帰ってくるくらいですから、どうせほとんど外していないのでしょう?」
「うっ……」
しゅん、と小さくなるソーヤ。
如何に最強の阿呆とて母には敵わない。
「あなたは素材自体はかなり良いのですから、もっとちゃんと気を遣いなさい。それこそ今頃は良い人を見つけて結婚していてもおかしくないというのに……」
分厚い金属板を外した後のソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァはまるで物語の中から出てきたかのような美しい女性だった。
豊かに金の輝きを放つ巻き髪と燃えるような意志を感じさせる紅い瞳。汗でしっとりとした絹のような白い肌から漂う甘い香り――香水ではない、不思議なその匂いはフェロモン的なあれかもしれない。
ドン、と強烈な主張をする胸が身じろぎの度にふるりと震え、見ていた人たちが男女問わずごくりと生唾を飲み込む。
だが――だが、残念なことにその豪奢な金髪は長らくまともに手入れされていないことでぼさぼさになっているし、艶も失われている。白い肌も所々に擦れたような傷痕や痣が出来ているせいで
身体は成熟しきった女性のそれであるのに、中身が最強にしか興味のない阿呆であるからか。そこはかとない残念感の漂うその姿は周りの人たちの予想通りナターリヤの逆鱗に触れていた。
ちなみに彼女の信条は宝石は磨かなければ光らない、である。
「ソーヤ。明日の予定は空いていますね?」
「え、あっ、はい……」
「よろしい。では今日一日で出来るだけのことをしてみましょう」
何やら不穏な空気を醸し出した母に、ソーヤのゴーストが「やべぇよやべぇよ……」と囁く。このままいつもみたいに聞き流して頷いているだけでいたら、何か良くないことに巻き込まれる気がする。
「あの、明日は一体何があるのでしょうか……?」
「あら、決まっているじゃない」
その瞬間、ソーヤは母の後ろに鬼を見た。
「伯爵家主催の
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ダンスパーティ。
それはつまり、未婚の若い男女たちがお互いの家のプライドと利益とをかけて挑む愛憎渦巻く戦争の場である。
と、まあ多少大袈裟に言ったが基本的には未婚の男女が恋人を探すための催し物だ。当然、身分が高かったり、顔のいい男なんぞはご令嬢方からの人気も高く、そういった男に集まることが多いのだが、中には話しているうちに恋に落ち、そのまま……といった具合で結婚するパターンもある。
未婚の男女、という関係上大体そこで見る顔というのは決まっている。
決まっているのだが……今回は違った。
青いドレスに身を包んだソーヤが姿を現した瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
ぼさぼさだった金髪はたっぷりと香油を塗り込まれ、黄金の如き光を放っている。それが結い上げられ、丸見えとなった背中は真珠のように白く、鍛えられ引き締まった筋肉の美しさを見せつけている。
それでいて胸元は大きく開いてこれでもかというほどに女性らしさを主張する。
見たことのない顔であるということ、それからあまりの美しさと色気に会場中の視線が集まっていた。
「あのご令嬢は一体……?」
「なんと、あのワトソン子爵でもご存知でないとは……」
「それにしても美しい……見ろ、あの黄金のような髪を」
「いや、それよりもあの身体つきだ。あの肉感的な身体はそういないぞ」
「ああ……確かに……」
「見事だ……」
男たちの下卑た視線を一心に集めながらも凛と前を見据えて歩く姿に見惚れるのは男ばかりでなく。むしろ、女性の方が注目していた。
「なんてお美しいのかしら……」
「凛々しくもお美しい……何故でしょうか、私息苦しく……」
「まあ、貴女もですの? 実はわたくしも先ほどから……」
残念ながら恋の予感などではなくソーヤが発する威圧感による不整脈である。
一晩中椅子に縛り付けられ、淑女とは何たるかをみっちりと叩きこまれ、使用人たちの手によって香油だの化粧水だのを塗り込まれ、挙句にコルセットでみしみしと音を立てるほどに絞られたのだ。
その間鍛錬することが出来なかったストレスと鎧を着けているのが常であったために軽装になると感じるストレスが周囲への威圧へと繋がり、誰もが興味を持っているのに何故か近付けない――そんな奇妙な状況を作り上げていた。
かといってそんな状況を作り上げながらそれを理解していないような阿呆たるソーヤは何かを見つけるとぱっと表情を華やかなものに変え、ぱたぱたと駆け寄った。
その先には――クリス・マーキスの姿がある。
まあ、察しのいい方はお気づきだろうがこの阿呆はただ単に誰も知り合いがいないなぁなんて考えていたところで職場の同僚に会えたので駄犬よろしく駆け寄っていったというわけである。
だが、その姿が周りにどう見えるのか。
突然現れた物凄い美人が仏頂面から笑顔に変わったかと思うと、一人の男のもとに向かっていったのだ。
これで何か邪推をするなという方がおかしい。
「全く知り合いがいない中で少し緊張していたんだが、副団長がいてくれて助かった」
「ええと……あの……?」
「いや、分かっている。みなまで言わないでくれ。確かにこんなのが似合わないのは自覚しているんだが、お母様に無理矢理着せられてしまってな」
「あの、人違いでは……?」
「そんなわけないだろう。この前だってずっと一緒にいたというのに」
「はい!?」
ずっと一緒にいただと!? と、さらなる混乱状態に陥るクリスを横目に、ソーヤは暢気にシャンパンを傾ける。
一瞬で顔が真っ赤に染まった。
「ぅあ……? なんか、ぐわんぐわんすりゅ……」
「ちょっ、ああもう!」
ぐらりと傾いた身体を支えようと伸ばした手に感じるのは、女性らしい柔らかさとそれでいて鍛えられた筋肉のしなやかさと強靭さだ。
すぐに戦うものの身体だ、と理解するが、そのことについて深く考える前に全体重を掛けられ、意識が飛びかける。
180近いクリスをして見上げなければいけないソーヤの長身。そして全身に纏った筋肉という重りがあるためそれなりに鍛えているクリスでなければ潰されていただろうという重量がのしかかる。
端的に言って重い。非常に重い。
が、女性をそのまま床に放り出すわけにもいかず、周囲に一言断りを入れてから奥の休憩室へと連れていく。
人一人が横になれる大きさのソファに何とか転がすと、クリスは大きく息をついた。
このまま回復するまで休ませていてもいいのだが、様子を鑑みるに寝てしまいそうだ。家のものを呼んだ方がいいだろう、と判断し、声を掛ける。
「すまないが、レディをもてなす部屋の用意が出来ていなくてね。迎えを寄こしてもらうから、家名を教えて貰ってもいいかな?」
この時。
家名ではなく、ちゃんとした名前を聞いていればこの先のややこしい話もコンパクトに纏まったのだろうが、クリスはあくまでも紳士であろうとして、他意はないということを示すために家名だけを聞いた。
「パブロヴァ……」
「パブロヴァ、というと……君はもしかして、
「んー」
どうやら身体が弱いせいで社交界に出ることが出来ない深窓の令嬢はこの女性らしい、と悟る。
パブロヴァ家といえば社交界でも目立っている存在である。その両親が大恋愛の果てに両家の反対を押し切り、結婚まで漕ぎつけたとかそういうこともあるのだが。
パブロヴァ家というのは代々変人が多いのだ。
そんなパブロヴァ家の娘は身体が弱いことを理由に一度も社交界に出たことが無かったのだが、恐らくは先代までの例に漏れず彼女もまた何かあるのだろう。
「クリス……水ぅ……」
「一体どこで出会ったのかさっぱりなところがまた……」
言いつつ律義に水を持って行ってあげる。
ぐにゃんぐにゃんのふにゃふにゃになったソーヤでは水を飲めそうにないため、背中を支えながら水を飲ませてやる。
白い首筋が二、三度と上下するのを見て取り、グラスを離す。
「もう大丈夫かな?」
「んー、まだぐらぐらするけど、へいき。くりす、ありがとう」
酔いの抜けない舌足らずな口調で言われたお礼と、まるで幼女のようなあどけない笑顔に、内心でどきりとしながらも、クリスはパブロヴァ家へと使いを送る。
カップラーメンが出来るよりも短い時間だったはずだが、部屋へと戻ってきたクリスが見たのは深い眠りに落ちる阿呆の姿。
色気とかよりも先に心配になってくる。
「そういえば団長も酒弱かったなぁ……」
思い出すのは一度だけ銀騎士の面子で飲みに行った時のこと。
グラス一つを一気飲みしたかと思うとそのまま沈黙した姿。あまりにも重いため、移動させるのを諦めたことを思い出して忍び笑いを漏らす。
「いや待てよ……あれだけ酒に弱い人物が他にいるか……?」
瞬間、クリスの脳裏に衝撃が走る。
まさか、まさかだが……
「団長の妹さん、か……?」
ありえる。
これだけの長身はそういないが、血を分けた兄妹なら、まあ。
そして自分のことを知っていたのも兄――団長から話を聞いていたとすれば頷ける。
「なるほど、そういうことか。全くあの人もそれなら言ってくれればいいのに」
クリス・マーキス。
優秀で有能な男ではあるが……まさか目の前の女性が銀騎士団長その人であるとは夢にも思わなかったのである。
分かる人には分かると思うけどどこぞの神造メイド長も酒呑んだらこんな感じです