ホグワーツに入学して早くも2ヶ月。今日はハロウィーンだ。学校中の誰もが浮足立ち、城中はかぼちゃの香りに包まれる。
本日目玉の授業はフリットウィックの妖精の魔法だ。やっとものを飛ばす練習が出来るので生徒の機嫌も上々だ。先生は生徒を二人ずつ組ませてから授業を始めた。
僕のペアはグリーングラスだ。彼女の成績は常に真ん中あたりだ、その上僕は彼女が宿題以外の勉強をこなしているのを見たことがない。机に齧り付き、もはや机と一体化しそうなグレンジャーなら別だが、奴は相当な天才に違いない。
先生に言われた通りの呪文と杖の振り方を実践するが、中々一筋縄ではいかない。この僕でさえ簡単に成功できなかった。
しかし問題は僕達ではなくウィーズリーとグレンジャーだ。
グレンジャーがウィーズリーのお手本として羽を飛ばすと、先生は彼女を褒め称え、グリフィンドールは5点加点された。自分の素晴らしさをアピールされ、成功しないウィーズリーはさぞ悔しかっただろう。
「さすがミス・グレンジャーね。たった一回で飛ばせるなんて」
「フン、大したことないさ。僕だって本気を出せばこのくらいなんてことない」
「なら見てみたいものね、貴方が本気を出すところ」
「なっ……!お、お前だって成功してないじゃないか!」
グリーングラスはクスクスと笑った。
「じゃあ頑張りましょう。二人でやればなんとかならないことはないわ」
僕は驚いた。グリーングラスがこんな物言いが出来るとは。
「何よ。別に変なこと言ってないわ」
「お前がこんなこと言うなんて変だろ……」
「失礼しちゃうわ」
つんとそっぽをむいたグリーングラスと僕はひたすら呪文の練習を続け、ようやく成功できた。
授業が終わって、全員が解散するとポッターとウィーズリーにそれとなく合流した。ケルベロスを見たあの日から少し距離が近くなった気がする。
「本当に最悪だよ、今日の授業。全く悪夢みたいな奴さ」
「当たり前じゃないか。グレンジャーは穢れた血だ」
その時、世界が静止したように思えた。空気も、時も、なにもかも。
引きつった笑顔のままウィーズリーは言った。
「穢れた血は……言い過ぎじゃない?」
「本当のことじゃないか。もしかしてウィーズリー、君はアイツを庇うっていうのかい?」
「庇うわけじゃないけど。マルフォイはやっぱり純血主義なんだなって」
僕は理解した。ウィーズリーは確かに純血だ。でも“血を裏切る者”だ。根本的に僕と考えが違う人間だ。本来だったら関わるはずのない人種だ。
本当は対岸の人間だ。
「それの何が悪いんだ。君はアイツが嫌いだ、僕はマグルが嫌いだ。それに何の違いがあるんだ、ウィーズリー?」
ウィーズリーが僕に失望しているのは見て分かった。
「もういい。分かったよ」
その言葉が何を意味しているのか分かった。
当然だ、最初から分かっていたことだ。
『僕と君は友達になれない』
ウィーズリーはポッターを連れて、行ってしまった。
悲しむ必要は何もない。
※
全ての授業が終了し、晩餐の席に着く。さすがホグワーツのハロウィーンだ、食卓に並ぶのはかぼちゃパイにかぼちゃのポタージュスープ、かぼちゃサラダ、かぼちゃグラタン、かぼちゃプリン。中にはニホンから伝わったかぼちゃのテンプラとかいうものもある。
舌鼓を打っていると、頭のずれたターバンを支えながら、闇の魔術に対する防衛術のクィレルが青い顔で広間にやってきた。
「ち、地下室にトロールが……!」
それだけ言い残すと、バタンと気絶して倒れてしまった。
和やかだった広間中に恐怖と当惑が伝染する。ざわめきだした生徒達を静かにするため、ダンブルドアは紫の爆竹を杖先からいくらか放った。
「監督生よ。速やかに自分の寮の生徒を引率して談話室にもどるのじゃ」
トロールが学校に侵入するなんてやっぱりホグワーツはどうかしている。生徒にもしものことがあったらどうやって教師は責任をとるんだ。
「……マグルが消えるなら別の話だがな」
僕は一人で呟いた。
すると僕の元に駆けつけてきたのは―ポッターとウィーズリー。
「な、何の用だ!」
切羽詰まりながらウィーズリーが言った。
「決まってるだろ!女子トイレに行くんだよ、三人で!」
「……え。はああああああ!い、行きたいなら二人で行け!僕にはそ、そんな趣味はないからな!」
「ロン!違うだろ、ちゃんと説明しなきゃ」
僕は不良学生ではない。さらには女子トイレを覗く破廉恥な趣味はない。この混乱に紛れてこんなことをしようとするなんて言語道断だ。
「ハーマイオニーが僕達の悪口を聞いていたみたで女子トイレに一人なんだ。僕らは助けに行くけど、君も勿論来るよね」
ポッターは早口でまくし立てた。一応、最後の文は疑問形だが強制を意味しているのは分かった。しかし僕が危険を侵す必要はない。
「僕にマグルを助けてやる義理なんてないね」
「―マルフォイ!」
「もう分かっただろハリー!早く行こう!」
「……うん」
ポッターとウィーズリーは走ってハッフルパフの波にもまれながら進んだ。僕は少し遅れてしまった列を取り戻すべく足を急がせた。
「あら弱虫さん。結局行かなかったのかしら」
僕の隣に並んだのはグリーングラスだ。僕達の話を盗み聞きしていたらしい。僕は何故か神出鬼没の彼女の特性を恨んだ。
「勝手に聞くな、失礼な奴め。それと僕は弱虫じゃない」
「それは失礼したわ。失礼ついでに一つ言うけど……そのままだと友達なくすわよ」
本当に失礼な奴だ。
しかし構わずにグリーングラスは続けた。
「現にスリザリンを半分敵にまわしているようなものだし。グリフィンドールだって別に貴方のことを完全に信用なんてわよ」
「だから僕に危険を侵せと?冗談じゃない、僕は行かないからな」
グリーングラスは溜め息をついた。
「強情かしら。でも貴方が言うことも確かに一理あるわ。まあ好きになさい、せっかく仲直りのチャンスだったけど」
列は段々グリフィンドールの談話室のある尖塔に近づいていく。危ないことは他の誰かにやらせればいい。例えば英雄・ポッターとか、その腰巾着のウィーズリーとか。
仲直り?僕はアイツらのことなんて何も思っちゃいない。だから僕は行く必要はない。
最初から友達になることを望めない人種だから。
その時、僕の脳裏にグリーングラスの「弱虫」という言葉が響いた。
『あら弱虫さん。結局行かなかったのかしら』
僕は、違う。弱虫じゃない。
僕が行くのはこれをアイツに、グリーングラスに証明するためだ。
断じてグレンジャーを助けるとか腑抜けた理由じゃない。
僕の強さを見せつけるためだ。
どちらが腰抜けか教えてやる。
それにトロールは馬鹿だ。なんとかなる。
……多分。
僕の足はじりじりと後退する。背を向けたグリーングラスもローブの黒に埋もれて見えなくなる。
「―僕は弱虫なんかじゃない」
僕は人を押し、人に押され、反対方向に向かった。ウィーズリーの兄弟の監督生が「待つんだ、一年生!」とか言う声が遠くで聞こえた。
どれくらい走っただろう、僕が肩で息する頃には例の女子トイレの前だった。
一足先に辿り着いたポッターとウィーズリーの小さな後ろ姿が見える。
ん?待てよ、僕は“女子トイレ”に入らなくちゃならないじゃないか!
いや、当たり前だけど思わぬ難所だ。母上に「マルフォイ家たるもの常に紳士であること」と教えられているのに。しかしここで戻ったらそれこそグリーングラスに鼻で笑われるのが目に見える。
「……母上、申し訳ありません」
僕はそう呟き、女子トイレに踏み込んだ。
「……うッ」
……ひどい臭いだ。言葉で表わしたがいほどの悪臭だ。薬草学の温室のあの独特の臭いの方がまだ可愛げがある。
僕はローブから杖を引き抜き、警戒しながら恐る恐る奥へ進む。馬鹿のトロールのことだから不意打ちなんて出来ないだろうが、誤って潰されたら危ない。恐々させた足が疲れて震える。勿論恐怖に打ち震えているわけじゃない。そんなのマグルだけで結構だ。
ようやく奴の姿が見えた。一番奥の小窓から漏れる月明りに照らされた四メートル級の巨体。墓石色の肌はすでに誰かを弔っているように思える。それに岩肌のようだ。顔は間抜けそうだ。
「なあんだ。……大したことないじゃないか。ただのデカぶつさ。何も怖がることなんて……は、ははは……」
僕は思わず後ずさる。トロールは僕を見つけたようで、ノッシノッシとゆっくりこちらに近づく。
「ぼ、僕は何もしてない……。そう、何も!だから馬鹿なことはやめて……大人しくした方が君のためだ」
トロールは僕の顔を舐めるように覗き込む。
「はははは、は、ははは……」
視界が雨が降っているようにぼやける。別にこれは涙じゃない。汗だ。戦った勲章の汗だ。
「マルフォイ!今からハーマイオニーを個室から出す!引き付けろ!」
「な、何だポッター。引き付けるって……」
「早くしてよ!」
僕はその場に座り込んだ。こんなのに挑むなんて無謀だ、馬鹿のやることだ。そう、僕のような理性的な魔法使いがやることではない。
―助けて母上!
「やーいウスノロ!こっち向けよ、この間抜けめ!」
僕の前に来たのは母上ではなくウィーズリーだった。罵倒されたのに気づいたトロールは醜い顔面をさらに醜く歪めて怒っている。ウィーズリーは落ちていた金属パイプを投げつけたが奴は何も感じない。
「早く、走れ、走るんだ!」
ポッターはグレンジャーに向かって叫んだ。ドアの方へと引っ張ったが、グレンジャーは恐怖でメドゥーサに見つめられたように固まり、壁にぴったりと張り付いたままだ。先ほどのポッターの叫び声によりトロールは逆上してこちらに向かってきた。
……え?こちらって……。
「来るぞマルフォイ!ほら立てよ」
僕はウィーズリーの手を借りてぼんやりと立ち上がる。
その時、ポッターはトロールに飛びつき、首に腕を回してまとわりついた。……何をやっているんだポッター。そんなことをやってもトロールは当然分かるはずがないが、ポッターの杖が鼻のあたりをぐいぐいと突き刺す。そしてついに鼻の穴にお見舞いしてやった。
「いいぞハリー!」
ウィーズリーは叫ぶ。トロールは痛みに呻き声をあげながら、持っている棍棒をやたらめったら振り回す。ポッターは揺れる巨体に必死にしがみつく。しかしトロールも負けじと棍棒でポッターに一撃をくらわそうと奮闘する。
「どうしようマルフォイ。……ハリーが!」
「分かってる!」
僕は握りっぱなしの杖をトロールに向けた。まるで北極にでもいるみたいに体がガタガタする。
「どうしようウィーズリー」
「何!」
「……呪文が思いつかない」
暴れるトロールを前に僕は冷や汗をかきながら言った。
「そんなの何でもいいよ!早くコイツを!」
ポッターの悲痛な声にウィーズリーはこたえるように杖を取り出す。
どうしよう。何か、呪文だ。ここで役立ちそうな……。
ええい、もう何でもいい!どうにでもなれ!
「ウィンガ―ディアムレビオ―サ!」
何たる偶然、そう叫んだのはウィーズリーと同時だった。
トロールが持っていた棍棒は右手から離されて、空中を舞う。そして一回転すると、トロールの頭に鈍い音が響いた。トロールはフラフラとよろけるとその場でうつぶせになった。
四人は今起こったこの惨状ともいえる光景をひたすら眺めた。
「これ……死んだの?」
だんまりのグレンジャーがようやく口を開いた。
「いや、ノックアウトされただけだと思う」
ポッターはトロールの鼻のあなから杖を引き抜いた。先端には灰色の塊―つまり鼻糞がついている。見るに堪えないものだ。
「ウエー。トロールの鼻糞だ」
ポッターは鼻糞がついた杖をこちらに向けた。
「こっちに向けるなポッター」
「ハリー!その鼻糞、マルフォイにも味合わせてやれよ」
「は……何を言って……。や、やめろ!つけるんじゃ……!あー!」
ポッターの魔の手により僕のローブにはべったりと汚物がついた。しばらく四人の鼻糞つけ合い合戦というとてもくだらない戦いが繰り広げられた。まもなくして四人は鼻糞だらけの姿になったのだ。
「貴方達!一体全体何をやっているのですか!?」
僕達の惨状―そしてトロールが倒れている惨状にマクゴナガルは言った。僕らの顔面は一瞬にして蒼白になる。マクゴナガルの後ろにはダンブルドア以外の他の教師陣が控えている。「あのう、先生達は何でここに……」
ウィーズリーはおずおずとたずねる。
「監督生から連絡がきました。ミスター・マルフォイが避難列から抜けたという」
マクゴナガルはじっと僕を見つめた怒気を含んだ目を。
「貴方には失望しました。こんなに無謀なことをするなんて思いもしませんでした」
「マクゴナガル先生!聞いてください―三人は私を探しにきたんです」
グレンジャーが叫ぶ。そして息を吸い込んで言った。
「私、トロールをやっつけにきたんです。トロールのことは本でよく知っていたので……一人でできると思いました」
マクゴナガルは「まあ」と声をあげ、グレンジャーの真っ赤な嘘に教師はざわめきだした。勿論先生は嘘だなんて微塵もおもってないだろうが。
「もし三人が私を見つけてくれなければ、きっと今頃死んでました。ハリーはトロールの鼻の穴に杖をさし、ロンとマルフォイがトロールの棍棒でノックアウトしました。本当に三人が来てくれなかったら、私は……」
僕達は顔を見合わせたが、マクゴナガルがこちらに視線をやったので「全くその通りです」と激しく頷いた。グレンジャーがこの世界で一番嫌いなことは規則を破ることだ。彼女がそんなことをするなんて、天変地異もいいところだし、クィレルがフローラルな香りを放つほどにありえないことだ。
「ミス・グレンジャー、愚かしいことです。たった一人で野生のトロールを捕まえようとするなんて。グリフィンドールは五点減点です。―しかし」
しかしの後が気になる。僕達はその言葉の続きを息をのんで待った。
「一年生でトロールと対決できるなんてそうそういません。一人につき五点ずつ差し上げましょう。先ほどのパーティーの続きが寮で行われています。さあ、ローブを綺麗にしてから早くいってらっしゃい」
母親のような慈しみの笑みを浮かべ、マクゴナガルは他の教師を引き連れて去って行った。
行ってしまった途端、忘れかけていた疲れがどっとでた。僕はローブがトロールの鼻糞まみれになっていることに気づいた。談話室に戻ったらグリーングラスになんとかしてもらおう。
僕達はぐったりしたまま、寮のある尖塔に向かった。
「ありがとう」
突然、ぽつりとグレンジャーが呟いた。
「嬉しかったわ、その……助けに来てくれて」
ぼそぼそと力なく言うグレンジャーはいつものような自信満々な姿とは打って変わっている。
「当ったり前だよ!クラスメイトだろ!?」
「ロン、その前に言うことがあるだろ?」
ポッターがいさなめるとウィーズリーは決心したように言った。
「えーと……。授業の時は僕が悪かったよ、ごめん」
言い終えると、ポッターとウィーズリーは僕の方を見た。
「な、何だよ」
「ハーマイオニーに言うことがあるんじゃない?」
ポッターはニヤニヤと笑った。
「僕は……別に」
「マルフォイ!」
ポッターとウィーズリーは声を荒げた。
「……すまなかったな」
僕は素直にその言葉を口にした。四人で戦ったからといって、謝罪したからといって、純血主義の思想が抜けたかときかれれば違う。僕はこの血の繁栄と安寧に生涯を捧げると決めている。
「声が小さすぎて聞こえないよ、ドラコ坊ちゃん」
「……殺されたいなら素直にそう言えウィーズリー」
「もう―いいわ。気にしてないもの。……それよりご飯を食べましょ、この四人で」
グレンジャーの提案に頷きあい、僕達は走って談話室まで向かった。すっかり疲れは忘れていた。
僕は純血主義だ、それは変わらないことだ。
―でも。
友達がいること。それが何の罪になろうか。