自分は人魚を拾った、でもこれは内緒だ、世間にばれたら大変な事になるか
ら、いや、それだけじゃない、もし、このことを本人が知ったら、どう思うだ
ろう、本人というのは、あの人、俳優、本人だ。
顔や姿だけではない、声まで、そう。
バイトは週に三日、最初は軽いというか、それほど重労働ではないと思って
いたが、本の整理、棚の生理結構、重労働だ。
肩はバリバリ、腰はだるくなるが、我慢、ガマンだ。
「木桜美夜、さん」
思わず振り返った、何故、自分の名前を知っているのか、そんな感情が顔に
出たのかもしれない、すると声をかけてきた相手が僅かに口元を緩め、にっこ
りと笑った。
この笑顔を友人が見たら素敵と思うだろうが、 生憎と彼女に、そんなこと
考える余裕はなかった。
すると相手は君の友人から伺った、ぼそりと呟く様な会話に、彼女は心の中
で友人を呪ったのはいうまでもない。
「はあ、そうですか」
間の抜けた声で返事をすると、何か用ですがと言葉を続けた。
「人魚はどこにいる」
少し迷って家に居ますよと返事をした後、話す事は何もないといわんばかりに
彼女はバイト先に足早に向かった。
世の中には不思議な事がある、人魚が本当にいたという事実だ。
童話の人魚姫なら美少女、美女、いや、マンガや同人誌なら格好いい、イケ
メンの男の人魚とか、だが、それは明らかに幻想だという事実を知ったのは半
月程前だ。
髭面のむさい、クマみたいな、しかも外国人のおっさんが人魚、だなんて信
じられないというか、ショックで笑い飛ばすこともできない。
(それにしても、あの科学者、マッドサイエンティスト、国に帰らないんだろ
うか、家族が待ってるだろうに)
自分が人魚を匿っていると事を知っている唯一の人間、それが先ほど声をか
けてきた男だ。
自分の国へ連れて帰りたいと言っていたが、人魚が素直に言うことを聞くと
は思えない。
東京から、ここまで、人魚がやってきたことを考えると無碍に追い返すとい
うのも非常な気がする。
そもそも、あの男、自分は長く人魚の研究をしているというが、怪しい。
人を見かけで判断してはいけないというが。
なんとなく足取りが重いと感じながら店に行くと客がいた、しかも女性だ。
「美夜ちゃん、丁度よかったこの本、棚に並べてくれないか」
店主の男性は、ほっとしたような表情だ、はいと頷きながら段ボールに入った
本を覗きこむと、まだ仕事なのと女の声がした。
ふと顔をあげたが、客の女性は自分ではない、店主に声をかけているのだ。
綺麗な女性はにっこりとした笑顔だが、ふと視線を向けると店主の顔は渋
い、額に皺まで深く、刻まれている。
「これでも忙しいんです、すみませんね」
その声はどことなく、いつもと違うものを感じて美夜は視線をわずかばかり
下に向けようと、いや、逸らそうとした。
チラリと視線を向けると店主の男性は悲痛な顔だ。
もしかして、この客は知り合いなのだろうかと思ったが、こういうときは知ら
ないふりをするのが一番だと思ったとき二人目の客が入ってきた。
にこにこと笑顔を浮かべて、入ってくるのは外国人のおっさんだ、
店の中が静かになった。
そして木桜美夜は思った、この笑顔は偽物、というか、本人ではないのだか
ら冷静に受け止めようと思うのだが、何故か、緊張する。
「今日は遅くなるから、先に帰って」
すると、相手はがっくりとした表情になった、まるで、大型犬が主人に怒られ
たような、しょぼんとした感じと言えばわかるだろうか。
「お腹、空いているんじゃないか、丁度いい、奥で夕食にしよう」
「えっ、でも」
予想もしない店長の言葉だ、そして、すみません、今日はもう店、閉めるんで
と女性客に声をかける。
「し、仕方ないわね、じゃ、また」
店の中に三人だけになった。
「ああっ、助かったー、タイミングよかったよ」
「はあ、何だか追い出してません、お客を」
「いいんだよ、面倒だからな、それより、鍋にしよう、牡蠣に鱈に、色々とあ
るんだよ」
魚とか貝類を食べても人魚は共食いとかにならないんだろうかと思いなが
ら、台所に行き、支度を始めた。
「オオッ、美味しい、です」
「そりゃあよかった、沢山食べて、精力つけて」
男二人の会話に突っ込みたくなるのを堪えて、美夜は二人の男を交互に見た。
「さっきのお客さん、訳ありですか」
「女は面倒、こりごりだ」
多分、付き合って欲しいとかだろうなあ、一週間前も、店主目当ての客がきた
ことを思い出し、顔のいい男というのは大変だと同情した。