百合色スタァライト   作:尊さに目を焼かれた人

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眠り姫な真矢様とクロちゃんの話

 純那と真矢のお茶会から一週間ほど経ったある日の事である。

 

 クロディーヌと真矢の間では、逢瀬の時どちらがどちらの部屋を訪れるかは決まっていない。どの様に過ごすかも同じだ。

 

 足繁く互いの部屋を訪ね合うのは、それ自体が一種のゲームの様で楽しかった。恋人が訪ねてくるのか、自分が恋人の部屋に赴くのか。所用を済ませたらすぐさまだったり、あえて就寝の少し前にであったり。

 

 近頃は会って然程も無い内に真矢がクロディーヌを求める例が大半だったが、ただ今日あった出来事を話すだけでも、レッスンの延長の様に互いの演劇論はぶつけ合ったりするのもそれはそれで楽しい時間だ。

 

 互いに手を重ね合って、ただ窓から見える夜空を眺めていた日もある。

 無言の内にも手を握る僅かな動きで真矢の考えている事がクロディーヌには何となく分かってしまったり、逆にクロディーヌの静かで深い呼吸が真矢に彼女の安息と充実を知らせたり──共にいるだけでも、互いを行き来し合う感情の波がある事を思い知らされ、最後にお休みの一言を交わして別れるまで一言も喋らなかった。でも、とても楽しかったのだ。

 

 どちらが部屋を訪れた場合でも、まずはノックがルールだ。反応が返ってくるまでの僅かな時間が胸を高鳴らせる。一生のうち、この瞬間にも何時かは慣れる日が来るのだろうかと先々に思いをはせるのだ。

 

 みんなの前で消灯時間後に訪れると真矢が告げた日、クロディーヌは扉を開けて真矢を迎えるというたったそれだけの事に随分時間を掛けてしまった。

 入学試験でクロディーヌの方から手を差し伸べペアを組んだ時から様々な場面を経て、観衆の前でなりふり構わず真矢がクロディーヌを求めた場面まで──その時々の真矢の顔が脳裏に次々と去来したのを覚えている。

 

 そして実際に扉を開け、対面した時の天堂真矢の顔はそのいずれとも違った初めて見る顔だった。何時もの様に自信に溢れてはいなかった。澄ました顔でも無かった。敢えて言うなら、人並みに緊張していたのかもしれない。ほんの数時間前には大胆極まる手法で会う約束を取り付けたのに。

 

 何故だかその緊張した顔に、妙に見惚れてしまったのはよく覚えている。妙に嬉しかったのをよく覚えている。

 

 真矢の手でチョーカーを付けられ、自分の手で真矢にチョーカーを付け、そして今に至るまで見た事のない天堂真矢をたくさん見た。クロディーヌだけが見られる、真矢の両親だって知らない真矢の顔を、新たな一面をたくさん見たのだ。

 

 カッコいい真矢、甘える真矢、拗ねる真矢、欲望に流される真矢、強請る真矢、色んな真矢。

 

 その時々の彼女を面して西條クロディーヌは悶えたり、見惚れたり、愛しく思ったり、包み込んであげたくなったり、怒ったりした。

 

 今日の真矢はどんな表情を、姿を見せてくれるのか。それを見て、自分は何を思うのか。

 

 同じ寮内なので部屋と部屋はとても近い。その気になればこっそり消灯時間後に忍び込み、人知れず共に一夜を過ごし、みんなが起きる前に何食わぬ顔で自室に戻る事だって容易いと思う。

 

 真矢がどう思っているかは知らない。もしかしたらそうやってより長く一緒に過ごしたいと思っていて言い出せないのかも知れない。でも少なくとも西條クロディーヌは、恋人の下へ足を運ぶという行為そのものが好きだった。

 

 真矢が自分の部屋を訪れる事より、自分が真矢の部屋を訪れる事の方が、何故だかドキドキするのだ。

 

 今日もそんなドキドキを胸に、クロディーヌは真矢の部屋を訪れ、扉をノックする。近頃の真矢は扉の前に立って待ち構えていたのではないかと思う程迅速な対応でクロディーヌを迎え入れる──のだが。

 

「真矢? いないの?」

 

 反応が返ってこない。扉は空かず、返事も来ない。無視されるはずは無いので不在だろうかと思えば、灯りは点いている。点けっぱなしでない限り、居る事は居るのだろう。

 

 クロディーヌは少し迷ったが、会いたいという欲求には逆らえず、少し戸を開けて中を覗いてみる。するとやっぱり、真矢は居た。

 

「あらあら」

 

 ベッドの上で、座った状態から前方に倒れ込む様にして眠っている。

 

「そんなに遅い時間では無いけど……疲れてるのかしら」

 

 寝間着姿なので入浴などは済ませているらしかったが、こんな体勢で寝ていては疲れも取れないし何処か傷めるかもしれない。

 

 声を掛け肩を揺すってみるが、起きない。こんな苦しそうな姿勢で良くも眠れるものだといっそ感心してしまう位の熟睡ぶりだ。華恋やひかりは相当に睡眠が深く一時期は毎日の様に、今でもたまにまひるが苦労して起こしているが、今この時の真矢は二人に匹敵するかもしれない。

 

「……しょうがないわね」

 

 最近真矢に甘えられっぱなしだから、今日はちょっと甘えたい気分だったのに。付き合い始めて直ぐの頃の様に、真矢の腕に抱かれて、静かで落ち着く時間を過ごしたかった。

 

 クロディーヌは真矢をちゃんとした姿勢で、しっかりと毛布をかぶせて寝かせてあげる事にした。意識の無い人の身体は動かしづらいが、クロディーヌとて相当に鍛えている方だ。同じ位の体重の真矢が相手ならさほど苦労する事も無く、抱きかかえる事が出来る筈である。

 

 そう思って真矢の上体を起こすと、寝ている彼女の身体の下に複数の本がある事に気付く。戯曲や詩集の類ではない、週刊誌などでもないのが装丁で分かった。

 机じゃなくてベッドの上で本を読んでいて、その最中に眠ってしまったのか──クロディーヌの視線が自然とその最近購入したと思しき真新しい複数の本のタイトルを辿る。

 

『彼女と自然に距離を縮める為の十か条 ~両想いだから大丈夫は油断の始まり~』

『失敗するカップル 成功するカップル 実はあった成功の条件!』

『言葉や文化だけじゃない 国際恋愛が失敗する意外な理由トップテン』

 

「………………………………………………」

 

 これ、私が見て良かったのかしら。少なくとも真矢はこれらを読んでいる自分の姿を絶対に見られたくなかったに違いない。特に私には。長い空白を挟んでクロディーヌの頭に浮かんだのはそんな感情だった。

 

 というか真矢。天堂真矢。クロディーヌは腕の中で無防備な寝顔を晒す彼女を見ながら複雑な思いを抱く。

 

 取り合えずクロディーヌは当初の予定通り真矢をちゃんと寝かし、少し迷ってからハウツー本たちをさも寝台にもぐる時の動きで自然に落ちたかのように床に並べておく。こうしておけば真矢が起きた時、眠気に負ける寸前になんとか自力で寝台に入った様に思えるだろうか。

 

 武士の情け的な一連の偽装工作が終了したわけだが、クロディーヌはそそくさと自室に戻る気にはなれなかった。真矢の眠るベッドの縁に腰を下ろし、しばし悶々とする。

 

「……その、私だって結婚するまでは駄目とか、そういう価値観を持ってる訳じゃないのよ?」

 

 勿論真矢は寝ているのでその声には答えない。答えられたらそれはそれで、互いに気まずいだろう。

 

 どうなんだろうか。

 聖翔音楽学園は女子校なので見て取れる身近な実例は殆ど存在しない訳だけども、今時恋人とキス位自分たちより年下でも普通にしているだろう。男女共学の学校ではキスどころか避妊失敗で彼女が在学中に妊娠という話だって時たまあるのだ。

 

 それを考えれば、いわゆる深いキス位でこうも時間を掛けたいと考えるクロディーヌの方が珍しいのだろうか。この年頃の少女としては真矢の方が自然で普通なのか。

 

 世間と比べて遅いも早いも無く、真矢とクロディーヌのタイミングですればいいと思っていた。でも真矢はもうしたいと思っている。

 

 少なくとも普通のキスは何度も何度もした事があるのだ。真矢から求められたらクロディーヌは喜んで応じたし、クロディーヌの方からだって何度も欲した事がある。それを考えたらもう少し進んだ関係になりたいと言う感情自体は、理解できるものである。

 

「私だって、興味は……ちゃんとあるわよ? あるけどもね?」

 

 真矢の事は疑いなく愛している。

 

 クロディーヌだって子供ではない。性欲は汚いと一概に思い込んではいない。普通のキスは清純だが深いキスは淫猥だという固定観念も無い。それらは愛情交換で愛情表現で、意思表示でコミュニケーション。

 

 真矢とのキスが好きか嫌いかと言えば大好きだ。愛を示し合う、互いを捧げ合う、より深く相手を探り理解し合う行為はとても尊く大事な物だと思う。ではなぜ拒むかと言えば、なんとなく──としか言えない。

 

 少なくともはっきりとした理由は無い。強いて言うなら恥ずかしい、まだ早いといった所だ。

 

 人並みに興味津々で、人並みにちょっとだけ怖い。クロディーヌの気持ちはそんな感じなのだ。受け入れてあげたいと思うけども、実体験としては未知の領域である為自分たちの足で踏み込む決意を固めるのに少しだけ時間が欲しい。

 

 でも、

 

「そんなに……シたいの?」

 

 クロディーヌは寝ている真矢の美しい髪をそっと撫でた。

 

 古典や名作と言われる有名な恋愛物の数々は、基礎教養としてとっくに見て覚えているだろう。理屈の上でならとうに既知の物。それはクロディーヌも真矢も変わらない筈。

 

「私ともっとすごいキスがしたくて、この本を買いに行ったの? 遠くの書店に足を伸ばしたり、気持ちいつもと雰囲気の違った服を着て変装っぽく振舞ったりした? 寝不足なのもこの本を読み込んでたから? 私と別れてこの部屋に戻った後、ちょっとだけ上手くいった時の想像をしてみたり?」

 

 いじらしい、とクロディーヌは思った。そんな天堂真矢、あんまりにも可愛らしい。勿論しないけれども、この部屋を本気で家探ししたら『彼女をその気にさせるさり気ないボディタッチ術』とか、そんな本も出てくるのだろうか。

 

「そういえば、初めてのキスだってあんたは天堂真矢らしくもなく煮え切らなくて、私の方が受け入れて、そうしたらやっと……」

 

 クロディーヌの中で、不思議な感覚がした。歯車が噛み合う様な、そんな感覚だ。

 

 今の西條クロディーヌの顔を見たら、その雰囲気を感じたら、真矢はまた前の様に暴走してしまうかもしれない。

 

 天堂真矢、今夜は私の夢を見ると良いわ。クロディーヌは心の中でそう呟いて、眠り姫の耳元に口を近づける。目覚めのキスは今日はお預けよ、とそう思いながら。

 

「シてあげても良いわ──ううん、私も、してみたい。だから、近い内に勉強の成果を見せてね? 私の真矢……」

 

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