百合色スタァライト 作:尊さに目を焼かれた人
「香子ー、そろそろ行くぞ、後ろに──」
「きょ、今日はうち、自分の足で歩いていくわ。双葉はんは気にせんと、先に行っといて」
「香子、ペア──」
「て、天堂はん! うちと組んで!」
「……香子、昼ごは」
「う、うち、華恋はんやまひるはんと一緒に食べる約束が!」
「……か、香子……一緒に帰ろ」
「うぅ……! さ、先に帰っといてー!」
「な、なあ香子、一緒に食べようと思ってお菓子買ってき」
「う、うち、お風呂行ってくるわ!」
「……香子、今日頑張ってたし足疲れたろ、マッサージ……もう、寝ちゃったのか……?」
「………………」
こんな感じで三日が経った。
「あたし香子に何かしたか……? 怒ってるのか……?」
「ふ、双葉ちゃんが死んでる……」
双葉は凹んだ。香子が自分を避けている、香子に避けられている、何故だか知らないが距離を取られている──故にこの上なく凹んだ。
二人セットが基本の双葉と香子の妙によそよそしい様子はクラスの中でも実に目立っており、死臭すら漂う双葉の様子を心配して、級友たちが彼女の机の周りに集っていた。舞台少女としては仲間であると同時にライバルでも、そこから離れれば仲の良い友人である。
「良いじゃないの、別に。ようやく香子も双葉の手を離れたんでしょ? 本来ならとっくに一人立ちしていて然るべき年齢じゃないの?」
双葉だって常々香子には手を焼いてたじゃないの、西條クロディーヌが疑問する。行住坐臥を双葉にお世話されて過ごす香子がようやく一人立ちを始めた、位に彼女は考えている様だった。そんなクロディーヌの発言に対して机に突っ伏したままの双葉が、
「あたしは香子にちゃんとしてほしかっただけで……離れ離れになりたかった訳じゃない……」
「離れ離れって……随分重症みたいね」
香子が時折口にする双葉はんはうちがおらんとなんも出来へんという台詞は、普段の彼女らの様子を知る者からすればどの口が言うのかと思うばかりであったが、この双葉の様子を見ているとある程度真なるものであったようだと認めざるを得なかった。
外から見える位一方的な関係では無いのだ、双葉と香子は。彼女らの間には幼き日に交わした尊い約束があるのである。
そりゃあ常日頃自分で歩け、自分で起きろ、自分で食べろ、自分で持て、と頼り倒しの香子に色々お小言を零す双葉ではあるが、それはもう定番の返しというか本気で言っている訳ではないというか。
実際、そうして注意する時より香子に求められるがまま、香子に尽くす事の方が双葉は圧倒的に多いのだった。
だって一人にさせたらさせたで入学したばかりの時みたいに熱を出すかもしれないのでほどほどになら頼ってくれて全く構わないというか、頼ってくれないならくれないで少し不安になるというか。
離れるのは、はっきり言って寂しい。正直に言えば悲しい。天堂真矢の定位置がポジション・ゼロだと言うのなら、石動双葉の定位置は花柳香子の隣であったはずなのだ。
ましてや喧嘩している訳でも無いのに一方的に避けられ続けるというのは、双葉史上初めての扱いであって正直精神的なダメージが大きいのであった。
近寄ると逃げる。話しかけると逃げる。適当な理由を付けて逃げる。何の心当たりも無いのに逃げる。よしんばこれが香子なりの決心をもって自立を志したというのなら兎も角。明らかに双葉になんらかの隔意を抱いていて避けているに違いないのだ。
「なんであたしを疎ましがるんだ香子ぉ……あたしが何をしたっていうんだぁ……」
「疎ましがってる……って言うのとは違うと思うけれど」
「うん、どっちかっていうと変に意識してるというか、妙に恥ずかしがってるっていうか」
顔とか赤いし、と学級委員長星見純那とみんなのばななこと大場ななが第三者的目線からの意見を述べるが、追い詰められている双葉の耳にはそうした冷静な意見は届かない様だった。
「何か心当たりはないの? 香子ちゃんと双葉ちゃんの間で何時もとは違う事とか無かった?」
心配そうに目元をふにゃりとさせた露崎まひるの言葉に、双葉は改めてこうなる前の香子との会話や行動を考える。だがこの三日何度も何度も繰り返し結論してきた様に、特に何の理由も見つけられなかった。
香子の様子がおかしくなったのは三日前からだ。その日の朝起きた時にはもう既に変だった。ならばそれ以前かと思うが、寝る前に多少のお小言を言った位でこんな大事になるとは思えない。
双葉の表情だけで全てを察したのか、まひるは突っ伏す双葉の頭を撫でて慰めてくれる。その優しさと暖かさが今の双葉には刺さった。その名の通り真昼の陽光の如き暖かさだが、日に照らされた分だけ陰の部分がより濃くなるのだ。
「ずっとずっと尽くしてきたのに……ずっと一緒に居るって約束したのに……こんな形で終わるなんて嫌だよぉ……」
「双葉ちゃん……」
「言っちゃなんだけど、たった三日で随分とまあ消耗したわよね……」
親友が突然自分を避ける様になったというよりも、最早嫁に絶縁状を叩き付けられた男の如くなってしまった双葉である。
ずっと一緒に居るという約束。香子が世界で一番輝く処を、双葉に一番最初に見せてくれるという約束。石動双葉と花柳香子を今に至るまで結び続けるその約束があったから、双葉は日本最難関の音楽学校まで香子を追いかけて、その隣に居続けてきたのである。
少なくとも現在までにおいて、石動双葉の人生とはすなわち花柳香子だったのだ。人生に捨てられてしまった人間はどの様に生きていけばいいのだろうか。
希望を失った人間とはこの様なものであるという見本の如き状態にある双葉は、あんまりにも哀れが過ぎた。
「直接話してみるしか無いのでは?」
「そうね。少なくとも、香子が何の理由も無く双葉離れするなんてあり得ないわ」
「天堂、クロ子……で、でも、香子はあたしと碌に顔すら合わせてくれなくて」
「それでも何が何でも、聞いてみるしかないよ双葉ちゃんっ」
「華恋……」
このまま二人が二人じゃなくなっちゃうなんて、そんなの絶対ノンノンだよっ! 我が事の様にそう言ってくれる華恋に、双葉は目頭が熱くなるのを感じた。
勿論まだ不安はある。今の双葉は有り得ない程に弱気だ。
人の感情は計算式によって算出されるきちんとした答えで決まる訳でも無い。理由なくなんとなくで変わってしまう事など何時でもある。
もし本当に香子が双葉の事を嫌いになり、純粋に嫌だから顔を合わせたくないし言葉も交わしたくないのであったら? 周囲からすれば負の方向にばかり想像を加速させたものでしかなくとも、凹んで心の弱っている双葉にとっては現実的な恐怖だった。
なにせ実際に避けられているのだ。ずっとずっと一緒だった大事な人に、少なくとも双葉の側からすれば思い当たる理由も無く。
踏み込むのが怖い。もしそれで今よりももっと悪い事になってしまったらという気持ちが無くなってくれないのだ。人と人とは望み合って一緒に居るもの。もし双葉の方が変わらず香子を想っていても、香子が双葉と居る事を望まなければそれまでなのだ。だから、怖い。
一日目はまだ、今日の香子は様子が変だけど、明日になれば元通りと考えてもいられた。急に自分から離れた香子の体調を心配する余裕すらあった。
二日目ともなれば本格的に心配し、なにか理由があるのだと香子を問い詰めた。だが結果は避けられただけ。三日目はもう双葉は嫌な想像ばかり頭に浮かんで駄目も駄目駄目だった。
でも、だけど、それでも。
「──こんな急に、何の言葉も無く離れ離れなんて嫌だ! あたしはそんな簡単に香子を諦められない! みんな、ありがとな! 石動双葉、気合入れて突っ走ります!」
だからと言って蹲ってウジウジしているなど、双葉の性に合わない。何よりこうして、親友たちに背中を押してもらったのだから。怯みを振り払って走り出すまでだ。
一度でも止まればまた怖くなってしまう。そんな確信があった双葉は、大声で礼を言うと先程までとは打って変わって素早く教室を出て、走り去っていった。
後に残っていた者たちは一仕事終えた顔で互いを見渡すと、
「実際、今回のってそもそもどうなの?」
「私としては、以前の石動さんの様に花柳さんがサプライズを企画しているのではないかと思いますね」
「で、でも、もしそうだったとしたら香子ちゃんの様子がおかしい気が……」
「喧嘩自体はあの二人、稀にするけど……」
「でも、三日も長引く上に香子ちゃんの方が双葉ちゃんを避けるのは、今までにないパターンだわ」
ななが小首を傾げながら言う。
「ばななってみんなの事よく見てるよねー」
「うん♪ 何でも分かってるわ、私はね」
そんな会話をしながらもどこか、みんなの雰囲気は明るい。当事者故にそして初めての事態であるが故に動揺してしまっていた双葉と違って、彼女たちは客観的な目線で二人を見ていた。
確かに香子が何故ここ数日双葉を避けるのかは分からない。だが何処から如何見たってそれは、嫌いになったとか一緒に居るのが苦痛だとかいう悪感情が根っこではないのだ。
双葉はどう歩み寄ろうと一向に靡かない頑なさは確かに謎だし前代未聞だが、どちらかと言うと恥じらいに近い感情で避けている様に見えるのである。
実際の所は案外簡単で、双葉が楽しみに取っておいたお菓子をうっかり全部食べてしまったとかで代わりの物がまだ手に入っていないから謝るに謝れず避けているのではないか、位に考えている者が大半だった。天堂真矢が案ずる様に何らかのサプライズ企画という良い予想が大穴であり、ガチのマジで嫌いになったと考える人間は皆無も皆無である。
なにせ二人の信頼関係は強固だ。それこそ入学初日から折に触れ、九九期生たちは色んな所でまざまざとそれを見せつけられている。双葉と言えば香子、香子と言えば双葉という程に。九九期生の中でも随一の熟年夫婦振りであるのだ。
多少様子がおかしかろうとも、そうやすやすと二人の関係が崩れたりはしないだろうという思いであった。
背中を押した事で疑心暗鬼かつ気弱になっていた双葉が走り出した以上、真相が何にせよ、明日になればまたいつも通りの仲睦まじいふたかおに戻っているに違いない。そんな確信をもって、仲間たちは彼女を送り出したのであった。
「しっかし、双葉ったら心底香子に惚れてるのね。あそこまで一本気だと茶化せもしないわよ」
「愛故、近しく親しいが故の恐れというものですね」
いっそ感心した様に零し合う主席と次席の姿を、ななは素早く写真に収めた。
続きは明日。