百合色スタァライト   作:尊さに目を焼かれた人

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共に歩むふたかおの話

 そんな二人だったが、満ち足りた穏やかな時間をたっぷり十分も過ごしてようやく気付く。

 

 そう言えばここ学校だった、と。

 

「誰かに見られたりしてないよな……」

「誰にも見られてへん……とは思うけども」

 

 正直お互いに夢中で、周囲の事など一切耳目に届いていなかったのでちょっと分からない。

 多分大丈夫、だとは思うのだけれども。

 

 二人は気持ち周囲を見渡して安全を確かめると、連れ立って帰路を歩み始めた。

 ほんの少し前までそうしていた様にくっついて、寄り添って。

 

 思ったより時間が経過していたのか、校舎内には夕陽が差し込んでいた。レッスン室などに残っている人はまだいるのかも知れないが、二人が歩む廊下は全く無人で、それぞれの教室にも人影はない。

 

「……何時からやったん?」

 

 多くを用いずとも二人の間では意志は通じるけども、交わす言葉はちょっとぎこちない。

 

「……何時からって……厳密には分かんないけど、多分初めて会った時からずっと」

「……うん……多分、うちもや」

 

 色恋などまるで解せない幼子の時分、その時から既に惹かれていた。好きという感情を理解する以前からずっと好きだったのだ。何時からそれが恋と愛に変わったものか、二人とも良く分からない位に。

 

 いつもよりゆっくり目に歩く香子の手を引いて、双葉は半歩前を行く。視線をやれば見える香子の顔がちょっとうつむき気味で、信じられない位に可憐で、そしてかなり赤い様に見えるのは、夕陽の魔力などでは無い筈だった。

 

 ほんの少し遡れば自分があの香子を組み敷いて、あの唇を欲しいままにしていた。そう思うと双葉の胸中には罪悪感と羞恥、そして隠し様の無い興奮が沸き上がってくる。

 

 そんな事を考えていたから、香子の呟きはかなり鋭く双葉に刺さった。

 

「……双葉はんにあない強引にされるやなんて思ってもみんかったわ」

「んぐっ」

「初めて、なんやし……もう少し優しゅうしてくれるもんやとばっかり」

 

 振り返れば香子は感触を思い出す様に己の唇を指でなぞっていて、からかいやいやみでは無く心底から恥じらっているらしかった。

 何時もの如く強かに言われたのなら双葉だって言い返す余地もあるけれど、こうまで乙女になられたのではまるで双葉が一方的な欲情で襲い掛かった様な気にさせられる。

 

 香子から強請ってきたんだろ。香子だって応えてくれたじゃないかよ。ほんの少しだけそう思い、でも何も言えず素直に謝ったのは長年の習慣か、乙女な香子に胸がときめいたせいだったかもしれない。

 

「ご、ごめん」

「あ、謝らんでもよろしおす」

 

 香子はちょっと躊躇って、広げた扇子で顔を六割方隠し、そっぽをむいて、

 

「強引なのも──ああいう双葉はんも、うちは嫌いやない、よ?」

「っ──」

「も、勿論、優しゅう労わってくれはるのが一番やけど……たまに、なら……」

 

 この瞬間、もう一度抱き締めて唇を奪わなかったのは、双葉の我慢の賜物である。

 

 ずるい。本当に、香子はずるい。好きな子にこんな事を言われて、調子に乗らないでいられる奴がこの世にいるだろうか。

 

 肯定されてしまったら、許された気になってしまう。もう一歩踏み込んでも良いのかな、もう少し欲張っても良いのかも知れない、と思ってしまう。

 

 香子のせいだからな、と。

 最初に強請ったのも香子だし、今煽ったのも香子なんだからな、と。

 

「りょ」

 

 ちょっとどもってから、少しはあたしの気持ちも分かれ、味わえ、大好きで大好きで仕方ないんだよ、と思いを固めて言ってやる。今日はこれで終わりとか色々無理だから、と。

 

「──寮に帰ったら、さっきの続き、したい」

 

 今度はちゃんと優しくするから、と。

 

「──ぇ」

「……良いだろ?」

 

 香子が潤んだ瞳を真ん丸に見開き、ついで真っ赤な顔で喘ぐ様に口を開閉させる。双葉も内心は自分の発言で香子同様焼け野原になっていたが、女の意地で表情は崩さない。

 

 視線も逸らさない。ただ真っ直ぐに、香子を見つめ続ける。

 香子の根負けは近かった。なにせ嫌いでは無いという間接的なイエスを既に口にした後であり、彼女もまた双葉の事が大好きで大好きで仕方ないのだ。

 

「…………ぅん」

 

 俯いて、消え入る様に肯定した香子は死ぬほど可愛かった。

 

 了承を聞き届けた双葉は前に向き直り、気持ち速足で香子を引っ張って行く。これ以上見つめ合っていたらどうにかなってしまいそうだ。

 

 差し込む夕陽に包まれる二人は全身が赤色だった。

 

 二人は校舎から出て駐輪場に至る辺りまではそのまま無言でいたが、いざヘルメットを被るという所で、

 

「……なあ香子。どうしてその、急に……なにが切っ掛けだったんだ? ほんの数日前まで、いつも通りだったじゃないかよ」

 

 双葉と香子の間に多くの言葉はいらないが、こればかりは聞かねば分からない。

 双葉には分からない何かのきっかけで想いが溢れてしまうまで、香子はいつも通り双葉に甘え、双葉はいつも通り香子を甘やかす、未分化な愛情で満たされた生活が続いていたのだ。

 

「そ、それは……」

 

 香子は言い辛そうに淀むが、二人の関係を変わらぬままに一変させてしまったその切っ掛けが双葉にとって気にならぬはずは無い。

 

「なんだよ?」

「うう……ど、どうしても言わんといかへん?」

「ああ、どうしても聞きたい」

 

 一時的に香子の上位に立つという悦楽を味わっている双葉が念押しすると、香子は殆ど聞こえない声量でぼそぼそと呟き始めた。

 

「ゅめ……とか、げんちょう……」

「え?」

「や、やからぁ……」

 

 あくまでも聞き取ろうとする双葉に香子は半眼になって唸るが、何時もなら双葉を撤退させるその意思表示も今は子猫の駄々同然である。きっちり口元に耳を寄せて、ついに双葉はそもそもの原因を知った。

 

 キスしてやるからなという旨の幻聴を聞き、そのせいで双葉に迫られる夢を見た、という事実を。香子の口から。

 

 それをきっかけにして自分の恋心、欲求を自覚するに至ったのだと言う。それで恥ずかしくて恥ずかしくて、香子はここ数日双葉の顔が見れず、避け続けていたのだと言う。

 

 そんな理由だったのか、と双葉はつい、

 

「香子……どんだけあたしの事好きなんだよ」

「~!」

 

 結果的には両者幸せに円満解決した訳だが、だからこそ一層この笑い話の様なきっかけを自分の口で説明するという羞恥が辛かった。

 

(そっかぁ、香子はそんな幻聴や夢を見ちゃうくらいにあたしの事が大、大、大好きだったのかあ)

 

 口には出さないまでも双葉の勝ち誇った様な、幼い子供を見る様な目線がむず痒くて仕方ない。

 

 そのむず痒さが、愛情に包まれて鈍っていた香子の強かさ、高いプライドに火をつける。

 

(ちょ、調子に乗ったらあきまへんえ。いくらこ、こ、恋人同士になったゆうても双葉はんはうちの双葉はんやもん)

 

 香子が双葉の香子であるという面もまあ少しくらいはあるかも知れないが、主体として、「双葉は香子の双葉」なのである。何が違うのかと思うなかれ、香子にとっては大事な事なのだ。

 誇り高い家元の生まれであり、自分こそが追われる側、つまり先を行く側であるという事が大事なのだ。

 

(うちの事いじくって弄ぶなんてこと、許した覚えはないで!)

 

 第一そういう双葉だって、ちょっとキスを強請られただけで正体を無くして獣の様になってしまう程香子の事が大好きである癖に、である。

 

 愛しているし恋しているが、だからこそ軽んずる様な事は駄目なのだ。思えば強引で無理矢理なキスを許してしまったり、寮に帰ったら続きをするとかいう言葉にただ頷いてしまったりだとか、一時の幸福感と快楽に流されて、まるでちょろい女にでもなっていた様な気がする。

 亭主の手綱を取れんようでは駄目や、ここは一度引き締めんと。そうやって一言言ってやろうと決めた香子が実行に移す前に、すい、と身を寄せた双葉が香子の耳元で囁いた。

 

「明日から香子がわがままを言うたびに、罰としてキスするからな……?」

「っ……!」

 

 言うだけ言ってぱっと身を離した双葉の浮かべた笑みは、ちょっと照れの入った勝気な笑顔。それを直視しただけで、香子の心臓は大いに跳ねた。

 

 声が、でなかった。

 今度は、幻聴では無かったから。

 

 思い、出した。

 つい先ほどの、強引で、無理矢理で、力強くて、とてもとても満たされる口付けを。

 

 想像、してしまった。

 双葉の腕に抱かれて交わす、優しく甘やかな口付けを。

 

 喉元まで出掛かった文句が、引っ込んだ。

 

 香子は双葉に、伝家の宝刀となる言葉を与えてしまったのかも知れない。

 


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