「あ、お兄ちゃーん!!」
「おっと‥‥相変わらず元気だねぇ」
「うん!‥‥あれ?今日はしょうまくんいないの?」
「ちょっとやることがあるらしいよ。後から来るって」
「そっか!じゃあそれまでは2人っきりだね!」
「そうなるね。何して遊ぼっか?」
「うーんとねー、お兄ちゃんはなにがいい?」
「ふふっ。沙綾ちゃんが決めていいよ」
これは過去の記憶。もう戻れないけど忘れられない、私の大切な宝物‥‥
――――――
パン屋の朝は早い。まだ日が昇らない時間から準備を始める。でないと出来たてをお店に並べられないからね。中学に入ったくらいから私も朝から手伝うようになったから、早起きにもだいぶ慣れちゃった。
昨日突然決まったことだけど、今日から翔馬がうちで働くことになった。その時は驚いたけど、よく考えてみれば翔馬以上に適任な人もそうそういない。ずっと通ってるから、私と変わらないくらいお店のこと把握してるしね。でも翔馬は朝弱いから、ちょっと心配なんだよね‥‥
「翔馬くん、大丈夫かしら?」
「やっぱりお母さんもそう思う?」
「えぇ。確か翔馬くん、早起き苦手だったでしょう?」
翔馬は同じ時間に起きる分には問題ないんだけど、早くなると全然起きない。生活リズムがしっかりしてるとも言えるけどね。小さい頃は起こしに行ったこともあったなぁ。
「おや、そうだったのかい?それは悪いことをしたかな」
「あ、お父さん。おはよう」
「おはよう、あなた。翔馬くん、迎えに行ってあげた方がいいかしら?」
「うーん、それがいいかもしれないね。無理そうなら次から朝は‥‥」
ピーン‥‥ポーン‥‥
ちょうどその時、玄関からチャイムが聞こえた。噂をすれば来たみたいだね。時間ぴったりだし、とりあえず寝坊はしなかったみたい。翔馬を迎えるために私は玄関へと向かう。
「はーい‥‥おはよう、翔馬。ちゃんと起きられたみたいだね?」
「‥‥お、はよう‥‥ふぁ‥‥」
挨拶の途中で欠伸をする翔馬。うーん、これはダメかも。明らかに顔が眠そう。布団被せたらそのまま寝ちゃいそうなくらい。やっぱり翔馬に早起きは厳しかったかぁ‥‥というかその状態でよくうちまで来られたよね。昔から来てるからかな?
「えっと、大丈夫?」
「大丈夫だ‥‥問題ない‥‥‥俺に任せておけ‥‥」
「うん、大丈夫じゃないね。あーあ、寝癖もそのままじゃん」
「‥‥‥」
私が寝癖を直すために髪を整えはじめても何の抵抗もしない。普段なら恥ずかしがって絶対触らせてくれないのに。やっぱり寝ぼけてるから?ってよく見たら制服も襟は変に立ってるし、ネクタイは緩んでるしでひどいねこりゃ。ついでにそっちも直しちゃおう。
「ふふっ、なんだか夫婦みたいね?」
「そうだね。沙綾の将来は安泰そうで安心したよ」
「聞こえてるからね」
というか絶対聞こえるように言ってるよね。全くもうこの2人は‥‥
「あら、聞こえちゃった?ね、翔馬くんもそう思わない?」
「ちょっと!お母さん!?」
「そうですね‥‥沙綾はいいお嫁さんになると思います‥‥」
「翔馬も答えなくていいから!」
しかもいいお嫁さんって!寝ぼけてるとはいえ何言ってるの!?
「あらあら♪」
「ははっ、よかったじゃないか、沙綾?」
「もう、2人共!翔馬も早く顔洗ってきて!洗面所どこか分かるよね!?」
「‥‥‥‥」
まだボーッとしてる翔馬を洗面所の方へ押しやって無理矢理その場を離れる。こうでもしないと今度は何を言われるか分からないし。でも、お嫁さんかぁ‥‥‥‥あぁ、もう!考えるのやめよう!うん!
――――――
沙綾に押し込められた洗面所で顔を洗い、ようやく目が冴えてきた。自分なりにこの体質をどうにかしたいとは思っているのだが、なかなか上手くいかない。今度すっきり目覚められる方法でも調べてみるか。えっーと‥‥
「はい。これ」
「ん、さんきゅ」
タオルを探していると、ちょうどいいタイミングで沙綾が持ってきてくれた。ホントに気が利くよな。
「あのさ、さっきのことなんだけど‥‥」
「ん?さっき?」
なんだか普段とは様子が違う沙綾。妙にそわそわしてるというか、落ち着きがないというか‥‥
「ほら、さっき翔馬が言ってた‥‥」
「‥‥?」
「う、ううん!大丈夫!うん!」
そう言いながら洗面所を出て行く沙綾。あんなに慌てた彼女を見るのは珍しい。まあ、それもそうだろうな‥‥
「ふぅ‥‥なんとか誤魔化せたか‥‥」
そう、俺はさっきの自分の発言を覚えている。咄嗟に忘れたふりをしたが、どうやら上手くいったようだ。いつもなら嘘をついてもなぜかすぐにバレるのだが、やはり沙綾も冷静ではなかったらしい。にしても‥‥
「なんであんな事言ったんだ、俺は‥‥!」
洗面所で一人、鏡に向かって文句を言う俺。確かに昔から面倒見が良いとは思っていた。しかし、口には出さないつもりだった。わざわざ言うことではないと思っていたし、なにより恥ずかしかったからだ。それをポロッと言ってしまうなんて‥‥どんだけ頭回ってないんだ!
「はぁ‥‥言ってしまったものは仕方ないよな‥‥」
とにかく、今朝のことは忘れたという体にして触れないでおこう。そうでもしないと沙綾の顔を見られそうにないからな‥‥
今し方洗ったばかりだというのに顔から熱が引いていかない。結局俺はそれを冷ますために、もう一度水を被ることになったのだった‥‥
――――――
初っ端から一騒動あったものの、バイト自体はスムーズに進んだ。さすがにいきなりパンを作れはしないので、俺の仕事は材料を運んだり、焼いたパンを商品棚に並べたりなどの雑用が主になる。特に鍛えている訳ではないが力は人並みにあるし、商品に関してはほぼ完全に記憶している。レジの操作もなんとかなりそうだ。ただ一つだけ‥‥
「いらっしゃいませー‥‥」
「ダメ。やり直し」
「勘弁してくれ‥‥」
先程までの恥じらった姿はどこへやら。調子を取り戻した沙綾は鬼教官と化していた。人との会話が苦手な俺にとって、接客はかなりハードルが高い。しかし、沙綾は手を抜くつもりは無いようだ。
「もっとこう‥‥にこやかにできない?」
「こ、こうか‥‥?」
自分なりに精一杯の笑顔を浮かべてみる。しかし、沙綾の反応はなんとも言えないような微妙な表情だった。上手く笑えてないらしい。やはり俺にはこういうのは向いてないようだ。
「うーん‥‥じゃあさ、せめて声出して行こうよ。それだけでも印象って変わるからさ」
マジか。それもハードル高いと思うんだが‥‥やるだけやってみるか‥‥
「い、いらっしゃいませー‥‥」
「ダメ。まだ出せるよ」
「いらっしゃいませ‥‥!」
「もう少し!ほら!」
「いらっしゃいませ‥‥!!」
「あと一歩!ファイト!」
ガチャリ
「おはよう、沙あ「いらっしゃいませぇ!!」ひっ!?」
俺がやけくそ気味に声を張り上げると同時に店のドアが開く音がした。入店してきたのは牛込だった。入ってくるのと同時にあの挨拶を浴びたせいでひどく驚いたようだ。自分でもラーメン屋かってくらいの声だったからな。
「あ。おはよう、りみりん」
「おはよう。それと‥‥驚かせてすまん」
「ううん、大丈夫だけど‥‥えっと‥‥?」
どうやら俺がなんでこんなことをしているのか疑問に思ったようで、牛込は小首をかしげていた。端から見たら中々カオスな状況だな、これ。
「えっと、これはね―――」
――――――
「外から2人が見えて、何してるのかなって思ってたけど、そういうことだったんだね」
あらかたの説明をし終わると牛込は妙に納得した顔で頷いていた。なんというか‥‥
「俺がバイトしだしたのには意外と驚いてないんだな」
「そうだよね。私はすごいびっくりしたのに」
「え?うーん、言われてみればそうかも。なんだか違和感ないっていうか‥‥初めて会ったときもここだったからかな?」
確かにそれはあるかもしれない。第一印象で俺のイメージがこの場所で固まったのだろう。俺も牛込=チョココロネのイメージが強いし。
「なるほどな。‥‥お、もうこんな時間か」
「うん?まだ余裕あると思うけど、今日早いの?」
「まあな。日直なんだよ」
そう言いながら俺はエプロンを外し、いつでも出られるようにレジのすぐ裏に置いていたカバンを手に取った。
「悪いな、牛込。今来たばかりで」
「ううん、気にしないで。またね、神崎くん」
「おう、またな。じゃあ沙綾。おじさんたちにはそう言っておいてくれ」
「うん、分かった。あ、翔馬――」
沙綾に名前を呼ばれ、出口へ向かおうとしていた俺は彼女の方へと振り向いた――
「――いってらっしゃい」
微笑みと共に発せられたその言葉は、俺の心臓を瞬時に鷲摑みするのに充分な魅力を秘めていた。そのおかげで俺は‥‥
「――いってきます」
そんな簡単な返事しかできなかった。なんとか顔には出さなかったものの、だいぶ違和感があっただろう。それを少しでも誤魔化そうと俺は足早に店を後にした。
「なんというか、ずるいだろ。あれは」
店から離れ、俺は独りごちる。今朝の出来事まで思い出し、また顔に熱が集まりそうになる。本人にその気はないのだろうが、こちらは堪ったものではない。
「早めに慣れないとな‥‥」
毎回照れていては話にならない。思わぬ課題に頭を悩ませながら、俺は一人、通学路を歩いて行くのだった。
改めまして一昨日未明です。かなり時間がかかってしまいましたが、なんとか書き上げることができました。今後については活動報告を書く予定なので、興味ある方はそちらを確認して頂ければと思います。またよろしくお願いします。