絵のモデルを頼んだ女子高生が幼女を拾ってきたんだがどうすればいいだろうか 作:込山正義
「それじゃあお兄さん。まずは……」
ゴクリと生唾を飲み込み相手の言葉を待つ。
俺自らが話の主導権を握ろうなどという気は起きなかった。
今の俺にできる事。それは目の前で圧を放ち続けている人物の発言に対して最適な返事をするという酷く受け身なものだけ。
相手は年下の女の子だ。しかし俺はその自分よりも小柄な少女に対して恐怖を感じずにはいられなかった。
「しおちゃんを探し回ってる輩を如何にして排除するかだけど――」
「待て待て待て」
内なる恐怖など関係ない。気付けば俺は後に続く言葉を半ばで遮っていた。
さとうは不機嫌そうにこちらを見た後、何がダメだったのかまるで分からないといった様子で首を傾けた。常なら可愛いとしか感じないその仕草も今やられると不気味さが上回ってしまう。
「いきなり排除とか物騒すぎるだろ……。しおと離れたくないのは同意だが一旦落ち着け」
「え? 私はすごく冷静だよ?」
冗談の類ではない。目が本気だった。
つまり彼女は冷静な判断で排除という手段に行き着いたという事だ。常人には理解し難い思考回路である。
「……ああ、もちろん排除と言っても亡き者にするって意味じゃないよ?」
その言葉を聞き内心でホッと溜息を吐く。
さとうは小さく笑っていた。
どうやら本気ではなく冗談だったようだ。ブラックジョークにしてもタチが悪すぎるが冗談ならば笑い飛ばす事もできる。
凍りついていた自らの表情を無理矢理笑みの形に変え、場の空気を和ませようと試みる。
しかしそれを実行に移そうとしたその瞬間――。
「それは最後の手段だと思ってるし」
さとうの口から、酷く理解し難い言葉が飛び出してきた。
心の内で生まれかけていた安堵が霧散する。背中から嫌な汗が噴き出した。
彼女は言ったのだ。本当にどうしようもなくなったら、しおを探している者を始末すると。おそらくしおの縁者であろう人物をこの世から葬り去ると、躊躇いなく言ってのけたのだ。
さとうと過ごした時間の中で、俺は彼女の事を段々と理解していく事ができている気がしていた。しかしそれは所詮つもりだったのかもしれない。
今の彼女とは分かり合えるという気が全く起きなかった。
「うん、やっぱり自分でこの街から出て行ってくれるのがベストだよね。ここから遠くて人探しがしづらい場所。現実的なのは隣の県辺りかな?」
「…………」
俺の反応などどうでもいいと言わんばかりにさとうは言葉を続ける。
『ヤンデレ』。気温が下がったと錯覚するような状況の中で、俺はそんな単語を思い浮かべていた。
可愛ければ許せるし許される。そんなものだと気楽に考えていた。しかしそこには二次元に限るという注釈が付くのだと、今この時になって初めて理解できた。
さとうは可愛い。さとうには少なからず好意を抱いている。さとうのためにできる限りの事をしてやりたいと思っている。
しかし俺はそんな彼女に対して、確かな気持ち悪さを感じずにはいられなかった。
心の中に生まれた僅かな嫌悪感。そんな事を思ってしまう自分自身への感情もあいまり、胃に鉛を流し込まれたような重苦しさに蝕まれる。
「ああ、でも、元々の拠点はこの近くだろうし、手掛かりが無いと分かればまた戻ってきちゃうのかぁ。うーん、それだと一時的な解決にしかならないからダメだよね。私は永遠の幸せが欲しいんだもの」
「…………」
顎に手を当て小さく頷くさとうはこちらを見ているようで全く見ていない。
彼女の脳のリソースは現在その全てが思考と発声に使われているのかもしれない。余分な事に無駄なエネルギーを消費しない。だからこそ言葉に重みがあり、故に俺の心を直接掻き乱してくる。そんな気がしてならなかった。
このままではダメだ。
このままでは俺は彼女に飲み込まれ、そしていずれ後悔する事になるだろう。
そう遠くない未来、まるで洗脳が解けた元味方キャラのように、俺はなんて事をしてしまったんだと嘆く時が来るのだ。
それでいいはずがない。許容できる訳がない。
たとえ嫌われようと、喧嘩する事になろうと、俺は今ここで彼女とぶつからなければいけないのだ。
「だったらこっちが逃げるしかない。どこか遠く……何者にも邪魔されない程遠くへ……。私たちの新しい箱庭を探さなくちゃ……」
「…………なあ」
勇気を振り絞って出した一声は、しかしさとうの元まで届かない。
最初から会話など成立してはいないのだ。
彼女が欲しているのは俺の同意だけ。意見などは求めていない。
必要のないものは、たとえそれが目と鼻の先にいる人間の言葉だろうと受け付けない。今の彼女に踏み込むのは、俺が思っているよりも数段危険な行為なのかもしれない。
しかし。だからこそ。やめる訳にはいかない。
「県外……いや、いっそ日本から出る? そうだ、そうすればいいんだ! そうすれば全てが解決するよ!」
「……さとう」
一人で考え一人で納得し、これが最適解だと喜びをあらわにする。
本当に俺の考えは正しいのか。俺のやろうとしている事は間違っていないのか。もしかしたらさとうに任せれば全てが上手くいくのではないか。
そうやって言い訳に走ろうとする思考を振り払い、弱気になりそうな心を叱責し、縮こまっている体を突き動かす。
「ねぇお兄さん、三人で海外に行こうよ! 私としおちゃんとお兄さんの三人で! 何のしがらみも無い! どんな邪魔も入らない! 私たちだけの楽園に――」
「さとう!」
机を強く叩き、勢いよく立ち上がる。
大きな音に加えて声を荒げた事でようやく彼女の目がこちらを見た。彼女の心がこちらを認識したのだ。
目と目が合う。その瞳に映る感情は驚愕、困惑、疑問、嫌悪……
「……なんで?」
そして少しの怒り。
「お兄さんは、一体何が不満なの!?」
小さかった怒りの感情は、次の瞬間には燃料に引火した炎のごとく激しく燃え上がっていた。
俺が賛同しないのは彼女にとっては想定外だったのだろう。思わぬ出来事の連続によって彼女の感情が爆発する。
「この家が大事!? この街が好き!? その気持ちは分かる、分かるよ! でもしおちゃんの方が大切でしょ! ねぇ!」
椅子から立ち上がりこちらに身を乗り出しながら不満を吐き出す。
勢いに押されそうになるが身は引かない。目を逸らす事もしない。彼女の心を全て受け止め、それでいて真っ向から反抗しなければならない。そうでなくては改心させられない。ここで逃げたら俺の言葉は一生彼女に届かなくなる。そんな漠然とした不安に駆られていた。
「海外なら同性婚だけじゃない! 重婚が認められてる国だってあるんだよ! お兄さんにとっても悪くない話でしょ!?」
確かに悪くない。悪くないどころがすごく魅力的に思えてしまう。
でも足りない。その程度の利点では靡かないし靡けない。
常なら分からなかったかもしれない。が、今だけは頷く事ができない。
妥協も許されない。表情一つ動かす事なく聞き入れ跳ね除ける。
「それにお兄さん言ったよね! もしもの事があれば俺に頼れって――そう言ってくれたよね! あの言葉は嘘だったの!?」
確かに言った。
俺としてもさとうのために尽力するのはやぶさかではない。むしろ望むところだ。
けれど……今はその時じゃない。
「……お兄さんは」
苦しそうに、悲しそうに、それでいて縋るようにこちらを睨みつけるさとう。
「お兄さんは……」
そして黒く渦巻く胸の内を吐き出すように、彼女は俺に問いかけてくる。
「私の……味方じゃないの……?」
負の感情を全て煮詰めて貼り付けたような壮絶な表情。
彼女の中の何かが壊れる、その一歩手前のような余裕のない声色。
激情を無理矢理押さえつけるように、胸元を強く握りしめるその仕草。
それら全てが俺の心を抉ってくる。
しかし俺は間髪を入れずに返答する。迷う必要はない。そもそもこの質問に対する答えなど最初から決まっているのだ。
「俺は味方だよ。さとうとしおの味方だ。それだけは何があっても変わる事はない」
「……だったら……どうして……」
さとうの中に生まれた敵意ともいえる感情は未だ消えていない。しかしそこに一瞬だけ安堵が垣間見えた。
彼女の心はかつてないほどに揺れ動いている。そしてそれが今僅かに後退った。
攻守交代の好機。こちらの意見を伝えるならこのタイミングしかない。
「それなら逆に聞くが、しおを探している人物はお前にとっては敵なのか?」
「そ、そんな当たり前の事、わざわざ聞かなくても分かるでしょ!? 私たちの生活を壊そうとしてるんだよ!? 敵じゃなかったら一体何だっていうの!?」
「味方だよ」
「そんな……そんなの――」
さとうを突き動かす根幹。それはおそらく独占欲だ。
しおを取られたくない。奪われたくない。自分だけを見ていてほしい。自分と共に生きてほしい。自分だけで満足してほしい。自分だけを愛してほしい。
そんな欲望が判断を狂わせている。だからその考えに妥協を覚えさせなければならない。
「さとう、お前の気持ちは分かる。俺だってさとうとしおを他の男と関わらせたくないと思う事があるし、他人より近い距離に優越感を覚える時もある」
「それなら――」
「でも、そこに家族を含む必要はないだろう」
「…………」
――『家族』。
その言葉に対するさとうの反応は薄かった。しかしこれは予想の範疇だ。彼女が自らの家族ともいえる存在に対してよく思ってない事は元々知っていたのだから。
「俺には両親がいない。関わりのある親戚ももういない。言うなればさとうとしおが俺にとっての家族みたいなもんだ」
「…………」
「それはさとうにとっても同じ事だと勝手ながら思ってる。お前の産みの親ももう他界しているし、積極的に関わっていきたいと思える親戚もいないと以前言ってたよな?」
「……うん」
「そう、俺とさとうの境遇は似ている。でもしおは違う」
いつの間にか、さとうは静かに聞き手に回ってくれていた。
これは少しだけ予想外だった。もっと反発してくるものだと思っていた。
この状態は俺の真剣さが伝わった故なのか、もしくは口を開けない程に頭が混乱しているのか、はたまたその他の要因があるのか。それは今の俺には分からない。
しかしいずれにせよ、俺にできる事はこのまま言葉を重ね続けて彼女が物騒な考えを改めるまで説得を試みる事のみ。
そのためなら何時間だって諦めずに語り続ける覚悟がある。
たとえそれが脅迫に近かろうと、洗脳と相違無かろうと、彼女の意思を捻じ曲げる事になろうと関係ない。
「しおには自分を探してくれる家族がいる。こんなチラシを作ってまで必要と思ってくれる人間がいる。ここ以外にも居座っていい場所が存在している」
「…………」
俺が動く理由は至極単純。
さとうに悪事を働いてほしくない。間違った道に進んでほしくない。ただそれだけなのだ。
「そもそも両親の存在が無ければ、当然しおは産まれてこなかった。たとえ俺たちのように実の親と死別していたとしても、育ての親がいなければ今の今まで生き続ける事はできなかっただろう。そうすれば俺たちがしおと会う事も無かった。しおの家族に感謝の念を抱く事こそすれ、敵視するなんて間違ってるんだよ」
「……でも……」
次いでさとうの瞳を射抜くように見つめていた表情筋を緩め、優しく、戯けるように微笑みかける。
「それに、さとうがしおとずっとに居たいなら、一度しおの家族とは会う必要があるだろう? 相手の親に娘さんをくださいって言うのは通過儀礼だ。そのイベントをこなしてこそより強い絆で結ばれる。そういうもんなんだよ」
「…………はぁ……」
疲れたように息を吐き、馬鹿を見るような目で見られる。
しかしこれでいい。呆れという新しい感情が生まれた分、怒りや憎悪といった最も危惧すべき感情が減少した。
この少しの差が大きい。負の感情がある一定値を下回ってしまえば、あとは理性が仕事をしてくれる。
「……ほんと……なにそれ……」
さとうの肩から力が抜ける。釣られてこっちも脱力した。
全くもって心臓に悪い。さとうと争うなどもう二度としたくない。たとえそれが言葉による言い争いだとしても御免である。
「ねぇ……お兄さん」
さとうが真剣な顔で再びこちらを見る。
そこに力強さこそあれど、濁った感情はもうほとんど見られない。
「しおちゃんの家族が、しおちゃんの事を捨てたのは事実だよね? もし仮に再会を果たしたとして、それでしおちゃんは本当に幸せになれるの? 私はむしろしおちゃんが苦しむ可能性の方が高いと思ってる。それでも会うべきだと……本気でそう思ってるの?」
「ああ、思ってる。会ってみない事には何も始まらないからな」
記憶喪失になるほど辛い思いをしたしお。その原因に関わっているであろう人物と会うのはしおのためにならないのかもしれない。ただしおに苦痛を与えるだけの結果に終わるだけかもしれない。
それでも可能性が少しでもあるのならばそれにかけてみるべきだとそう思った。しおがより多くの幸福を手に入れる……そのためならば。
「最終的に決めるのはしおだけど、もし見込み無しと判断したら……しおが不幸になるのが確実だと思ったら……」
判定は厳しめでいくつもりだ。
しおへの愛が、さとうのそれの半分にも満たないと分かったその時は――。
「いいよ……その時は、さとうの好きにすればいい。海外だってどこにだって一緒に行ってやるし、全財産をくれてやってもいい。二人が幸せになるためなら何でもすると約束する。万が一の時には法だって犯してやる。冤罪だって受け入れるし、なんなら囮として警察に捕まってもいい」
安心させるように微笑みかける。
それを受け、さとうはしばらく考え込んだ後、溜息を吐きながら諦めたように瞼を閉じた。
「……うん、お兄さんの気持ちは痛い程伝わったよ。本気だって事も理解した。だから今はとりあえずだけど納得しといてあげる」
そして降参の意を示すように両手を挙げる。
勝利確定! 全身を高揚感と達成感が駆け巡る。
「お兄さんは私の事を理解できないだとか、気持ち悪いとか思ってたみたいだけど、私からしたらお兄さんも十分おかしいと思うよ? 頑固だし、盲目的だし、支離滅裂だし……そして何より、愛が重い」
しかし続くさとうの言葉で全身が一気に冷えた。
彼女は読心能力を持っているのかと錯覚する程に感情の機微を読み取る事に長けている。それを今になってようやく思い出したのだ。
「怖いのに向き合って、辛いのに正論を言って、苦しいのに道を示す。しかもそれが全部私のため。しおちゃんの事を想ってるのも本当だけど……それでも行動の理由、その大元は私を想ってくれての事……」
さとうに対して悪感情を持ってしまった事実に自己嫌悪している俺を無視し、彼女は語る。
「ほんと……ばかみたい……」
そして最後に俺を見つめ、優しく微笑んだ。
****
携帯を片手に電話をかける。
三回程コール音が続いた後、応答を示す電子音が聞こえた。
『はい、もしもし』
中性的な声色。てっきり父か母に該当する人物が出ると思っていただけに少しだけ驚いた。
電話越しなので正確なところは分からない。しかしその声は少年か少女の姿を想像させた。
「……ふぅ」
しかしすぐに気を取り直し、用件を伝えるべく心を落ち着かせる。
「路頭に迷っていた神戸しおを保護した者です」
真実を嘘偽りなく簡潔に告げれば、予想通り電話の向こうから明らかに動揺した様子が伝わってきた。
娘は誘拐した。返してほしくば身代金を用意しろ――などとはもちろん言わなかった。流石の俺でもこの場面でお茶目を発揮する気は無いのである。
例えば以前にしおの脱走があったりすると、なんやかんやあった末に、主人公はこの場で死ぬ……可能性がある……。