ふと覚醒した撫子は、かすむ目を瞬かせて眉をしかめた。
やがて視界を覆うそこが青い暗闇に沈む自室の天井であることに気付いた撫子は、どうやら自分が真夜中に目を覚ましてしまったらしい事に思い至った。
目の端をくすぐる明かりに気付き、撫子は目元をこすりながらそっと布団から上体を起き上がらせた。
見れば、きっちり閉じたはずのカーテンが僅かに隙間を開けて月明かりの射線を室内に導いている。
そのカーテンに、紡錘形の影が浮かび上がっているのを見つけた撫子はベッドから抜け出て丸いぬいぐるみのようなスリッパに足首を突っ込み立ち上がった。
「……もう」
ぼやいて撫子はそっとカーテンをめくり上げた。
そこには、出窓のスペースにちょこんと座って外を眺める銀毛の仔猫の後ろ姿があった。
夕方のあの怪物から逃げおおせてから撫子と美夏子は、徹底的に辺りを警戒しまくって恐るおそる家路を辿り帰宅した。
結局仔猫は撫子から離れようとしなかった為、家族に見つからないよう苦労して部屋まで連れてきたのだった。
「どうしたの?」
言葉が通じるはずもないが、なんとなく問いかける。
問われた仔猫は全く反応を見せず、じっと一方を見上げていた。
「……」
仔猫と同じ方を見上げると、その先には夜空に一際大きく輝いて見える月があった。
端が僅かに欠けた月。月齢のことまでは詳しくは知らないけれど。
「……綺麗だね。 私も月が好きなんだ」
思わず呟いた。言葉が通じているかどうかなど気にしなかった。
ただ、きっとこの仔猫は月を見たくて見ている。そう直感が告げている。
「なんでかな。 よく分かんないけど」
夜空に瞬く星に紛れて漂ういつもの「光の粒」も見えたけど、今この時だけはそんなに気にならなかった。
「!? 」
ところが、寄りによって美しい情景に浸っているこの時に、出窓の外のすぐ側にも例の光球が横からひょっこりと現れた。
それは現れたベクトルのままふらふらと前を通過してゆく。
「……もう。邪魔しないで」
その光を目で追いながら八つ当たりぎみに溜め息を吐いた撫子は、視界の端に映った異常に気付き慌てて目線を戻した。
仔猫が、その漂い去ってゆく光球を見つめていたのだ。
間違いない。月を見上げていた首を下ろして、瞳がきっちりとその光球の方角を追っている。
あまり本物の猫らしい生物的な反応を見せなかった仔猫が初めて見せた、意志を感じさせる動作だった。
そして、なによりも。
「……あなた、あれが視えるの!? 」
自分以外に現れた初めての同類の発見に興奮しながら屈み込んで問いかけるも、仔猫はやはり問いを無視して佇んでいた。
◆◆
「緊急きんきゅー! ナデシコちょっと来て!」
昼休みになるなり教室に飛び込んできた美夏子が、興奮混じりの笑顔で撫子の机に飛びつくと入ってきた時と同じ勢いで掴み上げた撫子の袖を引っ張り出した。
撫子は反射的に抵抗しようとしたが、周囲のクラスメイトの奇異の視線に気付いて咄嗟に考えを変える。
撫子と美夏子は、異常な出来事に遭遇した同じ被害者だ。無関係の者に詮索されてはまた撫子の噂にバリエーションを加えられかねない。
瞬時にそこまで考えて、引っ張られるなか辛うじて自分の鞄を掴み取った撫子は美夏子に引きずられるように駆け出していった。
そのまま撫子はミステリー研究会の部室まで連行された。
「緊急ナデシコ緊急なのあのね」
「言いたいことは私もいっぱいあるけどとりあえずちょっと待ってくれる!? 」
部室に飛び込むなりまくし立て始めた美夏子を遮って撫子も声を張り上げた。
「あれ? ナデシコ昨日の猫ちゃんは?」
「そのこととかあと色々と順を追って説明しないといけないでしょう!? 」
ころりと態度を変えた美夏子に、掴まれていた手首をさすりながら撫子はげんなりと言い返す。
「まず、名前で呼ぶのやめてくれる?いきなり机の前まで飛び込んでくるのも。 これ以上クラスのみんなに余計な詮索をされたくないの」
「えーいーじゃんべつに」
「私がイヤなの!」
とうとう激発して怒鳴りつけるが、美夏子はまるで聞こえなかったかのように手元の鞄を漁り始めた。
「まーまー。話せば長くなるからさ、一緒にお昼食べながら相談しようよ」
「…………!? 」
まったく悪びれもせずにコンビニ袋をかざしてにこにこと宣う美夏子に、撫子は八つ当たりぎみに傍らの天球儀を叩いて乱暴に回転させた。
からからと、大小の円環がバラバラに多軸回転した。
「んで? あの仔猫ちゃんは?」
「……」
向かいの椅子に座ってサンドイッチを頬張る美夏子に溜め息を吐いた撫子は、テーブルの上の謎の機材を横に退けて、置いた鞄から結局小さな布の包みを取り出した。
「うん、その事なんだけど……いいよ、出ておいで」
撫子が鞄の中に呼びかけると、どう見ても他に何も収まりそうにない鞄の中身の隙間から、にゅるりと銀毛の仔猫の頭が生えてきた。
「うわひゃあ!? 」
そのままするりと残りの身体を抜き出して着地した仔猫に美夏子は大げさな仕草で仰け反った。
「いや、学校までついてきて、走っても何しても離れてくれないからどうしようかなって困ってたら、この子が自分から鞄の中に潜り込んで」
仔猫はテーブルの真ん中にとことこと歩み出ると行儀よく座り込んだ。
その手前に弁当を広げながら撫子が言った。
「自分から?」
「自分から。」
目を丸くした美夏子に首肯する。
「ナデシコの言うことが分かるの?」
「ううん。違う。私、何も言ってないもの」
奇異の目線に囲まれながら仔猫連れで校門をくぐったのだが、げた箱を通過したところで仔猫が自らするりと撫子の鞄に潜り込んだのだ。
「多分、私が困ってるのが分かったんだと思う」
「え? もう気持ちが通じちゃってるとか!? 」
「そうなのかな……」
身を乗り出した美香子に撫子は箸をくわえたまま曖昧に首を傾げた。
その辺は撫子のいつもの直感のことで、撫子自身にもよく分からない。
「ちなみに鞄の中にいる時のその子は、どんな状態になってんの?」
「最初おどろいて覗いてみたら、銀色の板みたいになってた」
「ほほぉう」
それを聞くなり美夏子はサンドイッチをくわえて、事務椅子に座ったまま床を蹴りつけて隣のパソコンの前に回り込んだ。
「あのねその子のことで関係ありそうなネタを見つけたんよ。 これが緊急の用事その1ね」
言いながらせかせかとキーボードを操作した美夏子が、椅子ごと身体を回してモニターに表示された内容を示して見せる。
「『SOLU』……?」
パソコンに近寄った撫子は、訝しげにモニターの表題を読み上げた。
曰く。「Seeds Of the Life from Universe(宇宙から来た生命の種)」の頭文字。
ざっと記事を斜め読みすると、液体金属状の身体を持つ宇宙生命体であるというようなことがそこには記されていた。
「特徴がこの子の体質と合致するなあって思って」
「この子は、このなんとか言う宇宙生物だって言うの?」
「多分ね。それとこないだ、隕石が降ってきたってニュースがあったじゃん?」
その話には撫子にも心当たりがある。
数日前に日本の山中に小規模の隕石が落下したとテレビで話題になっていた。クラスでも誰かがそんな話で盛り上がっていたのも覚えている。
『隕石があれば、あの「光」のことも信じてもらえるのか』と若干の嫉妬を感じながら聞いていたから。
「きっと、あの隕石にくっついて来たんだよこの子。 あと実はアレ、日本以外にも世界のあちこちでほぼ同時に何個も落っこちてきたらしいよ」
「本当?」
それは初耳だ。テレビでは外国のことまでは報じていなかった。
「ぐふふ。さる筋が情報を隠蔽するほどの重要な価値を認めたってことさね」
美夏子が眼鏡に不穏な光を反射させて不気味な含み笑いを漏らす。
「テレビには出ない情報でも、ネットの世界じゃあびゅんびゅん飛び回っているのよ。宇宙からの来訪者に、裏社会と都市伝説が入り乱れてもう、もうミステリーの血が騒いで騒いで……!」
「……」
まるで異常犯罪者のように鼻息荒く興奮し始めた美夏子から撫子は僅かに後退りした。
「……って、都市伝説? なにそれ」
「よくぞ聞いてくれました!」
いきなり床を蹴って事務椅子ごと突進してきた美夏子から飛び退いてパソコンデスクから離れる。
美夏子はそのままパソコンに飛びつくと、けたたましくキーを乱打して画面に別のものを表示させた。
「これだよっ!」
ッターン!とエンターキーをひっぱたいて振り返った美香子の背後で、モニターに数点の隠し撮りらしき不自然な構図の写真とその解説が表示された。
「「仮面ライダー」?」
「そう! 人知れず悪の秘密結社と戦いを繰り広げる孤高の戦士たちが、世界各地の隕石落下地点周辺で目撃されたという情報が、けっこうな数出てんのよ!」
ぼやけていてよく分からないが、ヒトと昆虫をかけ合わせたかのような異形の生き物の腕やら身体の一部が写された画像は、雪男やらのUMA目撃情報等のオカルト写真などと似た雰囲気を感じさせる。
「仮面ライダー」の都市伝説は撫子も知ってはいるが、それ以外の都市伝説と同様に果てしなく胡散臭い。
「……はあ」
「うふふ、これだけ情報が出揃ったら確定だね! 隕石に導かれて地球にやって来た宇宙生命体を巡る陰謀! かの「仮面ライダー」が守るほどの脅威がそこには隠されているの! 悪の秘密結社はきっと血眼になってその宇宙生命体を探してるに違いないの!」
「……この子を?」
ひとり盛り上がっている美夏子から離れて元の椅子に着席した撫子は、銀毛の仔猫を指さした。
「そう! きっと昨日の怪物も、この子の眠れる力の秘密を狙ってやって来たに違いないよ!」
「え? じゃあ、また来るかもしれないの?」
「多分っ!」
くるりっと身を翻して人差し指を突きつける美夏子。
「えー!? 危ないじゃない!? 警察行こうよ!? 」
「何言ってんの!? ナデシコが昨日みたいに変身してやっつければいいじゃん!」
「私をなんだと思ってんの!? 」
瞬時に飛びつかれて両手を掴み上げられた撫子は、椅子を蹴って手を振り払った。
「昨日のあれだって、私には何がなんだか分かんないし!? 」
「ああそれなんだけどね」
どたばたとパソコンに駆け戻った美夏子が再び画面を操作した。
「昨日のみたいな、泥のお化けみたいな化け物の目撃情報もいくつか上がってたよ」
「えぇ?」
言って示されたモニターを、撫子は不承不承に覗き込んだ。
どこのインターネットサイトだろう。そこには、目撃者が書き込んだのだろう、確かに撫子たちが遭遇した異形に酷似した特徴が箇条書きで列記されていた。
突然の不気味な物体の出現に仰天した目撃者が悲鳴を上げると、その怪物も甲高い絶叫を放って側溝の中に潜り込んで消えていったという。
「ね? きっとアレのことだよ」
「そんな……」
落胆に思わず腰を落とした撫子はそのまま盛大に床にひっくり返った。
さっきまで腰掛けていた椅子は、先ほど自分で蹴飛ばしたままだ。
「……だいじょぶ?」
「……っ!? 」
羞恥と尻の痛みに顔を赤らめながら起きあがる。
だが、忘れるのが難しいほどの衝撃的なあの異形は、確かに存在していて、この街の付近を徘徊しているのだと思い知り背筋に寒気が走った。
「でも、実際のところ、警察に行くのが現実的じゃない?」
昼食を終えて弁当箱を包む布を結びながら撫子は言った。
「そのネットの情報も併せて説明してさ」
「ナデシコさあ」
美夏子の声色に、撫子は思わず口をつぐんだ。
「信じてもらえると思う?」
「……!? 」
その美夏子の瞳が、真摯な、それでいてどこか悲しげな光を浮かべていたから。
(信じてもらえる訳がない)
言われた言葉の心当たりがあり過ぎて、鉛のように重たい蓋を載せられたように心がずしりと沈み込んだ。
「こんなネットの情報なんて、実際のとこ信憑性に関しちゃそこらのオカルト雑誌と大差ないよ。 もしかしたら、ここの書き込みとわたしらが見たあの怪物の特徴がたまたま似てただけかもしんない」
「そんな……自分で見せておいて……」
出会って二日しか経っていないが、美夏子のらしからぬ発言に撫子は困惑に揺れた。
「まあ楽しまなきゃ損だから勝手にはしゃいでるけどさ。でも、現実から目ぇ逸らしててどうにかなるとはさすがに思っちゃいないよ」
「…………」
眼鏡の向こうの瞳が、真っ直ぐに撫子を射抜く。
言外に「撫子はどうなのか」と問われた気がして身動きが取れない。まさに撫子は、あの「光」から目を逸らし続けているのだから。
「夢物語もミステリーも、語るべき現実にいてこそだしねっ!」
突如ころりといつもの笑顔に変わってあっさりと気配を収束させた美夏子に撫子は肩をコケさせた。
「なんなのよ……」
悟られないように胸中でこっそりと溜め息を吐く。
「だから、たぶん結構な確率でアテにならない警察とかよりも、ナデシコが偶然手懐けたこの仔猫ちゃんに状況打開の要素を期待したいところなんだけどねえ?」
昨日の夕方の時は、仔猫に取り込まれた撫子が怪物を跳ね除けて見せた。
もしかしたらこの仔猫には、他の宇宙生物を追い払う理由なり性質なりがあるのではないか。事実、撫子を取り込むという形ではあるが、一度打ち倒すことに成功している。
ミーハーな挙動によらず冷静で的確な美夏子の指摘に、撫子は目からうろこを落としながら拝聴していた。
「だから、なるべくナデシコは仔猫ちゃんと一緒にいるべきだと思うの……あれ? 猫ちゃんは?」
「え?」
ふとテーブルの上を見ると、いつの間にか銀毛の仔猫の姿がない。
だが小さな物音が聞こえ、程なく部屋のすみにその矮躯の姿を発見した。
「あ。あんなところに」
積み上げられたガラクタの山の上に乗った仔猫が、何かの機械を前足でこすっていた。
「ありゃりゃ。猫ちゃんのオモチャにゃあちと物騒じゃないかね」
「あ。」
その状況の意味に気付いた撫子が声をあげた。
「ねえ、その機械は、なに?」
「え?これ?」
仔猫に伸ばしかけた手を止めて美夏子が振り返った。
それは、アイロン台ほどの大きさの木の板に、粗大ゴミ置き場で見たことのあるパソコンの中身のような複雑な電子機械の部品のようなものやメーター等をデタラメに組み付けたようなものだった。
唯一それだと分かる部品は、中心に据え付けられた電球のみ。
少なくとも撫子の知識では、恐らく電気を通して使う道具なのだろうということ以上のことは分からない代物だ。
「ちょっと待ってね。 これはね~」
仔猫に構わず美夏子が機械を持ち上げると、仔猫は床に飛び降りて機械を運ぶ美夏子に付いて歩いていった。
目線は機械を追っている。
(やっぱり)
撫子は確信した。
昨夜と同じ、生物的な反応の薄い仔猫が興味を示すということは、例の「光」と同じくらいの不思議な何かが関係しているに違いない。
「どっこいしょ」
やがて美夏子はたどり着いたテーブルに機械を置くと、機械から伸びたコードを持って壁際へ行きしゃがみ込んだ。
「ナデシコー。わたしが合図したら、そこのスイッチを入れてみてー」
「スイッチ?」
言われて機械を覗き込むが、スイッチらしきものは見当たらない。
「ないよ?」
「それー。一本突っ立ってるナイフみたいなのー」
改めて機械を見渡すと、確かにグリップを取り付けた薄い金属の細長い板が、先端を機械にネジ止めされて立っている。
だが、これは「スイッチ」ではなくむしろ「レバー」と言うのではないだろうか。
「これ?」
「そうー。それ「ナイフスイッチ」って言うの」
テーブルに飛び乗ってきた仔猫と一緒にしげしげとナイフスイッチを覗き込む。
「せーの、って言ったら、そのスイッチを倒すのー」
「これ、何の機械なの?」
「永久機関」
がちゃりと音を立てて、美夏子が持っていたプラグをコンセントに差し込んだ。
すると、機械の中心に生えた電球が灯り、メーターの針が振れた。
「永久機関?」
それも名前だけは知っていた。
文字通り永久に動き続ける動力装置で、確か実現は不可能だったはずだ。
「作用と反作用」の図式を思い浮かべながら、そう言えばここは「ミステリー研究会」だったなと撫子のまぶたが半分下がった。
「いい? せーの、って言ったらスイッチ入れて」
「あ、うん」
先ほどのコンセントの場所にしゃがみ込んだままの美夏子の声に応え、撫子はナイフスイッチを握った。
「せー、の!」
「っ!」
その合図で美夏子がしたことは、コンセントプラグを引き抜くことだった。
当たり前だが、電球は電力の供給を失って明かりを落とした。
「どーかなー? ってやっぱダメか」
「……どうなる予定だったの?」
一応、といった調子で訊ねてみる。
「ここのこれが電力を送信する装置で、こっちが受信する装置なのね」
撫子にはガラクタにしか見えない部位を指さして解説する。
「で、電力の経路はこうぐるっと一周していて、このナイフスイッチを入れると同時に経路がこっちに切り替わるの。すると受信機が電力を送信機に送って、送信機が受けた電力を受信機に送って、でぐるぐると」
言いながら美夏子の指先が機械の経路をくるくると辿るが、撫子は冷淡な顔で頭を振るしかない。
いかな機械の素人の撫子でもこれが成立しない仕組みなのは分かる。
美夏子がやった事は、ドーナツ型のプールに水を注ぎ入れただけのことだ。そこに水車を付けたとして、別に動力がなければ水の流れはやがて止まるし、水車も回らない。
「いや、分かってるよ? でもさ、やっぱ実際にやってみないと気が済まないしー」
頭の後ろで両手を組んで苦笑いする美夏子に、撫子は嘆息しかけて、やめた。
常識だとされている現象を、わざわざ実験してまで確認した美夏子の行動に、心がざわめく感じがしたから。
(見えないからって、一方的に「光」のことを無いことにされなければ……)
ふと、黙り込んでいたところを美夏子に見つめられていたことに気付いて、撫子は慌ててそっぽを向いた。
あさっての方角を振り向いた途上で、それに気付いて撫子は慌てて目線を戻した。
「!? 」
仔猫が、未だ明かりの落ちた「永久機関」の上に座り、前足で撫でているのだ。
「……これ……」
「えーなにー? この子、そんなにこの機械が気に入ったのー?」
不意に仔猫は手を止めて、あらぬ方を見上げた。
撫子もその気配に気付いて同じ方を振り向いた。
見れば、例の「光」の球がひとつ、カーテンの隙間から室内に漂ってきたところだった。
仔猫を振り返ると、確かに仔猫は「光」を見つめ、目で動きを追っている。
やはり、視えているのだ。
やがて「光」がテーブルに近付くと、仔猫は「光」を捕まえようというのか立ち上がって前足を振り回し始めた。
それはまさしく何かにじゃれ付く猫の所行だったが、「光」はふわふわと仔猫の手を掻い潜りなかなか上手く捕まらない。
「お? なになに? どーしたの?」
美夏子が身を乗り出すのも無視し、撫子は確信にうなずいた。
そっと手を差し出した。
「光」で遊んでいた小さい頃以来、やらなかった事だ。
漂う「光」にかぶせるように上から掌を乗せると、撫子はそっと「光」を押し下げた。
仔猫は身動きをやめ、撫子の手をじっと見つめている。
やがて下げた掌で機械に押し付けられた「光」は、すり抜けるように装置の中に押し込まれて見えなくなった。
撫子は機械を回り込むと、先ほど倒したナイフスイッチを引き起こし、美夏子に振り向いた。
「コンセント、入れて。 合図したら、コンセントを抜いて」
「ん、あいよっ」
撫子のした事が見えていないはずなのに、なぜか一寸も疑うことなく簡潔に返事した美夏子は、言われた通り壁に駆け戻ってプラグをコンセントに差し込んだ。
メーターの針が振れ、電球に明かりが灯る。
「いいよ」
「せっ」
撫子の合図と共に、美夏子がコンセントプラグを引き抜く。
同時に撫子は、確信を込めてナイフスイッチを押し倒した。
「……え?」
美夏子の、きょとんとした声が聞こえた。
そこに灯り続ける電球を見て。
「なになになに!? いま何をどーやったの!? 」
どたばたと駆け寄って肩に組み付く美夏子に驚きながら撫子はなんとか体勢を押し戻した。
「私の噂のことは知ってるでしょ?」
謎の「光」が初めて用を成した高揚感に浮かれた撫子は、これまで誰にも語らなかったことを口にしていた。
「私にしか視えなかった「光の球」が、この子も視えるみたいなの。 だから、もしかしたらこの子に関係あるのかな、って」
そしてそれは、その通りだった。
電源も繋いでいないのに作動し電球を灯し続ける装置を見下ろして撫子は大きく息を吐いた。
が、高揚感はたちまち鎮まり冷静な思考を取り戻した撫子は顔を青くした。
「…………」
また、バカにされる。 また、変な奴だと蔑まれる。
底冷えのする恐怖が蘇り、撫子は身を強ばらせた。
「そっか。撫子には「光の玉」に見えているんだね!」
ところが隣の美夏子はあっけらかんと反芻すると、撫子の上腕を軽く叩いてパソコンに駆け戻っていった。
「やっぱね! そうじゃないかとは思ってたけどズバリだったか!」
「……え?」
美夏子の言う言葉の意味が分からずに、呆然と後ろ姿を振り返る。
訳が分からない。美夏子の反応は、撫子が生まれて初めて見る対応だったから。
否定も拒絶も嘲りもせずに、既定のものと認識して肯定するなど。
「「宇宙物質」って言葉、聞いたことあるかな?」
撫子の様子に構わずに美夏子はキーボードを叩き続ける。
「「エーテル」、「ダークマター」、まあなんか色々呼び方があるんだけど、要は「宇宙は真空なんかじゃなくて、なにかの物質で満たされている」って考え方があるの」
操作を終えた美夏子が椅子を回して振り返り、手招きする。
「さすがに宇宙空間に真空に代わって何かがびっちり、とまではいかないけど、まあとにかく宇宙には何か、太陽光線とも違う謎のエネルギーがあるんじゃないかって噂があってね」
パソコンに近寄った撫子がおずおずと覗き込んだモニターには、どこかの宇宙科学研究某らしきホームページに紹介された解説図が表示されていた。
「『コズミックエナジー』……?」
「そう!」
表題を確認すると、美夏子がマウスを操作して画面をスクロールさせた。
「まだまだ理論上の存在でしかないらしいんだけど、幽霊とか雪男よりはまだしも実在の可能性がある代物みたいなんだよ!」
「私が見てたものは、この、『コズミックエナジー』なの……?」
「だと思うよ! 宇宙に存在し、しばしば地球上のものに影響を及ぼしたりしてて、でも目には見えないし観測できる手段もないとか特徴が合致してる」
食い入るように画面を見つめる撫子の上腕に、美夏子がそっと手を触れた。
「目に見えなくても、観測できなくても、それが無いことの証明にはならない! 存在を確かめる手段は、絶対にあるの!」
美夏子の眼鏡の向こうできらきらと力強く輝く瞳を呆然と見返した撫子の頬に、我知らず涙がひとすじ流れ落ちていた。
ずっと、ひとりぼっちだと思っていた。
生まれた時から別の世界にでも放り込まれたかのような疎外感を、ずっと感じていた。
たまたま、他の人間に見えないものが視えたというだけで。
自分がおかしいのか。あの「光」がおかしいのか。
それともこの世界がおかしいのか。
自分の足場すら定かでない不安感にいつもいつも苛まれてきたのだ。
そんな、撫子の視界を閉ざす深くて暗い澱みのような霧は、会って間もない一人と一匹の奇妙な来訪者によってあっけなく吹き散らされてしまった。
「いやー。無駄と分かってる永久機関でも、作ってみるもんだねえ」
テーブルを振り返る美香子に合わせて撫子も、例の装置を振り向いた。
仔猫は未だ電球を灯し続ける装置を前足で撫でている。
そのガラクタを複雑に寄せ集めたかのような装置が、仔猫の前足に吸い込まれて消えていった。
「!? 」
「はィ!? 」
二人の喫驚がぴったりと重なった。
見間違いかと疑った。だが確かにまるで掃除機に吸い込まれる液体のように、あれほどゴツゴツとした機械の塊が仔猫の前足を消失点に音もなく形状を集束させて消えていったように見えたのだ。
「うわわわわ!? そんなモン食べたらお腹こわすって!? 」
「だっ!? だだだ大丈夫なの!? 」
大慌てで二人同時に仔猫に飛びかかるが、美夏子の手をするりと躱した仔猫は、同様につんのめった撫子の肩にひょいと飛び乗ってしまった。
「ちょ、ちょっと」
慌てて肩から仔猫を下ろして抱き直した撫子が仔猫の腹を撫で回すが、あれほどサイズ差がある機械の塊が中に収まっている様子はまるでなく、見かけ通りの柔らかい感触を手のひらに伝えてきている。
「ど、どう?」
「……ない。中に入ってる感じがしない」
そもそも口でなく手から吸い込まれたように見えたのだ。本来の「摂取」とは意味合いが異なるように見受けられるが、じゃあ今の現象が何なのかは撫子にも説明しようがない。
しばらく美夏子と二人して仔猫をためつ眇めつしていたが、あまりにも理解を超える現象であると認めざるを得ないことに思い至った。
「……まあ、身体に悪いと思ったら、吐くでしょ」
「そうだね」
若干諦観に染まった声音で美夏子は請け合ったが、撫子としても同意するより他にない。
そこで、昼休みの終了五分前を告げる予鈴が鳴り響いてきた。
「ありゃ。時間だわ。 じゃあまた放課後にここに来てよ。まだ昨日のことで話があるからさ」
「あ、うん」
そうだ。まだ解決していない問題や、相談しなければならないことがある。
散らばったパンの袋を掻き集める美夏子が、ふと撫子を見返した。
「ねえ、そう言えばその仔猫、名前はなんていうの?」
「え? ああ」
この仔猫と出会ったのは撫子も美夏子とほぼ同時のようなものだが、まだその辺を詳しく説明していなかったからか美夏子は仔猫を撫子と前からの友達だと思っているようだった。
だが、あれから一晩を経て、仔猫にふさわしい呼び名が撫子の頭の中に既に現れていた。
「かぐや。」
「かぐや? 「かぐや姫」の?」
「うん。そう」
仔猫──かぐやを抱き直して撫子ははにかんで応えた。
「この子、月の光と同じ目をして、月をじーっと見上げていたから。 なんか、その後ろ姿が綺麗だったから」
あの時、出窓に腰掛けていた仔猫のその眼差しに憧憬の感情を感じたのは、いつもの撫子の直感だろうか。それとも勘違いなのだろうか。
「ふうん、いい名前だね! よろしくねかぐや!」
ところが、伸ばした美夏子の手を避けて顔を背けたかぐやの仕草と美夏子の泣きそうな顔に、撫子は思わず吹き出してしまった。
このミステリー研究会の部室のテーブルの上からもう一つ、撫子が触れていた天球儀が姿を消していることに、それぞれ自分の鞄を持って退出する撫子も美夏子も気付かなかった。
今回のサブタイトルの「闇・中・模・索」。こういう慣用句は存在しません。本当は「暗中模索」ですね。
なんとなく、「暗」よりなお暗い感じの「闇」がいいかなと無理矢理当てたものです。
さてこの「そらのなでしこ」、「仮面ライダー」の二次創作のわりにバトルにあまり重きを置きません。
だいたいこんな調子で展開してゆきますので御了承下さい。