そらのなでしこ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第4話 愛・縁・奇・縁

 撫子は、自分の顔立ちが同年代の少女の中では水準以上であるらしいということを一応自覚している。

 もっとも、これは自己評価ではなく(生まれてからずっと鏡で見ている自分の顔である。身だしなみ以上の意味で良いとか悪いとか気にしたこともない)、余所から漏れ聞こえてくる陰口や噂などの相対評価による判断と、もう一つ。

「わ、ワシと付き合うてくりゃあせ!」

「……………………」

 時々、こうして見知らぬ男が交際を申し込んでくるからだった。

「なあアンタ。黒穴工業高校略してクロコーで総番張ってる蛮殻サンがこうしてアタマ下げてんだナ。その顔にドロ塗る真似だけはしないほうが身のた」

「じゃかあしゃい!」

「げふう!? 」

 しかし、今日の相手は撫子にとっては少々風変わりな男だった。

 前にテレビで見たことがある。あれは「昭和時代の懐かし番組」とやらに登場した、昔の不良少年グループのボスにあたる学生。

 そこで手下の少年の脇腹に拳を突き刺して「く」の字にへし折っている男は、ちょうどそういう格好をしていた。

 昔の学校では制式採用されていたらしき学帽に、丈の長い黒の改造詰め襟と不自然に膨らんだオーバーサイズのスラックス。扱いが荒いのか、その全てがぼろぼろにほつれていた。

 しかも、はだけた上着の下はなぜか裸だった。セクシーなどという概念とは真反対のベクトルを描く分厚い胸筋が暑苦しい。

 帽子の下もまるで岩塊のような顔をしているから、暑苦しさもひとしおだった。

 その上、小柄な自分の見上げる首が痛くなるほど上背のある大男だからなおさらだ。

 あまりの飛び抜けたキャラに、自分たちの周囲を遠巻きに通過してゆく通行人の奇異の目線も忘れるほど。

 むしろ、猥褻物ということで警察に引き取ってもらえるだろうかと撫子は真剣に考えていた。

「ねえねえお嬢さん。アニキは見ての通り気がとても短いッシュ。返事は迅速かつ適切にしたほうがいいッシュよ?」

「余計にゃこと言うなや!」

 もう一人の手下の少年が、男に真上から叩き潰されて視界から消えても撫子の半眼は毛ほども動かなかった。

 それにしても大男の訛りがきつい。どこの方言だろうか。

「まあこいつらの言うちょることは気にすんなも。わしゃあどえりゃあ気ぃが長く、どんな事情でも受け容りゃれる度量の大きさを売りにしちょる。 んで、返答はどないに!? 」

「ごめんなさいタイプじゃないんです」

「ぐはッ!? 」

 不機嫌に即答した撫子の前で、蛮殻(ばんから)とか呼ばれた男が口ほどにもなく吐血したような断末魔を上げて呆気なく崩折れた。

「蛮殻サーン!? 」

「あ、アニキーっ!? 」

 慌てて男の両側に組み付く手下二人の脇を抜け、撫子はこの場を離れるべくさっさと歩き出した。

 ところが、その手下の少年二人が素早く回り込んできて撫子の前に立ちふさがってしまった。

「ま、待つんだナ!」

「アニキに恥かかせた落とし前をつけさせてもらうッシュ!」

「…………」

 もう言っていることの訳が分からない。

 とっとと離れたいのだが、さすがにあの大男に殴られてもピンピンしている少年ふたりの腕力には抗いきれる自信がない。

 さて、どうしたものか。

「あの。すみません」

 悲壮な危機感に冷や汗をかいていたそこへ、横から涼やかな声が割り込んできた。

「彼女は嫌がっているみたいですから、今日のところはこれでお開きにしてもらえませんか?」

 気負った様子も緊張感もない様子ですたすたと歩いてきたのは、撫子と同じベージュのセーラー服、昴星高校の制服を纏った少女だった。

 こちらも、女子としては非常に背が高い。すっと立った背筋が凛とした印象をもたらしている。

 ところが、その女子生徒も一部普通ではなかった。

 髪型が、まるでおとぎ話のお姫様もかくやと言うほどに派手で巨大なくるくるカールヘアだったのだ。

 あの豪華なカチューシャが着いていないこの髪型がこれほど不自然なものだということに撫子はとても驚いた。なぜその髪型なのかを一瞬忘れたほどだ。

「なんだナお前は!? 」

「邪魔すんなッシュ! ヘンなアタマしやがって!」

「それは、兄さんへの侮辱と受け取ります」

 手下の少年たちの罵声に少女は涼やかな顔を引き締めると、身体を横向きに構えた次の瞬間にはその姿がかき消えて手下の少年の一人が派手に吹き飛んでいた。

「……え?」

 撫子がその妙技に気付いた時には、もう一人の少年も少女が振り回す腕にぐるぐると翻弄された挙げ句ぼこぼこに殴られて倒れ伏していた。

「さあ。三十六計逃げるに如かずですよ」

「へ?」

「走りましょう」

 言われ、路上で灰化したままの蛮殻某と痙攣している手下たちを置いて、撫子は手を引かれるまま少女と共にこの場から走り去っていった。

 

 夕暮れ時の商店街のアーケードを、謎の少女に手を引かれながら走り抜ける。

「いやあ。大変でしたね」

 商店街の反対端まで来たところでようやく少女は掴んでいた手を離した。

「……あ、ありがとう……」

「どういたしまして」

 長らくの経験からつい他人を警戒してしまう撫子のおずおずとした礼にも、少女はにこりと精悍な微笑みを返してきた。

 それにしても、先ほどの蛮殻某もとても奇抜だったが、この少女もどうにもアンバランスな格好だった。

 この髪型の見かけからして、少女はきっとお金持ちの家系で「おほほ」と笑いながら上から目線の気に障るイントネーションでしゃべる生き物にしか見えないのだが、さっきから淡々としつつ朗らかに慇懃な調子でしゃべっているのだ。

 同じ学校にいながらこれほど特徴的な生徒を見逃すだろうかと不思議に思ったが、撫子は普段から廊下や外を歩く時に、人の顔など特に注視していない。見覚えもなにも、ろくに誰のことも見えてはいないのだから、彼女のことを覚えていないのも当然だ。

 撫子が自分の悪癖に煩悶としているうちに、少女は近くの自動販売機の下端の取り出し口から缶ジュースを取り出していた。

「はい、どうぞ。奢らせてください。一緒に落ち着きましょう」

「あ、はあ」

 なにやら巧妙に遠慮を封じ込める勢いに押されて、撫子は缶ジュースを受け取った。

 少女は自分の分の缶ジュースのプルタブを開けてさっさとあおり始める。

 その際、缶をあおって真上を向いた少女の前髪が、重力に従ってずり下がったように見えた。

「んん!? 」

「あ。おっと」

 撫子の怪訝の声よりも先に感触で悟ったのか、少女は自ら頭髪のずれに気付き片手を頭に遣った。

「ええ!? 」

 その続く仕草に撫子は今度こそ盛大に喫驚の声を上げた。

「よいしょ」

 少女が、いきなりその豪奢な頭髪を丸ごと毟り取ったのだ。

 いや、これは。

「……か、カツラ……?」

「ああ。ウィッグって言うんですけど」

 呆然とする撫子の前で少女は、巨大なウィッグを振りながらあっけらかんと応えた。

 その、ウィッグの下から現れた少女の本当の頭髪は、なぜか男の子のようなベリーショートだったのだ。

「……あ……あ……」

 一瞬、丸刈りかとも見違うほどに短い髪が、むしろ精悍な顔にとても良く似合ってはいるのだが、驚愕の連続に撫子はもう言葉もなかった。

「ボクは短い方が好みなんですけど、兄さんの方針で「女の子は女の子らしくしなくちゃ」ってことで、学校ではこれをかぶるように言われてるんです。 ……あんまり意味ないですけどね。ボクはボクなんですから」

 屈託なく微笑む少女だが、撫子にはやっぱり意味が分からなかった。

 少女は気にした様子もないようによいしょとウィッグをかぶり直すと、前髪の位置を微調整しながら撫子に微笑みかけてきた。

「たいしたことじゃないです。 見えないものが見えると噂されるあなたと、ボクとじゃあそんなに違いはないはずなのにね」

「!? 」

 苦笑顔の少女に突然自分にまつわる噂を出され、どきりとした撫子は身を固くした。

「誰に迷惑をかけてる訳でもないのに、付け足さなきゃいけなかったり、文句言われなくちゃいけなかったり、変な世界ですよね。 あ、ボク、鼓獅子 郁(こじし・いく)っていいます」

「あ、あの、わたし、美咲 撫子……」

「はい、知ってます。それじゃあ」

 撫子の慌てた自己紹介ににこりと微笑むと、その少女・郁は挨拶の代わりのように缶ジュースを目の高さに掲げて見せ、颯爽と身を翻して夕焼けに染まる街中へ立ち去っていった。

 いつの間にか肩に乗り上がっていたかぐやと共に、撫子はその後ろ姿を呆然と見送っていた。

 

 懐から突然鳴り出したメロディに、撫子は慌ててポケットからケータイを取り出して耳にあてがった。

「もしも」

『ナデシコ!? 今どこにいるの!? 』

「あ!? 」

 こちらを遮って飛び出した美夏子の声に、撫子は思わず声を上げた。

 放課後の化け物との遭遇のあと、帰り道の途中にあるバラエティショップに買い物の用事がある美夏子を店の前で待っていたところで、あの蛮殻とかいう男が話しかけてきたのである。

 そして騒動が起きて鼓獅子 郁に連れられて離れた場所に来てしまったのだ。

「ゴメン! ちょっとトラブルに遭って、逃げてて」

『ええ!? お店の前に化け物が出たの!? 』

「ううん、たぶん人間だけど」

『たぶんて』

「ううん、冗談。でももしかしたらまだその辺にいるかもしれないから、別の所で合流しよう?」

『しょーがないなー』

 合流場所を相談して電話を切った撫子は、ケータイを懐にしまいながら小走りに駆け出した。

(不思議な人だったな……)

 逃走劇で大きく外れた場所から帰途を辿りながら、撫子は先刻の少女・鼓獅子 郁のことを思い返した。

 あの少年たちを叩きのめした動き方は、素人目には良く分からなかったが、恐らく何かの武道とか格闘技を学んでいるのではないだろうか。

(でも、あんなに強いのに、何かに縛られているの……?)

 むしろ颯爽とした言動なのに、垣間見える煩わしさと理不尽への不平。

(あれほどの強さを持ちながらも振り払えない何かに囚われるなんて)

 

──あなたと、ボクとじゃあそんなに違いはないはずなのにね──

 

 幼い頃から偏見の不条理に翻弄されてきた自分の境遇と、鼓獅子 郁が語った言葉が胸の内で重なり合った。

(……あれ?)

 そこで撫子は、他人の事を気にかけるなどという自分らしくない思考にようやく気が付いた。

(……やめよやめ。ばかばかしい)

 助けてもらったことはありがたいが、彼女は自力で障害を打ち破る力を持っているのだ。

 なんの力も持たない自分とは、違う。

(…………)

 それでも胸にくすぶる雑念を振り払いきれず、撫子は煩悶としながら早足で道を急いだ。

 

 

◆◆

 

 翌朝。

 教室内の居心地が悪い撫子は、いつもギリギリの時間に教室に入るようにしている。

 そうしていつものように誰とも目を合わせないように自分の席に着くと、鞄の中から筆記用具などを取り出している内に再び教室のドアが開かれた。

(……え!? )

 撫子は、怪訝と喫驚に目を見張った。

 ドアをくぐって現れたのは、宇目木ではなく、昨日と同じ代理の教師だったのだ。

 それどころか、教室の他の生徒もそれほど大きなリアクションをしていないことにも違和感を感じた。

「よーし席につけー。出席確認するぞー」

 そして当たり前のように点呼を始めようとする代理の教師の行程に、思わず撫子は立ち上がっていた。

「あ、あの、宇目木先生は!? 」

「んあ?」

 撫子の剣幕に、代理の教師はきょとんとした顔で見返してきた。

「しばらく入院だって、昨日言っただろう。 いつ退院できるかは、まだ分からん。座ってろ。 えー」

「…………!? 」

 撫子は、愕然として力無く腰を落とした。

 周りから聞こえてくる嘲笑のささやき声が、撫子の違和感をより色濃く上塗りしてゆく。

(……じゃあ、昨日私たちが会った宇目木先生は、何……!? )

 

「……っていうことがあって……」

「なんスかそれ」

 昼休み。

 ミステリー研究会部室(仮)に集まった撫子は、美夏子に今朝のことを説明した。

 困惑に揺れる撫子の向かいで美夏子は曰く味のある引きつった顔で固まっていた。

「いや~、ミステリーは好きだけど、ホラーはちょっとなー」

「え? どういうこと?」

「だから、昨日の夕方の宇目木先生は生き霊だったとか、実は病院では今際のきわで魂がさまよっているとかそんな」

「え~~!? やめてよやめてよ!? 」

 青い顔で美夏子が語った解説に撫子が身を捩って話を遮る。

「……ま、まあホラ、本当に入院しているんだったら、病院に確認しに行けば済むハナシだし、それで昨日ここに来た理由も聞けばいいし」

「そうだよねそうだよね!? 」

 脂汗まで浮かべて「生き霊説」を否定する根拠を列挙する美夏子に、撫子も縋るように必死にうなずいた。

「は、ははは。い、いやー隕石の影響って、すすすすごいなーあはははは」

「そそそうだねー」

 最後はどうにか誤魔化し笑いで無理矢理トピックを終わらせる空気にすることに二人して執心するが、どうにも不快な冷たさを払拭するにはなかなか至らない。

 かぐやは、そんな二人に挟まれたテーブルの上で、空気なんて読めませんみたいな澄まし顔であらぬ方を見上げていた。

「……」

 ふと誤魔化し笑いの途中でちらと見たかぐやを二度見した美夏子が、撫子に手招きした。

「ね、ちょっと」

「なに?」

 美夏子はなぜか、かぐやをしげしげと見つめている。上から下まで舐めるようにして。

「……なんかこの子、大きくなってない?」

「え?」

 言われて撫子もかぐやを観察するが、大して変化があるようには見えない。

「そう?」

「んー、ナデシコはいつも一緒にいるから、少しの変化には気付きにくいのかな」

 言いながら美夏子はかぐやに近付けた親指と人差し指で交互に辿ってその全高を計っている。

「う~ん。昨日飲み込んだ機械の分かしら、ってほど容積に変化はないみたいだけど……」

「……ああ。ほんとに食べちゃったんだっけ」

 計り知れないかぐやの異常について、これ以上なにが追加されても文字通りその原因を推し量ることなど自分たちにはできようもない。

 撫子は諦観に染まった薄笑いで適当に相槌を打った。

「……あ。 そうだナデシコさん、かぐやで思い出したけど昨日のことでちょいと聞きたいことがあったんだわ」

「ナンパしてきた人のこと?うんうん変な人だったよねー」

「ナデシコが変身した時なんだけどさ」

 撫子の白々しい話題逸らしは呆気なく無視された。

 ひとすじ汗を垂らしてそっぽを向いた撫子の前に、美夏子がニコニコ顔でのそりと回り込んでくる。

「みゃーみゃー言ってる変わった方言みたいだったけどどこの人なんだろーねー」

「変身したナデシコがなーなー言ってるのって、なに?」

「いーーやーーーー!? 」

 執拗な美夏子の追求にとうとう撫子は悲鳴をあげた。両手で耳を塞いで身を捩る。

「やめてお願い訊かないでいやいやいやーーー!? 」

「そうは言ってもさ、ナデシコが変身した姿は、アスファルトを砕いちゃうようなすごいパワーを発揮してるんだよ? もしも変身することで脳になんらかの影響が出てるんだとしたら今後の化け物対策を考え直さないといけないし」

「嘘だよおー!? 目が、目がすっごい笑ってるものー!? 」

「やだなーわたしってば超絶真剣極まりないクールでクレバーな頭脳で心配してるのよおー?」

「いやー!? いやったらいやむぐ!? 」

 駄々をこねる撫子の両頬に添えられた美夏子の両手が、撫子の頬を思いっきり挟んだ。

「さああてあの辺りのことを詳しく教えてくれないと、こんなふうにアヒルみたいな口に変身させちゃうからね?」

「むー!? むー!? 」

 唇をむりやり尖らせられたままもがくが、不利な体勢に追い込まれていてどうにも抜け出せない。

 不意に、美夏子の顔が真剣味を帯びた。

 手の力は緩めぬまま。

「……ねえナデシコ。心配なの。変身して戦えるのがナデシコだけだからって、最悪の場合、最終最後はナデシコとかぐやに頑張ってもらわなくちゃいけないかもしれないけど、でもあんなに怖がってたナデシコが、変身した途端に喜々として戦い始めたように見えたんよ? ……少し、怖くなったよ……ナデシコが壊れちゃうんじゃないか、って……」

「…………」

 その真摯な言葉に、思わず聞き入ってしまう。

「ねえ。だから教えてよ。一緒に考えるからさ」

「……!」

 撫子は美夏子の手に挟まれたまま必死に首を縦に振った。

 そろそろ顎にかかる圧力に耐えきれなくなってきたからだ。

 

「ううう……結局力技だし……」

 頬と顎をなでながら撫子は涙目でぼやいた。

「え? もっと愛情表現しなきゃダメ?」

「説明する説明しますから!? 」

 目をキラキラさせて両手をかざす美夏子に撫子は慌てて大きく後退った。

「……って言っても、私もよく分からないのよ」

「んじゃあ、まずかぐやと変身した時って、どんな感じなの?」

 パソコンの前に回った美夏子が話を促した。

 テキストデータを立ち上げてキーボードをせかせかと叩き出す。

「ナデシコが変身した時って、顔が仮面にすっぽり包まれて、大きな目がついてたけど、あれって前は見えてんの?」

「え? 私どんな顔になってたの?」

「あー。自分じゃ見えないか。今度変身したら写メでも撮ろうよ。 で、あの「うー、なー」って、なに?」

「うっ……!? 」

 やはり撫子は躊躇ってしまう。

 だが、満面の笑顔の美夏子が両手を広げたのを見ると、苦渋の末に口を開いた。

「……わ、私にも本当に良く分からないの。なんか、かぐやにすっぽり包まれた直後は、なんかこう、ぶわーって感じで感覚が広がるっていうか……」

 両手を宙で曖昧に振って説明する中、美夏子はふむふむとキーボードを打ち込んでいる。

「あ、周りはちゃんと見えてたよ? 仮面かぶってたなんて自分じゃ分かんなかったくらい。それどころか、視力が凄く上がったような気がした。なんか木の葉とかアスファルトのつぶつぶとか細かいところまで綺麗に見えたの。 新しいイヤホンで音楽聴いたくらいの違いがあったと思う。」

「ふんふん。それで?」

「……わ、笑わないでよ?」

 撫子の発言を記録しているのか、キーボードを操作しながら、その後ろ姿がかくかくと首肯して見せた。

「感覚が広がって、もの凄い爽快感で気分良くなっちゃって、……ほら、山に行ったりしたときに叫びたくなる衝動ってあるでしょ!? あんな感じで、つい、その……」

「開放感に衝き動かされた魂の発露、デスカ?」

「……う……」

 チェシャ猫めいたニヤケ面が振り返ってきて撫子は声を詰まらせた。

「なるほどなるほど。とまあそれはそれとして。 あとナデシコさあ、この技に何か思い入れとかあったりする?」

「え?」

 急に元の顔に戻った美夏子が、両手を組んで作った握り拳を上下に振るのを見て撫子はきょとんとした。

「……なにそれ?」

「へ? ナデシコ変身した時、コレであの化け物ぼっこぼこにしてたじゃん?」

 二人同時に首を傾げる。

「あれ? もしかして戦ってる時のこと覚えてない?」

「……う~ん……よく分かんない」

 撫子は傾げた額に指先を押し当てて記憶を探るが、なぜか部分的に曖昧な印象しか残っていなかった。

「……戦うとか、怖いっていうのは、なかった気がする。なんだか、そこら辺がぼんやりしてて」

「ふーん」

「化け物と向かい合っていたのは覚えてるの。 でも、戦うとか、怖いとかはなくて、なんか、なんとかするぞ!っていう感じはあったような気がする……」

「やっつけてやろう、っていう気持ちじゃないの?」

「……なんか、違かった、気が、する」

 椅子を回してパソコンに向き直った美夏子は再び何事か打ち込み始めた。

 そのまま、背中で問いかけてくる。

「あとさあ、昨日、あの化け物をいい勢いで圧してたのに途中でやめちゃって、何か探すみたいにきょろきょろしてたよね? あれはどうしたの?」

「んん~……」

 撫子も、反対側に首を傾けて再びうなり声を上げた。

「……なんか、何かが足りなく感じて、それが欲しくて探してた、ような……気が、する」

「やっぱり、ぼんやりした感じ?」

「……ごめん」

「いや大丈夫、謝るこっちゃないよ~」

 さらに二~三の質問を繰り返した末、トドメのようにエンターキーをひっぱたいた美夏子がモニターの前を開けて振り返った。

「まだ推測の段階なんだけど、見て」

 言われ、撫子はモニターの前に近寄った。

「とりあえず撫子の主観ではっきりしてるものと、ぼんやりしているものを分けてみたのね」

 そこには、美夏子の言う通り一連の撫子の返答が区分けされて箇条書きにされていた。

 変身した撫子が僅かでも自覚しているのは、開放感を感じていることと、拡張された精細な視聴覚と、単純な行動の指針について。

 記憶が曖昧な点は、主に具体的な行動内容についてだった。

「で、こっちが、わたしから見た変身したナデシコのあの時の行動」

 言った美夏子がキーを押すと、新たなウインドウが隣に現れた。

 そこには、一手、二手といった区切りで変身した撫子と化け物の行動が細かく書き込まれていた。

「結構、いい感じに圧倒してたんだよ?」

「……へえ」

 変身した自分がアスファルトを砕いたことは、昨日あの時に美夏子に見せられて初めて驚いたものだ。

 ほか、美夏子が列挙した変身した撫子の行動には、やはり部分的に覚えのない点がちらほらと見受けられた。

「で、わたしの推測だけど、変身したナデシコの行動には、たぶん結構な割合でかぐやの意志が反映されてるんじゃないかな」

「かぐやの?」

 言われ、撫子はテーブルに座っているかぐやを見返した。

「ナデシコは、取っ組み合いのケンカとか、武道の経験とかないでしょ?」

「うん」

「となると戦いの技術はかぐやの領分、としか考えられないんだけど。「ナデシコじゃなければ、かぐやしかいない」っていう消去法でしかないんだけどね。 でも、猫が怪物との戦い方を知っている、っていうのも考えにくいし……」

「え? でも、かぐやって、「SOLU」っていう宇宙生命体なんでしょ?」

「だとしても、だよ。 なんで人間の形をしていない宇宙生物が、執拗にハンマーパンチしかしないのかが、不思議でねえ」

 こんな、と言いながら美夏子が組んだ両手を大きく振り回して見せる。

「ナデシコも普通、こういう動作しないでしょ」

「うん……」

「でもね、ひとつはっきりしたことがあるんだ!」

「え? なに?」

 人差し指を立てた美夏子が、覗き込むように寄せた顔にいたずらめいた笑みを浮かべた。

「……変身したナデシコは、めっちゃくちゃハイテンションになっちゃってるってこと!」

「あああ!? 」

 指先を突きつけてずばりと看破され、撫子は顔色を目まぐるしく変化させながらあたふたと後退した。

「い、いや、あわ、あわわ……!? 」

 青くなった顔を真っ赤に染めて、結局撫子はテーブルに突っ伏して頭を抱えた。

 

 バレた。恥ずかしい。

 美夏子の言う通りだ。そして実態は実はそれ以上だ。

 かぐやを伴って変身した撫子は、変身した瞬間に爆発的な開放感に包まれるのだ。

 それは撫子の抱えるあらゆるネガティブな思考を消し去ってしまい、結果、撫子の「本性」を全開にする。

 思いのままに振る舞いたい。可愛らしいファッションにも興味がある、可愛らしくありたい。みんなと同じように元気良くはしゃぎたい。

 そしてネガティブな思考を消し去る効果は、副次的に「理性的に振る舞うべき」という思考をも弱らせてしまうのだ。

 なにしろ本性が開放されているのだ。理性を働かせようなどとは発想からして及ばない。

 故に、変身直後の撫子は、全身で喜びを表現しようとして意味ある言語を使わなくなる。

 まさかそれが「うー」とか「なー」とかいう形で発声されていたなどと、美夏子に指摘されるまで自覚すらしていなかったのに。

 

「あうううう……!? 」

「いやいやー? ナデシコさん、別に恥ずかしいことじゃないよ? むしろ、はっきりさせとかないと対処の仕方も分かんないままの方が危ないんよ?」

「……それは、そうかもしれないけど……」

 宥めるように手を振ってすり寄ってきた美夏子に、腕の隙間からちらりと半泣きの顔を覗かせて弱々しく応える。

「ていうかさあ、ナデシコはずっと堅い顔ばっかしてたからさあ、わたしとしては、そういう素の部分を見せてもらえるのはとっても嬉しいんだけどなあ?」

「え?」

 意外な言葉に、撫子は思わず抱えていた顔を上げた。

「でも、しょうがないね。ナデシコは、からかわれるのってあまり慣れてないでしょ? 気ぃ悪くしたら、ゴメン」

「…………」

 美夏子の珍しい殊勝な態度に、撫子はついその眼鏡の向こうの苦笑いを見つめてしまう。

「……いや、私も、その……」

 もにょもにょと撫子が返事しようとしたところで、まるで遮るようにしてチャイムが響いてきた。昼休み終了の予鈴だ。

「おっと時間切れだわ。 行こう?ナデシコ。 続きはまた放課後に話そ」

「あ……」

 

 ずっと、人を警戒して生きてきた。

 誰かと笑い合うだなんて、久しくしていなかった。

 本当のことを話せば、誰もが撫子を否定し、拒絶し、蔑んだから。

 だから、他人の前で素の自分をさらけ出すなんてあり得なかった。

 かつて撫子に近付いてきた者にも、慣れるにつれ笑い合えることはあったが、相手の笑顔は嘘だったのだと、その後に思い知らされることになった。

 だからもう、誰も信じないと決めていた。

 信じられるわけがないと思っていた。

 だけど美夏子は。

 秘密の壁は、とっくに破壊された。

 それなのに一緒にいてくれる美夏子は。

(私は……)

 分かっている。美夏子はもう手を尽くしきっている。

 後は撫子自身から行動しなくては、状況は発展しない。

 はっきりと言えない申し訳なさが、さらに申し訳なくなっていたたまれないスパイラルに陥ってしまう。そんなのはもう、イヤだ。

 本性をさらけきってしまうかぐやとの変身を、美夏子に見られることを恐れて躊躇っていたのだが、むしろこれは好機なのかもしれない。

 凝り固まった今の撫子の心では、美夏子と打ち解けようとしても非常に困難だろう。

 けれど、かぐやの力を借りれば、自身の心をも解きほぐせるのではないだろうか。

(その為には、あの化け物をやっつけて、それで……)

 目的と、為すべきことの筋道が、撫子の中で確かに繋がった。

 

 

 放課後。

 昨日よりもなお軽い足取りでやって来たミステリー研究会部室で、テーブルに置いた鞄から這い出てきたかぐやと一緒に、椅子に腰掛けて美夏子を待つ。

「…………」

 なんとなく手持ち無沙汰で膝の上の手のひらをぱたぱたと交互に動かすが、どうも美夏子の到着が遅い。

 ここに放課後に来るのは三回──自主的に訪れたのはまだ二回目だが、昨日は美夏子が先に来ていた。

 ホームルーム終了後すぐにここに直行するものと思っていたから、今日の遅れは意外だった。

「……?」

 十分ほど待って、さすがに怪訝に感じてきたところで、隣の物置の部屋からなにやらどやどやと複数の足音が聞こえてきて思わず腰を浮かせた。

 校内でも忘れられたこの部屋に用事があるのは美夏子と撫子だけのはず。

 そこを訪れる複数の足音の見当が付かず混乱しているうちに、入り口のドア枠から大きな段ボール箱を抱えた美夏子が入ってきた。

「はーいこっちだよー入っておいでー!」

「え……?」

 そして美夏子が連れてきたらしき来訪者が二人、それぞれ段ボール箱を抱えて続いて入ってきたのだ。

「ようこそっ! ミステリー研究会へっ!」

「ちょっ!? 丸ごと同じ手っ!?」

 連れてきた二人に振り返って両腕を広げて宣言した美夏子の背中に撫子は思いっきり突っ込んだ。

 目の前で繰り広げられたやり取りは、撫子がここに連れて来られた時と全く同じだった。

「お。ナデシコおっす!」

 ところが全く悪びれもせずに振り向いた美夏子はにっかりと笑って敬礼のポーズをした。

「さ、紹介するよ! 新たなミステリー研究会の仲間!」

 行って美夏子が片手を振って身を翻したそこにいたのは。

 巨大なプリンセスヘアをかぶった長身の少女・鼓獅子 郁と、この昴星高校の制服であるベージュの詰め襟を窮屈そうに着込んでいる筋骨隆々の巨漢・帽子がないせいで一瞬分からなかったが蛮殻某であった。

「おや?」

「むう?」

「……………………はイ?」

「さあ! みんなまとめて、よろしくねっ!」

 三人の怪訝な空気の中で、美夏子の底抜けに明るい声が白々と響いた。

 

 




 今回のサブタイトルは「あいえん きえん」。本来のことわざでは「合縁奇縁」ですが、内容に合わせて「愛」の字をあてがいました。
 ちなみに方言については、資料にした漫画などからの又借りででっち上げていますので、詳しい方からすれば失笑モノな点や至らない点があると思いますが、どうかフィクションの悪ノリとしてひとつ大目に見て頂けたらと思います。
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