そらのなでしこ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第5話 為・猫・添・翼

「では改めまして。 ボクは、鼓獅子 郁と言います。よろしくお願い致します」

「ワシゃあ、蛮殻 慎一郎(ばんから・しんいちろう)ちゅうんや。よろしゅうに」

 放課後のミステリー研究会部室にて。

 美夏子が連れてきた見覚えのある二人が、めいめい自己紹介した。

「ちょっ……!? 」

 撫子は美夏子の袖をひっ掴むと部室の片隅へと引きずってゆく。

「ちょっと、なに考えてるの!? 」

 声をひそめたまま怒鳴る勢いでまくし立てた。

「私たちは化け物に狙われてるんだよ!? それなのに、なにもこんなタイミングで勧誘することないじゃない!? 」

「いやー。そうは言っても良い人材は早くに捕まえておかないと余所に取られちゃうしぃ、宇目木センセに話聞きに行くついでに顧問の件をお願いするにも、最低人数は確保しとかないといけないし」

 部活動要項に曰く。所属する生徒が三名以上であること。

「だから危ないっていうのに!? 」

「それにねナデシコ。全くの無関係ってワケでもないんよコレが」

 隠す気が全くないらしい美夏子は頭の後ろで両手を組んだまま朗らかに嘯くと、撫子の肩越しに新参の二人を見遣った。

「ね? 説明してくれる?」

「ええ。 実は昨日、美咲さんと別れた後、銀色の泥のような化け物と遭遇しまして」

「ええっ!? 」

 さらっととんでもないことを口にした鼓獅子 郁に驚いて撫子は振り向いた。

「いきなり人間の形になって殴りかかられたんですけども、まあ、たいした相手ではありませんでした」

「……は?」

 郁の言っている意味が分からずに間抜けに問い返すが、郁はからっとした笑顔でさらりと続けた。

「ええ。返り討ちにしましたから、ボクには別状はありませんよ」

「郁ちゃんチはね、古流武術の道場やってるんよ。代々続く古いお家なんだって!」

「……………………」

 にっこりと付け足した美夏子を見返すが、撫子は二の句が継げない。

「ワシも会うたぞ」

 郁の隣に座る大男・蛮殻 慎一郎が続いた。

「何日か前や。いきなり目ぇの前に沸いて出てきよったんで、思いっきりドツいてやったら、呆気のう退散しよったきに」

「……ねえ。私とかぐや、いらなくない?」

「落ち着いてナデシコ。追い払っただけ。やっつけてない」

 顔に暗い影を落としてジト目で言う撫子の肩を美夏子が掴んで宥めた。

「それと、昨日は悪かったなも」

「え?」

 やおら蛮殻が巨大な体躯を丸めて頭を下げた。

「昨日おみゃあさんに声かけたんは、実は色恋とは全然別のハナシやったんて」

「ナデシコに聞きたいことがあったんだよね?」

 付け足した美夏子が、撫子の手を引いてテーブルに戻る。

 どうやら、美夏子と新参の二人との間では既にある程度話を済ましているらしい。

「……でも、昨日は黒穴高校がどうとか……」

「んにゃ。全部説明する」

 美夏子の陰に隠れて問う撫子に、蛮殻はキャッチャーミットのような大きな手のひらをかざして続けた。

「なにしろこんなナリやから、よおケンカとか絡まれるんや。ワシゃあ別にケンカが好きちゅうワケとちゃうが、まあ適当に相手しとったら、いつの間にかクロコーの総番に担ぎ上げられとった」

 蛮殻は腕を組んで厳かに語る。

「昨日ワシの横にいたんは、ただの腐れ縁や。どうか気にせんでやっといてなも。 まあそれはともかく、血の気の多い野郎共はともかくバケモンちゅうのは初めての相手やったさかいに、追い返したんはええがどうしたもんか困っとった。 そこで、おみゃあさんの事を思い出した」

 蛮殻の鋭い目に睨まれて撫子は美夏子の背中に引っ込んだ。

「いやいやナデシコさん。蛮殻くん優しい人だから大丈夫だよ?」

「で、でも……」

 そうは言われても、まるで世紀末覇者のような顔つきなのである。人間不信の撫子には荷が勝ち過ぎる。

「ははは。まあ、時間をかけて慣れていくしかありませんよね。蛮殻さんも」

「え?」

 朗らかな郁の言葉に美夏子の背からそうっと覗き込んでみると、あろうことか蛮殻が椅子に腰掛けた姿勢のまま白目を剥いて灰化していた。

「蛮殻くんねえ、こう見えてメンタルがもの凄く弱くてね。 まあほら、見かけによらないのは誰しも一緒だし?」

 そう言えば、昨日も撫子のお断りのひとことで蛮殻はノックダウンしていた。

 先の蛮殻の眼差しも、本人にとってはただ撫子を見ただけのことである。それなのに萎縮されて心外に感じたのだ。

「あ、あの、ごめんなさい!? 」

「……い、いや、気にせんでええ。ワシが悪いんや」

 巨大な片手でこめかみを掴んで頭を振る蛮殻が空いた手を振って応えた。

「色々と謎を抱えちょるおみゃあさんに、腹にモノ抱えとる者の心の持ちようを相談しようとしたんけど、ウチの阿呆どもが勝手に盛り上がりよって告白ゆう流れになりよった。まあこっちにも色々あって昨日はああせざるを得なかったんや」

「……ええと、ボク、謝ったほうがいいですか?」

 話の途中で郁が青い顔で問いかけた。

 撫子が絡まれていると見て蛮殻の手下を叩きのめしたのは、郁だ。

 つまり、結果的に勘違いであったわけだが。

「んにゃ、気にすんなも。あいつらの自業自得だで。 とにかく、そんなワケでおみゃあさんに接触したかったんや」

「で、昨日のナデシコのハナシ聞いて、ピンと来たわたしが二人を連れてきたのさ。 なにしろ二人とも、ナデシコと同じくらい目立つ有名人だからねー」

「……なにそれ」

 美夏子の「有名人」という言い種に少しだけむっとしたが、新参の二人を見てすぐに得心した。

「ふふ。美咲さん、分かりますよ? それは何か失礼なこと考えてる目ですね?」

「ごごごめんなさい!? 」

 郁の朗らかな指摘に図星を突かれた撫子は血相を変えて謝った。

「あはは。冗談ですよ」

「へ?」

思わぬ郁の言葉に、撫子はきょとんと顔を上げた。

「うん。やっぱりおもしろい人ですね、美咲さんは」

「ごめんねえ。ナデシコは、あんまりからかわれるのに慣れてないから」

 思いがけない感想を述べる郁の前で呆然とする撫子の肩に、美夏子が後ろから両手を置いた。

「ええ、大丈夫です。心得てますよ」

 からっとした笑みで首肯する郁と、置物のように腕組みして座る蛮殻を、撫子は不思議そうに見回した。

 

 なんだろう。この空気は。

 明らかに教室にいる時とは違う初めての感覚に撫子は戸惑った。

 複数の人間と同じ部屋にいて、疎外感が全くないことに気がついたのだ。

 今の郁の評価も、他の人間が言ったなら、ただの嘲笑の言葉と取っただろう。

 だが、郁からは一切悪意を感じ取れないのだ。

 美夏子と二人きりの時は全く気にしていなかったが、人数が増えたことで美夏子との不思議な関係性にも改めて気付いた。

 一緒にいてくれるという、ただそれだけの、でもとても大切な関係。

(……こんなの、初めて……)

 四人と一匹のこの奇妙な集会に、撫子は不思議な心地良さを感じていた。

 

「……ところで、さっきから気になってたんですけど、そちらの猫は、ここで飼ってるんですか?」

 言って、郁がテーブルの上にちんまりと座るかぐやを指さした。

「うん! この子は「かぐや」! ナデシコのお友達だよ!」

 美夏子がテーブルを回り込んで、かぐやの背後で手を振って紹介する。

「ふっふっふ。なにを隠そう、この子こそが我がミステリー研究会最高の謎なのよさ! ねっ!」

 ハイテンションでまるで我が事のように宣った美夏子が、かぐやの頭にぽんと手を乗せて撫で回した。

「……んん!? 」

「おっ!? 」

 その異常に気付いた撫子と同時に、美夏子もそれに気付いて目を丸くした。

 あれほど撫子以外の人間の接触を嫌がっていたかぐやが、美夏子の手を避けなかったのだ。

「おおー!? ようやくわたしのことも受け入れてくれたんだね嬉しい~!」

 たちまちかぐやを抱き上げて頬ずりし始める。

「……え……どうして……」

 撫子は呆然としていた。

 郁と蛮殻はきょとんとするばかりだ。

「あのー。 じゃあ今まであんまり懐かれてなかったんですか?」

「まあねー。でもわたしもこの子と会って2~3日だし」

 嬉しそうにかぐやを抱く美夏子に問いかけた郁の顔が、瞳を輝かせて頬を上気させ、ところどころをひくひくさせていた。

「……ああ。やっぱり我慢できません。ボクにも抱かせてください」

「いいよー。今ならイケルかも」

 郁が、今までの精悍なイメージとは真逆の緩んだ笑顔で美夏子が差し出すかぐやに手を伸ばすが、手が触れる寸前で身を捩ったかぐやはその手から逃れ、飛び降りた床を駆け抜けて撫子の肩まで駆け上がってしまった。

「ありゃー。やっぱ慣れなのかなー」

「ああ……」

 なんとも切なそうな落胆の表情でかぐやを見つめる郁のあまりのギャップに、撫子はつい軽く吹いてしまった。

「あ。美咲さん、笑いましたね?」

「あ、ご、ごめんなさい!? 」

 反射的に謝るが、郁の顔は先刻と同様の穏やかな微笑みのままだった。

「美咲さん。冗談ですよ?」

「あ……」

 郁の方から歩み寄ろうとしてくれているのに、自分がこのままでは駄目ではないか。

 撫子は思わず頭を抱えた。

「あわ、あわわ……!? 」

「あはは。 すぐにとは言いませんけど、できればこういう時は、笑ってくれると嬉しいです」

 元の椅子に戻って腰掛けた郁が、そう言って撫子に微笑みかけた。

「あ、その、 ……うん」

「んじゃ、そろそろ出掛けようか!」

 そんな撫子を優しげな瞳で見つめていた美夏子が、やおら腕時計を見下ろして宣告した。

「え? どこに?」

「宇目木センセの、お見舞いに!」

 びしりと立てた指先の向こうで、美夏子がにやりと笑みを浮かべた。

 

 

 昴星高校から昴星(ぼうせい)中央総合病院までは、バスに乗るよりも徒歩で行ったほうが、実は早い。

 駅から出る路線バスでは、学校と病院とは別方面の経路になっており、学校前のバス停からバスに乗ろうものなら駅とも病院とも反対側の方面に流されて非常に遠回りになるからだ。

 ぞろぞろ歩く四人の人間の足下を、小さい銀毛の仔猫がちまちまと小さい足を動かしてついてゆく。

「……っていうことがあってね」

「はあ」

「むう」

 病院へと歩く道すがら、美夏子が語った昨日の怪異、「入院しているはずの宇目木先生が部室に現れた」という怪奇現象に、郁と蛮殻は、撫子らとは異なる反応を示した。

「ね!怖くない!? 怖いでしょ?」

「……怪我の程度が分かりませんからね。 検査結果によっては数日の入院で済むくらいなら、普通に歩いて来れそうですし……」

「にしても、嘘吐く意味が分からんの。いい大人が、職員室にも顔出さんと生徒の溜まり場にわざわざ来るんも意味わからんし」

 と、二人そろって至って現実的な見地からの疑問を提示して首を傾げてみせた。

「ああ。そっか。 そうだよね」

「ええー!? そんなのつまんなーい!」

 心底納得した撫子の横で、美夏子が全身を振り回して喚いた。

「幽体離脱のほうがロマンがいっぱーい」

「あのー。それだと、宇目木先生が今際のきわってことになっちゃいますし、もし生き霊を飛ばすくらいの重態になったら、各方面に連絡が行くはずですから」

「そうだよ。それに、容態を誤魔化してまで一人で動き回っていた宇目木先生が、何かを企んでるかもしれないってのも、ミステリー向きじゃない?」

「それだッ!」

 郁に継いで適当にでっち上げた撫子の妄想話に、美夏子が燃える瞳で喰らいついた。

「あのむっつり、澄ました顔して裏稼業に手を染めているのねきっと!」

「……宇目木先生に何か恨みでもあるの……?」

 ひとり燃え上がる美夏子から身を退いて撫子は青い顔で呟いた。

「まあ本人のいにゃあところでいい大人にいらん冤罪塗ったくっとってもしゃあないやろ。聞きゃあ済むんやし」

「ええいロマンもへったくれもない! ミステリー研究会としての誇りはないの!? 」

「さっき引っ張ってこられたばっかやっちゅうに」

 口をへの字にして呻く蛮殻に伸び上がって噛みつく美夏子の遣り取りに、撫子は見合った郁と共に思わず吹き出した。

 

 楽しい。

 こうして誰かとおしゃべりしながら歩くなど、撫子は初めての体験だ。

 胸の内で猜疑心がたびたび首をもたげるが、その都度美夏子に、郁に頑なな心を解されるのだ。

(……ああ。 いいなあ。こういうの)

 しみじみと、暖かな時間に感動する。

 だがそれは突如現れた銀色の異形によって呆気なく吹き散らされてしまった。

 

 道路脇の側溝から壁に沿って勢い良く噴き上がった鈍色の泥が、大きな弧を描いて撫子たちの進路上に撒き散らされた。

 それは、一カ所に寄り集まって縦に伸び上がると、迅速に人型を成して身構えた。

「いひゃあああああ!? やっぱ出たあああああ!? 」

「で、でも、私たちが見たのと違う!? 」

 赤銅色をしたその異形は、撫子が初めて遭ったものと違い、膨れ上がった上半身など全体的にマッシブでより人間に近い形をしており、その挙動はあの青銅色の泥人形と比べるべくもなく流暢で非常に人間臭い。

 恐怖に竦み上がる撫子と美夏子の前に、郁と蛮殻が回り込んで立ちはだかった。

「下がってください。 多分、ボクが昨日見たやつです」

「ふん。ワシが見たんも似たようなやっちゃぞ」

「ええっ!? 」

 庇うように手をかざして言う郁と蛮殻に、撫子は喫驚の声をあげた。

 やはり、化け物は一匹だけではなかったのだ。

「ど、どどどどうしよう!? 」

「ななななに言ってるのナデシコ! いいい今こそ」

「おみゃーらは早う逃げとけ! ワシに任しゃあせ! 変身!」

 言って前に進み出た蛮殻が続いて叫びながら襟を掴んだ上着を引きはがすと、いったいどこをどうしたのか、上着が翻った後に現れた蛮殻の姿はなぜか昨日撫子が見た黒い昭和の番長スタイルに変わっていた。

「は?」

「ぬおおおりゃあああああ!」

 気合いの咆哮と共に怒濤の突進を見せた蛮殻は、迅速に化け物の目前に飛び込むとその岩塊のような拳を振り上げた。

「せいやああああああ!」

 まるで隕石のような凄まじい拳が圧倒的な勢いで化け物に殺到する。

 触れる何もかもを巻き込んで爆砕せんとするその拳はだが空を切り、迅速に身を翻した化け物の手によって腕を取られバランスを崩された蛮殻の黒い巨体が飛び出した時と同じ勢いでこちらに吹き飛んできた。

「どおおおおお!? 」

「わあああああ!? 」

 迫る巨体に撫子と美夏子がそろって悲鳴をあげるが、手前にいた郁が滑るように前進すると、素早く半身に構え、飛んできた背中に手を添えるとくるりと回転し、どこをどうしたのか、手首を捕まれた状態で蛮殻が郁の横に着地した。

「大丈夫ですか!? 」

「おう! あんがとさん!」

 体勢を立て直した蛮殻と郁が、改めて化け物に対峙する。

 撫子は、改めて見せられた郁の武道の動きに唖然としていた。

 確かにこれなら、化け物にも充分に対抗できるのだろう。

「それにしても妙ですね。 なんで化け物が鼓獅子流を身につけているんでしょう?」

「え? ちょっと郁ちゃん? それどういう意味?」

 聞き咎めた美夏子が郁に問いかける。

 撫子には、話の意味がさっぱり分からず首を傾げた。

「ええ。あの化け物の今の動き。間違いなくウチの鼓獅子流の動きなんです」

「はあああ!? 」

「とりあえず、お手並み拝見といきましょうか」

 言って滑るように駆け出した郁が、化け物に肉迫した。

 互いに左半身を前にしたそっくりな構えで化け物と郁が交錯する。

 郁が突き出した拳が化け物の片手に絡め取られるや否や関節を極められる寸前に自ら腕を曲げて逃れた郁が化け物の横に回り込む。

 逆方向に回転した化け物の身体の陰から飛んできた肘打ちをブロックした郁がその肘を捕らえるより早く化け物の上体が回転して逆方向からまた肘が襲う。

 身を屈めて肘打ちをいなした郁が化け物に身体を密着させ、化け物の足裏に己の足を当て、上体を起きあがらせる動作で化け物の体勢を崩しにかかる。

 ところが化け物は流れに逆らわずに自ら仰け反るとバク転の要領で郁の拘束から逃れた。

 撫子の目からすれば、複雑に絡まり合ったと見るやすぐさま弾かれたように互いに後退した両者の動きはまったく理解を越えるものだった。

「あ、あの、今の話って、どういうこと?」

「……あの化け物、郁ちゃんチで習わないとできないはずの武術を身につけてんのよ。なんでかは知んないけど」

 青い顔で語る美夏子の言葉も、今の一瞬の交錯を説明するには足らない内容だった。

「後ろや!」

「えっ!? 」

 突如撫子らの背後に回り込んだ蛮殻の怒声に振り返ると、あろうことか鈍色の泥が後方の側溝からも這い出しており、撫子らが来た道を塞いでしまった。

 その泥が迅速に立ち上がり、見覚えのある苦悩するような縦皺を顔に深く刻んだあの最初の化け物となった。

『ーーーーーッ!』

「ぬううっ!? 」

「わあああああ!? 」

 青銅色の泥人形が突如放った絶叫に、三人は思わず耳を塞いだ。

 鼓膜が破れるかと思うほどの轟音だった。これまでと違い激痛を伴うほどの大音量の絶叫を放った青銅色の泥人形が、もたもたとした挙動ながらこちらに迫ってきた。

「ぬううなんぼのもんじゃあい!」

 絶叫が途切れた所で耳から手を離した蛮殻が駆け出すのと同時に、美夏子が撫子の肩を揺さぶった。

「ナデシコ! お願い! 今のうちに!? 」

「……っ!? 」

 一瞬だけ躊躇する。

 だが状況の悪さは言われなくても分かっている。

 赤銅色の、なぜか武術を使う化け物は郁と拮抗しており、蛮殻に呆気なく殴り倒された青い泥人形も、あの絶叫を目の前で放たれては蛮殻の身も危険だ。

「……かぐや!」

 撫子の決然とした呼びかけに、かぐやがふいと撫子の顔を見上げた。

「お願い!」

 その言葉と同時にかぐやは撫子の身体を駆け上がり、腰のところで一周すると閃光を放って昨日と同じ、天球儀めいたベルトとなって撫子の腹を取り巻いた。

 昨日までとは違う、撫子自らの意思にかぐやが的確に応えた初めての変移シークエンスである。

 けれど、撫子ももう不思議にも思わなかった。かぐやは応えてくれるだろうという確かな直感があったから。

「……!」

 ふと先刻の蛮殻の奇矯な所業を思い出した撫子は、一瞬だけ美夏子を振り返ると前を向いて身構えた。

「へ?」

 美夏子の頓狂な声に頬が熱くなるが極力無視するよう努め、右の拳を腰にあて、同様に拳を握った左腕を曲げて胸の前に、身を捻って気取った仕草でポーズを取った撫子は気合いと共にそれを告げた。

 

「変身!」

 

 叫び、両手を左右に振り切った。

 振り払ったその途上で左手がベルトの上から突き出したナイフスイッチを押し倒す。

 月の灯りを思わせる、神秘的で荘厳な協和音が鳴り響き、撫子の身体を天球儀めいた幾重もの円環のヴィジョンが取り巻いた。

 その変化に赤銅色の化け物が狼狽えるように身じろぎし、異変に気付いた郁と蛮殻がそれぞれ撫子を振り向いた。

「え?」

「なんじゃあ!? 」

 複雑に多軸回転する円環のヴィジョンの中、撫子の身体を、ベルトの縁から上下に流れるように広がった白銀のヴェールが包んでゆく。

 やがて全身を覆い隠した銀の幕は中身にぴっちりと密着するように収縮して女性らしいボディラインを描いた。

 変化はそこで止まらず、肩が、前腕が、臑の部分が隆起すると、頑丈そうな紡錘形のプロテクターを形成して固着した。

 上体も部分的に盛り上がり、滑らかな曲線で構成された胸郭へと変化する。襟元に二重の線がアーチを描くセーラー服のような鎧だ。

 そして頭の両側頭部からも突起が生まれ、迅速に中を窪ませて鋭角に形を変えたそれは、まるで猫の耳のようだった。

 やがて変化が完了した撫子だったものは、まるで猫耳を生やした銀の装甲服とでも呼ぶべきものへとその姿を変えていた。

 両目にあたる位置にある巨大なイエローのセンサーアイがきらりと閃いた。

『うーーー!』

 やおら撫子だったものは両腕を眼前にそろえて身を丸めると、続いてその両腕を左右に大きく広げて仰け反った。

『なーーーーーーー!』

 まるで己の登場を世界に宣言するかのように元気な声を張り上げた撫子だったものは、ぴょんと小さく跳ねると前に飛び出した。

『なーーー!』

「うお!? 」

 蛮殻の脇をかすめた撫子が、大上段から思いっきり振りおろした両手を組んだハンマーパンチで青銅色の泥人形を殴り飛ばした。

『なーーー!』

『ーーーーーッ!』

 派手に転がって起きあがった泥人形が再び絶叫を放つも、美夏子と蛮殻は苦悶の顔で耳を塞いだが、撫子は丸っきり無視して泥人形を殴り倒した。

「な、なんやありゃあ!? 」

「あれが、我がミステリー研究会の最大の謎にして秘密兵器!」

 入れ違いで後退してきた蛮殻の腕を引きずって、美夏子が強気の笑顔で宣言した。

「その名も、「仮面ライダー かぐや」だよ!」

「か、かめんらいだあ!? 」

 蛮殻が、口をあんぐりと開けた。

『うっ?』

 軽快に泥人形を殴り倒していた撫子が、それを聞くなりくるりっ、と上体だけ振り返って指先を突きつけた。

『なーーーー!』

 そして両腕で大きな丸を作ると片足を後ろに跳ね上げて踊り回る。

 どうやら美夏子が即興ででっち上げたネーミングを気に入ったらしい。

『なーーーー!』

 そして再び両手を組んだ拳で泥人形を殴打する作業に戻る。

「初瀬蟹! こっちや!」

 変身した撫子──「仮面ライダー かぐや」が化け物を押し遣った隙を突いて、蛮殻が美夏子の手首を掴んで引っ張った。

 僅かに拓かれた道に美夏子の肩を押し遣る。

「行け! 今のうちや!」

「蛮殻くんは!? 」

 問い返す美夏子に背を向けて蛮殻は駆け出していった。

「美咲はなんやなんとかなりそうやけど、鼓獅子はそうは行かんやろ!? 」

 見れば、赤銅色の化け物と郁の流れるような動きの武術の技の応酬は、拮抗しているようだった。

 ただ、それが故に郁は化け物を倒すこともできず、離脱することもできないでいる。

「なんや同じ技使うても、二対一ならなんとかなるやろ!」

「蛮殻くん!」

 行って突撃してゆく蛮殻を呼ぶも、美夏子も自分が足手まといであることは承知している。

 自分の立場に煩悶としながらも、美夏子は戦場から離れる方向に駆け出した。

「うおおおおお!」

 罵声を上げて蛮殻が突進してゆく。

「!」

 一瞬だけ目を向けた郁が、蛮殻の接近に気付いて逸らしかけた化け物の腕を反対側に流して足場を踏み換え、化け物の背中が蛮殻に向くよう誘導した。

 ところがそれは化け物に体勢を立て直す隙を与えてしまい、逸らしたはずの化け物の腕が拳を握って引き絞られた。

「っ!? 」

 そこから予想される自らの流派の動きを脳裏で列挙し、刹那の中で自らが取るべき動きの全てを思い描いて態勢を整える。

 だが、続いて化け物が取った動作は郁の予想のどれとも異なるものだった。

『ーーーーーーッ!』

 赤銅色の奇声と共に、真っ向の正拳突きが郁を襲った。

「っっ!? 」

 辛うじてブロックが間に合った腕ごと吹き飛ばされた郁は、予想外の出来事に混乱していた。

 鼓獅子流に、そんな動きは存在しない。捨て身の一撃のような化け物のそれは、まるで空手かなにかのような動きだった。

 それを見て目を剥いたのは、蛮殻も同様だった。

「なにっ!? 」

 蛮殻には古流武術など難しいことは分からない。

 ただその単純明快な一撃には見覚えがあった。

 他ならぬ蛮殻自身の自慢の一撃にそっくりだったから。

「おおおおおお!? 」

 それは一瞬の交錯。駆ける蛮殻の足は急には止まれない。

 既に蛮殻と化け物は肉迫している。あとは引き絞った拳を打ち込むだけ。

 だが相対する化け物はもう蛮殻の懐に入り込んでおり、打点をずらされた蛮殻の拳は効果的な威力を発揮しない。

「っどおおおお!? 」

 伸びきった腕を弾かれ化け物がぐるりと腕を振ったかに見えた時には蛮殻の巨体は呆気なく投げ飛ばされていた。

「おうわっ!? 」

「ひゃあっ!? 」

 たたらを踏んでいた郁に黒の巨体が激突し、二人もろとも絡み合うようにして激しく転倒した。

「うそ……!? 」

 その様子は、離れた位置で見ていたことで美夏子にも辛うじて把握することができた。

 今のはさすがに理解できた。あの赤銅色の化け物は、どういう訳か郁の武術と蛮殻のケンカ殺法の両方を完璧に真似ている。

「郁ちゃん!? 蛮殻くん!? 」

 思わず叫んだ。

 だがアスファルトの上で派手に転倒した二人はなかなか起きあがらない。

 そうこうしているうちに、赤銅色の化け物はだが、転がっている人間二人からあっさりと顔を逸らして青銅色の泥人形を滅多打ちにしている「かぐや」へと駆け出した。

「ナデシコっ!? 」

 先手を打たれて郁の相手をしていたが、どうやら赤銅色の化け物の目的はかぐやらしい。

 状況は悪化の一途だ。これでは「かぐや」は一対二になってしまう。

 逃げなければならない。郁と蛮殻を助けなければならない。撫子を放ってはおけない。

 でも、なにもできない。

 成すべき事項に対して圧倒的に自分の能力が足りてない現状に美夏子が悲嘆しているうちに、とうとう赤銅色の化け物が「かぐや」の背後に肉迫した。

「ナデシコ! 後ろ!」

『なーー!』

 「かぐや」は迅速に反応した。

 美夏子の声に応えるや否や、まるで背中に目がついているかのようにろくに背後も見ずに宙返りすると赤銅色の化け物の拳を躱した。

 そして伸びきった赤銅色の化け物の腕に絡みつくかのように抱き竦めて着地すると、するすると化け物の背中に回り込んで化け物の重心を崩し、脇をすり抜ける動作で化け物をアスファルトに叩きつけた。

『なーーーー!』

「え……!? 」

 それを見た美夏子は呆然とした。

 今そこで喝采をあげる「かぐや」が見せた動作は、これまで両手を組んだハンマーパンチしかしなかった「かぐや」が初めて見せた、全く異なる動作だったから。

 それが、郁と同じ武術の動きだったから。

「……なん、で……?」

 

 

(楽しい……!)

 撫子の意識は、膨大に渦巻く歓喜の感情の中で爆発的な幸福感に満たされていた。

 楽しくて仕方がない。

 なにかがどうかはさて置いて、楽しくて楽しくてたまらない。

(ああ。こんなに楽しいのに)

 なぜここにみんなはいないのだろう。

 みんなはどこにいるのだろう。

(私はここにいる! ここにいるよ!)

 どんなに探しても見つからない。

 こんな時どうするか。

 それは、今日、美夏子が教えてくれた。

 見つからないなら、呼べばいい。呼んで、連れてくればいい。

 だから撫子は、そうした。

 

 

『うーーー!』

 赤銅色の化け物を投げ倒した「かぐや」が突如両腕を眼前にそろえて身を丸めた。

『なーーーーーーー!』

 続いてその両腕を左右に大きく広げて仰け反って、これまでのなによりも力いっぱい高く大きく叫んだ。

 脈絡のない「かぐや」の絶叫に美夏子が何かを思うよりも早くその変化は現れた。

 

 ざうっ。

 

 どこからともなく、まるで周囲の景色が爆発するかのように膨大な光の粒が噴き出した。

 さながら蛍の群れか、輝く吹雪だ。

 それどころではない程の光の粒の洪水にこの路地一帯が一瞬にして満たされたのだ。

「……なに……これ……」

 美夏子が呆然と呟いた。こんな現象は今まで見たことがない。

『なーーーー!』

 大喜びするようにぴょんと跳ねた「かぐや」が、すぐそばの最も光の粒が密集している場所にお辞儀するように頭を突っ込んだ。

 周囲を埋め尽くすこれらは、コズミックエナジー。 それも、「かぐや」のテンションの高ぶりに呼応して連鎖的に波動が増幅されたことでただの人間にも視認できるようになった状態だ。

 「かぐや」はそれを、両側頭部から生やしたネコミミのような形状の部位・エナジーインテークで掻き採るようにして取り込んでゆく。

 身を翻して伸び上がり、再び顔を振り下ろす。

 まるで踊るように頭を振る途上で次々とコズミックエナジーがエナジーインテークに流入していった。

 やがて「かぐや」のベルトに変化が現れた。

 天球儀のようなバックルの中央に設置された白銀の球体「セレスティアルドライブ」が黄金の輝きを放ち始める。

 「かぐや」の右手が天球儀のフレームを僅かに回転させると、球を取り巻く幾重もの円環のフレームが複雑に連動して回転し、中央の「セレスティアルドライブ」の輝きが球面の上で左に引き絞られてやがてそれは三日月の形となった。

 そこで「かぐや」の右手がベルトバックルの下端に張り出したアーチ状のエンターレバーを下に弾いた。

《く・れっせん・と♪》

 突如バックルから奇妙なイントネーションの声がすると「かぐや」の横に輝きが吸い寄せられるように凝縮して何事かの形を成した。

 そこに現れたのは、「かぐや」自身の身長を越えようかというほどに大きな三日月。

 その「かぐや」のセレーネモジュール「クレッセントサイズ」に片手をかざして大きく腕を振ると、クレッセントサイズは触れられてもいないのに「かぐや」の手振りに沿って宙を舞い「かぐや」の周囲を迅速に旋回した。

『なーーーー!』

 一声上げての手振りの一閃に従って飛翔した鋭利な三日月が、体勢を立て直した赤銅色の化け物を横に撫で斬り、背後にいた青銅色の泥人形をも打ち倒した。

『なーーーー!』

 さらに踊るように振り回した「かぐや」の腕に、足の動きにすら追従して縦横無尽に飛び回るクレッセントサイズが、前後に立つ化け物どもを滅多打ちにしてゆく。

「す、すごいですね美咲さんは」

「……いや、わたしも初めて見たよこんなの」

 蛮殻に肩を貸して傍らまでやって来た郁に、美夏子が呆然としたまま応えた。

「それにこの光。さっきの声で美咲さんが呼んだんですか?」

「……たぶん」

 そうとしか考えられない。

 そしてつまりこれは。

「これが、ナデシコが見てた光……コズミックエナジー?」

 美夏子は、ようやくそれを理解した。

『うなーーーー!』

 前後を挟まれながらも、謎の能力で圧倒的有利に化け物へ攻撃していた「かぐや」がひときわ高く声を上げた。

 今も周囲を浮遊している光の洪水の一方に頭から突っ込みエナジーインテークにコズミックエナジーを取り込むと、「かぐや」はベルトバックル上端のナイフスイッチを引き起こして再び倒し込んだ。

『りみっと、ぶれいくっ!』

 今度は、撫子の声で叫んだ。

 ベルトバックルの中央から爆発的な輝きが噴き出し、同期してクレッセントサイズも輝きを増してその全長を大きく伸ばした。

 膨大なエネルギーの流動の影響を受け、周囲を浮遊するコズミックエナジーが、風に煽られたかのようにその流れを変える。

 まるで台風のように激しく渦を巻くコズミックエナジーの中心で身構えた「かぐや」が両腕を振り上げ上空に旋回したクレッセントサイズと共に跳躍すると、流星の勢いで振り下ろされた三日月が凄まじい斬撃となって周囲を迅速に一周し、全方位に白さで何も見えなくなる程の閃光を解き放った。

「うわひゃー!? 」

 とっさに両腕で顔を覆う美夏子たち。

 その中で辛うじて耳に聞こえてきた断末魔と爆発音は、ひとつだけだった。

 

 脱力したように膝を落とした青銅色の泥人形が、前に突っ伏すよりも早く液状に崩れ落ち、たちまち揮発するようにして消えてしまった。

『うーーなっ!』

 たたっ、と着地した両足をステップを踏むように踏み変えて「かぐや」が拳を突き上げた。

 途端に閃光に包まれて元の制服姿の撫子に戻り、足下に銀毛の仔猫が着地する。

 同時に、辺り一帯を満たしていたコズミックエナジーの洪水も、呆気なく光を薄れさせて見えなくなってしまった。

「いーよっしゃー! やったーやったったー!」

 そして今までの学校での澄まし顔など見る影もない満面の笑顔で喝采を上げた撫子は、たちまち沈没するように崩折れてうずくまり頭を抱えて丸くなるとそのまま動かなくなった。

「……」

「…………」

 事の異常に、あるいは派手な活躍に呆然とする美夏子、郁と、蛮殻。

 先ほどまでの怪奇現象の数々がまるでなかったかのような静寂に、しばし辺りが支配される。

 遠くでバイクの音がする。

 うずくまった撫子は、そのままぴくりとも動かない。

 何かいたたまれない空気の中、やがて唯一事情を知る美夏子が恐るおそる撫子に近付いていった。

「……あのー。なでしこさーん……」

「……」

 道路の真ん中でうずくまる撫子からの返事は、ない。

 いや、よく耳を澄ますと、撫子の辺りからなにやらぼそぼそとした音が聞こえてきた。

「……いやよ違うのこんなの私じゃなくてかぐやのせいなんだから別に私はあんなの全然楽しくないしそりゃみんなは守りたかったけどこうもうちょっとせめて格好よくいやそうじゃなくて私なんだけど私じゃないっていうかもう恥ずかしくて死にそういっそ私も泥みたいに溶けて消えてなくなりたいしああ恥ずかしいううあうあうああああ」

「…………」

 耳に掌を添えて聞いていた美夏子はそっと後ろを振り返り、二人に痛ましげな顔で胸元で十字を切るジェスチャーをして見せると、事態を察してうなずいた蛮殻、郁とともに、もう危険のなくなった道路の脇に寄ってさめざめと泣き暮れる撫子の様子を離れた場所からしばらくそっと見守ることにした。

 

 




 今回のサブタイトルは「いびょうてんよく」と読みます。
 本来は「為虎添翼」という言葉で、「虎に翼を授けるがごとく、強者にさらに勢いをつけること」の意。
 なんだかんだで敵の新たな脅威に対してパワーアップ(プラマイゼロ・若干マイナス?)を果たした撫子とかぐやを示すものでした。
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