そらのなでしこ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第8話 応・猫・与・薬

 翌朝。

 薄雲もまばらな快晴の下、鼓獅子家を出立した撫子と郁はすばる埠頭に向かう為にバスに乗っていた。

 乗り込んだ際、空いた座席に向かう道すがら車内の客層の違和感に気付いた撫子は、今日が休日であることを思い出すのと同時に、着の身着のままだった自分はともかく休日であるにも関わらず郁が学校の制服を着ていることに気が付いた。

「……ねえ郁ちゃん。そう言えばなんで制服なの? 今日は休日で……」

「まあ、ほら。ボクたちは学生ですから」

 校則に曰く、「外出の際は、学校指定制服を私服として着用すること」。

 からっとした笑みで応えてはいるが、その郁の笑みに苦笑が混じっている辺り、別に生真面目な性分だけでそうしている訳でもなさそうだ。

「兄さんの言いつけで、「学生は、学生らしくしなくちゃ」と」

 郁が兄の言を引き合いに出すのを聞いたのは、これで二度目だ。

 初めて郁と会ったあの時感じた違和感を、撫子は思い出した。

「ねえ郁ちゃん。お兄さんって、厳しいの?」

 郁にとっての兄というものがどういうものか分からないから、撫子はそう表現した。

 短髪が好きな郁に、わざわざ長髪のウィッグを被ることを強要する兄に対し、けれど郁自身の態度は兄に対する敬愛すら感じられる。

 この矛盾は、いったいどうしたことだろうか。

「自分らしくしちゃいけないって、なんか変だと思う」

 ところが、それを聞いた郁は一瞬きょとんとした。

 が、すぐにいつもの微笑に戻る。

「ああ。ごめんなさい。勘違いさせちゃいましたね」

「?」

 ぱたぱたと手を振る郁に、撫子は疑問符を浮かべ小首を傾げた。

「まあ、撫子さんだから話しますけど」

 郁は、車窓の向こう、流れる風景を眺め遣って続けた。

「昔から、小学校の頃から身体も大きかったし、髪も短いし、ズボンやらパンツスタイルでいるのが多かったから、よく「女なのに男みたいだ」ってからかわれてたんです」

 確かに、郁の身長は高く、背の順で並べば後ろの方に行くだろう。

 郁より身長の低い男子は少なくない。

「挙げ句、古流武術なんてやってて腕も立ちますからなおさらですね。 で、高校に上がってからなんか気になりだしたんです。「女の子らしさ」とかそういうの。 一応、可愛いものは大好きなんですよ。 でも、それを言うと、だいたいの人は意外そうな反応をするんです」

 初めてかぐやを見た郁が、抱きたくてうずうずしていたのを思い出す。

「それで、迷ったり悩んだりしていると、武道の練習にもムラが出るんです。昨夜、話しましたよね。 それで、兄さんに悩んでいることを悟られまして。あの時は、他に相談できる人の宛がなくて」

 苦笑いしながら郁がウィッグの上から頭を掻いた。

 その手でぺし、と頭を叩き。

「そこで兄さんに相談した結果がこのウィッグだったり、必然的にスカートを履ける制服姿だったりするわけなんですよ」

 なるほど。

 撫子は得心した。

 初めて出会った時、自身の事を語った時に見せた郁の周囲への理不尽に対する怒りと煩わしさ。

 それはウィッグを勧めた兄に対してではなく、それ以外の周囲の人々に対してのものだったのだ。

 撫子と、まったく同じく。

 「言いつけ」という言葉で誤解していたが、郁のカムフラージュは、兄妹達だけで編み出した苦心の解決策だったのだ。

(……私と、同じだったんだ……)

 撫子の中で、郁に対する親近感が増した。

「……でも、お兄さんの発想は、ちょっとズレてると思う」

「ああ。やっぱり。そうですよねー」

 あははと苦笑いする郁の顔を見上げていた撫子は、ふとある事に気が付いて、郁の頬に手を伸ばした。

 興味深そうに撫子の指先を眺めている郁の目線に気付き、撫子は無意識に伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。

「あごごご、ごめん」

「いえ? どうかしましたか?」

 真っ赤な顔で恐縮する撫子に対し郁は笑顔のまま己の頬を撫でる。

「あの、その、郁ちゃんて、お化粧とかどうしてる?」

「…………!」

 郁が絶句するのを見て、撫子は顔を青くした。

 先ほど「女の子らしさ」という話題で気になったのだが、郁の顔には化粧っ気というものがまるで感じられなかった。

 にも関わらず非常に綺麗な頬だったので、つい手が伸びてしまったのだ。

 「女の子らしさ」で悩んでいた郁が、化粧の存在を気にしていないはずがない。郁の逆鱗を突いてしまったのではと撫子は這い上がる怖気に見舞われていた。

「……いや~。 あんまり興味ないので、すっかり失念していました」

 ところが郁は、口元を手で覆い呆然と呻いただけだった。

「……え?」

「あはは。 まあこれが兄さんとボクの二人だけの限界でしょうか」

 朗らかに笑う郁に、緊張していた撫子はすっかり力が抜けてしまった。

「あれ? じゃあ撫子さんは今お化粧しているんですか?」

「少しだけ」

 他人に注釈しつつも、実は撫子も化粧に対する興味は薄かった。

 地肌を保護する為のものしか使っておらず、それ以上の「顔を際立たせる」タイプの化粧には撫子も興味がなかった。

 無論、校則で禁じられていることではあるが、ぱっと見には分からない程度の小細工は年頃の女の子なら誰もがやっている事くらいは知っている。

「でも、「女の子らしさ」を追求するんだったら、お化粧のこと調べてみるのもありかな~って考えたんだけど、郁ちゃんの肌すっごい綺麗だから」

「ああ。そうなんですかね」

 郁はどうも、自身の肌のコンディションには無頓着らしい。

「お母さんに相談はしてみたの?」

「ああ。うち、母親がいないものですから」

 あっさりと。

 あまりにもあっさりと告げられた事に、撫子はその意味を理解するのに数瞬かかった。

「……え……?」

「ああ、これまた誤解される前に言っておきますけど、母が亡くなったのはボクが物心つく前の事ですから、傷心とかそういうのはありませんから、謝らなくていいですよ」

 まさしくいま平謝りを繰り返そうとしていた撫子は、郁の突き出した掌の前で泡を食っていた。

「……あ、あわわ……」

「まあでも、お化粧の事を調べてみるのも、いいかもしれませんね。 美夏子さんも、お化粧しているんですかね?」

 撫子は未だ混乱していたが、郁が変わらぬペースで話を進行しているのを見て、郁が本当に気にしていないのだと示しているように感じてどうにか意識を切り替えた。

「ごめん。よく分からないの。 見た目は特に何かしているように見えないんだけど……」

「ふーむ」

 郁は口元に手を遣ってしばし車窓を眺めた。

「そしたら、この件が片付いたら、美夏子さんと三人で調べてみましょうか。ボクたち三人の、女子力とやらを研鑽する為にも」

「あはは。それいいかも」

 その郁の言葉は、撫子の心に思わぬ力を与えた。

 美夏子と一緒のその先の事を夢想する。

 それはすなわち、これから美夏子を絶対に助けるのだという確固たる意志に他ならない。

「うん。 絶対に、そうしよう!」

「はい!」

 撫子の言葉に、郁がにこりと精悍な笑みで首肯した。

「そうしたら、アレですね。撫子さんと美夏子さんには、なにか他にも「女の子らしい事」を教えていただきましょうか。兄さんとボクだけではもう絶対に思い付きそうにないので」

「あはは。うん、いいよ。教えてあげる。 でも、私も美夏子も、そんなに女の子らしくないかも」

 自分の冗談に自分で苦笑した撫子は、そこでふと直感が何か囁くのに気が付いた。

(……あれ……?)

 なんだろう。

 撫子は半笑いの顔のまま小首を傾げた。

「どうかしましたか?」

「……いや……今、何か……」

 よく分からないが、きっと大事なことだ。

 撫子はその直感の示す根拠を記憶の中から探り出そうと必死に心当たりを思い出していた。

「…………!」

 "それ"に気付いた撫子は、慌てて床に置いた鞄をひざの上に載せて開いた。

 すると、ぎっしり詰め込まれた中身の隙間からにゅるりとかぐやの頭が生えてきた。

「わっ!?」

「ごめんねかぐや違うの! 中にいて」

 郁の喫驚も無視してかぐやの頭を押し戻すと、改めて中を探り目的の物を取り出した。

「本当に、中に入ってるんですね……」

「うん、驚かせてごめんね」

 言いながら鞄を床に戻した撫子が膝に並べたのは、美夏子のスマートフォンとタブレットPCだった。

「どうかしたんですか?」

「うん、ちょっと、思い付いたの」

 応え、撫子はタブレットを起動させた。

 

 昨夜の事だ。

 美夏子の携帯端末からペルソル対策のヒントを探そうとした撫子と郁は、それ以前に慣れない機械の操作に苦労していた。

「……電源のボタンはどこ?」

「動かないですね」

 布団の上に座り込んだ撫子は端末をためつ眇めつし、郁は真っ黒の画面を何度も何度も突っついていた。

 なんとか起動させて最初に現れた画面の「ロック」と書かれたマークに指先を滑らせた撫子は、ようやく見覚えのある画面に到達した。

 確か、美夏子はここから各機能を呼び出していたはずだ。

 やがてメモ機能を発見した撫子は、そこに保存されていたファイルの中に「ペルソル・疑問」と題されたデータを見つけた。

 他にはスクリームペルソルを始めとする、これまで出会ったペルソルに関する記述や、撫子が変身した「かぐや」の行動にまつわる事が書いてあったが、このファイルだけはその趣が違った。

 そのテキストの冒頭にはまず、注釈が書かれていたのだ。

 

 『「SOLU」とかペルソルの謎で、まだ思い付き段階のもの』

 

 これまで美夏子が解説してきたペルソルに関する考察も、結局は証明のしようのない話ではあったが、このテキストに書き込まれた内容は、美夏子自身が思い付きつつ、まだ口に出すべきではない、美夏子にとって確度の低い事柄が納められているようだった。

 だが、美夏子本人がいない今、例え思い付きだとしてもこの情報にすがる他ない。

 そこには、確かに撫子でも聞いたことのない、美夏子の考えるペルソルの謎と考察が書かれていた。

 

 『ペルソルの目的・・・人間の動作の真似をして、どうするの?』

 『人類を滅ぼすのは無理。武道や絶叫は危険だけど、そこまでじゃない』

 『世界征服? 同じ理由で無理。 そんな知性があるように見えない』

 

 撫子は、目から鱗を落とした。

 つくづく、ミーハーに見えて実は現実的な思考を忘れない、実に美夏子らしい。

 

 『ペルソルは、出会った生物の真似しかしない。独自の行動が、真似する以外にない。なぜ?』

 『原住生物と入れ替わるためではない。人間に紛れるには再現度が低過ぎ。というか論外な外見。ミミックオクトパスにも遠く及ばない』

 『ただし、かぐやを除く』

 

「ミミックオクトパス、って、なんでしょう?」

「私もよく分かんない」

 美夏子の持つ知識のことだ。きっと何か不思議な生物に違いないと読み流した。

 そして、最後の文章を見て、画面を繰る撫子の指の動きが止まった。

 

 『ペルソルの行動には、どこか矛盾というか、不整合な点が多い』

 『もしも、ペルソルの行動が、攻撃が、「攻撃」じゃなかったら?』

 

 ──「攻撃が攻撃じゃなかったら」?

 

「これ」

 揺れるバスの座席で、撫子は再び呼び出したテキストデータを指さした。

 それは、とても奇妙な言葉だった。

 昨夜も二人して頭を捻ってもその意味が分からず、結局読解を断念して寝てしまったのだが。

「ええ。 でも、攻撃が文字通り攻撃のつもりでなかったとしても、実害に変わりはありませんし」

 細いあごに拳を当てた郁が、昨夜と同じ見解を述べる。

「うん。そうなんだけど、そうじゃなくて」

 両の拳で頭を挟み、直感の根拠に自ら悩みながら、でもどこか確信を持って呻く。

「でも、そうなんだよきっと。 ペルソルの攻撃は、攻撃じゃなかったんだ!」

 

 

 「すばる埠頭入り口」と書かれたバス停で降りた撫子と郁は、郁と蛮殻が打ち合わせしたという待ち合わせ場所に向かって歩き出した。

 港の存在は知っていても、撫子がここに来るのは初めてのことだ。

 幅の広い道路の反対側には巨大な物流倉庫が立ち並び、コンビニや商店の類が一切見えない景色は、見慣れない撫子にとってはかなり異色な光景だった。

 海の方へ巡らせば、水平線を遮るように桟橋に着く大きな船や設置されたクレーン、重機がいくつも並んでいる。

 その横に、そろいの外観の巨大倉庫がいくつも果てまで連なっていた。

 宇目木の言った「奥」とは、文字通りあの中の最奥の倉庫のことだろう。

 そこへ直接行く前に、昨夜この辺りを調査したという蛮殻と合流するのだ。

 港の入り口から離れた建物の陰で立ち止まった郁が、携帯電話を取り出して操作し耳に当てる。

「ちょっと、蛮殻さんに連絡してみますね……もしもし」

 電話が繋がった途端、携帯電話の受話口からけたたましい割れた騒音が飛び出し、郁は反射的に顔を背けた。

「ちょっ、どうしたんですか!」

 郁が再び携帯電話を近付けて怒鳴りつける。

 ところがその通話相手の声は泡を食った様子のまままくし立てた。

『あかん! 来んな! 逃げやぁ!』

 蛮殻の焦りにまみれた絶叫が、隣にいる撫子にまで聴こえてくる。

 それどころか、無数に連なる港倉庫の彼方からバイクの立てるような轟音が幾重にも響いてきた。

 明らかに車道とは音の源の方角が異なる。

 乱れた調子で響く轟音は、まるで倉庫のどこかの通路で暴走族が走り回っているのかと思わせる音だ。

「もしもし? あの! もしもし?」

 片耳を押さえながら郁が再三問いかけるが、返答は芳しくないらしい。

「ねえ郁ちゃん、あの騒音かな」

 撫子としても、電話の蛮殻の様子と倉庫の向こうの轟音を結びつけずにはいられない。

「そうみたいですね。 電話からもバイクの音が聞こえましたから」

「行こう! 蛮殻君たちが危ないかも」

「ええ!」

 うなずき合い、撫子と郁はその場から駆け出していった。

 

 郁は、撫子に変身の可否について訊ねることをしなかった。

 撫子が、己の行動に躊躇していなかったからだ。

 

 倉庫の並びに挟まれた広い通路を駆け抜けてゆく。

 全く同じ外観の巨大な建物がずらりと並んでいるのだ。奥へ進めば進むほど、まるで合わせ鏡の世界にでも迷い込んでしまったかのような奇妙な錯覚に陥る。

 けれども、バイクのような轟音は次第に近付いてきているようだった。

「クロコーの仲間って、暴走族なのかな」

「さあ。 広い場所を捜索するのに、バイクを持ち出すことは普通にしそうですが」

 だとして、バイクに乗っているらしき蛮殻とその仲間たちが泡を食うような、いったい何が起きたというのか。

 次の十字路に差し掛かったところで、立ち止まった郁が片手を横に出して撫子を制止した。

 見ると、ひとつ向こうの倉庫の角から、珍妙な形状のバイクの集団が飛び出してきたところだった。

 その先頭の、実物を見るのは珍しい、サイドカー付きバイクの側車に蛮殻が乗っていた。

 不釣り合いに小さくみえる側車に揺られながらしきりに後方を気にしている。

「蛮殻さん!」

 バイクのエンジン音でこちらの声は届かなかったろうが、進行方向にいる郁と撫子のことには気付いたようだ。

 蛮殻は、周りを走る仲間のバイクに手を振って何事か合図をすると、自身の乗るサイドカーの運転手に指示し、こちらに寄ってきた。

 郁と撫子の脇を、数台のバイクが通り過ぎてゆく。またがっているのは、そろいもそろって黒の改造学ランを着た時代錯誤な不良たちだった。

 こちらに近付いてきたサイドカー付きバイクも、蛮殻が飛び降りると、再び速度を上げて走り去っていってしまう。

「なにしとんや! はよ逃げい!」

「蛮殻さん、なにがあったんですか?」

 目の前に来るなり血相を変えて手を振ってきた蛮殻に、郁が問いを重ねる。

「かなりヤバいペルソルが出てきよったんや! 見たことのないやっちゃ! ありゃかなりマズいで!」

 終始厳めしい顔つきをしていた蛮殻がこれほど取り乱すのを見るのは初めてだ。

 ブドーペルソルやガンペルソルを上回る脅威とはいったいどんなものなのか。こうなってはまるで見当がつかない。

 やがて、走り去っていったはずのバイクの轟音が、再び近付いてくるのに撫子は気付いた。

 郁も感じたのか、あらぬ方を見上げ、その音の方角を探っている。

 だが苦渋の表情で蛮殻が振り向いた、先ほどの曲がり角からその爆音と共にその音の主である異形の影が飛び出してきた。

「え?」

 一瞬、何かの猫科肉食獣かと思った。

 蛮殻の言うペルソルとの情報から、無意識に人型を想定していた撫子の意識はわずかに空転する。

 前後の足にそれぞれ車輪を挟んだそれはむしろバイクと呼ぶべきであろうが、普通のバイクと違い肩で、腰で、後ろ足で身体を曲げながら自由自在に蛇行してくるそれはもう四足で駆ける獣の動作だ。

 黄金とは明らかに違う、黄味がかった銀色の甲殻に覆われたバイクに見えたその獣の特徴は、確かにペルソルのそれだった。

『ーーーーッ!』

 まるでクラクションのような甲高い咆哮を上げ、そのペルソルは撫子たち三人を無視して倉庫の壁を駆け登り、屋根の向こうへと飛んでいってしまった。

 その動作もまさしく、木を駆け登る猫科肉食獣の所行だった。

「……バイクペルソル!」

「名付けんのはええけど、マズいで!」

 びしりとペルソルが消えた屋根を指さして告げた撫子の背後を回り込んだ蛮殻が、二人に手招きしながら仲間のバイクが走り去っていった通路に駆け込んでゆく。

 後を追って通路に飛び出した撫子と郁が見たものは、屋根伝いに先回りしたバイクペルソルがクロコーの不良たちのバイクの前に飛び降り、その周囲を跳ね回って翻弄しながら次々と彼らのバイクを蹴散らしているところだった。

「あいつ、あン調子でこの倉庫街ん中でワシらを追い回して遊んどるんや! こっちからバイクで体当たりしてもさっぱり効きゃせん!」

「任せて!」

 悔しげに呻く蛮殻の前に、撫子が飛び出した。

「かぐや、おいで!」

 壁際に置いた鞄からにゅるりと這い出てきたかぐやと共に、広い通路の真ん中に並び立つ。

「美咲……お前、大丈夫なんか?」

「大丈夫! 見てて!」

 どこか自信に満ちた笑顔ではっきりと断言する撫子の姿に、その変わり様を初めて見た蛮殻はきょとんとし絶句した。

「かぐや、お願い!」

 撫子の呼びかけに、かぐやは応え、撫子の身体を駆け上がり迅速に腰で一周すると銀の帯と化し、中央に天球儀を納めた機械のベルトとなる。

 再び前を向いた撫子は、右の拳を腰に当て、曲げた左腕を胸の前に、上体をひねり気取ったポーズで決然と告げた。

「変身!」

 交差させた両手を左右に振り開く動作の途上で左手がベルト上端から生えたナイフスイッチを押し倒す。

 月光を思わせる神秘的な協和音と共に、幾重もの円環のヴィジョンが撫子を取り囲み、ベルトの上下の縁からにじみ出た銀のヴェールが撫子の身体を迅速に包み込み、一瞬の閃光の後に、猫耳を生やした銀の装甲服姿、仮面ライダー「かぐや」が現れた。

『うーーー!』

 眼前に両腕をそろえて身体を丸め、続いてその両腕を左右に大きく広げて仰け反った。

『なーーーーーーー!』

 まるで己の登場を世界に宣言するかのような絶叫は、これまでよりも一層力強い声だった。

「よかった……本当に変身できた……」

 郁が、心底ほっとしたように溜め息を吐き胸を押さえる。

「おぉ……ちゃんと自分を取り戻したようやな」

 撫子の復調を目の当たりにし、蛮殻も鷹揚にうなずいた。

 ところが。

『うん! もう平気だから! まっかせて!』

 あろうことか、これまで変身後はまともに意志の疎通ができなかった「かぐや」が振り返り、撫子の声で自信満々に請け負ったのだ。

 親指まで立てて。

『行っくよおー! なーーーー!』

 そしてぴょんと僅かに跳ねた「かぐや」が、唖然とする二人に背を向けると真っ直ぐに駆け出した。

 銀の矮躯はあっと言う間にバイク同士の混戦の中に飛び込んでいくと、そこにいたバイクの運転手の肩に手をついて器用に倒立し、その勢いで宙を舞うバイクペルソルを蹴り落とした。

『ーーーーッ!』

 抗議のようにクラクションのような苦鳴をあげバイクペルソルは横腹からアスファルトに激突するが、すぐさま跳ね起きて倉庫の壁に飛び上がった。

『みんな、逃げて!』

「早う行け!」

 初めて目にする「かぐや」の異様に戸惑うクロコーの不良たちは、蛮殻の怒声を受けるとすぐさまバイクを反転させて走り出していった。

 倉庫の壁を駆け登ったバイクペルソルは、今度は不良たちのバイクを追おうとせずに、地上の「かぐや」めがけて飛び降りてきた。

 「かぐや」はそれをあっさり躱すが、避けられたバイクペルソルはその勢いのまま反対側の壁を駆け上がるとその途中から虚空へと飛び上がり、宙で一回転してから「かぐや」の真上から襲いかかる。

 これまたくるりと身を翻した「かぐや」に避けられるが、バイクペルソルも一瞬の遅滞なく次の攻撃動作に移っている。

『うーーー!』

 「かぐや」は再び身を丸め、さらに襲いかかってきたバイクペルソルの突撃を躱しながら両腕を広げて声を張り上げた。

『なーーーーーーー!』

 ざうっ。と光の嵐が倉庫街の通路を埋め尽くした。

 呼びかけに応えたコズミックエナジーの奔流に、「かぐや」は頭を突っ込み頭部のエナジーインテークにコズミックエナジーを掻き取り。

 光輝くベルトを操作してエンターレバーを弾いた。

《く・れっせん・と♪》

 バックルが奇妙なイントネーションで認証を告げ、同時に横に現れた長大な光の三日月「クレッセントサイズ」を「かぐや」が手も触れずに振り回す。

『なーーー!』

 気勢をあげて、ペルソルめがけ一閃させる。

 だがクレッセントサイズはかすりもしない。

 黄色い獣は地を駆け壁を蹴り宙を跳び。

 倉庫街の中、巨大な壁に囲まれた三次元的空間を、バイクペルソルは巧みに使いこなしていた。

 縦横無尽に駆け回るバイクペルソルを、直線的に薙ぐクレッセントサイズでは捉えきれない。

 それどころか、クレッセントサイズを振り抜いた隙を突き、無防備な横腹をバイクペルソルがはね飛ばしていった。

『なうっ!』

 派手に吹き飛んでゆく「かぐや」。その途上でクレッセントサイズが霧散して消えてしまった。

 その間もバイクペルソルは決して立ち止まることなく地を壁を駆け回り「かぐや」の周囲を伺っている。

『うなーーーー!』

 叫んだ「かぐや」は再び光の洪水に頭を突っ込みコズミックエナジーを取り込むと、光を増したセレスティアルドライブの輝きを半分に絞り、エンターレバーを弾いた。

《は・ぁ・ふ・むーん♪》

 バックルが歌うように認証を告げ、「かぐや」の左右に輝く四分の一球の曲面体「ヘミソフィアンシェル」が出現する。

『なーーー!』

 壁を蹴って背後に回り込んだバイクペルソルに対し、「かぐや」は両腕を広げて胸を張るようにすると、左右に浮かぶヘミソフィアンシェルが背中で合体し半球の盾となった。

 死角を突いたと思い込んだバイクペルソルがヘミソフィアンシェルに跳ね返されたと同時にヘミソフィアンシェルを割り開きながら「かぐや」が飛び出し、バイクペルソルに踊りかかる。

 が、一瞬早くバイクペルソルが飛び退き、「かぐや」はそこに前転して立ち直った。

 なおも壁を蹴って周囲を伺うバイクペルソルに対し、「かぐや」は左右にヘミソフィアンシェルをかざしながら対峙する。

 やがて「かぐや」めがけて壁を蹴ったペルソルに向け、「かぐや」は即座に左右のヘミソフィアンシェルを閉じ合わせた。

 ところが、バイクペルソルが着地したのは「かぐや」のすぐ横だった。

 それと気付いた時には振り上げた黄銀の車輪が「かぐや」を殴り飛ばしていた。

 直線的に飛びかかると見せかけ、視界をふさぐヘミソフィアンシェルを逆に利用して死角に飛び込む。

 バイクペルソルは思いのほか狡猾だった。

 路上を派手に転がり、その途上でヘミソフィアンシェルが霧散して消えてしまった。

「撫子さん!?」

「美咲!」

 郁の、蛮殻の悲鳴があがる。

『……ちがう……』

 だが、倒れ伏す「かぐや」が三度、撫子の声で語り出した。

『……ちがうよ……そんなんじゃ、ない』

 背中から叩き潰そうと真上から襲いかかってきたペルソルの車輪を転がって躱した「かぐや」が、やがてしっかりと立ち上がった。

『違うよ! あなたのそれは、そんなんじゃない!』

 周囲を駆け回るバイクペルソルに向かって叫んだ「かぐや」は、辺りを埋め尽くす光の洪水、コズミックエナジーの奔流に三度、頭を突っ込んだ。

 頭を振り下ろし、伸び上がるように振り上げ。

 舞うように身を翻してエナジーインテークにコズミックエナジーを取り込んでゆく。

 これまでの時よりも、多く。

 やがて輝きを増したベルトのセレスティアルドライブを、その周りの円環のフレームを操作し半月に、三日月に絞ってゆく。

 やがて輝きは完全に閉ざされてしまったが、「かぐや」の手はなおも円環のフレームをスライドさせてゆく。

 バックルの中央に設置されたセレスティアルドライブが、反対側から輝きを漏らし、一回転したそれは完全な満月となって強い光を放った。

 そして、バックル下端に張り出したエンターレバーを弾く。

《ふ・る・むーん♪》

 ベルトが初めて聞く認証を告げたと同時。

 「かぐや」の背後に、巨大な輝きが生まれた。

 周囲を埋め尽くすコズミックエナジーの洪水の中にあって、その光の球はひときわ強く輝いていた。

 球の表面にはいくつものリング状の影が薄ぼんやりと浮かび、まるで走査線のように不規則に瞬きながら這い回っている。

 表面に残像のシミを浮かべる光の球は、さながら真昼の月のレプリカのように見えた。

 だがその輝きは静謐な力強さを湛えており、モジュールとして生成されてなお付近に漂うコズミックエナジーに影響を及ぼしている。

 無為に漂うコズミックエナジーの流れが、「かぐや」を中心にゆったりと渦を描き始めたのだ。

 その光の流れはまるで、銀河のよう。

 この一抱えもある大きな光の球体が、「かぐや」の三つ目のセレーネモジュール「ルナティックオービット」。

『あなたのそれは、そういうんじゃないの。本当はどうするのか、教えてあげる』

 撫子の声で静かにそう告げた「かぐや」が、輝く球体を背後に従えたまま足を踏み出した。

『ーーーーッ!』

 クラクションのような咆哮を上げて、バイクペルソルが地を壁を駆け回り、凄まじい速度で「かぐや」の横に回り込んだ。

 「かぐや」は横からの突撃を冷静に躱すと、僅かに膝を沈めてから右腕を下から上に弧を描くように振り上げた。

 まるで、サーブトスのように振り上げられた手の動きに従うように、ルナティックオービットが「かぐや」の脇下を回り込んでから真上に浮上してゆく。

 そして、「かぐや」の頭上数メートルの位置で静止した。

『ーーーーッ!?』

 戸惑うようにペルソルが呻く。

 だが結局バイクペルソルはさらに突撃をしかけてきた。

『ーーーーッ!』

 気勢を上げ突進するペルソル。

 だが、その車輪が突然空転した。

『ッ?』

 慌ててもがくバイクペルソルはだが、その身体は虚空にあった。

 まるで見えない糸に釣り上げられるかのように浮き上がってゆくのだ。

 それはやがて、地上の「かぐや」と上空のルナティックオービットとの中間で止まった。

 こうなってはバイクペルソルの高機動もまるで意味がない。

 すると今度は、「かぐや」までもが宙に浮き上がり始めた。

 セレーネモジュール「ルナティックオービット」は、重力を操る。

 月が、地上の重力に影響を及ぼすがごとく。

 浮上した「かぐや」が真っ直ぐにペルソルに近付くと、もがくバイクペルソルの背にひょいと飛び乗りまたがった。

『いくよ』

 囁くと、「かぐや」はバイクペルソルの両肩の突起をハンドルのように握りしめた。

 撫子にはバイクの操縦経験などないが、ついさっき、蛮殻の仲間たちの運転を見させてもらった。

 それに、これからする事は、ポーズだけで構わない。

『あなたのそれは、こうするの』

 「かぐや」が囁くと、「かぐや」を乗せたバイクペルソルはゆっくりと地上に降りてきた。

 上空にあったルナティックオービットも輝きを僅かに抑えて重力操作を中断し、「かぐや」の背後に舞い降りた。

『行くよ。 それっ!』

 「かぐや」の号令に従い急発進したバイクペルソルが「かぐや」を乗せたまま倉庫街の通路をもの凄い速度で駆け抜けていった。

 「かぐや」の背にはルナティックオービットがぴったりと追従している。

 端までたどり着くとその場で鋭くターンし、再び戦闘の現場だった地点まで戻ってくる。

『そうだよ! あなたが覚えたそれは、本当はこうするの! 楽しいでしょ?』

『ーーーー!』

 クラクションの咆哮は、どこか嬉しそうな響きだった。

「……何事やこれ」

「ペルソルの攻撃は、攻撃じゃなかったんです」

 呆気に取られている蛮殻の呻きに、郁が微笑みながら答えた。

『この事を、みんなにも教えてあげたいの。きっと楽しい。 ねえ、連れてってくれる?』

『ーーーー!』

 自らにまたがる「かぐや」の申し出に対し、バイクペルソルのクラクションの声は、喜色満面の肯定の意にまみれていた。

 そのまま速度を上げたバイクペルソルは、郁と蛮殻の脇を通り抜けてゆく。

『ちょっと行ってくる! みんなにも教えてあげなくちゃ!』

「なななにい!?」

「行きましょう蛮殻さん」

 笑んだ郁も、蛮殻の上腕を軽く叩いて促した。

 「かぐや」を乗せたバイクペルソルは、バイクらしい速度でこの倉庫街の通路を奥へと爆走してゆく。

 それを見送りながら、慌てる必要もないと判断した郁は蛮殻と共に小走りでそれを追いかけていった。

 

 




 今回のサブタイトルは「おうびょうよやく」と読みます。
 本来の諺は「応病与薬」と言って、病気に応じて適切な薬を与えるように、人に応じて法を説く例えだそうです。
 暴虐のペルソルに対し、撫子が発見した適切な薬とはなんなのか。
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