英雄の孫 作:童提督
潮風が吹く横須賀の港。
狭い堤防の上で、一人の男が煙草を咥え、ビットに腰を掛けていた。
紫煙を燻らせ、溜息を吐くその様子は、煌びやかに色づく横須賀の夜景とは不釣り合いに暗鬱としていて。
この世全てに疲れましたと言わんばかりであった。
特に目的があってきたわけではないのだろう。
年季の入ったジーンズに、白のスニーカー。
シンプルなデザインのTシャツ、胸ポケットには深い紺のパッケージの煙草が入れられていた。
ーーー明日から私も提督か。
士官ですらなかったこの身も、ずいぶんとまあ偉くなったものだ。
普通は妖精が視える佐官以上の階級の者から順に、提督として登用されるはずなのだが。
ただの艦船修理工にまで白羽の矢が立つとは、この国はよっぽど手詰まりなのだろうか。
・・・そんなわけはないか。
ーーー七光り・・・。
この国で初めて姫級の深海棲艦を撃沈せしめた提督。
それが私の祖父であった。
当時海軍は発足されたばかり。
体制や制度が十全に整っておらず、鎮守府間で上手く共同歩調が取れていなかった。
艦娘についても、まだまだその性質や特性について把握しきれていなかったため、運用方法や戦術、戦略が十分に練成されておらず、大敗はしないものの鬼級や姫級が出現する度に戦線を下げねばならず、どうしても後手に回らざるを得なかった。
敵の規模も正体も何もかもが未知数、どう対処すれば良いのかも分からぬまま他国との流通、連絡も途絶えた。
化石燃料がほとんど取れず、食料も輸入に頼っている部分が多かったことが災いした。
すぐに食料や火力発電の燃料が足りなくなった。
地方から徐々に生活インフラが途絶えていった。
国民の不安は募ってゆき、ストライキやデモが起こり始めた。
何のための軍隊か。何のために税金を払っているのかと。
国の機能が麻痺するのも時間の問題だった。
そんな中、とある提督が敵の首魁を沈めたという一報が電撃のように国中を駆け巡る。
横須賀鎮守府近海に出現した姫級の深海棲艦を、艦娘6隻にて撃退。追撃戦にて是を沈めた、と。
今まで手も足も出なかった存在に対して、遂に人類は反撃に成功したのだ。
その一報は市井に流れる暗澹とした空気を吹き飛ばし、国民全員を勇気付けた。
姫級の深海棲艦を打破した直後、横須賀港付近の制海権を確保することに成功。
姫級が沈んですぐに、近海の深海棲艦がめっきりと減ったためであった。
この事から、軍は姫級が深海棲艦を統括する存在であるとの見解を示し、是を撃破する事で深海棲艦を追い払うことができると発表した。
ようやく見えた一縷の希望であった。
久しく見ていなかった、未来を照らす光であった。
英雄の出現だと皆が持て囃した。
絶望の中に差し込んだ、一条の光。
疲弊しきった人々にとってそれは、さぞ眩く映ったことであろう。
縋りたくなる気持ちも分かる。
その後も英雄は快進撃を続け、日本近海の制海権を取り返し、分断されていた沖縄諸島や北海道とのシーレーンを確保。
元帥の地位に立ち海軍を手早く纏め上げると、艦娘の性質についても調査を行い、育成、運用方法を確立した。
彼は最後まで最前線に立ち続け、戦場でその命を散らし、この国の礎となった。
人々はその男を護国の鬼と呼んだ。
命を賭して国を護らんとした彼は、正しくこの国の守護者であった。
そんな英雄を祖父に持ってしまったもんだから、こんな大抜擢をうけてしまったのだろう。
現在の海軍は、あまり評判がよろしくない。
祖父の英雄譚は未だ語り継がれている。
しかし、苦しかったらしい当時を知る者も少なくなり、一見平和に見える現在の日本では、近海を守護しているとは言え、新しい海域を解放でもしない限り有り難みを感じ辛いらしい。
艦娘にしても見方が変わってきている。
かつては国を守護する神聖な存在、日本を救うために現れた英霊たちの使いとも呼ばれ敬われていたが、今ではアイドルのような扱いだ。
・・・それを喜んでいる艦娘もいるらしいが。
ーーー広告塔か。
そんな現状を看過できないらしい海軍は、一つの作戦を実行した。
それがこの大抜擢というわけだ。
かつての英雄の孫を提督にし、英雄の再来を謳う。
戦争を知る世代はあの頃の海軍の栄光を思い出すかもしれない。
戦争を知らない世代からしても、興味を引くかもしれない。
だが、得られたとしても一時的な効果でしかない。
現在攻略中の南西諸島海域はかなり時間がかかってしまっている。
つまり次の海域の解放までの繋ぎというわけだ。
それすら得られない可能性が高いが。
頭が悪いとしか思えない。
私に求められたものは祖父の栄光だけだ。
能力や成果など、特に期待されてないだろう。
あわよくば活躍してくれないかなー程度のものだ。
ーーーなんとも世知辛い。
国の防衛の要にもかかわらず、人気取りが必要とは。
人民ありてこの政府ありとは言うが、人民に左右されすぎるのもどうかと思う。
民主主義国家である限り仕方がないことなのかもしれないが。
ーーーしかし・・・。
期待されすぎるのも辛いが、期待されないのもこう、来るものがある。
英雄の孫とは言え、特別優れているわけではない我が身だ。
最初はワイドショーを賑わせるだろうが、特に活躍も無ければ、その内人々の記憶から薄れていき、南西諸島海域の攻略が終わればその祝勝ムードにキレイさっぱり忘れられてしまうだろう。
実力がないのだから仕方ないと言えばそうなのだが。
なんとなく、一発芸人のようで面白くないし、何より・・・。
ーーー祖父の顔に泥は塗れんな。
祖父とは何度かしか会うことが出来なかったが、記憶にある祖父は立派な人だった。
温かくて、優しくて、大きな人だった。
私のせいで、祖父まで悪し様に言われるのは我慢ならない。
知らない奴らに好き勝手言わせてはいけない。
ーーーできる限りは頑張ってみようか。
男はそう独りごちると、煙草を地面に押し付けて火を消し、ポケットに入れていた携帯灰皿に仕舞い込むと、そのまま、よっこいせと立ち上がり、大きく体を反らした。
まずは長い間潮風に当たっていた所為で冷えてしまった体を温めよう。
銭湯・・・いや、景気付けに酒でも飲むか。
まだ9時前だ。
今の時間なら空いているだろう。
そう思い、着任前夜にもかかわらず、行きつけの飲み屋「鳳翔」へと男は足を向けた。
遠くすすり泣くようなさざ波。
昨日の、稲妻を伴った五月雨のせいだろうか。
夜空を叢雲が覆い、星の光も月の光も見えない。
暗闇の中で、桜吹雪が舞った後のコンクリートだけが道の先を示していた。
次も書けるよう頑張ります。