建造されたのはおよそひと月前。
『不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです』
『ちっ、また駆逐艦のクソブスかよ』
『え?』
それが最初だった。
その後、自分の生まれた意味を考えるに至るまではそう長くなかった。
『那智さん、不知火はなぜ生まれて来たんでしょうか』
『……』
『不知火たちは軍艦です。人を守るのが使命であることに疑いはありません。しかし、同時にそれをよしとできない、なんでしょう、思いのようなものがあります』
『そうか。……それはな、不知火。心があるから疑問になるんだ。どうか大事にしてくれ』
そう言うと、那智さんはとても優しい顔をして、そして同時に悲しそうな表情をしていた。
確かに艦娘として生まれてきた軍艦たちは、みな一様に不細工な容姿であることはよく分かっている。朝起きて鏡を見るのが憂鬱だし、鎮守府内を歩いていてもマスクをしている艦娘が多くいる。どこかそれが規律のように守られている。
きっとそれは必要なんだろう。その心という見えない臓器を守るために。
しかし問題は、守るべき人間がその臓器を傷つける存在であるということ。
なんと退廃的なことであろうか。
なんと冒涜的なことであろうか。
なんて、――悲しいことだろう。
そんなことをひと月も考えていたせいで、出撃すれば大破し、遠征すれば失敗し、演習すれば足手まといという役立たずの権化のようになっていた。
そして、ついに出された戦力外通告。もともと戦力外ではあったのだが、鎮守府に存在する事すら無駄だと判断されたわけだ。
いよいよ自分の存在意義が分からなくなった。
そうして異動となる艦娘の行きつく先はいろいろあるが、自分の場合は別の鎮守府で練度を上げるという道だった。
そこで練度を上げてから再び元の鎮守府に帰るという、いわば練習場のような、更生施設の様な場所だと聞いた。
ようするに棄てられたのだ、自分は。
そして、送り出すときの司令の顔を見て、きっと不知火は二度とここに帰れはしないのだろうということも悟った。司令と会えなくなることに対して思うところは一切ない。ただ、他の艦娘たちは優しくしてくれたし、スれている子もいたが、決して悪い子ではなかった。そういった子たちと別れるのは、少し悲しかったかもしれない。
そうして送られた場所が、――柱島鎮守府。
自分が運命の人と出会う場所だ。
「不知火と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
そう立花提督に挨拶した時の表情はどうだっただろうか。きっと自分は無表情だっただろう。司令は、どこか諦観したような表情だったかもしれない。
鎮守府に関することをいろいろと教えてもらった。しかし不思議と、情報は頭に入って来るが、どうも司令の人物像だけがはっきりとしなかった。なにか目の前にフィルターが掛かっているような、頭の中で情報がセーブされているような、とても奇妙な感覚だった。
――景色が灰色になったみたいだった。
「歓迎会を開きたいと思うんだけど、どうかな?」
「いいえ結構です。必要ありません」
「……そっか、ごめんね。今日は寮でゆっくりしてね」
執務室から退出し、瑞鶴さんという艦娘に寮まで案内してもらった。
部屋に入ると既に違う子の荷物が置いてあり、誰かと相部屋らしいことは分かった。誰となのかは言っていた気がするが覚えていない。
入口からまっすぐ窓際まで行き、それを背にして床にずり落ちた。三角座りした膝を眺めながら、両手は上げる気力もなく床に投げ出す。さながらその辺に置かれた人形のようだった。
「なぜ、なぜ、不知火は、ここにいるんでしょうか」
独りぶつぶつと自問する。
何度も自問し、何度も自答できなかった。それでも、何かにとりつかれたように繰り返している。
どれだけの間そうしていたか分からない。気付くと、扉が小さくノックされていた。
「不知火? 瑞鶴よ。中にいる?」
「はい」
「入るわよ」
扉の開く軽い音とともに、瑞鶴さんが入って来た。
瑞鶴さんはここで秘書艦を務めていたようなので、それなりの古株なのだろう。
きっと歴戦の猛者であり、自分なんかとは全く正反対の道を歩んでいるのだろう。こんな不良品なんかと違って。
「さっき不知火が配属になったすぐ後に、憲兵さんが配属されたの。これからみんなで食堂でお昼を食べる予定なんだけど、不知火も行きましょう? なんか、面白い人よ」
そう言うと、瑞鶴さんはクスクスと笑った。前の鎮守府では見なかった種類の笑い方だ。どうしてこんな笑い方が出来るのだろう。
「そう、……ですか。いえ、不知火は結構です」
「そっか、分かったわ。でも来れるようならいつでも来ていいからね」
そういうと、瑞鶴さんは部屋を去っていった。
瑞鶴さんのことも気になったが、どちらかというとそういう笑顔をさせた憲兵の方に興味がある。前の鎮守府ではみんなもっと陰鬱な雰囲気で、マスクをしていた。……そうだ、何か違和感があると思ったらこの鎮守府の艦娘はマスクをしていない。
自分は今でもマスクをしている。柱島鎮守府も敷地外へ行くときはマスク着用義務があるはずだが、敷地内ではマスクをしていない。
これは、鎮守府を一つしか知らない自分には目から鱗の事実だった。
……ゆっくりと、おそるおそるマスクに手を伸ばす。
「……ッ!」
震える右手を左手で押さえつけるように抱きしめた。
心臓がうるさいくらいに騒ぎ出したからだ。自分では分からなかったが、もしかしたらトラウマにでもなっているのかもしれない。まったくもって不良品だ。
「は、はは……」
変な笑いがこみあげてくる。瑞鶴さんとは大違いだ。
不細工な顔に不細工な笑顔。
最低だ。
――その日、相部屋の片割れが帰ってくることはなかった。
次の日の朝早く、廊下でバタバタと誰かが走る音で目が覚めた。
どうやら昨日の姿勢のまま寝落ちてしまったようだ。座ったままでよく寝れたものだと薄い感情ながら思わないではない。
体中の固まった関節をほぐそうと立ち上がる。大きく伸びあがりながら、横目で相部屋の相方がまだおらず、誰か分からない状況が続いていることを確認する。
「……少し、外の空気を吸いたいですね」
糸を吐くような声でつぶやくと、いつの間にか外れていたマスクをつけて静かに部屋を出た。
先程の騒々しさとは一転して、廊下はまだ静かなものだった。誰かほかの艦娘と遭遇するかとも思ったが、結局誰とも会うことなく寮を出た。
寮を出ると目の前に海があるが、それを右に行くと演習場がある。そして、演習場へ続く道の途中に海に突き出た小さな岬の様な場所を遠目に見つけた。
少し歩く程度にはちょうどいいだろう。昨日の今日でまだ何も指令を受けていないし、どうせ何も指令は貰えないだろう。今まで通り、資源を無駄にしないよう部屋でじっとしているのが一番役に立つ過ごし方だ。
――ズキン、と胸が痛んだ。
「……歩きましょう」
踏み出した足の先で、砂利の擦れる音がした。なぜかそれが酷く不快だった。
すっかり明るくなった空は、それでもなお焦らすかのように太陽を見せてくれはしない。朝の澄んだ空気は少しづつ温まり、ぬるま湯の様な不快感を伴っている。
潮風が色素の薄い髪の毛を揺らす。潮騒が耳朶を撫でる。
「……今日は海が静かですね」
「そうね、こんな日は珍しいかも」
なんとなく呟いた声に返答があった。
びっくりして振り返ると、……誰だっけ。
「え、ちょっと待って。その反応もしかして誰か分かってない?」
「あの、申しわけございません……」
彼女は大きなため息を吐くと、目を瞑り後頭部に手をやった。何を言おうか迷っているようだった。
が、それもそのうち諦めたのか、まあいいか、と小さく呟いた。
「で、何をしていたのかな?」
「いえ、あの岬まで行ってみようかと思いまして」
「なるほど。ついて行ってもいーい?」
「……構いませんが」
そう言うと、彼女は嬉しそうに砂浜を歩きだした。
穏やかな波は足元をくすぐるように、触れるか触れないかの距離で寄せては返すを繰り返す。
浜から岬までは約50メートルほど。岬というのもおこがましいような、ちょっとしたでっぱりだ。
海底はそこまで深くなく、釣りをしたところで大きな魚は獲れないだろう。もしかしたら砂地にヒラメやカレイがいるかもしれないが、あとは小魚程度しかいない。
「魚が好きなの?」
彼女にそう問われ、少しだけ考える。
「嫌いではありません」
「そっか」
それだけの会話に、彼女はとても嬉しそうに笑った。
そうしているうち、岬の先端まで来た。ここは最南端部分であるらしく、東はかなり明るいが、西はまだ少し暗い。朝と夕だけに見られる、空のイルミネーションだ。
「いやぁ、ここの空気は気持ちいいねぇ。この鎮守府のイチオシなんだよね、ここ。最初にこの場所を見つけるとはなかなかお目が高い」
「そうですか」
それからも色々と話しかけられたが、どうも霞がかった頭は晴れない。
「君はさ」
ふいに、先程までの口調が静かなものへと変化した。
その落差に興味が引かれ、彼女を目に映す。
「君はこの鎮守府でどうやって過ごしたいの?」
「どう、とは」
「何をしに来たの? 何を成したいの?」
分からない。ここへ来たのだって自分の意志ではない。何かやり遂げるために来たんじゃない。ただ、棄てられたのだ。
「艦娘として生まれて、こうしてここへ送られて、悔しくないの? 見返してやろうとか、思わない?」
「……」
分からない。きっと最初ならそう思っていただろう。でも、今となっては分からない。
身体の中心にぽっかりと穴が空いたようだった。
「……そっか」
彼女はそれだけ言うと、顔を戻し再び海を眺める。
それから、少しの間そうしていた。波の音は絶え間なく、海鳥が朝焼けの海原を悠々と飛び回っていた。やっぱり、この景色は嫌いじゃない。
「ところで、憲兵さん見た?」
「いえ、まだ」
「君はね、あの憲兵さんと会ってみるべきだと思うよ」
憲兵、とは何だったか。
確か大本営から送られてきたお目付け役の様なものだっただろうか。
「それはなぜですか?」
「そうだねぇ、とりあえず男だね」
もうその瞬間に会いたくないという気持ちでいっぱいだった。
以前の鎮守府の司令も男だったからだ。自分が生涯会ったことのある男性というのは、司令一人だったため、男のイメージもそれで固定されている。
確かに船だった時の男性のイメージもあるが、それは記録でしかなく、記憶ではない。
男性に忌避感を覚えるのも当たり前だった。
「なんだい、男性は苦手かな?」
「苦手です」
即答すると、彼女はぽかんとした顔をした。
それもすぐに元に戻り、しかしわずかに苦笑の様な形をとった。
「なるほどねぇ。でも、彼なら大丈夫だよ。一度会ってみたらいいんじゃないかな」
「……」
「特にすることないんでしょう? それに、君にとってたぶん今一番大事なのはそれなんじゃないかなって思うし」
「……」
「だからさ、私もちょっと他人任せになって申し訳ないんだけど、君の今日からの仕事はそれだね」
……何を言っているんだろう。なんの権限があってそんな命令を出すんだろう。
「命令権限は司令にあるはずですが」
「……あー、それは大丈夫。何なら後で確認してもらってもいいよ」
「そうですか」
確かにどうせ何も命令をもらえないのであれば、一時的に従ってみてもいいかもしれない。それに司令に確認を取ってもいいとも言った。それから行動に移っても遅くはないだろう。
憲兵、か。なるほど。これはこれで面白いかもしれない。当然相手は武官であるから、自分が尾行したところで気付く可能性はかなり高い。しかし、どれだけ自分が通用するかも試すことが出来る。
なるほど、了解した。
「駆逐艦不知火、尾行作戦了解致しました。行動に移ります」
「え、あ、うん、了解」
「では」
そう言いながら、駆けだした。
何故か分からない胸の高鳴りを感じながら。
――さて、まずは何をしようか。
◆◇◆◇◆◇◆
「いっちゃったかー」
結局一度もマスクは外さなかったな。
私はもう一度後頭部に手をやりながら目を閉じた。
正直ここまで燃えるとは思っていなかった。ただ、憲兵さんに、小林中尉に会えば何か変わるんじゃないかと思って焚き付けただけだ。
たぶん本人にばれたらとてもめんどくさそうな顔をしそうだなー。
そんな表情を想像し、少し笑みが漏れる。
「なんでかなぁ。なんか信じたくなっちゃうんだよねぇ」
あれがカリスマというのか、ただ物珍しさからそう感じてしまう幻なのか。
でも、そうだなぁ。
どうか、できるなら、信じさせて欲しい。
きっと今の私たちには彼の様な存在が必要なんだ。
「どちらにせよ、不知火ちゃんにはいい刺激にはなりそうだし」
――ああ、ようやく太陽が顔を覗かせた。
針の先ほど光がどんどん大きくなっていく。
目が焼けるのも厭わず、私の目は太陽を見据えていた。
「がんばれぇ、不知火ちゃん。君ならきっと大丈夫だよ」
ふと空を仰ぎ見ると、小さな飛行機が飛んでいるのが見えた。あれは……彩雲かな? たぶん瑞鶴ちゃんが心配して偵察機を飛ばしてくれていたんだろう。もしくは私がさぼらないか見張っていたのか。
いやはや、朝からこんなに働いているなんて私くらいのものだろう。もちろん、夜勤のものは除く。
そんな身勝手な考えが読まれたのであろうか。空高く舞っていたはずの彩雲がいつの間にか近くまで来ていた。
「はいはい、すぐ戻りますよー」
そう言うと、彩雲は一回りしてから鎮守府の方へ戻っていった。さて行くかと改めて足をそちらへ向ける。
が、途中で思い出したように苦笑を漏らした。
まぁ1つ言いたいことがあるならば。
「でも私、尾行したら、なんて一言も言ってないんだけどなぁ」
まぁいいか、と小さく笑みを零し、海を背に歩き出した。