美醜逆転した艦これ世界を憲兵さんがゆく   作:雪猫

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014 - 名前のない感情

 その日、私はいつもより呆けていたように思う。

 理由は先日の、憲兵さんとの朝の邂逅であろうと予想するが、……いまおもいだしてもかおがあつい。

 結局あの後憲兵さんから逃げ隠れしており、顔を合わせることなく今に至っている。今日までも任務や訓練は当然あったが、実際危ないことは何度かあった。その度に誰かにフォローしてもらいながら、なんとかこなしていた。

 しかしこの日、作戦海域から離脱する寸前で、姫級の深海棲艦が現れた。どこから現れたのか分からず、少なくともレーダーに異常はなかったはずだった。

 

 ……気づいた時には手遅れだった。

 

 足元で何かが爆発し、一撃で大破まで持って行かれた。自分のダメージを肩代わりする装備も、ほぼほぼ残っていない。おそらく魚雷であったのだろうが、一番大事な足の装備の破損が最も酷く、航行不能にまで陥り、誰かに支えてもらわないと沈んでしまいそうなほどだった。

 その後ほかの鎮守府からの応援や、二水戦の参戦により離脱が可能となり、一足先に帰投することとなった。

 相手は姫級であり、それ以外にも深海棲艦はまだまだいたはずだ。

 しかし、うちの二水戦は強い。ものすごく強い。特に神通は飛び抜けているだろう。本人は自分より姉の方が強いと言っているが、当の川内はそんなわけないよねーと笑っていた。

 ともかく、なんとか生き残った私たちは鎮守府へ向けて帰投中であった。

 と、ふいに耳元にノイズが走る。これはおそらく鎮守府からの無線だろう。

 

『第三艦隊、こちら立花』

「あら、提督ね。んんっ、……こちら第三艦隊五十鈴です、どうぞ」

『了解。そちらの状況を報告せよ』

「了解です。現在敵影なし。状況は先ほどと変わらず大破が北上1名、中破が蒼龍と霞と五十鈴の3名、小破が金剛と川内の2名。現在鎮守府へ向け帰投中で、波風ともに穏やかです」

『了解。北上の状況は?』

「大破判定の主な理由は、脚部装備の半壊による航行不能によるところが大きいので、傷は軽微かと思われます。小破であった金剛の曳行により帰投します」

『了解、引き続き警戒して帰投せよ』

「了解しました」

『よろしく。……んー』

 

 ぶつり、と無線が切れる。

 まぁ、一応曳行という言葉は使うが、実際は金剛に背負われている。

 

「ごめんね金剛、おぶってもらって」

「大丈夫ネー! 大船に乗ったつもりでイイヨー!」

「2000人以上が乗船できるんだから、確かに大船だねー」

「超弩級戦艦デスカラ!」

 

 こっちは700人弱くらいしか乗れなかったことからも、大きい船だなぁという感じはある。

 そんなことを思っていたら、もう一度無線が入った。

 

『第三艦隊、こちら立花』

「こちら第三艦隊五十鈴です」

『以降500番にて対応せよ』

「? 了解しました」

 

 500番というのは秘匿回線のことだ。他から傍受されないように、暗号化し、チャンネルも変えている。

 何かあったのだろうか。

 

「こちら五十鈴です。変更完了です」

『あ、五十鈴ちゃん? おつかれー』

 

 ガクッ、と全員でずっこける。

 

「いや提督、もうちょっと威厳を大事にしなさいよ……」

『秘匿回線だし、もういいかなーって。それより北上ちゃん』

「んぁ? なにー?」

『憲兵さんが怒ってたよー』

「え゛」

『以上無線おわりっ』

 

 ぶちぃ、といきなり無線が切れた。

 

「でもあの姫級の深海棲艦、どこから出てきたんだろうね」

 

 こちらが衝撃から回復出来ていないことはどうでもいいとでも言うように、蒼龍がのんびりとした声で話題を提供すると、

 

「そうね、私たちは誰も警戒は解いていなかったはずだし、少しおかしかったわね」

 

 と、五十鈴が応える。

 いや、そんな普通に会話って続くんだ。

 とはいえ、なんだかここ数日に渡って警戒がおろそかになってそうな自分が、もしかしたら接敵を見逃したのではないかと心配になってくる。

 自分ではそんなつもりはないが、大体そういう時に限ってやらかしてしまうものだ。

 もしそうだったらどうしよう。自分のことしか考えなくて仲間を危険にさらして、情けなくなる。

 

「そんな顔しないでくだサイ。ここ最近不調なのは誰もが知ってる事デス。さすがに原因まではワカリマセンが、そんなアナタをfollowしながらの警戒なんて朝メシ前デース」

 

 金剛が慰めてくれるが、それでもいつもより負担があったのは確かだろう。

 今は反省で済んでいるが、これが取り返しのつかないことになっていたら後悔に変わっていたはずだ。

 それは先に立たぬもの。しっかりと反省し、次に活かさねば。

 

「ごめんねー、みんな。次はもっと集中するよ」

 

 言葉にすると安っぽいが、言葉にしないと伝わらない。

 そんなネガティブな気持ちで出した言葉に霞が噛み付く。

 

「当たり前でしょそんなこと。……でもここ数日北上さんの様子がおかしいのも確かよね。何かあったの?」

 

 噛み付かれた先は、心臓だったかもしれないなぁ……。

 なんでそっちに噛み付くかなぁ……!

 

「たしかにそうだよねー。五十鈴もそう思うよね?」

「まぁ思わないでもないけど、あんまりそういうの突っつくと馬に蹴られるわよ蒼龍」

「でもでも気になるよねぇ、霞ぃ」

「私に振らないでよ。まぁ気にならないといえば嘘にはなるけど」

「それは聞いてもイイ話デスカ?」

「いや、……まぁ重い話ではないけどさぁ……」

「じゃあ教えてよ北上ぃ! なになに色恋!?」

「ち、ちがうし! 全然そんなんじゃないし!」

「ほーらやめときなさいって蒼龍」

「そうよ蒼龍さん。あまりつついても可哀想じゃない」

「霞に言われると反論する気なくなっちゃうんだよなぁ……」

「どういう意味よそれ」

「なんか妹が出来たみたいな」

「あたしがチビで貧乳と言ったか牛娘」

「それが私の胸の事ならいいが、体型の事だったら今ここで海の藻屑となるぞ」

「喧嘩やめい。あんたたち子供か」

「誰が幼児体型か!」

「誰が脳足らずか!」

「言ってないわよそんなこと!!」

 

 女3人寄ればとは言うが、6人もいるのだ。こうなるよねー。

 ……6人?

 あれ、私と金剛と蒼龍と五十鈴と霞と、あれあれ?

 

「川内は?」

「ん? 後ろにいるよ?」

 

 振り返ると、最後尾を川内がついてきているのが見えた。珍しく話に入らなかったのはなぜなのか、というのはすぐ判明した。 

 

「私さぁ、最近夜戦が多かったじゃん?」

 

 川内は、朗々と謳うように、舞台の上から語りかけるように口を開いた。

 その言葉になにか不穏なものを感じた私たちは口を閉じ、次の言葉を待つ。

 

「そうするとさ、帰ってくるのは早朝になるんだよね。今の季節的にもうすっかり明るくなってはいるんだけど、そういう空気って結構好きだから帰ってきてからボーっとしてたりするんだけどさ、数日前にちょっと面白いことがあったんだよ」

 

 次の瞬間蒼龍が私を羽交い絞めにし、霞に手で口を塞がれた。

 

「んーーーー! んーーーーーーー!!!」

「ごめんね北上。これはもう仕方のない事なの」

「あんまりにも焦らす北上さんが悪いと思う」

 

 離せェ!!と、目で二人を威嚇するがなんのその。蒼龍と霞に裏切られた私は俎上の魚でしかない。

 というか、金剛に背負われているせいで、あまり暴れられない。金剛ホントごめん。

 

「北上がさぁ、物凄い速さで走って行ってさぁ、何事かと追いかけたわけよ。途中で一度止まって必死で息を整えて、出て行った先には憲兵さんがいたんだよなぁ」

 

 終わったー!!

 終わったわこれぇ!!!

 

「で、憲兵さんの早朝訓練が終わったあとに何事か話した後、なんとなんと」

 

 ごくり、という音が聞こえそうな静寂、それはきっと嵐の前の静けさというやつで――

 

「一緒に憲兵さんの部屋に入っていったんだよなーこれが!」

 

 ――直後に爆弾を落とされて嵐が来た。

 

「えー!! うっそぉ、やるじゃん北上!」

「へー、知らなかったなぁ、北上さんもやるわねぇ」

 

 苦笑している金剛と五十鈴はいいとして、蒼龍と霞、それと川内は後でボコボコにする。絶対にだ。

 それからはずっと、それでそれで!?と食い下がる蒼龍の猛攻を、全部無視するというか、意識から外すことにした。

 しかし、思い出させるのは先程の提督の言葉。

 

「帰ったら憲兵さんに怒られるのかなぁ……」

「ン? 何の話デスか?」

「さっきの提督の話だよー」

「……ああ、あれデスか」

 

 怒られるのはやだなぁ。というか、憲兵さんに怒られたら堪えそうだ。

 

「まあ大丈夫デショウ」

「そうかなぁ」

「あのケンペイさんが怒るところって、ちょっと想像できないネー」

 

 確かに、それはある。

 なんというか、叱られるイメージは出来なくはないが、怒るというか感情をそこまであらわにするような性格にはどうしても見えない。静かに喜んで静かに怒ってそう。うわ、それ一番恐いやつだ。

 

「怒ってたら、その時はその時デース。大人しく謝りまショウ」

「そうだねぇ。今までみたいな理不尽なものではないだろうし」

 

 理不尽というか、不条理というか、やっぱり世界はビジュアル8割なんだろうなぁ、と。私たちみたいなのは、排斥されやすい。

 

「まぁでも、怒られるだけいいよね」

 

 ふと川内の口から漏れ出た言葉は、ある意味真を捉えていた。

 

「海の底にまではそんな言葉も届かないんだからさ」

 

 確かに。確かに。と、みんな口々に呟く。

 

「だからまぁ、とりあえずはここに6人揃ってることが、私は嬉しいよ」

 

 ちょっと恥ずかしそうに笑うこの人は、きっと今世界中の誰もが魅了される笑顔をしていた。

 

「さぁて、凱旋とまではいかなかったけれど、もうすぐ我が家だよ!」

 

 川内の一言にふと前を向き直ると、もう間近に柱島が見えていた。なんなら鎮守府も見えるから、もう4キロもないだろう。

 よく見ると何人かこちらを待ってくれている人がいる。しばらくなかった大破や中破が出たからだろう。着いたらすぐ入渠だろうなぁ。

 しかし、さらによく見ると、背の高い人がいた。

 誰だろうなー。分かんないなー。

 その人物は、いつもは無表情なその顔が巌のようになっていて、あたかも怒りを抑えているかのように見えなくもない。

 思わず金剛の肩に顔を伏せた。

 

「ほら、ケンペイさんデース」

 

 しかし、金剛に促されもう一度顔を上げる。

 一瞬だけ対応に迷った末に出てきた言葉は、

 

「えへっ」

 

 という、なんとも間の抜けた声だった。

 瞬間、憲兵さんの顔が曇る。やばい、やってしまったかもしれない。

 

「ハーイ、ケンペイさん。ただ今帰投しまシター!」

「……ああ、お疲れ様。こんなことを私が言うのもおかしいかもしれないが、……よく帰ってきてくれた」

 

 その一言で、ああ、帰ってこれたんだなぁ、という安堵感が全身を駆け巡る。

 やはり、憲兵さんは、憲兵よりも提督にむいているように思う。こんな人が提督だったら、きっと艦娘の競争率は高そうだけど。

 不意に憲兵さんの顔が、隣にいた朝潮に向けられる。

 

「え、や、私は嘘は言ってないですよ。北上さんは脚部装備が破損して海面に浮かぶことが出来なくなり、そのせいで大破判定となりました。そして、金剛さんに背負ってもらい、帰投しました。嘘は言ってません」

「あからさまなミスリードは、嘘より悪質だと思わないかい?」

「ふふ、まぁそうですね。正直そう仕向けたことは間違いありません。ごめんなさい」

「心臓がいくつあっても足りないから、そういうことはやめてくれ」

「了解しました」

 

 はぁ、と憲兵さんにしては珍しく疲れたような顔をしていた。なにか朝潮とあったのだろうか。

 

「だから言ったろう、今回出撃した部隊は無事だったって」

 

 と、憲兵さんの後ろからぬっと出てきた響が口をはさむ。

 

「……確かに、そう言っていたな」

「おや、よく覚えていたね。きっと一番騒然としていた時に顔だけ出してすぐにいなくなったから、その後の事を知らなかったんだろう。実際結果だけ見れば、そんなに大したことにはなってなかったのさ」

 

 それに、と響は驚くようなことを言ってのけた。

 

「もう第二水雷戦隊も帰投中だしね」

「え」

 

 誰から漏れ出た声か分からないが、きっと誰もが思ったことだろう。

 

「もう終わったのか?」

「ああ、さっき連絡があった。終わったよ。夜戦に持ち込むことなく終わった」

「早すぎないか?」

「姫級ではあったけどどうやらはぐれだったらしくてね。すでに瀕死だったみたいだ」

 

 だからほかの鎮守府からの応援が早かったのか。そうなると、あの深海棲艦は追撃されてここまで来た可能性がある。

 こちらがピンチになって助けを呼んだ形だと思っていたけど、どうやらこっちはただの被害者になりそうだ。

 と、一人一人タオルを配っていた暁が、苦笑しながらこちらを向いた。

 

「ほら、ここで立ち話は早すぎるわ。さっさと装備下ろして入渠してきなさいよ」

 

 確かに、今しがた帰ってきたばかりで立ち話は早すぎる。

 暁のレディ度が留まることを知らない。

 

「私たちは船渠で下ろすから、先に北上さんだけ入渠してきたら?」

 

 霞がそういったことを言うのは珍しいのでびっくりしていると、蒼龍の目が光った。嫌な予感がする。

 

「そうだね! 装備は預かるよ! ほら、憲兵さん! 引っ張り上げて!」

「あ、ああ」

 

 ほらやっぱり!

 くそぉこの女、やったね!みたいな目でこっちを見やがって。ちょっとやったぜって思ってるけど悔しいので表情には出さない。

 不意に、目の前に手が差し出された。

 視線を少し上にあげると、案外近くに憲兵さんの顔があって、ビクリとしてしまう。

 

「ほら、手を貸そう」

「あ、ありがとう。よっ、と、とぉ?」

 

 差し出され、掴んだ掌が思ったよりがっしりしていてドキドキしていたら、ぐいっと引っ張り上げられた。まだ覚束ない足元にフラついた体が、ぽすり、と憲兵さんの胸に受け止められる。

 空白。

 真っ白になった頭の中で、憲兵さんの体が温かいということだけがぐるぐるしていた。

 

「――あ、ご、ごめん!」

 

 すぐに回り始めた頭で離れようとするが、少しの抵抗を感じた。

 ほんの少しの力で。離れようと思えば簡単に離れられるような、そんな羽のような抵抗だった。

 

「あの、け、けんぺ――」

「大丈夫かい?」

 

 そんな抵抗など初めからなかったかのように、あっさりと憲兵さんは体を離した。

 

「体が冷え切っているな、早めに休んだ方がいい。歩けるか?」

「あ、うん。ちょっとフラついただけ。陸なら大丈夫」

「すまない、北上だけ先に連れて行くが、君らは大丈夫か?」

「はーい、大丈夫でーす! 北上をよろしくー!」

 

 にっこにこの蒼龍は後でボコボコにするともう一度誓いながら、さっきのことを思い出す。

 あれは、もしかしてだけど、ひょっとすると、

 

 ――抱きしめられた?

 

「どうした?」

「え、いや、なんでも、ない、です……」

 

 いま、かおを、みられたら、やばい。

 

「やはり大破は大破か。傷は少ないだろうが、見えない疲労はあったんだろう……。朝潮、暁と響も、後は頼む」

「はい、お任せください」

「任せてちょーだい!」

「修復材使っていいらしいからよろしく」

 

 さぁて行くわよー、と暁を先頭に私たちを残して去っていく。

 

「さて、歩けるか北上」

「あ、うん、大丈夫」

「なら腕に掴まってくれるか」

 

 もうちょっとそろそろ声が出ないので、黙って憲兵さんの左腕を掴む。

 手の時も思ったが、腕も太く筋肉が詰まっていることが分かる。まるで丸太に触れているようだ。

 自分の手から伝わる感触に驚いていると、歩きながら憲兵さんが小さな声で呟いた。

 

「すまない」

「え?」

 

 きっと周りに人がいても、私にしか聞こえなかっただろう。それくらい小さい声だった。

 

「どうしたのさ、憲兵さん?」

「いや……、これはただの自己満足だな、すまない」

 

 そういって、もう一度謝る。

 何のことだか分からない。

 

「どうしたのさー。言ってくれなきゃ分からないよ?」

 

 そう言って促すも、どうも歯切れが悪い。それでもなお目で訴え続けると、暫くして諦めたかのように溜め息をついた。

 

「呆れないでくれよ?」

「うん」

「君たちが海で戦っている間、私は何も出来なかった」

「うん?」

 

 どういう意味だろう。

 

「私はね、ここに来てから思ったんだ。艦娘という存在が嫌いだ」

「――っ」

 

 その一言が与えた衝撃はどれくらいだっただろう。

 息が止まり、視界は狭まり、立っている感覚が消失し、まるで、それこそ沈んでしまったかのような感覚。黒い泥に埋もれてしまったかのようだった。

 顔面蒼白になる私を見た憲兵さんが、慌てたようにかぶりを振る。

 

「ちょっとまて北上、何か勘違いしている」

 

 慌てた姿は珍しいもので、そんな憲兵さんは少し可笑しかった。

 でも、ちょっとその言葉を信じるには衝撃が大きすぎたんだけど。

 

「……私はな、出来ることなら君たちと共に戦いたかった」

 

 ――それは、どうあがいても不可能なことだった。

 

「なぜ、そんな危険な場所に君たちを送り出さなければならないのか。なぜ、私はその場で一緒に戦えないのか。なぜ、私はこんなにも無力なのか。君たちが帰ってくるまでの間、そんなことばかり考えていたよ」

「でも、それは、」

「理解はしている。私もここに来るまではそんな感情は持ってはいなかった。正直言うと、艦娘という存在はそういうものだと認識していたからな。……今思えばなんとも傲慢で無責任な話だと呆れるばかりだ」

 

 そんなことない。とっさに口から出ようとした言葉は、こちらを見る強い視線に遮られた。

 

「だから、艦娘が嫌いだ。そういう世界が嫌いだ。いつか、艦娘が艦娘という役割を持ったものではなくなる世界が見たい」

 

 これは立花提督と似た夢になるかもしれないな、と憲兵さんは笑った。

 

「……無力だなんて思ってないよ。私たちにとってはね、待っててくれる人がいるってのは、何よりも大事なことなんだ」

「ん?」

「自分は無力だって言ってたでしょ。そんなことないよ。きっと待ってる側からは実感できないんだろうけど、それでも、とても大切なことだよ」

 

 少しの間。

 憲兵さんは何か考えているようだったが、ふと、笑みを漏らした。

 

「そうかな」

「そうだよ」

 

 そう返すと、憲兵さんはいつもの柔らかい笑みを向けてくれた。

 これだ。

 私は、この陽だまりのような笑顔が、とても――

 

「ん? あれは……」

 

 そんな憲兵さんの声で我に返る。どこかを見ているようだった。

 その向かう視線の先を辿る。

 

「あ、ばれた。逃げるよ」

「ちょ、待って!」

「ままま待ちなさいよ!」

 

 すたこらと逃げる三人娘の背中が見えた。

 装備がそのままだったから、どうやら別れた場所からそのまま私たちに付いて来たようだった。

 ほう……。

 

「ふむ、川内と蒼龍と霞か。何をしていたんだろうか」

 

 私には分かる。

 あとでね、あとで。待っててね三人とも。

 

「あ、そういえば言い忘れてた」

「どうしたのー?」

「おかえり。無事で良かった」

 

 ――ああ、もうほんとにこの人は……。

 

「あの三人は走ってるから、そんなに損傷はないんだろうな……」

「そうだね。ここでいいよ、あとは歩けるから」

「そうか? まぁ入渠まで一緒に行ってはやれないしな。行ってらっしゃい」

「うん、行ってくる」

 

 入渠施設の前で別れて、一人歩く。

 さっきまでほとんど凪いでいた潮風が吹いて、髪を巻き上げた。

 そんな、何気ないことが、なぜか嬉しくなる。

 憲兵さんと話すのが恥ずかしかったけれど、今はそんなこともなくなった。

 もっと話していたい。

 この気持ちはなんというのだろう。

 

 まだ名前のつかないこの感情は、もう少し、胸にしまっておこう。




北上が物理的に沈んで、気持ち的に沈んで、憲兵さんが己の無力さに沈んで、たぶんあとで三人娘も北上の手で沈むことになる。

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