ここから今話含めて3話分、同じ時間に投稿しますので、よければどうぞ。
いつも通り、5時のアラームが鳴る直前に目が覚めた。
そのことに疑問を持つことはなく、いつも通りにアラームのセットを解除する。
……まずは憲兵の情報収集からだ。
昨日知らない誰かに指示された憲兵の尾行作戦について司令に確認したところ、『え、まだ私だって気付いてない……? あ、いやなんでもないよ。よろしくね不知火ちゃん』と言われた。途中よく分からないことを言っていたが、おそらく私に必要な情報ではないと判断し、切って捨てる。なぜか司令が瑞鶴さんに慰められていたが、とりあえず今は置いておく。
手早く着替えを済ませ、髪を結ぶ。
そして、忘れてはならない、マスク。夜の間もずっと付けているので、朝に取り換えることが多い。
私にとって、この瞬間が一番辛い。
新しいマスクをそのまま上から被せ、ゆっくりと付けていたマスクをずらす。そうやって出来るだけマスクから顔が離れないようにして、交換をする。
ふぅ、と息をついた。
誰もいないこの部屋でこんなことをしているのは、きっと私だけだろう。
「……では、行きましょうか」
部屋の鍵を開け、廊下に出る。夏の暑い空気は、しかしこの時間においてはその本領を発揮しておらず、ひんやりとまではいかない程度の涼しさを保っている。
それは、外へ出るとより顕著になった。
この時間は、虫の声も鳥の声も聞こえない一瞬がある。静寂に包まれるこの一瞬、世界に私独りだけになってしまったかのようで、酷く嫌いだ。
いや、仮定の話ではなく実際孤独なのか。ははっ、と自嘲的な笑みがこぼれる。
とりあえず、憲兵がいるであろう正門近くにある施設に行こう。どうやら元は管理人のようなものがいたであろう場所に、憲兵はいるらしい。
こうした少し離れた場所にあるのは、男性と女性が同じ場所で寝起きすることが原因で発生する『間違い』が起きないように……、なんてことではもちろんない。
そもそも艦娘という存在は美しくない、といえば自己防衛のようになってしまうが、正直醜い。醜悪だといっても過言ではない。そんな存在と一緒の場所で寝起きするなんてこと、ありえないのだろう。というか、そもそも女性としては見られていないのは確かだ。もしかしたら、最初は一緒の場所で寝起きしていていたのに、離れていく人が多かったから別棟にしたというのもあり得る話だ。
なんとなく、砂利を踏みしめる音が大きく聞こえた。
その音に気を取られ、下を見る。
――かわりばえのないけしきだ。
「誰だ?」
「ッ!?」
急に男の声がして、心臓が止まったかと思った。
次の瞬間にはぶわっと汗が噴き出し、顔から血の気が引くのを他人事のように感じていた。
誰だ、と問われた。男の声だった。私は、男の人が怖い。
「や、朝から頑張るねぇ」
と、自分とは反対側から別の声が聞こえてきた。そしてそのまま男性と話し始める。
呼吸が自然と止まっていたことに気付き、急いで建物の陰に隠れながら必死で息をする。なぜか視界は涙で滲み、早鐘を打つ心臓は耳元で鳴っているかのようで煩かった。
あれは、確か北上だ。……そして、男はおそらく憲兵なのだろう。どうやら朝から訓練をしていたようだ。
「酷い、ですね。不意打ちは、心臓に悪い……」
誰を責めているのかは自分でも分からなかったが、悪態をつかないとどうにも冷静になれそうもなかった。
少しして呼吸が整ったのを見計らい、建物から覗き見る。憲兵はランニングをしていて、北上はゆっくりと近くの段差に腰かけた。
が、腰かけた北上がこちらを振り向いた。
「え」
「おーい、そこにいるのは不知火かな。こっちへ来たらどうかね」
「えっ、いえ、いいです……」
とっさに断ってしまった。
「そっか、まあいいけどね」
北上さんはそう言うと、視線を前に移してしまった。別にだからどうというわけではなかったが、なんだかもやもやする。
そして、そういう感情が私にはまだあるんですね、と自嘲する。
「あんた不知火だよね。どうかしたの?」
「……いえ、特に何も」
「ふぅん。私はまた憲兵さんでも見に来たのかと思ったよ」
無言になってしまうが、それが正解である。
「もしかして、男の人が苦手だったりする?」
「……はい、正直、苦手です」
「そうだろうねぇ。私もそうだったし。てか今もそうなんだろうけど、気にはならなくなったかな」
どういう意味だろう。気にならなくなった、ということはそれなりの意識改革があったからであって、それは何によって成されたのか。
いや、ソレに気付かないわけではない。もしかしたら、というのは得てして当たるものだ。
「ま、機会があれば不知火も憲兵さんと話してみるといいよ」
「何も変わりませんよ……」
「でも変わるかもしれない」
北上さんは、もう一度こちらを振り返り、その綺麗な目で私を見つめる。
「この鎮守府がそうであったように。そして、私自身がそうであったように。……きっと不知火も、何か変わるかもしれない」
なんてね、と恥ずかしそうに笑いながら視線を前に戻した。そんな北上さんを見て、なんだか眩しいような感じがした。
北上さんは憲兵さんと話して、何かが変わったんだろう。それは何だとはっきりとは分からないのかもしれないけれど、でも確かに何かが。
私はまだこうして北上さんとグラウンドを、施設の陰から見ることしかできなくて、北上さんは日の当たる場所で憲兵さんを見ている。この違いは何なんだろうか。
北上さんが言っていた憲兵と話してみるということに関係しているのだろうが、まだ怖い。もう少しリサーチを重ねてみることにしようと思う。
「ありがとうございます北上さん。少し考えてみます」
「ん、そうするといいよ。次は一緒に憲兵さんとお茶でもできたらいいねー」
それから少しの間グラウンドを眺めてから、すっと体を離し、鎮守府の中へ向かった。
が、その後、鎮守府をぐるりと歩いて戻ってくると、なぜか憲兵が微妙な顔をしてとぼとぼと歩いていた。あれほど『とぼとぼ』という擬音が合う人もなかなかいないんじゃなかろうか。
何があったんだと気になったが、流石に聞ける雰囲気ではなかったため、遠くから眺めるだけにした。
憲兵は少し歩き、向日葵が植えてある花壇の方向へ向かった。確かあそこはさっき見たときは暁が水やりの準備をしていたはずだ。
思わず見つからないように隠れてしまったが、あの範囲をおそらく一人で水撒きをしようとしていたのなら、申し訳なかったかもしれない。私が恐れているのは男と提督という存在なのであって、艦娘は助け合わなければならないはずだった。
……あ、これはちょっと罪悪感が凄くなってきた。
考えれば考えるほど暁に申し訳が立たなくなってきた。
「あ、憲兵さん!」
という暁の声に落ち込みかけていた意識が浮上する。
「ん? おや、暁だったかな」
そんな言葉から始まる会話を、またしても陰から聞いていた。
どうやら憲兵が水撒きを手伝う流れになったようだ。私には出来なかったことを、憲兵がしてくれた。それがなぜかとても悔しかった。
ちくしょう、次は絶対私が手伝う。
なんとも変な決意を胸に抱きながら、静かに二人を見守る。
水を撒き、草むしりをして、なんだかんだしながら作業を終えたのは、2時間近く経ってからだった。
この時間になると、もう早朝の空気などまるでなかったかのように太陽は燦々と照り付け、肌がじりじりと焼けるようだ。
「ちょっと休みましょうか……」
前からあまり外に出なかった影響か、身体全体が怠くなっている。これが熱中症というやつなのかもしれない。果たして艦娘が熱中症になるのかと聞かれたら疑問だが。
ふらふらとおぼつかない足取りで部屋に戻る。
ようやく部屋に辿りつくと、水を一杯飲んで、そのまま目をつむった。
結局その日はそのままぐったりとしたまま部屋で過ごしてしまい、気付いた時には夕暮れだった。
しかし体は重く、喉はカラカラで、重力が何倍にもなったかのような錯覚をしてしまう。
なるほど、これはやはり熱中症か。
とすれば、このまま寝ているのは下策。というかこのままでは死ぬ。よく生きて目が覚めたものだと自分をほめねば。
「うあ……目が回る……」
ぐわんぐわんする頭を揺らさないようにそっと持ち上げ、ゆっくりと水道へ向かう。そこでコップに満たした水を、喉へと流し込む。
……当たり前だがそれでも治る気配はなく、もう一度部屋の隅に戻ると、体を丸めて意識を失うように眠りに入った。
次の日。
目が覚めたのはお昼を回ったくらいだった。いつも早起きなので、この時間まで体が回復しなかったということだろう。最悪艦娘は何も食べなくても行動は出来るのだが、精神がもたないために食事は必要不可欠とされている。
だがこのご時世、この姿の艦娘が町に出て食事をとれるはずもなく、結局は鎮守府内の食堂で済ませてしまうことがほとんどだ。それでも、鳳翔さんの食事は、町で適当に食べるよりもよほど美味しいと聞いたことはある。
ともあれ、食事をとろう。その方が体の治癒も早くなるはずだ。
熱中症の後遺症とみられる筋肉痛に苛まれながらも、食堂へ足を運ぶ。
一定の時間さえ過ぎてしまえばお昼でも艦娘はまばらになり、すんなり食事がとれる。
「あら、初めまして不知火さん」
そこで話しかけられたのは、食事を作ってくれている鳳翔さんだ。前の鎮守府でも、最初は司令から『お前みたいな不細工が作った飯なんぞ食えるか』と言われていたそうだが、それでも鳳翔さんの料理スキルには勝てなかったそうで、結局食堂を任されていたという話があった。
「初めまして。宜しくお願い致します」
「ええ、よろしくね」
にこにこ笑う鳳翔さんに違和感が湧き上がる。前の鎮守府での表情と違いすぎるからだ。それはほかのことにも言える。こんなに活気のある場所ではなかった。
とはいえ、そもそも私は無価値な置物状態だったから食堂に食べに来ること自体めったにない事ではあったのだが。
「申し訳ありません、部屋で食べれるものはありますか」
「はいありますよ。少し待っててくださいね」
ぱたぱたと離れていき、すぐに戻ってきた。
「はいこれ。巡回任務用のお弁当も用意してるから、いつでも言ってね」
まだ温かいから早めに食べてね、と付け加え、鳳翔さんはまた厨房の奥へと引っ込んでしまった。どうやら中ではいろいろと料理が進行中の様で、聞こえてくる音は一人で切り盛りしているとは思えないほどの、多種多様な音が聞こえてきていた。きっと鳳翔さんは厨房においてのみ三人に分身出来るのだろう。
ありがとうございます、と言おうとしたがタイミングを逃してしまった。
「あ、不知火じゃーん。おつかれー。何食べるの?」
なんだこの能天気な声は。
かなり失礼なことを考えながら振り返ると、いたのは瑞鶴さんだった。
「あれ、おべんとなんだ。部屋で食べるの?」
「はい」
「そっかー。今度一緒に食べようね」
そう言い残し、カウンターへ向かっていった。
「なんなんですか……」
なんだか突風に煽られたけど一瞬後には無風になったような、完全な巻き込まれ事故のような感覚だけが残る。
その残った感情は、しいて言えば虚無だった。
――ふむ。
と、ふと考える。
どうも、自分の感情が制御出来ていないような感覚に陥る。というより、以前より色んなことに感情が動かされている気がする。
しかし、それが嫌かと問われればそうでもないのが不思議だ。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、自分の境遇を深く考えなくてもいいんじゃないかと思えてきた。ここに住まう艦娘たちを見ていると、どうにもいい意味で気が抜けてしまうのだ。
それがここの司令のおかげなのか、それとも憲兵さんのおかげなのか。
どっちだろうなと考えながら、食堂を出る――
「あいたっ」
――と同時に誰かが入ってきたらしく、ぶつかってしまった。
その拍子にマスクが外れ、
あ、と思う間もなくぶつかった人物に目が行き、
そこに当然のような顔で突っ立っている昨日の午前中ずっと追い掛け回していた憲兵を確認し、
「ぶっ」
「うおっ!?」
噴き出した。
「ちょ、つば飛んだ……」
「な、なんで、」
「なんでって……昼食を取りに来ただけだが……」
「……」
「……」
「……うっ」
「う?」
吐き気を感じ、口を手をおさえて下を向く。
――マスクが落ちている。
なんで?
――自分がさっきまでしてたマスクだろう。
つまり?
――今してないってことですかね。
次の瞬間、視界がぐるりと回転し、
「おい、ちょっと、」
「おろろろろろ」
「不知火ィ!?」
吐いた。