あれから、数日が過ぎた。
不知火は明石から聞いた通り夕方ごろに目覚め、その次の日に時雨と突堤で話をしていた。
自分も鎮守府を歩き回っているときに見かけたので、もしかしたら以前の話をしているのかもしれない。だとすれば自分の存在は邪魔になるだろうと思い、足早にその場を離れた。
その結果による変化は2つ。それからというもの不知火は時雨に付いて回るようになったということと、自分に対する警戒のようなものが若干薄らいだということだ。
時雨と一緒に行動するのは構わない。それにともなう弊害は出ているが、まぁ一時的なものだろう。そして自分に対する忌避だが、まだ警戒は当然しているが害はないと判断されたような、そんな感じだ。
「ふむ、まぁむこうから接触してくるのを待つべきなのかな」
「むー」
「とはいえ待つだけというのもな」
「むー」
「……夕立」
「む?」
変化に伴う弊害。
夕立が暇。
「今日は何もすることはないのかい?」
「さっき夜間哨戒明けで帰ってきて、おフロ入って朝ごはん食べたっぽい」
「寝たら?」
「むー!」
たぶん怒られたっぽい。
ちなみにではあるが、相も変わらず背中に貼りついている。暑い。
「時雨は不知火に構ってばっかりでつまんないっぽーい」
「それは仕方ないなぁ。じゃあ一緒に散歩でもするかい?」
「ぽい」
ぽいだけで会話できそうなのが恐ろしい。
とりあえず北上の事件が終わったのでゆっくりしたい気持ちがある。だいたい煽ってきた朝潮のせいな気もするが、そこはまぁ許そう。
とにかく、今はこのまったりした時間を楽しもう。
「小林憲兵、お話があります」
「……不知火」
まったりした時間は長続きしないもんだということを、これほど実感したことなど今以上にあっただろうか。
「すまない夕立」
「……寝るっぽい」
少しどころではなくかなり落胆したような顔で夕立が背を降りその場を離れ、一人で歩いて行こうとする。さすがにこれをそのまま見送るのは無理だ。
歩いて行こうとする夕立の腕を掴んだ。
「ゆうだ――、腕ほっそ」
「え?」
「いやなんでもない。少し話してくるだけだから、また後でな」
「……うん」
「今日はこの後何かあるのか?」
「ううん、次は明日の朝から演習っぽい」
「なるほど、じゃああとでそっちに行くよ」
「……ほんとう?」
「本当だ。時雨にも話しておくよ」
「ん!」
そういうと今度こそ夕立はその場を離れていった。その様子を少し見送る。
「……お邪魔でしたか」
後ろから不知火が声を掛ける。
「いや、夕立もわかってくれるさ。それに、」
ゆっくりと振り返り、目を合わせた。
「こっちの方が、今は大事だろうしね」
不知火は一瞬目を合わせたがすぐにうつむいてしまう。それだけでも、かなり勇気のいる行動だったことは想像に難くない。
「場所を変えようか」
「……はい」
「どこか落ち着ける場所はあるかい?」
「それなら、……あそこを」
指差した場所は、いつか時雨と話していた突堤だった。
「分かった。それじゃあ行こうか」
歩き出した自分に、少し遅れて不知火がついてくる。
その距離、約2メートルほど。
「ここ最近は時雨と一緒だったみたいだね」
「……はい」
「時雨はいい子だろう」
「はい、凄い方です」
そっか、と話を終わらせる。
食堂でぶっ倒れたことを考えれば、成長した方だろう。ある意味急激な成長過ぎるかもしれないが。
言葉も少なく、ただ歩く。背後から付いてくる足音はするが、極力抑えられたものだ。
突堤まではさほど遠くない。歩いても10分はかからなかった。
「さて、まぁ座ろうか」
「はい」
そう言ってコンクリートの上にそのまま座り込む。足は海に投げ出して、靴を海面に落とさないよう気を付けながら。
不知火も少し迷って、隣に座った。少し距離は空いていたが、ここまで距離が近づいていることに驚きを覚える。
「話というのは、この前のことかな」
「はい、食堂でのこと、申し訳ありませんでした」
いや、あれは不知火は悪くないし、あえてどちらかが悪いとするなら自分の方だろう。おそらく熱中症の体調の悪さと男が思わず近くにいたから、精神的にあっさりと限界をむかえたのだろう。とはいえ、謝っている相手に『それは違う』とわざわざ言うのもおかしな話だ。
いいえこちらこそ、とだけ返しておく。
「小林憲兵、私は役立たずでした」
不知火から後悔の色と共に言葉が流れ出る。
「この世で一番不幸なんだと思っていました。でも、それは違った。下には下がいて、上には上がいることを知りました」
「……それは不穏だなぁ。話の流れだけだと、あたかも時雨がその『下』にいたように聞こえるんだけど」
「いえ、時雨ではありません」
一体どういうことだろうか。
「ですが、この話は時雨から聞きました。私はまだ恵まれている方でした」
「いや、いやいや待ってくれ。その考え方は危ういぞ」
自分より下がいるから自分はまだどん底じゃない、だから頑張らなくてはならない。それは危険な考え方だ。他者と比較して自分がどうかではなく、自分がどう感じているかが重要なのだ。相対評価を根拠にした考え方はいらない。絶対評価が大事なんだ。
「……言いたいことは分かります。ですが、私には今はこれでいいのです」
「……なんで、と聞いていいかな」
不知火はこちらをちらりと見て、すぐに視線を海に戻した。
「まだ私には自信が足りない。そこまでの評価を自分に与えてやることができない。私の価値はまだ最低ラインなんです」
これに言い返そうと思えば、万の言葉で言い返せそうだった。
そんなことないよ、君は頑張っているじゃないか、君の価値は海の上だけで決まるものじゃない。
――なんて。
そんな言葉こそ薄っぺらい言葉になりそうで、口に出すのが怖かった。
「私は前の鎮守府では、ただの在庫でした。倉庫の奥にひっそりと忘れ去られて、思い出した時に『そういえばこんなのもあったな』と2秒で捨てられる程度のモノでした。それが、偶然ちょうどいい感じの中古屋さんがあって、捨てるのも面倒だからとそのまま流して引き取られた。回収料金もかからず万々歳。そんなものでしょう」
「……さすがに言い過ぎでは?」
「事実です」
そう言われてしまえば、もう何も言えない。言ったところで今の自分では空虚なものにしかならない。
それがなんとももどかしかった。
「それでも私は役に立ちたかった。弾除けでもいい。何か私に出来ることはないかと頭を絞ったこともあります。でも、全て無駄でした」
不知火は海に向けていた視線を、空へ向けた。
「それはきっと、何をしてもどうにもならない、雲をつかむような日々。それがいつ終わるのか、そもそも終わるのか分からない日々。……ですが、私には分かりませんでした」
空はこんなに青いのに、暗雲が立ち込めているような錯覚に陥る。
「分かるわけないんですよね。――だって私は艦娘だから」
不意に、目に力が宿る。突然のことに動揺している自分がいた。
「私は、結局どこまで行っても駆逐艦不知火なんです。陽炎型駆逐艦2番艦不知火。1937年8月に浦賀船渠で起工し、1939年12月に竣工し、1944年10月に轟沈。……早霜には申し訳ないと思っています」
確か、不知火の最期を見届けたのは早霜だったか。
「私はそれでもこの国の軍艦で、人に使われて価値が見いだされるものなんですよ。そうでないなら価値はない。その程度の自我しか持たない私に、足がかりをくれたのが時雨です」
「時雨から何を聞いたんだ?」
「……」
少し、考えるようなそぶりがあった。
この先を聞いていいのか自分では判断できない。判断できるのは、聞いた本人だけだ。
「先程私は役立たずだと言いました」
「ん、そうだね」
「これも先ほど言いましたが、弾除けにさえなれませんでした」
ドロップ艦などを隊に組み込み、主戦力の被弾率を下げる攻略の仕方がある。
つまり、錬度の低い駆逐艦を出撃させ敵の奥まで潜り込んでからほぼ無傷の主戦力で敵本体を叩く、というやり方だ。
「……そうだね。まぁでも、矢面に立たされなくてよかったよ」
「時雨は、その矢面に立たされたことのある艦娘だそうです」
呼吸が死んだかのようだった。
「これ以上は私の口からは言えませんが、時雨から聞いたことは確かに私の中の篝火に火を灯しました」
矢面に立たされた時雨が、どうして生き残っているのか。色々なことが考えられるが……、幸運艦という意味なのであれば、逆に死神と呼ばれることもあったろう。
そう言う意味で幸運艦は、ある意味不幸でもある。沈む船を全て見送る立場になるからだ。しかも、周りの幸運を吸い取っているとか、幸運であるがゆえに相対的に回りが不幸を感じてしまったりする。自分本位な考え方だが、この世界ではそういうこともあるのだろう。特に、周りの提督という存在を見ていればなおさらだ。
「今はまだ、これでいい。きっとここからの自信は、小林憲兵から教えてもらえると、そう言っていました」
「……それも時雨から?」
「はい」
「……なるほど」
最後の最後に自分に投げてきたなアイツ。
「まぁ、……そっか」
そんな間の抜けた言葉が口から洩れた。
ふと目に映った不知火の少し笑った横顔は、とても美しかった。
◇◆◇◆◇◆◇
私は、時雨と話した時のことを思い出していた。
「艦娘として生まれて、こうしてここへ送られて、悔しくないの? 見返してやろうとか、思わない?」
奇しくも、それは以前同じ場所で言われたことと全く同じ言葉。何も感じなかったはずの言葉が今、言われた瞬間、目の前が真っ赤になったようだった。
「悔しくないわけないじゃないですか! 不知火は軍艦で、敵を屠るための船で、それが唯一の存在意義なのに、それなのに何をしても誰の力にもなれない、こんな、こんなことが悔しくないわけありません! もっと、もっと不知火は人に役に立ちたい! じゃないと、この、この辺がきゅってなって、頭もぐちゃぐちゃになって、どうしていいか分からなくなるんです!」
子供のように喚き散らす。
そんな私の頭を、時雨は優しく撫でた。
「そうだよね。どうしたって、僕たちそうなんだ」
「なんで、なんで不知火は、こんななんですか……、もっと、もっと不知火を……」
時雨は少し考えて、こう切り出した。
「少し、僕たちの話をしようか」
――そうして聞かされた話は、いや、思い出すのも憚られる。
だが、それでも心に灯るものがあった。
「きっと、不知火はこの話を足掛かりに、ある程度までは歩いていけるだろうさ。でもどこかで躓くだろう。そこでまた歩き出せるかは君次第だし、あの男の人にでも相談してみるといいさ」
「あの男……というと、小林憲兵ですか?」
「うん。憲兵さんはどうも頭のおかしい人でね。僕らにとってはそれが心地よかったりするのさ」
「……分かりません」
「そうだろうね。だから、やっぱり言葉を交わしてみないと分からないことっていっぱいあるんだよ。口に出さないと伝わらないことだって、きっとそれがほとんどだ。別に僕らは超能力者じゃないから、言葉にしなくても察することができることなんて、ごく僅かでしかない」
だから、と時雨は続けた。
「一度、彼と話してみなよ。駄目だったらまた僕のところへ来たらいい。そしたら僕が憲兵さんをぶん殴って、再挑戦だ」
そんな酷い物言いに、目を丸くする。
だが、挑戦する後ろで誰かが見守ってくれているというのがこんなにも心強いものだとは思ってもみなかった。私は今、小林憲兵に話しかけてみてもいいかな、と思っている。今までの私からしたら異常な思考だ。
だがそれを、別に悪くないかな、とも思っている。
「ま、当たって砕けろ、だね。砕けてしまったら仕方ない、また立ち直れるよう手伝うよ。……いや、そうじゃないな」
時雨は少し迷ってから、こう口にした。
「きっと、力になるよ」
だから頑張って。
そう言われた気がした。
――そんな記憶を辿っていると、横に座っていた小林憲兵がこちらを向いた。
「正直自分がそこまで不知火に自信をあげられるかは分からないけど、努力はしよう。まぁ自分はあまり君らが気にしているようなことは特段気にならないしね」
そういえば時雨が小林憲兵の評価として、頭のおかしい人と言っていた。
「時雨から聞きましたが、美醜感覚がおかしいとのことでしたがそれは事実ですか?」
「……まぁ事実なんだろうねぇ。自分からすれば君たちは酷く美人に見えるから、おかしいというよりはずれてるという表現の方が正解かな」
「なるほど、おかしな人ですね」
「あの、だからずれてると表現してほしいんだけど」
「ふふっ、おかしな人」
「何が面白いんだ……不知火の笑顔初めて見たよ……」
その言葉にはっとする。そういえば、これが生まれて初めての笑みかもしれない。
本当に、この姿で生まれて、初めての笑み。
ああなるほど、これは悪くない感情だ。
「ま、いいけどね。何か困ったことがあればいつでも言ってくれ。きっと、力になろう」
その言葉は時雨から聞いた言葉。
でもきっと、時雨はこの人からの受け売りなのだろう。
「ありがとうございます。私も、何かあれば言ってください。できる限りのお力は貸しましょう」
「おや、それはありがたいね。頼りにしてるよ」
「っ!」
『頼りにしてる』
……それは、きっと私の存在意義だったものだ。それこそが私がここにいる意味。意義。理由。価値。全て、だ。
そして、只人にそう思われることが、どれだけ、どれだけの間待ち焦がれたものであったか、今ここでまざまざと見せつけられた。
そんなの、――嬉しすぎて泣いてしまう。
「ん? おい不知火? え、待って待って待って」
今だけは、泣かせてほしい。
やっと手に入った心地よさに、少しだけ浸っていたい。
◇◆◇◆◇◆◇
不知火が泣き止むまで、しばらく時間を要した。
それが何から湧き出たものかは分からなかったが、そう悪いものではなかったのだろう。泣き止んだ顔を見れば、それくらい分かる。
泣く、という行為は大人になるにつれ難しくなる。だが、涙は流さないといけない。涙にはストレスの成分が混ざっていて、泣くことによってストレス解消になる場合もあるんだとか。
「んん、すみませんでした」
「構わないよ、泣けるときに泣いた方がいい」
まだ少し鼻をすすっているが、とりあえず落ち着いたようだ。
「そういえば立花提督が、こんど演習組んでみようかなって言ってたが、大丈夫そうかい?」
「……ええ、大丈夫でしょう。期待に応えて見せます」
「そうか、楽しみにしているよ」
頼もしい限りである。
「ああ、小林憲兵」
「ん?」
「そういえば気付かれましたでしょうか」
「……何がだい?」
「私、今日はマスクをしていません」
……あ、ほんとだ。
この鎮守府ではみんなマスクをしていないから、不知火がしてないことに気付かなかった。
「すみません、少し試していました。小林提督が本当に私たちの顔を見てなんとも思わないのか」
「ああ、なるほど……でもそれは、マスクは自分を護るための楯だったように思ってたんだけど、大丈夫だったのかい?」
「いえ、全然大丈夫じゃなかったです。最初の方はずっと吐きそうでした」
「だろうね……」
ということは今はもうマシにはなったのだろうか。念のため、出来るだけ不知火の顔を見ないよう努める。
その時、視界の端の鎮守府方向に、人影を発見した。あれは……立花提督か。
「不知火。立花提督がいるぞ」
「え、ああ、そのようですね何をしているのでしょう」
「きっと自分たちが心配になって見に来たとか、そんな感じだろうさ。あの人も艦娘のために身を粉にしている人だ。信用してもいいと思うぞ」
ふむ、と唸る不知火は置いといて、立花提督へ目を向ける。ちょいちょいと手招きすると、少し迷ってから恐る恐る近づいてきた。
「や、やぁ小林さん」
「どうも、立花提督。どうしたんだい?」
「いや、廊下から二人で話してるのが見えてさ。ちょっと気になりましてー…」
すごく気まずそうにしているが、別段何か問題があるわけでもない。
と、不知火が立ち上がり、立花提督に頭を下げた。
「司令、色々とご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
「ん、了解。大丈夫、迷惑じゃないから。……それにしても」
ふとこちらを見る。なんなんだろうか。
「やっぱり、憲兵さんと話してみて良かったでしょ?」
「はい。……なるほど、そういえばあの時岬で会ったのは司令だったのですね」
「それ……今かぁ……今気付いたのかぁ……」
がっくりと項垂れる立花提督。どうやら以前に話したことがあるみたいだ。しかもその時に自分の名前を出していたようだ。なるほど、後で詳しく話を聞こう。
「ま、あとはこれからさ。不知火も、少しここの鎮守府で心を慣らすといい。立花提督はいい人だよ」
「えへへ、照れるなー」
「普段はちょっと抜けてるところもあるけど」
「待って」
「あとわりと面倒くさがり」
「待って待って」
「顔はいいのにちょっと残念美人な感じがあるよね」
「前半部分だけで全部許してしまいそうになる」
そんな自分たちの掛け合いを見ていた不知火が、おかしそうに笑った。
「ふふっ、仲がいいんですね」
「そうだねー!」
「そうかなぁ」
「なんで疑問形!?」
「なんでだろう、一概に立花提督と仲がいいと認めたくないような、不思議な感覚」
「そんな感覚捨ててくれないかなー!?」
慌てている立花提督を見て、なおも笑顔を見せる不知火。
と、ふと思い出したように声を上げた。
「あ、そうでした。もう一度、ここで言っておきたいことがあります」
その声に、自分たちは掛け合いを中断し、不知火を見る。
以前までの、生気が抜けたような、濁った瞳の少女はもういなかった。
――ここからだ。
――ここからもう一度始めよう。
そう言わんばかりに、声高らかに宣言した。
「改めて、陽炎型駆逐艦2番艦、不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです」
どうも。
次話でちょっとだけその後の話をして、不知火編はとりあえず終わりです。
ちなみに不知火のセリフですが、基本形は「ご指導ご鞭撻、よろしくです」です。
ですが以前の扱いが酷かった結果、この鎮守府での最初の挨拶はものすごく硬い挨拶をしています。それがまたこの挨拶に戻れたということは、ある程度気持ちの整理がついたということなのでしょう。
いわゆる神の視点からしか説明できないことなので、この場で蛇足のあとがきとさせていただきました。