大和が寝た。
いや、これといっていかがわしいことは悲しいかな全くなかった。
というのも、釣りから帰ってきて、じゃあ晩飯は自分が作ってやるぜやったね私お刺身大好きー!(意訳)となったはいいが、まずもって自分の居室で作ったものだから大和がガチガチに緊張していた。だって食堂で作ったらまた大人数で押しかけられそうで……自分の分がなくなりそうで……。
というわけで刺身となめろう、それとどうせなので昆布締めを作って、日本酒と一緒に出したのだが、するとどうだろう。大和はおいしいおいしいと繰り返しながら食べて飲んで、緊張もあったのだろうがすぐにぶっ倒れた。チェイサーも挟まずに飲んでたからなぁ。
自分の寝室の隣にあるけど使っていない一室に布団を敷き、そこに寝かせてやった。寝苦しそうだったので仕方なく、本当に仕方なく首元だけ緩めて、一応キラキラが口から溢れてきた時を考慮して横向きに寝かせて回復体位を取らせておいた。
しかしこの居室は何のために2LDKなのだろう。以前は2名体制だったりしたのだろうか。……まぁこうして今便利に使わせてもらってるから、なんの文句もないのだけれど。
「さて、どうしようか……」
ようやく一息ついたころには、もう22時といったところだった。大和に関してはもう面倒なのでそこに寝かせておくとして、自分が同じ空間にいるのがちょっとためらわれる。
であれば、少し行儀は悪いが夜風に当たりながら一杯といこうじゃないか。
日本酒の瓶とお猪口、それと残っていた酒のアテを持ち出して玄関の扉を開ける。
「およ?」
「ん?」
開いた先に、今まさにチャイムを鳴らそうとしている鈴谷がいた。
「あ、ちわっす憲兵さん。おばんです。珍しいカッコしてるねぇ」
「……こんばんは、鈴谷。どうかしたのかい?」
「や、ちょっちオハナシしたいなーって」
「ああ、構わな――、い、んだけど、とりあえず場所を変えようか」
「んー?」
ひょこっ、と鈴谷が首を傾げて開いた扉から中を覗くと、さらりと指通りのよさそうな髪がなびく。むむむ、と唸ってから半目になってこちらを見上げてきた。
「誰かいるの?」
「……なぜそう思う」
「行ったらわりと中に入れてくれるって噂になってるんだよね」
「聞きようによってはとても悪い噂だなそれ」
「誰が中にいるか当ててあげようか」
「……いや、結構だ」
「たぶん大和じゃない?」
なんでバレた。
「いや、昼前から二人で釣りしてたのはみんな知ってるし、そのあと二人とも食堂に来なかったら、……まぁなんとなく」
なんというか、推理にもならない分かりきった事実だった。
「……正解だよ」
「やったぜ。で、中で何してるの?」
鈴谷がニヤニヤしながら聞いて来るので、簡潔に答えた。
「酔って寝てる」
「……ホントに何してるの」
真顔になった。
やむにやまれぬ事情があるのだ。……いや特になかったわ。
「……まぁ、なに? 飲み過ぎたとかそんな感じなの?」
「……そうだな。大和の沽券に関わるからあまり吹聴して欲しくはないが、随分と緊張していたみたいで、ペース配分を間違えたようだ」
「ははぁん、憲兵さんが飲ませたわけじゃないんだよね?」
「どちらかといえば自分は止めてたし、チェイサーも渡してたんだが、……申し訳ない」
うーん、と鈴谷は腕を組み唸っていたが、最終的にさっぱりした顔で「ま、いいか」と呟いた。
「さ、憲兵さん、どこで飲む?」
「どこかいい場所はあるか?」
「んー……、海岸でも行く?」
カモン憲兵さん!と言って走っていく鈴谷を、一瞬ためらうが追いかけることにした。ただし戸締りとグランドシートは忘れないように。
ちなみになぜテントの下に敷くためのグランドシートがあるのかというと、……興味半分で買ったはいいが、使わなかったという残念な代物である。ちなみに肝心のテント本体は買っていない。ただし寝袋はある。マミー型のやつ。
「憲兵さーん、この辺でいい?」
先を走っていた鈴谷が、波打ち際で両手を挙げていた。
「もう少しだけ上に行こう。波が寄せてきたら濡れそうだしな」
「濡れるだなんて……やらしっ」
「頭の中どうなってるんだ……」
適当に場所を選んで、ばさりとグランドシートを敷くと、待ってましたとばかりに鈴谷が靴を脱いで上がり込む。
なんだかこの状況がちょっとおかしく思えて笑えてきた。自分もちょっと酔いが回っているのかもしれない。
「よいしょっと」
さて、と一息つくと、ふと忘れていた夜風と潮騒が心地よく体を包むようだった。この瞬間は鈴谷も静かになって、目を瞑り、耳を澄ませていた。
波の弾ける音と砂の擦れる音。それだけが世界に溢れていた。
「ありがとう鈴谷」
「んー?」
「なるほど、ここはいい場所だ」
鈴谷は一瞬だけきょとんとしたが、すぐににっこりと笑った。
「でしょ?」
いひひと笑う鈴谷可愛い。
「さーて憲兵さん、今日のお酒は?」
「日本酒だね。銘柄はいるかい?」
「わかんないからいいや」
「だと思ったよ」
お猪口に酒を注ぎ、鈴谷に渡そうと手を伸ばしたところで、ぴたりと止まる。
良く考えると、これは大丈夫なんだろうか。
「どしたの?」
「いや、鈴谷。見た目は女子高生くらいなのだけど、酒は飲んでも法律的に問題ないのか?」
「ああそういうこと。それなら大丈夫だよー。犯罪の成立要件における『行為』に該当しないからねー」
……ああ、なるほど。艦娘は人ではないから犯罪ではないと。
少し考えてから思い出した、犯罪の成立要件。
犯罪とは、構成要件に該当する違法で有責な行為であるとされているが、行為というのは行った主体を言うもので、つまりは人の行為であるかどうかが成立要件の一つだ。
要するに、犬に噛まれたから傷害罪なのか、台風でガラスが割れたから器物損壊なのか、といった意味だ。普通は犬や台風に罰を与えることはない。ただし、犬に飼い主がいた場合はその人に過失傷害罪として罰せられたりはするが。
「艦娘だから犯罪にはならないと」
「そゆこと」
まぁお酒に関してはねーと言いながら自分の手からお猪口を摘み上げ、くいっと口に入れた。
そして咳き込んだ。
「……一応日本酒だから度数はそれなりだけど、だとしても普通そうは飲まないからな?」
「ぇほっ、ぇほっ、先に言ってよ……」
「たぶんっていうか確信なんだけど、あまり酒飲んだことないのか」
「提督に禁止されてるからねー」
……おい。法律の方も気になったが、こっちの方が気になるのだけれど。自分に実害が出てくるのでは?
「ふーん、なんだろ。アルコール臭がすごい」
「……まぁ初めてだったらそうなるだろうな。また今度美味しいやつ取り寄せておくよ」
「甘いやつがいな~」
「日本酒で甘いやつ……? そうだなぁ、生原酒とかだったら自然と甘いし微発泡だから美味しいと思うよ」
「微発泡……? 日本酒が……?」
なんでそんな怪訝そうな顔してるんだ。おいしいんだぞ。最近は炭酸日本酒はわりとあるし、売れてるんだぞ。
とはいえ、おそらく鈴谷はお神酒とかの日本酒を想像しているんだろう。わりと日本酒も奥深いもので、ちゃんと成分を見て買わないとアルコール臭が強すぎとか、甘すぎとか辛すぎとか度数高すぎになったりするので、気を付けないといけない。きっと精米歩合とか言われても分からないだろう。
日本酒はだいたい精米歩合が低くて、ラベルに純米という文字が書いてあって、酒度が+3とかのを選んでおけばほぼ間違いがない。あとは慣れたらお好みで変わっていくのだろうけど。
「飲んだことがないならあまり無理するんじゃないぞ」
「んー、でもなんか美味しくなってきた。アルコール臭もそんなに気にならなくなってきたし、ほのかに甘い?」
「おお、それが分かれば美味しく飲めるだろ。ゆっくり味わって飲むといい」
ちょっとわかってくれたのが嬉しくなって笑うと、なぜか鈴谷が再び怪訝な顔で、今度は覗き込んできた。
……なんだね。そんな可愛い顔してもおつまみくらいしか出んぞ。
「憲兵さんって、わりと酒飲みなの?」
「いや、どちらかといえば飲めない方だよ。酒は好きだけれど、分解が追いつかないから量は飲めないって感じだね」
「へぇー」
そう言って、鈴谷はちびちびと舐めるように日本酒を飲み始めた。それを横目に見て、自分のお猪口を取り出して、手酌する。
ん、うまい。
また時期が来たら菊酒をするものではあるが、このままでも当然完成したものなので、大変に美味である。余は満足じゃ。
そして、おつまみにと持ってきたなめろう。なめろうとは、確か千葉発祥の郷土料理だ。鰯や鯵などの青魚と、味噌、そして薬味として葱・茗荷・生姜などを入れて、包丁でまとめて微塵切りにする。
これが日本酒に大変合うのだ。魚料理はだいたい日本酒が合うのだが、これは格別に美味い。ちなみに自分は、魚はちょっと食感が残っているくらいのぶつ切りが好きだ。
「あ、なめろうじゃん。私も食べるー」
「どうぞ」
「そういえば私は生まれが横須賀なんだけど、すぐ隣だねぇ」
……まぁそう言えなくもないか。東京湾渡ればすぐだし、海ほたるを通れば陸路でも近い。
「そういえばさ」
ふと、空気が変わるような感覚がして横を見れば、鈴谷は膝を抱えるようにして、海を見つめていた。
……ふむ。たぶんこれが本題かな。
「最近憲兵さんはあっちこっちで女の子を泣かせてるみたいだけど」
「言い方言い方」
真剣に聞いてるんだから、ちょっとギャグ寄りにするのやめてくれません?
「どんな話をしたのかまでは分からないけどさ、きっといい方向に向かってるんだと思う。そこでちょっと私の悩みも聞いてほしいんだけど、どう?」
「どうって言われてもな……。出来るだけ力になってやりたいが、具体的にはどうしてほしいんだい?」
「私の処女を」
「まってまってまって」
……聞き間違いかな?
…………聞き間違いだな。
「だってさー、一応沈む覚悟くらいしてるけど、この体で生まれてきたんだから一回はシてみたいじゃん?」
あ、待たない系女子かお前。
「とはいえこんなナリだし、好いてくれる人なんかいるわけないし、かといって私だって誰でもいいわけないし。……そんなこと言ったらたぶん熊野に特製素敵ステッキでぶん殴られそうだし」
鈴谷の貞操観念どうなってんだ。あと熊野の素敵ステッキってなんだ。お嬢だからステッキ持ってんのか? もしかして仕込み杖? マジで素敵じゃんそれ。
「そこで憲兵さんなんだけど、私の容姿を見ても気にしないし、ちゃんと会話してくれるし、性格だって悪くない、そしてこうして触れても嫌がらないでしょ?」
そう言って鈴谷が肩にしなだれかかってくる。今まで気付かなかったが、ふわりと石鹸の香りがした。
肩に置かれた掌から、鈴谷の体温が伝わってくる。
「ね、憲兵さん。イイコト、しよ?」
早まる心音を宥め賺して、鈴谷を見ようとして、……やめた。
心の中で深く、とても深く息を吐く。さっきまでのちょっと楽しい感情が一瞬にして冷えていくのを幻視した。
ええ……嘘やろお前……。このちょっとうきうきした気持ちの置き場に困る。
迷う。言っていいのか悪いのか。
あまり突っ込まずになあなあで笑わせて終わる方がいいのか。それとも……。
と、ここまで考えて、それも今さらかと思い直る。初日からやらかしたし、夕立の件でも色々と首を突っ込んでるんだ。それこそ今さら、何を恐がれというんだ。
目は合わさない。
一度だけ深呼吸をした。
「――何がしたいんだお前は」
「え?」
「震えてるじゃないか」
触れてようやく分かった。鈴谷は、今までずっと緊張しっぱなしだった。
だから酒を飲んだ。それを紛らわせるために。
……改めて、今度はちゃんと鈴谷を見る。間近で目が合ったことにビクリと肩を震わせ、その眼に怯えが混ざるのが分かり、なんとも言えない気分になる。
そんな沈みきった気分のまま、自分は鈴谷を咎める一言を放った。
「お前さては――、自分を脅そうとしたね?」
最近ちょっとあべこべものが増えて来てる気がして嬉しい。みんなも是非書いてくれ。