今度こそはっきりとした反応を見せた。
明らかな怯えと共に視線を身体ごと外し、顔を伏せる。
「そんなに自分が単純な男だと思ったかい? これくらいの男なら騙せるとでも?」
「そ、そんなこと!」
「なんてな」
え。
鈴谷から聞こえたのは、息が漏れただけの声だった。
「どこまで本気だったのかまでは分からないけどね」
鈴谷はあっけにとられたまま微動だにしない。
いやまぁ正直惜しいことをしたなぁとは思う。だってかわいいし。だが、やはり100%好意ではないっていうのは、どうしても気が進まない。
きっと自分に対する好意はあるのだろう。ただ、なんとなくそれが純粋なものではないというのは、こうして面と向かって話せば分かってしまう。
となればなぜこういうことをしたのか、ということだが、貞操観念ぶっ壊れてて食えそうな男なら誰でもいいぜ、みたいな感じだったら分かりやすかったのだろう。だが、大和を心配していた様子などを見ていると、どうもそれでは違和感が残る。
となれば残るのは、推理とは呼べないほどの推理だが、おそらく自分をここに繋ぎとめようとしてのことなんだろうというのが一番可能性が高い。そしてそれは、先程のやりとりからも裏付けが取れた。
そこまで買ってくれるというのは嬉しい話だが、対価が己の身体……しかも処女ってのはくっそ重いだろ。確かにそこまでされたら動けないわ。
「自分は今まで、君たちを守るんだという事を言葉や行動で示してきたつもりだったけど、鈴谷はきっとそれでは確信できなかったんだな」
「………」
鈴谷は俯き、その髪に表情は隠れてしまった。
「……ごめんね」
時間をかけて、鈴谷が絞り出した言葉だった。
いろいろな感情を混ぜた、複雑な感情の色。
潮騒は聞こえてくるのに、いつの間にかとても静かな場所にいるかのようだった。
「そこまでして自分をここに引き留めたいと思ってくれたこと自体は、実は結構嬉しいのだけど、どうしてこんな強引な手を使ったんだい?」
そう尋ねると、鈴谷は俯いたままぽつりぽつりと話し出した。
「私ね、以前は別の鎮守府にいたんだけど、使えないからってここに送られたんだ」
これは、ここにおいてはよく聞く話だ。
別の場所で使えないからとここに送られた者、教練という建前の上で来た者、解体処分が決定してから提督が引き取った者。色々な環境で暮らしていた子がいる。
この世界からしても、そう珍しいことではない。よくある悲劇の一つだ。
よくあってしまう、悲劇だ。
「ここに来る時にね、ほとんど連行みたいな形で連れてこられたんだけど、途中の海上で深海棲艦が現れて、いきなりだったから私が出て応戦しようとしたの。でもその場には装備が無くて、何も出来る状態じゃなかった」
深海棲艦は現れるスポットが決まっており、そこから編隊を組んで侵攻してくる。鈴谷が遭遇したのはいわゆるはぐれだろうが、そんな簡単に本島の近海まで来れるとは思えないし、おそらくどこかの鎮守府がサボった可能性が高い。
これはこれでブラックさが滲み出ている。
「するとね、船に乗ってた人が私に戦えって言うんだ。装備がないから戦えないって言っても、なんとかしろの一点張りでね。私の事情なんかほっぽり出して、自分が助かろうとしかしなかった」
なんで護衛がいなかったんだろうと一瞬思ったが、どうも近海においては安全が確保されているとして、ある程度の船の往来は認められていることを思い出した。それらにいちいち護衛を付けていられないのと同じく、きっと輸送だけの船にはそういうものが無かったのだろう。
「私、今でも忘れられないんだ、あの時言われた言葉」
「……なんて言われたんだ?」
「今まで我々に生かせてもらった恩を返せ」
……。
言葉が出なかった。
「その時は別の艦娘が来てあっという間に勝ったんだけど、どうしてもあの時のことが忘れられなくて、人間不信になって、ここに来てからもずっと海には出なかった」
「……確かに、そういえば中ではよく見かけるが、海に出ているとことかは見たことが無いな」
「でしょー」
鈴谷は少しだけ顔を覗かせ、笑った。
「でも私が体験したことなんてありふれた悲劇で、それより酷いことになってた子も何人だっている。最低な事を言うと、それが私の慰めになってたんだと思う」
きっと、自分は鈴谷を責められない。
心が壊れないようにするための、必要なものだったのだろうから。
「でもね、憲兵さんがやってきて、みんながちゃんと笑顔が出せるようになってきた。きっとそれはとてもいいこと。……でも、私が最初に憲兵さんに抱いた感情は、嫌悪だったね」
……面と向かって言われると心にくるものがあるな。
「ほんと、最初は憎くて憎くて仕方なかったんだよね」
しかもきちんと丁寧に追い打ちしてくるあたり、重巡の粘り強さが窺い知れる。
「んで、結局自分の慰めが無くなったことに対するものだったんだろうけど、そんなの当然憲兵さんからしたら濡れ衣でしかないよね。でも思ったんだ、じゃあ逆にいなくなったらどうなるんだろうって。……たぶん鎮守府が壊れるんじゃないかな?」
「そんなこと……あるのか?」
「たぶんだけどね。結構みんなの心の奥まで潜り込んでることは自覚した方がいいよー」
そう言われては、なんとも言い難い居心地の悪さを感じてしまう。
なんとなくその場から逃げたい気持ちになったが、それを咎めるかのように、目に差す月明かりが一層輝いているような気がした。
「……それで、鈴谷は自分をここに繋ぎとめる錨になろうとしたと」
「うん。私はここが好きなんだ。だから、ここを守りたい。その手段の一つとして、私の身体くらい、いくらでも差し出せる」
「あほめ」
あぁん?と鈴谷が睨め上げてくる。
逆にこちらから睨みつけると、ビクリとして気まずそうな顔になった。
「その覚悟だけは評価しよう。だが、方法がまるで駄目だ」
「……だって、その方法しか思いつかなかったんだもん」
「たとえば立花提督に言ってみな。えぐい方法で逃げられなくすると思うよ」
「え、そう……?」
「やるとなったら、みんなでクーデター起こして鎮守府どころか日本解体するぞって上に脅しを掛けそうな気がする。ただ、もっと婉曲で丁寧な言い方だろうけど」
ええ……、と鈴谷がドン引きしているが、立花提督はなんとなくそんな系統のことをしでかしそうな雰囲気がある。普段はおとなしいが、あの人もあの人で溜まった鬱憤は計り知れないはずだ。
ちなみに、一番苛烈な方法を取るのは夕立じゃないかと思ってる。
「まぁそれは大袈裟にしても、やろうとすれば他にもありとあらゆる方法があるわけで、それに一番大事なことを忘れている」
「一番大事なこと?」
「そうだ。そもそも自分はどこかに行く気がないってことだ。それが命令であれば難しいかもしれないが……」
たぶん命令が下されても、どうにかしてここに残りたいって思うんじゃないかな。
自分はもうここの住人達を好ましく思っているから。
「憲兵さん」
「ん?」
「ここからいなくならないでね」
「ああ」
「きっといなくなったら、みんな前以上に心を閉ざしちゃう」
少し笑ってしまう。
それはほとんど脅しじゃないか。でも、そこまで思われていることが嬉しいと思う感情の方が上回っている。
鈴谷は、まだちゃんと自分の立ち位置というのが理解できていないのだろう。きっとまだ一人で……独りで生きていると勘違いしている。
「結局な、鈴谷。足りなかったのは、相談っていう簡単なことだけなんだよ」
報告連絡相談。
上司部下の関係で生きている以上必要とされるものだが、それ以上に横の繋がりでも当然大切なことだ。
「鈴谷にとって大切な人はいるかい?」
「……うん、いる。提督さんもそうだし、ここにいるみんなが大切」
「だろうね。だからこそこんな話になっているんだろうけど、その人たちに自分の不安な気持ちや、それこそ自分に対する憎しみとか、相談したことはあるかい?」
「どうだろ……たぶん、ないかな……」
鈴谷は海を眺めていた。
その瞳は、ここではない遥か遠くを見ている気がした。
「人は……艦娘もそうだけれど、意思を伝える方法は口しかないんだ。超能力が使えたら、概念をそのまま相手に伝えることも出来たかもしれないけれど、今のところそれは神様に許されていない。なんで私の苦しみに気付いてくれないんだ、と言う人もいるけれど、当たり前なんだよね。隠してるから気付かれないんだ」
「……やっぱり憲兵さん嫌いだ」
「はっはっは。厳しいことを言っていると自覚はしているよ」
ぶすっとした顔でこちらを睨みつけてくるが、先程までの剣呑な空気は少し薄れているような気がした。
「その自覚はしているが、やはり君は誰かに相談をすべきだ。溜まりに溜まってあとで手が付けられないほど爆発するタイプだよ、君は。まぁそれが今なのだけど」
「うっさい」
あまり言うと、本格的に嫌われかねないなぁ。説教臭くなってしまうのもマイナスポイントだ。
しかしまぁ説教と言えば、引き出しは多い。
「他人を信じることが怖いか?」
「うっさい」
「他人に自分を曝け出すことが怖いか?」
「だからうっさい」
「はっはっは」
「だからうっさいわぼけぇ!!」
「うごっふ」
昔見たアニメか何かのセリフを適当に言ってみたら案外ぶっ刺さったようで、鈴谷がいきなり頭突きをかましてきた。
あまりの突然の出来事に、何も対応できずに顎に決まってそのまま後ろにぶっ倒れる。
そしてびっくりするほど痛い。
なんでさ。
「あー……」
後ろにぶっ倒れて星天を仰ぐ。
鈴谷に降っていた雨は晴れただろうか。
まったく。自分にこういうのは向いてないんだって。ていうかそもそもみんな何がしか溜め込みすぎなんだって。もっと吐き出していこうよ。
なんてことを考えていたら、結果的に寝転んでいる自分の斜め上から鈴谷が神妙な顔でこちらを見ていた。
「怒ってるよね。ごめんね。もう話しかけないから」
「え、頭突きのこと?」
「は?」
「……」
一瞬、何とも言えない空白が訪れた。
え、頭突きのことじゃ……あ、違うわ。
「冗談だよ。騙そうとしていたこと自体は、さっきも言ったけど正直理由は嬉しかったからなんとも思っていない」
「絶対今の冗談じゃないでしょ」
「どうだろうな」
「案外面白い人だよね」
「……その評価は心外だな」
とはいえ、ちょっとくらい気持ちは持ち直してくれただろうか。
「……私も、頑張ってみようかな」
「……ああ、頑張れ。駄目そうだったら倒れてくるといい」
「後ろにいてくれる?」
「もちろん」
じゃあとりあえず明日提督さんに話してみようかなー、と言いながら、鈴谷は背伸びをしながらシートの上に横になった。ちょうどその横には自分が横になっているわけだから、つまり添い寝のような形になる。
「今日はここで寝よっか」
え、鈴谷マジで言ってんの? 自分居室に帰っていいですかね。あ、大和が寝てるんだったわ。詰んだ。
「あ、憲兵さん。今日のこと内緒にしててね」
「それはそうだろうな。承知しているよ」
そういうと、鈴谷はニコーっと笑って自分の腕に抱き着いた。
思わず硬直する。
が、そんな自分を知ってか知らずか、鈴谷は「あ、そういえば」と言いながら自分の耳に口を寄せ、
「憲兵さん、どこまでが本気か分からないって言っていたけど、抱くことに関しては前向きに考えといてね。気付いてない様なら改めて言うけど、私、もう憲兵さんのこと嫌いじゃないよ。今は逆。……じゃ、お休み」
……寝れるかよ。
◇◆◇◆◇◆◇
その後の話。
ばっしゃーん。
「うわっ!」
「んぁ?」
急に顔に水を掛けられ、眠りから覚醒させられた。
開いた目にはもう星は見えず、代わりに朝日に彩られ紫がかった雲が視界に入った。
朝の早い時間かと頭の隅で認識しつつ何事かと見ると、昨晩より海水の水位が上がっており、満潮になりつつあり、そして普通に波がここまで押し寄せてきたようだ。
「鈴谷、撤収するぞ!」
「んー…? うぁいす」
水を掛けられたのにまだちょっと寝ぼけている鈴谷を叩き起こし、引っ張って少しだけ海から遠ざかる。
そういえば干潮とか満潮とか考えていなかったな。そもそもあの場所で朝まで過ごす予定ではなかったわけだし。
「大丈夫か?」
「……ん? ああ、だいじょばない」
「日本語が大丈夫じゃないな」
「服が……ぬれぬれ……」
「濡れ濡れとかいうんじゃない」
「んー? あ、なるほど。えっち」
ええ……罠じゃんそれ……。
「ああー、髪がギシギシいってる……。お肌もべたべたするぅ」
「お風呂に行ってきな。そんで寝直しなさい」
「憲兵さんも一緒に?」
「なんでだ。自分はもう起きる時間だからそのまま起きてるよ」
まぁ濡れてしまったから、自分も先に風呂に入ろう。ただしもちろん自分の居室でだが。
「入渠施設に行ったら広いお風呂に入れるよ?」
「常識的に考えてね」
「常識なんて18歳の頃までに付けた偏見の別名でしょ」
「なんで急にそんな難しいこと言い出したんだよ」
でもまぁ確かにその通りではあるんだけれど。
「とにかく、この濡れ鼠状態で話すことじゃないな。帰るか」
「そだねー。んじゃ憲兵さんまたねー」
「ああ、またな」
最後はあっさりと。
昨晩いろいろと話してはいたが、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔をしていた。これならとりあえず一旦は大丈夫かな。これ以上何か抱えていないといいんだけど。
ま、抱えていたら抱えていたで、出来るだけ力になろう。それで、一緒に乗り越えられたらそれが一番いい。艦娘たちが自分の意思で自分の人生を歩むことが出来たらそれが最上だ。……そのためにはまず深海棲艦を駆逐して、平和な世の中にしないといけないのだけど。
「さて、風呂入るか」
ま、たまにはこんな日もいいだろう。
そんなことを考えながら、鈴谷が見えなくなったことを確認して、歩き出した。
ちなみにその後、シャワーを浴びている最中に大和が目覚め一悶着あったが、それはそれで、また別の話。
鈴谷とのなんでもない話でした。
次回の目標は「シリアスじゃない」です。