私はまだ小林憲兵を信じたわけではない。
信じたいという気持ちはあるが、まだ否定される恐怖を越えられずにいる。
「なぁ金剛といったかな」
「ハイ、なんでショウ?」
食堂で、なんとか青葉の猛攻を凌ぎ切った憲兵さんが、話しかけてきた。
「ここはやっぱり金曜日はカレーなのかな?」
「Yes、そうデスネ。メニューの一つに入りマス。だいたいその日はみんながカレーにするのデスが、調子が悪い娘は違うメニューにすることもありマース」
なるほどねぇと頷く。
少し瑞鶴とも話したが、飛び切りかっこいいというわけではないようだ。しかし、そもそもこちらを拒否せずに話しかけてくれる人が珍しいし、艦娘に対しこんな普通の対応をしてくれる人も珍しい。というか、わが鎮守府の提督以外に見たことがない。
であるなら、なるほど、これは違う意味でかっこいいのかもしれない。
「憲兵さーん! どっちが早く食べ終わるか勝負しよー!」
「すまない島風……自分は早く食べると調子が悪くなってしまうんだ」
「え、そうなの? じゃあ島風が食べるとこ見てて!」
嘘か本当か分からないようなことを言いながら、猛スピードで食べる島風を憲兵さんはニコニコしながら眺めている。
それはどちらかといえば父親の様な顔をしていた。若しくは孫を見るような。
「ねー、金剛」
「oh、センダイ、どうしマシタ?」
後ろから話しかけられて見やると、川内がこちらの肩を叩いていた。
普段はあまり話すような仲ではないのだが、やはり憲兵さんが気になるようだった。
「金剛的にはどうなの? 小林憲兵って信用できる?」
「……正直マダ分からないデース。ただ、どうやらワタシ達の常識は、あまり通用しないみたいネ」
「いやま、そうなんだろうね。私たちにあんな態度取る人なんて、珍しいってレベルじゃないからね。最初提督にマスクは外していいよって言われてびっくりしたもん」
そうなのだ。憲兵さんが最初食堂に入る前に、提督からある程度の説明を聞いていた。その際、通例通りマスクをしていたのだがマスクを外すように指示を受けたのだ。
びっくりした。
もしそんなことをすればせっかく着任した憲兵さんが辞めてしまわないかと思ったのだ。そもそも提督の補佐に近い事をすると聞かされてからのマスクの話だったので、おそらく皆がそう思っただろう。
しかしその考えは改めざるを得なかった。
私達の顔を見ても嫌な顔をせず、あまつさえ自然な笑顔を向けて来てくれたのだ。
提督の判断は間違いではなかったのだ。というか、今考えると食堂で顔合わせ、というのはかなり仕組まれた事なのかもしれない。
だって、食堂は食事をするところだ。食事は経口摂取するものだ。つまり、マスクを外さないと食べれない。
どちらにせよそれは成されることだったのだ。
……わが提督ながら、恐ろしい。
「金剛ちゃんからなんか尊敬の目を向けられている気がするんだけど、なんでだろう……」
「どうせまた変に勘違いして提督すげーってなってるんでしょ。さっさと食べて仕事するわよクソ提督」
「次それ言ったらラブリーマイエンジェルぼのたんっていう愛称を全力で広めます」
「すいませんでした」
何か提督と曙が話しているが、小さい声過ぎて何を言っているか分からない。
ところで憲兵さんは、と見ると、
「憲兵さーん、北上様は食べ終わりましたよー」
「ああ、そうか」
「そうかじゃないよー遊んでよー」
「北上はこの後何か仕事とかないのか?」
「ないよー」
「嘘言いなさい。私と一緒に演習よ」
北上と瑞鶴と遊んでいた。
「まぁ私はどっちでもいいし、暇だったら絡んでみるよ」
「OK、ほどほどにしてあげてネー」
それは確約できないかなー、といいながら川内は離れていった。でも、憲兵さんが川内におちょくられている光景があまり目に浮かばない。
これは面白くなりそうだ。
と、それと入れ替わるように天龍と龍田がやってきた。駆逐艦を率いる遠征の旗艦を務めることが多い二人だから、今後のことを考えてのことだろうか。
「なぁ、憲兵さんよ」
「ん? ああ、初めまして」
「オレの名は天龍。フフフ、怖いか?」
「え、ああ、そうだな?」
物凄いあっけにとられているけど、普通の人はそもそも容姿が恐ろしいと感じるはずだから。正直そもそも艦娘が揃うこの場が、なかなかのホラーハウスだから。たぶんその辺の自覚がないんだろうなぁと思う。
「初めまして、龍田だよ。天龍ちゃんが迷惑かけてないかなあ~?」
「初めまして。大丈夫だよ。元気なようで何よりだ」
その言葉に、きょとんとする天龍と龍田。まぁ普通に挨拶出来ること自体が稀だから、そういう反応にはなるだろう。
「先程と同じになるが、小林憲兵中尉だ。今後ともよろしく頼む。それで、何か聞きたい事でもあったかい?」
「……いや特にはねぇが、顔見せだな。オレたちは基本的に水雷戦隊を率いて遠征が主な仕事だ。だからあんまり顔を合わせることがないだろうから、やっておこうと思ってな」
「いや、これは丁寧にありがとう」
そう言った憲兵を、天龍が興味深そうに監察していた。
「なぁ憲兵、結構体鍛えてるよな」
「ん、まぁそうだな。それなりには鍛えている」
「今度オレと訓練してみないか」
その言葉に慌てたのは龍田だった。
「ちょっと天龍ちゃん、それはやめておいた方がいいわよ? 憲兵さんは本職だし、私たちは艤装がなければ力は普通の人と変わらないんだから」
「だからじゃねぇか」
ふん、と天龍は龍田に向き直った。
「力が弱いから力を手に入れようとするのは間違いじゃない。それに、オレには守ってやらなきゃならんガキどもがいるしな。いざって時に艤装がないからダメでした、なんて言い訳は言いたくない」
確かにその通りだ。その言葉に心打たれたものは少なくないだろう。
天龍と龍田は確かに遠征組だ。しかし決して弱いから前線にいないわけではない。遠征というのはそもそも速度があり燃費の少ない駆逐艦が起用されることがほとんどだ。その駆逐艦たちは、だいたいが小学生くらいの姿をしている。
その駆逐艦を守れるだけの力量がそもそも前提でないと、遠征の旗艦は任せられない。
「なるほど、いい覚悟だ。自分が習ったものの中に護身術も含まれている。今度時間があるときにでも一緒に訓練しようか」
「ホントか!? いやぁ話の分かる憲兵でよかったぜ! よろしくな!」
「憲兵さんごめんね~。天龍ちゃん思い立ったら行動しないと気が済まないから」
「ははは、いや構わないよ。自分も自主トレはタイミングを見つけてするつもりだったしな」
絶対だからな!と嬉しそうにしながら天龍は戻って行き、龍田は憲兵さんに会釈してから天龍に続いた。
遠征による資材の確保は、鎮守府が機能するにあたって大前提のものだ。unsung heroes……縁の下の力持ちとは全くもってその通りだろう。
さて、と憲兵さんは北上に振り向いた。
「北上、すまないが自分はこのあと夕立に鎮守府内を案内してもらう予定なんだ」
「あ、そうなんだ。夕立、ねぇ。あの子は嫌いじゃないけど……ちょっとウザいかなぁ……」
北上がそう言うのは、わりと珍しい。いつも中間に立っていて、広い視野で物事を見ることが出来るのが北上という少女だ。この鎮守府の古株であることは皆が知っているが、その慧眼には時折鋭いものが潜んでいる。
そんな彼女がウザいというのは、夕立という少女が問題を抱えているからであって、それをウザいと表現したのだろう。
「ほう、なるほど。ありがとう北上、よく話してみるよ」
「え、うん……え、意味分かったの?」
「いや、なんのことだか分からないけどね。でも何かあるんだろう?」
「それは……そう、まあ、そうねぇ……」
北上が言い渋るのも無理はない。
「嫌だねぇ、心を見透かされてるみたいでさ」
「別に自分はエスパーでも何でもないさ。偶然だよ」
もし私たちがエスパーで、そんな簡単に人の心が読めたなら、私たちは苦労しないだろうか。いや、むしろ常に悪意にさらされるのだから、今よりつらいこともあるかもしれない。
つらいのは嫌だなぁ。
「なぁ金剛」
「ン、なんデース?」
急に話しかけられ、かろうじて体裁を整えて返事をする。
「自分でもある程度確認はして来たんだが、少し意見が聞きたい。この鎮守府において、もし侵入されるのであれば、どこが一番危険だと思う?」
「……なぜワタシに?」
「いや、この中だと金剛が一番適任じゃないかと思ってね」
あえて名前を付けるなら、やはりこれは嬉しいという感情なのだろうと思う。
「Thank youね。でも、ちゃんとしたことが聞きたいならアカギやセンダイに聞いた方がいいと思うヨ」
「なるほどね、後で聞いておこう。それで、金剛はどうなんだい?」
それでもなお自分に聞いてくる憲兵さんに少し笑みが漏れる。わりと自分の意見は曲げない性格のようだ。
「おい、なにか自分は笑われるようなことをしたか?」
「気に障ったのならsorryね。そういう意味じゃないデース」
「なんなんだ一体……」
少し不貞腐れるように言う憲兵さんに、笑みが深くなる。
「憲兵さんは変な人だからねー」
「おい瑞鶴。変な人呼ばわりはやめてくれ。自分が憲兵に捕まってしまうじゃないか」
「それはあまりに喜劇だねぇ」
「立花提督も乗らないで。自分にとっては悲劇になっているから」
いじられる憲兵さんが可愛そうになってきたので、自分が考える鎮守府の脆弱なところを考えながら上げていった。
それに対し、ふんふんと頷きながら、中空を見つめていた。おそらくは自分の頭の中の地図に照らし合わせて聞いているのだろう。
つまりそれは私の言葉をちゃんと聞いてくれているということで、それはとても嬉しいなと思った。
少し憲兵さんのことが分かったような気がした。
この人は、少し口調が厳しい印象があったが、中身はそうでもないようだ。普通にいじられるし、普通に会話もする。聞きたいことがあれば聞くし、尋ねられれば答えるのだろう。
こんな、――こんな兵器相手にも。
憲兵さんはいい人だ。でも忘れてはいけない。私たちは兵器だ。
考えることのできる兵器であることを忘れてはいけない。
話し終えた私に、憲兵さんはなるほどと呟き、ありがとう、と言ってくれた。
……信じては駄目だ。また、裏切られたら、つらいから。