「ふぅむ」
と、不意に憲兵さんが変な声を出した。
それはどうやら自分にしか聞き取れなったらしく、いつの間にやら憲兵さんが自分のことを見つめていた。
それがどうも恥ずかしく、居心地が悪くて俯いてしまう。
「すまない、少しお手洗いを借りたいんだが……金剛、良ければ案内してくれないか?」
「え、ワ、ワタシが?」
「ああ」
周りを見渡すも、特に憲兵さんの行動に疑問を持っている者はいなかった。初めてここに来る人にお手洗いを案内するだけなのだから、なにもおかしいことは無いのだ。
それでも、なにか嫌な予感がするが、私はこう答えるしかない。
「OK、Follow meネ」
そう言って憲兵さんを連れ立って食堂を出た。
火を使う食堂よりは幾分マシな廊下ではあったが、それでもなお気温と湿気は体にまとわりつき、異質な不快感があった。
また、時期が時期だけに蝉の声がうるさいくらいに降ってくる。音の波に吞まれる様だ。
お手洗い自体は遠くない。食堂を右に出て、最初の曲がり角を左へ曲がればすぐだ。たぶん1分もかからず到着する。
しかし、予感というものは当たるものだ。お手洗いに着く直前、憲兵さんは立ち止まった。
「なぁ金剛」
「Yes?」
「ここは蒸し暑い場所だな」
「そうデスネ。南寄りの鎮守府デスし、これはどこも一緒デスが、海風とはそういうものデース」
なるほどその通りだとご納得して頂けたご様子。
「なぁ金剛」
「Yes?」
「普段はどこで寝てるんだ?」
「艦娘専用の宿舎が別棟にありマース。そこで姉妹艦であったり、1人部屋であったり、混合部屋だったりデスネ」
なるほどなるほどとこれもご理解いただけたご様子。
「なぁ金剛」
「Yes?」
「最初は瑞鶴だったんだ」
なんの脈絡もなく憲兵さんは話し出す。
これに関しては何のことか全くわからなかった。
「その次は島風、そして夕立。さっきの赤城ときて、とどめに金剛だ」
「なんのことデス?」
「なぜ、」
その時、蝉の声がピタリと止まった。
「なぜ、――時折そんな悲しい目をするんだ?」
――、呼吸が止まる。
音のない世界に、私と憲兵さんだけがいた。
「原因は分かる。世間の評価からくるものだろう。だが、見ているとどうやらそれでは説明がつかないような気がしたんだ。というか自分の理解度では不十分、かな。本当は信頼関係ができれば自然と分かるものなのかもしれないが、なにかとんでもない誤謬を生みそうでね」
何も言えない。
「何も言わないのならそれでもいい。それはそれで答えだからな。艦娘が世間からどんな目で見られているかを考えたら、気付いていたはずのものなんだ。だから、ある程度の予想は出来てる。金剛にお願いしたいのは答え合わせなんだ」
何も――
「つまり、世間一般において君たち艦娘の扱いは、――兵器でしかないのか」
息をのんだ。
……なんとなく、この憲兵さんは世間知らずなのではないかと思っていた。艦娘に対する理解や、態度があまりにも普通と違っていたから。
だから、正直言いたくなかった。そういう偏見でもって私たちを見られたくなかったから。
心を落ち着かせるように、細く息を吐く。
「……Yes、私たちは使い捨ての兵器デス。デスガ、成長する兵器でもありマス。ある程度は長く使われマスが、壊れたら直すより新しいものを使いたい人が少なくないデス」
それは、壊れたら新しいものを買う感覚と同じだろうか。しかも、支払いはお金ではなく、大本営から支給されたり遠征で獲得する資材である。新しい艦娘を建造するために必要な資材の最低値は30×4。1万2万保有はあたりまえの世界で、低コストで排出されるのはちいさい駆逐艦がやっとだが、それはつまり替えの利く使い捨ての兵器だということ。
「ワタシたちを同じ人間として扱ってくれる人もいマス。テートクがそうデスネ。でも、そんなに多くいるわけではありまセン」
基本構造がそうなのだから、もうどうしようもないのだ。私たちは艤装をつけていないと弱い存在だ。しかし、艤装をつけると深海棲艦にも負けないくらい強くなる代わりに、提督の命令に基本的に背けなくなる。
以前どこかの鎮守府が提督に対し反旗を翻したことがあると聞いたことがある。
結果、当然のように失敗した。提督とはいえ、軍人だ。かなりの訓練を積んでいるし、身体も鍛えぬいている。また、艦娘は艤装が無ければただの人だ。いくら人数がいたところで難しいのに変わりはない。それに、どうやら兆候があったらしく、そこの提督も準備をしていたという話だ。
「それに対して、みな、何か思うところがあるのでショウ。たぶん、それが顔に出てしまったのデス。sorryネ、ケンペイさん。嫌な思いさせてしまいマシタ」
それから少し憲兵さんは黙り込んだ。
時折覗く鋭い眼光が、何かを貫くようで少し怖くなる。
「一つ新しく分かったことがある」
「なんデスカ?」
「きっと、自分は立花提督と仲良くなれそうだってことだ」
行くか、と憲兵さんは結局お手洗いには向かわず、そのまま踵を返し食堂の方へ歩き出してしまった。
呆気に取られたが、すぐに離された距離を埋めるように小走りで追いかける。
いつの間にか、耳には蝉の声が流れ込んできていた。
「本当に下らないな、その考えは」
「え?」
「艦娘が兵器だという考え方だ。兵器が感情を持つわけがないだろう。あれはただの物言わぬ無機物だ」
でも、それでも私たちは兵器だと思う。だって、怪物を屠ることのできるポテンシャルは普通の人間は持ちえないのだから。
「確かに艦娘は兵器じみた力を持つのかもしれない。しかし、感情が、心があるものを自分は兵器と呼びたくはない」
「じゃあなんだというのデスカ」
口調が僅かに鋭さを持った。
憲兵さんが立ち止まり、こちらを見る。
「ワタシたちは人間ではありまセン。でも兵器ではないとアナタは言う。ならば、ワタシたちはなんデスカ! 兵器は感情を持たない? なら、ならワタシたちのこの感情も!! 全て、……全て偽物だとでも……っ!!」
胸が詰まり、それ以上言葉を紡げなかった。
カッとなってまくしたてる私に、憲兵さんは穏やかな顔をしていた。
「艦娘だろう?」
その言葉に、私の目が見開かれるのを感じた。
「君たちは人間でもなく兵器でもなく、ましてや化物なんかじゃ決してない。『艦娘』だ。人の為に戦い、没し、また護国の為に蘇った軍艦たち。そうだろう?」
すっかり虚を突かれ、戸惑いながらも、コクリ、と頷く。
「ならばそれが答えだろう。悩む必要はない。結果は二元論で片付けることなど到底不可能だ。AでないからB、だなんて、前時代的な考え方は捨てた方がいい」
その考え方だと兵器じゃないから人間だとも言えるしな、と憲兵さんは呟いた。
「……ケンペイさん」
「なんだ?」
「ワタシたちは艤装を纏えば人間を優に超えた力を得マス」
「そうだな」
「海に浮くことだってできマス」
「羨ましい限りだ」
「食事とは別に補給をしなければなりません」
「そのようだな」
「それはボーキサイトであったり鋼材であったり、人間では摂取出来ないものばかりデス」
「その通りだ」
「怪我をすれば入渠で直りマス」
「便利だな」
「……たとえ腕がなくなっても元通りでデス」
「人間に実用化したいもんだ」
「……ワタシたちは、人間とはかけ離れていマス」
「その通りだろう」
「……ワタシ、は、」
もういい、と憲兵さんは言った。
頭をくしゃりと撫でられ、手の温かさがじんわりと頭に移る。
「金剛という艦が頑張ったことは、史実を少し調べればすぐにわかる。おそらく今ここに着任している艦の中でも、一番の姉にあたるだろうさ。空母の母と呼ばれる鳳翔よりも、長門やもちろん大和よりも、ずっと就役は早い」
視線を上げる。
憲兵さんの顔があった。
「姉としてみんなを守る立場にいたんだろう? みんな知っているだろうよ、金剛がよく頑張ったこと。そして頑張っていることも。自分は艦娘としての金剛は初めましてだが、艦としてだったらずっと昔から知ってる」
その顔は笑っていた。
「だから心配するな。君たちは温度のない兵器なんかじゃない。そんなに意味はないかもしれないが、自分と、きっと立花提督も保証してくれる」
そうか――
「だからあとは任せておけ。少なくともここは、君たちが胸を張って、『艦娘』であることに誇りをもって歩ける場所にしよう」
ああ、だからこの人は――
「それでも、何か脅かされるようなことがあったら言ってくれ。そこからは間違いなく憲兵としての自分の出番だ」
たぶん、きっと――
「きっと、力になろう」
――私たちの力になってくれるのだろう。
その時私の中で張り詰めていた何かが溶け、両目から溢れ出るのを感じた。