仕事を辞めたらアイドルに迫られた   作:早見 彼方

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楓イベント1

 社会に出て七年が経った。俺は今、アイドルのプロデューサー兼マネージャーをしている。仕事内容は多岐に渡っていて、アイドルの仕事を取ってきたりアイドルのスケジュール管理をしたり、作詞作曲もたまに行ってアイドルに提供したりしている。

 本当はプロデューサーとマネージャーの仕事は別々の人間がそれぞれ担当すべきなのだろうけど、俺が勤める346(みしろ)プロダクションでは両方担当するのが普通だ。芸能界で最大手な企業なのだからプロデューサーとマネージャーを別々で雇えばいいのに、あえて両方の仕事を一人に任せている。若い頃はいろいろな仕事を行って経験を積ませたいという腹積もりらしい。上の立場の人間になれば希望の仕事に専念できるとのことだ。

 俺はまだ上の立場の人間ではないため、毎日が大忙しだ。アイドルが仕事に向かう際には車で送り、仕事場で相手先の人と挨拶を交わし、仕事に臨むアイドルを見守る。その時にはしっかりと仕事の出来を確認し、今後の成長に活かせるように後で助言をする。

「ありがとうございます! 島村(しまむら)卯月(うづき)、プロデューサーさんのために頑張ります!」

 キュートで頑張り屋なアイドル。ハーフアップにしたお嬢様風の長い髪と笑顔が似合う女子高生、島村卯月に笑顔で言われると、俺ももっと頑張ろうと思えてくる。前から笑顔が素敵だと思っていてその笑顔をもっと(ファンに)見せて欲しいと伝えると、何故か卯月の顔が真っ赤になった。

 仕事が終われば車で再びアイドルを別の現場へ。その日に他の仕事がなければ会社へ真っ直ぐ戻る。

「プロデューサー。良かったら、私の家に来ない? 親が一度会ってみたいって」

 別の日。助手席に座る、実家が花屋のクールなアイドル。長い黒髪の涼しげな顔の女子高生である渋谷(しぶや)(りん)はそう言って、俺の体に触れてくる。最近妙にスキンシップが多い気がする。この前水着での撮影仕事で、よく似合っていて(ファンが)惚れ惚れすると褒めちぎった頃からだ。とりあえず、運転中は危ないからやめてほしい。

 社内にいる時はアイドルの次の仕事を獲得、もしくは自分で企画などを行っている。上司や上の役職の人達に承認を得て企画が通ると、その企画を実現させるための会場の確保などの調整に取り掛かる。そういった仕事だけに注力できれば比較的楽なのだけど、そうは言っていられないのが現実。アイドルが仕事に向かう度に、近場でなければ必ず車を出すようにしている。アイドルの護衛も俺の仕事だ。外を出歩いている時にファンに気づかれて、騒ぎになったら大変だ。最近は物騒だからな。

「プロデューサーって過保護だよね。そんなに未央(みお)ちゃんのことが心配なのかな?」

 またまた別の日。現場への行き方をカーナビで検索していると、後部座席に座る少女に首へ抱き着かれた。毛先が外へ軽く跳ねた茶髪ショートヘア。明るく元気なパッション系アイドル、本田(ほんだ)未央(みお)だ。以前、(ファンは)胸が好きだからもっとその大きな胸でアピールしてほしいと助言をしてから大胆になった。何故俺に胸を押し当てるのだろうか。ファンに抱き着こうとしたら止めようと思った。あと、そろそろ出発するからシートベルト締めて。

 仕事が終わるのはいつも夜遅く。未成年のアイドル達はもうとっくに帰宅していて、ここから一人で落ち着いて仕事ができる。最近残業に対して世間は厳しくなっているが、やはり芸能界などで働いている以上は仕方がない部分もある。

 俺だって早く帰りたいと思っている。入社してから最近になってだが、働きすぎなのではないかと思うようになった。今までは、仕事とはそういうものだろうと思って頑張ってきた。

 しかし、歳を重ねるごとに別の思いが浮上した。

 このままでいいのだろうか。まだギリギリ二十代だが、これから先もこうして生きていくのかと。結婚など、したいこともある。でも、出会いもなく恋愛すらままならない現状ではそれも望めないだろう。

 俺は転職を決めていた。昔からの友人に仕事を紹介されている。給料は今ほどではないが、人間関係もよくてワークライフバランスの良い会社だとのことだ。世間では当たり前のことなのだろうが、私生活に時間を割けるのは非常に有難い。

「プロデューサーさん。今から飲みに行きませんか?」

 まだプロダクション内に残っていたクールで神秘的なアイドル。ふんわりとしたショートボブヘアでオッドアイが目立つ綺麗な高垣(たかがき)(かえで)さんに誘われ、俺は頷いた。仕事は残っているが、明日以降に回そう。パソコンを閉じて準備をし、部屋を出た。その際に、「えいっ」と楓さんに腕に抱き着かれる。お酒とダジャレを好むこの元担当アイドルはどうやらもう酔っているらしい。もしかして、お店を梯子するつもりなのか?

 連れていかれた先は、お洒落なバーだった。知る人ぞ知る名店なのか、お客の数は少ない。いつもの、他の大人アイドル達が出没する居酒屋に行くのかと思っていただけに少し意外だった。あの店の、俺達がいつも使用している一画は魔界だ。店主の厚意で店の奥を使われてもらっているが、他の客もいるのだから少し慎ましくしてほしいと思う。

「乾杯」

 カクテルの入ったグラスを軽く触れ合わせ、落ち着いた音楽の流れる少し薄暗い空間でお酒を静かに楽しむ。普段とは違う空気感にどぎまぎしつつも、お酒を口に運ぶうちに体が温まってきた。

「……プロデューサーさんって、好きな人はいるんですか?」

 軽く細められた眼差しで見つめられる。やっぱり酔っているようだ。

 それにしても、好きな人か。言われてみれば、誰かを好きになったことはなかったな。

「いませんよ。仕事ばかりだったので」

 学生時代は男子校で、部活動は陸上部をやっていた。毎日二十キロ近く走っていた頃が懐かしい。今はあのときほど体力はない。移動もエレベーターや車ばかりだし。少し、歩かないと駄目だな。

「……いないんですね。良かった」

 ほっと息をつく楓さん。俺に先を越されていないかと心配だったのだろう。

「楓さんはいるんですか?」

「いません」

 少し食い気味に言われた。あと、どうしてかワクワクとした様子で見つめられた。どうしたのかと首を傾げていると、「鈍感……」という小さな呟きとともにため息を吐かれた。え、俺のせい?

 その後も、日常的な会話に花を咲かせる。特に、恋愛や結婚といった話が多かった。楓さんは自分の将来に危機感を抱いているのだろうか。確かに、アイドルだから恋愛するのもひと苦労だ。ちなみに、アイドル達に恋愛をしてはいけないという会社からのお達しはない。わざわざ言うまでもなく、暗黙のルールとなっているのだろう。

 二人でバーを出て、夜道を歩く。途中で楓さんが「休憩、しましょう」と言ってきたから無理矢理牽引した。両足で地面を踏み締め、その場から動きたがらない子供を引っ張るような親のような形となった。

 楓さんを家まで送り届け、家に連れ込もうとする楓さんを引き剥がして一人帰宅の途に着く。楓さんに限らず、俺の担当アイドル達は俺を家に入れようとしてくる。恋人でもない男に家へ上がってほしくないと思うのが普通だと思っていたけど、そうではないらしい。

 ともあれ、これが俺の日常。この日は飲みに行ったから帰りは更に遅くなったけど、普通に帰っても遅い時間帯だ。趣味もないため、帰って食事をしてお風呂に入って歯を磨いて眠る。温かい布団が俺の癒し。

 そう思っていたプロデューサー時代は、もはや過去の出来事だ。やっぱり拘束時間が厳しいため、俺は別の仕事へと転職することにした。

 俺は、346プロダクションを辞めた。しっかりと上司や部下に引継ぎを済ませ、円満退社。いつも厳しかった人が送迎会で優しくしてくれて、少し嬉しくもあり、悲しくもあった。業界が全体的にブラックなだけで、人間関係はそれなりにホワイトな会社だった。

 アイドル達とも別れを告げ、新しいプロデューサーの下で頑張ってもらうよう伝えた。陰ながら応援している、と。どうして辞めるんですか、と聞かれたが、事情を説明すると納得してくれた。

 もっと食い下がってくるものかと思ったけど、素直で安心した。

「プロデューサーさんが、プロデューサーさんでなくなるんですよね」

「それって、私達にとって都合がよくない?」

「うんうん。やっぱり、アイドルとプロデューサーの関係じゃいろいろと厳しいからね」

「……どういうこと?」

 卯月、凛、未央。担当アイドル三人娘の言っている意味はわからなかったけど、納得してくれたようで助かった。もしも強く引き留められていたらと思うと、辞める決心は多少鈍っていたかもしれない。

 誰からも祝福されて、俺は346プロダクションを去った。

 これからアイドル達との接点はなくなるけど、それなりに楽しい日々が送れるだろう。趣味を見つけたりお嫁さん探しをしたりするのもいいかもしれない。今までできなかったことができることに、俺は期待を抱いた。いろいろと想像が膨らんだ。

「プロデューサーさん。おはようございます」

 でも、こういった出来事は想像していなかった。

 ある日、マンションの高層階にある自宅のベッドで目を覚ました俺を起こしたのは、元担当アイドルの楓さんだった。

 格好は、裸エプロン。胸の谷間やら白い太股やら肩やらが露出していて、非常に目に毒だった。慌てて上体を起こした俺に向かってそんな恰好で迫ってくるものだから、俺は後ずさりしてベッドの隅の壁に追いやられた。

 そうして顔の横の壁を楓さんの両手で塞がれ、にっこりと微笑みかけられる。綺麗なアイドルに裸エプロンで壁ドンをされて迫られる。この状況は男にとっては嬉しいことなのだろうが、素直に喜べない自分がいた。

 額に冷や汗が滲み出る。何だか、肉食動物に捕食される前の草食動物の気分だった。

「私と、結婚を前提にお付き合いしませんか?」

 片手を壁に突いたまま、楓さんはもう片方の手を俺の顎に移す。そのままクイッと顎を上に持ち上げられ、目線が上がる。楓さんの青と緑のオッドアイが動揺する俺の姿を映していた。

 これって、男と女の立場が逆ではなかろうか。

 あまりの異常な出来事に俺は場違いな考えを浮かべた。

 この日から、プロデューサー時代とは違う刺激的な日々が幕を開けた。

「私があなたを幸せにしてみせます。あなたの人生を、私にください」

 やっぱり、男としての立場がなかった。

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