朝から裸エプロンの楓さんに迫られ、告白されるという刺激的な体験をした俺。心臓が未だかつてないほどに大きく鼓動し、頭の中は真っ白になっていた。しかし、告白に対して「はい」と答えそうになった自分の口をどうにか噤むことに成功した。
「か、楓さん……」
「はい、
名前で呼ばれた。しかも、顔を近づけられている。近い、本当に近い。楓さんの吐息やら、体から漂う甘い匂いやらのおかげで邪な感情を抱いてしまう。今、俺の頭の中では天使と悪魔が戦っている。
『あの、楓さんはプロデューサーさんにとっての四つ葉のクローバーだと思います……』
『告白を受けたほうがいいと思いますよ。カワイイボクが言うんだから間違いはありません!』
あれ、戦えていない? むしろ、楓さんをお勧めされた。と言うか、どうして天使と悪魔がアイドルなんだ。後者は悪魔というより、自称小悪魔だし。
「どうしました?」
「え、あ、いや……」
俺に向かって、楓さんはさらに身を寄せてくる。このままだと、本当にまずい。
俺は楓さんの体からすり抜け、ベッドから転がるように降りる。そして、慌てて立ち上がって楓さんに向かって声を掛ける。
「楓さん、酔ってますよね?」
「いいえ。酔っていません」
俺がいなくなったベッドに座って、楓さんは真剣な眼差しを向けてくる。
「私はあなたのことが本当に好きです。ですから告白しました」
ゆっくりと言葉を紡ぐ楓さん。その言葉を聞いて、本当に冗談ではないのだと悟ってしまった。元担当アイドルだった楓さんは、プロデューサーだった俺に好意を寄せている。今まで気がつかなかっただけに、衝撃的だった。
正直なところ、凄く嬉しかった。楓さんと一緒にいると楽しいし、こんな人と結婚できる人は幸せなんだろうなと思っていたからだ。でも、まさかその結婚相手に俺が選ばれるとは思わなかった。
はっきりと告白されてしまった以上は、こちらもはっきりと答えなくてはいけない。
でも、今の俺に難しそうだった。
俺は、楓さんのことをどう思っているのか、自分の中でも曖昧だったからだ。好きだけど、それは人としてなのか。それとも、異性として意識しているのか。今まで恋愛事など無縁の生活を送っていたツケが回ってきた。
「……楓さん」
「はい」
「告白はすごく嬉しいです。ありがとうございます」
「それでは……」
「でも、すぐにお返事をすることはできません。俺に、時間を頂けませんか?」
俺が言うと、楓さんは小さく微笑んだ。
「えぇ、勿論。いつまでも待ちます。ですから、いつかお返事を聞かせてくださいね?」
楓さんはベッドから降りて、俺の前に立つ。また迫られるのかと身構えてしまう俺を他所に、楓さんは寝室の扉を出て行く。その後ろ姿を見ようとして、俺は視線を横に逸らした。
裸エプロンだから、丸見えだった。
俺は俯き、鼻を手で抑える。そんな俺に向かって、楓さんの声が届けられた。
「朝ごはんにしましょう。智弘さん」
「……え?」
扉の方に顔を向けた俺は、扉から顔を覗かせてにこやかに笑う楓さんを目にした。
仕事を辞めて一日目の朝。食卓に座り、のんびりと朝食を食べる。こんなにゆっくりとしたのはいつ以来だろうか。プロデューサー時代は何もなくてもせかせかと動き回っていたように感じる。
本当なら、この朝食は忙しさから解放された俺にとって安らげる時間だったはずだ。
でも、今日は安らぎとは無縁の朝食となりそうだった。
「はい、あーん」
俺の隣の席に座った楓さんが、卵焼きを摘まんだ箸を俺の口元に向けてくる。
さっきからずっとこんな感じだ。事あるごとに、俺へと朝食を食べさせようとしてくる。これで裸エプロンなら陥落しそうだったけど、今はなんとか無理言って私服に着替えてもらっている。
一応、俺の理性は保たれていた。
「楓さん、俺達は恋人の関係ではないので……」
「え、駄目ですか? それじゃあ」
楓さんは箸の代わりに顔を近づけた。
「口移し?」
「もっと駄目ですよね!?」
恋人ではないのに、口移しが許される関係とは何だろうか。
「自分で食べられますから」
俺は箸を動かし、朝食を進める。
今日の朝食は、楓さんが用意してくれた和食だ。柔らかそうな白米とふんわりとした卵焼き。香ばしい匂いを漂わせる焼き魚と、温かなみそ汁。あとは、楓さんの実家がある和歌山県の紀州梅。
どれも美味しかった。楓さんが料理している姿をあまり見たことはなかったけど、ここまで料理が上手だとは思わなかった。民宿の朝食で出されていても、遜色がない見た目に驚いたほどだ。
ちなみに、俺が見た楓さんの料理シーンは、
『しょっちゅう飲むんですよ。
ダジャレの直後に、五十嵐さんの料理の手とお茶の間が凍ったのは覚えている。
でも、そうか。楓さんは料理ができるのか。
『お帰りなさい。夕食の準備はできていますよ?』
仕事から帰ってきた俺を出迎え、手料理を振る舞ってくれる楓さんの姿を幻視する。
何てことだ。さっきの印象が強すぎて楓さんはまたしても裸エプロン姿だった。今も脳内にしっかりと刻み込まれてしまったその姿は、いつか夜のお供にしてしまいそうで怖かった。恋愛経験はないけど、俺も男の子なんだ。仕方ないだろ!
「えいっ」
俺が箸を止めて内心で悶え苦しんでいると、楓さんの指先が俺の頬を突いた。
「朝食を食べてくれないと、超ショック」
「あ、はい……」
何だか、凄く冷静になれた。凄いよね、楓さんの駄洒落。五十嵐さんの料理番組へ出演した二十代アイドルの
どうでもいいけど、キャピキャピって死語だよな。十代アイドルに言っても伝わらなかったことがある。いやでも、通じる人もいたな。JKアイドルの
俺は食事を進めながらくだらないことを考える。
何故って?
「あ、智弘さんって意外と体がしっかりしているんですね?」
楓さんが俺の体を弄り回しているからだ。くだらないことを考えていないと、理性が危うい。腕に抱き着いて胸を押しつけてきたり、肩を抱き寄せて「私の男になっちゃいましょう」とか耳元で囁いてくる。最近、月曜日9時からのドラマで男装の麗人を演じたせいか、一々台詞がイケメンだった。壁ドンとか顎クイも全部そのドラマ『幸子ちゃんがカワイイのが悪い』の影響だろう。そのドラマの主演は
話は脱線したが、何とか食事を終えた俺。残念なことに、緊張で途中から味がしなかった。どうして楓さんの所業を止めなかったのかというと、嬉しかったから。美女に体を触られて喜ばない男子がいるだろうか。いや、いない。
食後は、楓さんとキッチンに並んで洗い物をする。
「二人の共同作業ですね。これが終わったら、今日どうしますか?」
楓さんの駄洒落を軽くスルーする俺。まずい、感染した。
洗い物をしながら、俺はふと疑問に思ったことがある。というか、朝起きてからずっと思っていたけど、衝撃の展開が続いたせいで一時的に吹き飛んでしまっていたのだ。
「あの、楓さん」
「なんですか?」
「俺の家にどうやって入ったんですか?」
俺は昨日、しっかりと家の鍵を閉めたはずだ。マンションだから、窓から侵入ということもできない。それならば、いったいどこから侵入してきたと言うのだろうか。
「合い鍵です」
「没収します」
楓さんが見せつけた鍵を取ろうと手を伸ばしたが、華麗に躱された。
「いったいどうやって手に入れたんですか!」
「名前は言えませんけど、某アイドルの方から頂きました」
「誰!?」
346プロダクションには大勢のアイドルが所属している。俺の家の合い鍵をこっそりと作れそうな人材。うん、複数人いる。これだけの情報では、犯人を割り出すことは難しいだろう。どうなってるんだ、346プロ!
何度か鍵を取ろうと試みるも、楓さんはアイドルとしてステージに立って踊るかのように綺麗に俺の手を避ける。現役アイドルで体力のある楓さんと、最近運動らしい運動をしていない俺とでは勝敗の行方は明白だった。筋トレは定期的に行っているが、やはり普通の筋トレでは体力までは補えない。
「くっ……」
俺は膝を屈した。こんなに早く呼吸が乱れるだなんて、これが衰えか。
「うふふ……」
指先に摘まんだ鍵を弄び、楽しそうに俺を見下ろしてくる楓さん。
「勝手に合い鍵を作ってしまってごめんなさい。これは私にとって必要なんです」
「な、何故……?」
「これがないと、あなたへ積極的にアプローチできませんから」
そう言って笑う楓さん。その表情が美しくて、俺は茫然と楓さんを見つめた。
この心臓の高鳴りは、果たして恋なのだろうか。それとも、綺麗な楓さんを見て緊張感を覚えただけなのだろうか。今の俺にはわからない。でも、いつかは必ず自分の気持ちを把握しなくてはいけない。
そして、その時には楓さんに自分の正しい想いを伝える。
だから、それまで俺と楓さんはただの仕事仲間だ。
「次は本気でいきます」
「負けませんよ?」
俺は楓さんに再度勝負を挑む。何か言いくるめられそうになったけど、やっぱり恋人でもない人が合い鍵を持っているのはおかしい! その一心で、俺は楓さんに向かって飛びかかった。
結局、合い鍵を奪うことはできなかった。
「これはもう、責任を取ってもらうしか……」
代わりに、誤って胸に触ってしまった。柔らかかったです。ごめんなさい。不慮の事故です!