【1】
「セバスよ」
「は」
「一日だけお前と身体を交換したい」
「は?」
セバスは素っ頓狂な声を上げた。ここはアインズの執務室。事務机の向こうで立派な革張りの椅子に腰掛けたアインズは、相も変わらず絶対的支配者としての威厳を放っている。上体を腰から四十五度の角度に保ち最敬礼しているセバスは、聞き間違えたのかと訝しげな上目を遣った。
「そう怪訝そうな顔をするな。『王子と乞食』という話を知っているか」
「いえ、寡聞にして存じ上げません」
「ふむ。マーク・トウェインという作家が書いた児童文学作品だ。双子のように似ている王子と乞食が入れ替わるという筋だが……、これからそれを真似ようというわけだ」
「……申し訳ありません。至高の御方であるアインズ様の深きお考えは、私如きには理解の及ばぬことでして」
「そう畏まるな。簡単なことだ」
アインズは空間に手を伸ばし、道 具 箱から二つの指輪を取り出した。それから、自分の指輪をひとつ外し、先の指輪を代わりに嵌める。対となるもう一つは事務机の上に置き、セバスに取るよう促した。セバスは手巾でそれを摘み、恭しく両手で掲げる。
「それは交換の指輪というものだ。対となる二つの指輪を別々の者が嵌め、両者が同意すれば身体を交換することができる」
「何と、そのような魔法道具が……」
「両者の同意が必要とはいえ、精神作用で操られた者にこの指輪を使えばどうなるか。……わかるな? この魔法道具は秘中の秘。それゆえ、信用の置けるセバス、お前を選んだのだ」
「勿体無きお言葉、恐縮の至りでございます」
主人の言葉を聞き、セバスは感動に打ち震えながら指輪を嵌めた。まあ、セバスなら自分と入れ替わっても無茶なことはしないだろう、とアインズが心の中で呟く。
「それにしても、私めと身体を交換することに何の意味があるのでしょうか?」
「わからぬか? 私はナザリックの絶対なる王。だが、王であるがゆえに皆の忌憚なき言葉を聞くことも、普段の暮らしぶりを見ることもできぬ。これは私がお前たちの素の姿を知るためのもの。また、家 令のお前には主人たる私を理解する一助ともなろう」
「流石はアインズ様。無粋な質問をした私めをお許しください」
アインズは鷹揚に頷くと、椅子から立ち上がってセバスの向かいに立った。
「よいか。この指輪の魔力を発動するには、二人揃って両手を広げ、『チェーンジ!』と叫ぶ必要がある」
「『チェーンジ!』でございますか?」
「そうだ。『チェーンジ!』だ」
骨と爺が両手を広げ、時 宜を計る。
「「チェーンジ!」」
次の瞬間、眩いばかりの光が指輪から溢れ、二人を包み込んだ。視界が戻り、アインズは眼の前に長衣姿の骸骨を認めると、視線を移して自分の手の平をまじまじと見つめた。そこには老人のものとは思えない太く逞しい指がある。
「よし! うまくいったな」
「玉体をお預かりするとは何とも恐れ多いことでございます……」
はしゃぐセバス(アインズ)とは対照的に、アインズ(セバス)は身を縮こまらせた。休暇制度を取り入れたナザリックにおいて、今日のセバスは非番。入れ替わったアインズが気を揉むことは何もない。これで不死者の身ではできなかったあんなことやこんなことができる、とセバス(アインズ)はほくそ笑んだ。
「さて、私は行ってくる。くれぐれも王たる威厳を損なわぬように行動せよ」
「は、身命に代えましても」
※以下、書いている作者も混乱するので、地の文は中の人で記述します。
【2】
アインズがセバスの身体になってまず行ったこと、それは飲食不要の魔法道具を外すことだった。久方ぶりの空腹感を得て、まっしぐらに食堂へ向かう。到着すると、人造人間の女中たちが卓を囲んで談笑しながら食事を摂る中、盆片手に眼につくものを片っ端から取り分ける。空いている席に座り、白パンをちぎって口に運んだ。逸る気持ちを抑えられず、ろくに咀嚼もせず飲み込もうと――
しかし、アインズに電流走る――!
「ううっ…ふわっふわに膨らみやがるっ…! あ、ありがてえっ…涙が出るっ…。犯罪的だ…美味すぎる…。染み込んできやがる…体に…。ぐっ…溶けそうだ…。本当にやりかねない…パン一つのために…革命だって…」
アインズはかつて現実の歴史の授業で学んだフランス革命のことを思い出した。王妃マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という旨の発言をしたとする俗説があり、食糧事情の悪化が革命につながったことを示唆する言葉として引用されていた。今の自分なら、当時の民衆の気持ちがよくわかる。
そんな益体もないことを考えながら、アインズはガツガツと貪るように料理を平らげていく。その姿をルプスレギナとエントマが珍しいものを見るように眺めていた。
「セバス様があんなにがっついてる姿を見るのは初めてっすねー」
「というかぁ、食事を摂っているお姿も初めて見るのですぅ」
ルプスレギナが何かの大腿骨をしゃぶり、エントマが何かの上腕肉をかじる。二人の視線に気づかぬまま食事を終えたアインズは、パンパンに膨らんだ腹を満足げにさすると、楊枝を使っておっさん臭く歯の間を掃除してから食堂を後にした。
次に足を運んだのは酒 場だ。照明を抑えた薄暗い店内にはジャズが流れ、大人の雰囲気を醸し出している。アインズは毒無効の魔法道具を外し、仕切台の席に腰を下ろした。茸生物の副料理長が顔を上げ、珍しい来客に声をかける。
「これはこれはセバス様、御来店ありがとうございます。何を召し上がりますか?」
「いつものをお願いします」
「いつもの?」
副料理長が首を傾げた。セバスが酒 場に顔を出すのは初めてのことで、いつものも何もない。アインズもそれに気づき、冷や汗をかきながら品書を見る。正直言って現実でもあまり酒を嗜まなかったので、お洒落な酒の名前を見てもさっぱり印象が湧かない。しかたないので、無難なものを頼むことにする。
「……麦酒で」
「銘柄は何になさいますか」
「えぇ……、もうお任せします」
「承知しました」
副料理長は仕切台の下の冷蔵庫から一本の缶を取り出し、アインズの前に置いた。
「ア○ヒのスー○ード○イです。缶のまま飲むのが流儀とされていますので、どうぞ」
アインズは缶の飲み口をプシュッと開けると、麦酒を一気に喉に流し込んだ。
「キンッキンに冷えてやがるっ…! 以下略!」
その後、酒杯を重ねて完全に酔っ払いとなったアインズは、襟締を外して頭に巻き、胸元を緩めた状態で店を出た。飲食不要の魔法道具は睡眠不要の効果も兼ねていたので、酔いから来る猛烈な眠気がアインズを苛む。自分の部屋に戻ろうと通路を千鳥足で歩いていると、向こうからアルベドがやってくるのが見えた。
「セバス、何ですかそのなりは!」
「うーい、アルベド。今ならお前とも子作りできちゃうよー」
「なっ! 血迷ったの!?」
汚いものを見るような目つきでアインズを睨んだアルベドは、しかし、その指に嵌められた指輪に気づくと眼を剥いた。
「セバス、どうしてその指輪を!?」
「ん? 何でもいいけど今は眠いんだ。悪いが、どいてくれ」
手荒くアルベドを押しのけたアインズは、そういえば自室はセバスがいるから使えないか、と思い起こして手近な寝室に入る。ふかふかの寝台に倒れこむと、そのまま泥のように眠った。
【3】
時は遡り、アインズの執務室――。残されたセバスは所在なさげに椅子に身を沈めていた。女中や八肢刀の暗殺蟲が常に身辺に侍っているため、気が休まることがない。アインズが日頃から如何に気を張って執務を行っているかを体感し、セバスは頭の下がる思いだった。
「アインズ様、アルベド様がお目通りを願っています。如何いたしましょうか」
「うむ、通せ」
女中の伺いに可能な限り重々しく答えたセバスは、アルベドにどう対応すべきかと思案する。だが、考えがまとまらない内にアルベドが入室したため、ひとまず前方に注意を切り替えた。
「くふふふふ……」
セバスの背をぞわりとした悪寒が走る。まるで捕食者に睨まれた獲物のような感覚だ。至高の御方はいつもこの視線に堪えているというのか。
「本日は仰せつかっていたナザリックの報奨制度について草案をお持ちしました」
そう言ってアルベドは書類を差し出した。
「やはり、報奨となるものはアインズ様に関わるものがよいかと。アインズ様逢引権、アインズ様添い寝権といったものを愚考しております」
セバスの身体がぺかーと光る。冷静になったセバスは、アインズがたまに見せる神々しい光の正体を知った。いずれにせよ、自分の一存で決められることではない。
「アルベドよ、今日の私は疲れている。その件はまたの機会としよう」
「まあっ! お疲れと気づかず、申し訳ありませんでした。よろしければ私が整 体でお身体をほぐしましょうか?」
「い、いや、よい」
骨の身体のどこをどうやって整 体するのか、という疑問はさておき、セバスは手で遮って遠慮する。突き出されたその手を見て、アルベドは微笑を浮かべた。
「アインズ様、指輪をお換えになったのですね。お似合いでございます」
アルベドの視線が交換の指輪に向いていることに気づき、セバスは慌てた。アインズが秘中の秘と言った魔法道具を、例え守護者統括であっても知られるわけにはいかない。
「アルベド、下がれ。二度も言わせるな」
「も、申し訳ありません! 失礼いたします」
アルベドが退出するのを見届け、セバスは溜め息を吐く。これでしばらくは落ち着けるだろう。
「アインズ様、デミウルゴス様がいらしていますが、どうなされますか?」
今度はデミウルゴスか、とセバスは心の中で独り言ち、接見を許可した。
「アインズ様、御機嫌麗しゅうございます」
デミウルゴスは慇懃にお辞儀をしてから前に進み出ると、書類の束を事務机の上に置く。
「例の件につきまして、目処が立ちましたので決裁をいただきたく罷り越しました」
「決裁、か。先にアルベドにも伝えたが、私は疲れている。急ぎでなければ日を改めるがよい」
「……なるほど、流石はアインズ様」
「は?」
狡猾そうな笑みを浮かべる悪魔は、眼鏡をくいと押し上げて得意そうに語り出した。
「まず隗より始めよ、と申します。ナザリックの休暇制度は導入されたばかり、至高の御方に尽くせないと不満を持つ者も多うございます。アインズ様が率先して休暇を取ることで、下々に範を示すお考えですね」
「そ、そのとおりだ。流石はデミウルゴス、私の真意を見抜いたか」
「いえ、私如きではアインズ様の深遠なる御配慮の一端を窺い知ることしかできません」
都合よく勘違いしてくれたようなので、セバスが敢えて否定する必要もない。至高の御方と違い、凡庸な自分ではこの智恵者と対等に渡り合うことなぞ望むべくもないのだ。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
「うむ、御苦労であった」
デミウルゴスの姿が見えなくなると、セバスは椅子に背を預けて天井を見上げた。アインズはアルベドやデミウルゴスが持ち込む大量の案件を即断即決で決裁するという。悪魔の言葉を借りるわけではないが、正に端倪すべからざる方だ。
セバスは主人への尊敬の念を新たにしつつも、早く元の身体に戻りたいと願うのだった。
【4】
「な、ない!」
アインズが顔面を蒼白にした。部屋中を引っ掻き回してみたが、寝る前は指に嵌めていたはずの交換の指輪が影も形も見えない。覚醒したばかりでまだ酒の残っている頭を振り、朧げな記憶を辿る。落としたとすれば、この部屋にあるはずだ。〈物 体 発 見〉が使えればよいのだが、ナザリック内は探知阻害を行っているので不可能。自力で探すしかないだろう。
考え込んでいたアインズは、一度別の者の視点を取り入れた方がよさそうだ、と思考放棄して自室に向かった。執務室の前に着くと、合図もせずに扉を開ける。
「セバス様!? いくらセバス様でも至高の御方の前で御無体は許されません!」
女中のシクススがアインズの非礼を咎めるが、今はそれどころではない。
「アインズ様、お人払いを」
「……わかった。シクスス、八肢刀の暗殺蟲たちよ、場を外せ」
シクススたちが退室して二人きりになると、セバスは腰を上げてアインズの傍らに跪いた。
「アインズ様、如何なされましたか?」
「端的に言う。交換の指輪を失くした」
「は?」
「しかし、安心するがよい。指輪は必ず見つけ出してみせる。じっちゃんの名にかけて!」
アインズは拳を握ってそう宣言したが、急に弱々しくなってセバスに眼を遣る。
「とはいえ、心当たりを探したが見当たらなくてな。固定観念に拘泥して視界が狭くなっているのかもしれん。そこで、セバスの意見を聞こうと思ったのだ」
「左様でございましたか。では、まず経緯をお話しください」
「う、うむ。掻い摘んで話せば、私は睡眠不要の魔法道具を外していたため、眠気に襲われて寝室のひとつで寝入ってしまった。その前にアルベドと会ったのだが、指輪がどうこうと言っていたような気がするので、部屋に入るまではまだあったのだろう。それゆえ、寝室で落としたと思っておるのだが、いくら探しても見つからん」
「……なるほど」
セバスの眼がキラーンと光った。
「謎は全て解けました」
「な、何だと!?」
「実は執務室にアルベド様がいらしたのですが、その際に玉体の指輪の違いに気づかれたようでして。同じものが私の指に嵌められていることを知り、嫉妬のあまり――」
「アルベドが盗んだというのか?」
「誠に遺憾ながら。ですが、アルベド様ならやりかねません」
確かに、とアインズは思った。
「だとすればどうする。アルベドから力ずくで奪い返すのか?」
「いえ。アルベド様をここにお招きし、不肖ながら私が玉音を以て問い質せば事足りるかと」
「……わかった。アルベドを呼び出せ」
しばらくして、呼び出されたアルベドが二人の前に姿を現す。主人に恭しく礼を取りながら、家 令に冷たい視線を向けるアルベドを見て、指輪を持っていたくらいでそれほど厳しく当たるだろうか、とアインズは疑問に感じていた。
「アルベドよ、お前を呼び出したのは他でもない。私がセバスに与えた指輪を、お前が持っているのではないかと考えたのだが、どうだ?」
「そ、それは……」
「よもや私の前で嘘を吐くつもりではあるまいな、アルベド?」
セバスの詰問に対し、アルベドは唇を噛み締めて悔しげにアインズを睨みつける。
「……おっしゃるとおりでございます。ですが! 私に肉体関係を要求したこの下劣な男が、アインズ様と同じ指輪を嵌めていることが許せなかったのです!」
「「え?」」
二人はポカーンと口を開けた。ややあって、セバスがアインズの肩をがっしと掴み、引き寄せてから小声で話しかける。
(……アインズ様、これはどういうことでございましょう?)
(お、落ち着け、セバス! あのときは酔っ払っていたから、戯れにそんなことを口走ったかもしれんが、もちろん本気ではない!)
(酔った私の姿でナザリック内を歩き回ったのですか?)
(そ、それは――。い、今は些事に捕われている場合ではない! アルベドから指輪を取り戻さねば、お互い元の身体に戻ることもできんのだ。私とお前が入れ替わっていることを説明すれば、アルベドも納得しよう)
(……畏まりました)
かなり不承不承といった態度でセバスは頷くと、アインズの肩から手を離してアルベドに向き直った。
「アルベドよ、心して聞くがよい。お前が盗んだ指輪は交換の指輪といって、対となる指輪を嵌めた者同士の身体を交換することができる魔法道具だ。つまり――私はセバスでございます」
「は?」
アルベドは口をパクパクしてアインズに視線を移す。
「……セバスの言うとおりだ。私に対する不遜な態度を改めよ」
「も、ももも、申し訳ありませんでした!」
華麗な跳 躍土下座を披露したアルベドは、全身から脂汗を滲ませて交換の指輪を差し出した。それを鷹揚に受け取ったアインズは、セバスと向き合って両手を広げる。
「「チェーンジ!」」
光が収まると、セバスははだけた胸元を正して黙礼し、執務室を後にした。その恨めしげな眼にいたたまれない気分になったアインズは、素知らぬ振りでアルベドを抱き起こす。
「アルベドよ、すまなかった。酔いの上での戯言とはいえ、お前を傷つけてしまったようだな」
「そんな! 私は嬉しゅうございます。アインズ様は私をお求めになったのですね!」
「いや、だから冗談だって」
そのまま抱きついてくるアルベドを突き放し、アインズは溜め息を吐いた。
「それにしても、お身体を交換なされるなら、私は喜んで応じましたのに」
「……一応聞くが、お前、私の身体で何をするつもりだ?」
「そうですね。やはりお世継ぎは喫緊の課題ですので、アルベドというちょうどよい女もおりますし、夜伽を命じるのがよろしいかと。一発で懐妊させてみせますわ」
「……却下だ」
アインズは天を仰いだ。