一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』 作:カール・ロビンソン
1-1 日常風景
灰色のコンクリートの壁に囲まれた小さな部屋。事務用の机と椅子。後はノート型の端末と卓上冷蔵庫。後はろくに物も入っていない金属のロッカー。それだけがこの部屋の全てだ。
そんな殺風景な部屋に二つの人影がある。一人は椅子に座り、もう一人はドアを開けて入ってきたばかりだ。
椅子に座る、というよりもたれかかってだらけているのは、年の頃30を少し過ぎたと見える中年男であった。借り上げた黒髪と鳶色の瞳と肌の色からアジア系の人間であろうことが分かる。
彼の名は天野晶(アマノ・アキラ)。一年程前に民間軍事会社『グリフィンアンドクルーガー社』に所属する戦術人形の指揮官となった男だ。
やる気がさっぱり感じられない、冴えない容貌の彼だが、グリフィン社のエリート戦術人形部隊であるAR小隊絡みの事件を解決したことで、上層部からの覚えはそれなりにめでたい。だが、相変わらず勤務態度はテキトーなままだ。足をテーブルに投げ出していないのは、最後の良心だった。
そうして、もう一人部屋にいるのはこの殺風景な場所に似つかわしくない可憐な少女であった。
烏の濡れ羽色の長い髪に深紅の瞳。一昔前の女学生の服に身を包み、首には赤いマフラーを巻いている。足を覆うストッキングと腰のスカートには薄紅色の桜の意匠が刻まれており、彼女の容貌を引き立てている。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな古き良き女学生のような彼女の名は一〇〇式という。
「指揮官、お茶をお持ちしました」
一〇〇式は恭しく言い、テーブルの上に琥珀色の液体の入った黒い湯呑を置く。湯気を立てているお茶は『人類の領域』では一般的な柿の葉茶だった。
「ああ。サンキュー、
そう言って、晶は湯呑を手に取ってお茶を啜る。癖のない、さっぱりとした味わい。それでいて香ばしいのは淹れる前に少し焙じたのかもしれない。
「
晶は一〇〇式を見つめ、掛値のない賛辞を贈る。彼女は美味しいお茶を淹れるために日々研鑽を重ねている。他ならぬ自分のために。そんな彼女の思いがお茶の味から伝わってくる。そんな気がしたのだ。
「ありがとうございます、指揮官!」
一〇〇式はその可憐な顔を花のように綻ばせ、喜びを露にする。その様はまさに大和撫子と称されるに相応しいもので、晶は彼女に慕われている事を光栄に思った。
そんな彼女を、晶は『モモ』という。一〇〇式では余りに女の子らしくない、と思うからだ。なお、由来は植物の桃からではなく、百々と書いてモモと読むからである。FALからは安直だ、と言われるが、悪くない愛称だ、と晶は思っていた。
そんな一〇〇式に晶は手を伸ばす。そして、そのお尻を軽く撫でた。
「ひゃあ!」
その途端、一〇〇式が素っ頓狂な声を上げる。そして、おもむろに晶から距離をとると、顔を羞恥で紅に染めながら、ジト目で晶を見て言う。
「指揮官、ここにいるのは、大事な任務のためでしょう? だから・・・いい加減にしてください・・・」
相変わらず可愛い反応だな、と晶は苦笑し、そして言う。
「悪いな、
「…そういうことは、人間のカリーナさんにしてください。私は…戦術人形なんですから…」
「
「…うぬぅ」
一〇〇式はそう言って口を噤む。最大級の誉め言葉を喜ぶべきか、それともセクハラに文句を言うべきか悩んでいるのだろう。本当に可愛い娘だ、と晶は心の底から思う。
そんな彼女は人間ではない。晶の指揮する戦術人形―所謂戦闘用のロボット―だ。だが、そんな彼女はどんな人間の少女よりも可愛らしいと晶には思える。その仕草や表情なども人間そのものだ。
「いい加減にしなさい、指揮官。白昼堂々
いつの間にか入り口のドアを開けたところに人が立っていた。
肩に白いフェレットを乗せた、明るいブラウンに近い長い金髪を青いリボンでポニーテールに纏めた、蒼玉のような瞳の、いかにも白人らしい彼女はFALという、一〇〇式の同僚であり、晶に最も近しい戦術人形の一人であった。
「なんだ? ヤキモチかFAL?」
「寝言は死んでから言って頂戴?」
晶の揶揄いの言葉に、FALは速攻で無茶苦茶物騒な返事をする。そのことから、晶は彼女がガチで怒っていることを察する。死んだら寝言とか言えるわけねえだろ、と言うツッコミは口にしないでおいた。
「指揮官、貴方はもっと真面目な人のはずでしょ!?」
「
抗議をするFALに平然と言い放つ晶。その間でどう反応していいのか困っておろおろしている一〇〇式。いつもの指揮官室の様子に、晶は平和だな、と思った。だが、その感想は次のFALの一言と行動で雲散霧消した。
「あっそ。じゃあ、この本はやっぱり
そう言って、FALはどこからともなく取り出したA4サイズの本を眼前に突きつけて見せる。その表紙にはセーラー服を着崩した少女が載せられていた。ぶっちゃけていうと、エロ本である。しかも、女子高生ものの。
「…なんでお前がこれを持っているんだ、FAL?」
晶は取り返そうとしたが、FALはすぐに手を引っ込めてかわす。どうも渡すつもりはないらしい。
「カリーナさんに指揮官に渡してくれって頼まれたからよ。…そんな気はないけど」
半ばキレ気味に言うFALの様子に晶は内心で頭を抱える。あいつめ、と。
元々この本は補給部の知り合いにコッソリと陳情してあったものだ。ちゃんとプライベートな品として自分の個室に直接送るように、とも伝えてあった。それなのにこんなことになるとは。後でぶん殴ってやろうか。そんなことを晶は考えた。
「あの…! 指揮官! FALさん!」
なんだか不思議そうな表情の一〇〇式が二人に尋ねる。
「えっと…貞操ってなんですか?」
まずそこからか。晶とFALは顔を見合わせ、その後思わず天を仰いだ。そして、どう説明したものだろう。そう10秒ほど悩んだ次の瞬間、
『指揮官様、大変です!』
端末のディスプレイに写った少女が言う。それを見て、晶とFAL。そして、一〇〇式は表情を引き締めた。
ディスプレイの少女はカリーナ。晶にとって、唯一の人間の部下である。
「どうした、カリーナ?」
今までのことはさておいて、晶はカリーナに尋ねる。彼女が大変です、と連絡を入れるからには何らかの事件が起こっており、戦術人形たちを出撃させる用があるということだろうからだ。
「はい、実は…!」
そう言って、カリーナが晶に言ったのはとても意外で、だが割とどうでもよさそうな案件であった。
『市街地中央のコンビニで立てこもり事件が発生しました。治安部隊から戦術人形の出撃要請が出ています!』