一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』 作:カール・ロビンソン
一〇〇式はちらりと、車窓の風景を見る。世界は滅びに瀕しているというのに、市街地には、溢れんばかりに人がいる。その内の何割が自律人形なのかは分からない。だが、若い男女達は仲良く手を繋いで歩き、青春を謳歌しているように見える。
こういう風景だけを見れば、この世界の惨状など嘘のように見える。だが、指揮官から言わせれば、これでも大昔に比べれば大分人は減ったらしい。人類の領域が大幅に狭まったところから限られた場所に人が密集しているから、そのように感じるだけだ、という。
それでも、一〇〇式にとっては平和な風景に見える。いつか、あんな風に指揮官と一緒に市街地で手を繋いで歩いたりすることができるのだろうか。FALさんは指揮官になる前の指揮官とそういうことをしていたらしいのだが。いいなぁ、と少し彼女が羨ましくなる。
ふとそこで、今は仕事中だということを思い出し、一〇〇式は慌てて護衛対象を見る。隣りに座る壮年の、まるで熊のような雰囲気の厳つい容貌の男は、慈愛に満ちた表情で一〇〇式を見ていた。
「おや、物思いを中断させてしまったかな? 申し訳ない」
「い、いえ、こちらこそ、申し訳ありません…」
男の言葉に、一〇〇式は恥ずかしげに頬を紅に染めて謝る。護衛対象をほったらかしにして物思いに耽る戦術人形もないものだ。
「構わないよ。物思いに耽る君の顔も最高に可憐だからね」
そう言って、男-兵藤将洋は屈託のない笑みを浮かべる。まるで邪気のない笑顔。彼が悪いことをする人だとは、一〇〇式には思えなかった。
「うちのお嬢に妙なことしないでくれよ、叔父貴」
リムジンの運転をするトンプソンが、ため息混じりに言う。重役に鉄拳制裁など、ゾッとしない。まあ、尻の一つでも触ろうものなら、迷わずやるのだが。
「おいおい、信用がないな、トンプソン。他人の人形に許可なく触るのは、人形愛好家最大の禁忌だ。彼女がいくら可愛らしくても、そんなことはしないよ」
「そう思うのでしたら、普段の態度を改めてください、局長」
兵藤の言葉に、スオミが呆れたように言う。グリフィン直属の遊撃隊として働いている彼女は、今回彼の護衛に回されているようだ。こうした軽口が聞けるところを見ると、彼との面識は一度や二度ではないのだろう。
『状況はどうだ、
通信モジュールを通じて、一〇〇式とトンプソンに、疲れた晶の声が聞こえる。だが、声の張りをなくしていないところを見ると、この件には最後まで関わるらしいことが伺えた。
『今のところ何もない、ボス』
トンプソンは横目に街の雑踏を見る。世は事も無し、神は天にいまし。滅亡寸前と言われる人の世は、特に問題もなく時を刻んでいるように見える。過激派などが現れる気配もない。
『それに、この人があまり悪い人だとは思えません、指揮官』
一〇〇式は率直に感想を述べる。一〇〇式は例のVTRについてろくに知らされていない。純真な彼女が万一知れば、彼の顔を見ることさえできなくなるだろうからだ。だから、悪い奴であるかもしれないから注意しろ、と言っているだけだ。
『私もそう思う。あまり、昔から変わっていないようだ』
一〇〇式の言葉に、トンプソンもまた同意する。彼女はグリフィン直属時代に何度か彼の護衛をしたことがあるらしい。その彼女に言わせれば、彼は重度の人形愛好家で、かつそこそこ紳士的であったと言う。VTRを見た彼女の曰く、彼がそんなことをするのは、よほどの心境の変化があったとしか思えない、と。
『油断はするなよ、二人共。悪魔はいかにも悪魔です、という顔で近寄ってこないもんだ』
晶はあくまで二人に注意を呼びかける。スオミまでグルであるとは流石に考えられないが、油断して孤立してしまうとどうなるか分からない。
とは言え、彼の経歴を詳細に調べたが、特に怪しい様子はなかった。重度の人形愛好家として、グリフィン直属部隊の間で噂になっているが、今まで身体を触る等のセクハラを受けた戦術人形はいないらしい。人間の妻や娘達もいて、家族愛も強いとも言う。
ただ、調査の結果、どうもあのVTRが撮影された日に、ロボット人権団体の連中と、佐伯の言うホテルで会合を行っていたのは事実らしい。あのホテルのノードに侵入して調べてみたが、きちんと利用履歴は残されていた。ただ、残念ながら件の部屋は完全なプライベートルームであるらしく、監視カメラの映像等は拾って来られなかった。
佐伯にはFALと共にもう一度尋問し、嘘発見器まで使ったが、彼の証言は変わらず、嘘をついている様子もなかった。
映像も今のところ技術部から何の連絡もないところを見ると、問題が見当たらないのだろう。実際、晶も何度か検証したが、画像に不自然な点が見受けられない。作り物だとするなら、きっちりした仕事に定評のある鉄血クオリティでも、かなりのものだと思う。
そんなわけで、彼に対する疑惑は消せないでいる。だが、決定的な証拠は掴めていない。ろくでもない状況に、晶は苛立っていた。一〇〇式の手前、無様な姿を見せないように自重はしているが。
『…ボス、脳波が乱れているぞ?』
トンプソンが気遣わしげに尋ねてくる。経験豊富な彼女は、通信の状況からでもそうしたことが読み取れるようだ。
『ちょっと寝てないだけだ。気にするな』
晶は口調を崩さず、軽く言う。晶は例の尋問から2日、睡眠時間は3時間を切っている。その上で、ひっきりなしに調査していたのだから、脳波も乱れるだろう。
『…指揮官、お休みになってください。後は、一〇〇式達でなんとか…』
『重要な任務だ、
一〇〇式の言葉に、晶は断固とした口調で言う。本社の重役の護衛という重要な任務の最中に寝ている訳にはいかない。それに、万一例のVTRが本物なら一〇〇式が危険だ。石に噛りついてでも起きて、直接指揮を執る必要があるのだ。
『FAL。そっちはどうだ?』
『問題ないわ。みんながぶーぶー煩いだけ』
通信を切り替えて、晶はFALに連絡を入れる。彼女達はプリンスホテルの駐車場で、隊の車であるバンに乗って待機中だ。不測の事態に対処する、という名目だが、その事態の中には一〇〇式の異常ということもある。万一、兵藤が尻尾を出せば、ホテルに突っ込んで制圧するのだ。
幸い、プリンスホテルのノードはすでに制圧済みで、いざとなればルームサービスの自律人形の電脳までジャックできる。いざ、一〇〇式がプライベートルームに連れ込まれたなら、これらを活用して監視する予定だ。
『ご主人様~、暇すぎるよ~』
『指揮官、敵はまだ? 出撃が待ち遠しいよ!』
G41とスコーピオンが待ちきれないとばかりに言う。二人には悪いがまだまだ待機時間は長くなるだろう。それに、今回は戦闘がない可能性も高いのだ。
『すまんな、二人共。何なら、まだ寝ていてくれてもいい』
『うー…ファミコン持ってくれば、良かったなぁ…』
晶の言葉に、G41が実に残念そうに言う。晶があげたファミコンを、彼女は実に楽しんでいるようだ。
『じゃあ、大富豪しましょう! カード持ってきたんです!』
そう言って、MP5がトランプをポケットから取り出す。それを見て、G41は歓喜する。
『わーい!』
『するする! M4さんもやろうよ!』
『う、うん…』
G41とスコーピオンの言葉に、M4は頷く。正直、彼女も退屈していたのだ。しかも、他の娘達と違って、生の脳を持つ彼女は自発的に眠れないので尚更だ。
『あの…FALさんは?』
『私はいいわ。4人で楽しんで頂戴』
気遣っていうM4に、FALは軽く言う。そもそも5人で大富豪、というのは多すぎるだろうに、と思う。それに、暇つぶしの道具は自前である。FALはポケットの中からミニゲーム機を取り出してプレイする。次こそ、10万点以上を出して、指揮官をぎゃふんと言わせてやると。
『引き続き待機を継続してくれ。状況が変わったら知らせる』
バンの中の姦しい様子を想像して、晶は苦笑しながら通信を切る。別働隊も配置についているらしく、準備は万端だ、と思う。人事は尽くした。後は天命を待つだけだ。
「はい。よければ、飲んでくれ」
そう言って、兵藤は座席の下にある冷蔵庫から缶ジュースを取り出して、一〇〇式に手渡してくる。赤と白に彩られたそれは、最近では珍しい純正のコーラのように思えた。
「あの…これ…」
一〇〇式は缶と兵藤を見比べながら言う。こんな高価なものを貰っていいものか、迷っているのだ。
「構わないよ。チップの代わりだと思ってくれればいい」
そう言って自身は、ラム酒のミニボトルを取り出し、ポケットから十得ナイフを取り出して、右手で手際よく瓶の封を切る。
「今日君と出会えた幸福に、乾杯」
「え!? あ、あの、グラスにお注ぎします!」
「いいよ。グラスを洗う手間もあるだろうし」
そう言って兵藤はミニボトルを差し出してくる。一〇〇式は一瞬戸惑ったが、やがて缶を差し出して、控えめに彼のボトルに打ち付ける。そして、缶の中身を口にした。冷えたコーラはいつ飲んでも美味しかった。
「叔父貴。酔っ払って会談どころじゃない、ってことにならないでくれよ」
豪快にボトルに口をつけて飲む兵藤に、トンプソンは呆れて言う。相変わらずの飲ん兵衛だ。
「いやあ。こんな可憐な娘と飲む酒は美味しくてね。…ところで」
そう言って、兵藤はボトルにコルクを嵌める。そして、冷静な声で言う。
「速度を上げてくれ、トンプソン。…狼藉者だ」
彼がそういった次の瞬間、リムジンが僅かに傾いだ。慌てて、一〇〇式が見ると窓ガラスに罅が入っている。敵襲だ。一〇〇式はコーラを一気に飲み干して、途中炭酸に咽ながらも、足元の銃を手に取った。トンプソンとスオミもそれに習う。
『FAL、状況が変わった。急いで
『了解! 行くわよ、みんな!』
『はい、指揮官』
『え!? も、もうすぐ、大富豪なのに~』
『よし! 待ちに待った、出撃だー!』
『ご主人様、G41頑張ります。 褒めてくれたら、もっと努力しますよ?』
FALの号令に、M4とMP5、そしてスコーピオンとG41が気勢を上げる。そして、FALが車を発信させる。とは言え、彼女たちと現場はかなり遠い。別働隊にも指示を出さねばならない。
『M14とFiveSevenは狙撃地点Bに急行。現れた敵を片っ端から撃っていけ』
『了解! M14頑張ります!』
『ええ! 任せておいて!』
晶の言葉に、M14とFive-sevenは了解の意を示す。彼女たちは、狙撃班として待機して貰っていたのだ。こちらの班は道中で戦闘が起きたときに、そのフォローをする係である。狙撃ポイントはいくつか指定してあり、Bはすぐにでもたどり着けるポイントだ。
『スプリングフィールドとPPKは現地点を放棄して、スクーターで待機。何かあった場合すぐに移動できるようにしておけ』
『了解しました。私、頑張りますね』
『あら。アサシンのパーティ。まだ始められないのかしら?』
晶の言葉にスプリングフィールドとPPKが答える。彼女らはホテルのシークレットルームが狙撃できる位置に配置していた。あの部屋には窓はないが、晶とPPKの連携と、スプリングフィールドの狙撃能力があれば、目標が見えなくても狙撃できると踏んでいたのだ。だが、今はその点に構っている暇はない。護衛対象を守る、という本来の任務を優先せざるを得ない。カリーナの私物の電動スクーターを使わせた甲斐があったというものだ。
(真っ昼間から襲撃か…どうなってやがる…)
晶は頭を捻る。真っ昼間から誰かが市街地でVIPが銃撃を食らうというのも意外だが、今までの事件が全て関連しているのなら、誰が何のために兵藤を襲撃しているのかが分からない。ますます訳のわからない事態になっていっている気がする。
ともあれ、一〇〇式達は現に襲撃を受けている。晶は現実に意識を戻し、リムジンのセンサーをジャックして戦場をモニターする。ともあれまずは、護衛対象を守らなければならない、と意識を切り替えて。