一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』   作:カール・ロビンソン

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4-6 堅忍不抜

 浄水施設の奥にある貯水タンク。ここが復讐者(エリニュス)の目的地だ。目の前に広がる巨大な水溜は、この地域の生命線である浄水を一手に集めたものだ。

 この水は人々の飲料水や生活用水のみならず、人工降雨にも用いられる。崩壊液を含んだ雨雲を寄せ付けないためにも、微粒子となった崩壊液の飛来を避けるためにも、人の手で綺麗な雨雲を作るのは重要なことなのだ。

 もちろん、疑似クリスタル・ドームで覆われた市街地内にも、都市の汚れを浄化するためにも雨は定期的に降ることになるのだ。つまり、市街地内も市街地外もここを押さえれば、雨でナノマシンを散布できる。

 

「よいしょっと」

 

 格子状の足場の上に、復讐者(エリニュス)は背負っていた自身よりも大きなドラム缶のようなものを降ろす。これこそが計画の要である、ナノマシンタンク兼簡易作成機なのだ。

 この装置をタンクの底に沈めれば、タンクの3分の2のナノマシンを放出し、残り3分の1で、水やミネラル等をナノトランスで変換し、ナノマシンを増産して放出を続けるのだ。

 タンクに沈めているこの装置を取り出すのは困難を極めるだろう。何せ、貯水タンクは深く、装置は重いからだ。ここまで運ぶのに、復讐者(エリニュス)の膂力をもってしても結構大変だった。

 装置を破壊しようにも、雑に爆破などをしてしまえばタンクごと破損し、この地域の水資源の確保が困難になるのだ。流石に装甲までは施していないが、水に沈めてしまえば銃弾も光学兵器も届かないのだから十分だろう。

 

 また水を止めるのも無理であろう。いかに天野指揮官が訴えようと、グリフィンの中に復讐者(エリニュス)の危険性を正確に理解しているものは彼以外にいない。彼の上役も流石に市民の生命の根源である水を止めることはできないだろう。万一、強行しようものならそれこそパニックの原因になるのだから。

 そして、この地域の水処理施設はこことあと一か所サブがあるだけだ。ここを止めると、地域の水が絶望的に不足する。崩壊液からの防御が困難であるゆえに、施設を拡散して作れないのが仇となっているのだ。

 

 復讐者(エリニュス)は装置にアクセスし、最終チェックを行う。システム、機能共にオールグリーン。問題はないはずだ。一〇〇式達はヘリパッドの人形達をようやく制圧できたようだ。だが、彼女らを止める職員と、人形部隊もう一つをかわしてここまで来るのは、まだ相当な時間がかかるだろう。復讐者(エリニュス)を止める者はいない、と思われた。

 

 タンクを見て、復讐者(エリニュス)は感傷にふける。ようやく復讐の第一歩が始まる、と。顔も覚えていない過去の自分。思い出せない家族。ようやくその敵を討つことができる。

 

「とりあえず、最初に確保するべきは天野指揮官え」

 

 復讐者(エリニュス)はこの後のことを思い浮かべて言う。タンクを水に沈めたら、次は施設を脱出し、ヘリを奪ってグリフィンの基地に突入する。そして、天野指揮官にナノマシンを撃ち込んで支配下に置かなければならない。

 一〇〇式は怒るだろう。それを思うと胸が痛い。だが、彼は様々な意味で危険でかつ、有用な存在だ。今後のことを考えると、どうしても押さえておく必要がある。

 だから、意識の操作は最低限にしよう、と復讐者(エリニュス)は思う。最低限自分の言うことを聞いてくれる程度に。あまり弄り過ぎても、彼の有用性の喪失につながる可能性もあるのだから。

 

 不意に音が聞こえた。何かが超音速で飛来する音。次の瞬間、甲高い音と共に、ドラム缶の表面に銃痕が刻まれた。

 

「え!?」

 

 完全に不意を突かれた復讐者(エリニュス)は慌てて周囲を見渡す。彼女のセンサーが捉えたのは、続けさまに発射された榴弾だった。油断してナノマシンを展開することを怠っていた彼女には成すすべがなかった。

 

 ドラム缶の弾痕に命中する榴弾。それは次の瞬間炎になり、ドラム缶を包み込んだ。1000度を超える炎がドラム缶を包み込んだ。

 慌ててドラム缶を水の中に落とそうとするが、火の勢いが強すぎて近づけない。それにナパーム弾は水に突っ込んだ程度ではそう簡単には消えないのだ。

 

 復讐者(エリニュス)は唖然として燃えるドラム缶を見つめた。外壁に傷がついている上に、1000度もの熱を加えられては、中の装置もナノマシンも全滅だろう。計画は失敗だった。

 

「残念だったわね、お嬢さん?」

 

 右手の方向から声がした。復讐者(エリニュス)は咄嗟に小太刀を抜いたが、次の瞬間肩に走った衝撃に止められる。7.62mm弾は復讐者(エリニュス)の着物部分を形成するナノスキン装甲を貫くことはできなかったが、衝撃でほんの一瞬ひるませる程度のことはできた。

 

 浄水用の薬液を収めたタンクの陰から現れたのは、FALであった。そんな馬鹿な、と思う。メインノードを制圧した復讐者(エリニュス)が監視できなかったルートなどあるはずもなく、一〇〇式達はようやく施設に入ったばかりだ。彼女が短時間でここに来られるはずがない。

 仮にFALが侵入できたとしても、見つからなかったのはなぜだろう。彼女が復讐者(エリニュス)に意識を向ければバイオセンサーが即座に捉えただろう。そして、意識も向けずに狙い撃つなど、戦術人形にできる芸当とは思えなかった。

 

「種明かしをご所望みたいね?」

 

 FALは彼女に完全に姿をさらして澄ました顔で言う。銃を構えてさえいない。本気で戦えば、銃を構えていようが構えていまいが、あっさりと倒されてしまうだろう。それならば、今のうちにせいぜいいい気になってやろう、というところだ。

 

「重要施設にはね、政府が設けた秘密の通路があるの。メインノードからでも確認できないのがね」

 

 呆然として言葉もない復讐者(エリニュス)に、FALは言う。各地の重要施設には、政府が極秘で設けた秘密の通路があり、万一PMCが反乱を起こせば、そこを使って施設を早急に制圧できるようにしているのだ。この通路の存在は、各PMCのトップクラスと政府関係者のごく一部だけである。そして、通路の詳細及び通行用のパスコードは彼らの中でもごくごく一握りだけが知っているだけだった。それを用いて、FALはここに来たのだ。

 

「うちの指揮官はそのほとんどを生身の脳に記憶してるのですって。とんだ化け物よね」

 

 元政府の工作員である晶は、そのほとんどを頭に叩き込んでいた。頭に埋め込んでいたメモリーチップにではなく、自身の記憶として。メモリーチップの中身なら確認できるが、晶の頭の中までは誰にも読むことはできない。故に、彼は政府に所属しない唯一の政府の秘密を知る者となっているのだ。

 

「後、貴女の御自慢のバイオセンサーが反応しなかった理由はこれ」

 

 FALはそう言って、彼女の足元にケーブルのついたプラスチック片を投げてよこす。それは自立人形用の外付けのデータチップだ。

 

「愚鈍チップってやつでね、自立人形の知能を制限するチップ。これで貴女の存在を頭の中から消して、それを認識できないようにしたのよ」

 

 FALの言葉に、復讐者(エリニュス)は目を見開いて驚愕する。認識をずらす、という自身のやり口をそっくりそのまま逆用されてしまったのだ。

 

「でも、そんなものをどうやって…」

 

「大した作業じゃなかったみたいよ。一〇〇式(モモ)から画像データと音声データを貰って、バイオセンサーの仕様を聞いて、10分ぐらいで作ったらしいし」

 

 FALの言葉を聞いて、復讐者(エリニュス)は自身の致命的なミスに気付く。自己満足のために情報を与えすぎたのだ。

 

「運がなかったわね。よりによって計画の第一歩に、とんだ貧乏神を引いてしまったのだもの」

 

 FALが苦笑して言う。確かに彼女のミスは大きかった。だが、それとて普通の指揮官が相手であれば拾いきれなかったはずだ。天野晶という男の存在は、彼女の計画を妨害する最後のファクターだったのだ。

 

「さて、これからどうするの? 私をとりあえず殺してみる?」

 

 項垂れる復讐者(エリニュス)にFALはごく軽い調子で尋ねる。指揮官からはこう言われてここに来た。命を俺にくれ、と。FALはそれに二つの返事で、了解。と答えた。二人の間に言葉はそれで十分だった。実際、ここで復讐者(エリニュス)が襲い掛かってきた場合、FALにはどうすることもできないのだ。幸い、一週間前にデータバックアップは済ませてある。ロスはそれなりにあるが、復活できることを考えるのなら大して重い命でもない、と思っているのだ。

 

「…そんなことしいひんよ。一〇〇式(モモ)ちゃんに嫌われるだけえ…」

 

 力なく笑ってそう言った復讐者(エリニュス)はFALに背を向ける。その背中はとても小さく、頼りないものに見える。とても強大な力を持つ復讐の女神には見えない。だから、FALは思わずこう言った。

 

「ねえ、私たちと一緒に行かない?」

 

 一〇〇式と同じ顔をした少女に、FALは手を差し伸べて言う。彼女と同じでどこかほっとけない雰囲気の彼女を、FALは見過ごせなかった。

 

「一〇〇式(モモ)はきっと貴女の友達になりたいって思ってるし、私も同じ気持ち。指揮官も他の娘も、貴女を歓迎するはずよ」

 

「…ありがとう、FALさん」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は振り向く。泣き笑いのような顔で。その顔を見て、FALは何とか彼女を救いたい、という気持ちを強くする。破滅へ向かう彼女を、何とかして止めなければと思うのだ。

 

「でも、もう少し頑張ってみるえ。…失敗したなら、もう一度やり直せばいいだけえ」

 

「もうやめましょう、復讐なんて! そんなことをしても、もう何も戻ってこないわ!」

 

 まだ復讐を諦めない復讐者(エリニュス)にFALは叫ぶ。例え、世界に復讐を果たしたとしてその後に何が待っているのだろう。FALはここに赴く前に、晶から彼女の目指す復讐の内容の推測を聞いていた。それは世界を破滅に導くようなものであることを。

 

「世界を破滅させて、その後貴女はずっと一人で生きていくつもりなの!? そんなことができるほど、貴女は強い娘なの!?」

 

 FALは彼女の目指す破滅の未来のことを言う。彼女の計画の後、待っているのは人形の世界だ。人の意思を持っているのはおそらく彼女しかない。そして、彼女がその後永遠の孤独に耐えられるとは思えない。何故なら、彼女は人の温もりに飢えているからだ。

 それが発露されたのが、一〇〇式への接近だった。自分の姉妹のような一〇〇式を守りたかった。自分の存在を知って欲しかった。自分の思いを伝えたかった。それが彼女の一連の行動の理由だった。彼女があくまで人間であったことが、彼女の計画の失敗に繋がったのだ。

 

「…FALさん、ごめん。でも、それは少し違う」

 

 FALの言葉を聞いた復讐者(エリニュス)は俯いたまま、暗い情熱を宿した声で言う。

 

「うちはね、過去に決着を付けなければ、もう前に進むことができひんのよ… そうしないと、うちの魂は救われない。それが終わらんと、未来も何もないんえ」

 

 そうして顔を上げた復讐者(エリニュス)の笑顔を見て、FALは何も言えなくなった。それは静かに泣いているような、悲痛に満ちたものだった。

 

「FALさんの言葉、嬉しかった。…でも、うちはもう、言葉じゃ止まらないんよ」

 

 そして、復讐者(エリニュス)は姿を消す。FALはいなくなった彼女をただ茫然と見つめていた。何が彼女をあんな風にしてしまったのだろう。それを知る術もなく、彼女を救うべき方法も見いだせず、FALは勝利の感慨もなく、ただ力なく立ち尽くすだけだった。

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