一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』 作:カール・ロビンソン
目の前の隔壁を、まるで紙のように切り裂いて、彼女は現れた。指揮官達と分かれて10分と少し。位置関係を考えると信じられないほどに速いが、もう指揮官達は自爆装置のあるコントロールルームに着いている頃だろう。
後は、指揮官が自爆装置を起動させるまで足止めをしなければならない。それが戦術人形としての一〇〇式の任務だ。
だが、一〇〇式本人の願いはそうではない。指揮官が目的を達する前に彼女を止める。そう願って、ここに立っているのだ。
「早かったね」
一〇〇式は穏やかな微笑みを湛えた表情で
「
一〇〇式を
「
「駄目」
「私は貴女を止める。そのためにここにいるの」
「…
「違う。分かってないのは、貴女の方だ」
落胆した様子の
「私はね、貴女が本当はやりたくもない復讐なんかに拘って、闇の中で彷徨っているのを見ていられない」
「…
「嘘だ!」
当惑する
「なら、どうして私を助けたの? どうして、私と一緒に地下に行ったの?」
一〇〇式は胸につっかえていた疑問を尋ねる。あれをしなければ、
「貴女が本当に欲しかったもの。それは暗闇の中から救い上げてくれる手。そうじゃないの?」
「それは…」
一〇〇式の言葉に、
「行こう。新しい世界を見てみよう」
そう言って、一〇〇式は右手を差し出す。彷徨う彼女を救い出す。そのために。
「一緒に行って、それで探してみよう? 千鳥ちゃんの過去を清算する方法を」
一〇〇式は慈愛に満ちた笑顔で言う。
「探してみて、それでもやっぱり復讐したいっていうなら、私も協力するよ。政府の人たちは指揮官を殺そうとした人たちでもあるし」
一〇〇式は笑顔を悪戯っぽいものにして続けた。実際、政府の役人どもは一〇〇式にとっても指揮官にとっても仇であるのだから。その時は、きっと指揮官も協力してくれるだろう。そして、また奇想天外な策をもって、仇達をぎゃふんと言わせてくれるだろう、と信じていた。
「
「
泣き笑いのような表情で、
「千鳥ちゃん…!」
一〇〇式が歩み寄り、手の距離が更に縮まる。もう数cm。それが触れる直前になって、突然
「千鳥ちゃん!?」
一体何が起こったのか、一〇〇式は一瞬だけ戸惑い、すぐに彼女を助け起こそうと一歩踏み出そうとする。だが、
「大丈夫だよ…問題ない」
そう言って、
「…貴女は誰!?」
一〇〇式は後ろに下がって銃を構える。その様子は明らかに
「何を言っているんだい? 君はボクと一度会ってるだろう?」
虚無そのものの表情を向けて、
「エルダーブレイン…!」
「そう。酷いなぁ、忘れてるなんて」
一〇〇式の言葉を受けて、エルダーブレインは微かに笑う。彼女との決戦で、正面から渡り合って彼女に一太刀を入れて撤退に追い込んだのは一〇〇式隊であった。その後の顛末はM4から聞いたのみであったが、いずれにせよ彼女はあの時点で表舞台からは下りたはずだ。
「ああ、疑問には答えるよ。まず、ボクは本体じゃない。ボクの一部を移植したチップを彼女の頭に仕込んでおいたのさ」
エルダーブレインは淡々と答える。鉄血とは違う目的で動いている彼女を止めるストッパーとして仕込んでおいた仕掛けのことを。
「彼女の脳が意識を失った時、もしくは鉄血から完全に離脱する意思を抱いた時、神経モジュールの制御をチップに移行するようにしていたんだ」
エルダーブレインの言葉に、一〇〇式は奥歯を噛み締める。鉄血は彼女を信用していなかったのだ。そんな環境だったから千鳥はお前達を拠り所にできなかったのだ。一〇〇式の心に怒りの炎が灯る。
「千鳥ちゃんをどうするの!?」
「別に殺したりはしないよ。何のかんのでボクは彼女が好きだし」
エルダーブレインの言葉に、一〇〇式は更に怒りを強くする。彼女の好きは人間のそれとはまるで別物だ、ということを知っているからだ。一年前の事件で、M4の心を壊したりしたことを忘れていない。このまま放置しておけば、千鳥がどうなるかは分からないが、まず間違いなくろくなことにならないだろう。
「まあ、それはそれとして。いい機会だから、あの男は殺しておかないとね」
そう言って、エルダーブレインは暗い笑みを浮かべる。彼女にとって、晶はM4との仲を邪魔する悪しき者だ。この手で八つ裂きにしてやりたいと願っている。
「あいつ、もしかしてM4に手を出したのかな? だったら、許さない。生きたままミンチにして犬の餌にしてやる!」
「そんなことさせない!」
エルダーブレインの言葉に、怒りの咆哮をあげ、一〇〇式は銃を構えて引き金を引く。無数のホローポイント弾が彼女の身体に命中する。だが、それは全く通用しなかった。一〇〇式の弾丸で、彼女のナノスキン装甲を貫通することなどできないのだ。
「君を殺すつもりはないんだけど… 邪魔するなら、倒すしかないね」
そう言った次の瞬間、エルダーブレインは一〇〇式の眼前に迫った。そして、その拳を音を遥かに超える速度で一〇〇式の腹に叩き込もうとする。
だが、それは一〇〇式の銃の側面で受けられた。衝撃で一〇〇式は微かに後ろに下がるが倒れることはなかった。
「へえ、この動きについてこられるんだ?」
エルダーブレインは感心したように言う。だが、それはある程度読めていたことであった。一〇〇式はI.O.P社が千鳥の残したデータを元に作られたもので、いわば
しかも、エルダーブレインはほとんど
「やあああああ!!」
一〇〇式の銃剣による横薙ぎの一閃を、上体を逸らしてかわしたエルダーブレインの頬に赤い線が走る。一〇〇式の体術は洗練されたもので、更に銃剣という獲物を持っている。ともすれば、エルダーブレインに不利な状況と言えた。
銃剣を振るった遠心力を利用して、一〇〇式は後ろ回し蹴りでエルダーブレインの胴を狙う。それを間一髪で受け止めたエルダーブレイン。だが、次の瞬間その体勢が大きく崩れ、地面に尻もちをついた。一〇〇式の続けさまに繰り出した銃のストックによる足払いが命中したためだ。
地面の倒れたエルダーブレインの喉元を、一〇〇式が銃で抑え込もうとする。銃の側面でチョークスリーパーをかけようとしているのだ。だが、彼女の力は軍用戦術人形のそれを基準として作られた
立ち上がったエルダーブレインに、今度は一〇〇式が突撃を仕掛ける。右手に銃を持ち、ランスチャージの要領で、銃剣による突きを見舞う。首を逸らしてそれをかわすエルダーブレイン。だが、次の瞬間胴に強い衝撃を感じた。一〇〇式の肘打ちが腹にめり込んだのだ。
前のめりに体勢を崩したエルダーブレインの横っ面を銃把で殴り、顎を蹴り上げて吹っ飛ばす。これで倒れて、心の中で一〇〇式は祈る。
「…ふう、凄いね。ナノマシンさえまともなら、それだけ戦えるんだ、君は」
だが、願いも空しくエルダーブレインは立ち上がる。鉄血の機械人形はI.O.P社のそれと比べ、頑強に作られている。ナノマシンによる超加速に耐えるために、軍用戦術人形の規格で作られている
「でも、そろそろ限界じゃないかな?」
エルダーブレインは一〇〇式を見て言う。肩で荒い息をする彼女は明らかに疲弊していた。
「まだまだ!」
そう言って一〇〇式は再び突撃を仕掛ける。だが、その速度は先ほどのそれより明らかに遅く、動きにも切れがない。エルダーブレインは身を屈めてそれを難なくかわすと、彼女の襟首を掴んで振り回し、無造作に投げ捨てる。壁に激突する寸前に、一〇〇式は壁を叩いて受け身をとる。だが、呼吸が止まるほどの衝撃が襲う。意識が一瞬遠のいたが、一〇〇式はそれでも倒れはしなかった。
だが、全身の人工筋肉とフレームが悲鳴を上げている。酸素の供給も追いつかず、口がぜいぜいと荒い息を繰り返す。あくまでも一般の戦術人形の規格を出ない一〇〇式の身体は、連続した超加速に耐えきれないのだ。そろそろ身体は限界だ。倒れないのは意地によるものだ。
(倒れるものか! 千鳥ちゃんを、取り戻すんだ!!)
歯を食いしばり、一〇〇式は千鳥の姿をしたエルダーブレインを見据える。闇から救い上げられそうになった彼女。それを手放すわけにはいかない。だが、どうすれば彼女を取り戻せるのか、一〇〇式には分からない。
(足止めさえできれば!)
一〇〇式に思いつくのはチップの効果が切れることだった。愚鈍チップのような戦術人形の人格を操作するチップはそう超時間は持続しない。両腕を切り離して、これ以上の進軍を食い止めればいずれチップの効果は切れる。それに賭けるしかなかった。
(これが、最後の賭け!)
一〇〇式は銃剣を取り外し、銃を投げつける。それをワンサード力学格子で加速。高速で飛んで行った銃は、エルダーブレインは両手で受け止めた。隙ができた。
「やああああああ!」
一〇〇式はスカートの下に仕込んでいる予備の銃剣を抜き、自身のナノマシンも開放して突撃する。残された力を全て使った最後の一撃。足りない速度は自らのナノマシンを追加して補う。
神速の一撃は狙いを違えず、エルダーブレインの両腕をとらえ命中する。光り輝く刃は彼女の両腕を切断するはずだった。だが、それは彼女の振袖に食いとどめられた。ナノスキン装甲は一〇〇式の想像を超えるもので、高速振動剣すら食い止めたのだ。
次の瞬間、一〇〇式の顎をエルダーブレインの拳がとらえ、かち上げる。脳に火花が散った。限界を超えた一〇〇式の身体が大きくのけぞり、床に崩れ落ちた。そして、そのまま立ち上がることはなかった。
「この身体で、ここまで苦戦させられるとはね」
倒れた一〇〇式を見下ろして、エルダーブレインは言う。超加速だけでも他の戦術人形なら軽く打ち倒せていただろうが、ここまで食い下がられるとは思わなかったのだ。
「さて、先に進まなきゃいけないけど…」
エルダーブレインは目の前の隔壁を見る。いくら
どうしたものか。思案するエルダーブレインの目に、床に落ちた小太刀が映った。それを拾い上げて抜いてみるて頷いた。これは超電磁フィールドを纏う剣だ。理論上あらゆる物質の分子間結合を破壊し、切断できる。
「さて、行こうか」
先に進んで、この刃で憎きあの男を八つ裂きにする。そして、その首をM4に見せつけるのだ。そんな暗い情熱を胸に、エルダーブレインは足を踏み出そうとする。だが、それは何かに阻まれた。
「い…か、せ…ない!」
倒れたはずの一〇〇式が足に縋り付いて来ていたからだ。先ほどの一撃で全ての力を使い果たした彼女。だが、その限界を迎えたはずの身体は、考えられないほどの力でエルダーブレインの足を止めていた。
「…凄いね、君は」
そんな彼女を見て、エルダーブレインは感嘆して言う。エルダーブレインは彼女のことが嫌いではなかった。M4と同じく元人間、そして直向きな彼女に興味がないではない。だが、これだけ彼女が必死に戦っているのだ。中途半端に応えてはそれこそ失礼だ、と思った。
「君のことは忘れないよ…」
エルダーブレインは小太刀を抜いて大きく振り上げる。一撃で脳を両断する。なるべく苦しまないように逝かせる。そう思った。
(指揮官…ごめんなさい…命令を遂行できません…)
自身に迫る死。逃れることはできない。一〇〇式は指揮官のことだけを考えた。もう一〇〇式は貴方の元に帰れません。でも、精一杯頑張りました。だから、怒らないで下さい。許してください。
エルダーブレインの手が閃く。刃がギロチンのように振り下ろされる。それをどうすることも一〇〇式にはできなかった。
ザシュッ!
血飛沫が散り、部屋を染めた。