一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』 作:カール・ロビンソン
2-1 前途多難
「指揮官様、おはようございます!」
指揮官室の扉を勢いよく開けて入ってくるカリーナ。この時間帯、彼女は眠そうにだらけている晶の姿を思い描いて部屋に入ってきた。
だが、目の前の晶は額からケーブルを延ばし、端末に繋いですでに仕事を開始していた。カリーナは思わず窓の外を見る。槍でも降ってきたのではないか、と思って。だが、生憎外はとてもいい天気であった。
「生憎今日は晴天だぜ? 『屋上』で飲むビールが美味しそうだなぁ」
「はぁ… 陳情なさるのでしたら用意は致しますけど…お金あるんですか?」
何か意味ありげにいう晶に、カリーナは少し戸惑いながら尋ねる。この指揮官は月末になると重篤な金欠に陥る。そこまで金遣いが荒いわけではないのだが、彼はグリフィンに多額の借金をしており、毎月給料の2分の1を引かれているのだ。そんな彼がこのご時勢かなり高くつく酒類を今の時期に買えるとは思えないのだが。
「そこはだな。うちの有能で優しい後方幕僚が頑張ってる指揮官に一杯御馳走してくれるって思ってるんだ」
晶の言葉に、カリーナはそんなことだろうと思った。今日一日朝早くから働いているだけで、ビールを奢れるほどこの基地の財政状況はよろしくない。せめて、1ヶ月大真面目に働いたら考えてあげてもいいのだが。
「はいはい。特別に原価で提供いたしますわ」
「つれないねぇ。今日も鉄管ビールで我慢か」
カリーナの言葉に、晶は肩を竦めてディスプレイに視線を移す。別に見ている必要はないのだが、癖とでもいうものだろうか。
「ところで、何か報告があるんだろう?」
「え、ええと、治安部隊から先日の件の報告書が…」
「ああ。奴等はWTLじゃなくて、合成麻薬の中毒者だってことと、銃とヤクはIFNで仕入れたって話だろ? すでに知ってる」
カリーナの言葉が終わる前に、晶は彼女の話の内容を軽く説明する。そこらの話は既に治安部隊のノードをジャックして知っている。この程度の報告を上げるのに丸一日使いやがったのは、面子のためだろうと思う晶は軽くため息をついた。こんなことでいいなら、自分ならチキンラーメンができるよりも速く調べ上げているだろう。
「合成麻薬の出所はロボット人権団体だな。いくらかフィルターを通して上手くやっていたつもりだろうが、尻尾は掴んだ。ヘリアンさんに通報はしている」
「す、凄いですね、指揮官様…」
淡々と言う晶にカリーナは度肝を抜かれた様子で言う。普段のテキトーさ加減が嘘のようだ。何が彼をこうまで突き動かしているのだろう。カリーナの経験から鑑みて、コンビニ立てこもり事件など、彼の心の琴線に触れるような物事ではないと思うのだが。
「可愛い
ああ、そういうことか。カリーナは半ば呆れながら思った。どんだけ一〇〇式が好きなのだろう、と。同時にほんの少し彼女が羨ましい。そう思った自分の心を誤魔化すように、カリーナは尋ねる。
「でも、銃は? ロボット人権団体だって、人間用の銃なんて作りますか?」
ロボット人権団体は自立人形を整備する施設を独自に設けていると聞く。噂では破棄された人形をパーツをばらして売っているという話もある。そんな彼らなら銃を作る設備もノウハウもあるかもしれない。
だが、あんな銃を作れば組織を本格的に取り締まる口実をグリフィンに与えるようなものだ。そんな危ない橋を渡るものだろうか、と思う。
「そっちに関しては正直よくわからん」
晶は苦虫を噛み潰したような表情で言う。正直、晶としてもプライドを著しく傷つけられた思いだ。かなり本気を出して頑張ったが、相手の痕跡さえつかめない。こんなことは初めてだった。
「奴等は地下に近いコインロッカーで銃を受け取ったらしいが、取り出したことは分かっても入れた形跡がまるで掴めん」
お手上げ、の仕草をして晶はため息を吐く。コインロッカーを管理している会社のノードをジャックして、ログを精査しても、治安部隊のノードで監視カメラを確認しても銃を入れた形跡が確認できない。最初から入っていたかのようだが、あのロッカーは閉じてから24時間経過すれば、会社が介入しなければ開かなくなるはずだ。そして、24時間以内に監視カメラには取り出したボンボンしか写っておらず、ログにも形跡がない。そして、介入した形跡を追ってみようにも、なんら痕跡がないのだ。
「合成麻薬の方とは全く別の犯人がいる、ということですか?」
「今のところそういうことだ、と思う」
カリーナの問いに、晶は頷いて言う。もし、相手が自分と同じ電子工作員ならロッカーに細工を仕掛けた犯人は晶を上回る腕利きだ。正直、人類屈指の化け物だ、と思う。そいつが関与しているのなら、合成麻薬の足取りも追えなかっただろうからだ。
「ただ、不自然な点が2つある」
晶は首を捻りながら言う。どうしても2つ分からない点があるのだ。
「まず、合成麻薬でWTLみたいな症状が出るのだろうか、というところだな。ヤクでトリップしたからって、それが延々続くもんかね?」
晶はまずその点を疑問視する。現実と仮想現実を混同する症状を長時間引き起こすようなケースはWTL特有のものだ。トリップした直後ならまだしも、麻薬でそんな症状が起こり続けるものかわからない。しかも、彼らの使っていた合成麻薬はそこまで重篤な症状を引き起こすものではなかったはずだ。最も、晶は麻薬に関しては専門外であるため完全にない、とは言い切れないが。
「もう一つは目的が分からん、というところだ。ヤクはともかく、銃を何で渡すかな?」
晶はもう一つの疑問点を口にする。ロボット人権団体に限らず、その手の反社会団体は大抵資金不足に悩んでいる。そして、生身の人間を割りと軽視しているロボット人権団体が麻薬を売るのは、そこまで不自然でもない。だが、連射式の銃を売るのはリスクとリターンが釣り合わないにも程がある。それぞれ全くの別の団体による犯行、という線もあるが今回の事件を見るに全くの無関係ということはないと思う。第一、合成麻薬はともかく実銃を作れる組織はそうそうはないし、昔のインターネットに比べ遥かに制約の多いIFNで、複数の違法なラインを素人のボンボンが引けるとは思えないのだ。
「まさか、鉄血の機械人形達の仕業ですか?」
カリーナは眉を顰めて言う。そういうことをして、人の足を引っ張ろうとする第一の候補は彼女らであった。
鉄血工造株式会社が開発したと言われる自立人形達。蝶事件を境に人類に銃を向けた彼女らは、未だに人類の敵であり続けている。人類の領域で大きな事件が起きた場合、その裏には彼女らの影があるというのが定説だった。
「いや、それはどうだろう?」
晶はその言葉に疑問を呈する。鉄血の連中は今まで戦術人形との遣り取りに徹しており、民間人相手にそこまで回りくどい工作を仕掛けるとは思えないのだ。もちろん、対人戦略の大きな転換をした可能性も否定できないのだが。
「他のPMCの嫌がらせか、鉄血の糞共が新たな手に打って出たか… いずれにせよ、油断はできんな」
そう言って、晶はケーブルを頭から外して椅子にもたれかかる。何かが動き始めている。晶の勘がそう言っていた。そして、それはあまり外れない。だが、今は動きようがない。後手に回るようで腹立たしいが、今は事態を静観するしかない。晶はとりあえず、カップの中のお茶を啜ってみる。一〇〇式の淹れてくれたお茶は冷めても美味しかった。
不意に指揮官室のドアがノックされる。そして、それが開いて
「指揮官、入るわよ?」
そう言いながらFALと、それに続いてヘリアンが入ってきた。どうもFALが出迎えたようだが、彼女が今日この基地に来る、とは聞いていない。突然何なのだろう、と思う。
「おお、ヘリアンさん。お元気そうで何よりです」
「ああ。天野指揮官も大事はなさそうだな」
晶の言葉に、グレーの髪のグリフィンの上級代行官ヘリアントスはにこりともせずに言う。相変わらずのクールビューティだ。その表情をちょっと崩したいな、と思った晶は一昨日手に入れた情報について尋ねてみる。
「一昨日のプリンスホテルの合コンパーティどうでした?」
「な、な、な、何故お前がそのことを…!? い、いや、何の話だ?」
あからさまに動揺した様子のヘリアン。一昨日プリンスホテルのノードに入って遊んでいた時に、ヘリアンらしい女性の姿を見かけたのだが、案の定だったのか、と思う。
「指揮官様! デリカシーがないですわ。そういうものはいつものことと察してあげるものです」
大慌てのヘリアンを見て楽しむ晶を、カリーナが批難する。いや、お前の言うことのがひでえだろ、と思ったが黙っておくことにした。
「そんなことよりヘリアンさん、大切な話があるんじゃないですか?」
なんだか悲しげな様子のヘリアンに、FALが助け舟を出す。
「あ、ああ…」
FALの言葉にごほん、と一つ咳払いをしてヘリアンは用件を切り出す。
「実は早急に部隊を派遣して貰いたくてな」
「出撃ですか。そらまた藪から棒な話ですね」
ヘリアンの言葉に、晶は首を傾げる。そんな話があるなら、朝の通報した時に通信で伝えてくれれば良かったのに、と思うのだが。
「本来なら別の基地の部隊だけで片がつく案件なのだが、今朝の報告を鑑みてお前に一枚噛んで貰おう、と思ったのだ」
ヘリアンは小脇に抱えていたノートPCのような形のIFデッキを起動する。そして、それ操作すると晶のデッキのモニターに地図と座標が表示された。
「その地点に民間人を保護している戦術人形がいる。お前にはその回収と追手の機械人形どもの殲滅を頼みたい」
「了解です」
ヘリアンの言葉に即了解の意を示した晶はFALの方を見て伝える。
「FAL、聞いての通りだ。待機中の第一部隊、第二部隊は直ちに出撃。カリーナはヘリを準備しろ」
「「了解!」」
FALとカリーナは指揮官に敬礼して任務を了承し、すぐに部屋を出る。仕事となると機敏なのはあの二人の共通点の一つだ。
「で、ヘリアンさん? 俺を噛ませたい理由って何ですか?」
二人が部屋を出たのを確認して、晶はヘリアンに尋ねる。この出撃と今朝の報告に何の繋がりがあるのか、晶にはイマイチピンと来ないのだ。
「ああ。実はその民間人というのが、どうもロボット人権団体の者らしい」
ヘリアンの言葉に、晶はははぁ、と納得する。そいつをこっちの基地で保護して、例の麻薬密売の情報を引き出せ、と言っているのだろう。その辺りは元情報工作員の晶の得意分野だ。
「了解です。ヘリアンさんの期待に応えてみせますよ」
「ああ、頼む。麻薬汚染が広がると敵わんからな」
晶の言葉に、ヘリアンは言う。確かに人類の領域において、麻薬汚染は脅威の一つだ。ヘリアン自らが出向いてでも解決したがるのも道理である。
(しかし、それだけの事件かな…?)
晶は妙な胸騒ぎを感じる。麻薬の件もこの人権団体の者の件も何か大きなことの前触れのように感じるのだ。
嵐の前の静けさのような不気味な感覚。それを感じながら、晶はカリーナとFAL、それにM4A1の準備完了の連絡を待った。