フフフ、息子よ。初めまして
(フフフ、息子よ。初めまして)
意味がわからない。
リィン・シュバルツァーはそう思った。
エリゼを救うために解放された、破壊の衝動ともいうべき自身の中に眠っていた未知の力。
がむしゃらに振るった結果こびり付いた、己の体に張り付く赤く粘ついた液体と鉄の匂い。
それが魔獣の返り血であり、雪を真紅に染めるそれらにエリゼが怯えていると知ったのは後のことだ。
そんなエリゼの姿に泣きそうになる前に、リィンは疲労からか体を倒してしまう。
「にいさま!」
舌足らずな妹の叫び声が届き、自身の思考も途絶えそうになる刹那、先程のあれだった。
声の発生源に目を向ければ、自分の左腕に厳つい顔のおじさんの人形が抱きついている。
恐怖を超えた先の感情、意味不明の虚無に至った現実を前に感情を飽和させたリィンはあっさりと意識を手放した。
*
リィンが目覚めたのは夜中だった。
ベッドに寝かされていることに気づき、上半身を起こす。
「おれ、は……」
(フフフ、息子よ。気分はどうだ?)
しばらく呆然としているところに、重低音を思わせる声音が響く。
見れば、左腕から聞こえる謎物体がリィンに話しかけていた。
じっとそれを見据えるリィン。
真顔で無表情の黒髪の中年を模した人形。
それがリィンの視線とぶつかった。
「…………まだ夢みたいだな」
(息子よ、現実逃避はあまりおすすめしないぞ)
「なんなんだアンタ!」
リィンは夜中であることも忘れて絶叫する。
ただでさえ自分の身に起きたこともあり、情報が多すぎて頭がパンク気味になっていた。
その叫びが部屋の外に漏れたのか、開かれた部屋の扉から両親が慌てて駆け込んでくる。
「リィン、起きたのか!」
「リィン、体は平気? だるくない? 痛くない?」
心配そうな表情でリィンを見るのは父親のテオとその妻ルシアだった。
びっくりして体を震わせるリィンは、自分のことも忘れて両親に左腕の人形について伝えた。
「父さん、母さん。おれは無事だ。でも、左腕になんか変なのが……」
「何?」
「リィン……?」
何を言っているのかわからない、そんな表情の両親。
ああ、おかしいと思うのは自分だけではないと安堵したのもつかの間、なぜか視線に痛ましさが混ざっていた。
「父さん、母さん、これ――」
「――――いいんだリィン。お前はきっと疲れているんだろう。起きたばかりのようだが、もう少し寝ていなさい。寝付くまでは、父さん達がそばにいる」
「エリゼも一緒だったけど、流石に日をまたいでしまうほど我慢出来なかったみたいでね。安心して、あの子は無事だから」
「いや二人とも、おれの左腕――」
「いいんだ」
「いいのよ」
二人はリィンを強引にベッドへ押し込み、布団をかけ直す。
その目は優しかった。
「あんなことがあったんだ、錯乱したってしょうがない。今はただ、ひたすらに休むといい」
「ただ、ひたむきに寝なさい」
そう言われてしまえば、リィンには何も言えなくなってしまう。
文句はあったが、その瞳にある感情は紛れもない愛情だったからだ。
それを理解して、リィンは嬉しさに顔を綻ばせたくなる。
(フフフ、愛されていて何よりだぞ、息子よ。今は二人の言葉に従って眠るがいい)
だが、それはこの謎物体のせいで阻まれた。
リィンはせめてもの抵抗に布団から左腕だけを上げる。
二人は一瞬だけ見てくれたが、すぐにそっと手を添えて左腕を布団の中に戻してくれた。
(どうも私の姿は二人には見えていないようだな)
どこかのんきな人形の声。
幼心に、リィンは理解する。
これが見えているのは、自分だけだと。
*
「――おれの、本当の父親?」
(当然、本物ではないがね。その良心ともいうべきものか? それとも遊び心というやつか。どちらにせよ私は本人ではないし、本体はもはや人ではない、怪物と成り果てている)
翌日、まだ家族から若干の距離を取られていることを不幸中の幸いとばかりにリィンは自室に引きこもっていた。
言いたいこと、訴えたいことは山程あるが今はこの謎物体と話し合わなければならないからだ。
(お前は自分が捨て子だったと知っている。ならば、本当の両親が別にいることも理解しているはずだ)
「それ、は……」
自分が帝国の貴族の間で浮浪児として悪名を轟かせていることは知っていた。
そのせいで社交界の場で父が不条理な目に合っていることも。
それらが少年の負い目となっているのは明らかだった。
そんなさなかに、この謎物体――オズぼんと名乗った人形はリィンに語った。
帝国の鉄血宰相ことギリアス・オズボーンがリィン・シュバルツァーの本当の父である、と。
パンクしそうになる頭を幼いながらも懸命に堪えるリィンは、聞きたいことをとにかく聞いた。
「どうして、おれを捨てたんだ」
(政界の場で戦うに辺り、自らの弱みとなるものを切り捨てたのだろう。だがせめてもの抵抗として、弟分であったテオに頼ったのだ)
「あの力は? 魔獣を倒して、いきなり何もかもめちゃくちゃにしたくなる、あれは!」
(お前の心臓からもたらされる、鬼を基にした力だ。私の心臓でもある)
「え?」
(そもそも、お前をテオに預けた理由は政界に身を置くためだが、その前提が最も大事だったのだ)
そうして語られる、さらなる幼少期の自分。
住んでいた村が猟兵という存在に襲われ、母は死亡し自分も心臓を穿たれて死にかけたということ。
その心臓を肩代わりにすることで、リィンは生き延びたとオズぼんは言う。
(子供には難しい話だったかな?)
「いや、なんとか、わかる」
(ほう? 優秀だな、流石は我が息子)
オズぼんの言葉が遠く聞こえる。
胸中にあるのは、捨てられた悲しみとそうせざるを得なかった境遇。
何より――
――……女神よ……願わくばこの子だけは――
もう顔も覚えていない、大きな背中と言葉。
それがオズぼんの補足により明確な形を帯びてくる。
「…………おれは…………いらない子じゃなかったんだな…………」
(むしろ愛しているぞ、息子よ)
気恥ずかしくなるが、それ以上に気になることもあった。
それは、なぜオズぼんがここにいるのか、だ。
聞いてみても、オズぼん自身理解出来ないようだった。
(それは私にもわからない。ただ私はギリアス・オズボーンを元に生まれた存在であり、彼が鋼の理性で封じてしまった親としての愛情を、息子へ託すことを存在証明としている)
「ええっと、つまり?」
(コンゴトモヨロシク、だ。息子よ)
こうしてリィン・シュバルツァーは自分だけに見える、父と名乗る人形と共に生きていくこととなる。
それからは怒涛の日々だった。
(フフフ、息子よ。エリゼ嬢がお前に距離を取るのは義理の兄妹だと知ってどう接しようか悩んでいるせいだ。気にせず、お前は兄として接してやるといい。何? 義理というだけで距離を置く理由? それはだな、兄だからと諦めていたのにチャンスが転がってきたから――いや、これ以上はエリゼ嬢から聞くといい。男女の問題だ)
(フフフ、息子よ。鬼の力に悩んでいるようだな。当然でもあるが、それは不可抗力というものだ。お前を助けるためには仕方なかった……とはいえ問題なこともわかる。そこでだ、武術を学んでみるといい。古来より健全な精神は健全な肉体に宿ると言う。鍛えた器であればその力が暴走することもなくなるだろう。確か、八葉一刀流なる使い手の老人が湯治に来ていたな。その御仁を訪ねてみるのはどうだ?)
(フフフ、息子よ。次期領主になるかは別として、長男ならばユミルの村を回るのもお前の役目だ。ユミルマラソンというやつだな。修行や勉学の空いた時間に走り回ってみるといい。人々の暮らしを知り、その悩みを聞き解決するのも立派な役目だ。もちろん話は二度聞くのだぞ? ランナーの嗜みだ)
(フフフ、息子よ。釣りはいいぞ。釣公師団や釣皇倶楽部といったゼムリア規模で大人気の一大ジャンルというやつだな。精神統一として心を整えるもよし、エリゼ嬢やユミルの子供達を誘って共に釣った魚を調理して食事を囲むもよし、いずれ来るレインボウ乱獲に備えて今からプロ級の腕になるよう磨いておくのも悪くない)
(フフフ、息子よ。やはり鬼の力の制御か? 私も同行しよう。いや手伝おう。何? 私がただ喋るだけの物体だと思っていた? そうなるのも当然だな、私は今までお前の左腕に抱きついている可愛らしい人形でしかなかった。だが鬼の力も私も見えるけど見えないもの。ならば干渉出来ぬ道理はない――息子よ、なぜそんな曖昧な表情で沈黙している?)
(フフフ、息子よ。その問題の答えは――何? 自分で解くからいい? なんと生真面目な……テオよ、お前の息子は立派に育っているぞ。今宵は祝杯だ! 聞こえないからテオに酌をしてやってくれ)
(フフフ、息子よ。納刀するときの擬音はキィン、なのかチン、なのかどちらなのだろうな。どちらにせよ、あの刃が鞘に収まるさいに金属同士が擦れて起こるあの音は不思議な心地よさがあると思わぬか?)
(フフフ、息子よ。温泉はいいぞっ。ただしお酒は二十歳になってからだ。ただあの魔界皇子という衣装は14歳の頃にだけ着れる一年限定のものだ。大事にしなさい)
(フフフ、喜べ少年。君の願いはようやく叶う――エリゼ嬢との仲直りの時間だ)
一言で済ませてしまえるほど薄いものではなく、濃厚でどろりとしたにがトマトジュースのように後に残る日々だった。
しかしリィンにはその日々が嫌ではなかった。
正体不明だった、己に宿る力の正体。
家族との関係。
老師との修行や本当の親など、オズぼんがいなければ今もリィンは道に迷った子供のように人生を彷徨っていたと断言できるほどに。
それほどにリィンはオズぼんに感謝し、親父と呼ぶほど彼との間に、紛れもない絆を感じていた。
ただ――
(結局誰にも親父を見ることは出来なかった。老師でさえも……もしかして、本物の親父には見えるんだろうか?)
ギリアス・オズボーンが実父であると知ったリィンは、それとなくテオに会いたいと伝えてみたことがあるが、未だその願いは果たされていない。
相手は帝国で最も忙しいのだから無理もないことだが、残念な気持ちになるのは仕方ない。
オズぼんは補正だなと言っていたが、相変わらずわけがわからなかったのでスルーされていた。
時折、これが幻覚ではないかと思うことも多い。
そのたびにオズぼんがくだらないことを言ったりはぐらかしたりする。それが、リィンを寂しくさせた。
はたから見れば独り言を延々とつぶやくような現状も、寂寥感を大きくさせている。
当然だが、リィンにとってシュバルツァー家は大事な存在であると認識している。
それとは別に、オズぼんを真に理解する存在を求めていた気持ちも確かにあった。
自分を救ってくれたこの人を、もっと世間に知って欲しい。
そんな気持ちがリィンの中に生まれていた。
(フフフ、息子よ。自分にはそんな存在がきっと一生誰ひとりとしてあらわれない。なぜなら私が見える者は誰もいないのだから。……見えない人間と真に気持ちがかようはずがない……などと考えてはいないかね?)
リィンの心臓が跳ねる。
まさに考えていたことを的中させられたからだ。
表情があればドヤ顔を晒しているであろう口調で、常に真顔のオズぼんは言う。
(それはお前の、リィン・シュバルツァーという人間としてのレベルが低いからだ。世界がユミルとその周辺で完結している。レベルを上げていくつもの場所へ赴ける、広い視野を持つがいい。ゼムリアの中にはきっと、お前の求めるものがあるだろう。さしあたってなら……トールズ士官学院。帝国中のエリートが集うその場所なら、お前と望む仲間との出会いが待っているはずだ)
「本当に、そうなのか?」
(フフフ、息子よ。父を疑うか?)
「女性相手にはこうしろああしろ、ってのを実践したらエリゼに睨まれたんだが」
(あれは思春期特有の……いや、エリゼ嬢は一生引きずりそうだな……ともあれ少女の可愛らしい癇癪というものだ。受け止めてやるのが男の度量というもの。それに女性に優しくするのは紳士の嗜みであろう?)
言われてもリィンは顔をしかめる。
見ず知らずの相手に優しくするのは問題ないが、それがなぜか義妹に怒られるのかわからないせいだ。
オズぼんも具体的な答えを言ってくれないので、常にもやもやするリィンであった。
「でも、トールズ士官学院か……進学の予定はあったし、行ってみるのもありかもしれないな」
妹のエリゼが聖アストライア女学院へ入学していることもあり、リィンもまた進学について悩んでいた。
勉強も大事だが、そのためのコネ作りも大事だとオズぼんからさんざん聞かされていたからだ。
両親は自由にするといいとリィンを尊重したが、彼にとっては明確な目的を示してくれたほうが悩まずにいるのでありがたい。
そうしてリィンは、白いライノの花が舞い散る季節に、トリスタへ足を踏み入れることとなる。
彼は出会う。
自分が本当に求めた、オズぼんを共に見ることができる相手を――
「な、なによそれ。アンタなんてものを抱えてるの!」
その最初の一人、ではなく一匹が黒い艷やかな毛並みを持った喋る猫だとは、女神ならぬリィンには預かり知らぬところであった。
メンタルが不安定な時期に助けてくれたら、怪しくても情が湧いちゃうよねというお話。
タグの転生と憑依が誰のことなのかはお察しください。
パロネタのセリフを入れた場合、他作品ネタとか入れたほうがいいのでしょうか。
軌跡の二次小説を見ていたら勢いで書いてしまったものですが、楽しんでもらえたら幸いです。