案内人の少女、ユウナと共にマクダエル前市長――今は議長となったらしい彼を尋ね、挨拶を交わした後は待望のクロスベル散策である。
一人だけで訪れているならまだしも、今回はオリヴァルト達皇族の護衛として派遣されている身のため、危なそうなところを紹介して欲しいと言う。
「あ、危ないところですか?」
「場所だけ教えてくれれば、ユウナは待機してていいけど……」
「い、いえ。将来の警察官が臆するわけには行きません!」
むんっ、と気合を入れるユウナ。
彼女の思う危ない相手――警察官志望といえ、一般人と言っていいユウナでもわかる場所をひとまず確認出来そうだとリィンは口を緩める。
ギデオンから明かされた情報、《帝国解放戦線》の襲撃。
テロリストがどこに潜んでいるかわからないが、すでに街に潜伏している可能性は高い。
「やっぱり旧市街、でしょうかね。裏通りや歓楽街もある意味只者ではない人達が居ますが……《ナインヴァリ》ってお店の女主人さんとか」
「ん……それじゃあ道なりに案内頼むよ。しかし、旧市街は反対側なら駅から直行したほうが早かったな。仕方ないといえ、二度手間になってしまった」
「あはは、待ち合わせ場所はどうしようもありませんからね」
「話に聞く特務支援課なら、待ち合わせくらいは使わせてくれそうだけど……やっぱりクロスベルを一通り見る、って意図があったのかな」
「マクダエル前市長……議長ならそのくらいの配慮はしてくれるかもしれませんね。リィンさんはクロスベルが初めてってことですし」
何十年も政治家として生きてきた人生経験だ、おそらくその意図で正しいのだろう。
だが、そんな善良な議長でも、むしろ善良だからこそ飲み込まれるのがこのクロスベルという土地、ということもあり静かに背負い袋の紐を握る。
自由に使える時間は今日と明日訪れるオリヴァルト達との合流までだ。
その間に、可能な限り《帝国解放戦線》の足跡を探っておくのがリィンの役目だろう。
……本人には明かされていないが、オリヴァルトがリィンをクロスベルへ赴くさいの護衛の話を持ち込んだのは、この辺りにもある。
ローゼリア曰く狂った因果律の持ち主であるリィンが絡むと、本人の無事は度外視として何らかの展開を見せる。
《貴族派》の内戦への備えの暴露から始まり、次にノーザンブリアでの塩の杭の残滓。帝都では《帝国解放戦線》の幹部の確保にまで手をつける始末。
リィンが動けば何かが起こる、と確信しているオリヴァルトの盤外の一手でもあった。
無論、根が善人なオリヴァルトはリィンを、しかもまだ学生である立場の少年を巻き込むことをよしとしない。
だが、あらゆる手で鉄血宰相の遅れを取るオリヴァルトが彼の狙いを狂わせるには、これ以上ない手としても有用なのは間違いなかった。
そういう意味では、この場にリィンが居るのはオリヴァルトの政治家としての成長が生んだ結果だった。
「この住宅街は、マクダエル議長の家以外に目立つものはないの?」
「しいて言えばヘイワースさん、って方の家でしょうか。貿易商を営んでいて、やり手の商人という話ですよ」
「高級住宅街にマイホームがあるなら、さもありなんか」
貿易商ということは外国との取引も多そうだ、と予想し詳しく聞いてみるが、基本的にいい人……善良でそういった相手との取引には嗅覚が鍛えられているそうだ。
クロスベルで身を立てるような商人なら鼻が効くため、裏事情にも詳しいかもしれないが……
(フフフ、息子よ。さすがに何のあてもなく訪問するには情報も信頼も足りんよ。ユウナ嬢はエリィ嬢からの紹介といえ、あくまで一般人。そんな彼女とお前では会うことすら難しいだろう)
と、オズぼんから釘を刺されてしまったので流すことにした。
「それじゃあ次は歓楽街ですね。やっぱりクロスベルのミラが多く集まる場所、って意味ではここです。カジノがありますし、外国の人の多くがここに流れますから」
「へえ、危ない匂いがするな」
「そういう面がないわけじゃありませんが、やっぱり一番は劇団『アルカンシェル』の存在です!」
突然テンションの上がるユウナ。
興奮する彼女を落ち着かせながら話を聞けば、周辺諸国にもその知名度を轟かせる大スター集団の集まり、だそうだ。
帝国で有名なオペラ歌手として活動していたヴィータのことを知らなかったリィンからすれば、いまいちしっくり来ないものである。
ユウナはそんなリィンの胸中を見抜いたのか、不満を垂らすように口を尖らせる。
だがそれも一瞬のこと。
尊敬する特務支援課の一人であるエリィからの紹介、という使命感が彼女の不満を飲み込んだ。
「機会があればぜひ見てください。きっと世界が変わりますから!」
「通商会議が終わって、長期休暇が取れて機会があれば、かな。そんな劇団ならミラも安くないだろう?」
「え……あー、えーっと」
ユウナもリィンも共に学生の身分であり、実家も一般的と清貧な暮らしなので裕福とは言いづらい。
リィンはかつて魔獣退治を主にこなすことで多少ミラは持っているが、一人で楽しむ気はない。
せめてエリゼやシュバルツァー家、あるいは士官学院の友人達が一緒なら奮発してミラを出すかもしれないが、現状でその未来はなかなか見えない。
先程と一転して口をもごもごとさせるユウナに苦笑しながら、リィンは先を促す。
「ま、機会があれば、だな。そう言えば、俺やユウナみたいな学生でも行けるのかな? 特にユウナなんか警察学校の生徒なら、校則違反ってことも……」
「そうですね、カジノなんかは推奨されませんが、劇団まで行けない、なんてことはありませんよ。公開稽古でもしてない限り、入るのは難しいかもしれませんが」
「なら、場所だけわかればいいさ」
(フフフ、もっとも怪しいと思われる高級バーにユウナ嬢を連れて行くわけにはいかぬからな。夜にでも行くといい)
トワ印の変装セットと技術を身につけたリィンなら、潜入調査も視野に入る。
だがそれにユウナを巻き込むのはいただけない。
だから今は場所だけ知ることが最優先だ。
「あ、でもブロマイド辺りは買えるかな? そういうのが好きそうなのがクラスメイトにいるから」
「もちろん、ファングッズは充実してますよ。それならこっちへ――」
リィンの頭に浮かぶのはエリオットとマキアスの二人だ。
彼らは芸術方面に詳しいようだし、ヴィータのファンでもあった。
アルカンシェルのことまで知っているかはわからないが、無駄になるならオズぼんに管理してもらえばいい。
そう思い看板スターのイリア・プラティエに新進気鋭のリーシャ・マオという少女のブロマイドをいくつか購入した。
他にもユウナに薦められるままにいくつか購入し、士官学院へ帰った時に渡して帝都の特別実習におけるマジギレ案件(ヴィータへの痴漢疑惑)のお詫びとする。
(他のみんなはそこまで興味なさそうだし、あとでまとめてお土産でも買おう)
ユウナにも何か買おうか、と提案したが初対面の相手に奢ってもらうほど図太い性格ではないようで、恐縮して辞退された。
立場的にチップは受け取れません、と言われ妙な勘違いをしているようだが、断るなら同じことだろうと何も言わなかった。
その流れを切るように息を一つつき、ユウナは次の目的地を告げる。
「次は裏通りですね。ここは少し前まで《ルバーチェ商会》っていうマフィアのアジトだったんですけど……」
そこで言葉を濁すユウナ。
警察学校の生徒として、マフィアの元へ案内することを躊躇しているのだろうか?
なら、とリィンは背負い袋の紐を緩めて太刀の柄をユウナに見せた。
「安心してくれ。これでも腕にはそれなりに覚えはあるし、ユウナを抱えて逃げるくらいは余裕だから」
「え。あ……」
彼女が驚いたのは、リィンが武器を持っているという点だった。
エリィから聞いたのは、リィン・シュバルツァーという少年が貴族の名門校の生徒であり、男爵という位ながらも貴族の息子という話なので、いわゆる接待の面もあると思いこんでいたのだ。
先程のチップと称したミラの受け渡しの拒否も、それが遠因にあたる。
だが蓋を開けてみれば危ない場所へ行きたがり、武器を持ち込む始末。
ユウナは自分が何を案内しているのか、と考えるのも当然の帰結だった。
「あの、リィンさんは一体クロスベルへ何をしに……」
「全部教えることは出来ないけど、今度の通商会議に繋がるかもしれないこと、かな」
「…………?」
皇族の護衛です、と言うのは簡単だが、伝えても混乱させるだろうと思いはぐらかす。
実際ユウナがそれを知ったところで、クロスベルの案内をしてもらうことに変わりはない。
「ま、こっちのことは気にしないでくれ。それより、そのルバーチェ商会っていうのがどうしたんだ?」
「あ……えーっと……」
「ん、守秘義務でもあったか? なら言わなくていいよ」
ユウナが警察学校の生徒なら、マフィアとのあれこれも実情はともかく何らかの情報が伝わっている可能性はある。
リィンがオリヴァルトの護衛として訪れていることを明かさないように、彼女からすればリィンにそれを伝える理由はない。
なら無理に聞くのはご法度だろう。何より、
(フフフ、息子よ。ルバーチェ商会はクロスベルに蔓延った《グノーシス》なる薬の被害を受けてなくなっている。
仮にも裏社会の抑止力となっていた存在が消えたことで、秩序がやや乱れている。警察としてもそこを苦々しく思っているのだろうな)
リィンにはオズぼんというアドバイザーがいた。
故に深く聞かなくても、ある程度の情報は入手出来る。
なぜオズぼんがそんなことを知っているのか、というのはそれこそ聞くだけ無駄な話である。
(そして今は、別の勢力がその跡地に居座っている)
(別の勢力?)
(《クリムゾン商会》と呼ばれている。それは、帝国籍で作られた会社で、表向きは高級クラブ《ノイエ=ブラン》を経営するバーだ。
だが、その実体はかの赤い星座の資金繰りのために作られたダミー会社。それがクロスベルにある……フフ、きな臭くなっているものだ)
それきり、オズぼんは黙ってしまう。
あとは自分で調べろ、という話なのかもしれない。
赤い星座と言えば、フィーが所属した西風の旅団のライバル猟兵団だったはずだ。
大陸最強の猟兵団の一つ。
それがクロスベルに居る時点で確かに怪しさしかない。
「ユウナ、《クリムゾン商会》って名前に聞き覚えはあるか? 高級クラブ《ノイエ=ブラン》を経営する帝国籍の会社なんだけど」
「え? え、えっとまさにルバーチェ商会の跡地に設立された会社なんですけど……帝国の企業がクロスベルに……?」
「そういう反応ってことは、少なくとも表向きは高い酒屋として経営してるわけだ」
「リィンさんは何かご存知なんですか?」
「ここは――」
(りぃん。一般人デアルゆうなニ漏ラスノハ、些カマズイノデハナイカ?)
リィンは何の躊躇もなく赤い星座のダミー会社と告げようとするが、ヴァリマールがそれを止める。
(警察学校ノ生徒デアルトイウコトハ、ツマリ士官学院ノ生徒ノヨウナモノ……Ⅶ組デモナイ生徒ニ《帝国解放戦線》ノコトヲ告ゲタトシテモ進展ガナイヨウニ、無意味デハナイカ?)
(それもそうか……じゃあユウナには悪いけど、ここで待っていてもらおう)
せめて場所だけ確認するべく、裏通りの入口で待つようユウナに言う。
だがユウナは迷子のリィンを放っておけなかったお人好し。
ならば、次の台詞は予想してしかるべきだった。
「待ってください、リィンさんは何か承知で行く気みたいですけど、あまり良い会社じゃない……んですよね?」
「んー……」
「言い淀む時点で察せます。せめてその、特務支援課へ要請しませんか?」
「忙しいって言ってなかったかい?」
「はい、今から依頼してもすぐ来てくれるわけではないと思います。でも、放置するってことは絶対にないと思います」
「時間に余裕があればその選択でもいいかもしれないけど……わかった、じゃあ次は中央広場だっけ? まずそこへ行こう」
ここが妥協点、と判断してリィンは引く。
ユウナも胸を撫で下ろすように安堵の息をついていた。
それでも夜中に伺う候補の一つとして脳内でメモっておく。
(フィーの話だと、赤い星座はかなり過激みたいだしな)
ライバル猟兵団だけあって、西風の旅団は何度も赤い星座とぶつかり合っている。
当然お互いにプロフェッショナルであるが、赤い星座は特に血と戦場を好む猟兵らしい猟兵の集まりであるそうだ。
《帝国解放戦線》など、まさに餌場と言っても過言ではない。
敵対する可能性を視野に入れながら、リィンはユウナに連れられて中央広場から行ける特務支援課のビルへ向かおうとする。
だが、そんな二人にかけられた声があった。
「お二人さん、ウチに何か用じゃなかったの?」
「え?」
「無視してくなんてひどいな――」
その声の主は、音もなくユウナの背後に立っていた。
ユウナが振り向くより早くその声の主はユウナに手を伸ばし――その育った胸に伸びていた手を、咄嗟に位置を入れ替えたリィンに掴まれた。
「……クロスベルってのは痴女もいるのか?」
「え? え?」
いつの間にかユウナはリィンとの位置が入れ替わっており、彼の顔を見上げながら目を開閉させる。
ユウナはリィンの左腕に抱きとめられるように体を預けており、異性に触れられているという羞恥心から悲鳴を上げた。
「きゃああああっ!」
「っと、悪い」
咄嗟に突き飛ばそうとしたユウナだったが、リィンの体は動かない。
まるで大岩に手を付いたかのような、硬い感触に目を丸くするユウナをよそに、リィンは声の主に目を向けている。
代わりにリィンは左腕を離しながらも、不埒な襲撃者――赤い髪の少女の両手ごと片手でまとめて掴んだままだ。
視線の交差は一瞬。
リィンはユウナをかばうように立ちながら、少女から手を離した。
「お兄さん、やるぅ」
少女は特に気を悪くした様子はなく、むしろ上機嫌で口笛を吹く。
ユウナはそんな少女とリィンを交互に眺めるばかり。
「大丈夫か、ユウナ」
「え、えっとその……一体何が?」
「この痴女にセクハラされそうだったんだよ」
「痴女だなんてひどいなあ。シャーリィって名前があるのー」
そう文句を垂れる
同性であろうとセクハラ案件を見逃すわけにはいかない。
故に、再び伸びかけた手を視線でガードするリィン。
その鉄壁ぶりに、シャーリィはますます唇を歪めた。
危険な雰囲気を放ち始めたシャーリィをよそに、ユウナが口を開く。
「シャーリィ……うち、って言ってたけどクリムゾン商会の子なの?」
「そだよ。表向きはね」
「表向き……」
「ユウナ、それを聞く前にセクシャル・ハラスメント未遂で逮捕しちゃっていいぞ」
「そっちの子は警察なの? あのお兄さん達みたいな感じなのかな。でも無理だよ、シャーリィ達はそんなのに縛られないもーん」
明朗に笑うシャーリィにこたえた様子はない。
いっそ放置するのが一番か、とリィンはユウナの手を取って早足で去ろうとする。
「そうか。なら仕方ないからここで失礼するよ。それじゃあな」
「まあまあ、待ってよ面白そうなお兄さん」
「俺はこれから特務支援課ってところに行く予定なんだ。ここで道草を食う暇はない」
「なら、シャーリィも付いていってあげる。あの屋上に居る猫ちゃんに餌も上げたいしね」
ずいっと距離を詰めてくるシャーリィ。
その強引さに、いっそ鬼の力を解放して逃げの一手を打つか悩むリィン。
その前に、一つ確認を取る。
「ユウナ、その猫っていうのは本当にいるのか?」
「は、はい。コッペっていう猫で、うちの弟や妹みたいに、特務支援課に遊びに行く子供達にも人気で……」
目を向ければ、ユウナが動揺しながらも答えてくれる。
口からでまかせというわけでなく、確かに居る猫のようだ。
つまり、情報や地の利はシャーリィにある。
クロスベルへ来て間もないリィンが、ユウナを抱えたまま逃げ切るのは難しそうだ。
「……ユウナ、途中までこの子と一緒でいいか? セクハラからは必ず守るから」
「え、はい……ところでセクハラって」
「んふふー。クロスベルって目の保養向きの街だよねー。美人なお姉さんだけじゃなくて、シャーリィと同じくらいの子でも、目に見えて大きいんだもん」
手をわきわきとさせるシャーリィに、ようやくユウナも身の危険を感じたのかリィンの背中に隠れた。
「ま、安心してよ。本当に私はあの猫ちゃんの餌やりに出かけるだけだからさ。そりゃお兄さんが味見させてくれる、っていうならその限りじゃないけど」
「俺はクロスベル観光中だから、そういうのは別の場所でやってくれ」
その言動からバトルマニアであると見抜きながら、リィンは彼女が猟兵であることを察する。
少なくとも声をかけてきた時の気配遮断力の時点で、只者ではない。
それを見抜いたからこそ、こうして興味を持たれているのだが。
赤い星座は仕事でこそ非情だが、平時はその限りではない。
そんなフィーの言葉を信じて、ひとまずリィンは彼女の同行を許可した。
「よし、それじゃしゅっぱーつ」
「おー」
「お、おー」
シャーリィの号令に気の抜けた声で返事をするリィンと、遅れて合わせるユウナ。
リィンのクロスベル探索は、最初から前途多難の幕開けを予感させていた。
セクハラ絶対防ぐマン。
つまりリィン君は不埒ではない、ということですね。
碧の軌跡の二章前日、つまりオリヴァルト達の来訪を明日に控えたのが現状の時系列になります。
ゲームでは当日の内容こそあれど、前日の具体的な描写はないので、その分好き勝手にキャラを出せる…はず。
間違ってたらすみません。
ユウナがあまり情報を持っていないのは、いち警察学校の生徒がそんなに詳しい情報を持っていないと判断してのことです。