皆様も体調管理にはご注意…
(リィン)
己を呼ぶオズぼんの声に意識を取り戻したリィンが、ユンの剣を太刀で受け止める。
鋭さはともかく、その斬撃は思ったよりも軽い。
オーレリアにマクバーン、ルトガーやバルクホルン、ヴィクターとデュバリィ偽のアリオスといった強者との戦いを超えてきたリィンにはそう感じるユンの攻撃。
鬼の力を使っているリィンの膂力ならば、跳ね除けることなど容易いはずのそれが強引に弾くことができないでいる。
それはひとえに技の違いがここに上げられる。
リィンが力を込めるタイミングを見抜き、点を崩して絶妙に
数十年を超える経験値の差がありありと浮かんでいた。
(剣術の技量が劣っているのは確かだが、こうまで完封されているほどお前と老師に地力の差はない。カタログスペックで勝敗が成り立つほど、剣というものは簡単ではない)
武芸者として当然の意識、聞き慣れすぎた言葉が響く。
そんなことはわかっている、とリィンは鬼気を足に込め直し震脚。
加減なく撃ち抜かれた岩場に入った亀裂により地面のバランスを強引に崩すが、ユンは音も気配もなく、まるで最初からそこに居たように遠く離れていた。
直接戦うリィン、そして離れた場所から戦いを見守っている学生達の目にも同じように映っており、剣仙の
「鬼の力を使ったリィンさんでも、老師から一本を取れなかったと聞きましたが……この強さ、確かに頷けます」
「父上はこの御仁と互角……むぅ、頂きはまだまだ遠いものだ」
老師の偉大さをこれでもかと聞かされていたエマや、父親から八葉の者の話を聞くラウラが渋面を作る。
武術を学ぶもの、学ばないもの、積み重ねた経験によって強くなった者。
彼らは全員、鬼の力の強さや多様性を多く見ている。
少なくとも、初手の鬼疾風をああも見事に対応することなど誰一人として不可能だった。
「あの爺さん、本当に何の異能もないのか?」
「人の可能性、というものを見ている気がするね」
「ある意味リィンも似たようなものだが……」
「でも、鬼の力があんなに通じないなら――」
「――いいえ。兄様なら、きっと老師に何かを示してくれるはずです」
周囲の不安を打ち払うように、エリゼは告げる。
それは、己に言い聞かせているようにも見えた。
「どのみち、俺達が手を出す問題ではない。ならば、結果がどうあれ見守るほかない」
ユーシスがそう締めて、再び観戦者達は二人の戦いへ目を向けた。
一度仕切り直したはずのリィンにも周りの声、特にエリゼの言葉は耳に届いていた。
信頼されている。
兄として応えなければならないが、その方法がわからない。
その妹を守るために目覚めたこの力が通じない現状に、鬼気の制御の乱れた鬼眼が灼眼へと戻る。
その瞬間を、ユンは見逃さない。
「―――――え?」
転瞬、胸元へ叩き込まれる連撃。
刃を返された峰打ちの
心臓を連打され、込み上がるものを抑えきれなかったリィンの口から血が吐き出される。
これが刃を返されていなければ、血溜まりに沈んでいたことに違いない。
そうならないのはユンの手加減であったが、衝撃はここで終わらなかった。
背中に叩き込まれる熱さと痛み。
それが緋空斬によるものであると気づいたリィンの体は岩場を転がり、鬼の力も同時に解除されてしまった。
すぐさま立ち上がったリィンが鬼の力を使おうとするが、先程受けた無想覇斬よりも強い胸の痛みが生まれて息が止まる。
再発動させようとした鬼の力が、穴が空いた器に注がれた水のようにこぼれ落ちていく。
発動しているが、完全ではない。
それを証明するように、リィンの髪は灰と黒が入り交じる二色に染まり、瞳もオッドアイのように片目だけ灼眼へと切り替わっていた。
(りぃん。体ニ異常ガミラレル。鬼ノ力ノ不使用ヲ推奨スル)
(老師には鬼の力の制御を手伝ってもらったこともある。源流が心臓にあることなど元より承知。幻葉切りの効果を持った無想覇斬、幻想覇斬とも呼ぶべきそれによって霊力を通した途端に傷を負うようだ)
それは、鬼の力の封印を意味していた。
使えないことはないが、使っても激痛により体が悲鳴を上げ、そんな苦痛を乗り越えたとしても効果は従来の半分にも満たない。
これなら、素で戦うほうがはるかにマシである。
かつて、リィン対策としてシャロンが使った結社の霊毒。
それをゆうに上回る効果をユンは叩き出してきたことに、師の偉大さを知る。
(鬼の力は、少なくともこの戦いじゃ使えない……)
そう思った途端に、ひどく喉が乾いた気がした。
リィンが数多の強敵と戦い、曲がりなりにも渡り合えたのは鬼の力があってこそだ。
そして目の前に対峙するのは、そんな強敵と比肩しリィンの中では剣士として最高峰と呼べる《理》に至った武の至境の一人。
それを相手に、己のみで挑まなければならない。
太刀がずしりと重く感じる。
シュミット教室の仲間達によって作られ、ロジーヌによってリィンの手に渡ったゼムリアストーンの太刀。
武芸者が望む武器として最高峰の性能を誇るはずのそれが、ひどく頼りなく思えた。
そんなはずがないと叱咤するも、生まれてしまった
だが、その恐れを隠せるほどリィンは達者ではなく、ユンはそれを見抜ける経験を積んだ老獪さを持っていた。
「怖いか、リィン」
リィンに言葉はない。
鬼の力なき不安を打ち消すことに必死な以上に、なんと答えればいいかわからない。
恐れのままに生む言葉を、口にしたくなかった。
「鬼の刃を抑え込むために、お主は八葉の鞘を求めた。それ自体は悪いことではない。お主の年を考えれば、その強さは天賦の才という他ない。儂の元を離れた半年の間、よく磨いたものと言える」
「その程度、と一蹴されてますが」
「儂とお主の年齢差がどれだけあると思うておる。そも、お主が儂に求めたのは身に抱える鬼をいざという時に止めてくれる者を求めてのこと。
なれば、儂はお主の望む通りにしておるのじゃがな?」
「かわいい弟子に奥義を授けてあげようって気にはならないんですか?」
「ぬかしおる。が、空元気であることが丸わかりよ」
「……………」
「全ての始まりである鬼の力……いいや、父の力を否定されることがそんなに辛いか?」
リィンは息を呑む。
ユンにはリィンの境遇も話しているため、己の心臓が父の心臓であることを知っているのは不思議ではない。
リィンが驚いたのは、それが父の力であると断言されたことだ。
オズぼん曰く、心臓はあくまでオズボーンのものだが力はまた別であると聞いている。
それでも、リィンにとって鬼の力とは、エリゼの危機によって目覚めた父との……家族の絆を思わせる力であると無意識に抱いていたそれを、ユンは指摘した。
「過去を思えば、それは家族愛の証明とも言えるもの。それを否定されたのならば、不安に思うのも仕方ない。
で、あるならば。なおのこと、それから離れる必要がある」
鬼の力から離れる、という言葉の意味を噛みしめるより早くユンが疾走する。
反射的に鬼の力を使おうとする体を無理やり抑え、リィンは迎撃する。
鬼の力がなければ格上に渡り合うことはできない。
そんなリィンの不安を断ち切るように、八葉の剣は心境をよそに使い手を脅威から守る。
そのことに誰より驚いていたのは、他ならぬリィンだった。
太刀への不安が、一合剣がぶつかり合うたびに削がれていく。
中伝の、鬼の力がなければ奥伝など口にできなかったはずの自身の剣が、鬼気解放状態の自分よりも遥かに戦えていた。
「リィン、その調子! アンタは素の状態でもアタシやナイトハルト教官とも戦ってるんだから! 自分が思っているより、ずっと強いのよアンタ!」
鬼の力が使えないリィンの不安を、経験から見抜いたサラが檄を飛ばす。
自身の強さは鬼の力に支えられている、というリィンが抱く認識をサラは言葉にすることで他の面々に伝えた。
「そ、そうだぞ! 君の実体を持つ分け身などには驚かされてばかりだが、そんなもの使わなくても僕達を手玉に取っていただろうが!」
「鬼の力はすごい……でも、そんなものなくても、リィンは十分に強いんだ!」
応援するクラスメイトをよそに、ラウラは口ごもってしまう。
サラを除けば達人以下の強さでしかない自分達が、気軽に言っていい言葉ではないと同じ武芸者の目線が気持ちを詰まらせてしまうのだ。
もちろん、言葉が持つ力を軽視しているわけではない。
励ましやねぎらいの言葉が人を成長させることを、父から剣を学んだラウラにはよくわかっているからだ。
とはいえ、言葉だけで勝てるなら自身はすでに皆伝に至ってリィンにも勝ち越している、という価値観がラウラの口を閉ざす。
学生の身では、強さの図りが一定を超えれば皆同じに見えてしまう、という先入観がどうしても浮かんでしまうのだ。
そんなラウラの手に、そっと添えられる小さな手。
目を向ければ、フィーが小さく頷きながらラウラを見上げていた。
「……四月の特別実習の最後。あの時のラウラ、そういう
つぶやかされた言葉に、ラウラがハッと顔をこわばらせる。
オーレリアとリィンの戦いに、魔獣飼育施設での騒動を終えて駆けつけた自分達は、半ば諦めていたリィンに激を飛ばし、負けたといえ抗戦してみせた。
あの時のリィンは鬼の力を使っていなかった。
ならば、あるはずなのだ。
あの《黄金の羅刹》と互角に渡り合った力の引き出しが、リィンにも。
鬼の力という異能に目覚めなかった、アルゼイドが使う
霊的なものを見抜く魔女ではなく、同じ剣士のラウラだからこそ、リィンが持つそれに気づきかけていた。
「――惑わされるな、リィン! 在るものを否定するのもまた欺瞞でしかない! そなたのそれは、鬼の力に隠れているだけなのだ!」
そんなラウラの言葉は、当然応援の中でもよく響く。
言葉が足りないと言われればそれまでだが、それでもリィンには届いていた。
天然自然、無念無想。
八葉を授けられた時より教えられた、七の型の境地。
鬼の力を制御するさい、その源泉そのものは
それでも、父からの贈り物としてその認識を上書きしていたことを、ここに来てリィンは気づいた。
(フフフ、ようやくわかったか)
(親父?)
(お前はもう知っているはずだ。鬼の力ではない、別の繋がりを)
その言葉に応じるように、戦術オーブメントであるARCUSから光が灯る。
それはリィンだけでなく、Ⅶ組やサラ、上級生達が持つARCUSも同調するように輝きを帯びていく。
「この光は……」
ARCUSの光が、まるで収束するようにリィンの太刀を目指す。
この光景は、リィンにも覚えがあった。
思い起こすのは《黄金の羅刹》との戦い。
アルゼイド家の宝剣《ガランシャール》と同じ、ゼムリアストーンで作られたルグィン家の宝剣《アーケディア》によって太刀が折られ、己の力が通じず介錯を頼んだ時に見た光だ。
折れた太刀を補うように作られた霊子の刃、そしてはっきりとした意識は残っていなかったが、オーレリアと互角に渡り合ったそうだ。
当時のパルムへの特別実習で同じだったB班のメンバーも想起しているのか、困惑と納得の表情を浮かべている。
(親父がやったのか?)
(私はあくまできっかけに過ぎない。フフ……どうやら皆、お前にただで負けて欲しくないと思っているようだぞ?)
光が繋げる気持ちが太刀を輝かせる。
ただ師弟の手合わせを観戦するべく訪れた一同であるが、そこに願うのはリィンの勝利だ。
唯一クロウだけは光がぼやけているが、エリゼの想いが場に介入しているのか、輝きの強さに誤魔化されて気づいていない。
(使い古された言葉かもしれんが、皆の気持ちが一つになった時に発現する力――ARCUSにはまだまだ謎が多いものだが、各々が重心として広がりを見せる結びつきが、こうして力となる……)
どこか感慨深そうにつぶやきながら、オズぼんは言う。
(フフフ、息子よ。今、お前の中に漲る力は、鬼の力よりも弱いと思うか?)
否、だった。
心臓に打ち込まれたユンの幻想覇斬の痛みなど微塵も感じない、頼もしさが太刀から溢れている気がした。
「ほう――」
明確に作られるユンの隙。
そこにリィンの無想覇斬が走る。
その斬撃は鬼気によって上乗せされた鬼神の一撃に負けない……技術においては上回りすら見える軌跡を描いて叩き込まれる。
ここで初めて、ユンが明確な回避行動に移る。
今までは八葉の技を駆使して無力化された戦技を、受けきれないと見据えて避けたのだ。
その事実に、リィンの胸に深く落ちるものがあった。
「…………俺は、八葉を
鬼の力を上乗せすることで、中伝のリィンが奥伝に相応する力を発揮する。
その事実が、無意識に鬼の力ありきの八葉一刀流であると誤認させていた。
「至ったか。お主の境遇を思えば咎めるのも酷やもしれんが……リィンよ。お主に授けた剣は、決して鬼に劣るものではない」
鬼の力を使うことで戦技の威力は剣聖級に昇華させた見返りに、その精度は中伝の時から劇的な進歩は見られない。
技を強引に力で押し上げていただけに過ぎない。
事実、技術という面での遅れを鬼の力で強引に互角へ持ち込んだ場面が数多くあった。
ここぞという時に常に頼っていたものが鬼の力だったからこその、この結果。
「力だけならなんら怖くない。老いたこの身でも、十分に対応出来る。だが、技と力が備わってこそ、脅威足り得る。……なればリィン、そなたが至った答えを見せておくれ」
リィンは太刀とARCUSの光を心臓に送る。
鬼の力という、器に入れられた黒の染色とは別の――リィンが元から持っていた潜在的な力が、ARCUSの輝きに照らされてその存在を明かす。
思えば、リィンが使いこなしたと思い込んだそれはあくまで器が壊れないための制御方だった。
けれど、器の中を
それを認めたリィンが、開眼する。
「…………………神気、合一」
その瞬間、はっきりとリィンの中にあった力が二分されたことを感じたのは当の本人とユン、そして霊視に優れたエマとセリーヌだった。
鬼の力による黒、リィン自身の潜在能力を思わせる無――あえて灰と表現する二色の力。
今はまだ黒が優勢なれど、リィンは見事に
同時にARCUSから通じる力がリィン自身の力を後押しする。
リィンとユンは同時に構える。
繰り出すのは漆の型、無想覇斬。
師弟は同時に駆け出し、描かれる斬線は互いに同一の軌跡を描き――交差した互いに傷を与えることなく、同じタイミングで納刀した。
「見事、答えは見つけたようじゃな」
「老師と――皆のおかげです」
リィンがユンに跪く。
敗北を認めたのでなく、手合わせの終了を意味していた。
先の無想覇斬、リィンとユンは全く同一の技と力で繰り出し、相殺された。
それはつまり、あの一刀がユンのそれに並んだ事実を示していた。
「まずはその身に抱えた鬼を超えてみせるがよい。その時が来れば、お主は自然と理解するはずじゃ。それを以て奥義伝承とする」
「老師が立ち会いはしてくれないので?」
「求められたのであれば行うが、おそらく必要なかろう」
「形式って大事だと思うのですが」
「ならば、その時を待つとしよう」
そう言って飄々と笑うユン。
リィンも笑みで答えながら立ち上がると同時に、胸に拳を打ち込まれる。
驚愕する一同だが、それが心臓に打ち込まれた幻想覇斬の効果を解除するものと理解していたため、抵抗することなくそれを受けた。
胸の痛みが消えて満足するリィンだったが――手合わせが終わったことで走り寄ってきたエリゼの突進を受け、微妙に再発した痛みに顔を悶えさせるのだった。
*
「はー……独占っていうのも贅沢だなあ」
手合わせを終え、テオとルシアからユミルの住人一同で盛大な宴が開かれると聞いた一同は鳳翼舘へ戻っていた。
リィンも手伝おうとしたが、エリゼに却下されてしまった。
エマとセリーヌの治療を受けた後だったので問題なかったのだが、ひとまず温泉に入って来てくださいと言われたので素直に従っている。
クラスメイト達を誘ってみたが、自発的に手伝いをすると言って全員この場にいない。
サラですら、酒を用意すると言って色々運搬の手伝いを行うほどだ。
慰安旅行なのにな、と思いながらもそんな善い人達に巡り会えたことで笑みを浮かべるリィン。
「でも、親父の奴どうしてあんなこと言い出したんだろうな、ヴァリマール」
ただ、この場には一人だけ欠けている人物がいた。
片時も離れず共にいたオズぼんは今、リィンの左腕から外されている。
何やらユンのことが気になるようで、現在のオズぼんは彼の左腕に装着されている。
ユンはオズぼんが見えず声も聞こえないはずだが、何を考えているのやら。
でも、ユンが聞こえるのであれば嬉しいと思う。
その喜びは半年前に比べれば大人しいものだ。
これも、エマ達のような見える人々との出会いのおかげだろう。
「…………ヴァリマール?」
だが、もう一人の同居人であるヴァリマールから反応がない。
リィンは心臓を見てみるが、傷跡だけで特に変化は見られない。
まさか、幻想覇斬の影響が? と思い念話を試してみようとした、その時だった。
リィンがふと顔を上げた瞬間、目の前に見慣れぬ女性が温泉に浸かっていた。
「貴、女は……?」
女性、と表現したがどこか少女のようにも見える。
姿は少女なのに大人の雰囲気があるのか、大人の女性なのに幼気な印象があるから少女のようなのか、リィンには判断がつかない。
髪が非常に長く、立てば腰を超えて足まで届くような水晶色。
ゼムリアストーンを思わせる輝きは、温泉に浸されてなおその光に陰りはなく、宝石に滴る水のように色を引き立たせるように見えた。
わかっているのは、彼女は何の前触れもなくそこに居た、という事実。
ふとベリルのことを思い出すリィンだったが、目の前の女性は彼女とは違う。
「…………あ、す、すみません!」
互いに湯着を身にまとっているといえ、その下は裸だ。
じっと見ているのは悪いと思って背中を向ける。
トールズ士官学院の貸し切りというわけではないが、他のお客さんは見なかったのでユンとの手合わせの間に尋ねた客なのかもしれない。
「ここ、男湯なんですが……ユミルに来るのは初めてですか? それとも温泉に入るのが初めてでしょうか? ここは一緒に入れる混浴ってわけでなく、男女で区切られているので……ああいや、俺が出ますのでごゆっくり――」
「いいえ、私は貴方に会いに来たのです。リィン・シュバルツァー」
重なるような声。
一人のはずなのに、まるで何人もの声が重なって作られたような違和感を持つ声帯。
そして、自身を訪ねてきたという事実にリィンは羞恥心を忘れて再度振り向いた。
やはり彼女はそこにおり、閉じた瞳がこちらに向けられている。
「訳あって名乗ることは出来ませんが、私は貴方が後日戦うマクバーンが所属する組織の者――と思っていただければ」
「じゃあ、結社さんと呼ばせていただきます」
直感のまま呼ぶ。
女性は特に反応することなく、淡々と語る。
「
「彼……親父が見えるんですか!?」
女性の目がリィンの左腕に向けられていることに気づき、思わぬ言葉に立ち上がる。
「待っていてください、今から呼んで――」
女性も同じく立ち上がる。
温泉のお湯が髪と体を伝い、湯船へと落ちていく。
均整の取れたスタイル、という言葉が烏滸がましく感じるほどの美しさだった。
湯着越しといえ、従来であれば男として、雄として湧き上がるはずの情欲や思春期特有の衝動は異様なほど潜めている。
暖められた肌に差す赤み、きめ細かさや単純な発育という人間の視点を超えた、まるで自然の壮大さを前にして浮かぶような荘厳さ。
端的に言えば綺麗過ぎて人間味を感じず、そういう目で見れなかった。
エマの時のほうが、よほどリィンのアオハルを刺激していた。
けれど人の目を惹く姿であることに違いはなく、そんな大いなる神秘を前にリィンはオズぼんのことを忘れて見惚れてしまった。
女神が人間を模して作り出した造形物。
人間では出すことなど出来ない存在感。
そんな印象を、リィンは女性に覚えた。
女性はそんなリィンに構わず、オズぼんのことに触れることなく手を伸ばす。
「―――――――っ」
向けられた先は、リィンの心臓部。
女神の造形もかくや、と言わんばかりに整った手がそっとリィンの心臓に触れられる。
肌に触れているはずなのに、その手は皮膚を超えて直接心臓を掴まれているような錯覚を覚えた。
「…………女神の手から
そっと心臓から手を離す。
用は済んだのだ、とリィンは直感で判断し感情のままに言う。
「貴女は、マクバーンさんのことで来たんじゃないんですか?」
「貴方と彼の
むしろ、貴方のような人こそ最もこの可能世界を輝かせると私は思います。貴方は貴方のままに、この世界を
「ちょ、待っ……!」
消える。
直感的にそう判断したリィンは手を伸ばすが、彼が触れたのは彼女が着ていたはずの湯着だけだった。
「――ドウシタ、りぃん。先程カラ
ヴァリマールの声が聞こえる。
それはこの場にリィンだけしかいない、という現実を語る言葉。
しかし、リィンの右手にある湯着の重さだけが、女性の存在を証明していた。
トールズ士官学院に通うR君。
結社さん(仮)の湯着を剥ぎ取る不埒行為を披露。
本人はそんなつもりはなかったと証言しており、クロスベル警察は引き続き事情聴取を行う模様。
体調のこともありちょっと難産でした…
途切れ途切れな描写で申し訳ない。
ともあれ、ユミル帰省編が挿入されて遠回りになりましたが、ようやく、本当に次回からマクバーン戦です。