誤字報告、いつもありがとうございます。
特別実習を終えたリィン達が宿へ戻り、サラがケルディックへ向かってからのことだった。
ヴァンダールの練武場に残ったラウラは、一人剣を振るっていた。
だが流れ出る汗とは裏腹に、彼女の気持ちは一向に晴れることはない。
(…………遠い…………)
リィンは強い。それは魔獣退治の時点でわかっていたはずだ。
だが、己と共にヴァンダールの師範代を倒し、ユーシスとマキアス相手への立ち回りを思い返すたびに、ラウラの胸が激しい渇きと飢えで満ちていく。
〈光の剣匠〉と称される帝国最強の剣士を父に持ち、子爵の位を戴いた貴族に恥じない人生を送ってきたと思う。
武術の腕でも同年代に敵はおらず、礼儀作法に多少の不作法さはあれど父親の背中を見て育った彼女は貴族令嬢として、子爵家に恥じないものを身に着けたと思っている。
(こんな感情に振り回されるとは……未熟、あまりにも)
悔しい。
羞恥に似たそれを律するのがこんなに大変だとは思わなかった。
父をはじめ同門の格上はラウラにだって存在する。
だが、いずれ出会うと父から聞かされた八葉の剣士。
それが同年代であるというだけで、ラウラの心はかき乱されていた。
剣の先、誰もいないはずの視線の中に虚像のリィンを作り上げる。
八葉の剣を体感し、観察し、思考によるフォローも実感した。
その仮想の刃に向かって延々と剣を振るい、心を落ち着かせるよう努めてみるが一向に晴れる様子がない。
自分と同じ強さを持つであろうフィーが、素直にリィンを称賛出来ているというのに己は……と、リィンだけでなくフィーにまで醜いそれを向けてしまう自分を嫌悪する。
しかし一度浮かんだそれを、今のラウラに振り払うことは出来なかった。
(フィー……リィンのように隔絶した実力があるなら、まだ手加減するのはわかる。口惜しいが、本気を出してもらえない己の未熟の問題だ。だが彼女はどうして本気を尽くさない? あの者ならば、もっと……)
剣を振るう先に影が浮かぶ。
先程まで脳内に照らし合わせて浮かばせていた黒髪の少年は、いつの間にか銀髪の少女へと映し変わっていた。
途端、剣に乱れが生じる。
だがラウラは構わず、幻影のフィーとの切り結びに熱中する。
ヴァンダールの師範代含めた門下生たちはそんなラウラを意外そうに、そして同じ分だけの親近感を抱いていた。
彼らもまた、強者に届かぬ悔しさを抱えた同志であるからだ。
声をかけることなく見守られる中、彼は訪れた。
「ん……?」
「あ、坊ちゃん!」
「坊ちゃんはやめてください……ところで、彼女は?」
「あのヴィクター・S・アルゼイドのご息女ですよ」
「彼女が……おひとりですか?」
「いえ、トールズ士官学院の方々と来られたのですが、その……」
彼はそこで、ここで何が起きたのかを知る。
目的の人物を見つけることは叶わなかったが、彼女に案内してもらえばいいだろうと声をかける。
「すみません。ラウラ・S・アルゼイドさんですよね?」
「む…………」
よほど集中していたのか、滝のような汗をぬぐうこともせずに剣を振るうラウラが、ようやく話しかけられたことに気づく。
「そなたは……」
「初めまして、クルト・ヴァンダールと申します」
「マテウス殿の……っ、こちらこそお初にお目にかかる。ラウラ・S・アルゼイドだ」
「突然に申し訳ありません、少しお尋ねしたいことがあったのですが……」
「む……あ、すまない……」
ラウラは剣を下ろすが、クルトは続きを口にしようとしない。
そのことに気づいたラウラが何か言うより早く、クルトは意を決して声を出した。
「ラウラさん。初対面の身でこう言うのも失礼かもしれませんが……僕と剣を交えてみませんか?」
「うん?」
「アルゼイドの中伝であるあなたに、初伝である自分が言うのもおこがましいのかもしれませんが、その……色々な意味で立ち合いたいのです」
「クルト殿……」
「どうかクルト、と。僕が挑む立場ですので」
「…………わかった、その立ち合いありがたく受けよう、クルト」
ラウラは申し出を受け、稽古場にアルゼイドとヴァンダールの剣士が並び立つ。
その立ち合いは昼間のリィン達と同じ、いやそれ以上の注目を以て練武場の門下生の視線を支配した。
クルトが構えるのはヴァンダールの双剣術。
ヴァンダールの流派と言えば剛剣術が主流のため、ラウラは少し珍しいものを見たと目を瞬かせた。
が、クルトの真面目な顔を前にすぐに気分を切り替える。
そうしてぶつかり合った二人は、小一時間ほど剣を合わせた。
彼女はそこで乱れた剣に活を入れられるかのような、感情の入った剣を受け続けた。
稽古自体はラウラの勝ちであったが、彼女は勝ち負け以上に稽古の価値があったと思う。
その頃にはラウラの気持ちも落ち着いており、迷いを断ち切ってくれたクルトに感謝を示していた。
「そなたに感謝を。クルトに察せられてしまうほど、私は混乱していたようだ」
「いえ、剣に悩む気持ちはよくわかりますので……それに、恥をさらすようですが、ラウラさんのためだけ、というわけではありませんでした」
「ふむ?」
「ラウラさんは僕の剣術を見てどう思われましたか?」
「率直に言えば、ヴァンダールの双剣術とは珍しい、だった。しかしすぐにそんな気持ちは消えたよ。そなたの剣は愚直に鍛えられた、修練の中身が見える素直な剣であった」
「恐縮です。僕は……ヴァンダールの剛剣と貴女の剣を比べたかったのです」
悔いるような告白をするクルトに、ラウラは彼の悩みの一端を察する。
ヴァンダールの剛剣はその膂力を生み出すための体格が必須になる。
そんなクルトの体は線が細く、剛腕よりも俊敏さを活かしたものであると考える。
だが彼は立ち合いの中、一度か二度ほど力任せの剣撃を混ぜてきた。
まるで、駄々を捏ねる子供のようなそれは、それまでの技の冴えとは到底結びつかないものだったので、怪訝に思っていた。
「なるほど。ヴァンダールの双剣術は剛剣術に負けない。そんな自信が欲しかったのか」
「……ご慧眼、感服します」
「よしてくれ。私は同年代にひがむだけの女だよ」
「そんなことはありません。ラウラさんの剣はとても真っすぐで、僕にはそれを受けきることすら出来なかった」
「はは、これでは謝り倒すだけだな。お互い、素直に称賛を頂戴しておこう」
「……わかりました」
あまり納得がいっていない様子のクルト。
ラウラは自分の迷いをその双剣で払ってくれた年下の少年が悩む様子が耐えられず、彼がここへ訪れた理由を聞く。
そこでクルトは用件を思い出し、慌てながらもここへ来た理由を語った。
「リィン・シュバルツァーさんのところへ案内していただいてもよろしいでしょうか?」
*
宿に戻ったリィン達は、その日のレポート作成を行っていた。
ただし、ユーシスとマキアスは昼間のリィンとの激闘の疲れから今もベッドでぐっすりと寝入っている。
ちなみにヴァンダールの練武場から二人を背負って宿まで抱えたのはリィンである。
このままでは明日に響くのでは、と思うので寝る前に起こしてやろうとリィンは考えた。
「なーんか悪い顔」
「顔に出てたか?」
うん、とレポートの作成に苦戦するフィーがうなずく。
男女平等ということで同じ部屋、かつ男三人のうち二人が寝てしまい、残る一人の少女はヴァンダールの練武場へ行っているので実質男女のペアで過ごしていた。
「私のお父さんが悪だくみしてる時に浮かべる顔に似てた」
「そんな年上に見えるか?」
「ううん、威厳がまるで足りない。あと声の渋み」
「年齢の壁は超えられないな……」
「そもそもリィンより私のお父さんのほうが断然魅力的」
「ファザコンなんだな」
「悪い?」
「いや、俺も似たようなものだから」
「そっか。まあ私のお父さんのほうがすごいだろうけど」
「いやいや、父さんも親父も良い男だぞ」
「お父さんのほうがすごい」
ただし、そこにある空気はとても甘酸っぱいものではない。
互いに父親を褒め称えるそれは、自分のほうが相手のことを好きだ、と叫び合う幼稚なもの。けれどだからこそ純粋な響きとなって二人の心に突き刺さる。
ムキになって口論へ発展しそうになるそれを留めたのは、リィンの親父だった。
(フフフ、息子よ。幼い少女にムキになるとは大人げないぞ。くすぐったくはあるがな)
「俺の親父は低くて艶のある声してるし、威厳だって……たぶんたっぷりだ」
「なんでそこで疑問形?」
「フィーは自分の父親が人形になってはぐはぐ、って感じで左腕に抱き着いて来たらどう思う?」
「え、キモイかな」
「俺もそう思うよ」
(フフフ、ヴァリくんよ。純粋な言葉とは時に人を傷つけるものだな)
(泣イテイルノカ、おずボン)
(あいにくと、この体では泣くことはできないのでね)
オズぼん、男泣きの瞬間である。
いつの世も思春期の少女の言葉は中年の親父特攻なのである。
「でも、本当に人形でもお父さんが傍にいてくれたらうれしいかな」
「ついでに喋ったりするぞ。ふふふ、娘よ。って感じで」
「お父さんは娘よ、なんて言わないよ」
「じゃあ……ヨウ、フィー?」
「エセ外国人みたいになってる。ヨウフィーって名前っぽい。うーん普通にフィー呼びかなあ? リィンのお父さんはリィンって呼んでくれないの?」
「シュバルツァーの父さんに遠慮してるのか、息子よーってのが多いな。リィン、って呼んでくれるのは滅多にない。ま、それはそれで構わないけどな」
「へえ。お父さんが二人か…………レオかなあ?」
「レオ?」
「うん。お兄さんなんだろうけど雰囲気がね――」
フィーはレポートのことを忘れる傍ら、リィンに猟兵であることは言わずに家族のことを話していく。
リィンもそれに応じるように、オズぼんのことは言わず、シュバルツァー夫妻や妹のエリゼのことを語った。
そんなふうに雑談をかわしながら、時に手伝い合いながらレポート作成を終えると、フィーはあくびをして眠気をかみ殺している。
「フィー、寝る前に風呂は入れよ」
「んー。このまま寝たいなあ」
「年頃なんだし綺麗にしないとダメだろ。セリーヌやラウラと一緒に――って、ラウラまだ帰ってないのか」
時計を見れば、すでに夜の九時を回っている。
明日も特別実習があるというのに、レポート作成もせず大丈夫なのだろうか、とリィンは心配してしまう。
ちなみにセリーヌは本日限りの酒場のマスコットになっている。
助けなさいよ! と彼女は救援を送っていたが、リィンはレポート作成のために彼女に黙とうを捧げて部屋に戻った。
今日は抱いて眠ってあげようと決心し、きちんと実行したリィンの頬に引っかき傷が増えるのは余談である。
「サラには言ってたから問題ないと思うけど……リィンのせいだよね」
「ひどくない?」
「リィンはもう少し、客観的に自分を見たほうがいいよ」
「実習頑張っただけなのに……ユーシス達に負けたから、評価もたぶん二人より下だし」
「そういえば、私とラウラはそういった組合せなかった」
「言われてみれば。男三人で組んだんだし、ラウラとフィーの稽古をそのままやると思ったんだけど……」
ユーシスとマキアスが気絶した後、サラは本日の実習の終了を宣言した。
フィーとしては面倒ごとがなくて良いことだったが、ラウラはサラに言付けして練武場へ残ったというわけだ。
「二人の実力差は伯仲してるから、なかなか面白い勝負にはなりそうだ」
「そだね。互角だろうけど……今のラウラなら、苦も無く勝てると思う」
確かにな、とリィンが同意しようとした瞬間、狙いすましたかのように寝室の扉が開いた。
二人が首を向けると、そこには歯を食いしばって何かに耐えるラウラがフィーを凝視している。
あちゃー、とフィーは己の間の悪さを呪った。
「フィー。随分と面白いことを言っているようだな」
「あー、ラウラ。今のはだな……」
「そなたには関係ない」
椅子から立ち上がり、間を取り持とうとしたリィンを一蹴し、ラウラはフィーに近づいていく。
フィーはこっそりリィンの後ろに隠れてラウラの視線から逃れる。
リィンもその動きに応じてフィーを体で見えなくするが、ラウラの目はリィンの体を貫いてフィーに向かっている。
「隠れるな。私は逃げも隠れもしないぞ」
「だって今のラウラに言ってもちゃんと聞いてくれないでしょ?」
「私は冷静だ」
「そういう人が冷静だったことはないよ」
リィン越しに剣呑な空気が部屋に満ちていく。
ラウラに弁明しようにも、リィン自身フィーの言葉に同意しようとしてしまったため、嘘をつくわけにもいかず舌が上手く回らない。
そんな緊張の中、救済は部屋の外から訪れた。
「ラウラさん? 一体どうかされましたか?」
ひょっこりと顔を覗かせたのは、蒼灰色の髪をした年下の少年だった。
女性と見まがうほど整った顔は、体の線の細さとあいまって綺麗と表現するほかない。
だがリィンは見たことがない相手だった。
振り返ってフィーに目で聞いてみるが、彼女もまた知った様子はない。
「クルト…………」
ラウラの名前を知っていることから、彼女への用事なのだろうか? と思ったリィンの疑問はすぐに晴れた。
ラウラの名前を知っていることから、ちょっと考えれば彼女の知り合いであることは自明の理だった。
助かった、とリィンはラウラに彼のことを尋ねる。
「ラウラ、その人は?」
「うん。……彼はクルト・ヴァンダール。今日世話になったヴァンダール家の次男だ」
「夜分遅くに申し訳ありません。初めまして、自分はクルト・ヴァンダールと申します。このたびは――」
改めて入室し、ぺこりと頭を下げる少年、クルト。
その佇まいから武芸者であることと、礼儀を弁えていることがうかがえる。
だがリィンの背後に隠れるフィーと、それを目を細めて見やるラウラの様子から切羽詰まった様子であることを察したのか、一瞬言葉を詰まらせてしまう。
だが仮にもヴァンダールの名を背負う者の意地か。
クルトはすぐに言葉を切り出す。
「リィン・シュバルツァーさんに用事があって参りました」
「リィンってさあ、私達と一緒に居ても問題起こせるの?」
クルトへ被せるように言い放たれたフィーの物言いに、リィンは首を傾げながら、詳しい内容を問いただす。
「申し訳ありません。リィンさん個人への用事なので、詳しい話はこちらへ……」
そう言って退出を促すクルト。
リィンは頷く前にさぞ今思いついたかのようにフィーへ提案した。
「わかった。そうだフィー、風呂に行くって言ってたし、行ってきたらどうだ?
そう言ってリィンは
フィーもそそくさと準備を整えて風呂へ向かう。
ラウラはその動きを阻もうとするが、それより早くリィンが体を割り込ませてクルトへ近づいた。
「リィン、フィー! そなた達……!」
「クルト君だっけ。それじゃあ下へ行こうか」
「え、ええ……その、いいんですか?」
「いいよいいよ、さっさと行こう」
クルトの背中を押すリィンは疾風のような速さで退出する。
ラウラは女性なのでフィーのいる風呂へ押しかけようとするが、リィンの言葉で浴場は共用であることを思い出して足が止まってしまう。
今の自分はフィーに会えば問い詰め、声を激することは必至だったからだ。
忌々しいほど周りを見ているリィンにラウラの怒りはさらに増し、ゆっくりと起き出したユーシスとマキアスは、修羅との遭遇に二度目の睡眠を行う。
練武場でのクルトの一件がなければ確実に爆発していたが、彼のおかげで爆発寸前となったそれが急に沈静したのは翌日の朝。
リィンが未だに帰っていないことを訝しんだ四人の元に、セリーヌを連れたクルトが訪れ、爆弾発言を投下される。
「本日、リィンさんがオーレリア・ルグィン……〈黄金の羅刹〉と称される剣士と立ち合いを行うことになりました」
さらに詳しく明かされた内容に、ラウラの怒りが一瞬で霧散する。
特別実習二日目――四人はリィンが強制的に置かれた問題に巻き込まれるのであった。
クルト君出したほうが面白くなると思ったので、エマとの夜会話は消えました。
ラウラとクルト君は姉弟感あると思います。
彼が来た理由は次回あたりに。