これはもうヒロインでは?
エレボニア帝国中央、帝都ヘイムダル近郊に構えた小都市トリスタ。
バリアハート行き旅客列車の中で窓の先を眺めていたリィンは、今後のことを思いふけっていた。
「トールズ士官学院……もう少ししたら到着か」
(フフフ、息子よ。期待不安の未来を想うのも大事だが、そう心配することはない。今日は私が付いているのだからな。)
「今日も、だし憑いてるの間違いだろう」
(喜びたまえ、毎日が父兄参観だ)
「なんて嫌な学院生活だ」
近くに乗客がいないので、リィンは安心してオズぼんへ声を投げる。
普段は周囲の目を警戒して小声になってしまうのだが、今は思う存分に言葉を出せることに嬉しくなる。
(フフフ、息子よ。今日は随分と機嫌が良さそうだな)
「親父の言っていたことが、本当にあるかもしれないしな」
(フフフ、ではお楽しみとしておこう)
そんな風に雑談を交わしていると、アナウンスがトリスタの到着を告げる。
荷物をまとめたリィンは、ホームに降り立ちトリスタ駅へ足を踏み込んだ。
「ここがトリスタ……道の清掃も行き届いてるし、ライノの花も乱れて景観も良い。川の流れも綺麗だ。良い魚が泳いでそうだな」
(緑色の制服に身を包んでいるのは、同じ士官学院の生徒であろう)
「赤い制服の子は、俺と同じクラスだったりするのかもな……っと」
街の景色に見とれていたリィンだったが、背後から歩く同じ赤い制服の女生徒が向かっていることに気づいて道を譲る。
その気遣いは正解だったようで、金髪の少女はリィンと似たように首を忙しなく巡らせ、彼に気づくことなく景色を堪能しながら歩いていった。
(ほう、よく気づいたな。私が先に声をかけようと思っていたのだが)
「気配の察知は武芸者の嗜み、ってところかな」
(だが残念だな。今ので一つフラグを逃がしたぞ)
「親父、時折言ってるフラグってなんなんだ?」
(フフフ、そこはいつものようにこう返そう。――宿題だ)
「都合が悪くなるといつもこれだもんな……」
ため息をつきながらも、リィンはもう一度駅の周辺をぐるりと見回す。
そして少しだけ口元を綻ばせると、意気揚々と足を動かした。
「入学式までは時間もあるし、少しトリスタを回ってみようか」
(トリスタマラソンの開始だな。――では始めるとしよう。ひとまずのミッションは、同じ制服を来た少年少女のチェックだ)
「了解だ」
空いた時間があれば周辺を走って住民と話す、通称◯◯マラソン。
オズぼんによってすっかり教育されてしまったリィンは、自分の行動に特に疑問を挟むことなくトリスタを駆け巡る。
ホーム前にある公園のベンチで眠っていた、猫のような女の子。
礼拝堂では浅黒い肌を持った、ノルドの住民らしき長身の男子。
学院の通り道では、同じ武芸者と思われるポニーテールの少女。
たどり着いた正門前にて、威風堂々とした佇まいの貴族の少年。
駅のホームで通り過ぎた金髪の少女と合わせて、五人ほど同じ制服の生徒を見つけることが出来た。
少なくとも緑色の制服を着た生徒に対して、赤い服はたったの五人。同じクラスと見て間違いはなさそうだとリィンは思った。
「さて、時間は……まだ大丈夫か。もう少し回ってみよう」
(反復はランナーの嗜み。実に勤勉なことだ)
オズぼんと過ごす中で身につけた、周辺探索の極意は繰り返しだとリィンは実感している。
確認という行為の大事さをマラソンの中で知り得たのは、リィンの人生にも大きく影響を与えていた。
「とはいえ時間は限られるし、少し走るぞ親父」
(うむ。誰かにぶつからぬようにな)
そう言ってリィンは再び走り出す。
その背後で、狼狽えるような少女の声があったことをリィンは気づかなかった。
「ジョルジュ君、あの子何か忘れ物しちゃったのかな? 左腕をまさぐっていたり、独り言も多かったみたいだし……心配だよ」
「うーん、ここは帝国中から人が集まるからねえ。たまにはそういう子もいるんじゃないかな。クロウやアンっていう例もあるし」
「そっかあ。それならしょうがない……のかな。時間までに戻ってきてくれるといいね」
「そうだね、トワ」
*
(フフフ、息子よ。流石にそろそろ時間だ)
「ああ、もうこの時間帯で見るところは見たかな」
ユン老師に鍛えられ、オズぼんと鬼の力の制御を学んだリィンの体はマラソン程度では息を乱さない。
今から走って戻れば十分時間には間に合うだろう。
そう思い学院に戻ろうとしたリィンに、オズぼんが待ったをかけた。
(息子よ、公園のベンチを見るがいい)
「ん? あれは……黒猫が寝ているだけじゃないか。可愛いものだ」
(フフフ、まだ未熟だな息子よ。少しだけ目を『凝らして』見るがいい)
疑問をよそにリィンはオズぼんに言われるがまま、ベンチで気持ちよさそうに眠る黒猫を見やる。
その瞳は黒から炎をはらむような灼眼へと切り替わっていた。
鬼の力に目覚めて数年、オズぼんの手助けもあり今では部分的に覚醒を促すといった器用な真似ができるようになっていた。
すると、黒猫の周囲にマナが多く宿っていることに気づいて目を見開く。
今のリィンは霊子と呼ばれる、目に見えない不思議な力の流れを見ることができる。
オズぼんいわく、これも鬼の力のちょっとした応用らしく、自分がいなければ出来ないことだとドヤ声を晒していた。
(ただの猫というには、いささか不十分のようだな?)
「あの猫は一体……」
(首輪をつけている以上、何者かに飼われているようだが。さて。そこは直接確かめてみるのがいいだろう。時間もないので慎重に、手早くな)
頷き、リィンは黒猫に気づかれぬようそっと近寄ってベンチへ歩み寄る。
無駄に足音と気配を殺した、暗殺者も感心する歩法であった。
だが黒猫は己に手を伸ばす不埒者の気配を察したのか、リィンが手を伸ばしたところで急に目を覚ました。
目と目が合うも、黒猫は威嚇の鳴き声を――
「な、なによそれ。アンタなんてものを抱えてるの!」
上げず、まるで人間のように流暢な言葉を発しながらリィンの左腕を見た。
リィンは瞠目する。
猫が喋ることもそうだが、何より――震える手付きでオズぼんを指すと、黒猫は過剰な警戒心を示すも首肯するではないか。
この黒猫は紛れもなく、リィンの左腕にしがみつくオズぼんを凝視しているのだ。
「まさか、この人形が見える……のか?」
「見えるも何も、そんな、ありえない! なんで外の――」
(フフフ、子猫よ。それ以上いけない)
「親父、なんの話だ?」
リィンはオズぼんのことが見える黒猫のことが気になったが、その先は紡げない。
オズぼんの言葉にびくりと身を震わせた黒猫が、すぐさまベンチから飛び降りて逃げ出してしまったからだ。
オズぼんに気を取られていたリィンはその行動を阻むことが出来ず、逃走を許してしまう。
「ま、待ってくれ!」
リィンは士官学院の入学式が迫っていることを刹那で忘れた。
オズぼんがすぐにそのことを言及するが、リィンは受け付けない。
入学式より大事なものを、あの黒猫が持っているからだ。
今まで鍛えた体は今このためにある、と言わんばかりに躍動するリィンは全力で黒猫を追いかける。
「なんで追いかけて来るのよ!」
「君が逃げるからだ!」
「そんな必死に迫られたら逃げるに決まってるじゃない!」
「俺はただ君と話がしたいだけなんだ!」
「私が喋るからって売り飛ばす気!?」
「そんなことしない!」
「人間はみんなそういう!」
「俺はちょっと他の人と違うんだ!」
「そうね。猫を追いかけ回す変質者よね!」
自分を追うリィンに危機感を抱いたのか、人のサイズでは入ることが出来ない小道や家の横穴などを駆使して逃げる黒猫。
だがリィンの気配察知能力は下手な武芸者のそれを大きく上回る。
事前にトリスタマラソンを行っていたことで初見の道に迷うことも少なく、最低限のロスで黒猫を追走していく。
後に喋る猫とそれを追いかける変人の噂を引っさげて入学するリィン・シュバルツァー。
日曜学校でもしなかった初めての遅刻が確定した瞬間であった。
*
リィンが黒猫をその両手に抱え込んで捕まえたのは、それから三十分後のことだった。
勝負の分かれ目は事前に釣っていたソーディを使った剛速球である。
体を動かして腹を空かせた黒猫が、魚を前に我慢などできるはずもなかった。
魚を見て硬直した黒猫の一瞬の隙を狙い、見事に捕まえたリィンは観念してぐったりした彼女――セリーヌを抱えてトリスタ郊外へと足を運んでいた。
喋る猫であるセリーヌに配慮した形であるが、もっと別の気遣いをして欲しいと彼女は腕の中で文句を垂れた。
「すまない、俺もついアツくなってしまって……」
「はあ、もういいわ。焦ってたのはお互い様みたいだし」
(フフフ、息子よ。女を追いかけ回すとは貴重な経験になったな)
「その相手が猫だとは思いもよらなかったけどな」
「私も男に追いかけ回されたのは初めてだったわ」
追跡者にするとは思えない、存外素直なセリーヌの態度に感謝を述べるリィン。
我ながらいただけない、と猛省をする少年をよそにオズぼんがセリーヌへ話しかけた。
「私の声が本当に届いてるようだな」
「ええ。……でも、なんでアンタみたいな存在がこんなところにいるのよ」
「何、不肖の息子を見守るためだ」
「……………ちょっと違うって言ってたけど、アンタ人間のフリした別物?」
「人間です。ちょっと違うっていうのは、他人と違う体質を持ってるだけだ」
ふぅん、と興味なさげなセリーヌ。
そこに警戒がないことを見抜き、リィンは謝罪しながらセリーヌを腕から下ろす。
「逃げないのか?」
「アンタの俊敏性は見たわ。この場で逃げてもすぐに捕まるだけよ。なら、とりあえず要件を済ませたほうが効率的だわ」
「悪かった……要件っていうのは、その……これからも俺と会ってもらえないか?」
「ハア!? アンタ一体何を……!」
「直球だな、息子よ」
リィンからすればオズぼんの話題が共有出来ればそれ以上望むつもりはないので、こう言う他ない。
だが面と向かって今後も会いたいと言われたセリーヌは声を上擦らせてしまう。
言葉だけ見れば男女の甘酸っぱい雰囲気であった。
「親父……このオズぼんって人形は、今まで俺にしか見えてなかったんだ。でも、セリーヌが親父のこと見えてるって知ったら、居ても立ってもいられなくなって……だから追いかけてしまったんだ。そこは本当にすまない」
「……つまり、話題の共有がしたいだけってことなのね」
「ああ」
それならそうと言ってよ、と疲れたため息を漏らすセリーヌ。
そう言ったつもりのリィンだったが、女性がご機嫌斜めの場合は、大人しく黙っているのが正解だとエリゼとの経験で理解していた。
「なら、エマ・ミルステインって子を連れて来て。一緒に説明しないといけないし」
「察するに、君の飼い主といったところか」
「そうね、私は――ううん、エマが来た時に教えてあげる。本当は黙ってないといけないのに、喋っちゃったことも言わないといけないしね」
「……今から入学式に行って、問題ないかな」
「説教の一つや二つは覚悟しておくべきだろう」
「そうしておく。それでセリーヌ、どこで待ち合わせればいい?」
「エマが私を探してくれるだろうから、付いていけばいいわ」
「わかった。それじゃあ魚はそのままプレゼントするよ。……また会おう」
用は済んだと言わんばかりに、セリーヌが魚を咀嚼する。
その音を背に、リィンは学院へ戻っていく。
その足取りは重く、遅刻の言い訳をどうしたものかと頭を悩ませるのであった。
プロットなしの勢いで書いてるので物語が逸れる逸れる。
着地点だけでも決めておかなければ…